スト権ストの日
11月26日は『スト権スト』の日
1975年のこの日
国鉄の労組がスト権を持つべきかどうかを
めぐって、国労・動労がストを実施。
日本中の国鉄を1週間にわたって止めた。
当時私は中学生であり
うちの中学校では、国鉄がストをすると休み
という規定があったために土日あわせて
10連休になった。
毎晩、NHKの9時のニュースを見ながら
『がんばれ労組』と思ったもんである。
しかしながらこのストは、国鉄本体を滅ぼした
今日は、そんなお話。
『スト権』というのは『団結権』『団交権』
と並んで『労働三権』と呼ばれ
『気に入らなかったら働かないぞ』
というもの。
労働者の基本的な権利である。
ただし、当たり前だが
公益性を重んじる公務員は
この権利は制限される。
当時の国鉄は『三公社五現業』といって
昔の受験生なら暗記しなければ
ならなかったんだけど
国鉄職員は『準公務員』という扱いで
スト権は認められていなかった。
ちなみに公務員には『団交権』も
認められていない。
そのかわりに人事院というものがあって
『給料あげたれや。』と勧告してくれる。
自衛隊・警察官・消防官には団結権も
認められていない。
確かに、あんまり『自衛隊労働組合』とか
見たくない。
公務員一般は現業職員(ゴミの収集担当)とかも
団結権は認められていないのだが
例外が教員で、従って『日教組』という
腐った組織がある。
で、
こんな話を始め出すときりがないので
先を急ごう。
復員兵であふれかえった国鉄は
組織組合の草刈り場になった。
当時社会党系であった総評(いまは民主党系)の
国労・動労が主力となって起こしたこのストは
数でいえば圧倒的であったが故に
日本中の鉄道を止めた。
国労・動労もいきなりそんな強硬手段に
出たわけではなく
毎年『春闘』といって2.3日のストをやった。
しかし『スト権』がないのはやりにくい。
毎年の春闘で大量の処分者が出る。
組合闘争は過激化し『幹部のつるし上げ』の
ようなことが常態化する。
その中で1960年代から採られたのが
「遵法闘争」という手法である。
曰く、
「カーブの手前では必要以上にスピードを
落とそう。」
「線路に鳩が止まっていたら危険だから
列車を止めよう。」
「気分が悪かったら危険だから乗務を
止めよう。」と。
「遵法」といえばそうなのか?
もちろん安全が第一なのだが、
要するにサボタージュだ。
しかし、こんな小学生の喧嘩みたいな
サボタージュをやったおかげで
ダイヤは乱れまくった。
遅延欠便当たり前。
もちろん乗客は怒った。
起こった。
この話の流れの中で、
物流は鉄道からトラックに移った、という奴が
いるがそうでもない。
ご覧いただこう。
若干統計が古いが
戦後10年目までは物流の過半を占めていた
鉄道は、1960年代に急速に勢力を失って
10パーセント台になっている。
これは実は10年後でもあまり変わらない。
スト権ストは1975年だし、
1960年代に何があったか、というと
遵法闘争だ。
これが決定的に国鉄貨物を滅ぼした。
その一方、トラック輸送が
急速にシェアを伸ばしたのか、
というとそうでもない。
『自動車輸送』は1970年代初めに39%台を
マークするが、それ以降は低迷して30%台
前半をうろうろしている。
この時代、道路もトラックもひどかった。
高速というのは東名・名神くらいしかない。
主要国道でさえ田舎に行くと舗装もしていない
トラックもトレーラーなんてない。
とてもじゃないが
大量輸送には耐えられる代物では
なかったのだ。
この時代の日本の自動車輸送を
過大に評価してはいけない。
船舶が過半数を越えているあたりに
注目して欲しい。
外国航路はコンテナ化していたが
国内は、昔ながらの荷役方式。
急にシェアが増える理由はない。
70年代にはいって船舶がシェアを
伸ばしているのは
カーフェリーのせいだ。
高速がないからフェリーを使った。
港を降りればそのまま目的地に行ける
いまの人は知らないだろうが、
昔のフェリーの平土間の雑魚寝フロアなんかは
トラックの運ちゃんばっかりだったのだよ。
フェリーだって天気が悪ければ遅延するのだが
そこまでしても国鉄が嫌だったのだ。
なにより、遵法闘争で、
いちばん怒ったのは荷主である。
届け先に約束の日に着かなければ
違約金を払わねばならないのは荷主だ。
石炭ならともかく牛乳なら全量廃棄だ。
人間なら文句言いながらも振り替え輸送に
応じてくれる。
もちろん私鉄が併走していない区間もあったし
併走していても京成のように
まるっきりローカル線だったために
ガラスは割れるは、けが人が出るは、と
偉い騒ぎになったが…
私みたいに『ストなら学校が休みだーい。』と
喜ぶ馬鹿もいる。
しかし、貨物の荷主はそうはいかない。
国鉄は、スト権ストの前に急速に顧客を
失っていった。
しかし、労組は自分達の影響力を過大に
評価していたらしい。
すでに国鉄が陸運の王者であった時代は
終わっていた。
国鉄も、貨物輸送の近代化に
手をこまねいていたわけではない。
国鉄にとって、貨物駅に多数の職員を抱えて
人力で作業することは
遵法闘争との件だけでも非効率であり、
危険でもあった。
そして日本でも『鉄道離れ』が始まっていた。
1970年代、世界において「鉄道再生のモデル」
はアメリカだった。
ハイウェイと飛行機に負け越して
旅客輸送をあきらめたアメリカの鉄道は
貨物輸送に活路を見いだした。
船舶コンテナをそのまま運べるアムトラックは
『三流の路盤に一流の列車を走らせる』という
資本集中と信じられないくらいの
長大な編成などの
徹底的な省力化で大いに収益を上げた。
日本の貨物輸送もあれを見倣おう、
という動きがあった。
1970年代から日本中の貨物取扱駅を削減して
扱う貨物の種類を制限しようとした。
このおかげで、別府鉄道とか
国鉄に乗り入れていた
愛すべき私鉄が滅んだのだが
国鉄の言い分はこうだった。
『コンテナで運べる荷物だけにする』
いまも、国鉄の貨物列車はコンテナを
積んでいるがあれを徹底しよう、と。
距離あたりの運賃では鉄道はまだ競争力が
ある。
ということで、国鉄は全国に貨物線を敷いた。
実は、首都圏のJRの貨物専用線が
最もたくさん敷かれたのが1960年代から
70年代である。
そのうちのひとつに武蔵野線がある。
路線の意味としては、京葉、常磐、東北、
中央、京浜各方面の貨物列車を都心を通らずに
連絡しよう、というもの。
計画としては
戦前からありました。
ただし、戦後実現するにあたり、
この鉄道は貨物鉄道の理想を実現しよう
とする。
たとえばこの路線には踏切がない。
全て立体交差なのだ。
そして決定打は、路線の中間部の埼玉県
吉川市に日本最大のコンテナ貨物基地、
武蔵野操車場をつくったことだ。
貨車の増・解結、誘導を全て
コンピューター制御。
敷地内にハンプを設けて、それ以降
無人運転するなど徹底的に無人化を実現。
広さは甲子園球場3個分以上。
この操車場は、1974年に開業した。
ところが、直後に起こったのが『スト権スト』
である。
荷主は決定的に国鉄を見捨てた。
貨物再生の輿望を担った武蔵野操車場は
たった10年で放棄される
あっさりと廃墟
狭軌の日本の鉄道が船舶コンテナを
積めないことも大きかった。
いまや、大型トレーラーが
コンテナ埠頭から船舶コンテナを
そのまま引っ張っていける時代だ。
鉄道コンテナに積み替えて、目的地の近くで
もう一度トラックに積み替えないといけない
鉄道はまったくかなわない。
神戸のポートアイランドをはじめ
1980年代から従来の埠頭方式から、
ガントリークレーンを並べたコンテナヤード、
というものが一般的になった。
鉄道貨物は、少なくとも大量輸送の手段と
しては社会的な使命を終えた。
『スト権スト』は
結局、国鉄の労働者を救わなかった。
自業自得の側面が強いとは思うが
乾坤一擲のストの12年後に国鉄自体が
滅びる。
そこはざまあみろ、と思う。
俺は国鉄職員が大嫌いだ。
武蔵野線が貨物線だったことなんて
あのあたりに一戸建てを買っている田舎者は
知ってるのか?
「あー、ちょっと通勤が不便よねー。」とか
言っている奴は当たり前だ。
田舎なんだから、ボスママも怖かろう。
しかし、未来を目指した鉄道だったことは
間違いない。
ほんの10年間だけ、夢を見た。
挫折したけど。
では、『今日の国労。』
分割・民営化に反対する『国労のCM]』
こんな嘘くさい駅員いねえよ。
リアルタイムに知っているから言える
悪口がある。
悔しければかかってこい。
(クリックしてくださいな)
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コメント
国鉄労使関係の乱れを国労だけに転嫁して、騙されやすい方ですね。
散々好き勝手やった「当時の」国労幹部が「今の」JR連合やJR総連など、JR系御用組合の要職に平気で就いているんですが?
投稿: かかってやるよ | 2018年4月 5日 (木) 23時46分
この文章のどこに『国鉄の労使関係の乱れの原因が国労』だけだと書いてある?武蔵野操車場の事例をあげたのは『労使関係の乱れ』を切り離すために国鉄当局が打った手がそれであり、失敗したのは『スト権スト』だ、といいたかっただけだ。あなたが何歳か知らないが、あの当時の国鉄の腐りきった駅員を見ていたら、それが国労だろうと動労だろうと、関係あるか。
あいつらは『顎でしゃべるんだ。』
国鉄―JRの労組の血縁関係なんか知るか。
お前らが国鉄を滅ぼしたんだ。
そして、俺は東船橋の駅で線路に突き落とされて真剣に殺されかけたんだ。『だまされやすい。』とはよくも言いやがった。かかってこい、この馬鹿野郎。国労も動労も鉄労も関係あるか。お前らなんか幅の揃えられない線路のはざまで、死ね。
投稿: natsu | 2018年4月 5日 (木) 23時56分