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2015年3月 5日 (木)

武蔵と大和と、使えなくなった兵器

第二次大戦中、最大規模の戦いとなった

レイテ沖海戦沈没した

戦艦武蔵のあとが見つかった、というニュース

(毎日新聞の記事へのリンク)

             






発見されたのはフィリピン・シブヤン海、

深度1000m。

フィリピン反攻の米軍部隊に殴り込みをかけるため

航空支援を全く受けずに突入した武蔵以下の

艦隊は米軍機による一方的な攻撃を受けた。

武蔵は、単艦で被雷、被爆数十発

(米軍発表は160発以上)

戦闘30時間のあと、悶えるように海に沈んだ

そして、これが、古い

『大鑑巨砲主義・艦隊決戦主義』を 目指した

6万トンの超戦艦、大和・武蔵が 

航空主兵を実践したアメリカ軍に敗れたもの。

という風にくくられている。


しかも、航空機を海戦の主役にする、

という手法は 真珠湾攻撃や、マレー沖海戦

日本軍が始めたもの。 

バッカでー、というのがニュースの論調。



さて、どうだろうというのが今日のお話

 

しかし、いまも武蔵とともに瞑る、

1000柱以上の英霊のためにも、

この話だけは、きちんとしておかないと

いけない。







戦艦がむやみとでかくなっていくのは 

1905年の日本海海戦以降。


この戦いで戦艦の威力を思い知った列強は

イギリスが日本海海戦の翌年の1906年に

三笠級をはるかに上回る戦艦ドレッドノートを

就役させたことで

巨砲・大鑑の建艦競争に入り込んでいく。

なにしろドレッドノートときた日にゃあ

主砲の数は倍以上で、しかも一斉に同じ照準で

撃てる。


三笠の、1.5万トンより5割もでかい2万トンなのに

戦艦としては初めての蒸気タービンエンジンで

速力も2割方大きい。

戦場で速度を利して有利な位置をを占位されて

主砲を斉射されたら、勝ち目はない。



           

Battleship_mikasa_from_jfs1906_cr_2   

 

三笠

(クリックで大きく)

 

 

15000トン、最大戦速18ノット(33km/h)、

12インチ(30.5cm)砲、連装砲塔2基、4門。

800pxdreadnought_1906     

 

ドレッドノート

(クリックで大きく)

 

 

 

20000トン、最大戦速21ノット(39km/h)、

12インチ砲、連装砲塔5基、10門。




『そんじゃあ、うちも』ってことで 

ドレッドノート級、あるいはそれを越える 

『超弩級』戦艦の建艦競争に、海軍先進国は 

雪崩れ込んでいく。


ところが軍艦というのは果てしなく金がかかる

大正時代には軍艦の建設費が日本でも

国家予算の1/3。

『さすがに削ろうぜ。』ということで、

先進国の意見が合致。

日本のみならず、英米仏伊が寄りあって、

ワシントン軍縮会議をやり 

仏伊が抜けてロンドン軍縮会議(第一次)をやる


日本、特に海軍は対英米7割を切望するが

財政がぼろぼろになっていた政府が

これをわずかに下回る数値で妥協。

『兵力を決める大権は天皇だけのもの。

政府は統帥権を犯した』 

と、話してもわからない連中が起こしたのが

五・一五事件。


ドレッドノート出現の1906年には、

『優秀な個艦を徐々にそろえていけばいいよな。』と、

そしてその一方では、

 

『でも威力を発揮するためには

艦隊同士が戦わないと』

というこうとで、矛盾するようだが

大鑑巨砲主義=艦隊決戦主義だったのである。

だから、軍艦の枠はいくらでも欲しかった。






そして、

艦隊決戦なんて、そうはする起こりはしない

日本海海戦で日本が苦労して旅順艦隊を滅ぼし

本国から回航されてくるバルチック艦隊を

朝鮮半島沖に迎え撃つ。なんて状況は

普通に考えて起こり得ない。



大鑑巨砲時代の、最大の海戦が第一次大戦での

イギリスと、ドイツの戦いで、

ユトランド沖海戦

デンマーク沖の北海での海戦。

ドイツがイギリスを破って大西洋に押し出して

いくためにも

イギリスがバルト海に達して、

同じ連合国のロシアと連絡を取るためにも、

ここで彼我の大軍が衝突するしかない、

という場所で、双方警戒していたのだが

実際の海戦は不時遭遇戦になった。


参加艦艇、敵味方250隻、戦艦だけで50隻

という大軍の激突。


ただし、第一次大戦、って

陸戦でも敵味方数十万とか、百万とか

あんたたち、一桁か二桁、兵力の規模が

おかしいだろう、

という大軍を叩きこんで、しかし

華々しい戦果が出ないという点では

実にいらいらするのだが、それはこの海戦でも

同じ。


ドイツは、

イギリスの大艦隊を覆滅して北海の通行権を

得ることはできず、

イギリスはデンマーク海峡のドイツ軍を

突破して、ロシアが支配するバルト海との

連絡を取ることもできなかった。


『世界一高価な凡戦。』とよばれる

この戦いは大鑑巨砲主義と艦隊決戦主義の

限界を示していた。



既に射程40km近くなった、

戦艦の主砲が当たるはずがなく

弾着の確認も容易ではなかった。

しかも、艦隊が随伴する潜水艦、駆逐艦などの

水雷戦によって

戦艦戦隊は建設費や維持費に比べて効果が薄い

不経済な兵種だという判定を下されてしまう。





大正7年のユトランド沖海戦のこうした戦訓は

しかし、

日本を含めた各国で十分咀嚼されたとはいえない。

日本の場合

『兵力量を決めるという陛下の大権に 

政府が口を入れるのは、統帥権干犯だ』

という言葉が 流行語になったのは

むしろ昭和に入ってから。

五・一五事件の犯人の若い連中は

こうした風潮に流された。

しかし、世論の同調もあって彼らの刑は

政府転覆を狙ったとしては、軽い。







しかし世論一般、そして軍人や政治家の中にも

まだ、大鑑巨砲、艦隊決戦の手法に

現実的な脅威を感じている人がいた。


たとえば、日米海軍は、予定戦場を

決めていなかったのか? 

というと、実は決めていた。 

決戦場所を予定しないプランなど、

文字通り机上の空論で 

装備も戦術も決められない。


アメリカは日本に対して『オレンジプラン』という 

侵攻計画を持っており、ものすごくおおざっぱに言うと、 

西太平洋で決着をつけて、日本を海上封鎖で

日干しにやるぜ、というもの。

これには何種類かあって、米西戦争で獲った

フィリピンへの関与の仕方で違う。


フィリピンに要塞をつくって

日本軍を日本近海に閉じ込め

干し殺してくれる、というものから

フィリピンはあきらめようよ、真珠湾まで下がって

アイシャル・リターンで攻め上がって、

フィリピン沖で叩きのめして干し殺そうぜ、

というものまである。

現実には後者の戦略が近い。


『決戦は西太平洋』というのは、

日本軍の観測もおなじで 太平洋を

押し渡ってくる米艦隊を 

航空機や潜水艦で『擁撃・漸減』しながら、 

対英米7割の日本軍と釣り合うように減らして

叩きのめそう、というもの。

 

実際にこの戦いは、武蔵が沈んだ

レイテ沖海戦として実現するのだが、

それまでにミッドウェーがあり

ソロモン海での大消耗戦があり、

マリアナ沖での一方的な敗北があって、

航空兵力がなくなっていたばかりか

もっとも重要な前提条件であった

米艦隊の『漸減』はかなわなかった。



そりゃ、負けるわ。

レイテ沖に現れた時、すでに日本の連合艦隊は

バランスのある『主力艦隊』ではなくなっていた。

レイテ沖で武蔵を、後に『九州特攻』で大和を

沈めたように明らかに使い所を間違えた。

どこで使うのが良かったか知らないけどさ。










現役の軍人、政治家が

『大鑑巨砲、艦隊決戦主義』を

どう考えていたか、というと

この考え方を破った、航空機主導の攻撃を

受けた時の態度で判断できる。


真珠湾攻撃の後、アメリカは太平洋艦隊の

司令長官であった キンメルを更迭する程度

には狼狽した。

しかしなお、『休養、点検』のために

港に停泊中の戦艦を討つなど据え物斬りさ、

こ、怖くなんかないさ

という意見も強かった。


イギリスは、マレー半島・シンガポール防衛の

ために本国艦隊から新鋭戦艦2隻を基幹とする

艦隊を送る。

対空砲を一新し、戦闘航行でみっちり警戒して

おけば ジャップの攻撃機などポムポム砲の

餌食だ、と 自信満々だったのだが、

日本軍の艦攻、艦爆40機の前に あっさり沈んだ。

『この戦争で最も衝撃を受けた出来事』として

チャーチルは、枕を涙で濡らして眠れなかった

という。






1941年、太平洋戦争が始まった時でさえ、

大鑑主砲・艦隊決戦主義はまだ手触りが

あったわけだ。


毎日新聞をはじめとする、マスコミの論調は

『アメリカはすぐに、空母主兵に切り替えたのに

日本はそれが遅れた。』というもの。

だが、これは間違い。



日本だって、空母の生産拡張に必死に、特に

ミッドウェーで主力空母4隻を失ってからは

さらに必死に航空戦力の拡充に努めるのだが

これが遅れたのは、単に国家としての

日米の体力差。


それが証拠に、アメリカも日本も

戦艦の新規建造こそ真珠湾以降中止するが、

アメリカは真珠湾で沈んだ

戦艦8隻のうち6隻を引き上げて

戦線に復帰させている。


だから、戦艦という艦種が廃止されたわけでは

なく

むしろ、その強靭な防御力や砲力を評価されて

上陸支援や空母護衛などに重宝される。

上陸支援としては、第二次大戦での

ギルバート諸島、サイパン・硫黄島・沖縄・

ノルマンディなどのほか

朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争にも

参加している。

最後の戦艦の退役は、驚くなかれ

2006年除籍の戦艦アイオワである。








逆に抑止力として誇示する、

という方法もある。

第一次ロンドン軍縮条約の交渉に際して

日本は40.6cm砲9門、35000トンの戦艦陸奥を

実際には8割くらいの完成度だったらしいのだが

『竣工済みである』と主張して認めさせた。


世界に7隻しかない35000トン級の巨艦は

『ビッグセブン』 とよばれ、世界最大の、

このクラスの戦艦を、長門とともに

2隻ももっていた日本海軍の地位を

大いに高くした。


さらに、巨艦を自前で設計、竣工させることは

国力の象徴でもあり、

『日本、侮りがたし』と思わせることは 

具体的な抑止力になる。



大和、武蔵の建造は、

さらにこれを飛躍させたもの。 

アメリカの軍艦はパナマ運河を通航するため 

幅100フィート(33m)の制限があった。


戦艦は、正横方向に主砲を指向した場合、

威力が最大になる。



Bb61_uss_iowa_bb61_broadside_usn


戦艦アイオワの

40.6cm主砲9門斉射

舳先が揺らぐ衝撃






幅33mで、これをやると

物理的に40.6cm砲が最大となるので

それよりも1ランク大きい46.0cm砲を

搭載する大和級ならばぐうの音も出るまい。

というわけで、

第2次ロンドン軍縮交渉に参加するつもりが

なかった日本が、第一次条約失効の1年前に

計画を立てて失効後に着工。

開戦前に竣工させる。

どうせ仮想敵は英米なんだし、

『どうだあ』と誇示すれば よかったと

思うのだが、日本側は建設にあたって 

徹底的な秘密主義を取り、

艦体を棕櫚で囲み、 

武蔵を建造する長崎の三菱造船所では、 

対岸の高台にあるグラバー邸を一時買い上げた。



もちろんアメリカは、『大和型戦艦』について

知っていた。

詳細はわからなかったらしいが、

『幅33mがネックならそれを越える戦艦部隊を

太平洋と大西洋の両方に置けばいいんだろ?』と

いやだねえ、金持ちは。という 

モンタナ級戦艦の建造建造を企画する。


最終的にはキャンセルされるのだが、

完成すれば40.6cm砲12門搭載、6万5千トンと

大和級に匹敵する巨大戦艦となるはずだった。

しかも5隻。

だから、実際には抑止力にはならず、

開戦してからは、戦艦はさらに

そのおそるべからざることを誇示するだけに

なってしまうのだが、

もしも、唐突に『大和級』だけが現れていたら

多少は抑止効果があったかもしれない。

オレンジプランを書き変える程度には。

 

 

実際に真珠湾攻撃・マレー沖海戦以降、

戦艦は海戦の主役の地位からは降りる。


しかし、だからこそ開戦前、

まだ『大鑑巨砲』が多少の御利益があった時代に

外交的にうまく使う、とか。


開戦しても石油がもったいないから、と

ブルネイあたりの産油地に置いておくのではなく

なんか使い道があったろう。

レイテ沖に赴いた、武蔵、大和の乗員も戦いが

絶望的であることを知っていたはずだ。

そうであればこそ、彼らが無能の作戦によって

散華したかのような報じ方をされると、さみしい。




戦艦、という兵器自体は21世紀まで生き残るのだ。

理由自体は、キューバ危機に破れて海軍の

大拡張を始めたソ連につきあいたいんだけど

頑丈な艦ないかなあ。

という若干情けない理由であっても

生き延びることは、生き延びた。

もうすこしメンテが楽であれば、 

いまも生き残っていたかもしれない。







そして、生まれはしたものの

使われなかった兵器、というのは数多い。

決戦兵器という意味では、『巨大核兵器』

というのがある。

水爆の機構が幼稚で、核兵器の運搬手段が

未熟なミサイルを使っていた時代、

悪い精度をカバーするために

『一発で巨大な破壊力を持てばいいんじゃね?』と

巨大な核兵器が生まれる。


代表的なのが、ソ連のツァーリ・ボンバー

最大で100メガトン、広島原爆6600個分。

この『レモン何個分のビタミンC』

『甲子園球場何個分』みたいな表現は

大嫌いなのだが

さすがにフルスペックで実験すると地球が死ぬ

な、ということで50メガトンで実験した。

しかし半径数10kmの人は全滅するだろう、

という衝撃。

しかも『死の灰』の量が半端ない。ということで

土木工事に原爆を使ってたソ連でさえ、

兵器としての使用をあきらめた。


核兵器でさえそう。

いままで、陸戦の王者であった戦車も 

少なくとも日本においては役割が変質している。





冷戦時代、ソ連の戦車部隊と戦ってやる、と

北海道に数百両の戦車を貼りつかせてたのを

『もうそんなクルスクとか、アルデンヌみたいな 

戦車戦はないよな、』

さらに『予定戦場も北海道だけでは

あるまい。』と

10式戦車は世界戦車で初めて攻撃力を変えずに

ダウンサイズした。


戦車、という兵器はなくならないが 

その性質は、日本においては、大きく変質した。





有人固定翼機はなくならないだろうが 

無人機の比率はもっと増えるだろう。


そうなると、空母は?




イージス艦がカクカクパキパキした形をしているのは

レーダー波の方向を局限してイージス艦自体を

ステルス化するため。


それなら、あらゆる航空機や対艦兵器が

べっとりとステルス塗料で 

塗られるようになったら? 

空を覆うように風船爆弾がイージス艦の上空を

襲ったら?













兵器に完成形はないのだ。




用兵者は過去の戦訓を知る以上に 

将来の戦争に想像力を持ってもらわないと

いけないが 

たぶん、実際はそれを越える。



だから武蔵も大和も責めないであげてほしい





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