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2013年8月28日 (水)

おばけ煙突の日

1964年8月26日は『千住火力発電所』の

『お化け煙突』が撤去された日。

(Wikipedia 千住火力発電所)



































『千住火力発電所』というくらいだから千住で

いまでも東電の資材センターなんかになっている。

 

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京成、常磐、山手

各線から見えた。
     

 

 

 

 

 

但し、目立つところにあるので、煙突が4本もあったら、

あちこちから見られてしまい、4本の煙突が

『この角度なら3本だ。』『2本だ。』『1本だ。』と

いろんな見え方をして、『お化け煙突』なんていわれた。

 

 

煙突の設計者は東京タワーや京都タワーも設計した

内藤多仲先生。

いろんな仕事してるなあ。

 

 

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お化け煙突

 

 

 

 

 

 

千住発電所は1963年まで存在し、

お化け煙突は1964年に撤去された。

 

現在はその一部が帝京科学技術大学なるところに

モニュメントとして遺されている。

 

 

 

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磨かれてきれい

 

 

 

 

 

ところがここに来るまでは区立小学校で 

滑り台として使われていた。

 

 

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無理 無理 無理

 

 

 

 

 

 

 

 

煙突、というのを見なくなった。 

今日はそんな話がしたかったんですよ。

 

 

 

 

       
            

 

 

              



『煙突』が近代化の象徴だった時代があった。 

明治19年に 150年後の東京を描いた図版がこちらだ。

 

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おそらくは5階建てくらいのレンガ建築が建ち並ぶ中 

高架の鉄道が走り,遠くには無数の煙突が建って 

もくもくと黒煙を上げている。

 

 

当時の東京が、瓦屋根さえ備わらず、

木造で、常に火災に危険にさらされていたことを思うと

これは『未来』だったのだろう。

 

 

具体的にはマンチェスターあたりの 

工業都市をイメージしていたらしい。   

 

 

こんなに煙突があったら

『東京には空がない。』と

智恵子がさめざめと泣いてしまうが

それを越える魅力があったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木造都市の火災の問題だけではなく、

都心部に工場があるのが 『近代都市』だった。

 

 

いまでこそ煙突を見ようと思ったら

臨海部の工業地域に行かないといけない。

 

 

東京湾は木更津から横須賀まで 

びっちりと埋め立てられていると思うだろうが 

意外にその歴史は浅い。

 

 

18世紀、江戸時代の人足置き場だった石川島が

造船所として明治22年に払い下げられたのはむしろ例外で

臨海部の京浜工業地帯の開発は

大正に入ってから。

 

最初期に開発されたのが安田財閥によるもの。

『改札の外が工場で降りられない』 

『海の外にホームが張り出している』なんて 

にわか鉄っちゃんが騒ぐ鶴見線の開通は、

実は昭和に入ってからである。

 

 

 

 

東京は大工業地帯だが

いまでもそうだが都心部では大田区のように 小工場が多い。

 

工業生産高は多いが、都心には大工場は少ない。

例えば東京は印刷、出版という分野で

日本の4割くらいを占める。

高額なのにかさの小さな商品を作るから、そうなる。

 

 

 

 

京葉地区の埋め立てはもっと遅くて戦後になってから。

なんとか工場を出して貰おうと

予定海面を案内した千葉市長に対して 

川崎製鉄の社長は、『こんな田舎町に』と鼻で笑ったという。

 

いま、川崎製鉄なんていう会社はない。

 

ざまあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから怒りにまかせて本筋を外すのはやめなさい。







『街中の大工場』という意味では大阪のほうが遙かに進んでおり、

都心を流れる大川沿いには

それこそ大工場がごろごろあった。 

日本アパッチ族で有名な砲兵工廠があったのも、ここだ。

 

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ここに限らず、カネボウ、三菱マテリアル、貨物駅、寄せ屋集落

煙突が林立する風景は

むしろ大阪のほうで多かった。

 










 

 

しかし、街中から煙突はなくなったよね。

 

 

『工場マニア』なんてのが出てきたのは80年代くらいで

公害が一段落してからの現象。

でも、あの当時はまだ街中に煙突があった。

 

いまは、それこそ臨海部に行くか、海外に行かないと 

大工場自体がない。

 

 

 

 

いま、『工場マニア』だなんだと騒いでいる人は

年齢で言うと30代以下だろう。

明治169年を憧れた世代ではない。

街中に工場があった時代を知らないんだ。

だから臨海部のコンビナートを、製鉄所を見に行く。

煙突を見に行く。

 

 

 

煙突というのはフロイト的に言うと、

つまり、そういうことなんだな?

 

 

煙突が好きな女性というのも、

つまり、そういうことなのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

工場がなくなっても銭湯があるじゃない、

といっても銭湯が減っている。

 

これじゃ日本に来たサンタクロースは困ってしまう。

 

 

 

 

 

ふう…

 

 

 

銭湯が減った原因は、また次回。

Coming Soon
       

えーと、いつかなあ・・・














































では、『今日の一枚。』





















         

 

これが長崎の孤島だったら針尾島の通信塔のように

いまでも残っていたんだろうが、残念だ。

もっとも煙突じゃないけどな。

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ラッキー・タワー

 

 

 

 

 

 

 

海軍の通信施設でした。

 

 

 

 

  

           

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投稿: ミッシェル 画像 | 2013年9月26日 (木) 10時08分

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