ハーバーランドと神戸駅
2012年3月11日、神戸ハーバーランドにある
神戸阪急が閉店した。
個人的にはとても感慨深いのだが
3.11を狙ってきたあたり、余程ニュースに
したくないらしい。
確信犯だな。
ハーバーランドというのは
神戸駅の南側にあった貨物駅の大部分を
再開発したもの。
まさか『神戸駅』の位置がわからない人が
いたら嫌だなあと思うので、
念のためここですよ?
これでわからなかったら
もういいや。
(クリックで拡大するけどね。)
ハーバーランドは1992年にオープンした
神戸の新都心。
オフィス、ホテル、ショッピング施設、住宅
などで構成されている。
商業エリアの核テナントとして、
西武、阪急のふたつのデパート、
そしてダイエー、
ホテルとしてニューオータニが入った。
ところが、ここは運に恵まれなかった
開業直後こそ、駅から列が続くくらいの人気を
集めるのだが
神戸西武は2年後の1994年に撤退。
直後の1995年に阪神大震災があって、
客足が鈍るようになり、
2006年にダイエーが撤退、2009年に
ニューオータニも撤退、
そして今回の阪急撤退で開業当初の核テナント
は消えた。
ダイエーがあったビルは、激しくテナントが
変わっている。
西武とニューオータニの入っていた
ハーバーランドセンタービルに至っては、
現在ほぼ空家である。
今回の阪急も含め、どこも経営主体を代えて
来年の3月頃には再オープンしたいなあ、と。
呪われているかのように、次々とだめになる
なんでこんなことになったんだろう、
という話をしようと思ったのだが
調べてみたら、ここにあった国鉄神戸駅の歴史
というのがめちゃくちゃ面白い。
ハーバーランドの話なんかどうでもよく
なっちゃったので、今日は、その話をします。
では、どうぞ。
神戸駅の開業は早かった。
新橋-横浜間の開業2年後の1897年
(明治7年)にできた。
大阪-神戸間で開業し3年後京都まで延伸する
直後の地図がこれ。
明治14年の神戸駅
なぜかこの地図は左が北
(Wikipediaから)
海にズドンと突き出しているのは鉄道桟橋。
旅客や貨物列車をここまで運んで船に乗せた。
そして、この地図だとよくわからないと
思うので、古地図研究サイトとしては老舗の
このページをご覧ください。
(このHPはすごい。 Old Map Room 河川跡に作られた町)
この時代には、旅客駅が海側にあります。
図面でいうと一番上の大きな箱。
乗客は、図面左手の市街地から構内をぐるりと
回って海を背にして駅に入る。
なんでこんなことになったのか、
ここから先は想像だが、
この鉄道は、日本人なんか
相手にしていなかったのだと思う。
外国人居留地のある横浜から、『帝都・東京』
同じく神戸から、商都大阪、そして
『ミカドの街・京都』を
最優先で開通させたのは、
明治日本の見栄だ。
はっきり言ってこの時代の神戸駅は、ここで
乗降しようとする日本人の乗客を
相手にしている気配はない。
旅客駅の北側、最初にあげた地図だと左側、
つまり市街地側には乗客の入り口がない。
ごちゃごちゃと引き込み線が描いてあるが、
これは車両工場。
『喧嘩してやらあ』っていうくらい
背中を向けている。
さらに、この駅の形だと、
東海道線は神戸で腰を落ち着けて、
そこから先、
山陽方面に行く気がないように見える。
実際、神戸までが、官設の東海道線。
神戸から先は、私鉄の山陽鉄道が建設した。
したがって神戸駅は現在も、
東海道本線の終点であり、山陽本線の起点でも
ある。
4番線から見える『0マイル標 』
ちなみに鉄道駅の下の部分、
西側を横断するように走っているのは、湊川。
以前も書いたが、昔の湊川はここを通っていた
付け替えられた河川敷に作られた街が
『新開地』。
しまった。
一枚目で、えらい文字数をとってしまった。
先を急ぐぞ…
東海道線の全線開業は1889年(明治22年)。
山陽鉄道が国鉄に編入されるのが1906年
(明治39年)
大正13年の地図
(Wikipediaから)
この年、西から延びてきた山陽鉄道が神戸駅に
乗り入れる。
そして、駅舎は移設される。
この地図ではなんだかさっぱりわからないと
思うので、詳しくはさっきの、
Old Map Room をご覧ください。
これで駅舎は、初めて市街地を向く。
2代目駅舎がこちら。
開業当時の2代目神戸駅
なんか寂しい駅前。
さらにこの地図で注意して欲しいのは、
貨物線の機能が明治時代よりも充実している
こと。
海岸部分(いまのモザイクの場所)には、
『三菱倉庫』の文字とともに縦横に走る
引込線が見える。
この時代、突堤や桟橋がなければ
荷役はできなかったと思うので「はしけ」か?
まあ、どんな輸送をしてたのか面倒くさくて
調べないけど
倉庫街の充実といい、貨物輸送の機能が
大きくなったことをうかがわせる。
そして貨物線は東海道本線経由であり
まだ、構内に車両工場もあった。
鉄道桟橋もある。
この状態では、『神戸から外国行きの汽船に
乗りたいなあ』
という人は、神戸駅の改札から延々と構内を
歩かねばならず
要するにそんな人、相手にしていない。
外国航路の窓口としての神戸は重要だったが
新開地で飲んでいたおっさんが、
『ちょっとサンフランシスコに行ってくるわ』
という時代ではなかったのである。
神戸駅に画期的な変化があったのは
大正時代に入ってから。
いままで神戸駅に課せられていた
車両工場の機能が1916年(大正5年)鷹取工場に
移転された。
貨物駅と鉄道桟橋に通じる路線が専用貨物線
経由になり、神戸駅とその前後の兵庫、
三宮(いまの元町)、灘駅間が
高架線になった。
1928年(昭和3年)のことだ。
そして旅客駅も高架専用の豪華な駅舎になり
貨物駅は東海道本線と切り離された。
その直後の地図、で引用できる奴がないので
さっきのページをどうぞ。
神戸駅の南側がこんな風景だったのか、
というのは、正直『神戸市民20年』の私も
知らなかった。
2号線も通ってないんだもんなー。
そして、この1930年(昭和5年)に
建てられた3代目の駅舎がこちら。
開業直後の神戸駅
そして、これは
現在の駅舎だったりする。
ほら、白いマリオンが
おんなじだ。
基本的には、この状態で神戸駅は長く過ごす。
戦後、国道2号線バイパスや阪神高速ができて
貨物駅は分断され機能は縮小されるが、
港湾コンテナ駅として1980年まで続く。
貨物駅が正式に廃止されたのは
1985年(昭和60年)
その直後から建設されたのが
ハーバーランドで
オープンしたのが1992年。
駅から5分なんだけどな。
なんかフラストレーションがたまるな…
『なぜハーバーランドはだめなのか?』
『なぜ、神戸は都心が西から東に移った
のか?』
『新開地と神戸高速とメトロ神戸って?』
とかいう話は痛快に面白いのだが、
いずれまた。
では、『今日の2枚。』
改めて、開港直後の神戸駅と、
現在のハーバーランド。
Wikipediaが『貨物駅の全部がハーバーランド
になった』といっているのは大間違いで、
かつての鉄道桟橋は川崎造船の工場の一部に
なっている。
どうも地図が重ならないな、と思って
あれこれやっていたら、かつての鉄道桟橋は
第四ドックの一部として埋め立てられていて、
そこにはこんなものが写っていた。
乾ドックに入っている潜水艦。
Google earthさんだと、
もっとくっきり。
ふわああ。
※:埠頭と桟橋なら埠頭の方が大きいんじゃないのか?
といわれてしまったが、『鉄道桟橋』というのは
もう、それでひとつの用語なんです。
旅客駅としては正式には『神戸港駅』という名前でした。
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