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2014年12月の投稿

2014年12月24日 (水)

クリスマスイブ・ラプソディ 2014

さて、最近ブログを更新する体力がなくなってるけど

今日は、クリスマスイブじゃないですかっ。



夜8時くらいにコンビニに行ったら、女の子のバイトの店員が

『クリスマスケーキ半額』っていう、POSを

一生懸命作ってたんですよっ。








と、いうことで

過去の『クリスマスの、あほ記事』をどうぞ。



























2012




『じんごのべーじんごのべー、じんごのおーざうぇー』

 

『おいっ。一休。早くそのモールと電飾をはずせっ。』

  

『なに言ってるんですか?住職が言ったんですよ?

千手観音が光っていたらきれいだろうって。』

 

『そんなこといったって

クリスマスに寺に来る奴なんかいるかっ。』

  

『重文の千住観音様に可燃性の電線を巻き付けたっていうことで

文化庁の人にひどく怒られたんですよっ。』

 

『馬鹿野郎っ。』

  

『ひっ。』

 

『クリスマスが終わればヤソボウズどもは静かになる。』

  

『ヤソ教=キリスト教ってのがもう通じますかね。』

 

『これから除夜の鐘、初詣、十日恵比須にいたるまで

ブッディスト2週間だぜ。』

  

『十日恵比須は神道ですが。』

 

『うるせえっ。神仏混交だっ。』  

 

 

 

 

 

  

 

『毎度ー、ハッピー葬儀社でーす。』

 

『おうっ。待ってたぜ。

この年の瀬に死ぬ奴がいるんだなあ。』

  

『年の瀬だってなんだって死ぬ奴は死にますよ。

後2時間後に遺体が来ますから

よろしくお願いしますね。』

 

『お願いしますったって、お経を読んで

口説をして、いつものコースでいいんだろう。』

  

『それが今回は、お施主さんの希望で

うんと派手にして欲しいそうなんですよ。』

 

『…派手な葬式ってなんですか?』

 

『馬鹿野郎っ。』

  

『ひっ。』

 

『一休。余計な口を出しちゃいかん。』

  

『はあ。』

 

『ガーナの葬式はすごいんだぞっ』

 

  

 

 

 

『これはこれでいい葬式だと思いますけど。

うちの寺の、狭い境内でこれをやるんですか?』

 

『違う違う、じつはな…』 

 

 

 

 

 

  

『へーイ、エブリ参列者。

今日は故、佐村河内晴子の葬式に

ウェルカム。』

  

『微妙な固有名詞ね。』

『「葬式にウェルカム」っていわれてもねえ。』

 

『葬式だからっていって湿っぽいのはごめんだぜ。

という故人の強いご遺志で

今日はハッピー告別式だぜっ。』

 

『ハッピー告別式?』

『何が始まるのかしら。』

 

『まずは、今日の般若心経をパフォーマンスする

ハッピーなアーティストをご紹介しよう。』

 

『アーティスト?』

 

『16ビートのウッドフィッシュが君のハートを

がっちりゲットだぜっ。

世田谷一の木魚パーカッショニスト、

いっきゅー。』

  

『世田谷一?』

『地味ね。』

『ウッドフィッシュって木魚のことだったんだあ。』

 

『次は、メイン読経イスト、オショー。

奴の270文字は、君のハートをつかんで

GO TO HEAVENだぜっ。』

  

『いやいや、あたしたちが、ヘブンに行っちゃだめじゃない。』

『結局千手観音の電飾そのままだわ。』

『派手ねー』

 

『へいっ、レッツ、ぎゃーてーぎゃーてー』

 

 

では、『今日の般若心経。』

 

 

 

 

 

 

 

つのだ☆ひろ の般若心経。

名前を打つのがめんどくせえ。

 

 

 

本当は、黛敏郎の『カンタータ・般若心経』がすき。

(動画がありませんでした。)

 

ぜひ聴いてみてください。




























2012-2

クリスマス・イブだ。

世界には『クリスマス』と名前が付いた島が二つある。








0000






(クリックで大きくしてね)

ひとつは、

キリバス領クリスマス島。

 

もう一つは、

オーストラリア領クリスマス島。





どちらも赤道直下で、

あんまりクリスマスのイメージはないが

その日に発見されたり、上陸されたりという歴史がある。








キリバス領のクリスマス島がこちら。 



0000chrismas_island2_2



世界最大の珊瑚礁で

ラグーンが美しい









絶景なのは間違いないけど、

1960年代にイギリスが水爆実験場に使用したこと、

何よりもキリバスの首都のタラワからさえ3000km以上

離れているくらい交通が不便だったので

観光地としては流行らなかった。


だから、マニアしか行かないダイビングスポットであり

なにぶん島中が浅瀬で熱帯だから

天然の塩田みたいなもので農業もできなかった。 


従って、主力の輸出商品は開き直って『塩』である。








0000chrisms_island3_2





クリスマスの
 

しおっ








キリバス領事館のHPが死ぬほどやる気がないので、

一体どのような渡航手段が可能であるのか

わかりかねるのだが

今は、ホノルルから週一便の定期便が出ているという。







行ってもやっぱり死ぬほど暇だと思うが

それがいい、という人が行けばいいだろう。

帰ってきたくなくなるかもしれない。


ただし、キリバスという国は景気が悪く

南太平洋の大半の国がそうだったように、

アホウドリの糞が堆積したリン鉱石で食っていたのだが

とうに枯渇して今は観光に活路を見出そうとしている。







キリバスの国境線は不可解に不自然なのだが

そんなことになっているのは政治的な理由とともに、

この国が、『世界で一番早く日付が変わる国』

になりたかったからである。




0000chrismas_island4_2

ハワイと同じくらいの

経度にあるのに

日付けは一日ちがう。




2000年と2001年の「ミレニアムイヤー」に

大いに観光客を誘致しようとしたが大失敗で

どうしよう、ということになっている。

(外務省 キリバス)

















オーストラリアのクリスマス島も

あまり幸せではない。


この島もリン鉱石の島でオーストラリア政府は採掘のために

中国人やマレー人などを受け入れた。

戦前のことだ。


ただし、オーストラリアは1970年代まで

『白豪主義』と言って、有色人種の移住を極端に制限し、

先住民族であるアボリジニなどを差別してきた。

クリスマス島でも、太平洋戦争では、

イギリス人支配に反発した現地人の反発によって

日本軍が無血占領している。







現在、クリスマス等の住民の7割は中華系(華人・華僑)だが

すでにリン鉱石はない。

人種差別がなくなったか、というとそんなこともなく

2001年に『タンパ号事件』というのが起こっている。



紛争の続くアフガニスタンからの難民440名を乗せた船が

クリスマス島附近で座礁。

救助したノルウェーの貨物船タンパ号が

『病院に連れて行ってやってくれ』と

オーストラリア領海に入ると、

オーストラリアは空軍の特殊部隊を投入して侵入を阻止。


国際的な非難を浴びると『Pacific Solution』という法律を

作ってこれを正当化した。








難民を受け入れない、ということに関しては

日本政府も褒められたものではないのだが、

事実上の漂流者を特殊部隊を使って追い出す、ということを

オーストラという国はするのだ。


昔の話ではない。

今世紀の話だ。


政権交代によって『Pacific Solution』法が廃止されたのは

呆れたことに2007年である。















実を言うと今日の話は、

『熱帯にクリスマス島がある。

六甲山から人工降雪機を持っていったら  

「ホワイトクリスマス」じゃないか?』

というお気楽な話で終わろうと思ったのだ。


しかし、どちらも

そんなに気楽じゃないらしい。










もっとも、キリバスの方のクリスマス島の奇跡の珊瑚礁は

行ってみたい。



阪急電車で30分くらいだったら行ってみたいけど、

ハワイ経由で週一便しか飛行機がなく無理矢理日付変更線を

超えるんなら、最低10日間の暇と100万円が必要だ。


ちょっとハードルが高いな。
















オーストラリアの方のクリスマス島の方が

行きやすそうかなあ。 







やる気のないキリバスと比べると、

はるかに充実しているオーストラリアの

クリスマス島観光局のプロモーションビデオ。




クリスマス島は10月、11月の雨季に

赤ガニが大移動することでも知られています。

この動画の中にも出てきますよ。




        






では、『今日の一枚。』
















キリバスのクリスマス島には雪が積もる

00000000chrismas

 

ほら、海のそばまで








じつは、これは塩。



最初の写真のように浅瀬で熱帯だったら、

島中が天然の塩田だ。


塩分を含んだしぶきが結晶して

こんなことになるらしいです。 






 

 

2011-2

  

『ご住職様。なにやってらっしゃるんですか?』

 

『掃除じゃよ。今日はクリスマスイブじゃそうだから

寺は静かなものよ。』

 

『もうじき初詣で忙しくなりますよ。』

 

『…静かじゃな…』

 

『…ええ…』

 

『……』

 

『住職っ。千手観音とあやとりするのは

やめて下さいっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今年の「サンタ実況生中継」。』 

 

 

NORAD tracks SANTA 

日本時間24日午後4時から。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう二枚。 

 

 

 

Go_santa  

 

行くぜっ

 

 

 

 

 


 

 

 





2011




『じんごのべー  じんごのべー  じんごのおーざうぇえええ…』

 

『ちょっとお、ここで吐かないでよ?』

 

『ママぁ、もう一杯。』

 

『マーさん、飲み過ぎじゃない?』

 

『いいんだよお……ウィスキーが好きなんだよお……

もうすこし、喋ろうよう……』

 

『マーさんのお家、お嬢さんがいるんじゃなかったっけ?』

 

『…うん。』

 

『帰らなくてもいいの?』

 

『いいんだよお…』

 

『10年くらい前だったら、マーさんもばりばり仕事してて

部下の山田さんが、まだ飲みたそうにしてても、

「イブだけはケーキを持って帰らなきゃいかん」って

すぐに家に帰っちゃったじゃない。』

 

『はんっ、その娘も「パパ、ことしはデートだから遅くなるね。」

とか、言っちゃってよお…』

 

『それでやけ酒なのね。

うふふ。お嬢さん、いくつになったの?』

 

『まだ16だよう。そんな青い尻の時分から、

ふらふらふらふらふらふらふらふらと、だあ…』

 

 

 

 

 

からんからん

 

 

 

 

『いらっしゃあい。

あらあ、山田さん。いまあなたの噂してたのよ。』

 

『あ、まだいいかな…?』

 

『ほら、マーさん、山田さんよ。

あらあら彼女なんか連れて、かわいらしい…』

 

『あっ、珠子…』

 

『おとおさん…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『皆さん、本日は

「クリスマスなんか吹っ飛ばせ。

てめえら日本人だろ?

写経で婚活ホーリーナイト。」にようこそ。』

 

『初めまして…』

 

『こちらこそ…』

 

『皆様の文机には、ご本尊の千手観音様の千本の小指から

赤い糸が一本ずつ伸びて絆っております。』

 

『まあ…』

 

『いやあ、こういうイベントは、初めてで。

おや?あなたは下書きなしですか?…』

 

『ええ。私はすでに婚活イベント50連敗ですから。

かんじーざいぼーさーつーぎょうじんはーらーみーたーじ…』

 

『……』

 

『……』

 

『おやおやあ?どうしましたか?ここわあ。

そんなに暗い顔をしていると、高野山ちぇーっく。』

 

 

 

がらがらがらー

 

 

 

『ああっ。ご本尊の千手観音が倒れたっ。』

 

『住職がそんな長い裾を引きずって歩くから

赤い糸を引っかけちゃって。』 

 

『なんて運命的な…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あの、この宝石。君にあげるよ。』

 

『碧緑色で、とてもきれい。』

 

『黙って、その石を指につけてくれ。』

 

『…はい。』

 

『それで、君の手を僕の手の上に重ねてくれ。』

 

『…幸せだわ。』

 

『いいかい?』

 

『…はい?…』

 

『いくよ。』

 

『……』

 

『……』

 

『バルス!』

 

『え?え?ちょっと待って。…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』 

 

 

 

 

未来の意味

0000of_the_day  

 

 

 

 

 

 

 

 

『幸せを分けるイヤホン。』

盛装しているところを見ると、本当に幸福だったらしい。

 

糸で幸せがもらえるんなら、欲しいともさ…

 

 










   

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はあ、疲れちゃいました。

『バックナンバー』を探すと、まだ、つらつらと見つかると思うので

すっごく暇な方は、ぜひどうぞ。














2010

 

Santa13_3  

 

めりー 

 

 

 

 

いやあ、いつの間にかクリスマスイブですな。

ことしも、あと一週間だとよ。

早いねえ。  

 

今年は暑い暑い暑い暑い言っていたのに、

今日は寒い。

 

 

クリスマスイブもお仕事の皆さん、お疲れ様です。

私も行って来よう。 

 

NORADの『サンタ追跡』、ことしも、午後4時からだそうです。

(NORAD Tracks Santa)

 

 

その頃までには戻ってくるつもりである。

いや、それを見に帰ってくるわけじゃないけど。

 

そ、そんなにさみしくなんか、ないともさ。

 

 

Santa15_3  

 

じゃあ、行ってくるかの 

 

 

 

 


大阪や神戸の街中がどんな浮かれ方をしているか

じっくり見てきたいもんだが、

夜にならないとだめだろうな。

 

 

Santa14  

 

 

命がけのサンタ。 

 

 

 

 

 

 




今日はみんなパーティーだの

飲み会だのやるんだろうなあ。

ええのう。

 

 

Santa8  

 

楽しんでいるのは

親だけさ。 

 

 

 

 

きっと夜になると、ぐれちゃうと思うので、

用事を済ませてとっとと帰って来よう。

 

 

Santa12





べー















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あーあ。

めりくり、っと。

 

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2014年12月21日 (日)

ハーバーランドと神戸駅 (再)

2012年3月11日、神戸ハーバーランドにある神戸阪急が閉店した。

(神戸新聞の記事へのリンク)



この記事は、この件の3年近く後の再掲です。

いや、まあ。 東京駅、大阪駅、と書いてきて、

結構力作だったんだもん。


元気ねえ。と、自分でも思うさ。

だから、ぜひ読んでください。













(ここから再掲)


個人的にはとても感慨深いのだが

3.11を狙ってきたあたり、余程ニュースにしたくないらしい。

 

 

確信犯だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハーバーランドというのは

神戸駅の南側にあった貨物駅の大部分を再開発したもの。

 

 

 

 

 

 

まさか『神戸駅』の位置がわからない人がいたら

嫌だなあと思うので、念のためここですよ?

 

 

 

2012y03m12d_165732141 

 

 

これでわからなかったら

もういいや。

 

 

(クリックで拡大するけどね。)

 

 

 

 

 

 

ハーバーランドは1992年にオープンした神戸の新都心。

オフィス、ホテル、ショッピング施設、住宅などで

構成されている。

 

 

 

 

 

商業エリアの核テナントとして、

西武、阪急のふたつのデパート、そしてダイエー、

ホテルとしてニューオータニが入った。

 

 

 

 

ところが、ここは運に恵まれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開業直後こそ、駅から列が続くくらいの人気を集めるのだが

神戸西武は2年後の1994年に撤退。

 

直後の1995年に阪神大震災があって、客足が鈍るようになり、

2006年にダイエーが撤退、2009年にニューオータニも撤退、

そして今回の阪急撤退で開業当初の核テナントは消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイエーがあったビルは、激しくテナントが変わっている。

 

西武とニューオータニの入っていた

ハーバーランドセンタービルに至っては、現在ほぼ空家である。

 

 

 

 

今回の阪急も含め、どこも経営主体を代えて

来年の3月頃には再オープンしたいなあ、と。

 

 

 

呪われているかのように、次々とだめになる。

 

 

  

なんでこんなことになったんだろう、

という話をしようと思ったのだが

調べてみたら、ここにあった国鉄神戸駅の歴史というのが

めちゃくちゃ面白い。

 

 

 

 

 

 

     

ハーバーランドの話なんかどうでもよくなっちゃったので、

今日は、その話をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、どうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸駅の開業は早かった。

  

 

 

 

新橋-横浜間の開業2年後の1897年(明治7年)にできた。

大阪-神戸間で開業し、3年後京都まで延伸する。

 

 

直後の地図がこれ。 

Kobe2  

 

明治14年の神戸駅

なぜかこの地図は左が北

(Wikipediaから)

 

 

 

     

海にズドンと突き出しているのは鉄道桟橋。

旅客や貨物列車をここまで運んで船に乗せた。

 

 

 

 

 

そして、この地図だとよくわからないと思うので

古地図研究サイトとしては老舗のこのページをご覧ください。

(このHPはすごい。 Old Map Room 河川跡に作られた町)

 

 

 

 

 

 

 

 

この時代には、旅客駅が海側にあります。

図面でいうと一番上の大きな箱。

 

  

乗客は、図面左手の市街地から構内をぐるりと回って

海を背にして駅に入る。

 

 

なんでこんなことになったのか、

ここから先は想像だが、

 

この鉄道は、日本人なんか

相手にしていなかったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

   

外国人居留地のある横浜から、『帝都・東京』。

同じく神戸から、商都大阪、そして『ミカドの街・京都』を

最優先で開通させたのは、明治日本の見栄だ。

  

はっきり言ってこの時代の神戸駅は、ここで乗降しようとする

日本人の乗客を相手にしている気配はない。

 

 

 

旅客駅の北側、最初にあげた地図だと左側、

つまり市街地側には乗客の入り口がない。

 

ごちゃごちゃと引き込み線が描いてあるが、

これは車両工場。

 

 

『喧嘩してやらあ』っていうくらい背中を向けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、この駅の形だと、

東海道線は神戸で腰を落ち着けて、そこから先、

山陽方面に行く気がないように見える。

 

 

 

実際、神戸までが、官設の東海道線。

神戸から先は、私鉄の山陽鉄道が建設した。

 

したがって神戸駅は現在も、

東海道本線の終点であり、山陽本線の起点でもある。

 

0000_0mail    

 

4番線から見える『0マイル標 』

 

 

     

ちなみに鉄道駅の下の部分、

西側を横断するように走っているのは、湊川。

  

以前も書いたが、昔の湊川はここを通っていた。

付け替えられた河川敷に作られた街が『新開地』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しまった。

一枚目で、えらい文字数をとってしまった。

先を急ぐぞ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東海道線の全線開業は1889年(明治22年)。

山陽鉄道が国鉄に編入されるのが1906年(明治39年)

 

Kobe3   

 

大正13年の地図

(Wikipediaから)

 

 

 

  

この年、西から延びてきた山陽鉄道が神戸駅に乗り入れる。

そして、駅舎は移設される。

 

この地図ではなんだかさっぱりわからないと思うので

詳しくはさっきの、Old Map Room をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで駅舎は、初めて市街地を向く。

2代目駅舎がこちら。

 

0000_kobe2  

  

開業当時の2代目神戸駅

なんか寂しい駅前。

 

 

 

      

さらにこの地図で注意して欲しいのは、

貨物線の機能が明治時代よりも充実していること。

 

 

 

  

海岸部分(いまのモザイクの場所)には、

『三菱倉庫』の文字とともに縦横に走る引込線が見える。

 

この時代、突堤や桟橋がなければ

荷役はできなかったと思うので「はしけ」か?

 

まあ、どんな輸送をしてたのか面倒くさくて調べないけど

倉庫街の充実といい、貨物輸送の機能が

大きくなったことをうかがわせる。

 

 

 

 

 

そして貨物線は東海道本線経由であり

まだ、構内に車両工場もあった。

鉄道桟橋もある。

 

 

 

 

 

この状態では、『神戸から外国行きの汽船に乗りたいなあ』

という人は、神戸駅の改札から延々と構内を歩かねばならず

要するにそんな人、相手にしていない。

  

外国航路の窓口としての神戸は重要だったが

新開地で飲んでいたおっさんが、

『ちょっと、サンフランシスコに行ってくるわ。』という

時代ではなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸駅に画期的な変化があったのは

20世紀に入ってから。

  

いままで神戸駅に課せられていた

車両工場の機能が鷹取工場に移転されたのが

1916年(大正5年)

 

 

貨物駅と鉄道桟橋に通じる路線が専用貨物線経由になり

神戸駅とその前後の兵庫、三宮(いまの元町)、灘駅間が

高架線になった。1928年(昭和3年)のことだ。

 

そして、旅客駅も高架専用の豪華な駅舎になり、

貨物駅は東海道本線と切り離された。

 

 

 

 

その直後の地図、で引用できる奴がないので

さっきのページをどうぞ。

 

 

 

 

 

神戸駅の南側がこんな風景だったのか、というのは、

正直『神戸市民20年』の私も知らなかった。 

 

2号線も通ってないんだもんなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、この1930年(昭和5年)に

建てられた3代目の駅舎がこちら。

 

0000_kobe3  

 

 

開業直後の神戸駅

 

 

 

 

 

  

そして、これは

現在の駅舎だったりする。

 

 

0000_kobe5  

 

 

ほら、白いマリオンが

おんなじだ。

 

 

 

 

 

基本的には、この状態で神戸駅は長く過ごす。

 

 

戦後、国道2号線バイパスや阪神高速ができて貨物駅は分断され

機能は縮小されるが、港湾コンテナ駅として1980年まで続く。

 

貨物駅が正式に廃止されたのは1985年(昭和60年)。

 

その直後から建設されたのがハーバーランドで

オープンしたのが1992年。

 

 

 

 

 

 

 

 

駅から5分なんだけどな。 

なんかフラストレーションがたまるな…

 

 

 

 

 

 

 

『なぜハーバーランドはだめなのか?』

『なぜ、神戸は都心が西から東に移ったのか?』

『新開地と神戸高速とメトロ神戸って?』

 

とかいう話は痛快に面白いのだが、いずれまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の2枚。』

 

 

 

 

 

 

改めて、開港直後の神戸駅と、現在のハーバーランド。

 

Kobe2_2

 

 

 

 

 

 

Wikipediaが『貨物駅の全部がハーバーランドになった。』

といっているのは大間違いで、

かつての鉄道桟橋は川崎造船の工場の一部になっている。

 

 

 

 

どうも地図が重ならないな、と思って

あれこれやっていたら、かつての鉄道桟橋は

第四ドックの一部として埋め立てられていて、

そこにはこんなものが写っていた。

 

2012y03m12d_161059101 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乾ドックに入っている潜水艦。

 

 

 

 

       

Google earthさんだと、もっとくっきり。 

 

2012y03m12d_182941720    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふわああ。

 

 

 

 

 

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※:埠頭と桟橋なら埠頭の方が大きいんじゃないのか?

といわれてしまったが、『鉄道桟橋』というのは

もう、それでひとつの用語なんです。

旅客駅としては正式には『神戸港駅』という名前でした。

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2014年12月20日 (土)

東京駅 裏物語(再)

2014年12月20日は『東京駅開業100周年』。

記念Suicaを求める暴徒が殺到したり、

限定復活したブルートレイン『富士』が運転されて、

撮り鉄が暴れたり、まったくもう。









ということで、

この記事は1年前のものの再掲です。






2013年10月1日復元工事を終えた東京駅が公開される。

 

 

 

へそ曲がりなこの日記は

当然そんな話はしない。

 

 

 











さて、

 

 

東京駅と並んで日本を代表する駅が大阪駅。

このふたつの駅には大きな違いがあるのだが

わかるだろうか?

 

 

250pxjrw_osakastation_201104    

 

 

大屋根がかかった

大阪駅 







 

大阪駅といえば、今年大規模にリニューアルしたから

きれいだよな、っていうのもそうなんだけど、

大阪駅と東京駅には、決定的な違いがある。



新幹線の駅、っていうのも正解だし、

八重洲地下街には銭湯があるぞっていうのもそうなんだけど、

あんまり引っ張ることでもないな。






貨物駅だ。




大阪駅は1874年(明治7年)の開業時から貨物駅があった。



むしろ昔の大きな駅では隣に、あるいは近傍に

貨物駅があるのが当たり前で、

前にも書いたが神戸駅もそうだった。



むかしは、貨物列車が旅客線を走っていたから当然である。



しかし、東京駅は1914年の開業時から

そういった機能を持った歴史がない。




このことが東京駅の性格を表している。 

『国家の玄関』にしたかったんですね。






今日はそんな話です。
















梅田貨物駅は現在も機能している。 

敷地の一部は売却されて

ナレッジキャピタルタウンとかいうものが出来つつある。

(絵に描いたようなコンセプトシート) 



移転先の吹田と百済
(どちらも貨物駅)が完成すると、

残りの敷地も売却される。


さて何を作ろう、ということで橋下さんなんかは

『公園はどうだ?』とか言っているらしいが

しわい大阪人が許してくれるかしら。



公園にしたいんだったら屋根が平らでもいいような建物

たとえば、遠くて古くて不評なインテックス大阪の代わりに

国際展示場でも作って屋根を緑化して公園にして

人間が入れるようにしたらどうだ?

  

国際展示場としては敷地が狭いか?













しかし、大阪という街は北方貨物線という

大阪市内を迂回する貨物専用線が出来ても

巨大な梅田貨物駅を残した。


    

1     

 

1985年の大阪駅

旅客駅に刺さるように

接しているのが

梅田貨物駅 





大都市には、その街から発送する、あるいは入ってくる

大量の貨物がある。



梅田貨物駅には運河が連絡しており

水の都・大阪の貨物を運んだ。

大阪中央郵便局の裏側、いまのホテル・モントレのあたりは、

かつて貨物船の舟溜まりだった(Old map room 大阪駅)

      

0000_oosaka    

大阪駅を西南から見たもの。黒い部分が掘割。

駅の北側にも連絡してますね。

東京の場合はどうだったか?


新橋-横浜間に鉄道が開通したのは大阪駅に先立つ1872年、

翌年、隣接して汐留貨物駅が作られた。



220pxckt7415_c30_42    

 

 

 

 

いまはシオサイト

なっています。












でまあ、東海道線としては

『これでいいんじゃねえか?』

と思っていた節がある。


東北本線も、ほぼ同時期に建設が始まっていた。

官設の東海道線と違って、こちらは

半官半民の日本鉄道による建設。







出資者の一人に岩倉具視がいた。



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彼は、東北本線開通の報を聞いて

『これで、東北で 飢饉が起きても死者は出るまい。』

といったという。 


という話を、何かで読んだ記憶があるのだが

この人は上野-大宮間が開通するよりも前に

死んでしまっているのだ。





ゆ、ゆうれい…?









しかし東北本線には貨物輸送の機能が

強く求められたいたことは確かである。


東北本線における汐留貨物駅のような存在は

当然、終点の上野駅に求められた。



開業時の上野駅には貨物駅もあったのだが、

すぐに手狭になった。

あの駅は上野公園に接している。

上野公園は『恩賜』というくらいだから、陛下に戴いた土地で

そこを削って貨物駅など作れない。



上野駅の貨物ターミナル駅機能は

隣接する秋葉原に貨物駅を作って移された。




『オタクの聖地』秋葉原は

貨物駅だったわけですな。









実際、この路線の計画時には上野-新橋を

皇居東側、つまり現在の東京駅経由で通す

構想はあったらしい。



しかし、この計画は早々に放棄された。



理由はふたつ。

ひとつは、丸の内のあたりは原っぱだったが

それ以外の地区はすでに都市化していたこと。

いまとは比べものにならないが

それでも買収に手間がかかる。





それよりも大きな理由は

皇居から東はむかしは海で

とてつもなく地盤が軟弱だったから。


実際いまの東京駅が建設された時には

1万本以上の松の木の杭が打ち込まれた。

総武線地下ホームと成田新幹線の東京駅(今の京葉線東京駅)が

作られた時、大半が撤去されたはずだが

今回の修復工事でも『出土』しているんだそうです。















上野で行き詰まってしまった東北本線と

東海道線を連絡したい。

人間はともかく貨物列車は何とかしたい。



そこで作られたのが山手線である。

というのは、鉄っちゃんの基礎知識だが

『いまの山手線廻りで、上野-品川を結ぶんだったら

遠回りだよなー。』と思うだろう。


それでは『初段』はやれん。











建設当時の山手線はいまのルートではない。



赤羽駅で東北本線から分岐し、

いまの赤羽線(営業名称は埼京線)を通って

池袋でいまと同じ山手線に入り、

大崎-品川-大森という三角線を経由して

横浜、品川、両方面に連絡していた。

(大崎-大森間は貨物専用線)





つまりこう。 

0000_1905
























距離で見ても、皇居東回りのルートよりも近いことがわかる。



ただし、ブラタモリに教えてもらわなくても

山手線は切り通しとか急勾配があって工事が手間取った。 












さらに、明治政府は戊辰戦争で叩きのめした東北を

復興させるために、宮城県の野蒜というところに

国際港と貿易都市を造ろうとした。



野蒜築港計画という奴で、1878年(明治11年)に

巨大な築堤と近代的な街路で仕切った街区を造った。 

野蒜は東北本線からは離れているが

これができたら横浜まで生糸を運ばなくてもいい。




しかし、江戸に近い横浜、大阪に近い神戸と違って

野蒜はあまりに田舎だ。

外国人の商館は出店せず

さらに港湾自体が

1887年(明治20年)の台風で壊れてしまう。 



もう、踏んだり蹴ったり藤原鎌足である。








東北本線の側からいえば

赤羽-品川間が開通したのが1985年(明治18年)だから、

危ないところだったわけです。




東北の物産は鉄道で横浜まで運ばれ、

東北開発のための物資は鉄道で移動できるようになった。

















で、


さっきの1904年(明治37年)の

東京の鉄道路線図を見てもらうとわかるが、

この時点で東京には『中心駅』がない。 











ヨーロッパの街なんかだと、

ターミナル駅というのは方面別にいくつもある。

パリにいてリヨンに行きたいと思う人はリヨン駅に行けばいいし、

モスクワにモスクワ駅はない代わりに

サンクトペテルスブルグ駅はある。

そっち行きの列車が出ている訳です。








明治時代の東京の鉄道も、そんな感覚だったらしい。

東北線のように経営母体が違うせいでもあった。

ちなみに、中央線は甲武鉄道、房総方面は総武鉄道と

不思議とみんな建設・経営主体が違ったのだ。



私がガキの頃、つまり『総武線地下ホーム』が完成するまで

房総方面の優等列車は『両国始発』という時代があった。

『変なところで降ろされるんだなあ。』と思ったもんである。




東北本線もそう。

上野駅の東北本線と常磐線のホームは『頭端式』といって

きっぱりと行き止まりになっている。


阪急梅田駅なんかもそうです。

九州だったら門司港駅なんかもそう。

『ここから先にはいかねえぞ。』



東北本線を作った日本鉄道は

旅客に関しては上野をターミナルにして

先に行くつもりはなかったらしい。











ところが、鉄道会社とは別の次元で

『東京の中央停車場を作ろう。』という構想が起きていた。



明治17年(1884年)東京市は市区改正計画というのを始める。

いまで言う都市計画だが、この中に

『新橋-上野間の連絡線と、中央停車場の設置』

という項目があった。



さらに、政府のレベルでも、

鉄道局の顧問だったフランツ・バルツァーという先生が、

独自に連絡鉄道の計画を作っている。

1920年代のことだ。



バルツァー先生は、ここで今日につながる重大な

項目を提案している。

『南北連絡線の中央停車場の位置は丸の内側とする。』

『中央停車場は皇居を向き、中央に天皇専用出口を設ける』

『連絡線は高架鉄道とする。』



『高架鉄道』というのは、技術者バルツァー先生の慧眼で、

これが実現できたことはこの鉄道の性格を決定づけた。



中央停車場周辺の地盤の弱さや、将来の都市交通を

見越しての提案で、彼はれんが+鉄骨トラスという

新しい技術で、今日にも残る高架鉄道を造った。



しかし、『駅舎を丸の内側にする』、『天皇専用口を作る』

といったあたりは、彼の独創というよりは

おそらく明治日本の意志だった。



江戸城郭内の屋敷地であった丸の内に

既成市街地はなく、連絡線である以上

南北に貫通するその線路の

どちらかに駅舎を作らないといけない。










時間の関係が前後するが

わかりにくいと思うので

東京駅建設前後の周辺の地図を見てください。








着工前、明治24年の東京駅付近。

図面右側の整然とした区画は江戸時代からの町、

しかも、銀座、京橋、日本橋、と超一流であった。

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1921年、東京駅丸の内駅舎竣工7年後の東京駅と周辺。

結局、東京駅は丸の内側に立地する。

2012y10m02d_081532333






















行幸道路は出来ているけど

丸の内はすかすかですな。

しかも、この時点では、八重洲側に改札口はない。

連絡通路はあったが、現在外濠通りと呼ばれているように

昭和に入るまで八重洲側にはお濠があった。



八重洲橋が架けられて、

中央コンコースの先に八重洲口が作られるのは

東京駅開業から15年後の昭和4年である。



地図で見ても明らかなように

歴然と繁華であった海側の地区を見捨て

野原であった、丸の内地区を三菱に下げ渡して

『1丁ロンドン』を作らせて、

なにより、幅100m長さ400mという

若干寸詰まりな行幸道路を開いたのは

明治政府の意志であった。



明治20年代、日比谷、霞ヶ関、永田町、といった

『江戸の内殻』に洋式建築の官庁、議事堂街を造ろう。

世界の一等国だもん。そのくらい当然さ。

という気運があった。




その要となる中央停車場は

だから、町民どもの街の方ではなく

皇居を向かって建たなければならない。

そして、然るべく立派なものでなくてはならない。










ちなみにバルツァー先生、中央停車場の図面まで描いている。

 

 

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外人が理解した

ジャパン







図面そのものは、こういう『和洋折衷』が大嫌いだった

実際の設計者の辰野金吾から、

あっさりと無視されて洋風になるのだが、

『丸の内側に駅舎』という基本構想は引き継がれる。



うはうはに賠償金が取れた日清戦争の2年後18969年に、

『中央停車場計画』は国の予算が付いて国家事業となる。

辰野金吾が設計者として相談されるのは日露開戦の半年前。

ただ、臥薪嘗胆の時代、予算を絞られて

辰野先生は苦労したらしい。



さらに日露戦争終戦の1905年に正式に設計が開始される。

その3年後に着工するのだが

こんどは賠償金が取れなくて貧乏だったくせに

『これで世界の一等国。』

どかんと予算を増額して計画は拡大された。



今回修復された東京駅は空襲で焼けてしまった

3階部分が再現されているが

竣工当時、3階はほとんど空き部屋だったそうである。

立派に見せたいために必要のない3階を作った、と。








丸の内側の出口を降りると、幅100mの行幸道路が

皇居に続いている、という東京駅は

『国家としての明治東京の玄関』

だった。そして、

『明治日本の背伸びの象徴』

でもあったわけです。









この辺の機微を理解していない、外人のバルツァー先生は

『裏口』に当たる八重洲側に

貨物駅を計画していたらしいのだが

もちろん、そんなもの却下された。





『駅裏がない』というのは、

この駅の性格を鋭く表しているように思えるのです。































では、『今日の四枚。』













最初から高架駅として建設された東京駅と違って

その40年前に開業した大阪駅は、

地上にプラットフォームがあった。

 

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一見立派な

初代大阪駅













ところがその構内はこんな感じに、のどかだった。

800pxosaka_station__original_depot_













大阪駅が高架になるのは、なんと東京駅の20年後の

1934年(昭和9年)である。



高架にするのは、踏切とかで市内交通を邪魔いないため

というのが普通の理屈。



しかし大阪駅近傍に関していえば

東海道線の場合、下りは隣駅の塚本で土手になり

神崎川を越えて尼崎で地上に降りてしまう。 

上りはもっとだらしなくて、淀川を越えて

隣の東淀川駅で地べたに降りてしまう。







そもそも昭和9年には、国鉄の上を阪急電車が

高々と高架でまたいでいた。



線路が交差する場合『後輩が先輩をまたぐ』というのは

鉄道敷設のルールなのだが、国鉄を越えた阪急は

国鉄駅のすぐ横に駅を作り、隣に

日本初のターミナルデパートを作っていた。



国鉄が高架になるなら阪急は地上に降りないといけない。

無茶な話で、小林一三は激怒したらしい。



さらに、国費で高架にされた東京駅と違って

大阪駅の場合は大阪市の予算も入った。



市会の中には『そこまでしなくても。』という意見も

あったのだが、大勢は

『東京が高架鉄道なのに大阪が地べたなのは恥ずかしい。』

『昭和9年には天皇陛下の行幸がある。』

といった理由で国鉄駅の高架化を決めた。






1934年(昭和9年)6月1日に

下だった国鉄が上に、上だった阪急が下にという

奇跡の工事がたった一夜で行われる。 

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高架-地平切り替え工事中の写真。


















阪急電車はこの後国鉄駅をくぐって阪急デパートの後ろに

ターミナルを作る。 

0000_umeda1935

 

 

切り替え直後の梅田駅 










しかしさすがに阪急デパートと

国鉄高架線に挟まれた駅は狭く、

1966年(昭和41年)に現在の位置、

国鉄駅の北側に移転された。



従って遠くなった阪急梅田駅は

距離感の解消のために、阪急駅-国鉄駅の間に

日本初の『動く歩道』を作った。



これだけでも驚くのだが

イラチな大阪人は、『動く歩道』の上を速足で歩く。



まねをしないと怒られそうなので、一生懸命歩くと

降りる時につんのめる。






阪急の意地である。











で、


阪急の話や、大阪駅北地区の話をすると

いくらでも話せるのだが、

さすがに訳がわかんなくなるので、やめておきます。











しかし、国鉄大阪駅が高架になったのも

結局は『大阪人の見栄』だったわけだ。

旅客線が高架になったことで貨物駅が

在来線と切り離されたのは、神戸駅と一緒。



不思議な形で切り離された、

梅田貨物駅の周辺は、いまでこそ

ヨドバシカメラがあり、ノースゲートタワーがあり

雰囲気が変わったが、ほんの30年前には男でさえ、

夜に一人で歩くのは躊躇するような雰囲気があった。

(危険はなかったけどね。)




あれこそが『駅裏』という奴だっただろう。




どんな駅にも、表側こそ賑やかだが

うさんくさい『裏側』がある。




それが東京駅にはない。



せいぜいが新橋のガード下くらいで

あんなもの健康すぎてインタビューが来てしまう。



そういう違いの感覚はどこまで通じるかなあ。








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(追記)

もっとも、東京駅は間違いなく『名建築』です。

10月1日が『万歳一色』になるだろうから

ちょっとへそを曲げてみました。

 

何十万もするステーションホテルのスイートには泊まらなくてもいいけど

むしろ列車が見える部屋に泊まりたい。

 

かつての8角形の屋根の撤去とともに

内部にあった、パンテオンのような金属ドームも

取り払われたらしいが、

あれは零戦の材料のジュラルミンだ。
 

かけらでも売っていたらぜひ買いたい。

 

 

(追記の2)

時間の関係で重大な間違いがあったので修正加筆しました。

 

 

(追記の3)

だから、長え。

 

 

 

 

 

続きを読む "東京駅 裏物語(再)"

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2014年12月14日 (日)

「大向こう」がうるせえや

歌舞伎の「掛け声」、大向こうの親睦組織「初音会」が

在籍者8人、しかもみんなじいさんなので

後継者不足、一般の人に「勉強会」なるものを開催。


『ここで勉強すれば俺たちの『会』に入れてやるから

大向こうからの声かけも許してやるぜ。』という

廃残団体がどこまで上から目線なんだ、

という素敵なニュース。


(日経新聞のニュースへのリンク)










『歌舞伎の声かけというと。

役者が舞台で見得を切ったりする時に…』


『その役者の屋号を呼ぶ。』


『松嶋屋っ。』


『成駒屋っ。』


『成田屋っ。』


『リオンっ。』


『やめろっ。』


『勉強会には10人が集まり、歌舞伎のビデオを見ながら

講師役の海堀さんが「ここで掛けて」「セリフにかぶせちゃダメ」

とタイミングや声色について説明。』ですって。』


『うわあ…』


『なんで金払ってこんな苦行を受けないといけないんでしょうね。』










『で、勉強会に入ってめでたく卒業すると、この「初音会」に 

入れていただける。』


『そこでデビューして、声をかけても、その常連のじいさんから、

「ここで掛けて」「セリフにかぶせちゃダメ」「遅い」とか

嫌味言われるんですよね。』


『それでお前。「勉強会」とやらの会費は自腹だし、

会員になると、入場料は安くしてくれるらしいが

交通費や飯代は自腹だし、そこで緊張して「声かけ」して

さらに嫌味を言われたら、それは何のプレイ?』


『…むー』









『大体お前、「大向こう」なんてのは3階席の田舎者よ。』


『常連の定席になっていたらしいですけど。』


『そうさ、歌舞伎に限らず、落語でも こいつらは

気にいる奴と気に入らない奴に歴然と差を付けた。』


『へえ?』


『下手糞には桟敷席で寝転がって見る。

舞台から見たら足袋の裏しか見えないから、

奴らは、隠語で「足袋裏芸人」と言った。』


『……なんて閉鎖的なんでしょう。』


『少なくとも、「声かけする人がいない」という大前提の後に、

「金とって勉強会で人を集める」

「大向こうには上げてやるが、いろいろと嫌味を言う訳よ。」

『はあ…』

『「あーいまの声はなっちゃねえなあ。」

「よー、新入り、茶―買ってこい。」と。

平然とそういうことを言うのはどうかなあ。』


『茶―買ってこいは知りませんが。』


『でも最初の2.3回は大事にお客さん扱いするだろうけど

あとは、パシリだぜ。』


『なーんか、体育会系の匂いがしますね。』









『こういうの、初音会に関係なくやっていいんだろ?』


『はあ…』


『連中がやっている掛け声の横で、

「あーいまのは遅いね。」、

「海堀さん声の伸びがなくなったねえ」。と

さんざんに嫌味を言う。』


『喧嘩はやめましょうよ。』


『馬鹿野郎っ。』


『ひっ。』


『カットガラスの灰皿でテキーラを飲んでいたら圧勝だ。』


『…なにに?』

















『大体、大向こうでの声かけも 

歌舞伎の一部で伝統芸能である、というのなら、 

おまえら初音会も、「一子相伝」 

堂々息子に継がせろよ。』


『でも、

息子は超いい企業に勤めてて忙しいし。』


『…それができない連中が、一般公募で金取って勉強会

とは恐れ入る。

カットガラスの灰皿で殴ってでも…』


『…そもそも、そんないい企業に勤めていないような気がします。』


『……』


『……』











『それなら遠隔操作のロボでも。』


『ロボ?』


『リミックスした音源を、メジャーなパーカッショニストが 

華麗に操る。』


『たとえば、誰が?』


仙波清彦師匠。』



































では、『今日の二枚。』










82歳の海堀先生に教わる勉強会の馬鹿みなさん。

「関西・歌舞伎を愛する会」では、ビデオを見ながら掛け声のタイミングや声色について学ぶ(大阪市中央区)


『ここがねえ、遅いんだよ』と、ご指導してくださる。

なんで金払ってこんな侮辱と苦行を…














仙波師匠のパーカッションの極致。




こんな人が、『○○屋っ』とか叫んだら文句はいえんわなあ。






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2014年12月10日 (水)

三億円事件の日(再)

12月10日は『三億円事件』が起こった日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

昭和43年のこの日、東芝府中工場に運ぶ従業員のボーナス

三億円を積んだ現金輸送車が、

白バイ警官を装った男に、車ごと奪われた。 

犯人はまんまと逃げおおせて、7年後に時効成立。

 

 

私ごときが解説する必要もないくらい、有名な事件である。

 

 

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ふっふっふっ

 

 

 

 

『億』という単位の強盗事件は、これ以前にはない。

5年前に起こった『吉展ちゃん誘拐殺人事件』

身代金が50万円だったから、文字通り桁が違う。

 

犯人の社会的な階層も違っていたのだろうが

大卒初任給が3万円台だった時代である。

世間も、驚いた。

 

 

 

 

この事件は、発生から時効まで、その騒ぎを

リアルタイムに 体験しているので、よく覚えている。

 

 

ガキの頃は、体育帽を白にして、つばを後ろに回し

『三億円犯人。』なんてやったもんである。

 

 

長じてから建設会社に入り、

現場でヘルメットをかぶるようになると

インカムのようなものをつけて

『三億円犯人。』なんてやったもんである。

 

 

 

三つ子の魂って、アホだ。

 

 

俺だけか?

 

 

 

 

 

 

 

しかし今や、

会社の100億でカジノに行くバカボンがいるご時世だ。

金額で言えば、それほど驚かない。

 

ダルビッシュの入札価格が60億円だそうだから、

たったの『0.05ダルビッシュ』である。

 

もっとも、

私の月収は『1マイクロダルビッシュ』くらいだから、

ちくしょう、金欲しいなあ。

 

 

 

 

 

 

捕まえようとした側の記録、というのは

たくさん残っているのだが

あたりまえだが、犯人側の記録はない。 

 

単独犯か複数犯かもわからない。

 

 

 

あの時代に、バイクと逃走用の車を3台も用意する、

というのは、単独犯の仕業だと思えない。

しかし、複数犯だとしたら犯人グループが、

3億円の金を前に、沈黙を守れたとも思えない。 

 

神戸の元町で起きた『五億円強奪事件』

2人組の犯行だったのだが、犯人の一人が

別件で逮捕されて自白したために全容がわかった。

(ただしそいつは時効、もう一人は自殺した)

 

 

 

 

単独犯だとすれば、相当に頭のいい人物だと思うのだが

宝くじに当たった人間が、例外なく

『増えた親戚』と、『顔も覚えていない友人』に

むしり取られて不幸になってしまうように

周囲に知られないとは、到底思えない。

 

一体どうしたんだろう。

 

 

 

 

使ってこそ金だと思うが、どこかに預けたんだろうか?

 

いま、銀行の金利なんて鼻糞ほどもつかなくて

『超頑丈なたんす預金』でしかないのだが

バブルの頃は、普通預金で金利6%なんて時代があった。

 

ならしてみて2%の金利がついたとしても、

7年間で1割ちょっとしか増えない。 

 

商売でも始めたんだろうか。

 

 

 

『ビリオン屋』なんて屋号で商売をやっていたら面白いな、

というのを、今日の落ちにしようと思ったんだけど

そういうブランドが、ごろごろ出てきてびっくりした。

 

 

 

 

そんなに手広く商売をしているのか。

 

 

 

 

なんていうと、怒られそうだから止めておこう。

 

 

 

0000sannokuenn_3 

 

へい、らっしゃい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

2年前のジンバブエのお札。

0000jinbabue 

 

100トリリオンは

えーと、100兆ドル

 

 

とんでもないインフレのおかげで、こんなお札が出来た。

公定レートで2万5千円くらいだったらしいのだが

闇レートでは、鼻紙以下。

 

(プリントしてもいいけど、いまはデノミが行われてお札が変わってます。

そもそも日本じゃ使えないしな。)  

 

 

 

 

 

 

インドの『0ルピー札』

0000_0rupi 

 

 

 

 

 

賄賂を要求されたら、こいつをそっと握らせて

そのまま逃げちゃえ、というフェイクのお札。

 

ばれたらよけい危ないんじゃないか?という気がするが

3億円事件の現金輸送車が、こんな札を

積んでいたらどうなっただろう。

 

事件なんか起こらずに、

そのまま東芝の工場に着いちゃって

ボーナスとして配られたら面白かったのに。

 

 

 

 

 

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『ビリオン』は10億です。念のため。

 

『モンタージュ写真』なんていう言葉を知ったのも、

この事件からだったな。

ただし、このヘルメットの少年は、

真犯人でもなんでもないんだそうです。 

へー。

 

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2014年12月 8日 (月)

スナック STAP

からんからんからん…





『やあ、ママ。』


『あらあ、ごうちさん、連チャンねえ。』


『ははは、僕の心のよりどころはこの店だけだよ。』


『お仲間もいるわよ。』







『やあ、いのせさん』


『こういう「隠れ家」じゃないと飲めなくてねえ。』


『奥には、8000万の熊手を抱えたみっちーもいるわ。』


『ははあ、すごいねえ。』


『さすがにお金を持っているだけあって、 

豪快に飲んでくれるわよ。』


『うーん、僕は損害賠償の請求を起こされたりしてるからなあ。』


『ねえあんた、今度は

「全盲の絵本画家」ってことで売り出しさいよ。』


『え?』


『ロンパリのゴーストライター、探してきてあげるから。』










『しかし、「実験失敗」から半月、

この店も軌道に乗ってきたみたいじゃないか。』


『……』


『どうした?ママ。』


『なんで、「流行語大賞」が、

「ダメよー、ダメダメー」なのよっ。』


『…いいじゃないか。あのタイトルを獲ると速やかに消える。

「ラブ注入」の人なんか、もう見ないだろう。』


『普通に考えたら、あたしのSTA…』


『ストーップ。』


































では『今日の呪いの表彰。』










たった2年前、2012年の流行語大賞 

『第3極』という単語で受賞した皆さん。

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いまや誰も、いねえ…





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だから弱ってるんなら、敵を増やすのはやめろ、と。

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2014年12月 7日 (日)

いつの間にか選挙だってよ。


『やあ。久しぶりだな。』



『久しぶりすぎますよ。旧作の再掲でごまかして。』


『また、体調が悪くてさぁ…』


『もう12月でっせ…』












『総選挙だな。』


『12月1日が公示日ですね。。』


『どうして解散するんです、だよなあ。』


『それをいうのはやめてっ。一国の首相が、

そんな馬鹿なTwitterにマジに反応して

ブチ切れるのよっ。』


『一国の首相が反応するのも、野暮だけどなあ。』





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Twitterのアカウント

消えていないとこも怖い




「小4の中村です。どうして解散するんですか。」、と。』


『これ、まあしかし。小学4年生を装った20歳の馬鹿に 

同情する気はないけど。』


『ちなみにこの人だそうです。』

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青木大和さん。慶応大学2年生。



『こんな写真がネットに流れてるんだねえ。』


『この人に同情的なブログもあるんです。

そういうところには、「本人提供」の

こんなかっこいい露出とピントの写真が流れる。』


『超ぶさ○くじゃん。』


『どう見ても、小学校でいじめられていたタイプですよね。』

















『だから、どうして選挙するんだろうね』


『野党がへろへろだからでしょう。』


『その腰骨を折りに来るとは、安倍さんってのはやるな。』


みんなの党が解党。』


『小沢さんのところの「生活の党」は、

発足時の未来の党では61議席あったのが、

負けて負けて負け越していまや7議席

その皆さんも、ポロポロ逃げている。』


『民主も過半数を狙える候補者を擁立できない。』


『仮に共産党みたいに300選挙区に候補者を立てたって

みんな共産党なんか大嫌いなので

いつもの議席に収まるだろう。』


『公示日以降にこういうこと書くのは、怖いですけどね。』

















『しかし自民圧勝なんだろうなあ。』


『安倍さんは、「勝敗ラインは過半数だ」とか

いまより20議席減ってもOKだぜっ。とか

予防線を張っているらしいですが。』


『圧勝するつもりにきまってるじゃんよう。』


『結果が見えているレースってつまんないですよねえ。』


『うーん…』

















『12月14日が、投開票でしょう。』


『また、テレビでは選挙特番をやるんだろうなあ。』


『ええ…』


『でも今回は、瞬殺で「自民圧勝」だろう。視聴者見ねえぞ。』


『午後8時の放送開始とともに、どわわわーと自民党が

議席を占有していく様子が現れてくるんです。』


『あの出口調査ってすごいつまんないよね。』


『まあ、面白い必要もないとは思いますが。』


『うーん…』


『うーん…』












『すごい投げやりな選挙速報をやる。』


『はい?』


『もう、池上彰がテーブルの上に足を投げ出して 

「あー、いい勝負でしたねえ。」とか言って、

酒を煽りながら、野沢菜食ってる。』


『なんで野沢菜?』


『いや。長野出身らしいから。』


『テレ東だったら、やりかねない、という気がして

どきどきします。』


『…結果がわかってるもんなあ…』































では、『今日の「結果の見えているもの」。』












指揮をしている Chili Klausという、唐がらし屋のおっさんが 

デンマーク国立オーケストラ室内管弦楽団と演奏している。


それはいいんだけど演奏の途中で、このおっさんが持ってきた

『世界一辛い唐辛子』を丸ごと一個食わされる。


たちまちみんな真っ赤になって、涙が出て汗が出て 

それでも演奏を止めないところはすごい。


演奏が終ると、みんな洗面所に行くんだけどな。






『仕掛けたうえで結果が見えてる。』って 

こういうことじゃないのかなあ。







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続きを読む "いつの間にか選挙だってよ。"

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2014年12月 2日 (火)

サンタクロースっているの? (再)

いまから115年前、アメリカに住む

ヴァージニア・オハンロン、という少女が

ニューヨーク・サンという新聞社に手紙を出した。  

 

 

 

 

 

 

      


Virginia_santa_claus_5     

 

 

 

手紙の実物 

 

 

 

 

 

編集者様。私は8歳です。

友達にサンタなんていないという子がいます。

パパは「ニューヨーク・サンに聞いてごらん」といいます。

教えてください。

サンタはいるんですか? 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ひどい親父である。

     

 

 

 

愛娘がうるうるとした瞳で聞いているのに

『新聞が言うなら、きっとそうだよ。』だとは。
     

 


しかしヴァージニアは一生懸命手紙を書いた。

         

『新聞を編集する人、というのはなんというのか?』

『サンタクロースのスペルはこれでいいのか?』

いろいろ訊きながら、そして調べながら書いただろう。

        

おそらく何度も書き損じたに違いないが

誤字がなくなるまで書いた。

        

冒頭の写真の手紙は、

8歳が書いたものとしては私が知る限り、史上最も美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニューヨーク・サン紙にも洒落がわかるやつがいて

フランシス・チャーチという論説委員が

社説の一文に彼女の手紙を紹介した上で、

彼自身の『回答』を書いた。

 

 

      


それが、これだ。

 

 

 

 

"DEAR EDITOR: I am 8 years old.
"Some of my little friends say there is no Santa Claus.
"Papa says, 'If you see it in THE SUN it's so.'
"Please tell me the truth; is there a Santa Claus?

"VIRGINIA O'HANLON.
"115 WEST NINETY-FIFTH STREET."



VIRGINIA, your little friends are wrong.

They have been affected by the skepticism of a skeptical age.

They do not believe except they see.

They think that nothing can be which is not comprehensible

by their little minds. All minds,

Virginia, whether they be men's or children's, are little.

In this great universe of ours man is a mere insect, an ant,

in his intellect, as compared with the boundless world about him,

as measured by the intelligence capable of grasping

the whole of truth and knowledge.
             

          

(ヴァージニア、あなたのお友達は間違っています。

彼らは、目に見えるもにしか信じない、という

子供じみた懐疑主義の中にいます。

人間なんて、宇宙の真実を把握できない小さな虫です。

だから、わからにこともたくさんあります。)
        

 


Yes, VIRGINIA, there is a Santa Claus.

He exists as certainly as love and generosity and devotion exist,

and you know that they abound and give to your life

its highest beauty and joy.

Alas! how dreary would be the world if there were no Santa Claus.

It would be as dreary as if there were no VIRGINIAS.

There would be no childlike faith then, no poetry, no romance

to make tolerable this existence.

We should have no enjoyment, except in sense and sight.

The eternal light with which childhood fills the world

would be extinguished.
        

            

(そうです、ヴァージニア。サンタクロースはいます。

愛や寛容が自然に存在するように、必ずいるのです。

サンタクロースが存在しなければ、

あなたがいないようにどれだけ退屈なことか。

子供の頃に見た永遠の希望など消え失せてしまうのです。)

       

 

Not believe in Santa Claus!

You might as well not believe in fairies!

You might get your papa to hire men to watch in all the chimneys

on Christmas Eve to catch Santa Claus,

but even if they did not see Santa Claus coming down,

what would that prove?

Nobody sees Santa Claus,

but that is no sign that there is no Santa Claus.

The most real things in the world are those

that neither children nor men can see.

Did you ever see fairies dancing on the lawn?

Of course not, but that's no proof that they are not there.

Nobody can conceive or imagine all the wonders

there are unseen and unseeable in the world.
       

        

(サンタを信じないなら、妖精も信じられないでしょう。

あなたのお父さんにお願いしてひとを雇い、

街中の煙突を見晴らせたとしても誰も見つけられないと思うよ。

妖精が芝生の上で踊っているのを見たことがあるかい?

もちろんないだろう、でもそれは彼らがいない理由にならない。

みんな、見ることのできないものを受け入れられないからね。)

       

 

You may tear apart the baby's rattle

and see what makes the noise inside,

but there is a veil covering the unseen world

which not the strongest man, nor even the united strength of

all the strongest men that ever lived, could tear apart.

Only faith, fancy, poetry, love, romance,

can push aside that curtain and view and picture

the supernal beauty and glory beyond. Is it all real?

Ah, VIRGINIA, in all this world

there is nothing else real and abiding.
       

         
(仮に暴力があったとしてもこの真実は変わりません。

信仰、空想。愛、ロマンスは全てに勝ります。)

       

 
No Santa Claus! Thank God! he lives, and he lives forever.

A thousand years from now,

Virginia, nay, ten times ten thousand years from now,

he will continue to make glad the heart of childhood.
     

           

(サンタがいてよかった。 1000年前も1000年後も。

彼は、子供たちの心をつないでいきます。)

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「Yes, VIRGINIA, there is a Santa Claus.」

というこの文章は様々に翻訳されていて、

私ごときが訳文を書く気にはなれない。

 

 

と思ったんだけど、訳文を載せないのは

あんんまり不親切だ、と言われたので訳しました。

 

 

過去の名著と比較しないように。

後半の息切れが特にひどい。

 

 

できればGoogle翻訳にでも放り込んで

原文をゆっくり読んでください。

すかんと楽天的な、いい文章だと思います。

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        

仮に私がヴァージニアからの手紙を受け取って

返事を書いたとしたら、どうなるかなあ。

 

           

こんな文章になってしまうので多分ダメです。

 

 

 

 

 

      

      

        
ああ?サンタぁ?いるよ。いるいる。

トイザらスにいるよ。

 

 
…ああ?おれなんかもう、夢もポエムもロマンスもねえや。

サンタを信じないってことは、

妖精も信じないってことだろう。

 

        

君のパパが人を雇って

煙突をみはらせようとしたところで

今の日本のどこに煙突があるのか?

っちゅう話なわけだよ。

 

             
しかし、それが何だって言うんだ。

俺は妖精の姿が見えるぞ。

妖精さんはなあ、お酒を飲むと、出てくるんだよう。

あと、徹夜した時なんかいつの間にか

仕事もしてくれるんだ、って

これは鳥坂先輩か。

 

 

 
離せっ。

ヴァージニアっ。聞いているか?

サンタはいるから。

 

 

パパが大きな包を持って帰ってきたらサンタだから。

アマゾンから箱が来たら、それもサンタだから。

ゆうパックが来たら、それ田舎のじいちゃんサンタだから。

 

       
離せっ。

離せっ。

離せっ。……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

       

『地球が滅びなかったから出かけるか』

 

00000santa_2    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      




おうっ

0000santa2_2   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        






 

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