« 究極の佐村河内缶 | トップページ | 正力さん、トイレは和式でやるものですぞ »

2014年3月 8日 (土)

ションベン横丁の焼失。

大阪、十三の飲食店街で火災、

というニュース。

(朝日新聞の記事へのリンク)






大阪から淀川を超えてすぐのところに

「十三」という街がある。

阪急電車の主要駅なのに地上駅で

周辺には木造の飲み屋街が立ち並んでいた。



まあ徹底的な下町で、大阪のテレビ局なんかは

何十ぺんとなく取材に来ていた。

しかし『終戦直後からにぎわう繁華街で、 

戦後しばらくトイレがなかったことから

「ションベン横丁」と呼ばれて

親しまれている』っていう

朝日新聞の紹介の仕方もどうだろう。



確かに、みんなそう呼んでたけどさ。














ここには、私も学生のころから通い詰めた。

安かったのだ。


過去形で書くのはいろんな事情があるからだが

風情があるとか  トリスバーがる大人の街だよな、

とか、半可通はそういうことを言うが

酔っぱらいはそんなこと考えない。

安かったのだ。


それこそ、生ビールを飲んで数杯重ねて

つまみも頼んで、それで会計したら

『え?二千円でお釣りくれるの?』という店が

たくさんあった。

もちろん、驚くくらいだから

値段を上まわる満足だったことは言うまでもない。







まあ  不思議な空気感のある通り、ではあった。

『流しのアコーディオン弾き』という人を

見たのは、この通りが初めてで、おそらく

二度とないだろう。

そして変わらないことにかけても天下一だった。

俺が学生の頃、というと30年前に  すでにその

30年前からあるような顔つきのくたびれて

賑やかな通りで、30年後の今まで

変わっていなかった。








しかし個人的な感傷はともかく、死人も出ない

こんな火事、全国的には  つまんない

ローカルニュースなのだろう。

ここは、さっきも言ったように

阪急電車の主要駅、十三の目の前、

乗降客数は、73500人。


そんなに少ないかなあ。







むかし、十三に住んでいたことがある。

朝の出勤時、駅に向かう人は半端じゃなく

たくさんいた。

もちろん、その時間に駅前のこうした飲み屋で

飲んでいる皆さんもいた。


いいなー。








十三-梅田間は阪急電車で最も混雑する区間で

たった5分なんだけど、身をよじりながら

乗ったもんである。


しかも阪急電車の幹線、神戸線、宝塚線、京都線の

列車が すべて停まるから、乗換を含めた利用客は 

おそらく100万人を超えるだろう。


その駅前が燃えたのだ。

かつて住んでいた街という思い入れはもとより

このニュース、

大阪の人には結構ショックだったと思う。

 

00000000000000000000000000000000000

       
     
     






       






  
       




       
この写真から察すると、

焼失範囲はおそらくこのあたり。

2014y03m07d_152151101

     


十三駅西口と

国道176号線を結ぶ道は、

普段は歩行者専用だけど

一般の道路。






今回の焼失区域だけではなく、

十三駅前の通りと、176号線、十三駅との間の

三角形のエリアが木造商店が密集した、

タイムスリップしたかのような異空間。













さて、

ここまで、長々と書いて来たとおり、

私はこの通りのファンなので 

ぜひ復活してほしいと思うのだが、 

元のような、木造2階、あるいは3階建ての 

ごしゃっとした商店街は作れない。




めんどくさい説明は省略するが、

まず耐火建築物でないといけない。


そのくらいは頑張ってもらうとしても、

前面道路の幅が4mない。


これでは『接道』したことにならず、

建築基準法違反なので、それじゃ敷地境界線を

ちょっと下げましょう、といったところで

左右前後の道が、やっぱり4m未満。

(駅側の道は明らかに4mない。

真ん中の通りは  4mありそうにも見えるが

大阪市内では『側溝は民有地』というルールがあるので

4mないような気がするんですよ。)


これも説明は省略するが

(っていうか忘れちゃった)

こうなると前面道路を認定してもらうための

果てしなくめんどくさい手続きをせねばならず

事実上不可能である。


可能性があるとすれば焼失区域全体を合筆して

さらに駅前の通りの一軒以上を抱き込んで、

一敷地にし、形だけでも駅前の通りに

『接道』させて、一棟の共同の建物を造る

という方法がある。

(一敷地、一建物だから。)

 

 

あるいは被災区域やその周辺を

「特定街区」に指定し、

容積率や壁面の位置など、建築基準法の規定を

外すという方法がある。

 

 

 

しかし、いずれにしても、今回消失した店舗が、

それぞれ個別に再建できる可能性は、

法律の上で、ほぼあり得ないということが、

なんとなくわかってもらえましたか?
 
 
 
街区全体でまとまらないと、なにもできない。





そもそも、こんな危険な一帯が

いままで残っていたこと自体が

不思議なのだ。


朝日の記事に『戦後からにぎわう』とあるように、

戦後から続く繁華街なのだとしても70年近く

同じ建物が建っていたわけではなく

適当に改修したり増築したり、建て替えたり

していた。


しかし、ここまで大規模に焼けたら

そんなごまかしはできない。 

市は『一気に再開発を』と言いだすだろう

すでに建築制限とかかっているかもしれない。


そして、それが簡単にできないことも

あの地区を知っているから、

なんとなくわかるんだ。







今回の火災がなければ、30年後もそのままの

顔つきで 営業していただろう。


万に一つも可能性はないと思うが阪急十三駅が

高架になって、阪急のお金がと政治力が入って

『じゃあ再開発しましょうか』

といった話にならないと、どうにもならない

んじゃないか?








それよりも、今回の火事の後片付けが終わったら、

一夜にしてテント村ができて

営業を再開しそうなところが怖い


冗談だと思ってるだろう。

あの街はやるよ?







あ、でも、

敷地をきれいに整地して舗装して、照明も

付けて植栽して、ちょっとおしゃれな屋台を

いくつか置いたらどうだろう。


オープンテラスならぬオープン立ち飲みバー、とか。


























では、『今日の二枚。』













ありし日のションベン横丁

00000000000000000000000000000000000



















もっと、ありし日のションベン横丁    

000000000000000000000000000000000_2













昭和30年代なかば、だそうです。

阪急の駅の右側にある、細長い三角形のエリアが 

ションベン横丁。

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ 

(クリックしてくださいな)  

 

 






このあたり、ものすごく はしょって書いているので

     専門家の突っ込みに

   耐える自信がないので突っ込まないでください。

   

|

« 究極の佐村河内缶 | トップページ | 正力さん、トイレは和式でやるものですぞ »

そんな時代もあったよね」カテゴリの記事

コメント

prada 財布 メンズ正規販売代理店 http://bagshop.izukogen-tokai.jp/brand/prada/
[url=http://pradabag.masa-mune.jp/]プラダ 財布 メンズ[/url]

投稿: プラダ 財布 メンズ | 2014年3月18日 (火) 15時09分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ションベン横丁の焼失。:

« 究極の佐村河内缶 | トップページ | 正力さん、トイレは和式でやるものですぞ »