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2014年11月19日 (水)

ツタンカーメンの日(再掲)

11月5日は『ツタンカーメンの墓が開封された日。』

1922年のことだ。

(Wikipedia ツタンカーメン)

 

 

 

 

 

エジプトのルクソールにあった、王家の谷のこの人のお墓から

ほぼ未盗掘の『ファラオの墓』が発見された。

墓の入口の発見は11月4日のことで開けられたのが5日。

 

黄金のマスクをかぶったツタンカーメンのミイラとともに、 

多数の副葬品が発掘される。 

 

 

 

 

 

 

 

 

この場所はいまでも公開されています。

 

 

800pxtutankhamun_valley_of_the_king      

 

  

わたしーのー

お墓のー前ーで

撮影をしないでー

 

 

 

 

 

Tutanchamun_maske                   

 

 

そこにーわたしはーいませんー   

 

 

 

 

 

 

そんならどこにいるか、というと

カイロの考古学博物館にあるそうなんですが

いま、エジプトはえらい騒ぎがおこっているので

閉鎖中だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

 

発掘したのはハワード・カーターという人物。

イギリスの考古学者で1916年から資金援助を受けて

エジプトの『王家の谷』の発掘に勤めた。

 

 

 

彼に資金援助したのは、カーナボン卿という人物。

 

 

 

イギリスの金持ち、というのは

我々からは想像が出来ないくらいに

許しがたく金持ちだ。

 

高校在学中にパパの伯爵にヨットを買って貰って世界一周をやり

黎明期の自動車レースに熱中し、

それはヨット旅行以上の金がかかったはずだが

ざまあ大事故を起こして

『冬のイギリスは寒くてじくじくして辛くてなあ。』という

境遇になった。

 

 

 

 

 

 

 

避寒地として彼が選んだのがエジプト。

 

 

それ自体は構わないのだが19世紀というのは

イスラムの勢力が衰えて 

英仏が中東に影響力を競って持とうとした時代。

 

しかも、1800年のナポレオンのエジプト遠征で

ロゼッタストーンなんか見つけやがって、という「実績」もあって

ヨーロッパの金持ちには『エジプト発掘ブーム』があった。

(ロゼッタストーンは結局大英博物館に入るんですけどね。)

 

 

金持ちの彼も、

古代遺跡の発掘に熱中する。

 

そこで雇ったのが、当時無名の若手研究者、カーター。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カーター先生、1916年から正式に資金援助を受けて

発掘に乗り出す。

 

カーナボン・カーターの二人とも古王国時代のピラミッドなんか

見込みはないと見切って、ルクソールの王家の谷に的を絞った。

 

注目したのが、偉大な王アクナテンの息子で夭折した

ツタンカーメン

この人の墓は、当時まだ未発見だったのだ。

 

 

 

ところが5年経っても成果が出ない。

カーナボンはカーターを呼びつけて

『来年から金はやらないからな。』と

資金援助の打ち切りを告げる。

 

ところがさすがに17歳の時から

エジプトをうろうろしていたこの詐欺師は  

 

『もう1年だけやらせてくらはい。』と頼み込む。

 

 

自信もあったらしい。実際最後のシーズンとなった1922年では

ルクソール入りしてたった6日で『墓』を見付けている。

 

しかし、てんぱっていたのも確からしい。

こいつがいかに発見に感動したかは

『ツタンカーメン発見』の前後の、この人の日記に

見ることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カ-ター先生が、リアルタイムにつけていた日記の復刻版が

なぜか無料でWebに載っているので引用しましょう。

( Howard Carter's diaries and journals.)

 

 

 

 

割と、あっさりと『発見』しているのだ。

『ルクソール入りして6日後』の11月4日の記事がこうだ。

 

At about 10am I discovered beneath almost the first hut attacked

the first traces of the entrance of the tomb (Tut.ankh.Amen) 

This comprised the first step of the N.E. corner

(of the sunken-staircase).  Quite a short time sufficed to show

that it was the beginning of a steep excavation cut in the bed rock,

about four metres below the entrance of Ramses VI's tomb,

and a similar depth below the present level of the valley.

  And, that it was of the nature of a sunken staircase

entrance to a tomb of the type of the XVIIIth Dyn.,

but further than that nothing could be told

until the heavy rubbish above was cleared away.

 

(朝10時に最初の小屋の下から王墓への入口が見つかりました。

…それは(既に知られていた)ラムセス6世の墓のすぐ隣にあり

…ごく自然に18王朝の様式の墓へとつながる下りの階段がありました。

そこにたまったたくさんの塵が未踏沓であることを示していました。)

 

 

 

 

 

 

 

 

3種類くらいのメモの復刻版らしいこの日記は

連れて行ったロバの数などは丁寧に書いているが

全体に素っ気ない。

 

それでも、11月5日に玄室に穴を開けて

黄金に満たされた様子を見た時にはうれしかったらしい。

彼は、ロンドンのカーナボン卿に電報を打つ。      

 

"At last have made wonderful discovery

in Valley a magnificent tomb with seals

intact recovered same for your arrival congratulations "

 

(ついに、素晴らしいこの谷から「封印された」墓を発見しました。

早く来てくださいや。一緒にあけましょうぜ。)     

 

 

 

 

 

 

カーナボン卿がいそいそとエジプトにやってきたのは11月末。

彼は11月26日にカーターとともに未盗掘の墓の内部を見る。

この日記の中では例外的に長い文章なので

二人とも興奮してたんだろうな、と思う。

 

 

It was sometime before one could see,

the hot air escaping caused the candle to flicker,

but as soon as one's  eyes

became accustomed to the glimmer of light the interior

of the chamber gradually loomed before one,

with its strange and wonderful medley of extraordinary

and beautiful objects heaped upon one another.

 

There was naturally short suspense  for

those present who could not see, when Lord Carnarvon said to me

`Can you see anything'. I replied to him

Yes, it is wonderful.  I then with precaution

made the hole sufficiently large for both of us to see.

With the light of an electric torch as well as an additional candle

we looked in.

Our sensations and astonishment are difficult to describe as

the better light revealed to us the marvellous collection of treasures

: two strange ebony-black effigies of a King, gold sandalled,

bearing staff and mace, loomed out from the cloak of darkness;

gilded couches in strange forms, lion-headed, Hathor-headed,

and beast infernal; exquisitely painted, inlaid,

and ornamental caskets; flowers;

alabaster vases, some beautifully executed of lotus and papyrus device;

strange black shrines with a gilded monster snake appearing from within;

quite ordinary looking white chests;

finely carved chairs; a golden inlaid throne;

a heap of large curious white oviform boxes;

beneath our very eyes, on the threshold,

a lovely lotiform wishing-cup in translucent alabaster;

stools of all shapes and design, of both common and rare materials;

and, lastly a confusion of overturned  parts of chariots glinting with gold,

peering from amongst which was a mannikin.

  The first impression of which suggested

the property-room of an opera of a vanished civilization.

Our sensations were bewildering and full of strange emotion. 

We questioned one another as to the meaning of it all.

Was it a tomb or merely a cache?

A sealed doorway between the two sentinel statues

proved there was more beyond, and with the numerous cartouches

bearing the name of Tut.ankh.Amen on most of the objects

before us,

there was little doubt that there behind was the grave of that Pharaoh.

 

(それは見たこともない光景だった。ロウソクの揺らぎが部屋の熱気を遠ざけると

目が慣れた私の目前にあったのは、奇妙で素晴らしく、非常識で美しいオブジェで

満たされた部屋だった。

 

我々にとっては当然の、

しかし誰も見たことがない贈り物を前に茫然としていると

前室にいたカーナボン卿が訊ねた。「なにが見えますか?」

「…素晴らしいです…」と、私は答えた…

…以下、数々の宝物の記述

 

 

 

その後、穴を拡げてさらに明かりを入れるのだが、

結局この日は再び穴を塞いで帰ってしまう。

 

翌日は副葬品の搬出に費やし、墓の構造を調べ、

我々以前に盗掘者はいなかったかとかぎまわり、

28日の未明に、守護者の像の間に封印された扉があるって

なんですぐに気がつかないかなあ。

 

そして、その入口の向こうには玄室があり

棺の内部には、

ツタンカーメンが盛装で横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

そして29日には、地元の有力者を招いてセレモニーが行われ 

カーナボン卿が自ら棺を開ける、という 

猿芝居までやっている。

 

このニュースは、同席していたタイムスの記者によって

世界中に配信される。

 

 

 

世界は驚愕した。

 

 

 

 

特に冒頭の写真にあげた『黄金のマスク』は

ファラオの威厳を表す、として大人気になった。

 

ジャイアントロボがあんな顔をしているのも

この人のせいである。

 

000000000000000000000000000000000_2         

ま゛
       

 

 

 

どのくらい人気だったかというと、

冒頭にあげた、『黄金のマスク』は1965年に

一度だけ日本にやってきており、東京、京都、福岡の

美術館を巡回するのだが、この展覧会の入場者が

延べ300万人だったという。

(現在は、エジプト国外への貸し出しは出来ないらしいです。)

 

 

 

スポンサーであるカーナボン卿は、

発掘に立ち会った4ヶ月後に急死しているため

『ファラオの呪い』だなんて、やっかみも込めていわれた。     

 

ひどいのになると、

『ツタンカーメンのミイラを開封して、中から「死者の書」

抜き取ったらしいぞ。』    

『ファラオのちんぽこを切り取ったらしい。』    

『だから祟られたんだ。』

なんて、さんざんなことまでいわれた。

 

(カーナボン卿のせいかどうかは知らないが

発掘後、ミイラの性器が切り取られたのは事実)

 

 

 

 

 

もっとも、実際の『発掘者』であるカーター先生は

天寿を全うしている。

 

ただ、晩年は不遇だったらしい。

 

発掘後、10年を掛けてツタンカーメンの膨大な『遺品』を 

カタログにまとめるのだが、学会での評価は 

彼が期待したほどのものではなく、 

カーナボン卿の急死に関する、彼への中傷などもあって 

極端な人嫌いになり、冬にはルクソールのホテルに籠もって 

彼にとっての『栄光の地』を眺めて過ごした、という。

 

1939年ロンドンで没している。

 

享年64。

 

 

 

 

 

 

こんな劇的な『発見』ができる、

盛り上がりのある人生を送れる人も少ないと思うが

『成功者』には、

私みたいなぼんくらな人間には

わかり得ない苦労があるんでしょう。

 

 

 

 

でも、ちょっとくらいは成功したい…

 

くすん…

 

 

 

 

いま、「せいこう」って打ったら、『性交』って変換された。

 

ATOKのばか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

カーターさんのお墓   

00000000000000000000000000000000000     

 

 

 

 

 

テニスで有名な

ウィンブルドンにあります

 

 

 

 

 

 

写真撮る前に草取りくらいしてやれよ

 

 

 

 

 

                    

 

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