ファミコンの日
7月15日はファミコンの日。
1983年のこの日、初代のファミコンが発売された。
つまり、今年で30周年だ。
いやー、なつかしい
で、私ごときが、ファミコンや家庭用ゲーム機の歴史、
ゲームソフトの歴史を書いても仕方ないだろう。
遙かに詳しい人が山といる世界だからだ。
だから、こういったゲームに関する個人史を書こうと思う。
いまの日本人で、ファミコンではなくとも
ゲーム機に一度も触れたことがない、
という人は少ないと思うんですよ。
30年前にすでに大人で、
登場当時は、『あんなもの子供の教育に悪い。』と
批判していた人もじいさんになって
孫が出来て『じいじもいっしょにやろっ。』といわれたら
目尻を下げて一緒にやっているはずなのだ。
1000人いれば1000人分の記憶がある、という意味で
社会的な影響力は広く、いろんな意味で
エポックメイキングな機械だと思う。
ファミコン登場以前、ゲーム機というのは
ゲーセンにあるものだった。
インベーダーゲームの登場が1978年。
修学旅行で、それまでゲームなんかしたことがない連中が
これに夢中になり、みるみる100円玉を吸い尽くされていた。
もちろん私もやったが、当然下手くそだった。
あっという間に終わってしまう。
1面もクリアできないんだからひどい。
小遣いがなくなっちまったよ。
ただ、うまい奴というのも研鑽を積むに当たっては
相当な投資をしていたはずで(なにしろ1回100円なので)
そういう人は全国におり
まだネットなんかない時代だったのに、
『攻略法』が発見されると、
それは『口コミ』で全国に広まっていった。
これは名古屋で発明された、『名古屋撃ち』
インベーダーゲームはアップライト式の
つまり立ってやるタイプだったが
そのうちテーブル型のものも出来、
喫茶店なんかにおかれた。
これもなつかしいだろう。
『平安京エイリアン』
いまから思うと
なんでこんなゲームに夢中になっていたのかわからない。
しかし、大学生になって喫茶店に行くと
ほぼ全員が、ギャラクシアンか
脱衣麻雀をやっていたのには笑った。
テーブルゲームになってしまったこうしたゲームは
版権がどうなっていたのか、よくわからないが
1回100円が50円になり、最後には1回10円
とかになっていく。
コーヒー300円でゲームで2時間も粘られたら
たまらないと思うんだけど いま、テーブル型の
ゲーム機をおいてる喫茶店なんかあるのかなあ。
で、ファミコンだ。
『ファミリー』と銘打ちながら、
これほど人を無口にさせる機械もない。
もっとも私は発売直後に、新品を買ったわけではなく
学生になって、人から貰った。
モニターはないからテレビにつなぐ。
いまのテレビはデジタル放送だから素人がケーブルを
いじると映らなくなってしまうと思うが、
昔はアンテナから入ってきた映像と音声は
同軸ケーブルでやってくる。
で、これを途中でぶった切って被覆のゴムの皮を剥き
市販の分配機につなぐ。
そこにもう一本同軸ケーブルをつないで
ファミコンにつなぐ。
ファミコン本体の裏にちゃんと
同軸ケーブルを接続する場所があるのだ。
もちろん皮を剥く。
頼まれてひとんちのファミコンもつないだりしたから
一時期同軸ケーブルの皮むきがすごくうまくなった。
たぶん、いまでも出来ると思う。
もちろん皮を剥く
ソフトも、中古を買ったり
塾で教えていた中学生に
『せんせ、これもうやらんからあげる。』と
貰ったりしていた。
あ、書いててちょっと泣けてきた。
ツインビーというシューティングゲームがあって
ポイントをあげて強くなると、機体が
うぞぞぞぞ、と別れてさらに強くなる。
ズブロッカを一瓶開けて、手ひどい二日酔いになった朝、
周りの景色が、残像を伴ってうぞぞぞぞ、と
動くのをみて、
『うわ、ツインビーみてえ。』と思った。
友人に話したら一人だけ、『あ、おれもそう。』
という奴がおり、彼との間ではひどい二日酔いのことを
『ツインビー酔い』、と呼ぶことになった。
ツインビー。
14分も見るような動画じゃないけど、最後までみちまったよ。
ドラクエやファイナルファンタジーなんていう
RPG(ロールプレイングゲーム)をやるようになったのは、
個人的にはファミコン以降だった。
パソコンゲームとしては、RPGというのは
ファミコン以前からあったらしいのだが
一晩じゃ終わらないようなゲームだから
パソコンを持っていないと始まらない。
ファミコンを人から貰うような奴が
パソコンを持ってるはずがない。
いや、80年代後半に入ると、
個人でもパソコンを持っている奴がおり
大学のゼミ室には、教官用は別にして
共用のパソコンがあり、深夜に忍び込んで
ゲームをやっている奴がいたりはした。
もちろん、死ぬほどかったるいスピードで
やらせて貰ったことがあるが、キーボードから
コマンドを打ちこんでエンターキーを押しても、
機械がしばらく悩むんだもんなー。
子供からカツアゲした、もとい貰ったRPGのなかで
よくやったのが『ヘラクレスの栄光』というゲーム。
武器を使っていると剣が欠けるので時々街に帰って、
鍛冶屋のヘパイトスに直して貰わないといけない、
というのが変わっていた。
(ヘパイトスはギリシア神話の鍛冶の神様。
ゲームではお金を貯めるとこの神様を雇うことが出来た。
変なゲームである。)
そして、各エリアのボスキャラが戦いの前に会話をしてくれる。
変わったゲームだったが、一晩中やったりしたなあ。
ヘラクレスの栄光、ボスキャラたちとの戦い。
で、
こうした、ロールプレイングゲームは一度中断すると、
ランダムとしか思えない30文字くらいの
「ふっかつのじゅもん」というものを教えてくれる。
これを入力すると同じ状況、同じ装備で再開できるわけです。
これを書いたメモを無くした、なんていう
べたな失敗はみんなやっただろう。
もちろん私もやった。
ゲームをやる時は飲んでいるから
写し間違って復活できない、なんていうこともあったさ。
しかし30年かあ。
『16連発』の高橋名人はつい最近まで札幌のゲーム会社に勤め
退社した後、別の会社で活動しているそうである。
社内での肩書きは『名人』。
名人の近影
副ったのか禿げたのかは知らない。
30年ってそういう年月なんですね。
ファミコンが登場した時
『家にこもってゲームばかりしていると
リアルとバーチャルがわからなくなる。
犯罪予備軍を作るだけだ。』といわれた。
その指摘は一部では正しくて
リアルの世界を体験できない連中が増えて
逆説的に『リア充』なんていう言葉が出来た。
しかし、漫画が週刊誌になって人気になった時も、
『ゲバ棒と少年サンデー』と揶揄され、
『馬鹿の象徴』としていわれていたのが
いまや『クールジャパン』だ。
政府が保護したら国鉄にしろ電電公社にしろ滅びるってのは
いい加減覚えないか?
参院選候補者や、応援の大物政治家が
秋葉原のホコテンで演説する、という辺りが
これも30年の年月なのだろう。
首相、元首相そろい踏み。
『ゲームアニメは、クールジャパン。』
ゲームソフト産業は『日本の成長企業』とか聞くと、
なに言ってやがる。とおもう。
『ファミコン世代』なんていう言葉がいまでもあるのかどうか。
しかし、ゲームの発達、
それこそ三段跳びみたいな進化を目の当たりにしてきた連中が
私を含めて50の声を聴きつつある。
あんまり『クールジャパン』とかいうと
安倍さんも麻生さんも、
すごくいいとこのお坊ちゃんなんだから
『あいつ、ゲームのこと知らない。』と。
すぐに底が割れてばれると思うよ?
では、『今日のマリオとルイージ』
すごい夢中。
こどもがかわいい。
おまけ
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コメント
ファミリーコンピューター発売直前に
SONYの14インチブラウン管テレビに埋め込んだ機種がありました
存在を知っていたので発売直後に
ゲーム好きの婚約者へ買ってあげたことを思い出します
インヴェーダーゲームもしたことのない私は
麻雀ばかり、ファミコンでしておりました
投稿: FREUDE | 2013年7月17日 (水) 07時07分
FREUDEさん、ありがとうございます。
へー、そんなテレビがありましたか。
テレビデオ、とかも
ソニーじゃなかったでしたっけ。
機能を混ぜるのが好きだったんでしょうか。
麻雀はあまりしませんでしたね。
弱いから。
いまのオンラインゲームだと、
相手が人間なんで
さらに勝てないんですけどね。
投稿: natsu | 2013年7月17日 (水) 23時40分