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2013年9月23日 (月)

戦車の日-1-

9発15日はソンムの会戦。

ここで、イギリス軍が世界で初めて『戦車』を投入した。

1916年(大正5年)のことだ。

(Wikipedia ソンムの戦い。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一次大戦、と言うのはあんまり派手に戦線が移動しなかったため

『戦争を知らない子どもたち』である私なんからしたら、

なんとなく地味な戦争かと思っていたら,

とんでもない。

 

戦死傷者だけで3000万。 

行方不明者を含めると軽く4000万を超える。

 

当時の地球人口が20億いなかったこと、そして

主要参戦国と主戦場が先進国だけだったことを思うと

恐るべき戦闘密度だったことが思い知れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、この4000万はほとんどが戦場で死んでいる。

  

第二次大戦のように戦略爆撃とかユダヤ人殺戮なんてのが、

皆無とは言わないが

それほどの破壊力を持っていない時代だった。

        

『前線』と『銃後』(前線の後方)という表現に、まだ意味があった。

第二次大戦で原爆を落とすような連中は、

こう言った戦略の転換点をどこまで分かっているのか?

 

 

 

 

 

これから戦車の概説の歴史を書きます。 

「戦争の進化」というものがどんなものか、

分かろうというもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

            
          
    
    
     
      
     
     
     
     
     
    
      
      
    
     
     
まず、   

 

第一次大戦、というのは

『守備側が優位だった戦争』だった。

                      

小銃や大砲の射程が伸び、ヨーロッパ戦線では初めて

機関銃が投入されると、

幾重にも塹壕を重ね、要地にトーチカと砲兵を配した守備軍は

照準の知れ切った塹壕線の向こうに

敵軍がのこのことやってきたら圧勝である。

 

攻撃側は、特に独仏では高度に発達した鉄道で 

任意に攻撃の力点を選んで、多大な圧力をかけるが 

奥行き数キロ以上、という縦深陣地は破れない。

 

しかし、そうやって攻撃のポイントを選ぶのは

攻撃方の唯一の利点だから、塹壕線は次第に伸びて

アルプスから大西洋まで、700km以上に及んだ。

 

もちろん、攻守入れ替わることもあるから、独仏双方は 

それぞれ何重もの縦深陣地を

長さ数百キロにわたって構えあった。








 

 

従って、東西戦線での戦いの規模はどんどん大きくなり、

マルヌ会戦では、50万人が戦死、というから

鳥取県が吹っ飛ぶほどの人間が1会戦で死亡した。

 

ソンムの戦いでは、敵味方100個師団以上、が参加し 

120万が戦死した。

 

一会戦で山陰地方が全滅するくらいの

被害が出るのだ。

 

 

 

第一次大戦での死者は(もちろん野戦もあったけど)

ほとんどが塹壕戦で

すりつぶされるように死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、『塹壕を突破しよう』とは、誰でも考えることで、 

そのうちの手段のひとつが飛行機。

 

もっとも、第一次大戦当時の飛行機なんて

『紅の豚』以下であり、

塹壕線を越えて爆弾を落とすことは

この時代にいちおう、可能になったのだが

まだ、後部座席の爆弾手が手で落とす、という代物で

戦線を破壊する力はなかった。

 

 

その当時の飛行機でむしろ脅威だったのは偵察機で、

攻撃軍の移動や集中の情報は敵をいらつかせ

インターセプターといった機種が出来るのはこの時代である。

そしてそれら迎撃機を迎え撃ったのが戦闘機。

文字通り、ポルコ・ロッソの時代だ。

 

 

しかし、まあ空の戦いは

まだのどかなもんだった。







     

 

 

 

 

 

 

 

        
   

         







『塹壕線』を突破しようとする、もうひとつの手段が毒ガス。

いま、イラクでアサド政権がこれを使っていてけしからん、

なんていうことを言うが、初めて使ったのはドイツである。

 

毒ガスが初めて用いられたのは1915年1月31日。

西部戦線でも4月22日のイーベル戦線で

圧倒的な戦果を挙げたのは塩素ガスだった。

      



これの開発者は、フリッツ・ハーバー。

塩素ガスは昔から知られていたが、

『兵器として使用したら楽勝でしょう。』と吹き込んだのだ。

これだけ有名な兵器で

発明者が特定されるのは

ハーバー家にとって恥だろうな。

 

ノーベル賞学者なのだがどう考えても、マッドサイエンティストで

『化学は国家に資するべき。』ととなえて

ほかにも空中窒素固定法なんてのを作った。

 

 

 

 

大気の7割を占める窒素は火薬の原料になるんだけど、

天然には、豆の根っこの根粒菌か

豆を食った動物の小便が染み渡った硝石しかない。

 

ドイツや同盟国には、硝石産地がないのに

こいつらがいつまでも、どかどか大砲を撃つのは何故だろう、 

と連合国が不思議に思っていたら、こいつがせっせと 

空気から窒素を取り出していたのだ。 

 

 

 

 

 

『毒ガス戦』の開発者も、このハーバーだったのだが

英仏軍も同様な作戦を実施する。

 

いずれにしても、毒ガスは成功すれば、銃の一発も撃つことなく 

数十万の敵を殺すことが出来た。

 

あんまり残虐だ、ということで現在は

化学兵器禁止条約、なるものが結ばれて

現在では、ほぼ世界中で

この種の兵器を正規戦で使うことは違法である。

 

 

もちろん、この条約が

『人類の素晴らしい人道精神の発揮』だと考えたら

大間違いで、毒ガス戦は第一次大戦で

『塹壕突破』の役割が果たせなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当たり前だけど、使う毒ガスは

『空気』よりも重たくないといけない。 

軽ければ空中に飛散してしまうからだ。

 

塩素ガスなんか、そういう意味で理想的なんだが 

なにより塩素ガス、というのは色がある。

 

試薬瓶に入れたくらいでも

結構はっきり分かるくらいに黄色い。

 

そんなもんがもくもくと流れてきたら、退避するか

ガスマスクをかぶってしまえばいいわけで、役にたたない。

毒ガスはガスマスクが効かないように、あらぬ方向に進化していく。

 

 

 

皮膚に付着すると糜爛して

極度な後遺症を遺すマスタードガスは 

最初に用いられた第二次イーベル会戦の名前から 

『イベリット』という不名誉な名前で呼ばれている。

 

 

 

しかし風が強ければ使えないし

敵が低地にいないと使えない。

 

 

ひどく使用条件は限られる。

毒ガスは正規兵器としては使えなくなった。

 

 

 

 

そのうえ、後遺症を受けた兵士の世話をしないといけないのは

攻撃を受けた国なのだ。

 

攻守入れ替わるから、毒ガス戦の被害者というのは

敗戦国のドイツだけではなく英仏露と

たくさんいる。

廃兵を山ほど抱えた交戦国は悲鳴を上げた。

 

 

 

 

奴らが

『非人道兵器を禁じましたねー。我々素晴らしーイ。』

というなら核兵器をすぐに無くせ。     

 

 

 

嘘をつけ、馬鹿野郎。

オバマさんもチベッツルメイの遺骨を持ってきて

原爆ドームの前で散骨してみろ。

 

 

 

(もちろん、地下鉄サリン事件のように満員電車で垂れ流したら

効果は絶大なのでテロリストの兵器としては未だに有効である。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のマークI』

 

 

 

 

 

 

 

 

第一次大戦でイギリスがソンミ会戦に投入した

『タンク型戦車』(マークI型)

 

背中についている変な車輪は跳壕性を高めるために

ホイールベースを伸ばすためのものである。

British_mark_i_male_tank_somme_25_s    

塹壕線の戦訓からフランスはマジノ線を作り 

ドイツは機甲戦を実現した。 (この辺だいぶ省略してます)

 

独ソ戦は戦車そのものを飛躍的に発展させ

冷戦後、東西陣営は『鉄のカーテン』の彼方に

恐怖感で拡幅された数万台の戦車を並べあった。    

 

だから第二次大戦後の戦車というのは

日本の74式、90式を含めてクルスクのような大戦車戦を

戦うことを前提にしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうのことを言えば、日本に戦車が導入されたのも 

至極速くて第一次大戦直後の大正5年で 

全周にキャタピラーが巻く、変なマークIV戦車だ。

 

 

 

実をいうと、今日の話はここからはじまって

これからの戦車は

『無人戦車じゃないのか?』

というところに行こうとしたんです。

例によって行き着きませんでしたとも。

 

 

 

 

 

 

 

ということで今回は『第一回。戦車の登場。』ということでした。

続編を書きます。かけるのか?

 

 

 

 

乞うご期待!

 

 

 

 

 

 

   

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9月15日のことをなんで今頃書いているのか?

そもそも長すぎるじゃないか、

言いたいことをいっていないし。

 

 

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