本能寺の跡が変
明智光秀がぶち切れて、
京都の本能寺にいた信長を討った。
1852年6月21日のこと。
(Wikipeddia 本能寺の変)
本能寺というのはいまでもあって、
こんなに立派。
面してます。
もちろん、ここまでは確信犯で書いていて、
信長が討たれた本来の本能寺は、
いまの位置よりも少し西にある。
(今の本能寺は秀吉によって
移転させられたもの)
でも、このいまの本能寺がある寺町通りには
香や書画道具を扱う鳩居堂や、
戦前からのギャラリー、古書店
いつから時計が止まってるんだ?という喫茶店
なんかがあって、祇園のように観光地として
『記号化された京都』よりは好きだ。
でもまあ、このあたりも
結構な観光地なんですけどね。
で、本来信長が討たれた本能寺は、
今どうなっているのか、というと
こうなっている。
(信長茶寮 HP)
コスプレ、イベントスペース、食事処にバー。
カラオケ付きの飲み放題コースが5000円だと
知らなかったら喫茶店
掲示を見たらホストクラブ
泉下の信長公もがっかりであろう。
(ただし元本能寺というのは
べらぼうに広くて、こいつが面している、
西洞院通から堀川高校までの全部を含む。)
対して、信長を討った光秀は
大事にされているのか?
変なふうにいじられていないのか?
というと、
いじられている。
光秀君とひろこさん
福知山市観光協会の公式キャラクター。
『ひろ子さん』とは何者か、というと
光秀の奥さん。
ただし、煕子という難しい字を書くので
並大抵のパソコンでは変換できない。
(コピペしましたとも。
STAPわぁ、あります)
光秀だけでは印象が悪いと思ったのかなあ。
奥さんもキャラクターに入れた。
この二人が仲良しだったことは
確からしいのだが…
で、
何故福知山?というと、近世城下町としての
福知山を作ったのが彼で、
暴れ川だった由良川に堤防を築いて町を作り、
税金を安くして水運を活かしておおいに街を
栄えさせた。
従って、福知山市民にとっては、明智光秀は
いまでも神様である。
光秀が付け替えた由良川の河港から、
一直線に延びた広小路、という
町屋街を横断する大通りがある。
まあ、文字通り防火帯としての意味もあった
だろうが河から下りてくる丹波の、
そして日本海から上ってくる
全国の物産を集めた荷役場としても華やかに
にぎわったはずだ。
で、
その『広小路』の正面に御霊神社というのが
あって、その祭神のひとつが光秀だ。
感謝されているらしい。
うー、この街は出石と同じく、
学生のころ1年くらい通って街の歴史を調べて
大きな街だから銭湯とダイエーはあったけど
お金はないから車で寝ると、
すごいさむかったのー。
いくらでもしゃべりたいなあ。
福知山は水害の街なので、
歴史的に貴重な建物、というのは
この御霊神社周辺ではほとんどないんだけど、
なんか、たたずまいがいいのよ。
なみの伝建地区よりもいい。
人がいないのもいい。
あ、いや。
では、『今日の信長。』
光秀くんとひろ子ちゃんも有名な漫画家が
キャラクターデザインをしたらしいのだが、
あの間抜けな顔は、
なんとかしてやれないものか?
対して、冒頭の信長茶寮では、
館内でケータイに登録すると
いまをときめくAR技術で
こんなかっこいい人が案内してくれる。
本家の本能寺公認
だそうです。
誰だ?お前…。
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