二人の『大西洋単独無着陸飛行の日』
5月21日は2人のアメリカ人が、 飛行機による
『大西洋横断、単独、無着陸飛行』
を行った日。
一人目が、1927年、昭和2年。
二人目は、5年後の1932年、昭和7年。
一人目は、チャールズ・リンドバーグ。
二人目は、アメリア・イアハート。
どちらも、翌日めでたくヨーロッパに
到達している。
チャールズ・リンドバーグの出生や経歴は、
むしろ経済的に豊かなほうだと思うのだが
なにぶん寡黙な人で、
実績のない民間の郵便飛行機のパイロットには
スポンサーが集まらなかった。
彼は、一時期曲芸飛行師もやっている。
彼が乗機とした
『スピリット・オブ・セントルイス号』は
100馬力程度の非力なエンジンで
6000km近い 太西洋横断をやらないと
いけなかった。
確かに前は見えないよな。
たくさんの燃料を積むには 巨大な燃料タンク
がいる。さらに出発の時には満載で、
到着の時には空載となると重心が変わるんで
『揚力の中心の主翼の下にタンクを作る』
しかない。
現代の旅客機なら翼の中に納めるのだが
同じことをやった一式陸攻は、それが原因で
負けるんだけどな。
いずれにしても、リンドバーグの時代に
翼と一体になった『インテグラル・タンク』
なんていう技術はなかった。
主翼にタンクがつけられないから、
この人の飛行機は主翼の下の胴体部分に
燃料を積まざるを得ず 、
重心を取るために、胴体部分は、
エンジン-燃料タンク-搭乗席 という
危険極まりない配置となった。
離着陸の時に地上にこすったら
大炎上で搭乗員は助からない。
さらに、燃料タンクが邪魔で
正面の視界は皆無。
地上を確認するには、操縦席から
潜望鏡のようなものを出さないと
いけなかった。
とんだ、セントルイス・パッションだと思うが
とにかく33時間半の単独飛行を行って
パリに到着。
事前の無電でオルティーグ賞挑戦機が
パリに近づきつつあることは知られていて
パリの、ル・ブルジュ空港には
多数の歓迎者が現れ、
まさか自分の孤独な飛行が、
そんな大騒ぎになっているとは
思っていなかった リンドバーグは、
群衆を前に大声で叫ぶ。
『翼よ、ここがパリだ。』ではなく、
『英語がわかる人はいませんか?』と
お前、フランスに行くつもりだったら
フランス語の『ABC』くらい知っとけよ。
まあ、『アーベーセーは知ってても、
そーれだけーじゃ困ります。』けどな。
たぶん70年代半ばの、旺文社のCM。
でかいヘッドホンだなあ。
リンドバーグが大西洋横断をした事の映画。
『The Spit Of St.Luis』
前が見えず横を見たって海で、星だけが頼りで
よく着陸できたな、と思うのだが、
無事到着、パリで大歓迎を受け、
アメリカに帰るとさらに大歓迎を受け
栄光の割につつましやかな態度は
筋骨隆々という『アメリカンヒーロー』の
規格を外れていた。
こういうイメージはアメリカ人にも
新鮮だったらしい。
このことは、フランスはもとより、
アメリカ本国でも好意を持って迎えられ、
彼は、アメリカ中の人気者になる。
大西洋無着陸横断をかけたオルティーグ賞に
勝って、 賞金25000ドルを手に入れる。
世界恐慌寸前の賞金だから、
これ自身はすぐに価値がなくなったらしいが、
この人は堅実な投資と、堅実な冒険と
世界中に招かれた講演によって
大金持ちになった。
そのお金を、アメリカのロケット工学の父
ゴダードに提供したりしている。
この境遇を狙って、彼の愛児を誘拐し、
身代金を要求する一方、殺してしまう、
という卑怯卑劣な事件も起きる。
(Wikipedia リンドバーグ愛児誘拐事件)
第二次世界での彼は、
対日戦への参加を切望するのだがかなわず
戦後はハワイに隠棲して悠々自適の生活。
マウイ島の別荘で死んだ。
享年72
いいなー。
もう一人の『大西洋、単独無着陸』を
女性として初めて実現したのが
アメリア・イヤハートという人。
(オフィシャル ウェブサイト)
なんで故人の公式サイトがあるんだろう。
Wikipediaには
『カンサス州の裕福な家庭に生まれ…
23歳で初めて自分用の飛行機を買った』って
書いてるんだけど
裕福にもほどがあるだろう。
しかし当時ではまだ珍しかった
『女性飛行家』だったことは確かで
30歳の時に『大西洋横断飛行チーム』の一員
に誘われ 、ユニットリーダー、じゃなかった
副操縦士として、大西洋横断に成功している。
ちょいちょいそういう台詞を入れないと
気が済まないのか、ということはともかく、
『単独』ではないが
『女性初』の大西洋横断だったことは
確かであった。
この成功で、スポンサーを集めて、
リンドバーグよりも大きな飛行機を手に入れ、
『単独』大西洋横断を目指す。
リンドバーグと同じ日に、同じパリを目指した
のは、 もちろん意識してのことだが、
天候に恵まれたリンドバーグと違って、
彼女の場合はそうではなかったらしい。
パリまでは届かず、
アイルランドの牧場に不時着してしまうのだが
『アイルランドだってヨーロッパだよな』
ということで、帰国後彼女は再び喝采を受ける。
従って彼女は、いまでもアメリカでは
最も人気のある飛行家の一人なのだそうだ。
個人的には、この人の名前は、
その最期にまつわるエピソード で
初めて知った。
この人1937年、40歳の時に世界一周飛行を
目指しその途上で行方不明になっているのだ。
もちろん、その当時の飛行機では
『無着陸』も『単独』も不可能なので、
島伝いに行く。
ニューギニアのラエ、というところまでは行った。
そこから赤道の北にあるハウランド島、
というところを目指すのだが
機位を失探して通信が途絶える。
アメリカは空母を出動させ、
空中、水上から捜索。
日本軍も協力して、水上機母艦を出動、
捜索に協同させている。
ところがこの事件が、
日本のせいだという説がある。
彼女が目指したハウランド島のそばに
大日本帝国はベルサイユ条約での委任統治領、
南洋群島を持っていた。
(国際連盟による委任統治、
と書いてある本が多いのだが 実際は、第1次大戦での
ドイツ植民地の戦勝国による分割占領。
その証拠に、日本は1933年に国際連盟を脱退するのだが
南洋群島の占領継続に関して、
どこからも苦情は出ていない。)
従って
日本軍の攻撃のよるものではないか?
という疑惑があった。
当時からあっただけではなく、
いまも信じている人がいるらしいのだが、
あり得ない。
現実には日本海軍も鑑艇を出して捜索に
協力しているし、前年の1936年まで、
ワシントン海軍軍縮条約によって
島嶼部の防備強化(現状変更)が禁じられて
いた日本海軍にそんな準備もなかった。
ただ、ワシントン条約の防備禁止からの
解除1年後、という時期が微妙だったことが
アメリカ側の疑心を招き、
『アメリアはジャップにスパイとして
認識されていたので撃墜された。』と。
だからいまでもそんな人がいる。
ひどいのになると、
イアハートは日本軍に捕らえられて東京に行き
終戦まで『東京ローズ』をさせられ?ていた、と。
なによ、あたしが本物の
東京ローズよ。
現実には、ただの事故である。
彼女は、アイドルとして世間に登場し、
アイドルとして死んだ。
リンドバーグとは違うが
そういう人生も、ある意味幸せかもしれない。
しかし、さっきの公式サイトで売っていた、
彼女が着ていたジャケットのレプリカが
1600ドル(16万円)、というのはいかがなこと
だろう。
たっけー
どうせ僕たち貧乏人なんか
相手にしてくれないんだ。
くすん…
では、『今日の 私は孤高で豪華。』
ゴージャスラグジュアリー
リッチネスデレレガンス
(クリックしてくださいな)
なんで21日の記事をいま公開するのか、というと
例によって死んでいるからです。
長ーい目で見てやってください。どか、ひとつ。
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コメント
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投稿: コーチ 財布 シャンブレー | 2014年5月28日 (水) 15時00分
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投稿: Johna159 | 2014年6月18日 (水) 16時18分
Johna159 さん、ありがとうございます。
頑張って続けてまいります。
どうかまた読んでやってください。
『bcdeadegkeff』ってどんな意味でしたでしょうか。
投稿: natsu | 2014年6月21日 (土) 09時22分