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2013年7月31日 (水)

インディアナポリス撃沈の日。

1945年7月30日は、

アメリカの重巡洋艦インディアナポリスが

日本軍の潜水艦の魚雷攻撃で沈没した日。

終戦2週間前である。

(Wikipedia インディアナポリス)

(インディアナポリス博物館の公式サイトへのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Uss_indianapolis_at_mare_island     

沈没3週間前の

インディアナポリス

 

 

 

 

 

 

いかにも巡洋艦らしい速そうな艦型。 

実際速くてこの船の最高速は32ノット

(約60km/h)だった。

 

ロンドン軍縮条約で、新たに決められた規格が

重巡洋艦。

1万トン以下そのほか備砲の制限なども受けた

この艦は『条約型巡洋艦』といわれ、

なにしろ『1万トン以下』という規格だから

総トン数は9800tと 

なんだかスーパーのお買い得価格のようである

 

 

 

 

 

就役は1932年。1945年の第二次大戦の終戦後

大砲で勝負をつける巡洋艦や戦艦という艦種は

新造されなくなる。

 

圧倒的な航続力と速力で『クルーザー』と

よばれたこの艦種の最後期の艦なのだが、

Wikipediaによると

『条約型軍艦だから狭い。

装備も古くてクーラーもない。 

扇風機を回したらレーダーが狂うので禁止。 

艦内は死ぬほど暑かった。』と 

  

えらい書かれようだ。

 

 

 

 

 

 

ただしこの艦以降、軍縮条約の規制を外れた、

より大型の巡洋艦を

日米双方就役させているので

若干中途半端な船になっていたのは

確かかも知れない。

 

ただし、就役から沈没まで

太平洋戦線で活動したこの船は 

当たり前だが日本海軍と戦い、 

ミッドウェー、ソロモン海、アリューシャン、

マリアナ、レイテ硫黄島、沖縄と

主要な戦闘にみんな顔を出しやがって

 

畜生腹が立つ。

 

 

 

 

 

 

しかも、ミッドウェー海戦後、

それを指揮して日本海軍を叩きのめした

スプルーアンス提督の座乗艦になり、

第5艦隊の旗艦となる。

 

日本人には恨み骨髄の艦である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところがこの艦は、沖縄空襲を指揮するために

沈没の4ヶ月前に出撃したところを

日本陸軍の特攻機の攻撃を受けて、

重大な損傷を受ける。

これによりスプルーアンスの将旗は降ろされ 

旗艦任務を外される。

3か月後に修理が完了するが、

第5艦隊の旗艦には復帰せしなかった。

その代わりこの艦には特別な任務が与えられた

 

 

それが最後にして最大の任務。 

『原爆輸送作戦』である。

 

ヒロシマとナガサキに落とす原爆の本体と

起爆装置。

そのほか、原爆機が搭載する観測機器などを

積み込んで7月16日、サンフランシスコを出航

真珠湾に立ち寄ってテニアンに 原爆を届ける

 

到着したのが7月26日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

 

その『帰途』に日本潜水艦の攻撃を受けて沈没した。

 

帰途、だと書いてある本が多くて、

『原爆輸送任務を終えて、

ハワイにでも帰る途中だったのか?』

と思ってしまうが、実際にはこの艦は

グアムを経由してフィリピンに向かう途上であった。

 

 

 

 

 

だから撃沈地点は、グアムとフィリピンのほぼ中間 

パラオの北、500kmくらいの所だ。

 

 

 

 

 

 

撃沈した伊号潜水艦の乗組員は狂喜した。

この伊58号には、人間魚雷『回天』が

6隻搭載されており

インディアナポリス攻撃の時点でも4隻があり、

2隻が出撃態勢にあった。 

回天搭乗員は大いに悔しがったそうである。 

 

『死ななかったんだからいいじゃん。』

思うのは後世の戦争を知らない子どもたち。

実際に戦闘に参加していた連中の神経は

また、違っていたらしい。  

 

 

 

 

 

 

 

必殺だけど必中じゃない、

という回天の使用について

伊号潜水艦の橋本艦長は慎重で、

夜間、月の下を単艦で進むインディアナポリス

を見付けると、どきどきしながら接近する。

 

ところが気がつかない。 

ついには伊58号は1500mまで近づく。

12kmは届くという 95式魚雷の性能から考えたら

信じられないくらい 至近距離まで近づいて

通常魚雷で始末した。

 

1500mというのは

訓練されたワッチ(当直員)であれば

ナイトグラスで潜望鏡が見付けられる距離だ

というが

個人的にはとても無理。

 

 

しかし、このことはこの艦と艦長の

戦後の運命を暗くする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なによりアメリカ軍は驚いた。

 

 

どれだけ驚いたか、というと

なにしろ10分で沈んでしまったこの艦と

連絡が取れなかったために

どこで沈んだのか、生存者がいるのか?

といったことがわからなかった。

救難のために駆逐艦や飛行艇を繰り出すのだが

生存者の発見は沈没2日後。 

救助の終了は1週間後になってしまった。

 

インディアナポリスの乗員1200名のうち

900名近くが死亡するのだが

半数は、救助を待つ間に力尽きたり

鮫に襲われて死んだのだという。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、アメリカが恐れたのは

『原爆計画』が日本に  

漏れていたのではないか?ということ。

 

 

 

しかし、

回天 搭載艦の伊58がこの船と会敵したのは

残念ながら偶然である。

 

事実、三本の魚雷をぶち込んで

『撃沈』を確信した橋本艦長は

『敵戦艦1撃沈。』と報告している。

 

重巡であるということも、艦名も

ましてや『原爆輸送船』であるという任務も

知らなかったわけだ。

 

戦後、この艦が『原爆輸送船』であることを知った 

橋本艦長は大いに悔やんだそうだ。 

『到着前に沈めておけば』、と。

 

 

 

 

 

実際これは、彼に限らず日本人の共通の感想で

『テニアン東方で 

原爆を搭載したインディアナポリスを撃沈』

なんていう架空戦記は山ほどある。

 

ひどいのになると、伊号の魚雷が原爆に命中して 

テニアン東方でキノコ雲がっ、なんていうのもある。

(起爆装置を外しているので魚雷が命中しても

核爆発は起きません。)

 

 

 

 

 

ただし、これはアメリカを安心させはしなかった。

原爆はテニアンに到着しているが

インディアナポリス撃沈の時点では

まだジャップに落としていない。

 

 

 

 

いや、諦めろよ。

と思うし、いまの軍隊だったら機密保全のために

爆撃を躊躇したと思うのだが

アメ公は平然と原爆を墜とした。

 

 

 

 

 

 

降伏2週間前のインディアナポリスの撃沈は 

日本人にとって、大いに溜飲を下げることで

あったが結局は戦局を変えなかった。

 

もちろん、原爆搭載中のこの艦を沈めていたら

ヒロシマ、ナガサキ21万人以上の死者、そして

現在までつながる被爆者の存在はなかったかも

知れない。

 

 

しかし、いずれにしても

日本は降伏しただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのことは変わらないにしても、アメリカは

インディアナポリスの艦長、マクベイ大佐を捕らえ

戦後、沈没の責任について軍法会議で起訴する。

 

敵前逃亡とか無抵抗降伏とかで起訴された例は 

他の国でもあるが、戦闘航行中の被撃沈で 

軍法会議に掛けられたのはアメリカ軍でも空前絶後。 

日本軍にはない、と思う。

 

『撃沈の当事者』、伊号潜水艦の橋本艦長も

戦後アメリカに呼びつけられて喚問され、

『いやあ、あそこまで接近できたら

之字航行をしていても 沈められましたよ。』

と、証言している。

 

 

結局マクベイ艦長は有罪になる。

その後減刑されて 実刑は逃れた。 

ただ世間の非難は相当なものだったらしく、 

裁判後、自殺してしまう。

 

50年後、クリントン政権の時代になって、改めて

彼の名誉回復が行われるが、

死んじゃってるもんなあ。

 

 

 

インディアナポリスにある世界大戦プラザ

この巡洋艦の記念館が出来たのは2007年である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それよりも不思議なのが、

なんでこの艦が単独で行動していたのか?

ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

舐められてたんだろうな、日本。

 

 

マリアナ、フィリピン、硫黄島、沖縄を制圧して

1945年7月の段階では、

もはやアメリカは日本海軍を脅威とは

思っていなかったのだろう。

 

もちろん『原爆輸送』は極秘任務だ。

大名行列のような艦隊を派遣する訳には

いかなかっただろうが

サンフランシスコからテニアンまで

単艦で輸送させるとは恐れ入った。

 

 

 

 

 

 

きっとこう思われていたのだ。

 

水上艦艇や航空機で組織的に襲われることは

ないだろう。 

潜水艦も、メイドインジャパンなんか怖くない。

 

ウルシー泊地への回天攻撃隊殴り込み

というのがすでにあり、『水中特攻兵器』を

日本が持っていたことは

アメリカも知っていたはずなのだが

この艦に関しては警戒が甘かった、と思う。

 

危機意識があれば、駆逐艦の4,5隻も連れて行けば

まさか潜水艦に1500mまで接近を許すことは

なかったはずで

この艦の撃沈は、艦長が之字航行を怠っていたとか 

そんな次元の問題ではないと思う。

 

なにより、沈没直後に、この艦の位置を

誰も把握しておらず救助に1週間かかって

サメに喰わせていた、というあたりがその証拠だ。

アメリカ軍自体が、この時点では

日本軍を舐めきっていた、ということなんだろう。

 

 

 

 

 

負け戦のなかでの、猫だまし

 

みたいな勝ち方だが、

それでは伊号潜水艦と

回天特攻隊員に申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっとはっきり言えば、

こんな間抜けな艦に 

原爆を運ばせていたのが許せない。

 

いや、まあ。ぽんぽん蒸気船に運ばせても

結果は同じだったかも知れないが

どうせ原爆を運ぶんなら、

サンダーバード2号みたいなので シュッと

運んでくれたら

まだ落とされたほうも救われる、と思うのだが 

月夜にのんきに走って沈められちゃうような艦

だと思うと 

余計に情けない。

 

000000000000000000000000000000000_3 

原子力輸送機

サンダーバード2号
     

 

 

 

もちろんどんなふうに輸送しても、 

原爆の使用は明確に犯罪だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

この事件での、『登場人物の戦後』

 

マクベイ艦長は自殺した。

原爆機の貴重チベッツは自分の『業績』が

正当に評価されないことに腹を立て

『命令があればもう一度ジャップに原爆を落とす』と。

急速に右傾化して地球の知性の非難を浴びた。

 

伊号潜水艦の橋本艦長は戦後神職になり

犠牲者、インディアナポリス乗員のみならず

回天搭乗員、さらには、

『自分が救えなかった』原爆犠牲者に、祈った。

 

 

 

 

 

終戦2週間前のこの艦の撃沈は 

なんか色々考えさせるものがあると思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の1本』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『マクベイ艦長の裁判』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           

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