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2014年6月の投稿

2014年6月30日 (月)

ポケベルの日

7月1日は、ポケベルのサービス開始の日。

1968年の事。(Wikipedia 無線呼び出し)





4歳だった私も

眼を瞠ったものです。

うそです、ごめんなさい。我が家はその後30年黒電話でしたともさ。





もういまの人は『ポケベル』がわからないのかなあ。

いまではたまごっちと同じくらい忘れられている技術だと思う。

君の家の引き出しの中で、ひっそりと眠っているたまごっちが

ぐれ果てて、なんかすごいものになっているかもよ?





公衆電話、あるいは固定電話から数字のメッセージを打つ。

数字は仮名にも変換できるが数字のまま送って意味をつける

『短縮ダイヤル』というのも流行った。


ただし、プッシュホン回線じゃないと使えないので

黒電話のダイヤルを

じーこじーことまわしても

つながんねえんだよおう。


    

Pocketbell1      

基本的には

相手のコールを受けて

画面を表示するだけ





         

この機械が画期的だったことは、  

『個人がモバイル端末を持てる。』

ということを実現したことだ。



それまでは、彼女に電話しようとしても、

怖いお父さんが出てきたり

   

『9時くらいだったら、お父さんお風呂に入ってるから』と

言われたので電話して、

『もしもし』と女性が出るから本人だ、と思って『やあ』とかいうと、

『ああ洋子ね、ちょっと待ってねえ。』って、

なんて声が似てる親娘だ。




そんなことがあったでしょう。 

なかったとは言わせない。 

1980年代の童貞はそういう経験を踏んでるんだ。










でね、 

当り前だけど、PHSやケータイ電話の登場で 

この機械はあっさり駆逐されていく。

双方向通信ができない。

文字情報を送ろうとしても

公衆電話から相手のポケベルに送らないといけない。

なにしろ処理できる情報量が少なすぎるから、かったるい。


だから女子高生なんていうのは

ポケベル短縮単語をつくった。

     

「14106」っていうのは 

「アイシテル(愛してる)」って意味だったんだよう。 

なんていうのは、もう年寄りの繰り言なんだろうな。




『一緒にお花見に行こうって言ったのにぃ。』という文章を

「かな=数字対応表』を見ながら、プチプチ打つのは、

結構間抜けだったぞ。






















しかし、個人単位の独立端末が持てる、

ということは、ある意味世界を変えた。


端末の形じゃないんだよ。

30年後の女子高生は、ウェアラブルケータイをして、

いまのスマホなんかで電話している人を

『うわっ、かっこ悪っ。』というだろうとも。






なんとなく『技術史の中間』みたいな、

そんなモジャイスキー先生の蒸気飛行機のような

『陸に上がったのいいけど死んでるじゃん』という

ハイギョのような、そんな『時代の飛沫』のような扱いを

受けているけど、


『モバイル端末の大衆化』ということで

エポックメイキングな機械だったと思います。







もう少し評価してあげたらどうだろう。































では、『今日のポケベルが鳴らなくて。』











1993年のドラマだったのか…

 

    

 

なんか、いろいろ懐かしいっすね。






       

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2014年6月23日 (月)

蜂ノ巣城落城の日

6月23日は蜂の巣城落城の日。

1964年のこと。

(Wikipedia 下筌(しもうけ)ダム。)








生後9日目の私も

眼を瞠ったものです。

うそです、ごめんなさい。眼なんか開いてません。








下筌ダムというのは、九州にある多目的ダム。

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まあ、地味、かな。








     
このダムの建設に反対したのがダムの上流の水没予定地区。


水没させれたらどこに行くんだ?

畑は?林は?と

そこまではまっとうな訴えで、補償金を求める。








いまでこそ

『ダムができる』となると、生態系がどうだ。

鮭が、鮎が上がれない。


ダム湖に埋砂が溜まり、

下流の川の河底が下がり、護岸が決壊し、

最終的には河口付近の海浜がなくなる。と、

『下流の側から』も、反対運動がおこる。




この時期はしかし、ダムの上流での

水没地域においての反対運動が主だった。

利害関係者は『水没地域の人』としか行政も認識していなかったし、

世間一般も理解していなかった。そして、

山林地主と、ただの林業従事者では 

社会的な階層がまるで違う。


このダムにおける、反対運動の中心となったのが

室原知幸(むろはらともゆき)という人。 

水没地域を含む広域の山林地主であったから、

『利害関係者』の筆頭、ではある。




『ダム建設反対』の彼の主張は、

水没予定地区の住民から一時的には支持を受ける。

建設省の役人の立ち入り拒否、といったものから

次第にエスカレートし、ついに水没予定斜面に

『監視小屋』という名目の『蜂の巣城』を作る。

それは次第に拡大し、複数の建屋と連絡通路を持ち

谷津を占領するごとき規模になる。






それがこれだ。

        

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実態は住んでたらしいです

これだけの資材を

よく揚げられたな。

     






       

さすがにエキセントリックに過ぎるんじゃないのか?

『俺たちは適正な補償金がもらえればいいんだもん。』と

『脱落者』が続出する一方、『60年安保』で盛りあがった

新左翼や、三井三池炭鉱争議などで活発になった

既成組合が入り込むことで、 

室原氏の運動は世論から孤立する。




『だって、あんた巨大地主じゃん。』

ということで見捨てられた室原氏は、結局は

自らの家族だけでこの城を守るが

1964年に代執行によって立ち退かされる。



従って、この人は、事件前後から、極端な人嫌いになり、

『石の眼』などの小説で、『反ダム』のシンパシーを持っていた

安倍公房を、面会もしないでいで追い返したりしている。



代執行の後、法廷で争いそこでも負けると

山中に『第二蜂の巣城』を作る。

てめえ、どんだけ地主だ?

という全地球のアプローズを受けて

第二城は順当に2日で陥落。























世間的にみれば、ある意味かわいそうな人ではある。

ただ、Wikipediaが書いているように、 

ダム上流の水没地域にも福祉を、ということを 

ある程度実現させた、という功績は、多少ある。


(この辺の機微を語りだすと、大変だぞ。

いま、悪口を抑えるのに必死なんだ。

まだ悪口じゃなかったのか?なんていう人は、甘い。)


















ダムというのは毀誉褒貶の激しい施設だ。

蜂の巣城の事件が収束する直前に竣工した

黒部ダムは、三船敏郎、石原裕次郎主演の

『黒部の太陽』として、

高々と誇らしがられた。



     

      

ところが、民主党が間違って政権を取ると、

『コンクリートから人へ』なんて眠たいことを言い出す。


いや、それ以前から、 

『ダムの横につけられている「魚道」なんて無駄だよな。』 

『河が砂を流さないから、三保の松原は 

世界遺産から外されかかったんだろ?』と 

そういう批判があった。いまもある。






それが今や『ダム万歳』だ。

誰かが誘導しているとしても、あんまり露骨だろう。


       

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黒四ダムの観光放流




東日本大震災の後、『基底電力』を維持し、

深夜の揚水発電によって、昼間時のピークタイムへの

電力供給に役に立つ、ということで水力発電が見直された。


そうはいってもダムなんかすぐにはできないし、

かっこいい割には大した発電力はないのである。

(黒四ダムの発電量が、335.000Kw

(福島第一発電所6基の原発の発電力が5480.000kw

文字通り桁が違うんですね。)












はあ。











     

では、『今日の一枚。』









    

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蜂の巣城城主

室原知幸さん。

先入観なしに見るのがつらい顔

近所にいたらもっと嫌









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2014年6月22日 (日)

本能寺の跡が変

明智光秀がぶち切れて、京都の本能寺にいた信長を討った。 

1852年6月21日のこと。 

(Wikipeddia 本能寺の変)







本能寺というのはいまでもあって、こんなに立派。

     

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寺町通りに

面してます。








もちろん、ここまでは確信犯で書いていて、 

信長が討たれた本来の本能寺は、 

いまの位置よりも少し西にある。

(今の本能寺は秀吉によって移転させられたもの)



でも、このいまの本能寺がある寺町通りには

香や書画道具を扱う鳩居堂や、戦前からのギャラリー、古書店

いつから時計が止まってるんだ?という喫茶店なんかがあって、

祇園のように観光地として『記号化された京都』よりは好きだ。



でもまあ、このあたりも結構な観光地なんですけどね。










で、本来信長が討たれた本能寺は、 

今どうなっているのか、というとこうなっている。

(信長茶寮 HP)



コスプレ、イベントスペース、、食事処にバー。

カラオケ付きの飲み放題コースが5000円ですと。


     
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知らなかったら喫茶店

掲示を見たらホストクラブ







泉下の信長公もがっかりであろう。



(ただし元本能寺というのはべらぼうに広くて、こいつが面している、

西洞院通から堀川高校までの全部を含む。)

















対して、信長を討った光秀は大事にされているのか? 

変なふうにいじられていないのか?


というと、


いじられている。


   

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光秀君とひろこさん








福知山市観光協会の公式キャラクター。

『ひろ子さん』とは何者か、というと光秀の奥さん。

ただし、煕子という難しい字を書くので

並大抵のパソコンでは変換できない。

(コピペしましたとも。STAPわぁ、あります。)


光秀だけでは印象が悪いと思ったのかなあ。 

奥さんもキャラクターに入れた。 

この二人が仲良しだったことは確からしいのだが…




で、
 
何故福知山?というと、近世城下町としての福知山を

作ったのが彼で、暴れ川だった由良川に堤防を築いて町を作り、

税金を安くして水運を活かしておおいに街を栄えさせた。

 


従って、福知山市民にとっては、明智光秀は 

いまでも神様である。

光秀が付け替えた由良川の河港から、一直線に延びた

広小路、という町屋街を横断する大通りがある。

まあ、文字通り防火帯としての意味もあっただろうが

河から下りてくる丹波の、そして日本海から上ってくる

全国の物産を集めた荷役場としても華やかににぎわったはずだ。



で、

その『広小路』の正面に御霊神社というのがあって、 

その祭神のひとつが光秀だ。



感謝されているらしい。
 



うー、この街は出石と同じく、

学生のころ1年くらい通って街の歴史を調べて、

でも、大きな街だから銭湯とダイエーはあったけど

お金はないから車で寝ると、

すごいさむかったのー。




いくらでもしゃべりたいなあ。



福知山は水害の街なので、歴史的に貴重な建物、というのは

この御霊神社周辺ではほとんどないんだけど、

なんか、たたずまいがいいのよ。


なみの伝建地区よりもいい。

人がいないのもいい。



あ、いや。





























では、『今日の信長。』


















光秀くんとひろ子ちゃんも有名な漫画家が

キャラクターデザインをしたらしいのだが、

あの間抜けな顔は、なんとかしてやれないものか?





対して、冒頭の信長茶寮では、館内でケータイに登録すると

いまをときめくAR技術で

こんなかっこいい人が案内してくれる。


     

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本家の本能寺公認

だそうです。








誰だ?お前…。





    

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2014年6月21日 (土)

液状化の日。

6月16日は、新潟地震の日。 

1964年のこと。 (Wikipedia 新潟地震)






新潟市の日本海沖を震源とした、M7.5の地震が発生。

地震、火災、津波等によって、死者26名という犠牲を出した。


生後2日目だった私も、

目を瞠ったものです。

うそですごめんなさい、眼なんか開いてません。




この地震が注目されたのは、液状化現象というものの恐ろしさを

世に知らしめたこと。

もっともこの時代は『流砂現象』という、

サスペンスドラマみたいな名前で報道されていた。




そして、この『現象』で信濃川のそばにあったアパートが

ころんころんとこけた





Liquefaction_at_niigata















仕組み自体はこう。

(国土交通省HP 液状化現象とは。 

とても国家が運営していると思えない古臭いわかりやすいデザイン。)







このざっくりした説明を受け売りすると

粒度がそろった地盤で、かつ締っておらず地下水位が高く、そして

高いレベルの振動で揺さぶられると、 

一時的に地盤の耐力がなくなる。



夏休みの自由研究レベルだが、砂を瓶に詰めて

さっこりさっこり棒で突く。

砂だけだけど終戦後の脱穀風景だが

水を入れると、ある瞬間になると驚くくらい抵抗がなくなる。



さくっ。



面白いからやってみたらいいと思います。

もっとも今の御時世、、

砂よりも一升瓶を手に入れるほうが難しいか。



でも、さくっ、って気持ちいいよ。



地盤が文字通り液体になるんですね。



ところが新潟地震のころには重視されていなかった。

いや、まあ、そういう現象自体は

155年前の安政大地震から広く知られていた。





しかし、以下の理由で、戦後の建築では

あまり重視されてこなかった。



みなさん、地盤の堅固さを調べる

最も流通している方法を知っているかい?



それは、『N値』あるいは

『スウェーデン式サウンデング法』といって、

名前は色っぽくて超かっこいい。


『スウェーデン』に反応するなよ。


どうするのか、というと重さ63.5kgの重りを

ボーリングロッドというけど、まあ筒ですな。

これにガツンガツンとぶつけて30cm沈み込む回数を測る。

ついでに地盤のサンプルも採る。









いやっ。待ってくれ。

僕だって馬鹿らしいとは思うんだ。







だけど、地震大国、日本の耐震診断の

基本情報がこれなのだよ。

(今はもうちょっと賢く診断してるから大きな建物については大丈夫。

でも戸建住宅とかはなあ…)

     





      

で、

この方法だと、砂質地盤は

非常識に頑丈な数値を叩き出す。


だから、冒頭の写真でころんとこけた団地のように

『杭なんか打たなくてもいんじゃね?』

という、危険な工法がまかり通っていた。







新潟、というのは『砂と泥の街』だ。

信濃川の河川敷なんですね。


     

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江戸時代の

新潟の街








『おや?』と思ったあなたは正しくて、現在はこうなっている。



     

Niigatacity_aerialphoto   
上から

阿賀野川

信濃川

関谷分水






日本一の大河、信濃川が、こんなに曲がりくねってちゃあ

あぶねえよなあ、ということで、新潟の歴史は治水の歴史だ。







で、

例によって

本筋が何か分からなくなっているだろう。みんな。




だいじょうぶ、今日は『液状化』の話だ。

今日は、って言っておきながら

5日も6日も引っ張っているのは

ここだけの秘密だ。




信濃川左岸は、日本海一の海港をもち、

信濃川の水運でも豊かだったのだが

ごらんの通りの地形なので氾濫するたび、

砂が溜まりまくった。


阿賀野川、というのも厄介な暴れ川で、

信濃川東岸に巨大な低湿地を作った。

江戸時代に『こっちを通れ』ということで

いまの場所に分水路を作ったら氾濫してぶち破って、

いまではこっちが本流のような顔をしている。




だから新潟は砂とシルトの街だ。





63.5kgの鉄の球ではわからないが、

いまならみんな知っている。



『そりゃ、液状化するよ。』









東日本大震災から3年以上たって、

世間の関心は『原発と鼻血』とか、

あさっての極点に向かっているが、この地震が

『地面を信じるな』

という、あたりまえで重大な教訓を残してくれたことを

忘れないでおきたいもんです。








そんなら、地震発生の日付にちゃんと出せ、って?







はい。



























では、『今日の液状化現象。』











1995年の阪神大震災の時、液状化によって

地盤の砂があふれる噴砂現象が観測された場所。

(神戸市HPへのリンク)

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ポートライナーの柱脚は、杭で支えられて元のままなのに、

外周道路が沈んでるから、地震後のあの島を走ると

ちょっとしたジェットコースター気分だったぜ。







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2014年6月14日 (土)

はっぴー

ええ、どうもね。お久しぶりでございます。

natsuなんですが、今日はめでたく誕生日でございましてな。


しかし、このなんか虚空に話しかけるような状態にしたのは

あたしの責任でもありますんで、

お前はこの半年間、なにをしていたんだ、

今日はそういったお話をさせていただこうかな、と。








おお、坊にはつまらないな、

おおいばあさん、秋ちゃんに言ってな、坊を

散歩させてあげておくれ。

え?あの二人が行くと、アメ横で筋子10㎏とか、

変な買い物して来るって?

いいじゃねえか、金を渡さなきゃあ。


ああ。ごめんなさい。

だからてめえの話は長えんだよ。って、へえ。





ええ、始まりは去年の年末だったんです。

どうも体がだるいな、と思って内科の町医者に行ったわけですよ。

でもって、おばさんの先生に、症状を説明すると

開口一番、『あなた、黄疸がでてますよ。』と。

へ?と思って爪を見たら、そこは美しいパールピンク。

『いや白眼が。』って、

自分の白眼なんて見えないじゃん。




うん、毎朝鏡を見ろって話か?

先生が手鏡を貸してくれて、うーん、いわれてみれば

黄色いような気もするけど、おいらイエローモンキーだもん。


それで血を取られて『3日後に結果が出ますから。』という。


行きましたよ3日後に。

そしたら先生、細長い検査結果の用紙を見ながら

まるい顔の眼ぇをさらに丸くして、



『あなた、よく生きてますね。』という。

つまり『お前は、もう死んでいる』みたいなもんで

そんなケンシロウみたいなことを言われても困るなあ。



それから個々の数字について、それがいかに非常識であるか

人類としてあり得ない数値であることを説明されたって困るってば

(もちろん病気をなめちゃいけません。体調が悪くなったらお医者さんに行こう。)




エコーとレントゲンを見て、触診を受け、

『うわ,でかっ。』

って言われて、よほど膨満していたらしい。



『とにかく、うちじゃこれ以上は診られないので紹介状書きます。』

と言うので大きな病院に行きましたともさ。





そこでは、さすがに機械の種類が多いな、

なんだかぐるぐる回る機械の中に2.3回通されて

CTちゅうの?あと、アンギオ?

それでまあ、ここでも血ぃからなにから抜かれまして

『なによ、そんなにあたしの体に興味があるのね』とか思ったら

『3日後に結果が出るから来てくださいという。』



どうも、みんな3日後だ。



行きましたよ。

そうしたら、診察室ではなく、と『相談室』なるところに通された。

入院病棟がある病院には、こういう部屋がある。


各病棟のナースステーションの横にある場合が多いのだが、

大きな病院だと、外来フロアにもある。


入院病棟にあることでもわかるように、ここは、

患者とご家族を呼んで、『おとおさんは、あと…』みたいな話をする。


だから、貧相な室名板の『相談室』という文字が、

ダンテの神曲の『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』

いう風に見えたか、というとまだ楽観してたな。

(『相談室』はそういう目的の部屋ではありません。)




でも、そこで40前後の優秀そうで精悍なお医者さんが、開口一番

『あなた、よく生きてますな。』


どうも、

ケンシロウみたいな医者ばかりで困る。



『正常に機能しているのは1/4から1/6くらい。

あとは繊維肝と、なりかけの肝硬変です。』

うん、なかなかはっきり言う。


『体重を考えると、正常に機能しているのがこの大きさじゃ

死ぬはずなんですけどねえ。』

返答に困る。

生きていてごめんなさい、とかいうべきだったのか。










『まあ、入院しましょう。』と言われて

入院した。

従って、この日記の1月ごろは予約投稿ばっかりなわけです。



ところが、ここは、1カ月ほどで追い出される。

病院、というか病床というのは、2種類に分けられる。

ひとつが『急性期病棟』というやつで、文字通り、

『先生、弾ぁ抜いてくれよぉ』といった緊急な人が入る

(そんな人ばかりじゃありません)



ところが内科系の病気の奴なんか、治ってるのかどうなのか

歴然としない人もいる。

(もちろん、圧倒的大多数は素直に直って退院していきます。)


ときどき検査するんだけど、

『お前なんで生きてんの?』という

不可思議な数値を叩き出し続けたおかげで

『じゃあ、別の病院に行け。』ということになった。



入院生活が人間を弱らせるのかもしれない。

入院前なら、コサックダンスで御堂筋横断とかできたのに。

ごめんなさいうそつきました。



今度行ったのは『療養型病床』というものがある病院。

おもに、外科系の人がリハビリを行ったり、

若干痴呆が来ている人がリハビリを行ったりするのだが、

内科系の疾患の人もいる。



急性期病棟と、療養型病棟の何が違うか、というと

一床(ベッド)あたりの面積が違う。倍くらい違う。

しかも療養型が、基本個室なのにそうではない。

デイルームというのも面積がきめられていて広い。

私がいた病棟にはキッチンまであった。


急性期病棟がカーテンで仕切られていて、

真夜中に看護師さんが来て

『じゃあ、清拭しましょう』なんていって、『…まあ…』なんて 

そんないいことなかったよう…。




お前、病気なのか?と言われると、うーん…

体は立たないけど、頭は明晰に間抜け、なんですね。

春ごろから間抜けな記事を載せるようになりました。


私が最初に入った病院では、病棟でのケータイは禁止。

ところが、2番目に入った病院では、

ノートパソコンが使用可能だったんです。


だから、ときどき息を吹き返した時に、

思い出したかのごとく間抜けな記事を打つんですが

ここも2ヶ月くらいで追い出されるんですよ。




従って連休前に退院して、

いまは陋屋で病身を癒しておるわけです。




いやまあ、それでも打ち合わせなんかに行きますと、

そのあと3日使い物にならなくなったりして、

外出すんな。って感じですけども、

そうもいってられませんやねえ。









『忙中閑あり。』なんて言葉がございますが

『病中』なんて、『閑』ばっかりなんですよっ。



そうしますと、だるくて寝ている

シングルベーッドの―うーえでケータイのメモ帳に



『ろっくでなしー、7でなし、8でなし、毛先が球っ。』

とか、

『星雲、それは、君が見た光。

僕がみーたー希望―

星雲それは、M78、

3分で帰れるのかよー、せいうーん。』


とかね。

お前もう脳みそ溶けてるんじゃねえの?

という、ウィルニッケな文章が書き連ねてあるわけですよっ。



ブログを書く体力がないから、

溢れる間抜けが

側頭葉を決壊させるわけですよっ。





もうね、世間の事に興味もなくなるわけです。

ワールドカップ、なにそれおいしいの?

ってなもんですよっ。





そうかと思うと、

『学界から、石もて追われた、あの女博士は

悪の組織ブラックリケーンに入り

ドロカターとしてSTOP細胞で世界征服を狙う。

手下に、「行っておいで」、「ササ・イ―」。』

とか、ブラックなことも書いているわけですよっ。






この日記も、今年の8月末で7年。7年?


おかげさまで、ひっそりと、サイドバーの隅っこで

くりくり回っているアクセスカウンターは

82万人を超えております。

ありがとうございます。



しかしながら、書いている奴は、ごらんの通り

人生の、深みも、渋みも、なんーにも持っていない。 

そのくせ世間を斜め下から見上げるようなあの態度。


これだけ閲覧者がいながら、

ひとりとして仕事の注文を出す者はいないでしょう。


だったらいいじゃないですか。

それならそれで…

うそです、結構じゃありません…。











さすがにわかんないか













おおいばあさん、坊が帰って来たよ。

秋ちゃん、また何を買って来たんだい?

筋子で怒られたんで、数の子10kg?







はあ…

おまい、そんな金どこに持ってたんだい?

『いえ、旦那様のツケ、でございます。』




じゃかじゃんりんじゃんりんじゃんりんじゃんりん…








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2014年6月10日 (火)

倒木直撃2000GT

TOYOTA2000GTを運転していた、

28歳の会社員が 富山県の山道で木が倒れてきたうえに、

その直撃を受けて怪我。 車両は大破。というニュース。 

(産経ニュースの記事へのリンク)





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うわー








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あーあっと








『倒れていた木にぶつかった?』


『いや、「倒れてきた木が車にかぶさるようにぶつかった」と。』


『…なんてまあ、間の悪い。』


『普通死にますよね。』


『すげーな、トヨタ。』


『で、運転していた28歳の会社員男性は軽傷で、

同乗者もいなかった、と。』


『28歳?』


『…はあ。』


『バブルのころに中古が一億円以上した車だぞ?』


『…28歳が買える車じゃないですよねえ。』


『……』


『……』


『ざまあ。』


『待て待て待て。』


『でも、おまえこのニュースを見た人は全員、 

そして産経の記事は、さすがに感情を抑えているが 

真底「ざまあ」って思っているはずだ。』


『Web版の記事だとわからないですけど、明日印刷される記事には、

縦とか斜めとかに「ざまあ」って入ってませんかねえ。』













『この写真だと、オープンカーみたいに見えるな。』


『実際はこうです。』


『ルーフを直撃したわけね。』


『死人が出ないほうがむしろ不思議です…』



800pxtoyota_2000gt_2

2000cc150馬力

最高速度200㎞/h

(Wikipediaへのリンク)










『えーと、1967年から1970年にかけて、337台が生産。

007のボンドカーにも採用された、と。』


『累計生産台数が337台?』


『そりゃ、気軽に買える車じゃなかったでしょうし…』


『たったそんだけ?』


『だから、ボンドカーにもなるわけですよ。』


『いま何台残ってんだろうな。』


『まあ、「下取りよろしくね」っていう車じゃないから、

簡単には廃車にならないでしょう。』


『うん。』


『コレクターズアイテムとして

いまでも100台以上は残ってると信じたいですが…』


『それでも100台のうちの一台かあ。』


『そういう意味では、ざまあ、

っていうのが気の毒なくらい気の毒ですね…』


『……』


『……』


『こういうの保険下りるの?』


『まさか。落雷とかと同じく、一種の「天変地異」ですから、

保険屋からも国道事務所からも、周辺の林を管理している

県だか国だかも補償はしないでしょうねえ。』


『28歳の小僧が、ちょっと気の毒になってきたな。』


『おそらく、この28歳の名義じゃないでしょうしね。』


『親父か祖父が、とんでもない山林地主だとして

こいつにこの車を持たせたとしても、

名義はともあれ、この一族から1億円が消え去ったわけだ。』











『この車どうするんでしょうね。』


『車としては使えないわけだから…』


『廃車?』


『パーツ取りするとしてもここまで見事につぶれていると…』


『あ、ホイールは使えますよ。世界初のマグネシウムホイール。』


『リアはともかくフロントはだめなんじゃないか?』


『でも4本そろえばいまでも100万以上には、』


『安っ。』


『うーん…』










『もう、このまま売ったらどうだ?』


『はい?』


『TOYOTA2000GT 走行不能。現状渡し。

っと言ってネットオークションにかける、』


『だれか入札してきますかね、、』


『アラブの金持ちとかが、面白がって買ってくんないかなあ。』


『倒木の直撃を受けても、中の乗員はセーフティ。』


『まあ、縁起担ぎにはなるかな。』










『しかしなあ…』


『なんです?』


『……』


『……』


『くれぐれも、もったいねえ…』
























では、『今日の1枚。』













1960年代後半、というのは 

日本でも高速道路が開通、開業した時代でもあった。


1963年に名神高速が部分開業。

1965年に全線開通。


1969年に東名高速も全線開業。









小川ローザの『オーモーレツ』のCM


車の疾風でミニスカートが舞い上がるシーンが有名となり、

この当時のガキどもは『オーモーレツ』と叫びながら

スカートめくりをやっていたわけですよ。


『わけですよ』って言われても困りますよね。





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2014年6月 9日 (月)

大阪教育大附属池田小事件の日

6月8日は大教大附属池田小事件の日。 

2001年のこの日、大阪府池田市にあった大阪教育大附属小に 

37歳の男が侵入。包丁をふるって次々と児童を襲い 

児童8名が死亡、ほかに児童、教職員15名が負傷した。

(Wikipedia 附属池田小事件)







犯人は宅間守。

     

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こんな奴








で、

今日はこいつについて書こうと思うんだけど

こいつ個人のキャラクターとかは胸やけがするからどうでもいいわ。














いちおう事件の顛末を書くと

23人殺傷という大事件であるから 

当然現場で取り押さえられて逮捕。


事件から2年2ヶ月後の2003年に、大阪地裁で死刑判決。

裁判でのこの男はおよそ、反省はせずおとなしくなく、

裁判所を侮辱する遺族を侮辱する

そしてなにより犠牲者を侮辱した。





俺が裁判員だったら、法廷で即座に弓で射つ。





一審判決後、弁護団(というのがこいつにもいたのか?) 

控訴するのだが、本人がこれを取り下げる。 

結果として一審判決が確定してしまうと 

こいつは早期の死刑執行を望んでさらに騒ぎ立てる。


従って、判決確定後1年で死刑執行。

享年40。







犯行後からでも3年1カ月。

80だとか90だとか、

確定死刑囚の天寿を全うさせるような日本の拘置所では

収監20年、30年といった例が珍しくないので、

異例に短い処刑、だとは言える。



結果としては自殺したかったんだろうが、

周りに迷惑かけるな。













で、

こいつの個人史はどうでもいいんだけど、 

ここからが今日の本題。



ごめんね、いつも時間がかかって。










この殺人鬼、40年の生涯で 

5回結婚してるんですよ。




いいなー。











冒頭に載せたような悪相だが、

女性を目の前にしたらきらめくような顔つきができたのか?


長身(184cm)であったことは間違いないが、そんなんで 

人間転ぶかあ?


しかもこの人、死刑になった事件だけじゃなく、

それ以前に強姦事で収監されたり、精神病院に入っていたり

『自由』であった時間は、案外短いのだ。


そこで5回?






いいなー。







あ、いやいや。















簡単にこの人の『略歴』を書いておこう。



17歳で高校を退学。

18歳で定時制高校に移転するが出席しないので除籍。

18歳で航空自衛隊に入隊し、強姦未遂事件を起こして除籍。

   1980年代と言えば、『右向け左』の時代だったとはいえ…

21歳の時に精神病院に入院。

23歳の時、強姦罪で実刑判決。懲役3年。

26歳の時、『自分は医者である』と身分を詐称し、

    詐取した名簿で探した45歳の看護師と結婚。

    即座にウソがばれて離婚。

同じ歳、45歳の別の女性と結婚。

29歳の時に強姦事件を起こす。

30歳の時に2度目の離婚。

30歳の時に3度目の結婚。

35歳で3度目の離婚、

    しかも妻が『どうか別れてくれ』、と手切れ金を渡してのもの。

半年後に2歳下の女性と4度目の結婚。

    すぐさま離婚。

37歳の時、附属池田小事件を起こす。

39歳の時、死刑判決。一審で確定。

39歳の時に『支援者の女性』と結婚

40歳、大阪拘置所で絞首刑。










不思議と女が途切れないんですね。








中には強姦まがいの手口ではらませて結婚したり、

嘘っぱちのプロフィールを結婚相談所に送って

45歳の女性を捕まえたりして

速攻で離婚されたりもしてるんだけど。




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『公務員』として登録された

宅間氏のプロフィール写真







こいつのストライクゾーンはそこか?と、思うと

普通に強姦事件では女子高生を狙ったりしているので

いや、普通に強姦するなよ。





この人について何か考えようとする気力も起きない。



しかし、この人は、最期に獄中結婚した嫁さんの戸籍に入り

巷間よく知られる『宅間守』、という名前ではなく

吉岡守という名前で首をつるされている。



いくら『婚姻は両性の合意のうえで成り立つ』ったって、 

吉岡家の他の人たちからは苦情が出なかったのか?



わかんねー。










とにかくこいつは、 

死の瞬間まで

女を途切れさせなかった。









いいなー。











そこ?





























では、『今日の一枚。』














大阪地裁で

死刑判決を食らった時の宅間被告人。

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読売は、いい法廷画家を雇ってるなあ。






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2014年6月 5日 (木)

武器の適材適所

6月1日は長崎女児殺害事件から10年。

当時小学校5年生だった御手洗怜美(みたらいさとみ)さんが

同級生に殺害された。

御手洗さんは11歳。加害女児も12歳だった。

(産経新聞の記事へのリンク)




加害女児と被害女児は同級生であり、

『太ってる』とか『ぶりっこだ。』とかいう、

いかにも小学生らしい感情の行き違いの積み重ねが

犯行につながったらしい。


『ケータイのHP(というものがあるのか?)が荒らされたから

殺意がつのった。』、と供述した

加害女児の動機にも注目が集まった。

『IT時代の犯行か?』、と。






で、

そんな子供くさい犯行の背景とか、そんなのもどうだっていいんだ。 

この殺人、殺害の方法が恐ろしかったんですよ。



加害児童が、どうやって怜美さんを殺害したかというと、

長崎市の中心部の学校で人口が減り、「空き教室」であった

「学習ルーム」なるところに、御手洗さんを呼び出し

左手で目を隠して、刃を伸ばしたカッターナイフで


頸動脈を真横にスパンと切った。


御手洗さんは、自らの血だまりの中で

15分くらい悶絶していたらしいが死亡。







加害j女児は即座に保護される。

(14歳未満なので逮捕はされない。)

その後、家裁での審判を経て2008年まで児童相談所に収容され、

それ以降は自由になっているはずだ。

もちろん、いまは21歳となっているはずの彼女を

陰に陽に監視している人がいるはずではある。










で、

 

 

 

この事件はもういいや。おなかいっぱい。



ここで言いたかったのは、  

『カッターナイフで人が死ぬのだなあ。』  

ということ。



もちろん状況によって、あるいは抵抗されたら

こんなもんで人は殺せない。








しかしそれは逆に、『カッターで人が死ぬのか』

 

という驚きにもつながった。


『こんな武器で人が死ぬのか?』


いま、警察は銃刀法違反に神経質で、包丁を買うのでさえ 

鑑札をもらった包丁店で、鍵のかかるケースから 

取り出してもらわないといけない。






カッターナイフなんて、銃刀法にひっかっからないように

刃渡りは、12cmくらいになっている。

そうしないとコンビニなんかでは売れないのだ。

殺人器具、になってしまうんですね。


そういう意味で、 

この事件は殺人の地平を広げた。(そうか?)

 

うん、この表現もひどいと思うし、殺人なんかしちゃだめですよ。

小学生が持ち運べる刃物が、カッターしかなかった事を思うと、

 

『殺意ってすげえ。』とも思う訳です。


そして、

 

 

 

なんて、効率的な武器の使い方だろう。

ということを世間に知らしめたのでした。



今日は、そんな不謹慎なお話。





























AKB48の握手会に犯罪者が突入し、
 

メンバーの二人とスタッフが負傷。 

(産経ニュースの記事へのリンク)




このニュースも、武器の選択が恐ろしい。

メンバー2人は当然裂傷、
 

さらに打撃のあげく、指に骨折まで起こしている。











『犯人の「武器」が、刃渡り50cmののこぎりだったそうです。』


『のこぎり?』


『…はあ。』


『柄の部分は折りたためるとしてもよくもまあ、
 

そんな凶器が持ち込めたもんだ…』


『ですからAKB握手会は当面中止、と。』
 

(産経ニュースの記事へのリンク)










『しかし、この事件で恐ろしいのは、  

凶器がのこぎりだってことだよなあ。』


『どういうことです?』


『どんなのこぎりか知らないが、
 

のこぎりの刀傷は  

整復できねえんだよっ。』


『まあ、受傷の様子は公開されないでしょうが…』


『秋元靖は、YES!高くていいから、
 

ということで形成手術を依頼するだろう。』


『YES!治りませんかね。』


『あほう、のこぎりっていうのは、
 

刃先が互い違いに左右に開いている。』


『傷口が広くなる?』


『その上、ぎざぎざだ。傷面なんかぐちゃぐちゃだろう。』


『…そんなファンの希望を奪うとうなことを言わなくても。』


『そこそこきれいに整復し、
 

舞台や握手会ではファンデーションを塗るとしても、  

20前後の女の子で、しかもアイドルだ。   

どうしても「そういう好奇の眼」で見られるだろう。』


『当面参加しないとは思いますが…』


『それならそれで、アイドルとして痛手だ。 
 

犯人にどこまで知性があったか知らんが、  

狙ってやったんなら、これは悪質だぞ?』















うー、病み上がりに書く原稿じゃないね。























では『今日の、間違った武器の使い方。』













忠臣蔵、松の廊下で小刀を振りかざし 
 

『殿中でござる』と、抱きとめられる浅野内匠頭。 

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演じているのは

オードリー春日







     

この人は、松の廊下で吉良上野介に小刀で斬りかかった、
 

とされている。


この刀の実物は遺されていないらしいのだが
 

この画像のように『白鞘』だったのだろうか?


白木でできた柄に鞘、という刀。

 

『白鞘』とよばれる短刀は切腹に用いられるのでもわかるように   

『必死、必殺』を意味する凶器である。


1960年、演説中の社会党委員長、浅沼稲次郎刺殺事件で
 

犯人の山口二矢(おとや)が犯行に用いたのも、  

この白鞘だった。










従って、レプリカでも、これをぶら下げて街中を歩いていたら 

いまでも確実に職質を受ける、というくらいに 

恐ろしい武器なのだ。

 

そういう意味で、記号的な凶器、でもある。


京都、奈良で、頭の悪い童貞が
 

木刀や摸造刀を持つことは許されても、 

こんなわかりやすい凶器を持っていることは許されない。

 

うん、まあ刀を持っている時点でだめなんだけどね。


こんなもんを懐に呑んで儀式に臨んでいたなら狂気の人だ。 
 

そのくせ、内匠頭、武器の使い方をまるで知らない。


こいつ、吉良上野介が 
 

松の廊下で旗本、梶川某と話をしているところに   

背後から近づいたまではいいとして、(いいのか?)   

肩を掴んで振り向かせ真向正面から一太刀浴びせる。


烏帽子の金具にあたって体をかわされると
 

背後から袈裟がけに一刀。


ところが上野介が悲鳴をあげてよろよろと逃げるのを見て
 

『まだ浅い。』と見るや、さらに、と振りかぶったところで  

画像のシーンとなる。

 

 

 

 

 

 

 

『殿中でござる。』   

『武士の情け、せめてあと一太刀…』









刺しゃあよかったんだよ。


小刀、というのは刺すものだ。



一騎打ちになった騎馬武者が、どう、と馬から落ちた時に

鎧の隙間から、ぶすりと刺すのだ。 

そのうえで柄を回したら完璧だ。(なにが?)


だから鍔がない。

 

刀での戦いを想定していない。

敵の刀を発止と受けたら、刀身を走った敵の刀が

すぐに柄に降りて来て 

5本の指をうぞぞぞぞーって、

うわああああ、痛い。






ふう。









武器の適材適所、という話、ですよ。




戦艦大和は、戦争がなければ『抑止力』として

アメ公をビビらせていたはずなのだが、戦争始めちゃったら

案外使い道がなくて負けた。


ヒロシマ、ナガサキ以降、

核兵器は非常識に巨大化して使えなくなった。












空母を持った中国が、おもちゃを手にしたガキのように

南シナ海や東シナ海で好きなことをやっている。


奴らに武器の使い方を教えてやれ。 

もちろん尖閣諸島に上陸した際に  

叩きのめす授業料、として。 

 

 

 

 

 

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しばらく休んでいてこれかよ、というと  

心も体も荒れちまってるからで、 

ゆやーんゆよーんゆやゆよーんだ。

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2014年6月 2日 (月)

やっほー

やっほー。

 

死んでないです。



とりあえずそれだけ。




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