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2013年6月12日 (水)

時計とわたくし

6月10日は『時の記念日』

西暦671年のこの日、天智天皇の時代に時刻を計って

それを報せた、と日本書紀にある。

『漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。』



























『漏尅』とは水時計のこと。

どうやって時を報せたかというと鐘をうった。







奈良の明日香村の水落遺跡から、遺構と遺物が出土していて

かなり詳細にその様子が推定されている。

結構でかい施設だったらしいのだ。

 

 

       
    

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この絵を描いた人は、建物のことを知らないなあ、と思う。 

柱や梁、貫の組み方が滅茶苦茶だし、こんな出組では軒が落ちる。

小屋組もおかしいし、2階の床なんか根太もないから踏抜きそうだ。

とにかく、1階にある階段状の水槽が漏刻という水時計。

 

     
     

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漏刻の再現模型。

5つある箱は銅で出来た管で結ばれており、

水位差を利用したサイホンの原理で順番に下に落ちる。


最期の箱の上に立っている人形に意味はなくて 

こいつが持っている『箭』といわれる棒が 

最期の水槽の水面にある浮きにつながっていて、 

水面が上がると、『箭』も上にあがる。



『箭』には目盛りがついていて、これを読んで

合図をすると2階で鐘をうつ。










もちろん、一番下の箱が一杯になったら 

水を抜かないといけないし、最上部の箱には 

定期的に水を足してやらないといけない。 

鐘をうつ係もいる。


従って、守辰丁という作業員20人と漏刻博士という偉い人2人で

運営されていたそうだ。

手を挙げて鐘の係に合図をしてるのが博士だろう。

 

         

       
      
      

 

 

            
      
      
      
      
      
      
      
     
          
        
        
           
           
          
           


『よしっ。鐘をうていっ。』

 

 
『え?博士、まだ早いですよ?』

 

          
『えー?いいじゃん。たるいよ。早く鐘打って帰ろうぜー? 

今日、奥さんの誕生日だから早く帰らないと怒られんだよー』

 

 
『だめですよ、博士。』


『早い漏刻博士なんて、

奥さんに嫌われまっせ。』


          
          
         
        
         
          
               

 

 

 

 

       
             

 

          
        
      
       
       
         
         
        
         

さらに、漏刻一基では、下の箱の水を抜く時に 

時刻が途切れてしまう。

そのほかの必要もあったのだろうが、

なんとこの建物は4棟あった、という。


飛鳥時代の役人も時間に縛られていたのか、と思うと 

可哀想なような気がする。


         

          




そして、私は今、時計を持っていない。

ケータイの時計で用が足りる。

案外そんな人、多いんじゃないだろうか?
        

 

        
   

そして、学校や駅などの『時計』が少なくなってきている。

日本人は時計が嫌いになったのか?

 

 

今日は、そんなお話し。

















明日香の漏刻は、10年足らずで大津京に移され、

さらに各地の国府にも作られた、という。



24時間運営していたわけではないだろうが

どうだったんだろう。

 

晴れていれば、夜明けや南中で時刻が修正できるが

曇りや雨だと、それが出来ない。



それなら24時間稼働させていないと

『時間』が途切れてしまう。

その場合、漏刻4基に、

博士2人作業員20人でも

足りないかも知れない。




従って、古代のこの『時報システム』は

割と早い時期に放棄されたらしい。


漏刻や、日時計で時間を計る習慣は戦国時代はじめまで

あったらしいのだが、国家としてこれを伝える、あるいは

個人が時計を所有する、ということにはならなかった。

 

           
       

 

 

          






戦国時代なんて、時間通りに行動しないと 

戦争がやりにくいだろうと思うが… 

戦国時代の戦闘は、結構時間に無頓着だったらしい

 

『先陣』の栄誉を得るために母衣を掲げたり

馬印をあげたり。

戦国武士の営業活動は結構えげつないけど、

個人プレー中心であまり『時間を合わせて、どん』という

統一性はなかったんだろう。      

 

日本だけではなく、ワーテルローの戦いで、ナポレオン軍と

別働隊のグルーシー将軍は

集合時間を決めておかなかったために敗北したりしてる。

 

だから時計も廃れた。

『統一国家』もなかったから、

漏刻のような巨大なシステムもなかった。
          
        

 

 

 

システムを維持する手間よりも

メリットが少なかったらしい。





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祇園祭の母衣武者行列

戦闘力は皆無
































 

         

『時刻』を報せるシステムが戻ってきたのは江戸時代から。




時計の動力は、錘かゼンマイか振り子か鳩なのだが

ヨーロッパでは13世紀頃から錘を使った大型の時計が作られ 

教会の鐘楼などに用いられた。

    

17世紀には板バネを使ったゼンマイ時計や

振り子を使ったフリゲル式時計が作られる。

このうち、バネを使った時計が16世紀にザビエルが伝えた、という。

これの現物は残っていないが、

家康に献上されたものが東照宮に残っている。



器用な日本人は、この時計のコピーを作ってしまう。













さらに、西洋式の時計は定時法といって 

夜が来ても、朝が来ても。春が来ても、夏が来ても、秋が来ても 

冬が来ても、一時間の長さは変わらないのだよ、ダーリン。











ところが日本は『不定時法』といって、

日の出から日の入りまでの昼間を6等分、

日の入りから日の出までの夜の部分を6等分した。

 

                  
これだと、夜と朝は一刻の長さが違うし、

春が来ても夏が来たら、やっぱり一刻の長さが違う。

めんどくさいことをいえば北海道と沖縄では

一刻の長さが違う。


















『ふふふ、さすが琉球は暑いのう。』

 

『あ、きさまは「ムッシュ・一刻」。』

 

『ほう、よく儂の名を知っておるな。』

 

『遙か蝦夷の地で、夏に限っておなごをヒイヒイ言わせておる、

という噂は聞いておる。』

 

『そこまで知っているなら話が早い。

儂は「一刻漏らさぬ男・ムッシュ・一刻」だ。

誰か相手をするものはいないか?』

 

『わたくしがお相手します。』

 

(中略)

 

『あら、一刻様。まだ一刻経っておりませんわよ。』

 

『りゅ、琉球の夏の夜は、長い…』












         



ところが器用な日本人は、定時法の西洋時計に手を加えて

季節変化の半径を組み込んだカムシャフトを挿入し、

不定時法に対応できるようにした。

 

こうした時計はもちろん高価ではあったが

次第に一般に普及し、お寺などが時鐘をうつ。

 

                 
              
            
『おやつ』『丑三つ時』といった言葉が

現在でも生き残っているのは江戸時代の日本人も

時刻に親しんでいた、ということだ。

 

もっとも、この時刻表示は結構適当で

赤穂浪士の討ち入りの時刻は実は諸説ある。

 

               
              
        
              

『おやつ』の時間が厳密ではなく、

一日中なんか喰ってる

リスみたいなお局がいたりするのは

その程度の厳密さだった、ということらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

                    

 

明治時代になると、欧化政策の中で日本も定時法になる。              
         
            
          

 

その中で、お寺の鐘に代わって、日本人に刻を報せたのが

午砲(どん)である。

明治4年9月に東京の宮城内におかれ毎日正午、刻を報せた。
             
           

東京にあった午砲は現在も残っていて小金井市にある

江戸東京たてもの園の中にある。

 

砲架は大正時代のものだが

砲身はお台場にあった海岸砲のひとつらしい。
       

 

1850年代の鋳造らしいので160年以上前だ。

よくもまあ生き残っていたものである。

         

        
      
     
                 

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どん



           

 

 

こんにち『半ドン』なんていう会社も学校もないだろうが

役所に関しては『土曜日半休』という制度があり、

半ドンの『どん』は大砲のどんではなく

オランダ語のzondag(休日)の『半分』という意味だったという。

 

小中高といった学校では私らの世代は

『土曜日半休』という時代があった。

(サラリーマン時代にはなかったが。)

 

 

 

 

 

 

                
         
         
        
         
           
          
         
          
          

で、

 

明治4年当時は、やはり宮城にあった東京天文台が

太陽の南中を測って

それを近衛師団に報せて、どんを撃っていた。

 

この砲声は、晴れていれば遠く筑波山でも聞こえたという。

当時の東京には高層ビルも自動車も工場もなかったから、

この『どん』が、ちゃんと時報の役割を果たしていたわけだ。

もっとも筑波山で聞こえるときには数分遅れなわけだが。

 

その後大阪、名古屋など全国19カ所におかれたのだが

これもそれぞれの役所の日時計などで

正午を測っていたらしい。         

               
        
          
         
           

ところが明治10年くらいから、全国に電信が通じると

東京天文台から信号を送って、正午を合わせた。
         
       

 

明治21年に日本標準時子午線が兵庫県明石市を

通る東経135度線に決まると、これに合わせて

東京天文台は、『東京時間』よりも約20分遅く正午の

通信を流した。

           
        
            
        
           
         
         
           
         
            
     

天文台の所管は文部省だったが、

 

午砲は陸軍が撃っていた。

軍隊というのは、こういうところが妙に厳格である。

  

 

もっとも、天文台からの正午の通信は重宝されたらしく

全国の役所、鉄道駅、学校などで

これに合わせて時計を更正した。

 

 

軍隊、学校、役所、鉄道というものが

『共通の時間』を作り出していく。

 

      
         

       
           

そして、学校、駅、そういうところに時計を掲げる事が増えた。

 

日の出とともに起き、日の入りまで働いたり遊んでいた

アバウトな時間生活を送っていたガキどもが、

少なくとも学校の中では

用務員のベルで行動するようになった。

 

ダイヤを守らないと危険なのが鉄道。

明治時代、それほど過密運転の区間は少なかったはずだが、

鉄道は、時間表を駅に掲げ、

乗客にも分単位の行動を求めた。


























         
だから今でもJRの運転士は『鉄道時計』という

懐中時計を持っている。

           
          
        
         

始発駅、あるいは運転士が引き継ぐような列車に乗って

運転席をみていると、運転士が乗り込んでくる。

彼は席につくと、運行予定表などとともに

懐中時計をはずして運転席にセットする。      

 

ちゃんと、速度計の右横辺りに時計をセットできるような

場所があるのだ。

 

 

駅に停まる時は、注意深く停止位置標をみながら

停車させ、運行予定表と、時計とを指さし確認する。

乗客が見ている時刻表は1分単位だが

元々のダイヤは15秒単位なので、『○時00分』は

00分45秒までがセーフである。

 

時刻を越えそうな時は焦って見えるし、

逆に秒単位でぴたりと止めると 

どや顔に見える。

 

見えないけど。




















鉄道時計というのは数があるので、

骨董品屋でもっともたくさんみることが出来る。

         
       


 

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新品も買えます。

これは16000円。

この時計は戦前から

服部精工舎製。

 

 

 

                
   

開国によって、西洋の時計がたくさん輸入されたが

不定時報の和時計よりも簡単だ、ということで

国産の時計が日本人にも流行っていく。




この時には、ザビエルのような航海者が 

持ち運べなかった、フリゲル式の 

『大きなハットの、のっぽさん 

おじいさんがみてたー。』という振り子時計も輸入されて

老舗の店では、今でもステータスだ。

 

 









ちなみにヨーロッパにおいて

18世紀には時計の技術が飛躍していた。

精度もさることながら、プレゲというおっさんが

機械式時計の精密化と小型化の極致を実現した。



この人は、マリーアントワネットの依頼で

世界最高品質の懐中時計を作るのだが

完成したのは、マリーの首が飛ばされた後だった。

 

懐中時計、といっても

マンゴーくらいの大きさがあったらしいのだが

こういったのも、日本人はすぐに

それ以上の品質のものを作ってしまう。

 

明治時代には腕時計も登場する。

もっとも、腕時計はそれなりの品質を求めれば高価だし、

安価であれば使うに耐えなかった。

 

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明治時代の新聞に載った

『当代百馬鹿』

腕時計を見せびらかす人





          

 

 

現在でも、精巧な機械式時計はステータスだが

クォーツ時計の出現によって、

正確さと、安価さという意味では、

プレゲ社を滅ぼしかねないほどに今や常識である。

 

 

 

 

むかしは駅や学校以外にも、公園や

道路端にも時計があったような気がする。

ハチ公前のような待ち合わせ場所だけでなく、

『なぜこんな所に?』という場所にもあった。      

 

日本人は時計が大好きになった。

 

街頭の背の高い時計、って

昭和の風景の重要なパーツのような気がする。

 

 

それが、もはや、ケータイ経由でGPS時計が受信できる今日、

もう、時計の正確さなんかどうでもいいと思う。


















       

       


さて、『時計とわたくし』といいながら、

時計に関しての個人史を書いていなかったな。

 

初めて時計を買い与えられたのは 

中学校に入学した時だった。 

バス通学だから必要であろう、と。

 

       
後は、少しは大人として扱ってくれたのかも知れない。

 

      


もちろん、その時計は、いま手許にはない。 

自ら捨てた、ということはないはずだが 

高校に入る以前につけるのをやめていた。

 

ブルーグリーンの文字盤にシルバーのベルト、

表面のガラスはカットガラス、という

いま思えば、まあ、野暮ったいデザインである。

 

でもそれがうれしかった。

カットガラスを太陽に透かせて、

鈍い虹色を惚れ惚れと眺めたりした。

 

 

  

 

女の子も時計をする。

 

だから、うちの中学校は電車・バス通学が多かったのだ。

 

その当時の女の子は時計の文字盤を

手の甲、ではなく内側に向けてつけていて、

軽く手を握るようにして、時計を確かめる仕草がかわいかった。

 

男と女って、小学生くらいだとさほど差がなくて

悪口を言い合うくらいだが、

こういうふうに仕草とかが違ってくると、不意を衝かれる。

 

 

ずるい。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、中学生なんか馬鹿だから、

時計はすぐに傷だらけになる。

 

さらに、夏につけていると汗がたまる。

時計の裏に汗がたまるだけならまだしも、

金属のベルトのジョイント部分などの細かい隙間に

埃がたまっているのをみて、うえっと来た。

 

 

 

以来、腕時計をしていない。

そうはいっても不便なので、勤め人時代

Tissot の懐中時計を買った。

 

蓋がついているのがこれだけだったからだが、

ポケットに入れていたので

様々に埃を吸い込んでいまは動かない。

 

定期的な勤めを辞め、独立すると

時計なんかさらに要らなくなった。

 

いや、まあ。打ち合わせに遅れたりしたらよろしくはないのだが

そこは、そんなに打ち合わせがたて込んでいる訳ではないので

『5分前主義』でどうにでもなる。


















          


いま、我が部屋には最初の結婚の時に嫁が持ってきた

ガムテープばかりの目覚まし時計と、

ケータイの時計しかない。

 

 

 

あ、一応パソコンでも時間がわかるか。
         

 

 

 

みんながみんな、私のように貧乏な境遇にあるとは

思わないが、街頭や公園から時計とゴミ箱が減った。

 

管理する費用の削減なのかも知れないが

さみしい、と思うとともに、

時代の変化を感じる。
        

 

 

 

 

 

 

         

文明論的な警句を流すつもりはなく、

いまの人間にとって、そんなに時間って大事かしら。

と思う訳です。

 

 

 

『スローライフ』なんていう言葉は大嫌いだ。

 

しかし、ほんの10年で滅んだ明日香の漏刻もそうだけど

結構アバウトに時間を過ごした方が

いまの時代らしいのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

 

兵庫県出石にある辰鼓櫓

 

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出石名物

まあ、時計台ですな

     

 

 

 

          

出石といえばそばと、…そばが名物な訳で

ここは、大阪から城崎温泉に行く時の昼食所

として、不思議な発達をしてきた。

 

この街について語ろうと思ったら、

3日かかっても尽くせないと思うので

今日は、この櫓の話だけ。

 

 

   

『辰鼓櫓』というくらいだから、太鼓を叩いていた。

もちろん時報で、江戸時代の旧城下町というのは

士族町の痕跡を残していないのが普通なのだが

例外のひとつが出石で、この街は城趾や家老屋敷なんかが

いまも残っている。

 

この櫓も、江戸時代からありそうな顔つきをしているが

建設は明治4年。

 

 

最初こそ太鼓を叩いて時間を知らせていたらしいが

地元の篤志家が時計を寄付して

現在のような形になったのはいまから144年前の明治14年。

 

 

以来時計台となっている。

 

日本で2番目の

『公共空間に向けた時計』である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなら、1番はなんだ、というと、これ。

 

       

札幌市時計台

 

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『Boys, be ambitious!』で有名なクラーク博士が作らせた

札幌農学校演武場。

 

         
後任のホイラー先生がアメリカに時計を発注して

従来の鐘楼を造り替えたのが時計塔。

 

発注ミスで予定よりも大きい時計が届いちゃったけども

もう、返すのもめんどくさい、ということで 

時計に合わせて

時計台を作ったのがこの建物。

 

 

だから、なんとしてもバランスが悪いのだが

これの完成が明治12年。

 

 

 

 

 

 

 

 

     
出石に先んじること2年、日本一古い時計台である。

 

東京でも大阪でも京都でも、横浜でも神戸でもなく

札幌や出石だった、というところが

なんか痛快じゃありませんか?

 

 

 

 

 

 

 

   

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そんな時代もあったよね」カテゴリの記事

コメント

学校と軍隊と病院と監獄は似ている、と誰かが言ってました。
あ、動物園も。
病院と監獄はおいといて、
学校と軍隊は、身体を矯正する点でも同じっぽいな、と思います・・・って真面目にコメントしつつ、

>時計の動力は、錘かゼンマイか振り子か鳩なのだが
ダウト (・∀・)

投稿: ne_san | 2013年6月13日 (木) 23時29分

モンブラン製品を選ぶときは、「太さ」「長さ」「重さ」「重心」の4つについて考える必要があります。

投稿: モンブラン スターウォーカー | 2013年6月14日 (金) 00時02分

蘭語のゾンタックは博多どんたく、の品詞にも
未だに残っていますね

以前は半ドン、などとよく言いました

   ところで誕生日、おめでとうございます♪

投稿: FREUDE | 2013年6月14日 (金) 07時39分

辻さんの指はすらりと繊細で長く、その細やかな動きを見ているだけでも、息子の徹さんが「これはまだ、オヤジしか作れへんのです」と言う意味がわかるような気がします。

投稿: GUCCI バッグ | 2013年6月22日 (土) 17時39分

皆さん、ご返事が遅れて申し訳ありません。
ありがとうございます。
   
ne_sanさん。
日本人に国語と時計をたたき込んだのは
学校と軍隊です。
えーと、鳩は…くるっぽー
   
FREUDEさん、ありがとうございます。
ああ、博多どんたくもそうでしたか。
なるほど、休日だ。

投稿: natsu | 2013年7月 5日 (金) 20時43分

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