憲法前文改正考
自民党の幹事長にしてキャンディーズの大ファンである
石破茂氏が 『(憲法の前文について)、「世界の人は
みんないい人なので信用していれば平和で安全ですよ、
と書いてあるが本当か」と述べた。』というニュース。
で、
あれこれ言う前に日本国憲法の前文を読んでみようじゃないか。
『日本国民は、
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、かかる原理に基づくものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従うことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。』
いやー、なつかしい。と思ってしまうのは私だけだろうか。
私がいた中学校では2年生の時にこれを覚えさせられたのだ。
それ自体は先生の教育方針だったのだが
まあ、中学生なんて馬鹿なので、お互いにいい合いっこをして、
『われらは、全世界の国民が、しとしく恐怖と欠乏から免れ』
『ぶー。間違い。』
『なんだよ。』
『「しとしく」じゃなくて「ひとしく」ですねーっだ。』
なんてことをやっていた。
いまの中学生はやらないんだろうか。
だからいまでも、冒頭の部分、
『日本国民は、正当に選挙された国会における
代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、』
くらいまでは、そらんじられる。
しかし、その先は出てこない。
脳みそが劣化した、ということはあるにしても
何よ。そんなひどいこと言わなくてもいいじゃない。
覚えにくい理由ははっきりしていて、
センテンスが長いのだ。
この『前文』は500字余りもあるのだが、
センテンスでいうとたった7つだ。
お前は野坂昭如か、と。
なんでそんなことになっているか、というと
翻訳文だからだ。
リンクしたWikipediaのページにこの前文の
『GHQ草案の英和両文』と、日本側の『改正草案』が3つ
載っているので是非眺めてみて欲しい。
『改正草案』の最初のほうが
日本語としてよほどこなれていると思うのだが
いま、我々が目にしている『最終稿』はむしろ退化している。
もちろん、語句のいちいちについて
細かい伏線を張り巡らせたあげくこうなっているんだろう。
法律家、という詐欺師はそういうことをやる。
たとえば、よく問題になる憲法9条第2項はこんなぐあいだ。
『前項の目的を達するため、
陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。』
これを読んだ時、『どう考えても自衛隊は違憲じゃないか?』
と思った14の春。
これは、『前項の目的を達するため』という部分がトラップで
『前項』である第1項は
「国際紛争を解決する手段としての戦争と威嚇」を放棄する、
と書いてある。
だから、「自衛のための戦力なら構わないのだ。」と訊いて
「大人ってずるい。」と思った童貞の夏。
Wikipediaに載っているのはGHQ原案と成案を含めて
5つだけだが、おそらくその間に何百という
「草案にすらならなかった草以下の文章」が
山ほどあったはずである。
5つを比較して読むのも骨だが、
変えられた言葉や表現にどんな意味があったのか、
さっぱりわからない。
しかし、あれこれいじくり倒したおかげで
やっぱり、おかしい。
『いずれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、』という辺りは
あきらかに日本語として不自然だろう。
『(国政の)その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。』
というに至っては、リンカーンのゲティスバーグ演説の
『ピーポーピーポーピーポー』のパクリである。
今回、石破さんが触れた部分、というのは
例によってはなくそ読売は肝心なことを何一つ書かないので
馬鹿野郎だが、おそらく
『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。』
という部分だろう。
だから憲法改正は必要だ、といいたいらしいが
それは通らないんじゃないか?
少なくとも、この箇所のために改正しよう、
とはならなだろう。
ここまで述べたように、日本国憲法前文というのは
国家の基本法典の序文として備えるべき品格を持っていない。
GHQの原文はいかにもアメリカ人が書きそうな
入れ子の文体で、やたらと長いとありがたいと思ってるあたり
お前、やっぱり野坂昭如じゃないのか?
憲法が『不磨の大典』だとは思わない
時代の要請によって変えていったらいいと思う。
しかし、『占領軍の押しつけだ』ということを言い出したら
地方自治というものも、国民医療保険というものも
なくなってしまうので
そんな感情論にはつきあえない。
文章だけは自然な感じに変えたらいいと思うんだが、
北朝鮮みたいにふざけた国があるから前文を変えよう、
とか言いだしたら、憲法改正なんて絶対に出来ないだろう。
いま、安倍さんが執心している96条改正(改正発議の条件変更)
にしたって、維新の自爆で、おそらく通るまい。
参院選は、民主や、小沢さんとこと維新が草刈り場になる。
自民は議席を伸ばすかも知れないが、諸派も伸ばす。
与党、ということでいうと
公明党というのが不思議な政党で
『絶対に当選できる人』しか擁立しない。
10点差でリードして、ノーアウト満塁でもスクイズをしちゃう
というくらいの、『安全選挙』なので
ここが急激に議席を伸ばすことはない。
だから与党が2/3を取れるとは
単純には思えないのだ。
しかし、憲法前文を読み返したのは
40年ぶりくらいな訳だが
いいことかいてあるよ。
北朝鮮が気に食わないのはおれも同じだ。
石破さんはスーちゃんが好きだったらしいが、俺はミキちゃんだ。
まあ、いっぱいやろう。
しかしこんな風に書き換えたら野暮だろう。
『…平和を愛する大体の諸国民の公正と信義に信頼して、
でもほら、ミサイル撃ったり、
領土をかすめ取ろうとする連中がいるから
われらの安全と生存を自力で保持しようと決意した。
核兵器の保有も、将来的な選択肢としては排除しない。
もちろんアメリカにだって頼る。
……
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、
でも拉致被害者を帰さなかったらキムの奴無視なー。
貿易もしないぞー。まんぎょんぼう号なんて来んなよ。
なんだよ、キンペー、
食料とか送ってんじゃねえよ。
……』
大丈夫かな?おれ…
では、『今日の二枚。』
1889年、大日本帝国憲法発布式典。
憲法を総理大臣の黒田清隆に下げ渡す明治天皇。
まあ、明治憲法は『欽定憲法』だから、
『陛下が臣下に下げ渡す』という
このかたちでいいんだけど…
1946年、貴族院本会議場(いまの参議院)での
現行の日本国憲法の公布式典。
『発布』も『公布』も同じ意味。
ただし、運転免許を『公布』してもらう時に
こんな仰々しい式典はやってくれない。
明治憲法がいつ失効したのか、というと
おそらくこの瞬間だったと思うのだが
昭和天皇が吉田茂に下げ渡す、
ということにはなっていない。
そんな事が許される時代じゃなかったんだろう。
(クリックしてくださいな)
来週以降、北朝鮮万歳。中国万歳の文章に変わっていたら
なんかあったな、と思ってください。
いや、被害届出してください。
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