街の格を下げるな‼
堺市長選、大阪都構想への不参加を主張した
現職が勝利。
『維新の会』は、大阪府下で初めての大敗。
29日の堺市長選の確定投票数。
当 198,431 竹山 修身 <2> 無現=[自] [民]
140,569 西林 克敏 維新
投票率は50.7%。前回の市長選挙よりも
7ポイント近いアップだった。
アップして5割かよ、という気はする…
そして投票率が上がれば浮動票が増える筈だが
今回、維新には『風』が吹かなかったらしい。
大阪都構想、というのは『維新の会』結党時からの
党是であり、これを実現するために大阪府議会、
市議会、市長選、府知事選、と次々と候補を擁立して
勝ち続けた。
『風俗発言』で橋下さんが顰蹙をかった後でも
夏の参院選では、まだ維新候補は大阪では勝った。
ところが今回は、
その『風』が途絶えた。
ただ『大阪都構想』がどのくらい正確に
知られているのか、というとどうなんでしょう!
正直 私自身いつもえらそうだけど、
あまり知らなかった。
そもそも神戸市民だから有権者でもないしな。
まず、大阪府を『大阪都』にし、
大阪市と堺市をそれぞれ、 人口40万程度の
『特別区』に再編成し、周辺の市もあわせて
『20区の大阪特別区』をつくる。
しかし、今回の選挙での有権者の審判は
この案に対してNOという意思を示した。
ここから先は想像だが、
市民が反対した理由の一つに、
人口85万人の政令市、堺が分割されるなんて
許せない、というものがあったと思う。
『街の格を落とすな.』と。
人口40万クラスの豊中市や吹田市、東大阪市を入れるんなら
堺、無理に入れること ないんじゃないか?
日本の自治体の歴史は
『格を上げる歴史』であった。
つい最近、愛知県東浦町というところが
住民基本台帳の数字をごまかし、って
ずいぶん豪快なことするな、おい。
で、まあ『うちの町の人口は50088人です。
人口5万人以上だから市制を敷いてもいいですよね』と
発言小町みたいなことを言い出し、
いらっと来た総務省が調べなおしたら
案の定足りなかった。
この街は、名古屋のベッドタウンとして
順調に人口を伸ばしているので
こんな恥さらしなことをやらなくても、
すぐに5万人を超えると思う。
なんでこんなことをしたんだろう。
いずれ『市』になるとしても、
こんな形で有名になってしまったら『東浦市』では
恥ずかしいだろう。
派手に結婚式を祝うあの地域では新婦が可哀想なので
『セントレア斜めうえ市』
とかにしたらどうだろう。
しかし、そんな犯罪を犯してまでも、
『町』から『市』になりたかったらしい。
そして、逆にいえば、一度『市』の称号を
手に入れてしまったら 、どの街もそれを手放さない。
現に、人口が減ってもそれを返上した町は
日本中に存在しない。
日本で、いま一番人口が少ない『市』は
北海道の歌志内市で人口は4390人。
かつて『市制施行の基準』であった、
3万人以下の街に限っても
70以上ある。
『人口の多寡が街の格ではない』と以前書いた
その信念はいまも変わらない。
『村民』や『町民』が、『市民』や『都民』を
うらやましがっているか、というと、
そんなこともないような気がするのだが、
『下を見ないでうえを目指す』、
村から町へ、町から市へ、中核市へ
そして政令市へ、更に「都」にというのは、
役所や議会だけではなく、地元の商工会など
自治体関係者共通するの願いなのだろう。
国もそれに対してアメを与え続けてきた
日本の自治体(市町村)は戦後だけでも
10500から1700に減った。
(明治初めには70000以上)
表向きの理由は『議員を減らす』
『地方公務員を減らして行政を効率化する』
というもの。
しかし、実態は合併交付金目当てで
変な『箱物』とか空港とかをつくちゃったおかげで
その後始末で苦しんでいる街がある。
しかし『街の規模を大きくする』ということ
特に村や町から『市』に昇格できる街の関係者は
歓迎した。
ただ、そういうことをされると、
歴史由緒がまったく違う街が一緒になることもある。
これは、困る。
兵庫県北部に『豊岡市』という街がある。
コウノトリで有名だ。
ここが市制を敷いたのは戦後すぐなのだが
『平成の大合併』で、さらに周辺の5町と合併した。
だから、でかい。
広い兵庫県の中でも
一番広い
合併した5町の中には、出石や城崎がある。
豊岡は但馬の中心都市だから、
これらの街とも歴史的、経済的に、もちろん
無関係ではなかった。
私は学生の頃、出石の街のことを調べようと思って
1年以上通ったことがある。
出石も豊岡と同じく、江戸時代初期に出来た城下町で
重要伝建地区になるほどの街並みがあるのだが
ここが観光地になったのは、昭和50年代以降。
かんかんにストーブを燃やしているのに
底冷えのする旧役場で、びっくりするくらい親切な
主任さんに街の歴史などを伺っていると
その目の前の大きな駐車場に、奇跡のテクニックで
大型バスが入っていくのであった。
国鉄の『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンの
おかげで 、日本中に『小京都』が出来た時代だった。
しかしそれとは別の理由で、この街には
観光バスが集まった。
ここは 京阪神の人間が城崎温泉に行くための
昼食所という、訳のわからない発展の仕方をしてきた
街でもある。
昼飯になにを食うか、というとそば。
白い陶器に盛られた黒っぽい粗く挽かれたそばで
とてもうまいのだが、3日食うとさすがに飽きる。
しかも、田舎だから夜になると真っ暗になる。
スナックが一軒だけあったのだが、
おそらくは地元の若い衆のたまり場であろうその店に、
入る勇気は 流石にない。
街の人はどうしているのか、というと
そもそも外食なんてしないのである。
当時はコンビニなんてないし、銭湯もない。
宿屋に泊まるお金もないから車で寝るんだけど
すごいさむかったのー。
こどもを『車中泊』で育てると
こんな大人が出来るぞ?
実際役場の人に聞いても、あまり豊岡がどう、という
話題はなかったように覚えている。
出石と豊岡のあいだには鉄道もなかった。
引かれたが、戦時中に 不要不急路線である、
とされて たった14年の歴史を閉じた。
出石には真っ黒い制服の出石高校というのがあるが
彼女たちは、就職先に豊岡を選ぶだろうか?
城崎といえば、説明無用の日本の名湯である。
なにしろ、山手線にひかれた志賀直哉を
治しちゃうのである。
ふつう死ぬだろう…
名湯であるが故に、外湯巡りも出来るし、
海が近いから、カニだってうまい。
京阪神から手頃な距離なので、
それこそ社員旅行から社員旅行まで、えーと、
あとは家族で、とか。
徹底的に団体客に特化してきた。
さすがにそれではいかん、ということで近年は
個人客の開拓を目指していて、外人さんの観光客も
多いらしいが
ここが、なんで豊岡なんだ?
あ、いや。
豊岡の悪口を言うつもりはない。
豊岡だって、良い街だと思うけど
しかし、これだけキャラクターの違う街を抱えたら
大変じゃないのかなあ…
大阪の話、どこに行った?と思っているだろう。
僕だってそう思ってる。
合併都市の例を挙げるとまた
『論旨がわかりにくい』と言われてしまうな。
ここで言いたいのは
『街の格を下げる改革』なんて
日本の都市計画史上になかった、ということ。
それがいいことだとは思わない。
そして、堺に関してみても この選挙の結果が
『有権者の結論』なんだろう。
『人口3―40万人程度の基礎自治体を作るから
堺を分割する』とか言っちゃったから
反発を受けたんだろう。
『基礎自治体は、3―40万』と言うこと自体に
説得力がない。
大阪市を5つに分ける、7つに分けるったって
それぞれの『区』の中心がわかるかい?
大阪と言えば、キタとミナミだろう。
半分に割るくらいでいいんじゃないの?
そうすれば、大阪の『区』は人口100万から160万。
堺市がそのまま特別区になっても
格が下がる訳じゃないから、堺市民は怒らないだろう。
基礎自治体の人口は100万人もいたら駄目なんだよな
と言うかも知れないが、現に世田谷区の人口は
90万人近い。
都市改造は、
住民のプライドを、うんとなでなでながら
神経質にやらないといけない。
『常勝将軍』とおだてられたとーるちゃんは
そこが見えなくなっていたのだろう。
『格を下げる都市改革なんかない』
というのは、個人的にはあきらかに
間違っていると思うのだが
ともかくそれが日本の都市の歴史なんだ。
誰かこいつに『王様の耳はロバの耳』と
言ってやれよ。
そういう人がいないのが、この人の不幸なんだろう。
では、『今日の一枚。』
『東京市』から『東京都』へ。
濃い朱の線で囲まれたのが、昭和7年までの
東京市の境界。
関東大震災によって人口が流出した東京市は
昭和4年から大阪に抜かれて日本2位、
商工業出荷額なんかでは、それ以前から大阪の下
だったので 、名実ともに『日本第2位』の都市に
成り下がった。
震災以前に、大阪も市域の拡張をやっていたから
この辺はガキの喧嘩だなあ、と思うのだが
昭和7年から東京市は周辺の郡村を合併して
市域の拡張を図る。
具体的には、
豊多摩郡(渋谷、杉並、中野、新宿の一部)
北多摩郡(豊島、板橋、北、練馬)
南足立郡(足立)、南葛飾郡(葛飾、江戸川)
荏原郡(品川、目黒、太田)
砧村、千歳村(世田谷)といった具合。
薄いピンクで塗色されたのが昭和11年の市域で
これは現在の23区のエリアと、ほぼ重なる。
この時点で反対が起きなかったのか?というと
皆無ではなかったらしい。
特に、東京市に編入されてしまうと都市計画法(旧)の
適用を受けたりしないか?
地価が上がるんじゃないか?
ということで 地主層には不安もあった。
ただ、東京の外縁部であったこのエリアでは、
すでに『サラリーマン』という存在が確立していた
こともあって
『えーっ、東京市になれるならラッキー。』という
雰囲気だったらしい。
東京市が、東京府と一体になって『東京都』という
存在になるのは戦争真っ最中の昭和18年。
防火、疎開、土地収用、配給に食糧増産。
行政の一元化が必要だ、と
内務省主導で、有無をいわさず行われた。
初代長官が『かわいそうなぞう』のモデルになった
『戦時下の動物殺処分』を命令した、内務官僚の大達茂雄。
この人は、ほかにも肥料確保のため、
西武電車に依頼して『電車による糞尿輸送』
ということを試させている。
日本の都市計画史で、異色の人物ではある。
東京都成立から、そして
戦争が終わって70年近く経っても
東京都は東京都のままである。
元に戻せ、っていってんじゃないですよ?
そして大阪が『都』になるのがいいことなのかも
有権者じゃなし、あんまり興味もないから
ここでは言わない。
でも『手順』を間違ったよなとは思う。
そして、そういえば10月1日は『都民の日』ですね。
東京府知事=内務省のくびきを逃れて
一般市になったことを記念したから『都民の日』。
明治31年のことです。
(記念日の制定は昭和26年)
当時の『東京市民』は『俺たちの格が上がった』と
思ったんですかね。
そういうもんかなあ、と思いつつ、
今回の堺市の選挙が単に『維新の退潮』だけではなく
堺市民のプライドの微妙な部分に触れたらしいのが
あらためて、そういうもんかなあ、と思うだけです。
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