ダライ・ラマ14世のリ・インカネーション
ダライラマ14世が、自らの後継問題について
『伝統である輪廻転生方式を採らない。』と宣言して、
中国がすげー怒ってる、というニュース。
(産経ニュースの記事へのリンク)
ダライラマ14世というのはチベット仏教の最高権威者であり
チベット亡命政府の元首である。
(ダライラマ14世のHPへのリンク-英語-)
そしてこのチベット問題というのが 死ぬほどややこしい。
以前チベットについても書いたことがあるんで
リンクしておこう。(中国国境紛争史)
清朝が滅びるまで、
チベットは実質的に中国の支配を受けていなかった。
だから、清朝が滅んだ時に『独立』を宣言するのだが
これはイギリスの逆鱗に触れた。
イギリスは『清朝の遺産整理』ということで
『シムラ会議』というのを開き
チベットを狙うロシアには、
モンゴルに対する優越権を認める一方
チベットに関しては、南京政府の宗主権を認め、
『高度な自治権』を認めた。
インドの維持に汲々としていたイギリスは、
ヒマラヤのむこうでもめ事を起こしてほしくなかったのだ。
清朝時代と同じようにチベット政府が自治すればいい。
と、恩を売ったように見せて、もちろんイギリスのことだから、
国境線なんかでは『マクマホンライン』を引いて
『実』をとっている。
この『高度な自治権』をめぐっての争いが、
ダライラマ14世の前半生である。
といっても、ここまでは怒られないだろう。
ダライラマ、というのは
チベット宗教における最高権威者の称号。
1959年の亡命までは、政治的にも実質的な指導者の地位にあり、
亡命政府ができると2011年までは、
そこでも『元首』の称号を保った。
2014年現在は、『チベット国民の守護者にして保護者であり、
チベット人のアイデンティティと統合の象徴である』
という人になっている。
ただし、この称号の継承者の選択方法は
日本人から見ると変わっており、
今回のトラブルのもとになっているのも
『ダライラマは転生する。』という建前があるから。
そんな、リ・インカネーションなことを言われてもと思うのだが
14世は3歳の時に、先代の遺骸が眠る地を指し示し、
先代が愛用した食器などの什器を並べ、
横に精巧な偽物を並べて、選ばせる、という「試験」を受ける。
うわあ、嫌味なことするなあ。とおもうが
いまのダライラマ14世ことラモ少年は
偽もんの食器を『きゃー』とか言って投げ飛ばし、 たかどうかは
知らないが、3歳の時にこの試験を突破。
めでたくダライラマ、となった。
彼は、当初中国と争う気はなかった、と思う。
蒋介石の国民党政権は根性がなかったので
チベットまで、実効支配を及ぼすことはなかったからでもある。
ところが、1950年に大陸での闘争に勝った毛沢東が
チベットに侵攻してくる。
これではかなわない。
1950年の中共軍は装備も士気も劣弱なのだが
10万人いれば10万挺の自動小銃がある。
ダライラマは面従する。
共産党主催の翼賛選挙に投票する映像が残っていたりする。
ただ、ダライラマは
『主権国家としてのチベット』はシムラ会議で否定された以上、
独立は国際社会の同意を得られないことを知っていた。
そうであれば、『高度な自治権』を確保することが
闘争の眼目になるわけだが、それが適用される
地理的範囲というのはどこまでか ということを曖昧にしたまま
1950年に中共軍が、チベットの首都ラサに侵攻してくる。
チベットは屈辱的な条件をのまされて、いったんは妥協する。
しかし、それが破綻して闘争が起こったのがチベット動乱。
『高度な自治権』を保証されなかった、
チベットの北半分と東部西部って全部じゃん。
つまり全土で反中行動が起こり、即座に中共軍が介入。
さらに、『本当の中核地区』であるはずの
チベット南部にまで侵攻してきやがって、ということで
ラサにいた、ダライラマ14世も生命の危険を覚える。
そこで、彼は数十万のチベット人とともにヒマラヤを越えて
インドに亡命し、インド北部に「チベット亡命政府」をつくった。
これが1959年。
さて、これがダライラマの壮大な賭けだった
と見てはいけないだろうか。
というのが、今日のお話。
だって、彼がチベットを出たら、
チベット人の後継者を探せない以上、
『彼の寿命が、チベット亡命政府の寿命』である。
『ダライラマ』という名跡が世襲でも、選挙によってでもなく
『転生』によって担保されるとしたら
1959年のチベットからの脱出は、
『生命をかけたチキンレース』だったのではないか?
とか書くと、うちの近所にひしひしと(自粛)
『亡命政府』と、さっきリンクしたダライラマ法王日本代表部
にも書いてあるんだけど、そもそも『亡命前』のチベットを
独立国として外交的に承認していた国はなかった。
さらに、1959年のダライラマのインド越境を
中国政府はもとより、受け入れたインド政府も
『政治亡命』とは認めなかった。
だから、彼が主宰するチベット亡命政府を承認している国は
インドも、日本もふくめて存在しない。
『国家って何だ?』っていう話である。
チベット蜂起への中共軍の弾圧から、彼が身を引いたのは
彼自身の安全のためもあっただろうが、
ダライラマという存在がチベット国内にいることで
これ以上起こるであろう、虐殺や略奪を防ぐためだったんだろう。
聖下の深慮を忖度してはいけないが。
そして、国際社会に中国の非道を訴えることで
中国国内にてんこ盛りにある民族紛争のなかでも
一頭、地を抜きんでる認知度を得させることだったのではないか?
だから、聖下の深慮を忖度するなってば。
もっともこれは成功し、
ダライ・ラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している。
もちろん、顕彰が目的ではないのは明らかで
『チベット問題』を、世界ニュースの舞台に上げた。
彼の『インド行き』を、ようインド政府も認めたなあ。
実際、これ以降中国とインドの外交関係は決定的に悪化し
1962年には、中国軍がカシミール地方になだれ込んできて
いまだに撤収していない。
(Wikipedia中印国境紛争)
そして、やっと今日の本題だ。
あ、まだ前振りっすよ。
ここまで書くのに四日以上かかってんだい。
何百頁の無駄な文章を読んできたことか…
一文にもならないのに…
でも、前、後編くらいに分けるか?
では、後編
『それなら、ダライラマのチキンレースの相手とは?
「共産党中国」がリ・インカーネーションにこだわる理由はなんだ?
「消されたもう一人のラマ」、とは?
いっそのこと、ワールドワイドに
ダライラマ探したらいいじゃん。』
お楽しみにっ。
ああっ、だからうちの近所に(自粛)
スコットランド独立の話とかも書きたいのになー。
では、『今日の赤ちゃん』
この中に、ダライラマの生まれ変わりがいますって
言われたとして、わかりますか?
目黒雅叙園っすね。
あきちゃんと、もえちゃんかわいー。
ぺたぺた歩くんだ。
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