ビートルの日
7月3日は、
フォルクスワーゲンビートル・タイプ1が
発表された日。
つい最近まで生産されていた
この車の生産開始は1938年のこと。
1938年?
その後も2003年まで中南米で
子会社やライセンスでの生産が続いた。
累計生産台数、2150万台。
長い歴史のなかで、ビートルは
マイナーチェンジを何度も繰り返している。
マニアは、リアの窓やランプが小さいと、
あの時代だよねー。
フロントウィンドが平らなガラスは超古いよねー。
(もうそんな車走れません)
ということを言うのだが、
基本的なシルエットは65年間一緒。
『カローラ』とか『スカイライン』とか、
同一ブランドで長期間生産された車は、
世界中にいくらでもあるのだが、
これほど同じシルエットで
2150万台って、すごいな。
世界最大の自動車メーカーのトヨタの
国内生産台数が、年間で300万台だから、
その恐るべきを推して知るべしであろう。
(トヨタ自動車 HP)
まあ、海外生産合わせると900万台なんですけどね.
この車には『ヒトラーがポルシェ博士に
作らせた』という 歴史がある。
なんだ?その安物のSFの悪魔の邂逅の
ようなシチュエーションは、
と思うだろうが事実である。
政権を握ったヒトラーは、
いきなり独裁者だったわけではなかった。
彼は、国内にあふれる失業者を
なんとかしないといけなかった。
そうしないと政権が転覆させられる危険性は
十分にあった。
そこで、国中にアウトバーンの建設を命じて、
過剰な労働力を吸収する。
それはそれで成功するんだけど、
『道だけ作ってもしようがねえよなあ』という
当り前の理性が、まだ貴様にも
このころにはあったのか。
そこで、スポーツカーの設計者として
既に有名だった、 ポルシェ博士を呼んで、
『国民車』の開発を命じる。
『寒いドイツではラジエーター液が凍っちゃう
から空冷エンジンで』
『当然大容量な。大人4人乗れるように。』
『アウトバーン作ったんだから、
連続100㎞/h以上で走れよ』
『あ、だから、当然流線型な。』
『それと、国民車なんだから安くしろよ。』
とまあ、むちゃな要求をだされるのだが、
ポルシェ先生はこれを達成。
従ってこの車はそのまんま『国民車』という
名前なのだ。
(Volkswagenという単語は
直訳すると、そういう意味です。)
さらに、これはポルシェ先生の好みで、
リアエンジン・リアドアイブという
最近の車ではあまり見ないスタイルを採った。
(従って、ポルシェ博士が作った、
スポーツカーのほうのポルシェも、RRである)
つまり後ろにエンジンが載ってるわけで
フロントのボンネットの部分には
スペアタイヤが入っている。
学生の頃、友人のO君がこの車を借りてきて
かっこよくボンネットを開けたら
『うぉっ、エンジン落とした』って、
そんなわけあるか。
ハンドル越しのこの写真が
一番有名なんだけど
すげえマッドサイエンティストくせえ
で、
この車が、いかに偉大であるか、なんて話を
私ごときがしたって仕方ないよな。
え?そこ、あきらめるの?
と思うだろうが、そうだとも。
でも、まあ世界中の車に影響を与えた。
1938年生産開始、と言ったところで
翌年にドイツ本国が戦争になだれ込み
1945年の終戦までは、とても『量産』という
ことにはならなかった。
しかし先進的な設計と、頑丈さと高速性能は
戦後、よろよろと現れてきた『戦勝国』の
車よりも進んでおり。
しばらくは、優位を保った。
しかし、この車の生産時期が伸ばされたのは
『ファンがいる』ということもあったけど、
後継車種を生みだせなかったからだ。
1960年代後半になると、小型車に関しては
『水冷、FF』というのが世間の当たり前に
なってきていた。
そして、いくらなんでも狭い。
さらに、排ガス規制の問題も起きてくる。
しかもワーゲン社は、
またポルシェ先生に依頼しちゃうもんだから
後部座席の下にエンジンを置くって、
おまえ、どんだけRRが好きなんだ?という
車を開発するが
さすがにこれは没になりFF横置き4気筒
という、いまなら当たり前のレイアウトに
収束していく。
ワーゲン社が、FFの後継車、
ゴルフを生みだすのが1974年。
しかし、ビートルも人気があったので
西ドイツでも1978年まで生産。
メキシコやブラジルでの生産が終るのが2003年。
これはこれで懐かしい
さらに、べらぼうな生産台数の中で、
この車をカスタマイズする連中が現れ、
世界中のおもちゃになった。
御結婚前の秋篠宮殿下が、
こんなひょっとこなビートルにのっていたこと
天皇皇后両陛下と
礼宮殿下
そして、野次馬がすげえ
まあ、いまでも珍しくない車だとは思うんですが
確かに、走ってるのは見かけなくなったかなあ。
コレクターズアイテムとして秘蔵されちゃうのかな。
この車も、
日本人にとっては『昭和の風景』の
重要なパーツなんだと思います。
では、今日の、『エンドレスナイト。』
1980年代後半、ブラジルでの生産が終了
される時、 『正規ブランドのビートルが
手に入る最後のチャンスだ。』と
世界中が色めきたった。
日本でもそうで、当時大阪でやっていた
深夜テレビ『エンドレスナイト』という、
えーと、こんな番組。
こんな番組が
大阪にもあった。
で、
この番組で、『ビートル生産終了』
ということで、手を尽くして
これの『新車』をスタジオに搬入し、
豪快にも『視聴者プレゼント』にしていた。
司会のばんばひろふみが、
ものすごいテンションだったのを覚えている。
当時大学生だった、あたしは
(クリックしてくださいな)
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