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2013年6月の投稿

2013年6月12日 (水)

時計とわたくし

6月10日は『時の記念日』

西暦671年のこの日、天智天皇の時代に

時刻を計ってそれを報せた、

と日本書紀にある。

『漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ』



























『漏尅』とは水時計のこと。

どうやって時を報せたかというと鐘をうった。







奈良の明日香村の水落遺跡から、遺構と遺物が

出土していて

かなり詳細にその様子が推定されている。

結構でかい施設だったらしいのだ。

 

 

       
    

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この絵を描いた人は、建物のことを

知らないなあ、と思う。 

柱や梁、貫の組み方が滅茶苦茶だし、

こんな出組では軒が落ちる。

小屋組もおかしいし、2階の床なんか根太も

ないから踏抜きそうだ。

とにかく、1階にある階段状の水槽が

漏刻という水時計。

 

     
     

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漏刻の再現模型。

5つある箱は銅で出来た管で結ばれており、

水位差を利用したサイホンの原理で順番に

下に落ちる。


最後の箱の上に立っている人形に意味はなくて

こいつが持っている『箭』といわれる棒が 

最期の水槽の水面にある浮きにつながっていて

水面が上がると、『箭』も上にあがる。



『箭』には目盛りがついていて、これを読んで

合図をすると2階で鐘をうつ。










もちろん、一番下の箱が一杯になったら 

水を抜かないといけないし、最上部の箱には 

定期的に水を足してやらないといけない。 

鐘をうつ係もいる。


従って、守辰丁という作業員20人と漏刻博士

という偉い人2人で運営されていたそうだ。

手を挙げて鐘の係に合図をしてるのが

博士だろう。

 

         

       
      
      

 

 

            
      
      
      
      
      
      
      
     
          
        
        
           
           
          
           


『よしっ。鐘をうていっ。』

 

 
『え?博士、まだ早いですよ?』

 

          
『えー?いいじゃん。たるいよ。早く鐘打って

帰ろうぜー? 

今日、奥さんの誕生日だから早く帰らないと

怒られんだよー』

 

 
『だめですよ、博士。』


『早い漏刻博士なんて、

奥さんに嫌われまっせ。』


          
          
         
        
         
          
               

 

 

 

 

       
             

 

          
        
      
       
       
         
         
        
         

さらに、漏刻一基では下の箱の水を抜く時に 

時刻が途切れてしまう。

そのほかの必要もあったのだろうが、

なんとこの建物は4棟あった、という。


飛鳥時代の役人も時間に縛られていたのか、

と思うと、可哀想なような気がする。

 

          




そして、私は今、時計を持っていない。

ケータイの時計で用が足りる。

案外そんな人多いんじゃないだろうか?
        

 

        
   

そして、学校や駅などの『時計』が

少なくなってきている。

日本人は時計が嫌いになったのか?

 

 

今日は、そんなお話。

















明日香の漏刻は10年足らずで大津京に移され

さらに各地の国府にも作られた、という。



24時間運営していたわけではないだろうが

どうだったんだろう。

 

晴れていれば、夜明けや南中で時刻が

修正できるが

曇りや雨だと、それが出来ない。



それなら24時間稼働させていないと

『時間』が途切れてしまう。

その場合、漏刻4基に、

博士2人作業員20人でも

足りないかも知れない。




従って、古代のこの『時報システム』は

割と早い時期に放棄されたらしい。


漏刻や、日時計で時間を計る習慣は

戦国時代はじめまで

あったらしいのだが、国家としてこれを

伝える、あるいは個人が時計を所有する、

ということにはならなかった。

 

           
       

 

 

          






戦国時代なんて、時間通りに行動しないと 

戦争がやりにくいだろうと思うが… 

戦国時代の戦闘は、結構時間に無頓着だったらしい

 

『先陣』の栄誉を得るために母衣を掲げたり

馬印をあげたり。

戦国武士の営業活動は結構えげつないけど、

個人プレー中心であまり『時間を合わせて、

『どん』という

統一性はなかったんだろう。      

 

日本だけではなく、ワーテルローの戦いで、

ナポレオン軍と別働隊のグルーシー将軍は

集合時間を決めておかなかったために

敗北したりしてる。

 

だから時計も廃れた。

『統一国家』もなかったから、

漏刻のような巨大なシステムもなかった。
          
        

 

 

 

システムを維持する手間よりも

メリットが少なかったらしい。





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祇園祭の母衣武者行列

戦闘力は皆無
































 

         

『時刻』を報せるシステムが戻ってきたのは

江戸時代から。



時計の動力は、錘かゼンマイか振り子か鳩なのだが

ヨーロッパでは13世紀頃から錘を使った

大型の時計が作られ 

教会の鐘楼などに用いられた。

    

17世紀には板バネを使ったゼンマイ時計や

振り子を使ったフリゲル式時計が作られる。

このうち、バネを使った時計が

16世紀にザビエルが伝えられた、という。

これの現物は残っていないが、

家康に献上された別のものが東照宮に残っている。



器用な日本人は、この時計のコピーを

作ってしまう。













さらに、西洋式の時計は定時法といって 

夜が来ても、朝が来ても。春が来ても、

夏が来ても、秋が来ても 冬が来ても、

一時間の長さは変わらないのだよ、ダーリン。







ところが日本は『不定時法』といって、

日の出から日の入りまでの昼間を6等分、

日の入りから日の出までの夜の部分を6等分した。

 

                  
これだと、夜と朝は一刻の長さが違うし、

春が来ても夏が来たら、やっぱり一刻の長さが違う。

めんどくさいことをいえば北海道と沖縄では

一刻の長さが違う。


















『ふふふ、さすが琉球は暑いのう。』

 

『あ、きさまは「ムッシュ・一刻」。』

 

『ほう、よく儂の名を知っておるな。』

 

『遙か蝦夷の地で、夏に限っておなごを

ヒイヒイ言わせておるという噂は聞いておる』

 

『そこまで知っているなら話が早い。

儂は「一刻漏らさぬ男・ムッシュ・一刻」だ。

誰か相手をするものはいないか?』

 

『わたくしがお相手します。』

 

(中略)

 

『あら、一刻様。まだ一刻経っておりませんわよ。』

 

『りゅ、琉球の夏の夜は、長い…』












         



ところが器用な日本人は、定時法の西洋時計に

手を加えて、季節変化の半径を組み込んだ

カムシャフトを挿入し、

不定時法に対応できるようにした。

 

こうした時計はもちろん高価ではあったが

次第に一般に普及し、お寺などが時鐘をうつ。

 

                 
              
            
『おやつ』『丑三つ時』といった言葉が

現在でも生き残っているのは江戸時代の日本人も

時刻に親しんでいた、ということだ。

 

もっとも、この時刻表示は結構適当で

赤穂浪士の討ち入りの時刻は実は諸説ある。

 

               
              
        
              

『おやつ』の時間が厳密ではなく、

一日中なんか喰ってる

リスみたいなお局がいたりするのは

その程度の厳密さだった、ということらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

                    

 

明治時代になると、欧化政策の中で日本も

定時法になる。              
         
            
          

 

その中で、お寺の鐘に代わって、日本人に刻を

報せたのが、午砲(どん)である。

明治4年9月に東京の宮城内におかれ毎日正午

刻を報せた。
             
           

東京にあった午砲は現在も残っていて

小金井市にある江戸東京たてもの園の中にある。

 

砲架は大正時代のものだが

砲身はお台場にあった海岸砲のひとつらしい。
       

 

1850年代の鋳造らしいので160年以上前だ。

よくもまあ生き残っていたものである。

         

        
      
     
                 

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どん



           

 

 

こんにち『半ドン』なんていう会社も学校も

ないだろうが、昔は『土曜日半休』という

制度があった。

因みに半ドンの『どん』は大砲のどんではなく

オランダ語のzondag(休日)の『半分』

という意味だったという。

 

小中高といった学校では私らの世代は

『土曜日半休』という時代があった。

(サラリーマン時代にはなかったが。)

 

 

 

 

 

 

                
         
         
        
         
           
          
         
          
          

で、

 

明治4年当時は、やはり宮城にあった

東京天文台が太陽の南中を測って

それを近衛師団に報せて、どんを撃っていた。

 

この砲声は、晴れていれば遠く筑波山でも

聞こえたという。

当時の東京には高層ビルも自動車も工場も

なかったから、この『どん』が、

ちゃんと時報の役割を果たしていたわけだ。

もっとも筑波山で聞こえるときには

数分遅れなわけだが。

 

その後大阪、名古屋など全国19カ所に

おかれたのだが

これもそれぞれの役所の日時計などで

正午を測っていたらしい。         

               
        
          
         
           

ところが明治10年くらいから、全国に電信が

通じると東京天文台から信号を送って、

正午を合わせた。

         
       

 

明治21年に日本標準時子午線が兵庫県明石市を

通る東経135度線に決まると、これに合わせて

東京天文台は、『東京時間』よりも

約20分遅く正午の通信を流した。

           
        
            
        
           
         
         
           
         
            
     

天文台の所管は文部省だったが、

午砲は陸軍が撃っていた。

軍隊というのは、こういうところが

妙に厳格である。

  

 

もっとも、天文台からの正午の通信は

重宝されたらしく

全国の役所、鉄道駅、学校などで

これに合わせて時計を更正した。

 

 

軍隊、学校、役所、鉄道というものが

『共通の時間』を作り出していく。

 

      
         

       
           

そして、学校、駅、そういうところに

時計を掲げる事が増えた。

 

日の出とともに起き、日の入りまで働いたり

遊んでいたアバウトな時間生活を送っていた

ガキどもが、少なくとも学校の中では

用務員のベルで行動するようになった。

 

ダイヤを守らないと危険なのが鉄道。

明治時代、それほど過密運転の区間は

少なかったはずだが、

鉄道は、時間表を駅に掲げ、

乗客にも分単位の行動を求めた。


























         
だから今でもJRの運転士は『鉄道時計』という

懐中時計を持っている。

           
          
        
         

始発駅、あるいは運転士が引き継ぐような

列車に乗って運転席をみていると、運転士が

乗り込んでくる。

彼は席につくと、運行予定表などとともに

懐中時計をはずして運転席にセットする。      

 

ちゃんと、速度計の右横辺りに時計を

セットできるような場所があるのだ。

 

 

駅に停まる時は、注意深く停止位置標をみながら

停車させ、運行予定表と、時計とを指さし確認する。

乗客が見ている時刻表は1分単位だが

元々のダイヤは15秒単位なので、

『○時00分』は00分45秒までがセーフである

 

時刻を越えそうな時は焦って見えるし、

逆に秒単位でぴたりと止めると 

どや顔に見える。

 

見えないけど。




















鉄道時計というのは数があるので、

骨董品屋でもっともたくさんみることが出来る。

         
       


 

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新品も買えます。

これは16000円。

この時計は戦前から

服部精工舎製。

 

 

 

                
   

開国によって、西洋の時計がたくさん輸入されたが

不定時報の和時計よりも簡単だ、ということで

国産の時計が日本人にも流行っていく。




この時には、ザビエルのような航海者が 

持ち運べなかった、フリゲル式の 

『大きなハットの、のっぽさん おじいさんが

みてたー』という振り子時計も輸入されて

老舗の店では、今でもステータスだ。

 

 









ちなみにヨーロッパにおいて

18世紀には時計の技術が飛躍していた。

精度もさることながら、プレゲというおっさんが

機械式時計の精密化と小型化の極致を実現した。



この人は、マリーアントワネットの依頼で

世界最高品質の懐中時計を作るのだが

完成したのは、マリーの首が飛ばされた後だった。

 

懐中時計、といっても

マンゴーくらいの大きさがあったらしいのだが

こういったのも、日本人はすぐに

それ以上の品質のものを作ってしまう。

 

明治時代には腕時計も登場する。

もっとも、腕時計はそれなりの品質を求めれば

高価だし、安価であれば使うに耐えなかった。

 

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明治時代の新聞に載った

『当代百馬鹿』

腕時計を見せびらかす人





          

 

 

現在でも、精巧な機械式時計はステータスだが

クォーツ時計の出現によって、

正確さと、安価さという意味では、

プレゲ社を滅ぼしかねないほどに今や常識である。

 

 

 

 

むかしは駅や学校以外にも、公園や

道路端にも時計があったような気がする。

ハチ公前のような待ち合わせ場所だけでなく、

『なぜこんな所に?』という場所にもあった。      

 

日本人は時計が大好きになった。

 

街頭の背の高い時計、って

昭和の風景の重要なパーツのような気がする。

 

 

それが、もはやケータイ経由でGPS時計が受信

できる今日、

もう、時計の正確さなんかどうでもいいと思う


















       

       


さて、『時計とわたくし』といいながら、

時計に関しての個人史を書いていなかったな。

 

初めて時計を買い与えられたのは 

中学校に入学した時だった。 

バス通学だから必要であろう、と。

 

       
後は、少しは大人として扱ってくれたのかも

知れない。

 

      


もちろん、その時計は、いま手許にはない。 

自ら捨てた、ということはないはずだが 

高校に入る以前につけるのをやめていた。

 

ブルーグリーンの文字盤にシルバーのベルト、

表面のガラスはカットガラス、という

いま思えば、まあ、野暮ったいデザインである

 

でもそれがうれしかった。

カットガラスを太陽に透かせて、

鈍い虹色を惚れ惚れと眺めたりした。

 

 

  

 

女の子も時計をする。

 

だから、うちの中学校は電車・バス通学が

多かったのだ。

 

その当時の女の子は時計の文字盤を

手の甲、ではなく内側に向けてつけていて、

軽く手を握るようにして、

時計を確かめる仕草がかわいかった。

 

男と女って、小学生くらいだと

さほど差がなくて悪口を言い合うくらいだが、

こういうふうに仕草とかが違ってくると、

不意を衝かれる。

 

 

ずるい。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、中学生なんか馬鹿だから、

時計はすぐに傷だらけになる。

 

さらに、夏につけていると汗がたまる。

時計の裏に汗がたまるだけならまだしも、

金属のベルトのジョイント部分などの細かい隙間に

埃がたまっているのをみて、うえっと来た。

 

 

 

以来、腕時計をしていない。

そうはいっても不便なので、勤め人時代

Tissot の懐中時計を買った。

 

蓋がついているのがこれだけだったからだが、

ポケットに入れていたので

様々に埃を吸い込んでいまは動かない。

 

定期的な勤めを辞め、独立すると

時計なんかさらに要らなくなった。

 

いや、まあ。打ち合わせに遅れたりしたら

よろしくはないのだが

そこはそんなに打ち合わせがたて込んでいる

ではないので『5分前主義』でどうにでもなる


















          


いま、我が部屋には最初の結婚の時に嫁が持ってきた

ガムテープばかりの目覚まし時計と、

ケータイの時計しかない。

 

 

 

あ、一応パソコンでも時間がわかるか。
         

 

 

 

みんながみんな、私のように貧乏な境遇

にあるとは思わないが、

街頭や公園から時計とゴミ箱が減った。

 

管理する費用の削減なのかも知れないが

さみしい、と思うとともに、

時代の変化を感じる。
        

 

 

 

 

 

 

         

文明論的な警句を流すつもりはなく、

いまの人間にとって、そんなに時計って

大事なんだろうか。と思う訳です。

 

 

 

『スローライフ』なんていう言葉は大嫌いだ。

 

しかし、ほんの10年で滅んだ明日香の漏刻も

そうだけど結構アバウトに時間を過ごした方が

いまの時代らしいのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

 

兵庫県出石にある辰鼓櫓

 

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出石名物

まあ、時計台ですな

     

 

 

 

          

出石といえばそばと、…そばが名物な訳で

ここは、大阪から城崎温泉に行く時の昼食所

として、不思議な発達をしてきた。

 

この街について語ろうと思ったら、

3日かかっても尽くせないと思うので

今日は、この櫓の話だけ。

 

 

   

『辰鼓櫓』というくらいだから、太鼓を叩いていた。

もちろん時報で、江戸時代の旧城下町というのは

士族町の痕跡を残していないのが普通なのだが

例外のひとつが出石で、この街は城趾や

家老屋敷なんかが、いまも残っている。

 

この櫓も、江戸時代からありそうな顔つきを

しているが建設は明治4年。

 

 

最初こそ太鼓を叩いて時間を知らせていたらしいが

地元の篤志家が時計を寄付して

現在のような形になったのはいまから

144年前の明治14年。

 

 

以来時計台となっている。

 

日本で2番目の

『公共空間に向けた時計』である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなら、1番はなんだ、というと、これ。

 

       

札幌市時計台

 

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『Boys, be ambitious!』で有名な

クラーク博士が作らせた札幌農学校演武場。

 

         
後任のホイラー先生がアメリカに時計を発注して

従来の鐘楼を造り替えたのが時計塔。

 

発注ミスで予定よりも大きい時計が

届いちゃったけども

もう、返すのもめんどくさい、ということで 

時計に合わせて

時計台を作ったのがこの建物。

 

 

だから、なんとしてもバランスが悪いのだが

これの完成が明治12年。

 

 

 

 

 

 

 

 

     
出石に先んじること2年、日本一古い時計台である。

 

東京でも大阪でも京都でも、横浜でも神戸でもなく

札幌や出石だった、というところが

なんか痛快じゃありませんか?

 

 

 

 

 

 

 

   

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2013年6月 6日 (木)

富士山エスカレーター

富士山『弾丸登山』自粛を、というニュース。

(産経ニュースへのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

富士山が世界遺産になる。 

いまでも富士山というのは登山するよりも

列を並ぶ時間のほうが長い、というくらい

渋滞する。

 

 

 

 

 

 

 

 

私も、ご幼少のみぎりに 

富士山に登ったことがある。

 

 

まだ小学生だったから、40年前くらいだ。

いまでもそうだろうが、

家族連れの標準行程はこんな感じだった。

5合目までバスで行き午後から登り始める。

 

それで日が暮れると山小屋に泊まって

仮眠を取る。  

もちろん標高2000メートル以上の場所なので 

贅沢を言ってはいけないのだが、 

5000円以上も取るくせに雑魚寝である。 

(吉田ルート・山小屋)

 

 

 

あんな山中生活を毎日していれば

永田洋子も美人に見える、というものだ。    

 

 

 

それで、夜明けの4時間くらい前に起きて 

山頂を目指す。

 

『ご来光』という日の出をみるわけです

 

 

 

 

ところが40年前でも渋滞だった。

まあ、8月のお盆の、一番混む時期に

行ったせいでもあるがそれにしても

『胸突き八丁』なんてちっとも辛くなく

だらだらと歩いて、

遙か雲海の彼方にご来光が見えたのは

9合目の辺りだった。

 

 

 

 

富士登山の目的の一つがこの『ご来光』だから

みんな日の出の瞬間に足を止める。

 

だから7合目くらいから頂上まで、

ご来光の前後の間は全員停止である。

 

 

 

 

 

そして、日が昇ってから山頂に登っても、 

ここはそんなに混んでいない。

『お鉢巡り』といって噴火口をぐるりと

一周したり、『最高地点の碑』をみたり、

そこで記念写真を撮ったり

一杯1000円のサッポロ一番を食べたり

藤原鎌足。

意外に広くて時間がつぶれる。

 

下山のほうが当然早いから

下山に関して渋滞はない。

私が登った時も登山道と下山道は

分けられていたような気がする。

 

 

富士山というのは

登る道のキャパシティだけが極端に低い

バランスの悪い山なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで登場したのが、この『弾丸登山』

 

夜に5合目を出発して馬鹿高い山小屋などに

泊まらずに夜通し登って、夜明け前に

頂上に着いてしまう。

 

そこで、下界で渋滞している

『えせ登山家』を見下ろして 

ご来光をみよう、というわけだ。

 

 

 

 

正規の登山ルートを登る限り

深夜であろうと危険な山だとは思わないが、

まあ、夏山といえど舐めてはいけないので、

危険なことはしちゃいけません。

 

 

 

目に余るとして、地元である山梨県の知事が 

この弾丸登山の自粛の周知について観光庁に

要請したのだ、という。

 

 

 

そして、観光客の健康を慮かってのことなら

まだしも、もうひとつの理由がのほうが

大事っぽくて、それが

『登山道の渋滞を招くから』だそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エスカレーターでいいんじゃねえの?

 

というのが今日のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界遺産指定で、確実に観光客は増える。

それは結構なのだが渋滞がひどい。

 

さらに9割方の登山者のマナーはいいと思うが

一部の心ない連中と、なにしろ登山者自体が

多すぎるので

富士山はゴミだらけ、ということに

なってしまい、過去に世界遺産への登録を

さ却下されたことがある。

 

 

 

 

関係者は努力しているんだろうが

いまの富士山が

劇的にきれいになった訳じゃない。

だから、清掃費用をまかなうために、また

登山者数を抑制するために入山料を取ろう

なんていうことが話題になる。

 

しかし、いまでも5合目まで車で行ける

『富士スバルライン』は乗用車でも

往復2000円かかる。

そんだけ取ってもまだ足りないか。

 

 

 

ついでにいうとチャリンコでも200円だ。

 

 

チャリンコ?

いるのか?そんなやつ。

 

 

 

しかしそんな中で、スバルラインの料金を

上げよう、とか いまは7・8・9月のオンシーズン

は24時間営業だが、 これを夜間通行禁止に

しようとか、そんな話が出てくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、『富士山を崩すのは登山者だ』とも

言われる。  

富士山というのは崩れやすい山なのだ。

 

 

 

 

富士山西側に『大沢崩れ』という

巨大な谷がある。

 

00000000000000000000000000000000000   

 

 

 

大沢崩れ

 

 

    

 

 

 

あ、ごめん。こいつじゃなかった。

 

 

Fuji_oosawakuzure_2  

 

真ん中の谷が大沢崩れ

 

 

 

大沢崩れは、雨水による侵食谷だが

現在も毎年数千立米もの土砂が流出している。

 

それ以外にも、富士山は約2900年前に

『山体崩壊』を起こしており 

御殿場付近を数十メートルの厚みで土砂が覆う

ほど、崩れた。

 

 

 

最近では噴火や地震によって

山体崩壊が誘発されるのではないか

という心配もあるそうだ。(静岡新聞の記事)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近でも、かつて下山道になっていた

吉田大砂走りで大規模な落石事故が起こった。

(富士山安全指導センター)

 

 

 

落石自体はしょっちゅう起こっていて、

私が下山した時も

斜面はきついはごろごろ石が落ちてくるは

ここだけは怖かった。

 

ちなみに落石を発見した人は、

それがこぶし大の石でも大声で

『落石っ!』と叫ぶのがマナーであった。

なにぶん小さな石でもほかの石を拾いながら

崩落すると簡単に大事故になるのだ。

 

1980年の8月、夏休みの最中に起きた

落石事故は死者12名重軽傷者数十人、という

大事故となった。

(現在、このルートは通れません)

 

 

 

 

そして、この大砂走りに関しては

登山者が崩した側面が大きいと思うのだ

 

そういう環境のなかで、エスカレーターは

可能だろうか?

出来るんであれば『渋滞問題』は、

一気に解決だ。

 

どうなんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、さっきぼそっとつぶやいた

『登山道をエスカレーターにしちまえ。』

というのは、割とまじめな話だ。

 

 

登山者の入山を規制する、なんてのより

よっぽど気が利いているでしょう。

そして、自動車が入れるから

深夜でも登る奴が出る。

だから車での入山も禁止だ。

 

 

 

 

 

まず、富士スバルラインは鉄道にする。

 

 

 

ここまでは、割と賛同を得られるんじゃないか

と思う。

もちろん、鉄道と自動車の登坂力は比較に

ならないし回転半径も比べものにならないから

スイッチバックばっかりになるが

輸送力を考えたら、充分勝算はある。

 

 

世界中に登山鉄道があるし、

日本でも立山黒部アルペンルートなど

車が入れない観光ルートもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、5合目から山頂までは

『エスカレーター』にする。

 

 

 

 

いや、待て。

気持ちはわかる。

登ってこそ登山だ。

だから、登山道も残す。

 

 

 

 

 

いや待て、

君の言いたいことはわかる。

 

電気はどうする?

冬の間のメンテをどうする気だ?

何千メートルもある登山道を

一体何回乗り換えさせる気だ?

 

 

 

 

わかってる。 

こっちだってプロだ。

 

電気は5合目まで電車が来るなら

なんとでもなる。

環境は過酷だろうがスキー場のリフトを

考えたら何とかなるんじゃないの?

 

乗り換えは手間かも知れないが

それこそ、1合ごとに金を取る

『スカイツリー方式』でやれば、まさか

『8合目で帰ろうか』という奴はいないだろう

入山者の抑制のためには7000円の入山料が

必要だ。という試算があるらしいが

『世界一高いエスカレーター』っていう

話題性があれば、楽勝でクリアできる。

 

 

 

なにより、

登山道とエスカレーターじゃあ

輸送力が比較にならないんだ。

 

渋滞いらずでゴミのポイ捨てもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや待て、

君の言いたいことはわかる。

 

 

エスカレーターっていったって、

あの昇降板を坂道におけば

いいってもんじゃねえんだぞ。

鉄骨で骨組みを組んで、

昇降板を回転させなくちゃいけねえんだ。

 

『崩れやすい山だ』っていって

おきながら

そんな巨大な構造物をおくのか?

 

 

 

 

わかってる。 

こっちだってプロだ。

 

『その勾配ならケーブルカーじゃないか?』 

『スキー場のことをいうんならリフトが

いいんじゃないのか?』 

というのももっともだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもさあ、  

富士の斜面に蒼穹に突き刺さるように

エスカレーターが登っていって、

 

 

 

 

 

そこに金剛杖を持った関西人が 

『あほうっ。エスカレーターの

左側は開けんかいっ』 

って叫びながら走ってったら面白いじゃん。






























 

では、『今日の二枚。』



まあ、屋外のエスカレーターってのも 

珍しくなくなりましたが

 

000000000000000000000000000000000_2



















これは、東京の山王日枝神社にある

エスカレーター。



こちらは、香港にある

『屋外公共エスカレーター』   

000000000000000000000000000000000_2














この街の場合、 

誰が管理してるのかわからないところが

怖い。








 

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例によってhtmlがわけわかんないことになって、

お見苦しいページが頻出しております。

鋭意復旧作業中です。

いつも見苦しい、とかいうなっ。

 

 

 

 

 

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2013年6月 1日 (土)

賞を増やせばいいってもんじゃねえぞ。

80歳でエベレストに登頂し、世界最高齢登頂

の記録を更新した三浦雄一郎さんにちなんで、

安倍内閣が元気な高齢者を表彰する『三浦賞』

創設する、というニュース。

(産経ニュースへのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『元気な高齢者?』

 

 

『林家パー子とか。』

 

 

『ぺーだって元気だぞ。

 

 

『じゃあ、夫婦で受賞?』

 

 

『……』

 

 

『……』

 

『…与太話はさておき、だ。

その賞は高齢者限定なのか?』

 

 

『この記事を読む限り、そうみたいですね。』

 

 

『まあ、日本はこれからどんどん高齢者が

増えるわけだけど…

年齢制限のある政府顕彰ってなんか違和感が

あるな…』

 

 

『それに日本には、世界最高齢の人が

いるんですよ。』

 

 

『しかし単に高齢だというだけでは叙勲の理由

としては弱い』

 

 

『しかし男性の最高齢者木村次郎右衛門さんは

明治30年生まれの116歳。』

 

 

『明治30年?』 

 

 

『日本海海戦の時に数えで9つですね。

その当時の世間の興奮を覚えている最後の人

かも知れません。』

 

 

『あー、なるほど。』

 

 

『しかもこの人、新聞を丹念に読むのを日課に

していたりして

ちっともぼけていないそうです。』

 

 

『そりゃすごい。』

 

 

『女性の世界最高齢、大川ミサヲさんも

明治31年生まれの115歳。』

 

 

『ほう。』

 

 

『確かに1年下ではあるんですけど、

木村さんが4月生まれで

大川さんが翌年の3月生まれだから、

学年としては「タメ」なんですよね。』

 

 

『じゃあ、事実上「同い年」だ。』

 

 

『単に、「高齢」を理由に叙勲することは

僕も反対ですけど、

ここまで突き抜けていたら、賞状の2・3枚

あげても国民みんな大喝采でしょう。』

 

 

『それで、二人を総理官邸に呼んで

安倍さんが賞状を渡そうとすると、

ぱしって払いのけて…』

 

 

『払いのけて?』

 

 

『年寄り扱いするんやないっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まあ、それはそれで痛快ですが、』

 

 

『大体なんで「三浦賞」なんだ?』

 

 

『え?そりゃ雄一郎さんが偉大だから。』

 

 

『芥川賞、沢村賞、ノーベル賞。

みんな死んでから出来てるだろう。』

 

 

『ノーベル賞は、ノーベルさんが遺言で作った

賞ですが。』

 

 

『あ、そうか。』

 

 

『その賞にノーベルさんの名前を冠したのは

後世のノーベル財団の人なんでしょうけど』

 

 

『存命中の人物名を冠した賞はないのか?』

 

 

『いくつかあります。』 

 

 

『へー、なに?』

 

 

『特定の国家、団体に関わるんで

めんどくさいから取り上げたくないんですよ』

 

 

『……』

 

 

『……』

 

 

『しかし、雄一郎さんには悪いが、いまでこそ

「三浦っていえば雄一郎」って具合に出てくる

だろうが、あと20年もしたら、

みんなわからなくなるぞ?

 

 

『「三浦?百恵ちゃんと結婚した人?」とか』

 

 

『「ロサンゼルスで奥さん殺した人?」とか』

 

 

『雄一郎さんより、和義さんを思い出す方が

難しいと思いますが。』

 

 

『……』

 

 

『……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『しかし、国民栄誉賞もあるのにねえ。』

 

 

『そうだよ、

三浦さんを顕彰するんだったら

国民栄誉賞でいいじゃないか。』

 

 

 

『駄目ですよ。』

 

 

『なんで?』

 

 

『第二次安倍内閣になってから既に、

納屋幸喜さん、長嶋さん、松井ゴジラ、と

三人にあげてるんです。』

 

 

『納屋さんって誰?』

 

 

『横綱大鵬ですよ。』

 

 

『ああ。』

 

 

『これ以上あげたら、

「参院選目当て」っていわれるから、って。』

 

 

『業績と選挙は関係ないと思うがな。』

 

 

 

 

『とにかくこれで、「巨人・大鵬」に

賞をやっちゃったわけです。』

 

 

『三浦さん、料理は出来るのか?』

 

 

『は?そりゃ冒険家なんだから、

身の回りの事は一通り出来るでしょうが。』

 

 

『エベレスト山頂で卵焼きを作れば

良かったのに』

 

 

『へ?』

 

 

『「エベレストの気圧は地上の1/3。

水の沸点は50度以下になっちゃいますが、

バターは大丈夫。

コッヘルの上に飯ごうの蓋を裏返して乗せて

バターをじゅう。そこに卵を…」』

 

 

『「巨人・大鵬・卵焼き」ですか?』

 

 

『「おやあ?卵がカチカチになっちゃいました。

零下20度だから仕方ありませんね。」。』

 

 

『エベレスト山頂まで生卵を持って行く方が

大変だと思いますが。』

 

 

『じゃあ、来週も

「雄一郎のエベレストクッキング」をよろしく

来週は、登山家ならみんな大好き。

シーチキンラーメンだよ。』

 

 

『料理番組で取り上げるような

メニューですか?』

 

 

『ポイントは、低い沸点を補うための

ペットボトル圧力鍋と

ぱんぱんにふくれた缶詰を開けるための

爆破開缶法だよ。』

 

 

『あの、この与太話はいつまで

続くんでしょう』

 

 

賞ばかり増やしたってしょうがねえ

ってえんだ。』

 

 

『自分がもらえないからって…』

 

 

『うるせえっ。』

 

 

『ひっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大体、国民栄誉賞自体がよくわからん。』

 

 

『それまでの総理大臣顕彰が

「学術・文化に貢献したもの」とあって

ホームラン世界記録の王さんにあげられないから

国民栄誉賞を作った、と。』

 

 

『歴代の受賞者にケチをつけるつもりはないが

そんな経緯だから、スポーツ選手と冒険家と

歌手と俳優ばっかりじゃないか。』

 

 

『黒澤明とか、映画監督もいますよ。

ビートたけしとか受賞の打診を受けてないのかな』

 

 

『反骨を気取ったって、

あいつは貰うような気がする。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あ、ナースコール。似鳥さんいってあげて』

 

 

『はーい、ミウラさんどうしましたー?』

 

 

『……』

 

『は?エベレストに行きたい?

あーっ。おねしょしてる。』

 

 

『……』

 

 

『はいはい、まずはおトイレ行きましょうね。

立てますか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まあ、仮に賞が出来たとして。

やっぱり選挙目当てっていわれるんでしょう

かねえ。』

 

 

『国民栄誉賞を乱発してる内閣は

大抵レームダックになってからだ。

たった2ヶ月しか続かなかった宇野内閣も

賞をあげてる。』

 

 

『そういやみんな政権末期か、元々人気のない

内閣ですね。』

 

 

『野田さんなんか衆院選の選挙戦中に

吉田沙保里に賞をあげている。』

 

 

『露骨ですねー。』

 

 

『まだ、人気があるはずの いまの安倍内閣が

既に3人にも栄誉賞を渡しているのは

なんでだろう?』

 

 

『アベノミクス、とやらに

自信がないんじゃないですか?』

 

 

『あ、やっぱり?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年のギネスブックに

『世界最高齢の人物』として載ることが決まり

認定証を手に微笑む木村次郎右衛門氏。

00000000000000000000000000000000000  

 

これで116歳?

 

 

 

 

 

 

俺の方が先に死ぬわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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