硫黄島の星条旗の日
2月23日は、この写真が撮られた日。
星条旗を立てる海兵隊員。
(日本軍の壊滅は3月26日)
1944年、サイパンの戦いに勝って、
B29で日本本土に攻撃できるようになったけど
硫黄島があると、
途中で見つかって本土に警報が出されるし、
迎撃機が上がってくるし、この島を経由して
サイパンに殴りこみかけてくる奴らがいる。
これから沖縄戦を始めるにあたって、、
沖縄正面の背後にこの島がある。
邪魔だ。
ということで行なわれたのが硫黄島上陸作戦。
(Wikipedia 硫黄島の戦い)
守る日本軍は陸海合わせて21,000人
攻めるアメリカは110,000人。
日本側の損失、20,000人、
アメリカ側の戦死傷者28,700人。
太平洋戦争の島嶼防衛戦でアメリカ側の損失が
日本を上回った唯一の戦い、として
日本よくやった、
という風に語られがちなのだが、
日本側の『損失』は全員戦死である。
もちろん、戦傷、というのも
『前線から引き離す』という意味では戦死と
同等で、戦場での被害はそんなふうに
数えられる。
さらに、
傷を負った人は戦後大変な苦労をするので、
戦争を知らない連中があれこれ言ってはいけない。
でも、アメリカの戦死者6800人だって…
しかし、今日話をしたいのは、
この写真についてではなく、
この戦いで、日本側が全員死ぬつもりだった、
ということ。
指揮官の栗林大将 以下、守備軍が
兵卒に至るまで死ぬつもりだっただけでなく、
大本営をはじめ、大日本帝国が
まるっきり助けるつもりがなかった、
というところに、この戦いの恐ろしさがある。
ガタルカナルでは勝つつもりでいた。
上陸したアメ公を排除するために派遣された
一木支隊は900人。
実際のアメリカ軍はその10倍以上もおり
火力でも圧倒していた。
しかし、指揮官の一木大佐は盧溝橋事件の英雄(笑)
であり 自信満々で『この島取れたら、
次はフィジー取ってもいいっすかぁ?』と
眠たいことを言って出撃して、
南海のジャングルで死んだ。
もちろん部隊も負けた。
サイパンでは『海軍さんがマリアナ沖で勝って
くれるだろうし、
なあに、アメ公が上陸してきても水際で
殲滅してくれる』 と
一応見込みらしきものはあった。
負けた。
フィリピンでは『海軍さんが台湾沖で
えらくたくさんアメ公の艦を沈めてくれたから
なあに上陸してきてもたたきのめしてくれる』と
これも一応、怪しげながらも見込みはあった。
負けた。
ただ、硫黄島に関しては
そんな見込みは、はなっからなかった。
帝国海軍はレイテ沖で全滅して既になく
補給も逆上陸も初めから考えられていなかった
数度の特攻攻撃が行われ、
空母2隻撃沈破という戦果をあげるが
大勢は変わらなかった。
兵隊が決死の覚悟なのは当然だけど、
作戦中枢が、全員殺すつもりで、結果として
96%の将兵が死んだのが恐ろしい。
硫黄島では2000人足らずの住民を移動させる
ことができたが、
直後に起きる沖縄戦では
住民9万5千人の死者を出す。
『戦争は外交の延長だ』とか眠たいことを
言うから政治家は馬鹿なんだ。
島ごとつぶす外交なんかあるか。
どこかで神経が狂いながら
この隘路にはまり込んでいったんだろう、
硫黄島の兵隊が死ぬのは、ある意味必然だ。
軍隊なんだから。
死を覚悟してもらわないと困る。
しかし、数十万人の住民がいる沖縄を
捨て石にしたのはおかしいだろう。
一応、疎開計画みたいなのはあったらしいのだが
空も海も抑えられて、軍隊の補給さえ危うかったから
とてもできなかった。
アメ公もソンミ村の感覚で軽々と殺した。
本土決戦を最後まで叫んでいた連中は
子孫そろって腹を切れ。
だから戦争なんて、『外交の延長』じゃない。
どっか、神経が2,3本抜けた連中が
『あいやー』とか言って発動するのだ。
そして、解決なんてありはしない。
ここから先は暗殺されかねない怒涛の悪口に
堕ちていくので 今日は終了。
なに、殺しになんか来なくたって…
では『今日の硫黄島からの手紙。』
『硫黄島』は公式には『イオウトウ』らしい
んですが『イオウジマ』という呼び名のほうが
今では一般的だと思う。
何年か前に、『この島の呼び名はなんていうん
ですかっ』という、くそ下らない質問をした
社民党の照屋とかいう議員がいた。
この人、
沖縄選挙区選出の衆議院議員なんだけど、
結果として『全員特攻』になったこの戦いの意味を
理解していないのだろうか?
そしてこの戦いでタガがはずれた日本軍中枢は
住民もろとも死ね、という沖縄戦を行う。
全く同じ『全島特攻』を沖縄においても
住民に強制する。
そしてこのことが今日の基地問題にも
つながっているという
基礎学力がないんだろうか?
許しがたい馬鹿だ…
この映画が『IWO JIMA』と名乗ったんだから
世界的には『イオウジマ』だろう。
っていうか、どっちでもいいんじゃね?
もともと、住民や役所の間でも名称が違っていて
それで困らなかったそうなのだ。
平和が一番。
(クリックしてくださいな)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント