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2014年11月の投稿

2014年11月27日 (木)

水素自動車の明日はどっちだ?           

トヨタが水素燃料電池自動車を発売、

というニュース。

(トヨタ自動車ニュースリリース。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『水素自動車ってなんです?』

 

『こういう話はトヨタ自身に説明して貰おう』

(トヨタ FCVの説明ページ)

 

『水素を燃やしてそのエネルギーを電池に

貯めて、走る?』

 

『燃やす、とは違うらしいんだが…

これもめんどくさいから

トヨタに説明して貰おう』

 

『水素って、そんなにエネルギーが

あるんですか?』

 

『福島で景気よく爆発したろ?』

 

『じゃあ、危ないじゃないですか。』

 

『そこなんだよなあ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

『さらに別の問題もある』

 

『別の問題?』 

 

『今度のトヨタの車は、

一回のガスチャージで800km以上

走れるらしいんだが、』

 

『神戸からだと、宇都宮くらい?。』 

 

『いま、日本に水素ガススタンドが

いくつあるか知ってるか?』

 

『市販してるんなら、1000ヶ所くらい?』

 

『12ヶ所だ。』

 

『へ?』

 

『東京に8ヶ所、愛知と大阪に2ヶ所ずつ。』

 

『じゃあ、九州の人はガス入れるために

大阪まで来るんですか?』

 

『往復でガスがなくなっちゃうよ。』

 

『むう…』

 

『なんとかせい、っちゅうことで、

トヨタをはじめ自動車メーカーや

ガス会社や石油会社が共同声明を出している。』

(水素供給インフラ整備に関する共同声明)

 

『誰に向かって言ってるのか、わかりにくい

文章ですねえ。』

 

『しかし例えば、建築基準法や高圧ガス保安法

なんかでは水素ガスは、危険物ちゅうことで、

ガススタンドが建てられる地域の制限が

きつい。』

 

『高圧ガス…』

 

『液体で保管したっていいけど、それも

危険物だし、

そもそも、零下200度に冷やしてたら

コストが合わん。』

 

『じゃあ、風船にして浮かべとく。』

 

『街中にヒンデンブルグ号を浮かべるような

もんだ。そっちの方が危ない。

超高圧にしてボンベに入れとかないと

街中には建たない。』

 

『アドバルーンにしたら、かわいいのに…』

 

『しかも空気が混ざったら、水になるか

爆発するかだから、

完全完璧に密封しないとフクシマだ。』

 

『じゃあ、その場で作ったらいいじゃない

ですか。「水素満タンっ」っていわれたら、

水を電気分解して…』

 

『水素ガスの「製造」は、もっと制限がきつくて

工業系の地域じゃないと無理。』

 

『それじゃあ、いまある12ヶ所はどこに

あるんですか?』

 

『大体、ガス会社とかの敷地の中だね。』

 

 

00000hyidero  

 

東京ガス千住事業所内の

水素ガススタンド

 

 

 

『そんなんじゃ、水素自動車を作った

ところで…』

 

『だから、建築基準法に関しては運用を緩めるらしいよ。』

 

『水素切れじゃあ、JAFも助けてくれない

ですしねえ。』

 

『それよりもな。』

 

『はい?』

 

『水素ガススタンドが出来る、なんて事に

なったら、近隣から

猛烈な反対運動が起きると思うんだ。』

 

『あ…』

 

『みんなフクシマの恐怖を覚えているからな』

 

『…うちの隣にはきて欲しくはないかも…』

 

『水素自動車にしても、電気自動車にしても

開発に携わった人たちは可哀想だな、

とは思うんだよ。』

 

『SFなんかでは大昔から

ありましたもんね。』 

 

『何十年もかけて開発してさあ発売って時に

「フクシマの悪夢」が起きて、

節電の時代になって、水素怖いって事に

なって…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『じゃあ、ここは責任を取って、

東電に水素を作ってもらいましょう。』

 

『それでどうする?』

 

『工場で作ってボンベを運ばせるんです。

こまめに配送すれば貯蔵量を減らせるでしょう

規模を小さくすれば、建てられる範囲が

広がりますよ。』

 

『…なるほど。』

 

 

 

 

『ブランド名は、「フクシマの水素」。』

 

『売れねえよっ。』

 

 

0000nishizawa_2   

 

 私が作りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のトヨタCM。』

 

 

 

 

 

 

『この水素自動車のプロトタイプ、

何年か前の、東京モーターショーにも

出てたな。』

 

『今年から、東京モーターショーは幕張じゃ

なくなるそうです。』

 

『うそっ?』

 

『幕張なんて田舎だし遠いし、ビッグサイトの

方が大きいし。』

 

『幕張新都心を推進した沼田元千葉県知事も

死んじゃったし

なんか、時代の終わりを感じるねえ。』

 

『いいですよ、もう。モーターショーなんて。

あんなちんけなイベント、全盛期の1/3も人が

来やしないんです。

あんなもん、東京にくれてやりましょう。』

 

『…むう…』

 

『新しいTOYOTAのCMでは、

のび太とドラえもんが

どこでもドアで、モーターショーに

出かけてます。』

 

 

 

 

『どこでもドアがあるなら、

幕張でもいいんじゃないのか?』

 

『それ以前に、車要らないですよね』

 

 

 

 

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どうしても真面目に終われないのか?といわれたら、

これが私のダディ・サガ。

 

 

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2014年11月26日 (水)

次の総選挙では『1票の格差を容認する』     最高裁判事を罷免しよう

「一票の格差」が最大4.77倍だった

昨年7月の参院選は違憲だとして、

2つの弁護士グループが選挙無効を求めた

計16件の訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷

(裁判長・寺田逸郎長官)は26日、

「違憲状態」と判断した。

選挙無効の訴えは退けた。

 

(産経ニュースへのリンク)








以下、2年前の記事の再掲。

数字関係は多少違うと思うが、直すのも

めんどくせいや。


『1票に格差があったらだめだろう。』

根性出せ、最高裁。という趣旨です。





では、どうぞ。












衆議院議員選挙が行われる。

この選挙は、過去に地裁高裁最高裁と

あらゆる段階の裁判所で違憲である、

といわれた状態のまま行われる。

 

千葉県民の人間の価値は高知県民の

4割以下であり、島根県民の価値は神奈川県民

の2倍以上である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふざけんなよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それなら、千葉県民は、神奈川県民は

田舎者の前に行き、うんとぶん殴って

良いわけだ。

『てめえら、人間の価値半分以下』と

 

 

 

 

 

 

 

 

『国民の権利』がそんなことなら

日本の有権者は最高裁判事を

罷免する権利がある。

 

 

 

日本国憲法には、そんな機能がある。

投票行動に影響を与える言説は

よろしくないのかも知れないが

次の国民審査では

『違憲状態の総選挙』を許した

最高裁判事を全員罷免しよう。

 

 

なに、簡単なことだ、

小選挙区・比例区の投票の時に

『最高裁裁判官の国民審査』という用紙を

くれる。

 

新任の裁判官の名前が書いてあり

下に×を付ける欄がある。

まあ、大体10人以上はいる。

 

 

×が過半数を超えたら罷免だ、ということだが

いままでそんなことなかったそうである。

なんとなく右側が、×を付けやすいよね

ということで比較的多いらしいがそれでも

5%くらいである。

 

 

 

 

 

 

 

 

野田さんは首をかけて『0増5減』の改革案を

通し解散をした。

 

 

もちろん、

周知期間はなく選挙区の改正 もなく

違法・違憲状態なのだが

とりあえず『0増5減』の法律を通したから

最高裁は、選挙無効、という

判決までは出すまい。

という甘い判断をしているわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 馬鹿かお前は。

 

 

 

 

 

7条解散は首相の専権かも知れないが

あれほど違憲だ、といわれて

総選挙する馬鹿がいるか?

 

 

 

 

 

三権分立の意味はどこにある。

 

 

 

 

 

舐められてるぞ、最高裁。

無効にしろよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

君らが機能を果たさないなら

我々が国民審査で

君らを罷免するだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいか、

『国民審査でNO』を合い言葉にしよう。

 

『なんか投票所で裁判官の 名前を書いた紙を

くれたんだけど』と聞いたら全て×だ。

 

三権分立の機能を果たせない最高裁なんか

罷免しろ。 

主権者の国民として、その権利がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで

 

最高裁判事が罷免されたら

12月の総選挙は無効である。

 

『0増5減』を周知して

3月くらいに再選挙ということになるしかない

のだが

そうなると、泡沫政党は枯れ果てる。

 

政党交付金の申請は1月だが交付は4月だし

12月に選挙がある、と思っているから

各陣営は事務所の賃料、スタッフの給料、

街宣車の費用

馬鹿にならないはずで、ざまあみろである。

 

 

 

 

そうなると金持ち、

たとえば『俺は客だ』の松本龍しか

当選できないのか?

というとそれもかなしい。

 

いいか?

福岡県民はあの男を当選させたら

日本中から○○・○○

(とてつもない差別用語なので自粛)

扱いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、とにかく、

『国民審査は全員NO』を

合い言葉にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最高裁判事は15人しかいないが

それぞれの個性なんか知りもしないだろう。

しかし、今回『違憲状態の総選挙』を

許したことで

全員NOだ。

 

 

絶対許すな。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

たぶん現行じゃないけど

最高裁判事の顔写真。(調べる気も起きん)

「00000000000000000saikusai.jpg」をダウンロード

こんなこと国家機密でもなんでもないと思うのだが

何故画像が引用できないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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俺は何か国家機密に触れてしまったのか?

 

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スト権ストの日

11月26日は『スト権スト』の日

 

1975年のこの日

国鉄の労組がスト権を持つべきかどうかを

めぐって、国労・動労がストを実施。

日本中の国鉄を1週間にわたって止めた。

 

 

 

 

 

 

当時私は中学生であり

うちの中学校では、国鉄がストをすると休み

という規定があったために土日あわせて

10連休になった。

 

 

毎晩、NHKの9時のニュースを見ながら

『がんばれ労組』と思ったもんである。

 

 

しかしながらこのストは、国鉄本体を滅ぼした

今日は、そんなお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『スト権』というのは

『団結権』『団交権』と並んで『労働三権』と

呼ばれ

『気に入らなかったら働かないぞ』

というもの。

  

労働者の基本的な権利である。

 

 

 

  

ただし、当たり前だが

公益性を重んじる公務員は

この権利は制限される。

当時の国鉄は『三公社五現業』といって

昔の受験生なら暗記しなければ

ならなかったんだけど

国鉄職員は『準公務員』という扱いで

スト権は認められていなかった。

 

 

 

ちなみに公務員には『団交権』も

認められていない。

そのかわりに人事院というものがあって

『給料あげたれや。』と勧告してくれる。

 

自衛隊・警察官・消防官には団結権も

認められていない。

確かに、あんまり『自衛隊労働組合』とか

見たくない。

  

公務員一般は現業職員(ゴミの収集担当)とかも

団結権は認められていないのだが

例外が教員で、従って『日教組』という

腐った組織がある。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

こんな話を始め出すときりがないので

先を急ごう。

  

復員兵であふれかえった国鉄は

組織組合の草刈り場になった。

 

 

2012y11m26d_121635216    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時社会党系であった総評(いまは民主党系)の

国労・動労が主力となって起こしたこのストは

数でいえば圧倒的であったが故に

日本中の鉄道を止めた。

 

 

 

  

国労・動労もいきなりそんな強硬手段に

出たわけではなく

毎年『春闘』といって2.3日のストをやった。

  

しかし『スト権』がないのはやりにくい。

毎年の春闘で大量の処分者が出る。

組合闘争は過激化し『幹部のつるし上げ』の

ようなことが常態化する。

その中で1960年代から採られたのが

「遵法闘争」という手法である。

  

曰く、

「カーブの手前では必要以上にスピードを

落とそう。」

「線路に鳩が止まっていたら危険だから

列車を止めよう。」

「気分が悪かったら危険だから乗務を

止めよう。」と。 

「遵法」といえばそうなのか?

もちろん安全が第一なのだが、

要するにサボタージュだ。

 

  

しかし、こんな小学生の喧嘩みたいな

サボタージュをやったおかげで

ダイヤは乱れまくった。

遅延欠便当たり前。

 

 

 

 

もちろん乗客は怒った。

上尾事件をはじめとして国電各所で暴動

起こった。

 

 

 

  

この話の流れの中で、 

物流は鉄道からトラックに移った、という奴が

いるがそうでもない。

 

  

ご覧いただこう。 

 

2012y11m26d_121736597_2    

 

 

 

 

 

 

 

若干統計が古いが

戦後10年目までは物流の過半を占めていた

鉄道は、1960年代に急速に勢力を失って

10パーセント台になっている。

 

  

これは実は10年後でもあまり変わらない。

 

スト権ストは1975年だし、

1960年代に何があったか、というと

遵法闘争だ。

これが決定的に国鉄貨物を滅ぼした。 

 

 

 

その一方、トラック輸送が

急速にシェアを伸ばしたのか、

というとそうでもない。

『自動車輸送』は1970年代初めに39%台を

マークするが、それ以降は低迷して30%台

前半をうろうろしている。

 

この時代、道路もトラックもひどかった。

高速というのは東名・名神くらいしかない。

主要国道でさえ田舎に行くと舗装もしていない

トラックもトレーラーなんてない。

 

とてもじゃないが

大量輸送には耐えられる代物では

なかったのだ。

この時代の日本の自動車輸送を

過大に評価してはいけない。 

 

  

船舶が過半数を越えているあたりに

注目して欲しい。

外国航路はコンテナ化していたが

国内は、昔ながらの荷役方式。

急にシェアが増える理由はない。

70年代にはいって船舶がシェアを

伸ばしているのは

カーフェリーのせいだ。

 

  

高速がないからフェリーを使った。

港を降りればそのまま目的地に行ける

いまの人は知らないだろうが、

昔のフェリーの平土間の雑魚寝フロアなんかは

トラックの運ちゃんばっかりだったのだよ。

 

フェリーだって天気が悪ければ遅延するのだが

そこまでしても国鉄が嫌だったのだ。

 

 

 

 

 

 

  

なにより、遵法闘争で、

いちばん怒ったのは荷主である。

届け先に約束の日に着かなければ

違約金を払わねばならないのは荷主だ。

石炭ならともかく牛乳なら全量廃棄だ。

  

 

人間なら文句言いながらも振り替え輸送に

応じてくれる。

もちろん私鉄が併走していない区間もあったし

併走していても京成のように

まるっきりローカル線だったために

ガラスは割れるは、けが人が出るは、と

偉い騒ぎになったが…

 

私みたいに『ストなら学校が休みだーい。』

喜ぶ馬鹿もいる。

 

しかし、貨物の荷主はそうはいかない。

国鉄は、スト権ストの前に急速に顧客を

失っていった。

  

しかし、労組は自分達の影響力を過大に

評価していたらしい。

すでに国鉄が陸運の王者であった時代は

終わっていた。

 

 

 

 

 

 

  

国鉄も、貨物輸送の近代化に

手をこまねいていたわけではない。

  

国鉄にとって、貨物駅に多数の職員を抱えて

人力で作業することは

遵法闘争との件だけでも非効率であり、

危険でもあった。

そして日本でも『鉄道離れ』が始まっていた。

 

 

  

1970年代、世界において「鉄道再生のモデル」

はアメリカだった。

ハイウェイと飛行機に負け越して

旅客輸送をあきらめたアメリカの鉄道は

貨物輸送に活路を見いだした。

  

船舶コンテナをそのまま運べるアムトラック

『三流の路盤に一流の列車を走らせる』という

資本集中と信じられないくらいの

長大な編成などの

徹底的な省力化で大いに収益を上げた。

 

 

 

日本の貨物輸送もあれを見倣おう、

という動きがあった。

1970年代から日本中の貨物取扱駅を削減して

扱う貨物の種類を制限しようとした。

 

このおかげで、別府鉄道とか

国鉄に乗り入れていた

愛すべき私鉄が滅んだのだが

国鉄の言い分はこうだった。

 

 

 

 

『コンテナで運べる荷物だけにする』

 

 

 

 

 

いまも、国鉄の貨物列車はコンテナを

積んでいるがあれを徹底しよう、と。

距離あたりの運賃では鉄道はまだ競争力が

ある。

 

ということで、国鉄は全国に貨物線を敷いた。

実は、首都圏のJRの貨物専用線が

最もたくさん敷かれたのが1960年代から

70年代である。

 

 

そのうちのひとつに武蔵野線がある。

路線の意味としては、京葉、常磐、東北、

中央、京浜各方面の貨物列車を都心を通らずに

連絡しよう、というもの。

 

 

 

705pxlinemap_musashino_2     

 

 

計画としては

戦前からありました。

 

 

 

     

 

ただし、戦後実現するにあたり、

この鉄道は貨物鉄道の理想を実現しよう

とする。

  

たとえばこの路線には踏切がない。

全て立体交差なのだ。

 

 

そして決定打は、路線の中間部の埼玉県

吉川市に日本最大のコンテナ貨物基地、

武蔵野操車場つくったことだ。

  

貨車の増・解結、誘導を全て

コンピューター制御。

敷地内にハンプを設けて、それ以降

無人運転するなど徹底的に無人化を実現。

広さは甲子園球場3個分以上。

 

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この操車場は、1974年に開業した。

 

ところが、直後に起こったのが『スト権スト』

である。

荷主は決定的に国鉄を見捨てた。

 

 

 

  

貨物再生の輿望を担った武蔵野操車場は

たった10年で放棄される

 

00000musashinosousyajou2_2    

 

 

あっさりと廃墟

 

 

  

狭軌の日本の鉄道が船舶コンテナを

積めないことも大きかった。

 

いまや、大型トレーラー

コンテナ埠頭から船舶コンテナを

そのまま引っ張っていける時代だ。

  

鉄道コンテナに積み替えて、目的地の近くで

もう一度トラックに積み替えないといけない

鉄道はまったくかなわない。

   

神戸のポートアイランドをはじめ

1980年代から従来の埠頭方式から、

ガントリークレーンを並べたコンテナヤード、

というものが一般的になった。

 

鉄道貨物は、少なくとも大量輸送の手段と

しては社会的な使命を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

  

『スト権スト』は

結局、国鉄の労働者を救わなかった。

自業自得の側面が強いとは思うが

乾坤一擲のストの12年後に国鉄自体が

滅びる。

  

 

そこはざまあみろ、と思う。

俺は国鉄職員が大嫌いだ。

  

武蔵野線が貨物線だったことなんて

あのあたりに一戸建てを買っている田舎者は

知ってるのか?

「あー、ちょっと通勤が不便よねー。」とか

言っている奴は当たり前だ。

田舎なんだから、ボスママも怖かろう。

 

 

  

しかし、未来を目指した鉄道だったことは

間違いない。 

ほんの10年間だけ、夢を見た。

 

  

挫折したけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

では、『今日の国労。』

 

 

 

 

 

 

分割・民営化に反対する『国労のCM]』 

 

 

 

 

こんな嘘くさい駅員いねえよ。

 

 

 

リアルタイムに知っているから言える

悪口がある。

悔しければかかってこい。

 

 

 

  

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2014年11月20日 (木)

『健さん飲み』を残そう。

高倉健さん死去。

(Wikipedia 高倉健)




で、

 

この人に関して、

私ごときが何か言うべき資格は、

なにひとつないのだが

ひとつだけ後世に伝えてほしいのが 

『健さん飲み』である。








『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭のシーンで

出てくる。


この映画自体のあらすじは 

Wikipediaさんにでも聞いてください。



まあ、あらすじもぐっと来るんだけど

『健さん飲み』ですよ。



殺人罪で6年の刑期を終えた、

高倉健演じる勇作は、 

出所して網走の街に出て、

しなびたラーメン屋に入り、 

『ご注文は?』と訊かれて 

『…ビールください。』といって、

テーブルに座る。


それでも中華料理屋だもん、いろんな匂いが

する。


6年の懲役生活というのは想像がつかないが

ビールのオーダーの後で、

『醤油ラーメンと、かつ丼ください』って

おまえ、それ食えねえだろ? 

という分量の注文をしてしまう。

(実際食ってない)



そして、真っ先に届いたのがビール。 

グラスに注がれたビールが、

健さんの前に置かれる。 

ああ、そうだな。昭和50年代の食堂では 

1杯目は、こうやって無愛想なおばちゃんでも

それでも満杯に注いで、サーブして

くれたんだ。



グラス、たって安物だよ?

場末の街のラーメン屋なんだから。

明らかに、メーカーのノベルティの一合カップ

に注がれた、 

黄金色の液体をしばらく眺め、

両手でグラスをつかみ、 

ふたたび、しばらく見つめた後

口から迎えに行って一気に飲んでしまう



そして、最後に『はーーっ』と

長い長いため息をつく。












これが伝説の『健さん飲み』。

40代、50代の野郎どもは、一度は飲み屋で

これをやった事があるはずだ。





うーん。6年の禁酒はできないけど、 

『自由の瞬間』って、たぶん素敵だ。





























では、『今日の「健さん飲み}』


















幸福の黄色いハンカチ 1977年 trailer 投稿者 spyagent0011



                    

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2014年11月17日 (月)

ロボの日

11月16日は『昭和天皇誤導事件』の日。

桐生鹵簿(ろぼ)誤導事件』ともいう。

 

 

 

なんだそれは?というのも当然で、

今日、振り返られることはあんまりない。   

 

 

 

 

 

要約すると、

『昭和天皇の車列の誘導を間違えちゃった。えへ。』

ということで、それだけ。

歴史的な意義も、それ以上のことはない。  

 

 

『鹵簿』(ろぼ)というのは陛下の車列のこと。

古語だと、牛車だったり馬車だったりしたのだが、

昭和9年当時は自動車で、これの誘導を間違えた。

 

現代の視点でいうと、『だからなんだ』という話である。

 

 

でも、事件そのものには

今日にも通じる教訓がいくつかある。 

 

 

 

 

 

振り返ってみよう。  

 

 

昭和9年11月、高崎練兵場の大演習を観閲された昭和天皇は

せっかくだから、群馬県を見て回ることにした。

 

行幸は3日間。

当然ながら、行程のすべてを警察が警護することになった。

 

 

警護担当は地元の警官。

誘導の指揮を執ったうちの一人に、本多という警部がいた。

 

「行幸先導」は、半年以上前から、さんざんに訓練されていた。

本多警部は3日の行程のうち、11月15日の前橋の担当で、

無事にこれを務め上げる。

 

ところが、祝宴を張っていたところに電話があって

桐生を担当するはずだった別の警部が発熱したから

明日もやってくれ、という。

 

桐生での訓練に参加していなかった本多警部は

固辞したらしいのだが、結局は引き受けさせられた。

 

 

当日の鹵簿は、本多が乗った『先導車』と

陛下や侍従を乗せた車列で、あわせて8台。

 

ところが本多は『緊張のあまり』、当日の道順を間違え、

左折するべき交差点を直進してしまう。

 

ここまでで重大な間違いが、いくつかあるんだが

とりあえず事件の全部をご紹介する。

 

本来最初に来るべきであった、桐生西小では

「陛下一行が行方不明」と、大騒ぎを起こした。

 

逆に、30分後に来るはずだった桐生高工では、

到着予定時間の遙か以前から

全校生徒を、正装着帽の上で整列させて準備していた。

もっとも、その時に校長は、「まだ30分も前だから。」と

校長室で茶を飲んでいた。

 

到着30分前に全生徒を整列させてた神経も信じられないが

それを眼下に見ながら茶を飲んでいたというのは

しょうがねえな田舎者は、と思う… 

 

直前まで茶を飲んでいた、この田舎校長は

校外で警護していた警官の『最敬礼』、という

号令を聞いて、慌てて、窓の外を見た。

 

そこには、陛下の車列が迫りつつあったので

校長は、モーニングをひっつかむや

こけつまろびつ階段を駆け下り

玄関に佇立したのは

御料車から陛下が降りたのと、ほぼ同時。

 

かろうじて『陛下を待たせる。』という

松本復興相なら激怒するであろう事態が回避できた。

 

それだけで、許し難い出来事なのだが、それだけなら

これは、『地方行幸』の中での小さな事故。

大多数の当事者が、当時はそう思っていた。 

 

 

 

 

 

 

ところが、天皇が東京に帰る日、

誘導の責任者だった本多警部が自殺を図ってしまう。  

しかも、還幸の御召列車の汽笛を合図に喉を突く

というドラマチックな演出つきだ。

 

このつまんない事件は、そのおかげで、全国ニュースになる。 

 

 

 

事件そのものの顛末は、かような次第。

 

自殺を図った本多警部は、

本人にとって、幸か不幸か一命を取り留めた。

結果だけ見たら、どうという事もない。

しかし、この事件は当事者である、

本多警部の意図を超えて異様で、極端な広がりを見せる。

 

 

まず、総理と文部大臣が陛下と国民に謝罪し

行幸の担当者は譴責、減俸といった、履歴に残る処分を受けた。

 

桐生市民は、さらに恐懼した。

事件の6日後、同じ時刻に桐生全市はサイレンと共に

全員皇居に向けて最敬礼し、不敬を恥じて黙祷した。

 

野党の政友会が文部大臣の責任を問うて

帝国議会で政府を非難したりもした。

 

そして、自殺を図った本多警部は世間の注目をあび

時節柄、『忠臣』『硬骨漢』『至誠の人』と

大いにもてはやされた。

 

あほらし。

 

 

詳しい結果はWikipediaをどうぞ。 

 

 

 

しかし、それならば、どうしたらよかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、なんで予行演習もしていない男を

当日の責任者にさせたのか?

 

担当者が急病になる、こどもの腹が痛い、嫁の機嫌が悪くなる、

ということはあり得る話だ。

 

家族のことなら、ぶっ飛ばしてもいうことを聞かせろ、

という時代だったかも知れないが

緊急事態に備えて、同じ訓練を施した

予備スタッフを揃えておくのは当然のことだろう。

 

前日の深夜になって

「ごめん、明日出てきて」っていうあたりが

群馬県の負けだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして更に、本多警部が間違った時

後続の車列は

無視してもよかったんじゃないか?

 

行幸の車列は、いきなり天皇が乗っている訳じゃない。

3番目くらいの車に乗っていたらしいのだが、

当然、後続車両の関係者は、

「あ、こいつ間違えた。」という事に気がついていたはずだ。

 

気がつかないはずはない。

群馬への行幸ということで半年前から訓練し、

官民挙げて準備をしていて、そのルートは分単位で予告されてた。

 

 

だから、その瞬間、

本多を無視してもよかった。

 

 

 

車列を混乱させるのは畏れ多い、というのが

Wikipediaさんの主張だが、

しかし、そこは、所定のルートを通るべきだった。

 

予定外のコースを通って

テロにあったらどうするつもりだ?  

 

 

そうしなかった理由は、よくわからない。

『テロ対策』とかを考えたら、

今日でも通じる話だと思うのだ。  

 

『予定を滞らせたくない。』ということが最優先だったらしい。

 

緊急に本多さんを呼び出した件といい 

どうも、この田舎警察の考えは

『式次第を滞らせたくない。』ということに尽きていたらしい。

この辺りの田舎具合がいやだ。

 

 

 

 

 

 

 

もっとも昭和天皇は、行程がおかしいことに気がついていて

桐生高工に到着した時、玄関先に校長がいないことを察して

わざと時間をかけて下車したおかげで

この田舎学校の名誉をすくったという説がある。

 

ほんとか嘘かはともかく、

天皇に出来たのは、この程度でしかなかった、ともいえる。  

 

事態の異常は、天皇も自覚していたはずだし

本多警部自殺、というニュースは伝えられていたのだが

そのことに対しての反応は、

我々ごとき下々のものにはわからない。 

 

ただ、誤導を責めるようなことは一切言われなくて、

行事そのものは、当日も翌日も粛々と行われた。

 

『道間違えたから、責任感じて死んじゃいました。』

といわれても、どうしろっていうの?

 

 

『よくやった。』とは言えないだろうし…

 

 

 

 

 

 

 

 

なによりもうひとつ、

この事件のあとの社会の反応が嫌だ。

 

彼は重傷となって病院に収容されるのだが

生死定かならぬ時点で

『よくぞ、忠臣。』

『さすが、警官。根性がある。』とかマスコミがあおり立てた。 

死を賭した本多警部は全国のヒーローになった。

 

 

それゆえに終戦後、昭和天皇が「人間宣言」をして

その後、もみくちゃにされながら「全国巡幸」を行ったことに

彼は衝撃を受けたらしい。

『俺の生涯はなんだったんだ。』、と。

 

 

彼は、そのニュースを受けて、戦前にもらった

マスコミの記事や、励ましの手紙をすべて焼却した。 

 

自分を褒めてくれる文章を10年以上取っておくなよ、と思う。

正直、こんなじいさんが親戚にいたら

たまらないと思うのだが、責める気にはなれない。

 

手のひらを返した世間だってひどいと思う。 

 

 

 

 

 

 

世間的には注目されないけれど

今日にいろいろ教訓を残す事件じゃないでしょうか。

 

本多警部は事件後、警察を辞めて故郷に帰り

『天皇の人間宣言』までは、勤め人をしたが

その後隠棲し、昭和35年に68歳で死んだ。 

 

なんか、哀れを感じてしまう。

 

 

 

一生になしえた仕事が

『道案内を間違えた。』だけというのも

おかしいけれども、笑えない。

 

哀しい…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のロボ。』

 

 

 

 

 

 

 

大正鹵簿(ろぼ) 

0000robo3 

 

 

 

 

 

 

大正天皇即位の礼での鹵簿。

牛かと思ったら、どうやら馬。

 

 

 

 

 

 

 

昭和鹵簿(ろぼ) 

0000robo  

 

 

 

 

 

昭和5年、関東大震災の復興事業完了に合わせて、

都内を巡幸する昭和天皇。

清洲橋を通る陛下の鹵簿。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャイアント・ロボ

0000robo2    

 

 

 

 

 

 

どうしても、この写真を載せちゃうあたり

我々の限界だと思う。 

 

 

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2014年11月16日 (日)

ベルリンの壁の日

8月13日は、ベルリンの壁建設の日。 

1961年のことだ。

(Wikipedia ベルリンの壁)






今年はベルリンの壁崩壊から25周年。

なので1年前の記事だけど再掲します。

 

 

 

 

 

 

 

 

          とし

『その時、利さんはベルリンの壁の展望台に

上がって、双眼鏡で東側を覗いていた。

壁は二重に築かれていた。百米ほど向こうを、

第二の壁が左右にどこまでも延びている。

壁と壁の間は谷になっており、

首を出して見ると、谷底の道を緑色の軍服を

着た兵隊が二人、肩から機関銃を吊し

軍用犬を連れて歩いているのがみえる。

時折何の前触れもなく、兵隊を乗せたジープが

猛烈な勢いで通過する。

 

第二の壁の彼方には、東ベルリンの

労働者住宅が窓のない顔を並べ、ひっそりと

静まった道路を

婆さんが一人歩いているばかりであった。

 

婆さんの姿が利さんの注意を引いたのは、

挙動に不自然が感じられたからである。

婆さんは買い物籠を下げて、妙に硬直した

容子(ようす)で歩いていた。

時折、あたりを見廻すような事をする。

利さんが眺めていると、

婆さんは突然買い物籠から双眼鏡を出して、

利さんの乗った台の方に素早い一瞥をくれた。

と思った次の瞬間、もう双眼鏡は

買い物籠の中に姿を消し、

婆さんは、素知らぬ顔で凝と(じっと)あたりの

容子を窺っている。

何でも余程の大事を決行しているに違いない。

婆さんは、以上の動作を、

間合いを置いて何度も繰り返すのであった。

 

利さんは双眼鏡から目を離して左右を

見廻した。

折良く台の端に、紺の制服を着た大きな兵隊が

機関銃を抱えて立っている。

利さんは早速この大男を捕まえて

「あれは何だ」と聞いてみた。

兵隊の答えはこうであった。

西ベルリンから東ベルリンに秘密の連絡組織が

ある。

多分あの婆さんがやっているのは

こういう事だろう。

即ち、西ベルリンの誰かが、

秘密の組織を通じて婆さんに手紙を出す。

但し、今日手紙を出したからといって、

明日相手がそれを受け取るというふうには

事は運ばぬ。

時には一と月、時には半年、時には一年以上の

時日を要する事すら穿れ(まれ)ではない。

それ故、手紙の差出人は、おそらく一年なり

二年なり後の何月何日何時何分自分が

壁の何処の地点にあってハンカチを振る、

とでも書き送ったのであろう。

多分、今、この壁のどこかに手紙の差出人が

来ているに違いない。

二人はお互い双眼鏡で相手の姿を確かめ合い、

一瞥の短きに万感の思いを託してハンカチを

打ち振るのである、と。

 

この話を聞いた時、利さんは、

何者かに脳天を一撃されたかのごとく思った。

 

これは既に、国境がどうの、国家の体制が

どうの、東と西の生活水準がどうのという

次元の話ではない。

二年先のハンカチの一振りである。

声さえ届きかねる彼方との一瞥である……』

 

 

(伊丹十三 「ハンカチ」。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二次大戦に負けたドイツは米英仏ソの

4ヶ国の 共同統治の下に置かれた。 

 

 

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うす黄色の部分は

戦後にドイツが失った領土 

ドイツ自体が4カ国統治。

ベルリンはソ連統治区域の中での

さらに入れ子の4カ国管理区域

 

 

 

マーシャルプランで、じゃぶじゃぶアメリカの

資金が入った西ドイツとは分割直後から

経済力の差があった。

ベルリン封鎖をへて東西ドイツは、分断国家と

なってしまう。

ところが秘密警察に見張られて自由が無く、

経済力でも差がある東ドイツの歴史は

『国民が逃亡する歴史』であった。

 

なにより、

みんな共産党なんか大嫌いなので

53年には大規模な暴動が起こるが、ソ連軍が

鎮圧する。

建国当初は『壁』がなかったから

東西の往来は自由。

この年だけで33万人が西に逃げ

その後も大体、年間15万人くらいが

西ベルリン経由で西ドイツに逃げた。

 

1959年から、農場や商店・企業の

『集団化』という名前の私有財産の召し上げが

始まると逃亡者は急増。

60年には年間20万。61年に入ると倍のペース

月間8万、61年8月は半月で5万人

東ベルリンから西ベルリンに逃げた。

 

業を煮やした東ドイツ政府が

ベルリンの壁の建設を始めたのが

1961年8月13日。

 

 

 

 

 

 

で、

 

『壁』建設までの経緯。

 

 

 

『壁』は国民の逃亡を防ぐために築かれた。

そして伊丹十三が描いたように、

37年以上にわたって厳然と存在し続けた。

 

そして、壁が崩されたのもまた、

国民の逃亡によってである。

 

1980年代後半、一気に表面化した東欧民主化

の中で

『ハンガリーに行けば西に行けるらしいぞ』

という噂が東ドイツに流れる。

 

そこで行われたのが1989年8月の

『汎ヨーロッパ・ピクニック』

これで1000人以上の東ドイツ市民が国境を

越えた。

これがきっかけとなって、壁は崩れる。

 

 

 

 

『東ドイツ』とは

風船のような国だったのだなあ、と思う

『二重の壁』といっても、国土から見たら、

ごく薄い膜に守られて

それが破れたら、空気が抜けるように

消えて無くなった。

 

破れた風船は『お土産』として売られ、

いまやほとんど残っていない。

 

 

 

『東』を受け入れるのは『西』の国是であり、

統一前から亡命者の受け入れなどを行ってきた

 

しかし、1989年の8月に第三国経由で

国民が逃げ

11月に壁が崩れて

翌年に国家がなくなっちゃうとは予想外で、

東の再建のために多額の出費が必要だった。

 

ベルリンの壁の大半が撤去されているのも

過去を忘れるためであり、東ベルリンは

ポツダム広場などを初めとして、

大規模な再開発が行われた。

 

『西』の国民にも不満の声があるらしい。

 

 

 

 

 

『東』の市民も、冷戦時代は窮屈だったけど、

年金なんかは一応あったし、

(但し年金受給年齢になると無条件で

西ドイツに行けた。)

なにより、東欧でなら、有数の工業国で

経済的にもてっぺん。

 

ところが統一してみたら、10年待たされて

買ったトラバント 

ワーゲン・ビートルより遅いじゃないか。 

なんか『二等市民』になったみたいで

しい、と 不満があるんだそうだ。























しかし、

 

体制が違っても同じ民族だから統一できた、

とも言える。 

経済格差があったから統一できた、

とも言える。 

相当程度情報が流れていたからだ、

とも言える。

 

 

世界にはまだ、分断国家がある。 

キプロスや朝鮮半島、大陸と台湾の

『二つの中国』。

 

 

 

 

 

 

民族や宗教が違うキプロスは、

統一も連邦も話が進まないらしい。

(キプロス共和国 外務省)

 

同じ民族の中国と台湾は、別に経済格差がある

訳じゃない。

平均したら、まだまだ台湾の人のほうが

遙かに豊かだろう。

 

そういう意味で、この三つの条件を満たすのが

南北朝鮮。 

やり放題の北の坊やを、なんだかんだいって 

北京政府が見逃しているのは、 

『北が崩壊したら多数の難民が中国に来る』

のを 恐れているからだ、という。
















ベトナム戦争が終わる時、

撤収するアメリカ大使館に多数の南ベトナム

市民が殺到し、ヘリで亡命しようとした。

 

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蜘蛛の糸みたい

 

 

 

 

 

 

 

アメリカは給油して再離陸させる時間と

スペースがないから 

空母に着いたヘリを海に蹴り落としながら

輸送した。

 

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もったいない

 

 

 

 

 

もちろん、こんなもんでは運びきれない

ので 置き去りにされた人は

ボートピープルになって

南シナ海を漂った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、『国家崩壊=大量難民』というのは、

あり得る事なんだけど

あの国の人にそんな元気があるかしら。

 

東ドイツの人は知識も情報もあったから

逃げた。

いまの北朝鮮だったら、まだまだ

チキンレースを続けるような気がする。

 

 

 

 

もちろん『脱北者」という人はいる。

だから、あの国』を

あんまり馬鹿にしてはいけない気もするが

やっぱり情報を封鎖しているような国はだめだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、いい加減にしてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のCM』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

sony wega cm / power of tv

 

 

あまりに見事な名作。

 

 

この中で、『ベルリンの壁崩壊』のニュースを

聞きつつ

それでも背後には、あからさまな盗聴器があって

老夫婦二人が無言で手を握っている、

という映像があります。

 

 

 

   

           

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2014年11月 1日 (土)

ウェザーリポートの日

11月1日は『ウェザーリポートの日』

ウェザーリポートとは、 

単なる『天気予報』ではない。

現在の天気や雲の様子、自然現象、

気温・湿度・気圧などの “見たまま”を

ウェザーニューズ社のサイトやアプリを通じて

報告することで、機器では捉えきれない

気象状況を人間の五感でつかまえるという、

観測を越えた感測を集約させた、

「みんなで作る天気予報」の根幹たるシステムで

なんだそうです。

いわゆるビッグデータの先駆けともいえる。

ですと。

よくわからん。






つまり、ハゲのおつむに雨が当たったら

それを『ハゲダス情報』として利用する

という訳だな?

このウェザーリポートが始まったのは

2005年11月1日であるが、

その9周年をむかえるにあたり、

日々の報告活動に励まれている

全国数百万リポーターに感謝の意を表し、

その功績を顕彰する日として、

この日を「ウェザーリポーターの日」とすること

が、

2014年に日本記念日協会からの認定を受け、

同年10月24日の24時間生放送お天気番組

SOLiVE24」内で公表された。















超わかんねえ❗。



ということでウェザーリポートのバードランド

あまりに名曲なのでどうぞ。









こういう名前を冠した店は、

当時、阪神間にいくらでもあったさ。


『当時』がいつなのかを言わないのも 

『どこだよ』っていうことを言わないのも



歳をとったなあ。



















せっかくだから

この名曲をカバーしている皆さんを紹介して

おきます。

メイナード・ファーガソンさん。







マンハッタン・トランスファーの皆さん


















では、今日の一枚。』








ジャコパスが参加しているバードランド。

>






 

なんか画像をコピーしたら『ハチ』が付いてきたから

いっしょにご覧ください。

 

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ウェザーリポート、どこ行ったって言われても

ハチかわいい。

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