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2014年8月の投稿

2014年8月30日 (土)

デング熱の猩獗地。YOYOGI・PARK

『オー、ワレワレハー。コレカラー、東アジア最大のデング熱流行の 

ホットポイント、ヨヨギパークに潜入しまーす。』


『ドキドキします』


『あの、Wikipediaにさえ 

「デングウイルスには、認可されたワクチンがない 

「デング熱に対する特別な治療法はないって

書かれるくらいの恐怖の伝染病。』


『もうちょっと言葉を選べよ、って思うんですけど…』


『オー、シカシ、われわれはすでにそのデンジャラスゾーンに 

踏み込んでますねー。』


『あのっ、あたしたち本当はアフリカの某国のテレビ局で

「エボラエボラってうるせえよ。」っていう番組なんです。』


『オーマタ、無駄に敵をツクリマスネー。』


『わたしっ。蚊に刺されないように

水銀軟膏を塗りたくってきたんですけど。』


『オー、遠目に見ると白人。ちかくば寄ってみると 

アフリカの民族舞踏に使うお面ミタイデスネー。』


がしっ


『あ、おまわりさんサーセン。ぶつかっちゃって。 』


『いえ、大丈夫でしたか?でもここ、立ち入り禁止区域っすよ?』


『水銀軟膏の仮面、剥がれちゃいました。』


『オー、マサニ。ミヤウチ・マター。』








『蚊に刺されたらだめなんですよね。』


『はい、ワクチンがない以上、罹患率は100パーセントです。』


『おっかない事言いますね、大丈夫なんですか?』


『なにが?』


『いや、いろんな意味で。』


『デングウィルスを持った蚊に刺されたら、ほぼ100パーセント

うつされます。』


『うわあ』


『しかし、たいていの健康人は、こんなの体内で叩きのめすので

8割は発病もせず、安心です。』


『では、致死率は?』


『2%から5%です。』


『死ぬのっ?』





















と、まあ。遠くの国の伝染病だと思っていたデング熱に

代々木公園で感染した人がいる。


デング熱の感染源は血液で 

それを媒介できるのは『蚊』だけだ。


だから、ということで、いま代々木公園では

網を振り回す、殺虫剤を撒く、と徹底的に『蚊の駆除』をしている。


だけど、今回、感染した3人は、 

おそらく一人の源罹患者、『症状が出ていない罹患者』の 

血を吸った蚊にまた刺されているわけだ。


患者と、加害者はすごく近くにいた。

蚊の行動半径を考えると、

200mくらいだったはずだ。

加害者と被害者がそんな近距離にいた。

少なくとも、そんな一瞬があった。


あこがれないけど。



加害者、というと気の毒だろうが

この、『元デング熱のウィルス保菌者』

自覚症状などなかったのだろう。

自覚症状がなければ、こんな、

『チブス・メアリー』みたいな人がいたら防げない。

(チブス菌の永久保菌者。しかも、こいつが食堂に勤めていたおかげで

累計50人の被害者と少なくとも3人の死者を出した。)


『地球温暖化で蚊の生育域が広がった。』なんて

訳知り顔で言うやつがいるが、今週は寒いぜ、日本。








防疫、って結構穴だらけなんだ。 

ということを今回の一件は教えた。


そして、ビオトープだなんだ、 

と言って、街中に中途半端な

水たまりをつくってきたのも 

この国である。

今年は蚊が少ないけどさ。






むずかしいねえ。



































では『今日の「狩人たち」。』






動画が取れなかったのでリンク先で見てください。

 

モンティ・パイソンですよ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm20891841








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2014年8月27日 (水)

スタバの隣は癪に障る

『日本で唯一スタバがない都道府県』ということで有名な 鳥取県。

東京には、新橋に出店している県のアンテナショップがある。 

実は、これの隣にスタバがある。 

で、この鳥取の方のアンテナショップが引っ越すことにした、 

というニュース。(朝日新聞の記事へのリンク)
                   

             

2014y08m27d_094701185


左が鳥取アンテナショップ

                 



                                                  

『お、なんでいなんでい、喧嘩かい?』


『「手狭になったから引っ越す」ってことらしいですけど。』


『だけどお前、上京した知事が、
 

「いつまでたっても来てくれないスタバの隣にいるのは 

未練がましいので、こっちから引っ越すことにしました」って 

言ったらしいじゃねえか。』


『この人ですね。(鳥取県議の給料は76万円)』


『こいつは気に入らねえが、
 

「スタバはないけど砂場はある」とか 

ちょっと塩っ気が効いてていいやな。』


『アンテナショップの引っ越しまでニュースになって

「鳥取=NOスタバ」っていうのが受けてるんなら、

もう、スタバ出店しないですよね。』


『鳥取県民もそれを願ってるはずだ。』


『山陰のライバル、だったはずの島根に先を越されて、

さらに島根は「出雲大社の式年遷宮でにぎわうだろう」と、

2号店までオープン。』

(スターバックスジャパンへのリンク)








『もう、だから、「鳥取にスタバが出ない」っていうことは、
 

鳥取にとってもスタバにとっても、Win-Winな関係なわけよ。』


『また使いなれないビジネス用語を使って…

鳥取のWinは何なんですか?』

                   

『だから、こうやってネタにできるし、鳥取だけの闇ブランド

STARBOXとか、SANDBAGSとか…』


『サンドバッグはいやだなあ…』


『もうすでにそういうパロディの店あるよ?』

                                                       
『鳥取のWinがわかるとしても、スタバのWinがわかりません。』


『でもLooserもいないだろ?』


『そりゃ出店しなきゃね。』


『あ、それを言っちゃあ…』

 

『あ…』






























では、『今日のホウキノクニカラ』











鳥取県倉吉市観光PRショートムービー ホウキノクニカラ

                 

                      
                  






















おまけ








主演の山本舞香さんは、こんな作品にも出ています。




すげー




               

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2014年8月26日 (火)

底辺からの脱出

全国学力テストの結果が公表された。 

都道府県別の成績では、かつて『小学校部門で最下位』だった 

沖縄県が、全教科で最下位脱出。というニュース。 

(読売の記事へのリンク)














それなら、結果はどうなったか、というとこちら。


                    

2014y08m26d_005846612











そんなわけで、変わって下位に落ちてしまった 

地域の皆さんは大変である。 

国語で愛知県が最低。(中日新聞の記事へのリンク) 

算数で滋賀県が最低。(京都新聞の記事へのリンク)

岐阜県が低位。(岐阜新聞の記事へのリンク)







トップを取っても大変らしい。 

(読売新聞 秋田県版へのリンク)


『家で自分で計画を立てて勉強しているか?』 Yes80%

『家で学校の授業の復習をしているか』 Yes90%


とか、ほんとかなあ?







ただ、これ。子供はほとんど意識していないと思うんですよ。
 

先生だけ神経質になってるとしたらいやだな。




『おらあ、来週から秋田さぁ研修だから。』


『いいなー。』

『なまはげ買って帰ってきてよ。』

『きりたんぽー』


とか、教育先進県に研修に行ったわけです。

沖縄なんかは、その成果が出て小学生は見事最下位脱出。












でも、これ『平均点』でしょ?


もちろん『群』として『全体をあげる』ということもあるわけですが、

『底の方の連中を集中して上げる、』ということもあって、

今回の学テでは、その傾向がみられたらしい。


もちろん、極論すれば

トップの連中だけ引き上げる

という方法もある。


平均点が上がるばかりではなく、エリートを育てられる。

平然と、そういうことをしている国は

横に隣に、いくらでもある。












そして、ガキども個々人は

『都道府県の名誉』なんか知ったこっちゃない。


そりゃ、点数が悪ければ、おかんに怒られる。 

でも、それ以上に

先生が怒るのは何故だろう。


校長室にまで呼び出されて、 

いつもはすっげー怖い担任の山中先生が 

ジャージじゃなくてスーツで直立不動だ。


山ほどの自習ドリルと、

おかんが判子を捺さないといけない

『自習記録帳』まで渡されて、

よほど腹が立ったんだろう、

校長先生は俺たちに椅子も与えないで、


『あんたんとこの馬鹿が

うちの平均点を下げてんですよ。』


といって、頭がつくくらい最敬礼しているおかんと俺を
 

汚いもののように校長室から押し出した。






アムネスティの連絡先ってどこですか?

(ここです。)










と、まあ。こんな話がないようにお願いしますよ。


なんだかんだいっても、成績公開には賛成だ。

それで、刺激を受けて沖縄が最下位を脱出したなら

それだけで意味がある。

『下位県』のローカルマスコミが騒ぎ、

それ以上に現場や教育委員会ではショックが走ってるだろうと思うと

それなりに効果はあるんだろう。


上に載せた寸劇のように、成績の悪い子に 

えげつない扱いをしないでほしい、とは思うが。





























では、『今日の一問。』















せっかくだから、今回出題された、小学生国語の

問題を見てみようじゃないか。

(文科省 平成26年度全国学力・学習状況調査の調査問題)

もちろんコピペだ。STAPわぁ、ありますってば。

2014y08m26d_153753375_2










































どうしても、アクロバットリーダーのコマンドバーが映りこむんだけど、

もういいや。



で、まあこの問題の正答としては3なんだけど、

普通の日本人小学生が、この状況で使うのは、

『山口さんも川島さんも、

どっちもどっちだ。』

という言葉だろう。








小学生が『五十歩百歩』なんて言わねえよ。


あほらし。







1.も間違っていないとは思う。

確かに弟にとっては、

五十歩百歩だ、と思う。

                 




                        
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2014年8月22日 (金)

アイスバケツは地球を救わねえよ。

氷水をかぶって、 筋萎縮性側索硬化症(ALS)のチャリティをしよう。



『氷水部分』要るか?と思うのだが、なぜかこれが

世界の『セレブ』の間で大流行。

(Wikipedia アイス・バケツ・チャレンジへのリンク)


なぜ氷水をかぶることがチャリティになるのか。

この、ドリフのコントみたいな動画をYou tubeで見て

『おー、ALSかわいそー。』ということになるのか。

全然わけわかんねえ。




『アイス・バケツ・チャレンジは、筋委縮性側策硬化症

(ALS)の認知を高め、寄付を募るための活動。』、だと。

それは構わないとしても、薄気味悪いのは、

氷水を被った人は、『次に被る人3人』を指名できる。


『指名された人は、おとなしく寄付をするか

氷水をバケツでかぶり、

それをソーシャルメディアに投稿するか、

もしくはその両方をやるか選択する。』

というのがルール、なのだそうだ。






うわあああ、きもちわるい。








公開のカツアゲ、あるいは

『不幸の手紙』。だよな。





               

 

『誰を指名した』、『なぜおれを指名しない』ということでも

騒ぎになるだろう。

秋元、相当額に来てるな。

 

(指名されても拒否することはできるらしいのだが、

世界中に公開される動画で地球に名前がさらされるのだ

断りにくいだろう。)

こんなネズミ講みたいな方式がまかり通るんなら、

ALSの人への同情は偏見に変わるだけじゃないか?



それでも世界では、この『悪魔のいいとも』

たくさんの人が水をかぶっている。





ビル・ゲイツさん。

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自作の氷水かぶり機

とともに






ソフトバンク・孫さん。

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何だよ、その子供プールはよ。








乙武洋匡さん

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あんた、体幹しかないんだから

ショック死するよ?












iPS細胞の山中先生

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STAPなんかぁ、ないんじゃあっ







そのほかにも、 

水はかぶらないけど寄付をしたオバマさんをはじめとして 

日本でも、超有名タレント、田村某などが氷水をかぶっている。







いずれ10年もしたら、場末のキャバレーで


『あっ、亮子の奴、

先輩を差し置いて氷水かぶろうとしてますぜ。』


『ふんっ、なんだい?氷水かぶって10年 

このあたしが、肺湿潤で死にそうなのに、 

それは何の嫌味だいっ?』


『ママっ。隣のラーメン屋の居候のアル中の

五郎太が水垢離をしていますっ。』


『なあんだってえ?』


『へへへ、お、おいらもさ、指名、を受けたんだよ。』


『誰からさっ.』


『西口のホームレスのキィ公だよう。』


『…な、なんでそんな奴からっ。』


『あはは、「3人ずつで10年だったら」

俺たちのところまで下りてくるわけよう。』


『…くっ。あたしは大統領と同じ時期に…』












あー、こういう体育会系の発想の運動っていや。

あるいは売名行為か?











ちなみに、この『運動』が始まったのは、今年の7月ごろ。

創始者のひとりコーリー・グリフィンさんは、

ビルの2階から深夜の海に飛び込んで死亡した。

8月16日に。

事故死、という報道が多いがどうでもいいや。

脊髄を折ったそうです。

享年27。











『先生、いま氷水を被るのがトレンディでしてな。』


『ほうっ、そうか。』


ばしゃー。


『う、うぐぐ。』


『よっしゃあ、心筋梗塞。』



























では、『今日の一枚。』







           





           

000000000000000000000000000000000_6



ふう












                           

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2014年8月20日 (水)

軽自動車でも車中泊

相変わらず『車中泊』は人気。

最近は、軽自動車をベースにした『軽キャンパー』という車が

人気なのだという。(読売の記事へのリンク)









さて、こういう始まり方をしたときは、 

ひどい着地の仕方をする、ということを、 

ええ、もう、この日記も憎まれ続けて7周年。 

愛読者の方はわかってらっしゃるでしょう。



まあ、まず図面をご覧いただこう。

もちろんコピペの図面だ。STAPわぁ、ありますっ。 

 

2014y08m19d_164501414

軽自動車の

最大幅員は

1480mm






軽自動車の最大幅員って、昔は1400mmじゃなかったか?

エンジンが550ccから660ccになった事は知ってたけど、

じわじわ大きくなってねえか?


そりゃTPPで、よその国から不満も食らうだろう。 

『その下の層』の受け皿、として、 

超小型車をつくるっていう発想は、 

なんか、うーん。おかしい。







で、まあ外形幅員1480mmのこの車の内法寸法は

どう考えても1400mmない。


文系の記者が書く記事は、こうやってスケール感を無視する。

たとえば、『肝心』のベッドの大きさがわからない。

一級建築士なめんなよ?


なにしろ『流し台』や『ミニ冷蔵庫』まである。

流し台、つったって、ママ・ナガシ(すごい商品名。実在しました)

みたいなもんじゃない。


              

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タオル掛があったり

流し台の横のスペースが

水切用に波型に加工されていたり、

絶妙に所帯臭いのが素敵

                     




                                          
この、おもちゃのママ・ナガシにしたって、奥行300mm近くある。

みなさんのご家庭のキッチンは、おそらく750mm以上。

上記の図面では、『ママレンジに毛が生えたようなもの』だとしても

横に冷蔵庫もあるので最低でも450mm以上。







そうなるとベッドの幅は900mmである。 

(半間、畳の短いほうの辺の長さ。)

大人二人、寝られるかあ?




『群馬県伊勢崎市の代々木守さん(仮名・58歳)は6月、

改造した軽キャンパーの購入を契約した。

夫婦そろって旅が好きで、

3月に会社を早期退職したのを機に

「宿や列車を手配する面倒がなく、

すぐ旅に出られる」車を買うことにした。…』















『あっついなー、もう。』


『な、なんだよ…』


『なんで真夏の夜におっさんとべったり

ひっついて寝なきゃいけないの?』


『新婚のころは一緒に寝たじゃないか。

「ポップアップルーフ」で星空も思いのままさ。』


『もう、あたしたち新婚じゃないのよ。』


『いいじゃん、一緒に寝ようよ。』


『いいから屋根閉めてクーラーかけろ。

さもなくば、どっかのSAのホテルに行くんだ…』


『…はい。』










これまでも、車中泊について罵倒し続けてきたが

経験がなくて言っているわけじゃないんだ。


いまから30年近く前、出石や福知山、姫路の

街の歴史を調べようと思って

姫路くらいだったら帰ってきますけどね、出石とかもう

すごいさむかったのー。







その時代からの『シャチュウハクリスト』なんだから、

ちょっとは年寄りの話も聞きなされ。


ああ、信濃橋さん、じゃなかった、原宿さん?

ああそうそう代々木さんは58だから歳上でらしたなあ。


『宿代や交通費が浮くので高いとは感じない」、っていうのは 

屋根が開く車に寝る度胸と、 

カラシニコフを持ってシリアに行って拉致されない、と思うのと 

どっちが危ないと思います?




その、安全に対する費用対効果の意識が

全然わかんねっすよ、先輩。




























では、『今日の「一緒に寝ようよ。」』





















うわあ、みんなわけー




                           

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2014年8月15日 (金)

おにぎり2万個マネージャー

いま行われている夏の甲子園大会で、

埼玉代表の春日部共栄高校が、強豪校を破ったんだけど、

そこのマネージャーが2年間で2万個のおにぎりを握っていた、

というニュース。

(日刊スポーツの記事へのリンク)











『……』


『……』


『なんなの?これ。』


『えーと、春日部共栄高校野球部のマネージャー

三宅麻未さんは、チームメイトのために

2年間で2万個のおにぎりを握り続けた、と。』


『…で、それが美談なの?』


『「チームメイトの体格向上が戦力強化のポイントだ。」

ってんで、毎日せっせとおにぎりをつくって、大人気。

めでたくみんなの体重も増えて甲子園出場にもつながった、と…』


『…へえ。』


『おにぎりも、毎日塩むすびじゃ飽きるだろう、と

味付けや具にも工夫…』


『いい奥さんにはなりそうだな。』


『しかもこの娘、入部した時に

ほかのマネージャーがいなかったんで

洗濯、掃除といった雑用から、おにぎりまで作るってんで

課題とか延長授業がある、頭のいい進学クラスから普通クラスに、

転科してまで握り続けた、と。』


『なにを?』


『おにぎりを。』















『「ところが、これを「美談として扱うのはおかしい」、とか

「女は飯炊き、だなんて性差別だ」とか、

批判もあるらしいです。』


『まあ、本人が望んでやってるんなら、別にどうでもいいけど。』


『しかも、彼女、そこそこ可愛いんですよ』


                 

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三宅麻未さん








『へえ…』


『これじゃ、野球部の童貞どもはたまらないでしょう…』


『胸はないな。』


『……』










『再来年あたりに、この「美談」が映画化されるんじゃないか?』


『タイトルは?』


『もし高校野球の女子マネージャーが

2年間で2万個のおにぎりを握っていたら。』


『パクリはどうも。』


『ライスボウル トゥエンティサウザンド』


『意味がわかりませんがな。』


『2マンコマネージャー』








『あのね?もう、いい大人なんですから、

瞬時に全地球に公開されるこういうツールで

そういった、禁じられた遊びをしないでくださいよ。』


『だけどお前、この子がそこそこ可愛いから

美談になっているんだろうっ。』


『そう、言いきっちゃうと、どうも…』


『これが

「硫黄島麻未」とかの名前の巨体ブスで、

全身からぶすぶす熱気を吹き出しながら

日産2万個のおにぎりをつくっていたら、

美談になるかっ?』


『……』


『……』


『そんなに食えないっすよ…』































では、『今日の、もしドラ』













『もしドラ』、と違って『原作』があるわけじゃないので 

実写版というのは、作りにくいだろうが 

漫画やアニメは、すぐに出てきそうな気がする。


         

2014y08m14d_233717279





漫画版もしドラ










『漫画に脚本がない。』という意味じゃなくて、

パソコンで動画が作れる時代、

キャスティングやら、版権やら、秋元靖やらが絡んでくる

実写版よりも、すごくあっさりとできると思う。


いま、日本中の食えない漫画家やアニメーターが

コンテを書いているはずだ。

            

 

 

 

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2014年8月13日 (水)

監視カメラの前には風船を

京大が、文科省から巨額の支援を受けていた『実験』で

人物認識機能、さらにそれを追跡できる機能を持った

高性能カメラを39か所に設置。

来客者には「実験中であること」などを 3年8カ月にわたって、 

まったく周知せず、無断で稼働させていた、というニュース。

 

(読売新聞の記事へのリンク)








『STAP以上にくだらねえっ。』


『これ、撮影してどうするんですか?』


『撮影された無辜の民を、服装そのほかでロックオンして、 

「うわあ、このおっさん1時間もブラジャー売り場にいるよ」とか』


『……』


『いいか、これをお読みの皆さん、これが設置されているのは 

京都市内の新風館という、再開発ビルなんで、

うんといたずらしてやろう。』


『いやいやいや、犯罪を誘発するようなことを言うなって。』


『犯罪じゃなきゃいいんだろ? 

「1000人割烹着隊」を編成して 

ときどき振り返って、「STAPわぁ、ありますっ。」っていって 

ずんずん進む。』


『カメラがその割烹着隊を追ってくれなかったら

意味ないじゃないですか。』








『別の服でもいいぞ?

この新風館とかやらに入ってくる人には 

天六で買ってきた、200円の「虎柄Tシャツ」プレゼント。』


『全員がそれだったら迷うかなあ。』


『だろ?それでそのうちの一人が熱中症の振りかなんかして 

アーケードの真ん中で倒れるわけよ。』


『そういう時、監視カメラは警報とか出してくれないんでしょうか。』


『出すわけねえじゃねえかよ。

有人で監視してる訳じゃないんだ。

目前の犯罪も、病気も知ったこっちゃない』


『そういう意味では、情報量が多いと、こういうツールって

ハンドリングできないから意味がないですよね…』


『周りの連中は、「おいっ、どうしたっ。 

黄色と黒は勇気のしるし じゃなかったのか?」

って、はやし立てる。』


『……』


『……』

















『しかし今回、京大は馬鹿だからばれましたけど、

もう、こういった技術は空港とか、国の重要施設とかでは

すでに実際に運用されてると思うんですよね。』


『永田町とか、 国会や在外公館があるエリアでは 

街区ごとやっていそうだよな。』


『おっかない時代ですよねえ。』


『むかし、景山民夫が、べトコンだったかの恰好をして

モデルガンを持って防衛庁の前で記念撮影をしたそうだ…』


『捕まらなかったんすか?』


『びっしりと、公安にマークされたらしいが。』


『……』


















この新風館に関しては、カメラの存在も数も、 

わかっているわけだから、うんといたずらしてやろう。』


『やめてくださいよ?カメラ壊したり、

レンズにスプレー吹いたり、ガっちゃんのシール張ったり…』


『お前、えげつないこと考えるなあ。』


『えっへん。』


『それよりも犯罪にならない方法がある。』


『なんです?』


『それぞれのカメラのレンズ前に来るように、

女の子が風船を持って立っている。』


『うわあ…』


『名付けて、カメラへの阻塞気球作戦。』


『まあ、ハラスメント、としてはありそうですが…』















『大体、この件に関する「京大のいい訳」が腹立つんだっ。』


『…はあ。』


『この実験を主宰していた、情報メディアセンターってとこの

センター長やらが、こんな言い訳している。』


『はあ…』


『岡部寿男・同センター長は「システム調整に手間取り、 

(「カメラ作動中」の)表示を忘れていた。

プライバシー保護が徹底されていなかったことを 

深く反省している(しかし) 撮影は今年度いっぱい続ける。」

だそうだ。』


『「カメラ作動中」っていう表示がなくて悪かったな。

でも、まだやるぜ?っていう、

ふてくされにしか読めませんよねえ。』


『あと補助金もらっちゃったから、年度中は稼働させないと

予算の関係もあってややこしい、とかいうことなんだろうが。』


『「無断撮影した映像は今後使わず、消去する」ってのは、

いままで撮った映像は消去する。ってことなんですかね。』


『注意を受けたから申し訳のようにつけた「カメラ作動中」っていう 

施設内でたった2か所の、注意書き掲示以前の画像を 

消去するってことなんじゃないの?』


『うーん?』


『つまり、「カメラ作動中」の掲示以降のお客様は、

30カ店舗の施設内での、たった2か所の掲示で

「ご了解した」ことになるんだよな?』


『もう、全館に、

「見てるぞ」とかいう掲示を出してほしいですよねえ。』


『この野郎っ。

あの「副センター長」は自殺して責任を…

とってないかもしれないと思うけど…』


『まあ、ねえ…』


『それなら「センター長」たる貴様もっ。』


『やめろって…』




























では、『今日の風船。』











風船を膨らませる。












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2014年8月 9日 (土)

忠犬ハチ公の日

8月8日は『忠犬ハチ公』の銅像ができた日。 

昭和23年(1948年)のこと。(Wikipedia 忠犬ハチ公)






渋谷駅前のハチ公像、といえば、待ち合わせの目印。

『ちーがう―の。モヤイじゃなくてハチ公。

あたし、ちゃんと言いましたからね。』

と、いまでも日本中のカップルの、…けっ。








で、

もうすぐわれわれが見ることができなくなるはずの

ハチ公像ができたのが、この日。

え?戦後?と思うだろう。

そして、見られない?という事実。

そこに、この犬と銅像の不思議な生涯の波乱が込められている。













ハチは1923年、秋田県で生まれた。


東京帝大の教授であった上野先生、という人が

『どうしても秋田犬を飼いたい。』、と秋田から

人を介して30円で彼を引き取った。


省線の初乗り運賃が、大人5銭という時代。

いまなら10万円くらいか?

さらに言えば、『金を出して犬を買う。』ということが

一般的ではなかった時代でもある。


しかし、一人暮らしだった上野先生は、ハチを愛したらしい。

ハチは、毎朝、出勤する先生を見送り

先生の退勤時間には、最寄りの渋谷駅まで迎えに行った。






まあ、ここであえて野暮なことを言うけど、 

敷地内で、リードも付けずに事実上放し飼いにし 

その犬が、てくてく渋谷駅にやってくるなんて 

今日では考えられない。


実際、上野先生の死後、

ハチは人を噛んだりすることもあって嫌われ

2度住居を変わっている。








しかし、上野先生との幸せな生活は1年余りだった。

先生は、講義中に倒れて、

そのまま病院に運ばれて死んじゃった。


その後、彼は、あちこちに転々と引き取られるのだが 

『なんだよっ。浅草なんて知らねえっぺよ。』 

ということで暴れ、結局は上野先生のところの 

植木を手入れしていた小林さん、という人に引き取られる。 

昭和2年(1927年)のこと。 

この人の家は、いまの渋谷区にあった。


それからハチの渋谷駅参りが始まる。

帰らない主人を待つ、ったって

そんなのよその人間にはわからない。

酔客にいたずらされたりしたこともあるらしい。










で、

このままだったら、たんに『改札の前にいる野良犬』である。

彼が、『忠犬』なった理由はなんだろう?


ここが一番わからないんだけど、
 

とりあえずWikipediaさんの言い分を聞いてみよう。



『一方、上野(教授)を迎えに渋谷駅に通うハチのことを知っていた

日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉は1932年(昭和7年)、

渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、

ハチの事を新聞に寄稿した。』



なぜ斎藤はそれを知っていた?

 

               

『これは東京朝日新聞に、「いとしや老犬物語」というタイトルで

掲載され、その内容は人々の心を打った。

有名となったハチは

「ハチ公」と呼ばれかわいがられるようになる。』、とな。


斎藤先生は『病気療養中に出会った日本犬の影響を受け

1928年(昭和3年)7月、日本犬の調査中に偶然

ハチの存在を知る事となる。』って書いてあるんだけどさぁ、

なんか飛躍があるような気がする。




ともかく、新聞で紹介されたハチは、

上野先生とのエピソードなどが伝わるにつれ

『二君にまみえぬ忠犬』として、

戦前の世相の中で、

当然、ハチ自身が企図したものではない人気を得る。




別に彼に狙いはないか。

ただ、いじめられていた時代にも変わらずに

渋谷駅に通ったことを見ると最初は、たんに『待つ人』

だったんだろう。


改札から上野先生が出てきたとしても

跳ねまわって喜ぶようなことはせず、おとなしく

先生の傍らを歩いたに違いない。








『二君にまみえぬ忠犬』って 

その時の飼い主の小林さん、面子丸つぶれだが。






ただ、本人、というか本犬が意図しないこの大人気は

彼の周辺を変えた。

まず、銅像が建つ。


昭和9年に渋谷の駅頭に建つ。

これを周旋したのが、ハチのことを新聞に投稿した斎藤先生。

Wikipediaでは、たっぷりの美談として書いてあるが

どう考えても、マッチポンプである。


なにしろ、この時まだハチは生きていて

彼は、自分の銅像の『建立式』に出席している。

普通、遠慮するだろう。





早速待ち合わせ場所、に使われたかどうかは知らない。

     
『ちーがう―の。モヤイじゃなくてハチ公。

あたし、ちゃんと言いましたからね。』


まあ、昭和9年にモヤイはないやね。









ハチの死は1935年(昭和10年)。 

晩年の様子を、宮脇俊三先生が『時刻表昭和史』 

という本に書いている。


昭和8年、宮脇先生が小学校に上がった時の記憶、 

既に、新聞で紹介されたハチが有名になっていた頃である。



『その渋谷駅の改札口の北側に接して小荷物扱の窓口があった。

出し入れする荷物の擦痕と柾目の交錯した厚い一枚板が

武骨に張り出していて、

その上に荒縄をかけた行李がドスンと置かれる。

駅員は荷札を確かめてから、引きずるようにして三和土の上の

看貫秤に手荒く載せる。秤が音を立て、針が大きく震えた。


昭和八年、その小荷物窓口の厚い一枚板の下に、

一匹の老犬が生気なく横臥していた。

白い大柄な秋田犬である。

肩や腰の肉は落ちて腹部の皮はたるみ、

眼は物憂げに閉じたままで、厚板の上に放り出された

荷物の音にも何の反応も示さない。

喧騒な渋谷駅前では、この一隅だけが老犬の存在ゆえに

静かに倦んでいた。』



老年のハチが、もはや改札口ではなく

小荷物のカウンターの下にいた理由について、こう記している。


『要するに餌の問題さ、と揶揄する人もおり、

そのほうが真実らしいことは私たち子供にも理解できた。』


実際ハチの遺体を解剖したら、胃の中から複数の

焼き鳥の串が出てきた。

客や駅員が、弁当や、焼き鳥を買い与えていたことも

当時から有名だった。







これに対して、Wikipediaが一生懸命反論している。

もう改行がめんどくさいのでコピペした文章をどうぞ。

STAPわぁ、ありますっ。




『ハチが毎日のように渋谷駅に現れたのは、

駅前の屋台で貰える焼き鳥が目当てだったという説もある。

一方、実際のハチには、この説と合致しない行動が知られている。

  • 屋台が出ない朝9時にも必ず駅に通っていた - 「ハチの渋谷駅へ行く日課は正確であった。小林宅を出るのは毎日午前九時ごろ。しばらくすると戻る。夕方は四時近くなると出かけ戻るのは午後五時過ぎから六時頃であった。 これは、上野が朝出かける時間と夕方の帰宅時間であった」[10]
  • エサを貰えるようになったのは、駅通いしていた9年間のうち、美談として報道されたのちの有名になった最後の2年間のみであった - それ以前は、駅員や焼き鳥屋、子供など駅周辺の人々から邪険に扱われており、時には暴力を受けるほどであった。
  • 上野に代わった飼い主・小林菊三郎はハチを大切に飼育しており、食事として牛肉を与えていた - ハチが空腹になることは考え難い[10]
  • 渋谷駅では屋台前ではなく、上野が出てくる改札口前に直行して座っていた。

また、ハチ公の美談を世に知らしめた斎藤弘吉は、

「有名になるといつの世でも反対派が出るもので、

ハチが渋谷駅を離れないのは

焼鳥がほしいからだと言いだす者が出た。

ハチに限らず犬は焼鳥が一番の好物で、

私も小林君もよく買って与えていたが、

そのためにハチが駅にいるようになったものでない…」と、

自身の著書の中で異論に反対している

(斎藤弘吉 『日本の犬と狼』 雪華社)。





『客や駅員、そして斎藤先生自身でさえが自分で買って与えた』

っていうのに、『屋台の前にはいなかった。』という

反論に意味はない。


『目撃者』である宮脇少年は、

ハチがもはや改札前にいなかったことを

はっきりと手触りのある文章で記している。

そして、晩年のハチは駅前で夜を過ごすことも黙認されていた。


後半の『斎藤先生の反論』は、もはやめちゃくちゃで

『ハチ公の美談を世に知らしめた斎藤弘吉は、

「有名になるといつの世でも反対派が出るもので…

犬は焼鳥が一番の好物で、私も…よく買って与えていたが、

そのためにハチが駅にいるようになったものでない…」』

というのは、あなたが世に知らしめたハチの、ひいては

自分の名声を失いたくなかっただけでしょう。


っていうか、

あんた自身、焼き鳥あげてんじゃん。



Wikipediaのこの項目は、斎藤先生の弟子、

あるいは日本犬保存会の人が投稿しているんだろう。







ハチは、そんな人間たちの思惑など、

おそらく知ったことはなく

1935年(昭和10年)に渋谷の路上で遺体として発見される。


享年、と言っていのか12年。

犬にしちゃ短いような気がする。


死因は癌とフィラリア(蚊が媒介する寄生虫)だからねっ

と、これもWikipediaさんが強烈に主張しているので

もういいや。







ただし、ハチの波乱な犬生はむしろここから始まる。



『忠犬ハチ公』の死が知られると、 

盛大な葬式が行われた。

坊主16人を動員し、兵隊の給料が10日で1円80銭だった時代に 

香典だけでその1万倍。




僕が死んだって…











ハチの死の時は、日本が戦争に突入していく時代でもあった。 

『忠犬ハチ公』は、愛国のシンボルになる。



従って、ハチ公の銅像は『出征』する。

なんのこっちゃ?というと敗戦間際の昭和19年に 

『金属供出』ということで、取り外されてしまう。


彼が『出征する時』、銅像にはタスキがかけられ、

万歳三唱とともに見送られた。


そういう儀式が必要で、

ハチ公像を知っている人ならわかるだろうが

あの程度の大きさの青銅を鋳つぶしたところで何にもならん。


実際、彼が溶かされたのは、玉音放送の前日、

昭和20年の8月14日だったそうで、戦争の役に立つはずもない。



うー、なんか気持ち悪くなってきた。










台座だけになっていたハチ公の銅像を再建しよう、

という動きは戦後すぐに出たらしい。


いや、8月15日まで取っとけよ、と思う。






それで再建されたのが昭和23年(1948年)。

われわれが目にすることができる、あの像だ。


ただ、このあたりの日付も臭い。





すいませんね、根性が汚くて。





1948年夏の時点では、東京裁判も終わっていない。 

建立直後の8月30日に、来日したヘレンケラーが 

焼き鳥をハチの口許に持って行き、 

『チキン、チキン、チキン』と叫んだという。(嘘です)





うん、こういう風に世界規模で敵をつくるのはやめよう…

でも、こういうニュースは『誰かの意思』が働いているんですよ。





しかし、東京裁判だ、公職追放だ、と騒いでいたGHQが 

『軍国日本のシンボル』みたいになっていた、 

ハチ公の銅像の再建を、 

この時期に許した理由がわからない。


Wikipediaの『ほら、GHQにも犬好きがいて有名だったし。』

という説明を素直に信じられない俺は、

汚れっちまった哀しみに、ゆよゆよしてやる…















しかしまあ、2代目の建立からでも66年。

渋谷の変わりように、ハチ公もびっくりであろう。

と思ったら、現在進行中の

東急・JR・メトロの渋谷駅再開発で工事期間中は、

ハチ公像が撤去されるかもしれない。

というニュース。(産経の記事へのリンク)






まあ、落ち着いたら移設されると思いたいが 

どこに行くかは、現時点では決まっていないのだ、と。


いまはまだ西口広場にいるはずのハチは

自身の身の上のめまぐるしさを、どう思っているんだろう。




 

00000000000000000000000000000000000


わん

























では、『今日のHACHI。』














2009年公開の映画だそうです。

 

 

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2014年8月 7日 (木)

立秋の日

8月7日は『立秋』


へー。



秋、かなあ。



暑いよ。



















では、『今日の一本』














                            







なんだよっ。泣いたっていいじゃないか…




                                                        

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2014年8月 6日 (水)

第五福竜丸の日(再掲)

3月1日は『第五福竜丸被曝の日』

(Wikipedia 第五福竜丸)

 

 

 

 

 

 

 

1954年のこの日、南太平洋のビキニ環礁で

アメリカが水爆実験を行った。

この時、付近で操業していた日本の漁船、

第五福竜丸が『死の灰』を浴びた。

 

2004年までに、乗組員23名のうち12名が死亡。

日本にとっては、『ヒロシマ』、『ナガサキ』に続く

第3の『核兵器による被曝体験』となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのときの水爆実験の写真がこれ。

(ブラボー実験)

 

0000_bravo  

 

 

 

 

 

 

 

アメリカは、1945年に原爆を開発してすぐさま日本に落とし

『核の独占』を実現する。

 

ところがソ連の核開発は急で、

原爆はアメリカの4年後、水爆は1年後に追いつかれる。

 

焦った上に水爆実用化の技術でソ連に先行されている

と思い込んだアメリカが行ったのが、この実験。 

 

15メガトンという破壊力は広島原爆の1000倍だ。

アメリカが行った核実験では、

公開されている限りこれが最大である。

 

(地球最大の核実験はソ連のツァーリボンバーで、50メガトン)

 

 

 

 

 

 

水爆の仕組みは大変ややこしいらしいのだが

計画前は4-8メガトンとおもってたのが爆発させてみたら

15メガトンだった。というのがWikipediaさんの言い分。

 

 

 

4メガトンの見積もりが

15メガトンになるかあ?

 

 

 

 

故意か過失かはよくわからないのだが、

この過剰な規模の核実験のおかげで

100マイル(1600km)避難させていたはずの住民にも

死の灰が襲いかかった。

 

  

0000_bravo2_3     

死の降灰範囲

住民が避難した島も直撃

 

 

 

 

住民ばかりか、付近で操業していた漁船にも被害が襲った。

そのうちの一隻が、第五福竜丸。

 

第五福竜丸は140tのマグロ漁船。

乗員は23人。3月1日時点で450tのマグロを収穫していた。

 

彼らだけではなく、前述した様に避難した島民や

付近を操業していた漁船の乗組員と

併せて数万人が被曝したとされる。

 

 

しかし、第五福竜丸は、何故か救援をもとめることなく

自力で航海して、3月14日に、静岡の焼津に帰港する。

 

 

 

 

 

 

 

 

第五福竜丸帰港を、直後に報じた記事を

読売新聞が公開しているので読んでみてください。

(読売新聞 昭和29年3月16日)

 

 

 

さすがは新聞社の公式サイトで、

拡大すると記事がちゃんと読めるだけの解像度なのがすごい。

 

 

 

『乗組員には海軍出身者が多く、核実験を目撃した自分達は

米軍に撃沈されるだろう、と無線も打たずに帰国した。』

とうWikipediaの記事と、

だいぶ温度差があるのがわかると思う。

 

 

そして、おそらく

『「大したことはない。」と言って

警察にも届けず、記者らにも

「なにを騒ぐのか。」といっていた…』

という読売の記述のほうが正しいような気がするのだ。

 

 

もっとも、(二人は入院したが、残りの21人が)

『”死の灰”つけ遊び回る。』

という見出しは悪趣味だが…

 

 

 

 

 

 

この時『遊び回っていた21人』に入っていたはずの

久保山愛吉さんが被曝後半年で死亡する。

 

彼の遺言、『原水爆による犠牲者は、

私で最後にして欲しい。』

という言葉は、日本の反核運動に火をつけた。

 

 

 

 

 

 

 

アメリカも、外国の民間人に被害が出たことに慌てた。

 

マーシャル諸島の土人くらいだったら、

金を握らせて黙らせるつもりだったかも知れない。

被曝の影響をチャンス、だと思ったかも知れない。

実際、住民の健康状態のチェックは今日まで行われている。

 

しかし日本人はやかましいから、困ったなあ、と

 

この国の恐ろしいところは行動が素早い事で、事故の直後に

『核問題でジャップに生意気なことを言わせない為の

アクション・プログラム。』というのを作る。

 

 

 

それに従って、日本政府に金を握らせて

『責任を問わない』という密約を行った。

 

そしてジラード事件の1000倍以上に当たる200万ドルを

『アメリカ政府の好意』として、つまり

『責任は認めないけど、ほら俺って優しいから…』という

ふざけた理由で、気前よく払って補償問題を片付けた。

 

そして、

『久保山さんの死因は原爆症じゃない』

『第五福竜丸は立ち入り禁止範囲の中で違法操業していた』

とまで言い出して

『僕のせいじゃないもーん。』という姿勢を貫く。

 

いまでも公式には謝っていない。

 

 

 

さらに、リンクしたように、この事件をスクープし、

『死の灰』という言葉を広めた読売新聞の

正力松太郎を丸め込んで

『原発推進キャンペーン』を始めさせた。

 

 

 

 

 

 

大人って汚い…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、『遊び回っていた』かどうかはともかく

第五福竜丸の船員が、少なくとも被曝直後には

事態をそれほど重大に考えていなかったのは確からしい。

 

 

その証拠に、

彼らは現場海域からは離れたが

マグロはきっちり持ち帰った。

 

そして、船速5ノット(9km/h)という、

マラソン選手の半分以下のスピードで、2週間かけて帰って来る。

 

 

 

阪神大震災の日に、スーツに着替えて出勤しようとした

私には、何となくわかる。

 

彼らも『日常の囚人』だったのだろう。

 

 

腫れ上がるケロイドも怖いが

収穫を捨てることは、もっと怖かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

第五福竜丸も、数奇な運命をたどる。 

死の灰をたっぷりかぶったのはこいつも同じで

測ってみたら放射能が観測された。

 

いまなら たちどころに撃沈されるだろうが、

5ヶ月間隔離されたあと、文部省が買い上げた。

 

アメリカは廃棄を要求したが

日本側が研究のために引き取った、と

Wikipediaには書いてあんだけど、

第五福竜丸展示館自身のコメントでは

その辺のことは、さらっと逃げている。

 

『東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を

実物によって知っていただくとともに、

原水爆による惨事がふたたび起こらないように

という願いをこめて、この展示館を建設しました。』

 

アメリカとしては、接収して自分で調べたかったのだが

2年前に独立させちゃったからそんなこともできない。

『調査』という名目で国に管理させ『補修』の時にはがした

被曝材のデータを手に入れるつもりだったんじゃないか?

 

 

 

 

 

大人って汚い… 

 

 

 

その後は2年かけて除染・改装された。 

そして名前を変えられて、

10年以上東京水産大の練習船として使われている。

 

由来については知られていたはずなので

『残留放射線が…』とかいいだして、 

いまならご父兄も反核運動家も黙っちゃいないだろうが

『海の男の卵』たちは、結構おおらかだったらしい。 

 

 

そして、老朽化すると夢の島に捨てられた。

この船の歴史的な価値を知らななかった訳はないと思うのだが

この辺も、大人の事情なんだろうか?

 

1967年に、都の職員によって『再発見』され、

いまは、夢の島の第五福竜丸展示館で公開されている。 

 

 

 

ところが、築45年のこの展示館も

老朽化してどうしよう、ということになっているのだそうだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本にとって、『第三の被曝事件』であることは間違いはない。、

しかし、それだけではないんだと思う。

今回の原発事故の騒動の要素がすべて入っている。

 

 

今日の状況と重ねると、

いろいろと考えさせられる事件なんじゃないでしょうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

第五福竜丸が持ち帰ったマグロを埋めた跡に建てられた

『マグロ塚』の碑。

 

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彼らが持ち帰ったマグロから、微量の放射能が検出された。

マグロは市場に出ることなく、埋設処分されることになった。

 

 

これは、埋め立てた場所に建てられた碑。

 

 

 

 

ケロイドに苦しみながら

船とともに持ち帰ったマグロは、

結局、売ることはできなかったわけだ。

 

 

 

むしろ、『太平洋の魚は危ない。』という風評が立って

魚介類の消費が激減した。

 

 

 

 

どこに捨てられたかというと、築地市場で

2006年、地下鉄工事に際して、

現場が掘り返されることになったために、

この碑は現在、夢の島の展示館の前に移設されている。

 

この地下鉄工事の時、

『現場から放射能マグロが出るんじゃないか?』

ということで、『掘削反対』を叫ぶ連中との間で

一騒動あった。

 

 

 

結局、放射能は出なかったそうである。

 

 

どうも、いろんなものが重なって見えてくる…

 

 

 

 

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なぜ8月15日になったのか?(再掲)

8月15は終戦記念日。 

昭和天皇が、日本がポツダム宣言を受け入れて、

無条件降伏をするという事を国民に伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

 

ここに至るまでの経緯を簡単に書いておきましょう。 

日付は全て日本時間です。

 

 

 

昭和16年12月8日   真珠湾攻撃

昭和18年 1月     カサブランカ会談。

                (枢軸国に対する無条件降伏要求の方針が決定)

       9月 6日  イタリア降伏

       11月     カイロ会談

                (この会議で尖閣諸島は俺のものになったとか言う

                 奴がいるが毛沢東なんかよばれてねえだろ?)

昭和19年 7月22日   東条内閣総辞職。小磯内閣成立

昭和20年 2月     ヤルタ会談

                (ソ連の対日参戦が決定。この会議で決まったから

                北方領土は俺のものとか言うが、うるせえよ。)

      4月 5日  ソ連、日ソ中立条約の更新をしない旨を通告

                (条約はこの日から1年は有効)

      4月 7日    鈴木貫太郎内閣成立。 

      5月 7日    ドイツ降伏

      6月22日   ソ連を介しての和平工作が御前会議で決定      

      7月17日  アメリカ、原爆実験に成功。

      7月26日   ポツダム宣言が米・英・中によって発表。

      7月27日  政府がポツダム宣言の存在を国内に公表。

      7月28日  新聞各紙がポツダム宣言を『笑止』と報道

              鈴木首相がこの宣言を『黙殺』すると会見

              同盟通信(現在の共同通信)がこれを

             『ignore it entirely(完全に無視)』と報道。

             外電各社は『reject(拒絶)』 と報道。

      8月 6日   広島への原爆投下

      8月 9日   長崎への原爆投下

                中立条約を無視してソ連が参戦。

      8月11日   『国体護持』を条件にポツダム宣言受諾を回答

              アメリカは、これを拒否。

      8月14日  御前会議。ポツダム宣言受諾を決定。               

              中立国を通じて無条件降伏を回答。

              最後の本土空襲。

                (大阪、秋田伊勢崎熊谷小田原岩国に空襲)

              宮城事件

                (軍の一部によるクーデター未遂事件。15日未明まで)

      8月15日   玉音放送

      8月16日  大本営が戦闘行為の停止を命令。

      8月29日  ソ連、択捉島侵攻

      8月30日  マッカーサー厚木上陸

      9月  2日  日本降伏

            (東京湾上の戦艦ミズーリで日本全権、外相重光葵と

                連合国総司令官マッカーサー並びに連合国代表団が

                降伏文書に署名。  これにはソ連も署名している。)

      9月  5日 露助、北方領土占領。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の話は、なんでこんなに『降伏』が手間取ったのか?

ということ。

 

どこでやめていたらいいか、を後世の人間が賢しらに

言うのは、歴史に対して失礼だろう。

 

しかし、勝っているうちにやめておけば、

せめてサイパンの時点で戦争をやめておけば

本土空襲も、フィリピン戦も、沖縄戦も防げたんじゃないのか?

 

ポツダム宣言を受諾するのに3週間も掛けなければ

原爆も、シベリア抑留も、北方領土問題も防げただろう。

 

 

とは、どうしても思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

はあ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本が勢いが良かったのは開戦半年のミッドウェーくらいまで。 

ソロモン海の海戦ではかろうじて五分の戦いをしたが 

もう、後はだめ。 

 

負け戦になると

東条は首相、陸相を兼務した上に参謀総長まで兼ねる。

 

五・一五事件や二・二六事件で総理をぶち殺しても守りたかった

『行政からの統帥権の独立』という事を自ら平然と覆す。

(もっとも東条は二・二六事件の一派を嫌ってはいた。)

これで勝つならともかく負け続けた。 

これだけで万死に値するだろう。   

 

 

 

 

 

 

ガダルカナルで負け、マリアナで負け、サイパンで負けて、

東条英機は引きずり下ろされた。   

 

しかし、その後もこいつは「総理経験者」として 

重臣会議に残り、後継首班に口を出す。

 

しかし、こいつが推した小磯内閣でも負け続け

フィリピン、硫黄島を失って沖縄に上陸されると

『講和派』で海軍出身の鈴木貫太郎が首相になる。

 

日本海海戦の時に中佐で駆逐艦隊を率いていたこの人は

海軍大将まで昇ったあと現役を退き、

昭和天皇の侍従長を務めている時に

二・二六事件で襲撃を受けて重傷を負った。

 

 

 

高齢を理由に首相就任を固辞するのだが

『非陸軍』が必要だ、という事で担ぎ出される。

陸軍のクーデターを恐れた近衛文麿などが強力に推進して、

二・二六事件で銃弾を浴びた、この老軍人を首班にした。

 

華族なんて人間の屑である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴木貫太郎は千葉県の偉人であり

二・二六で銃弾を浴びても

自らの身命を惜しむ人では決してなかったが

『陸軍のクーデター』は恐れた。

 

 

議会は機能せず、憲法も麻痺しているが

東条を引きずり下ろす程度には、まだ日本は健康だ。

 

 

 

しかし、クーデターが起こったら

そうはいかない。

 

 

 

彼は、自分が『終戦担当』であることを自覚していたが

陸軍との関係で余程慎重にやらなければ行けない事も

知っていた。

 

ただ、既に連合軍、というよりアメリカのルーズベルトが

『無条件降伏主義』というのを打ち出していた。

昭和18年のカサブランカ会談から 

このおっさんはこれを強硬に主張した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ先に適用されたのはイタリア。

 

第二次大戦のイタリアというのは、ジブリがどういおうと

死ぬほど情けなかった。

独ソ戦でへろへろになったスターリンが

『西ヨーロッパに第2戦線を作ってくれよ。』と米英に頼み込む。

具体的に、それはフランス上陸、という事だったのだが

なるべく露助とナチスで殺し合いをさせた方がいい、という

残酷な判断によって、米英軍はドイツ軍よりも遙かに弱い

イタリアのシチリア島に上陸した。

 

イタリアはあっさりと動揺し、

1943年の7月にムッソリーニは解任される。

 

代わりに国王から首相の印綬を貰ったのが陸軍のバドリオ。

 

この詐欺師は、ヒトラーに対しては

『いやあ、もうムソリーニなんてあきまへんわ。

わてがあんじょうやるさかい、一緒にルー公やチャ-チルを

キャン言わしましょうぜ。』とペラペラしゃべる一方、

中立国、スペインの大使館を通じて

連合国と降伏条件を探った。

連合軍も一応攻撃の手を止める。

 

最初は、『戦前のイタリア植民地、

つまりリビアとかエチオピアとかソマリアの権利を認めてくれよ。』

と眠たい事を言い出して、あっさり拒否されると

条件闘争に移り、最後は

『おれと国王を保護するためにローマの北に空挺部隊を

投入してくれ。』という保身だけの条件まで落とす。

もちろんルーズベルトは許さない。

『とりあえず休戦、という事なら許す。但し無条件に、だ。』と

 

連合国も、『こんな詐欺師につきあってられねえぞ。』という 

当たり前の事に気がつくとイタリア半島南部から上陸を始める。

 

結局この馬鹿の2ヶ月に及ぶ条件闘争は

ヒトラーにイタリア占領の準備をさせただけにすぎず、

アイゼンハワーが『バドリオなんかナチスに殺されても構わん』

と、約束のローマへの空挺部隊投入をやらず

粛々と上陸してくると

泡を食ったこのバド公はローマを捨てて

王様と一緒に連合軍に保護を求め、 

ドイツに宣戦する。

 

首相と王様に見捨てられたイタリア軍は大混乱に陥り

南下するドイツ軍に、たちまち武装解除された。

 

準備を整えたドイツ空軍は逃走するイタリア海軍の主力を追い、

世界初の誘導ミサイル、フリッツXで戦艦ローマを沈めた。

 

しかし、これだけあわあわしたイタリア首脳部は 

戦後、連合国からは何のおとがめも受けていない。

 

 

 

 

 

ドイツに対するニュルンベルグ裁判、 

日本に対する東京裁判に相当する 

『ローマ裁判』なんていうのは行われていない。

 

 

戦後の話になるが、バドリオと、国王エマヌエレ3世は

『ローマを捨てた』という事が批判されて

バドリオは政界から、

エマヌエレは王様から追われているのだが

それはイタリア国民の判断。

 

どちらも天寿を全うしている。    

エマヌエレ3世は亡命先のエジプトで。

 

エジプト?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の指導部が最期まで条件闘争をしたのも

理由のない事ではないのかもしれない。







さらに、軍部は

『負けは負けでいいけどさ、せめて一撃食らわせてからにしようぜ。』

と、ばくちから脚抜きできないサンピンのような

『一撃講和論』を抜かしたてる。


実際の日本軍は、サイパンでも硫黄島でもフィリピンでも沖縄でも

十分に奮戦して、米軍に、

彼らが予想した以上の損害を与えたのだが、

それは米軍の屋台骨をきしませるほどのことはなくて、

逆にその被害の大きさは、

『日本上陸の際の被害がいかに大きいか。』という話になって

日本への原爆投下を、今日でも正当化する理由になっている。

        

いずれもそれは、 

戦死者や空襲の犠牲者、被爆者に対する 

免責にはならないが。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、1945年というのは 

列国の戦争指導者が死亡、 

あるいは引きずり下ろされた年でもある。

 

4月16日に、アメリカ大統領F・ルーズベルトが死去。

 

ラジオ放送でヒトラーは罵倒の限りを尽くしたが

鈴木は、アメリカ国民に『哀悼の意』を表した。

 

これは世界の称賛を受けるが

後任はソ連に対して、より強硬なトルーマンだった。

こいつが、ソ連への牽制として

日本に原爆を落とすことになる。

 

 

 

その2週間後の4月29日には

ナチスに『救出』されて傀儡政権を担わされていた

ムッソリーニがパルチザンに捕まって公開処刑。

 

00000000000000000000000000000000000    

 

愛人クララとともに吊される

ムッソリーニ

ジ・悪趣味。

 

 

 

このことをラジオで知ったヒトラーは、

翌日の4月30日に自殺。

 

7月末にはイギリスのチャーチルが選挙に負けて

首相を降板している。

普通戦勝国の指導者なら人気があるだろうに…

 

ヨーロッパの凋落と、米ソ対立の構図は

容易に予想できた。

こうした事も、日本の判断を誤らせたのかも知れない。

 

 

 

そして結局、第二次大戦の主要参戦国の開戦時の指導者で

1950年までその地位にあったのはスターリンだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『終戦担当総理』であることを理解していた鈴木貫太郎は

就任後の早い時期から元首相の広田弘毅を 

駐日ソ連大使、マリクに接触させて、仲介の可能性を探る。

 

しかしどうもらちがあかない。

 

そこで6月の御前会議で直接モスクワと交渉する事を決定し、

スイスの日本大使館に訓電を送る。

 

もちろん、日本の外交暗号なんか、だだ漏れだったので 

たちどころに解読されて、トルーマンに伝えられる。

 

こいつは、この時点で

日本に継戦の意思がないことを

知っていたわけだ。

 

 

 

 

 

しかも、7月にポツダムで会ったスターリンが

『いやあ、ジャップの野郎俺に泣きついて来やがってよう。』

と、ぺらぺらしゃべってくれた。

 

スターリンは、ヤルタ会談でルーズベルトが約束した 

対日参戦と、見返りとしての 

北千島、南樺太などの領有の確認を求める。

 

しかし、この会談の最中に 

原爆実験の成功を知ったトルーマンは 

『もう、ソ連なんかいらないや』、と思っていたのだが、 

もちろんスターリンは

原爆開発の事なんか知っていた。

 

マンハッタン計画に

大量に送り込んだスパイによって。

 

 

ついでにチャーチルも知っていた。

 

 

220pxtrinity_shot_colorトリニティ実験

長崎に落とされたプルトニウム原爆 

広島のウラン原爆は

実験もしないで落としやがった。

『ガンバレル型』は簡単だからではなく、

ウラン235の分離はめんどくさくて

一発分しか持ってなかったから

 

 

 

 

この会談の後、対日降伏勧告、

いわゆるポツダム宣言が発表される。

(国会図書館 ポツダム宣言)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三項、『吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ

       日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク

       又同様必然的ニ日本国本土ノ

       完全ナル破壊ヲ意味スヘシ』 

 

 

脅しを掛けて、最終項で 

『日本国軍隊の(日本国の、ではない)無条件降伏』を 

勧告している。

 

これが『原爆投下の予告だ』とか言う奴がいるが

全文を見渡しても、そんな表現はない。

       

長崎のプルトニウム爆弾の実験は1回だけ

広島のウラン爆弾は実験もしていないので

威力がわからないばかりか

不発の可能性さえあった。

 

トルーマンは、原爆、という表現を巧妙に避けたのだ。

 

 

 

 

 

受け取った日本も、

アメリカが原爆開発をやっている事は知っていた。

なにしろ日本だってやっているのだ。

 

しかし『二号研究』では

一年以上分離筒を稼働させてもウラン235の濃縮は出来ず、

戦況を考えても 

アメリカが原爆を作り、

かつここで使ってくるとは思わなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、『日本国軍隊の無条件降伏』である。

 

『生きて虜囚の辱めを受けず。』とか

えらそうに言ってるんだから

陸軍なんか将校以上は全員死んでくれたらいいけど、

それは即ち

『国民を巻き添えに』ということに決まっている。

 

鈴木貫太郎は悩んだ。

このまま受け入れたらクーデターになる。

 

 

 

かといって公表しないわけにもいかない。 

彼は7月27日にコメント抜きで連合国から 

こんな宣言が出ているよ、と報道各社に伝えた。

 

 

 

 

 

で、

翌日の朝刊。

 

 

読売新聞。『笑止、対日降伏条件』

00000000000000000000000000000000000 

 

 

 

 

 

 

『老獪な謀略』

『戦争完遂に邁進』

『帝国政府問題とせず』

 

 

 

 

 

ちなみに、トップ記事ですらなく、中段の少し下にある。     

000000000000000000000000000000000_3        

 

 

 

紙面の全体

(クリックで大きくなります)
     

 

 

 

 

 

読売しか手に入らなかったがWikipediaによると

ほかの新聞も似たようなものだったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

で、

 

読売がこの責任を感じているのか、というと

まったく感じていないらしい。

2006年8月15日の読売新聞に

戦争責任についての社説があるので引用する。

      

ここまで見事に著作権を無視するとむしろすがすがしいと

思ってくれたらうれしいなあ、怒らないでね。と思うのだが

真面目な話だ馬鹿野郎。

 

太字にした部分に注目して読んでください。

 

 

 

 

 

 

(以下引用)

 

「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」

昭和天皇が1987年、「終戦の日」を迎えて詠まれたお歌である。

今年も「この日」が巡ってきた。

東京・九段の日本武道館で全国戦没者追悼式がとり行われる。

式典には、天皇、皇后両陛下とともに

国家三権の長である衆参両院議長、首相、最高裁長官が参列する。

日本国としての最も厳粛な行事である。

追悼の対象として、

いわゆるA級戦犯も排除されているわけではない。

 

他方では、なお、靖国神社へのいわゆるA級戦犯合

祀(ごうし)問題が国論を二分するような状況が続いている。

なぜなのか。

要因の一つは、「A級戦犯」が、軍事裁判(東京裁判)を行う

戦勝国によって類型化されたものであって、

戦争責任の所在が日本自身の手で

検証されなかったことにあるのではないか。

敗戦直後には、日本政府部内にも、

戦争責任を糾明しようという動きは、いくつかあった。

東久邇内閣の戦犯裁判構想や幣原内閣の戦争調査会などだ。

連合国軍総司令部(GHQ)の意向などによって、頓挫した。

読売新聞は、昨年の夏以来、東京裁判の「戦犯」概念とは

距離を置く形で、政治・軍事指導者たちの

責任の解明作業を続けてきた。

戦争への道を推し進めた責任、戦争を阻止できなかった責任、

戦争を早期に収拾できなかった責任である。

検証の対象期間は、日中戦争に先行して

1931年に始まる満州事変から、

対米英蘭(らん)戦争の終結までである。

この間の一連の戦争については、

いまだに呼称さえ定まっていない。

大東亜戦争、太平洋戦争、アジア・太平洋戦争、15年戦争……。

いずれも地理的、あるいは歴史経緯的に、

なんらかの難点が伴うためだ。

読売新聞は、これを地理的概念や歴史観とは関係のない

「戦争の期間」で括(くく)り「昭和戦争」と呼ぶこととした。

作業の内容は、これまで随時、紙面で報告してきた。

今日の紙面は、8月13日付紙面と併せ、

そうした作業の集大成である。

検証の結果、いわゆるA級戦犯の多くが

「昭和戦争」の責任者と重なった。

だが、重ならない例も多々あった。

たとえば、「A級戦犯」として絞首刑になった木村兵太郎大将は、

戦前・戦中の重要な局面で、

特段の責任を問われるほどの役割を演じた形跡はなかった。

また、同じく「A級戦犯」で、終身刑の判決を受けた

賀屋興宣蔵相には、日米開戦時の閣僚だったという以外の

戦争責任は見当たらない。しかも、開戦には反対していた。

 逆に、戦争を終結に導いた“功績”が

しばしば語られてきた鈴木貫太郎首相にも、

「終戦」の時期を先送りして

原爆投下とソ連の参戦を招いたという意味での

戦争責任があった。

重大な戦争責任がありながら、死去したがゆえに、

「A級戦犯」となることを免れた最高指導者たちもいる。

代表的な例が、自決した近衛文麿首相である。

決定的諸局面での優柔不断、判断ミスの連続で、

ずるずると軍部の主張に押し流された責任は、極めて重い。

松岡洋右外相も、日独伊三国同盟の推進・締結という

国際情勢についての誤断により日米開戦への道を開いた。

「A級戦犯」として起訴されたものの、判決前に病死し、

判決は下されなかった。

その他にも、いわゆるA級戦犯以上に

実質的な戦争責任があったのに、

訴追もされなかった軍事官僚たちがいた。

陸軍参謀本部、海軍軍令部の参謀である。

これら参謀の多くは、

軍事紛争拡大・開戦・戦争継続に向けて上層部を突き上げ続け、

時には越権行為まで犯しながら

300万人以上の兵士、国民の死に対して何ら責任を負うこともなく、

戦後、安穏に畳の上で死んでいる。

もちろん、「昭和戦争」の犠牲者は、日本国民だけではないが……。

戦争に至った経緯、その後の展開は、当時の国際情勢や、

それぞれに世界戦略を描く列強の思惑、駆け引きなどとも

複雑に絡み合っていた。

たとえば日中戦争で、米国は日米開戦以前から、

蒋介石・国民党政府に対し、

「援蒋ルート」を通じて軍事物資を提供し、背後から支援していた。

1939年に始まるソ連のフィンランド侵略に対し、

英仏はいったん対ソ遠征軍の派遣を決めている。

しかし、フィンランドがソ連に屈服したため、

英仏とソ連は衝突に至らなかった。

ソ連の対日参戦は、日ソ中立条約違反だが、

背景には、参戦を要請した米英とのヤルタ密約があった。

だからといって、そうした国際情勢への対応を過ち、

無謀な戦争を始めて日本国民と近隣国に惨禍をもたらした

政治・軍事指導者たちの責任を

曖昧(あいまい)にしていいわけはない。

その責任を日本自身の手で解明・総括しておかなくては、

戦勝国側の戦争責任や戦争犯罪を批判するのも難しい。

歴史認識問題の解決への展望は、そこからしか開けない。

 

 

 

 

 

 

笑止!

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ自らの『責任』に触れない。

 

 

 

で、

 

鈴木総理も『さすがにこのままじゃまずいぜ?』と

軍部そのほかから突き上げをくらって

その日の午後、急遽会見をひらく。

しかし、その会見では『共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、 

政府としては重大な価値あるものとは認めず 

「黙殺」し断固戦争完遂に邁進する。』

 

といっちゃった。

 

 

 

『黙殺』は日本の対外代表通信社である同盟通信社 

(現在の共同通信社)によって、 

『ignore it entirely』と訳されて、 

まだ『ignore(無視)』だけなら逐語訳としてあり得るのだが

(もちろん国家を代表する通信社なんだから

政治的な配慮をするべきである)

そのうえに『entirely(完全に)』とか 

余計な言葉をつけやがったもんだから 

外国の通信社は『reject(拒絶)』と

より過劇な表現をして収拾がつかなくなった。

 

 

 

戦後、鈴木はこの『黙殺発言』について大いに悔やんだそうだが

後の祭りである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、8月6日。

広島。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月9日、長崎。

 

  

 

この動画の中で、トルーマンがテレビを通して

国民に原爆投下の『正当性』を説明しているシーンがある。

(24分10秒過ぎ)

 

『…In order to saves

thousand and thousand young american people.』

 

このセリフが、

『アメリカは原爆投下によって、本土上陸作戦を行った際に

生じるであろう100万人の犠牲を防いだ』

という俗説の根拠らしい。

       

素直に『ミリオン』って言えよ。

 

 

 

 

 

アメリカが軍事目的で原爆を投下した、というなら

その目標が

 

軍港の呉ではく、

なぜ広島市街だったのか?

 

軍港の佐世保ではなく

長崎市街だったのか?

 

このことに、きちんと答えている文章にあった事はない。

 

 

 

うそつき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソ連参戦も8月9日。

ポツダム宣言の受諾が8月14日。

玉音放送が8月15日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の話に結論はありません。

 

読売みたいにあっさり『責任』が書けちゃう

気楽な脳みそが、うらやましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の「日本のいちばん長い日」。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クーデターを恐れた鈴木貫太郎の悩みは杞憂ではなく、

『ポツダム宣言受諾』の報が伝わると、

陸軍の中堅将校がクーデターを企画し、

実際に部隊を動かしている。

(Wikipedia 宮城事件)

 

 

 

 

 

それを描いた映画、『日本のいちばん長い日』

 

 

 

 

 

 

 

 

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松江市教育委員会の馬鹿 みなさん

『はだしのゲン』は残酷だけど

閲覧を規制しないといけませんか?

(中日新聞の記事へのリンク)

 

 

 

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2014年8月 4日 (月)

語るエンジン

ヤマハ発動機が、『バイクのエンジン音を翻訳する 

スマホ向けアプリを無料配信』というニュース。 

(読売の記事へのリンク)

(ヤマハ発動機 レヴ トランスレイター ダウンロードページ)











『……』


『……』


『く、くだらねえ…』


『えーと、「アプリでは、まず「クールな男性」「キュートな女性」など

6種類の中から、音声のタイプを選ぶ。」』


『ほう…』


『「エンジンの回転数や音色、時間、天候などに応じて、

選んだタイプごとの口調で表現してくれる。」、と。』


『たとえば?』


『「薄曇りの朝、オートバイを始動させた直後の場合、

「クールな男性」タイプなら「何とも退廃的な空の色だな」と表現し、

「キュートな女性」は「晴れでもなく雨でもなく女心のような空だわ」

1億種類以上のせりふでエンジンの「気持ち」を伝えてくれる。って。』


『長い長い長い。』


『ほんとにそんなセリフを聞いてから、

ドゥルンってエンジン掛ける奴いるんでしょうか?』


『これさあ、読売の記事のリンク先は表示したけど、

ここまでの、ほぼ全文コピペだよね。』



STAPわぁ、

00000000000000000000000000000000000
ありますっ




                       

『もう、この人いじるの気の毒だからやめましょうよ。』


『…キャラクターは6種類なのか?』


『記事によるとそうですね。』


『750ライダーのマスター、とかは?』


『あの人、「ふっ、ワカイっていいね。」しか

言わないじゃないですか。』












『どうやって反応するんだ?』


『「スマホをエンジンの近くにかざせば、」って書いてますけど。』


『じゃ、この人のバージョンは無理だな。』



                                   

000000000000000000000000000000000_3












『……』


『……』


『あたりかまわず敵をつくるのはやめましょう、ね?』


『…はい』


『さらにこのアプリがすごいところは、

「アプリは、エンジン音がはっきり聞こえれば、

モーターボートや発電機などにも反応する。 」って。』


『ふふふ…』


『…なんです?』


『ここまでの引用で、読売の記事完コピだな。』


『…あ』




SMAPわぁ

000000000000000000000000000000000_6合わせて200歳以上ですっ






『もう、短い記事は省略できないから嫌い。』


『しかし、お前よそのエンジンに反応するってんだったら、

暴走族が、みんなこのアプリをダウンロードして

野々村モードにすれば…』


『わーわーわーわー』


『「世の中をぅ」、「世の中をぅ」、「世の中をぅ」、の

大合唱の暴走族が国道で激走。』


『でも信号とかあるでしょう。』


『変えたいんですっ。』










では、『今日の「ヴォ」。』










                                        

 

                                      

『……』



『……』


『無駄にすごいな。』


『これ、「来春公開」以外、

一切有効な情報がないんですよね…』


『素晴らしい予告編だ…』






                                    
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2014年8月 2日 (土)

日出る処の天子、                   日沒する処の天子に書を送る、の日。

8月1日は、第2回遣随使が派遣された日。 

607年のこと。 (Wikipedia 遣隋使)



派遣したのが聖徳太子、国書を持っていったのが小野妹子。

その内容が、「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」

『日の出の国から、日没の国に手紙を送ってやる。変わりない?』

という、スパークリングなもの。


これに隋の皇帝は激怒したそうだが、

別に軍隊や空母や無人偵察機を送ってくるようなことはせず、

ちゃんと『返書』を送っている。



曰く

「皇帝問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命

臨養區宇 思弘德化 覃被含靈 愛育之情 無隔遐邇

知皇介居海表 撫寧民庶 境內安樂 風俗融合

深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉

稍暄 比如常也 故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意

并送物如別」『日本書紀』


えーと、

『遠いとこから、挨拶ごくろうっ』ってことらしい。

だから、ちゃんとした訳が見たかったら

Wikipediaでも見て頂戴よ。



煬帝いいやつじゃん。




まあ、この『日出處』、『日沒處』というのは

たんに東西を表す仏教用語だった、と

Wikipediaさんが必死で弁解しているし、

聖徳太子はいないかもしれないので、 

そんなこと考え出したら

歴史ってつまんねえよなあ。













しかし、いまや近習の粛正に追われる、きんぺーくんに

安倍さんがこういう『国書』を出したら痛快なんだけどな。

やっぱり大騒ぎなのかのな。


そんな『国書』を出したら世界史的に痛快だと思うけど。

中華インターネット界では、大騒ぎになるんだろう。




でも、面白いからやってみ?

中国が大好きな『前例』が

1400年前にちゃんとあるんだから。













200pxshinzo_abe_cropped



じっちゃんの名にかけて







                            

Nobusuke_kishi_01
じっちゃん、岸信介

60年安保条約結びました。

樺美智子がデモ隊に押しつぶされ死亡しても

私には“声なき声”が聞こえる


























では、『今日の一枚。』











天才バカヴォン・・・

000000000000000000000000000000000_4










『ヴォン』って



                    



                        

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2014年8月 1日 (金)

大正の日

7月30日は大正時代が始まった日。 

この日、明治天皇が崩御。

明宮嘉仁(はるのみやよしひと)皇太子が践祚

この日から、『大正』。




『大正時代』は1926年まで続く。

15年。短い。

大正って、どんなイメージなんだろう。




リアルタイムで大正時代を知っている人は、もう殆どいないだろう。

(大正生まれの人は、いるだろうけど)

大正元年は1912年。2年後に第一次世界大戦が起こって

戦場にならなかった日本は、4年間儲け続ける。

『成金』なんていう言葉が生まれた。

 

000000000000000000000000000000000_4


『暗くてお靴がわからないわ』

100円札に火を点けて

『どうだ、明るくなっただろう』


                    



                           

経済規模の小さい日本では、終戦の3年後1921年に

反動不況が起こって猛烈なインフレが起こる。

(アメリカでは1929年のブラックサースディから)


そして、1923年(大正12年)には関東大震災が起こる。

東京を中心に死者は10万人を超えた。

1918年からはシベリア出兵も起きる。



だからそういう意味で大正時代というのは

立て続けに起こった予想外の事態に翻弄された

慌ただしい時代に見える。

暗い時代のようにも見える。




どんな時代だったんでしょう。






大正デモクラシー、なんて言葉がある。

一応は普通選挙の制度ができて、

曲がりなりにも選挙による政権交代ができた。


米騒動なんてのも起こった。

人民による意見の発露、なんていういい方もできるが

単に貧乏だったんじゃないのか?


モボ・モガなんていう人たちがいる。

たんにファッションだともいえるが、

自由になった世相の反映でもあったんだろう。

 

000000000000000000000000000000000_3

これは21世紀の

リバイバル展というか

コスプレか?

 

 

 

ビアホールなんていうのが流行ったのもこの時代だ。



ダダイズムなんてのもあった。

関東大震災の焼け野原にMAVOという人たちが

好き勝手な建物を建てた。


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雑誌 MAVO












アール・ヌーボーなんていうのが流行ったのもこの時代。
                                                        

                                     
                           

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パリのメトロの入口

これは1900年築造だから

大正時代じゃないけど。

                          








                          


                             
明治時代は、『坂の上の雲』の時代だったんだろう。

『楽天家たちは…のぼってゆく阪の上の青い天に、

もし一朶の白い雲がかがやいて、それのみを見つめているとすれば

それのみを見つめて坂をのぼっていくであろう。』と

『坂の上の雲』のあとがきに書いてある。


明治時代って、そういう『かわいた昼間』のイメージがある。

坊ちゃんの、最後の対決の場面は朝なんだけど 

乾いた田舎道といい、まっすぐに晴れた空といい、明治。



結果を知っているから、昭和に入ると世界恐慌で、

軍部独裁で、戦争で、という悲惨な歴史だったことを知っている。

だから戦前は、夜のイメージがある。 

東京大空襲は真夜中だった。



その間にあるから、大正時代は『街灯が似合ってきた午後7時』 

という感じがする。


モボとモガが夕暮れのビアホールに立ち寄ってダンスする。

うん、そんな人いなかったと思うけどさ 

イメージとしては『黄昏』なんだよなあ。

アール・ヌーヴォーのくにゃっとした感じもそう。











これが戦後になると、

すかんぴんに晴れた午後のイメージがある。

個人的に記憶がつながってくる高度成長時代になると

なんか、『焼けたトタン板にあたった午後3時の日差し』って 

イメージがします。





それからバブルがあって、これも夜。

ディスコでひらひら踊る。

そうして、長い不況があって、



いまは何時っすかねえ。







そうね、大体ね…

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大体にもほどがある…


































では、『今日の一枚。』














大正11年から使われた、

赤玉ポートワインのポスター。

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なんか、もう、大正。





                        

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