悲劇の戦艦
7月12日は戦艦『河内』爆沈の日。
戦艦『河内』
戦艦『河内』といっても、ほとんどの人が
知るまい。
私も知らなかった。
戦争での活躍は皆無で、なにしろ竣工してから
爆沈までたった6年。
徳島湾で、
謎の火薬庫爆発事故で沈んだそうだ
軍艦の爆沈事故、というのは
実はたくさん起こっており
日露戦争の連合艦隊の旗艦三笠も、
凱旋観艦式の前に
謎の爆発事故を起こして沈没している。
(いま横須賀にある三笠は、
それがサルベージされて、
シベリア出兵でまた沈んだのが、もう一度
引き上げられて記念館として残されたもの)
三笠、結構運が悪い。
河内に先立って竣工した巡洋戦艦『筑波』も
横須賀で謎の爆発・沈没事故を起こしているし
ワシントン軍縮会議で日本海軍が
意地でも守り通した
戦艦『陸奥』は戦時中の昭和18年にやっぱり
謎の爆発・沈没事故を起こしている。
どうも謎ばかりだが、
だけど、この艦『河内』は日本の軍事史上で
非常に重要な「艦」なのである。
日本最初の『弩級戦艦』だったのだ。
『弩級』の『弩』は、ドレッドノートの『弩』
大艦巨砲の象徴である。
日本海海戦でロシア艦隊を完璧に破った
日本海軍に世界が瞠目した。
ただし、一部ではTSUSHIMAなんて
世界の辺境だ、と無視する動きもあった。
戦艦で世界が変わるかよ、と。
そんな金がかかるもんに投資できねえぞ、と。
実際、軍艦の整備・維持には金がかかる、
後年の話になるが日本の軍艦建造費は、
大正時代に国家予算の1/3まで膨れ上がる。
そういった、列国海軍の戸惑いを
決定的に覆したのが
日本海海戦の翌年1906年に竣工した
イギリスの戦艦ドレッドノートである
その砲戦力と速力は世界を驚愕させた。
1905年の日本海海戦の殊勲艦、三笠と
ドレッドノートを比べてみよう。
三笠
(クリックで大きく)
15000トン、最大戦速18ノット(33km/h)、
12インチ(30.5cm)砲、連装砲塔2基、4門
ドレッドノート
(クリックで大きく)
20000トン、最大戦速21ノット(39km/h)、
12インチ砲、連装砲塔5基、10門。
日本海海戦の翌年に、
こんな戦艦を出してくるのが
イギリス、という国のおそろしいところだ。
砲力で倍、速力でも戦艦としては世界初の
蒸気タービンエンジンを積んだことで、
小型化、高出力が可能となり
三笠級の1.2倍以上のスピードが出せる。
もちろん巡航距離も伸びた。
後年の戦艦のように『背負い式』の主砲塔を
持たなかったため
舷側にも主砲を置いているが、
正横方向なら、主砲8門を指向、斉射できる。
三笠の2倍だ。
『こんな艦が出てきたんじゃかなわん』と
世界の主要海軍国は『大艦巨砲主義』に
入っていく。
日本も例外ではなかったのだが、
『ポスト三笠』として建設された薩摩型は
大型にこそなったものの兵装も速度も
三笠級の延長でとても近代戦に耐えない、
としてワシントン軍縮条約で廃艦になった。
反省を込めて、日本がつくった『弩級戦艦』が
『河内』。二番艦が、『摂津』。
なぜ大阪?
とにかく重武装の艦ではあった。
戦艦『摂津』
画像が粗いが、12インチ砲6基12門を備え、
排水量も21000トン、速力も20ノット、と
大型化・高速化した。
『舷側に主砲があるのは旧世代だ』
とか言う奴がいるが
主線上に背負い式の主砲が配置できるように
なるのは、世界的に見ても1912年竣工の
『超弩級戦艦』オライオン以降である。
だから、1912年、第一次大戦の直前に
就役した河内型戦艦2隻は、
海軍期待の艦であった。
そして、これほど
運に恵まれない艦もなかった。
最初に述べたように、ネームシップである
『河内』は実戦に参加することもなく爆沈。
二番艦『摂津』も実戦には参加しなかったが
1923年のワシントン軍縮条約で、
最新鋭戦艦『陸奥』を
生き残らせるために廃艦となる。
その『陸奥』にしてからが
太平洋戦争開始以来、大事に大事に
されていたのに謎の大爆発で沈没。
『摂津』からしたら
なにしてんだ、ってなもんだろう。
『摂津』は廃艦以降、数奇な運命を
過ごす。
まず砲塔が外される。
『廃艦』なんだから当たり前だが
外された主砲のうち、砲身長の長い
前後甲板の主砲は、対馬要塞に移された。
そして、砲を外された摂津自体は
なんと『無人戦艦』になるのである。
『無人艦』時代の摂津
いや、まあ。備砲を外されたわけだから
戦艦ではないのだが
この艦は『標的艦』として終戦直前まで
生き残る。
なにが『無人艦』かというと、
この艦の後ろに駆逐艦がくっついて
摂津の艦長以下が無線で操縦する。
狙う方は爆撃機だったり巡洋艦だったり
するのだが
『演習弾』といって本番の威力の
1/50くらいのを落としたり撃ったりして
攻撃する。
操艦する方は無線操縦機を使って
必死に逃げるのだ。
リアルな戦艦でそんなゲームが出来たら
楽しいだろうなあ。
もちろん、まじめな訓練で
太平洋戦争開戦3年前から始められた
この訓練は緖戦の日本海軍の快進撃を支える
貴重な訓練になった、という。
対馬に行った主砲はどうしたか?
実は、海軍の軍艦の主砲が
陸軍の海岸要塞に行ったという例は
この、『摂津』ばかりではない。
ワシントン条約による軍縮だけではなく
旧式化した戦艦の主砲が続々移転された。
戦艦だけで『土佐』『生駒』『鹿島』
『赤城』『伊吹』などの備砲が
全国の『海岸要塞』に移された。
対馬要塞の
15cm砲台の跡
ペリーの蒸気船で『太平のねむり』を
さまされた日本は『海防』に熱心だった。
『東海道線』は、東京湾を出て太平洋岸に
出ると、途端に海から遠ざかる。
東海道線で海岸沿いを走る場所、というのは
実はほとんどない。
軍が敵の艦砲射撃を嫌ったからだ。
東京湾の入口の城ヶ崎、大阪湾の淡路島由良、
そして、対馬海峡と関門海峡の要地、対馬。
その他、日本本土、北は千島から南は沖縄、
台湾、朝鮮半島にも、
あわせて数十カ所の海岸要塞が作られた。
その全てが、本来の役割である
敵艦射撃をすることなく終戦を迎えた。
まあ、撃っていても確実に圧倒的に
撃ち返されるからそれで良かったのかも
知れないが、
この、戦艦摂津の『主砲』移転のように、
昭和時代に入って、
太平洋戦争開戦10年前に据え付けている
大砲もある。
そして、戦艦の主砲の移転というのは
単に土木工事としても
とてつもなく手間がかかることなのだ。
『戦艦』というのは
『巨砲を運んでぶっ放す艦』である。
そのことに特化していて、ここまで機能に
忠実な機械というのは、気持ちいくらいだ。
だから戦艦の主砲、というのは
甲板の上に見えている砲塔の部分だけでは
なく、それを回転させ、仰角をつけ、
重さ何トンとある砲弾を次々と揚重するために
ほとんど艦底に達するくらいの
下部構造物がある。
大和ミュージアムにある
沈没した大和の現状
右下と船体右に
見えるのが
抜け落ちた砲塔
あんまり大きくて重たいから転覆した時に
抜け落ちちゃったらしいです。
で、
こんな巨砲を陸上に移設するだけで大変で、
地下工事も含めて大変であったらしい。
海軍砲は陸軍砲よりも口径が大きく
射程が長い。
特に摂津の主砲は、50口径という長砲身で
元々射程が長いものをさらに仰角を大きく
(上向き)出来るようにして射程を伸ばした。
対馬要塞には20カ所以上の砲台があり、
200門以上の大砲があったのだが
旧式化した陸軍砲が大半で、とてもこれでは
海峡の制圧など出来ないと思ったらしい。
従って射程4万メートルの海軍砲を導入し
そのための光学測遠儀、電気式算定具、
照準機を新設して、
昭和に入ってから全国の主要要塞で
大試験を行っている。
結果は『良好』だったそうである。
まあ、一発も撃たなくてようござんした。
でも、もし『本土上陸』なんていうことに
なっていたら確実に発砲し、
全滅していたはずなのだ。
たとえば日本陸軍は『水際作戦』で殲滅した
サイパンでの『戦訓』を活かし、
敵の接近までは水中に潜行し、
上陸用舟艇が近づくと
浮上して37mm砲をぶっ放す
『浮沈式特火点』というのを
まじめに研究していた。
(『特火点』というのは日本陸軍独自の用語で
トーチカのこと)
つまり敵前でぷかりと浮かび発泡する潜水艦。
潜水艦とか魚雷とか空母を
『陸軍』が持っていたあたり
日本軍が狂っていた証拠だと思う。
乗せられる兵隊こそいい面の皮で、
一発撃ったら圧倒的な艦砲射撃を浴びる。
全滅だろう。
特攻兵器の一種でしかなく、
しかも浮かび上がれるならまだ良し、
テストの時には浮上に一時間以上かかり
乗員が酸素不足で死にかけたという。
いまでは、砲こそないが、対馬要塞を始め
いくつもの海岸要塞が遺跡として残っている。
あんまり幸せじゃなかった
『河内級戦艦』・摂津のためにも
もって瞑すべきであろう。
では、『今日の戦艦陸奥。』
沈没前の陸奥
広島、柱島泊地、というから
連合艦隊の懐の深奥部で爆沈したこの戦艦は
戦時中には引き上げられなかった。
損傷が大きかったのと、1943年の段階では
戦艦のサルベージなんかやってる場合じゃない
ということだったらしい。
戦後になって引き上げが始まり備砲の大半は
引き上げられている。
これは、それとは別で1935年、
第二次改装で交換された陸奥の主砲身
従って実戦で発砲したことはない。
撃たないで済むなら
大砲なんて
撃たない方がいいさ
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