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2015年8月の投稿

2015年8月29日 (土)

ピアノ騒音殺人事件の日

8月28日はピアノ騒音殺人事件の日。 

昭和49年(1974年)のことだ。 

Wikipediaピアノ騒音殺人事件)



神奈川県平塚市の団地の4階の住民であった、

当時46歳の大浜松三が、

階下に住む4人家族のうち、母親と娘二人を

刺殺した。

原因は、被害者一家のピアノ。 

近隣騒音による初めての殺人事件として

注目された。










犯人の大浜は、昭和3年生まれで

旧制中学卒業と同時に就職した。

閉じこもりがちな性格であったことと、

盗癖があったことから周囲から孤立し、

職は安定せず住所も転々とし、

結婚にも失敗した。

 

それでも、昭和40年には再婚して

昭和45年には犯行現場となった、 

神奈川県営横内団地4階に転居する。 

2ヶ月遅れて, 被害者となる奥村一家が

大浜夫妻の階下に引っ越してきた。 

そして昭和49年の夏、惨劇が起こった。





大浜の『音』についてのトラブルは

昭和38年頃かららしい。

この年、彼は自身にとって唯一の趣味だった

ステレオの『自ら出した音』について、

隣家に住む夫婦と

派手なトラブルを起こしている。

これ以降、彼は騒音に極端に敏感になる。 

犬やセミの鳴き声や、こどもの遊ぶ声にすら

苦痛を感じ苦情を言ったり、

犬を殺したりして交番沙汰になったりしている。

ところが、引っ越してきた奥村一家は、

自ら出す騒音に無頓着で日曜になると、

朝から日曜大工で団地の躯体に釘を打ち

頻繁にサッシを開け閉てする。

ついには惨劇の前年の秋

この部屋にアップライトピアノが運び込まれ 

長女が下手くそなエチュードを弾き始めた。





大浜は、かつてステレオの音で

隣家にねじ込まれて大騒ぎなった反動からか、

自らの出す音が階下を刺激しているのかも、

という具合に考え、

床に厚手のシートを敷き、扉の開け閉てを

出来るだけゆっくりとやり

テレビもステレオもヘッドホンで聴いた。

階下でピアノの練習が始まると

近所の図書館に逃げ込んだり、釣りをして

時間をつぶしたりした。


しかし階下の奥村家は、

大浜に謝罪するでもなく 挨拶するでもなく、

むしろ小馬鹿にし、 8歳の娘は

『おじちゃん、

人間 生活すれば音が出るのよ。』 

と言い出す始末で、お前それ親が言ってるよな

にえええええ、腹が立つ。


長女のピアノ演奏は早朝から夜間まで

時間を選ばず、

さらに大浜の帰宅を見計らったタイミングで

始まったり、大浜が苦情を入れた翌日には

さ頻繁になったりして挑発的で、

また無職になっていた大浜が奥村家の前を

通ると、

『こどもが(昼)寝しています。

静かにして下さい。』 

と、自分を棚に上げた張り紙がしてある。


きれた。


犯行日の朝、父親が出勤し、母親が

ゴミ出しに出ると

鍵のかかっていない部屋に侵入し

夏休みで朝から練習していた長女の胸を

包丁で一突きして殺し、

帰ってきた次女も一突き、母親も突き伏せた。

 

そうして襖に『迷惑をかけているんだから、

すみませんの一言くらい言え。気分の問題だ

大体、来た時も挨拶に来ないし、しかも

バカヅラしてガンを飛ばすとは何事だ。

人間、殺人鬼にはなれないものだ・・・』と

血で大書した。

 

そのまま逃走。

大浜は自殺を図るが死にきれなくて、

3日後に出頭し、逮捕された。












昭和40年代初め、

大浜のオーディオもそうだが、

部屋でのピアノも大いに流行した。

近隣での騒音トラブルというのが

社会問題化し始めた時期でもある。

この事件でも『騒音被害者の会』という組織が

即座に『支持』を打ち出すのだが

大浜自身がこれを断り、一審で死刑。


大浜は控訴を渋ったが弁護人に説得される。

しかし、控訴審では大浜自身が控訴を取り下げ

たため、一審の死刑判決が確定した。


これが事件の顛末。









騒音問題、というのは今もある。

うちのマンションでも

『楽器演奏、日曜大工等は控えましょう』と、

掲示がある。


そして、これは『騒音の絶対音量』とは

関係なく『被害者』と『加害者』の関係性

によるところが大きい、と思う。

好きな娘が出すのであれば、げろを吐く音でも

好ましいが、嫌いな奴の音は箸の上げ下ろしの

音も気にいらねえ、というもの。

この事件の直接の原因は、大浜と被害者が

近隣としての良好な交流関係を築けなかった

ことにあるんだろう。





この裁判でも、現地の騒音測定が行われたが 

通常の演奏であれば、騒音の絶対音量は 

基準値以下であったそうだ。


県営横内団地でも、この事件以前に

ピアノ騒音が問題になり

ピアノに関して演奏時間や、音量を控えること

等に関する自主ルールが定められていた。


しかし、被害者一家は、これを無視した。

そればかりか、深夜早朝、大浜の帰宅時間を

狙うなど

なく神経を逆剥けさせる挑発を繰り返した。


大浜も、不機嫌な顔をするだけで

挨拶などはしなかったらしい。


仲ようせいっ。


















さらに、この事件の根本的な原因として

昭和40年前後にみられた、

『貧乏な癖に上を見る』

日本人の哀しい見栄、

ということがあった。


加害者と被害者が住んでいた団地は、  

今日からみると、建築として最低の水準に

近い。


被害者宅と加害者宅を遮る唯一の物理的障壁で

ある床のコンクリートスラブの厚みは

120mmしかなく、これは上下2段に鉄筋を組む

『ダブル配筋』を施す部材としては

構造的・施工的に限界の薄っぺらさである。


足音はもとより、こどもが椅子から

飛び降りたりしたら、

『こどもだから元気なのは当たりまえですよね

ほとんど口を利かない下の階のひとに文句を

言われてもやもやします。

うちのエンジェルちゃんたちはのびのびと

育てたいんです。

おじさんは子供がいないからわからないんじゃ

ないかなぁって(笑)』

という発言小町的くそばばあともども、

包丁でミンチにされる、というくらい薄い。

さらにスラブだけではなく、

昭和40年代のサッシというのは

遮音性能が皆無で、それ以前に被害者一家は

普段玄関扉を開けて生活していた。

 

そりゃ殺されるわ。


そしてその最低品質の公営住宅は、

事件の舞台となった

神奈川県営住宅だけのものだったのかというと

そんなことはなく、住宅公団(いまのUR)

含めて、日本中の公営住宅が同じだった。


それなら団地は貧乏人向けのものだったのか、

というとこれも、そんなことはなかった。

いまでこそ、公社、公営の低層団地というのは

高齢者と低所得者が多いのだが、

この当時は違った。


違ったどころではなく大人気で、

公団住宅は常に抽選で 

数十回落ちている、という人が珍しくなく、 

『公団住宅の抽選はがきの発送を代行します

』という詐欺師が 

もりもりと現れる始末で、日本中の女性が 

『団地妻』になることに憧れた。


したがって、幸運にも入居できた中産階級達は

6畳のリビングにソファセットを置き、

書棚に百科事典を並べ、ステレオを置いて、

申し訳のようにLPを飾った。

そして、そういった装飾品の中で

最高に高価で 見栄をはることが出来たのが、

3帖間に置かれた 

弱音器もないアップライトピアノだった。


いまでも、古い団地の近隣センターの中に

ピアノ教室があったりするだろう。

そういうのが流行った時代が、

かつて存在したのだ。







しかし、『だから、社会の歪みが

この犯罪を生んだのだ。』なんていう 

陳腐な結論には、

しかし したくないなあ。


犯人である大浜の個性のせいにも

したくない。

しかしこの人が犯罪前後 精神の平衡を

欠いていたのは確かで、

特に犯行前、奥村の傍若無人な騒音に

自ら堪え忍び、怒りを内訌させて、

殺意を発酵させていったあたり、どこかで

適当な精神的なフォローがあったなら、

とは思う。

2番目の嫁にも逃げられたことで

逃げ場を喪ったらしい。


そして、この当時騒音問題に対する

社会全体の認知度がまだ低かった、

ということもある。

早くから大浜の支援に動こうとした

『騒音被害者の会』というものが この当時

既にあった。

しかし社会全体としてはまだ、

意識は低調だった。


その一方、被害者の奥村の対応は、

今日から見ると実に腹立たしい。


しかし、世間一般の認識は今日とは

違っていたらしく、大浜は、罪一等を

減じられることなく、一審で死刑を喰らう。


控訴審では精神鑑定が行われ、

『パラノイアだから責任能力なし』という

結果が出る。

減刑される公算が大きくなったのだが、

大浜は初めから裁判で争う気はなくむしろ

減刑されて役になり刑務所に放り込まれたり

したら同房者との音のトラブルに

耐えられない、として

弁護人に無断で控訴を取り消してしまう。


『代理人』の面子をつぶされた弁護人は 

異議を申し立てるが認められず、

一審判決が確定して 

大浜は死刑囚となった。






しかし、2015年現在も刑は執行されて

おらず、判決確定後の収監は38年に及ぶ。

再審請求をしていない死刑囚としては最長で、

大浜は最高齢でもある。

(再審請求中の確定死刑囚まで含めると、

収監期間の最長は、マルヨ無線事件の尾田信夫

で40年。

最高齢の死刑囚は

名張毒ぶどう酒事件の奥西勝で89歳)


彼は小菅の東京拘置所の独房で

38年過ごしているわけだ。

おそらくは近隣騒音とは縁のなさそうな

そもそも付き合うべき

近隣住民がいない独房での 

38年間は幸せだったのか?


あるいは、望み通りなのか?
























では、『今日の騒音おばさん』













ピアノ殺人事件は、被害者が騒音を出す側で 

加害者が、騒音被害者だったのだが、

後年になると、騒音加害者が傷害罪の加害者に

なるケースが出た。

例えば、奈良騒音傷害事件。




インパクトの強い動画だが、

この動画自体は、『騒音おばさん』の

被害者となった老夫婦が撮影したもの。

この『騒音おばさん』と、老夫婦の間には

別の件でトラブルがあり、それがエスカレート

してこんなことになったらしい。


いまさら真相なんか知りたくもないけど、

近隣トラブルの怖さは、

こうやってエスカレートするところだと思う。









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2015年8月25日 (火)

サンタ、破産

サンタクロースの所属オフィスが破産した。というニュース。 

(ロイターの記事へのリンク)












『なんじゃ?それ。』


『えーと、フィンランドのサンタクロース・オフィスが、

2770万円の税金の未納付で破産、ですと。』


『そんだけの負債で?』


『だから、「一週間あれば資金は調達できる。」って。』


『しかし、それはつまり「資金繰りのショート」ということで 

普通の会社なら倒産ものだ。』


『あ、そうか。』


『サンタって、そんなに財務管理が甘いのか…』


『あるいは、つなぎ資金が借りられないくらい信用がないとか?』


『サンタが夜逃げしたらどうなるんだろうね』

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もう、転職だ…















『ほーっほっほー。メリー・クリスマース。』



『わあ、サンタさんだ。』


『太郎君は、いい子にしていたから、プレゼントをあげよう。』


『ありがとう。サンタさん。』


『ちょっと待て。』


『な、なんじゃ、お前らは。』


『われわれはヘルシンキ国税庁、特別査察部のものだっ。』


『あ、マルへ…』


『税金滞納による債権の確保のために、貴様らが運んでいる

プレゼントとそり、トナカイに差し押さえの処分がおりているっ


『くっそー…』





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そりとトナカイは

くれてやるけど

プレゼントは渡さんっ









さて、『サンタ、サンタ』といってきているが、今回破産になったのは

フィンランドのロヴァニエミ村にある、サンタクロース村を運営する

『サンタクロース・オフィス』。

(フォント使いが中国あたりのパチモン土産物の匂いがする、

サンタクロース・オフィスのHP)



この『村』で、ほーほっほーといいながら観光客を迎えて

記念撮影をしたり、土産物を売ったり

『サンタさんへの手紙』を書いたりしているんだそうだ。

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なに、破産じゃと?









ここ以外にも、デンマーク、グリーンランドの

『国際サンタクロース協会』なるところが

全世界で120人の『公認サンタ』を認定し、

世界各地を訪問したり啓蒙活動をしているんだと。

日本にも『公認サンタ』がいて、それがこの協会の

日本支部長『パラダイス山元』さん。


パラダイス…

坊主が『極楽』って名乗るみてえ…

Paradise




プロフィールを見る限り

強烈なキャラクターの人みたいだ










まあ、こんな騒ぎがあってもサンタ村は大丈夫だと思うが、

サンタが失業したり、やけになったサンタが

街にあふれたりしないようにして下さい。





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べー




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めりー




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でー






























では、『今日の「破産寺」。』








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福井県にある永宮寺。






開基14世紀末の名刹なのだが、2,005年に

自動納骨システムを備え、インターネット墓参りに対応した

5000基の霊園を建設した。

ところが、まったく売れずに破綻。

ついに宗教法人としては前代未聞の破産となり、 

わずかな購入者には遺骨を返還する、という 

恥さらしな事態となった。



現在、絶賛経営再建中。










もうひとつ。










淡路島の『世界平和観音寺』


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高さ100m

首の籠は展望台。












1,977年建設。

1,988年、オーナー死去。妻が相続。

2,006年、妻も死去。閉館。

2,008年、運営会社倒産。競売が行われるも不調。

現在、台風で倒れるんじゃねえか?と、

期待されている。心配されている。




ここは、宗教法人ではないけれど

『破産寺』としては、日本一有名な

間抜け建築ではある。



どうすんだ?











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2015年8月24日 (月)

夏休み、おしまい。

今年の夏休みは短いぞ、というニュース。 

(読売の記事へのリンク)








『脱・ゆとり』をうたった、新学習指導要領が求めている

授業時間数の増加に対する対応のために

夏休みを短縮して、授業時間数を増やす。


したがって、9月1日より一週間早く 

8月24日の月曜日から2学期が始まる学校が増えたのだそうな。



うわははははは



先進県では、すべての学校に 

クーラーが設置される時代になったんだから 

灼熱の猛暑日に授業してもかまわんだろう、と。





ざまあ。





そうかあ、そおだよな。 

いまの小学校、クーラーあるじゃん。


ガキにクーラーなんて昭和世代には許せないのだが 

クーラーがあるなら、きりきり勉強しろよ。








うん。

いい大人が書く文章じゃないな、とは思うけど



ざまああああああ。(魂の叫び)









へへん。

だから、ともだちいないんだ、っと。







しかしまあ、 

「夏休みは短くなるのに、4年生の時より宿題が増えた。 

もう少し遊びたいけど」、というこどものセリフは 

事実ならかわいそうかな、とも思う。


ドリルや絵日記は、日にちに応じて少なくなるとしても

自由研究や読書感想文、自由工作なんてのを

『一週間分減らす。』なんて出来ない。


相対的には、8月末までの夏休みよりも 

負担が増えることになる。




ざまあ。







先生のほうはどうか、というと。 

夏休みを一週間くらい短くしても、 

労働強化なんていうことにはならない。


先生の場合、授業がない1ヶ月半の夏休みも、

世間のサラリーマンと同じで、制度上の休みは

8月の新盆の期間だけである。

(でも一週間くらいあるらしい。)


そうはいっても、奴らは40日間学校に詰めているのか、

というとそうでもないらしい。


宿直や部活の面倒を見たりするために 

学校に行くこともあるらしいが 

2週間くらいは『自宅研修』といって、教材を作ったり 

勉強をしたり、こどもと遊びに行ったり 

朝から酒を飲んだりしているらしいのだ。



いいなー。



しかし、教師も『夏休み短縮』で、一週間早く

出勤しなくてはならないわけだ。


ざまあ。









しかしまあ、今年の夏も終わりかなあ、という気はする。

先週の末から、朝夕がずっと涼しくなった。


昼間は、まだもりもりと暑いけれど

台風が過ぎたら夏の湿気を吹き飛ばして

秋が来るんだろう。




季節が過ぎるのが速いなー。

今年はまだ、ひぐらしが鳴くのを聞いていないような気がする。

























では、『今日のひぐらし。』






https://youtu.be/CAlHg4MMSX0



3時間、ひぐらしの鳴き声です。

寝そう。





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2015年8月16日 (日)

オリジナルって何だ?

東京オリンピックのエンブレムで、

他人のデザインの盗用の疑惑をかけられた、

デザイナー佐野研二郎氏(43)が、さらなる危機に陥っている。

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スペインの東日本大震災応援ロゴ。

ベルギーの美術館のロゴ。

TOKYO2020のエンブレム




それが、彼が手がけた過去のデザインも剽窃ではないのか?

というもの。(Livedoorニュースの記事へのリンク)





サントリーのノベルティとして作られたトートバッグが

パクリだろう、という指摘を受け、

『30点のうち8つ画像を盗用していました、ごめん』

ということで謝罪し、出品の撤回に同意した。



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(クリックで大きく)

もっともこの時の謝罪会見も、

『悪いのは協力事務所。監督できなかったのは悪いけど、

俺個人はパクリはしてないもん。』と言い訳を入れたうえで、

『オリンピックのエンブレムは大丈夫。』

と言いきった。





エンブレム問題発覚の段階では、

まだ佐野氏に対しての同情的な意見もあったのだが、

この問題で、「佐野氏の剽窃」を糾弾するベルギーのデザイナーが

『誠意がない。』と訴訟に及んだことと、

この、サントリーのトートバッグ騒動の情けない顛末で

一気に世間の信用を失った感じがする。


『髪の毛つんつん起たせてんじゃねえぞ』


こうなるともう、落武者狩りで、

過去に手がけたTシャツにも盗用疑惑が指摘されて

弱り目に祟り目である。

(日刊ゲンダイの記事へのリンク)


さらに更に、トートバッグのデザインを盗用された、

アメリカのデザイナーが、

『俺が、新しい五輪エンブレムを作ってやる。』と挑戦状。

『さあ、ゲームの始まりです。』

(Livedoorニュースの記事へのリンク)

おまえは、酒鬼薔薇か。




しかし、『成功者が落ちぶれていく様を見る。』というのは

実に小気味がいいわけで、この人はしばらく

ワイドショーの人気者として,

うきうきウォッチングされていくんだろう。


それにしても、この人の過去の作品を捜して画像検索をかけて

告発する人が、世界にひしめいているかと思うと、

ネットって、こえー。









まあね。オリジナルって何だろう、っていう話ですよ。


今回問題になったトートバッグのような、

フランスパンの焦げ目まで同じ、という完コピは

弁解の余地はないにしても、オリンピックエンブレムを始め

単純な図柄は、『オマージュだ。』『リスペクトだ。』ということで

仮に似ていたにしても甘く見のがされていたのが、

商業デザインではなかろうか。


この一連の騒動が起きる前であれば、

『フランスパンの図柄をそのまま許可なく使ったのは悪いけど、

「そこに、パンを置いた」というレイアウトは、

俺のオリジナルだ。という強弁が通ってしまったはずなのだ。





うーん、難しい…


ぼく、建築士だけどデザイナーじゃないからわからないや。

くすん…





かと思うと、こんなニュース。


サミットの開催地に決まった志摩市で、海女をモチーフにした 

萌えキャラを公認したところ、 

現役海女で志摩市志摩町の山本文子さん(65)と 

娘の同市阿児町、主婦宇坪伊佐子さん(39)が 

「若い女性の体だけをアピールしているポスターで不快だ」

「志摩の海女がみんなあんなふうだと思われたら不愉快だ。」

として200人近い署名を集め、公認撤回を求めた、と。 

(読売新聞の記事へのリンク)

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意見書を出す39







大丈夫。65と39に対して

誰も勘違いしないから。




じゃなくて、えーと…


とりあえず、問題の萌えキャラ

『碧志摩メグ』と姉妹キャラの『伊賀嵐マイ』



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(クリックで大きく)

こうなると、盗用か剽窃かという議論とは違ってくるのだが

『オリジナルとはなにか?』ということに対する

非常にプリミティブな解答を指し示しているような気もする。


ごめんなさい、言い過ぎました。




しかし、それなら

リアルを強調するあまり、こんな海女でもいいのか? 

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昭和40年代初めの

リアル海女












オリジナルでも、オマージュでも、盗作でもいい。
 

きれいにだましてくれたら、それでいい。


商業デザインなんて
 

『消費されるもの』なんだから 

素晴らしい猫だまし、 

であってくれれば、それでいいと思う。


しかし、それにしても『オリジナルの価値。』って何だろう。

ねえ…









では、『今日の二枚。』















『佐野氏に新たな疑惑。』 

『あの天辺をとがらせた髪型や風貌は、

あの人のスタイルの盗用だった。』

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あの有名人夫婦










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盗作なんかじゃありません









エンブレムは『白紙撤回』になるんだろうなあ。

国立競技場といっしょにコンペか…


かっこわりい。






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2015年8月15日 (土)

安倍談話と村山談話

安倍総理が戦後70年談話を発表した。 

(産経ニュースへのリンク) 

(読売新聞の記事へのリンク) 

(朝日新聞の記事へのリンク) 

(毎日新聞の記事へのリンク)

( 談話の全文)




いつの間にか『世界への公約』のようになっていた、

『4つのキーワード』、

『侵略』、『植民地支配』、『痛切な反省』、『心からのお詫び』は

一応織り込まれた。


『戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちが

いたことも、忘れてはなりません。』、と

従軍慰安婦についても触れた。


ただ、『事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、 

国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない』

として、謝罪ではなく一般論にしようとしている部分などは、

『お前は反省してないんか』という批判が出ている。


『我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、 

痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。』

という部分においては、

『お前個人は反省してないんか。』という批判が、

やっぱり出た。


『あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、 

そしてその先の世代の子どもたちに、 

謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。』という一節も、

『未来志向』ではなく

『謝罪はもう終わりなんやな』という批判が出ているそうな。

(日経新聞の記事へのリンク)

(読売新聞の記事へのリンク)


日本の駐中トレイン、もとい駐中大使が

北京の中国大使館に呼びだされて文句を言われたり

韓国は意外と冷静やぞ、とか言われているが

いずれ、そういった海外の反応も収束していくのだろう。







それよりも、今回の安倍談話では

『先の世代の子どもたちに、

謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。』という

セリフだけでなく、「感謝」「積極的平和主義」といった、

新しいキーワードを取入れ

「責任ある国際社会の一員として国際協調を促進」

「国際的な軍縮を積極的に推進」という一節を強調した、と。

『もう、いいだろう。』という一節をくわえた。


まあ、安倍さんとしては、精一杯外国の言うことを

聞こうとしたんだろうな、というのは伝わってくる。

でも、いいなりになるのはいやだ、ということで

こんなことになった。


言いたいことが増えたから文章は膨らんで

過去の村山談話小泉さんの談話の倍以上の3400文字。

全体に間延びした印象を受けるのはどうも、なあ。




右も左も、主義主張は人それぞれだけど

言いたいことがあるんなら、

もう少し、すぱっと言いきろうぜ。


かっこわるいよ?






いずれ歴史が消化すると思うが、

『戦後100年談話』がこんなことになってやしないだろうか。


『注目の「戦後100年談話」が発表されました。 

…総理が先程発表した談話には、50年談話の村山首相以来の 

伝統のキーワード、 

『侵略』、『植民地支配』、『痛切な反省』、『心からのお詫び』 

が当然入っています。


更に、70年談話の安倍首相の 

『謝罪はおしまい』『積極的平和主義』『感謝』というキーワードも 

加わっています。


そのうえ、それ以降にくわえられた 

『寿限無』『セコム入ってますか?』という言葉も含めて 

143のキーワードをすべて網羅して11,473語。 

最長不倒記録の長さの『談話』が、中入りをはさんで 

2時間半にわたって発表されました。』


『あ、いま会見場に総理が入ってきましたね。』




ばたっ


『総理っ』『総理っ』

『…つ…』

『つ?』

『…疲れた…』



























では、『今日の村山談話』















今回の『70年談話』について

『50年談話』で韓国と中国に褒められた村山さんは

大変に不満なのだそうな。

(朝日新聞の記事へのリンク)




なにしろ村山さんといえば、安保法制に反対して

91歳の高齢をおして、街頭に積極的に立ったりしている。

『国民の安全を守るのは、わしじゃ。』

くらいのことを思っているらしい。

(朝日新聞の記事へのリンク)











戦後50年、1995年に発表された『村山談話。』







もちろんこれは戦争とは関係なく

1995年1月17日に起こった阪神大震災について

政府の初動の反応が遅かったことについての

当時の村山首相の国会答弁。


同じ年の夏に、この眉毛男は『戦後50年談話』を出している。

それにしても、

『何分初めての経験でもございますし、

早朝の出来事でもございますから、

幾多の混乱があったと

思われまするけれども…』とは何事だ。



ふざけんな、このマユゲルゲ。



貴様が、国民と国家の安全について語るなど片腹痛いわ。 

俺も含めた、阪神大震災の被災者は 

貴様の『政治活動』をへその上の茶を沸騰させながら、 

鼻で笑ってるぞ。



馬鹿野郎っ。







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2015年8月 5日 (水)

『こどもの詩』の嘘。

タイトルは『おっぱい』。

以前、5歳の男の子が

本紙「こどもの詩」コーナーに寄せた作品である。


『おかあさん/ぼくは一才三か月でおっぱいをやめたんだよね…

でもね/あのとき/ぼくさびしかったんだよ。』…

(読売新聞『よみうり寸評 7月24日へのリンク)






これ、5歳の詩か?

紙の新聞で見た時に疑問に思ったが、

Web版でも『5歳』なので間違いないのだろう。


そりゃまあ、世界には5歳で大学に入るような

早熟なガキもいるらしい。

でもなあ…というのが、今日のお話し。







冒頭の詩に戻ると、だからこれ、

100%大人が書いたものじゃないのか?


『…やめたんだよね。』と、

自分の記憶を他人に重ね合わせるような表現。

普通のガキなら、自分の視点だけで

『ぼくはおっぱいをやめた時にさみしかったです。』

くらいしか書けない。

『でもね…』という逆接の表現も早い。

さらに、『やめたんだよね。』『さみしかったんだよ。』と、

舌足らずな飲み屋のねーちゃんのような

安っぽく演歌みたいな口調。

こんなもん、こどものオリジナルだとは思えない。



そして、決定的な嘘が

『一才三ヶ月』という表現。


『なっちゃん、いくつ?』

『いつつ。』

『松太郎君はいくつ?』

『ぼくは、五歳三ヶ月です。』


こんな5歳いるか?

いてもいいけど、鉛筆を刺してぶち殺す。

この一句で、ションベンみたいな文字列が、

『詩』になっているのかも知れないが

5歳がこんな印象的なセリフを放り込めるだろうか。

少なくとも、『○才○ヶ月』という表現は嘘だ。


発達心理学と、文法の専門家が解読すれば、

もっといろんなことがわかるのかも知れない。



ご丁寧に、改行を示す『/(スラッシュ)』が入っているが

そもそも5歳が文節を理解して分かち書きができるか?

私個人の経験でいえば、小学校入学の時点で

ひらがなも読めず、自分の名前のかなだけ急遽覚えさせられて

学校に放り込まれた。

もちろん、書く文字は鏡文字だ。


卒乳の時期を覚えており、それをさみしかった、ということを 

詩想として持っていた5歳は、実際にいたのかも知れない。 

そこまでは信じてもいいが 

それを文字にしたのは、明らかに家族に煙たがれるおっさんか 

小学校で親子の絆を説く、

『意識Highest』なおばはんである。



もうやだ、こんな 嘘もんの感動。



以前、『こどもの俳句』でも、 

似たようなことを書いたことがあった。 

(こどもと俳句と銅閣寺と私 なつやすみ)


たしかに、読売に限らず

新聞社が募集する作文なり、詩なり俳句、というのには

100%、大人の手が入っている。

今は昔ほど露骨ではないと思いたかったけど、これはちょっと…







これで、この鼻糞のような詩に『よみうり寸評』氏が

感動しただけなら間抜けなだけだが、

そこから母子手帳の話につながり、

中国でも導入されるかも、ということを伝え、

『母と子の心の絆を深めるのに役立つといい。』と、締めている。



いや、結句は 

『13億人の大国である。忘れがたき記憶も膨大となろう。』 

とあるので、極端な格差によって 

悲惨な境涯に置かれているこどもが膨大に登ることを念頭に 

『頑張れよ。』と『意識Superior Highest』 

説教をしたかっただけなのかも知れない







あー、あちー。

























では、『今日の一枚。』












『卒乳』で画像検索したら出てきた画像。

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いいなー。


 

 

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どおして、7月24日付の記事に対する文句を今頃書いているかというと

例によって、死んでいるからさ。

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2015年8月 2日 (日)

千葉パルコの撤退。

千葉パルコ、来年秋の閉鎖が決定。 

(日経新聞の記事へのリンク)








かつてこの場所には、田畑百貨店というデパートがあった。 

旧千葉駅の駅前通だった栄町通に面し、 

京成千葉駅の駅前にあったこの店は 

繁華が約束された場所にあった。


ところが昭和38年に国鉄千葉駅が運行上の理由で

駅を現在の位置、つまり西に600mくらい

離れた位置に移転。


同時期に行われた、千葉市の都市計画によって 

京成千葉駅も移転。

田畑デパートは、『駅前』の位置を失った。



そこにとどめを刺したのが昭和46年に起こった 

田畑デパートの大火災である。 

(デパート火災の日 なつやすみ)



田畑は、火災後も店舗を拡大、改装して営業を

続けるがついに支えきれず、提携先の

西武百貨店に営業権を譲渡して

昭和51年に千葉パルコとしてオープンする。







千葉の街のことなんか、みんな知らないだろうから

もう一度地図を載せます。

2015y08m01d_132418619














いっぱいマークしたおかげで、わかりにくく

なってしまったが 

千葉パルコが出店した昭和51年の時点で 

京成駅は(2代目)の場所、 国鉄駅は

現在のところにあった。 

(京成千葉駅は昭和62年に改称)



駅から遠い、ということには一応不安があかったらしく

駅と店舗、更に周辺を回るループバスを無料で提供した。


なにぶん只なので、このパルコバスは

当時の高校生どもに重宝された。



昭和51年、砂漠の中で長いマントの女の人が

『ちぃーばー、パァーコォー』と叫びながら

くるくる踊っている、という

訳のわかんないパルコのCMの中でも

群を抜く訳のわからないCMとともに、

パルコはやってきた。


千葉の田舎ものどもは驚愕した。

個人的には昔も今も、服のブランドなんか

わからないのだが

東京のブランドショップがおらが街にやってくる。


各テナントが東京から持ってきた

店舗ディスプレイが

微妙にかっこいいのが悔しかった。




そういうことで『田畑デパートの最期』を

知っていたすべての人びとの予想を裏切って、

千葉パルコは好調なスタートを切ったかに見えた。

しかし、開店から30年、ついに撤退、と。











実をいうと、千葉の街にはたくさんの

デパートがあった。 

パルコの場所にあった田畑、同じく栄町通

(銀座通り)に 面していた奈良屋、

すぐそばの扇屋。 

これら地元資本のデパートの他に十字屋という

デパートが 

軒を接するように並んでいた。

少し離れた国鉄駅前にも、そごう三越などが

あった。


百貨店法上の店舗ではなくとも、

丸井や衣料品専門のスーパーなどが近くにあり、

京成千葉駅の西側には、昭和48年から

ダイエーがあった。



昭和40年代、人口50万人台の都市としては
 

過分な商業施設の集積である。


この器を満たしたのは、千葉市の客は

もちろんだが、 千葉市以外の客だ。





流通の用語に『最寄品』『買廻品』『専門品』

という区分がある。

『最寄品』は水、新聞、トイレットペーパーなど、

ブランドを決めていれば店頭で迷わない商品。


『買廻品』は、服、アクセサリー、家具など、

買うまでにうろうろいろんな店を回って品質や

値段について悩むもの。


『専門品』消費者にとってこだわりがある品物。

特定のブランドに限られる。




千葉のデパートも食料品も含めた 最寄品を

並べつつも、デパートというからには、

買い回り品を主力に置いていた。


周辺市町村の人が『休みの日は千葉に買い物に

行って、最上階の大食堂で、ご飯を食べよう』

という時代が

戦前から戦後の一時期まで、あったらしい。

『ハレの街』だった時代が

一時期だったが、あったのだ。


しかし、昭和40年代に入ると都内への通勤者

が増えて田舎くさい千葉のデパートの品揃えは

飽きられはじめ、さらに、郊外スーパーが

出来るようになると客が流出し始めた。


当時は大店法の時代で、大型スーパーの

都心への新規出店は出来なかったから、

客を丸ごと引き抜かれることになる。




千葉は『ハレの街』ではなくなった。




在来のデパートは対応に追われることになる。

扇屋は、敵であるスーパーのジャスコと提携し

本館の裏に2階建ての立体駐車場を作って

昭和51年に『扇屋ジャスコ』として

リニューアルオープン。


奈良屋は三越と合弁で昭和47年に千葉駅前に

ニューナラヤというデパートをつくり、

従来の店舗はセントラルプラザという名前で

服飾、インテリア、飲食などの

専門店ビルにした。


そして、田畑百貨店は、昭和51年にパルコに

なった。






昭和50年前後に起こった、 

千葉の街の大規模な転換への指向の正否は

この三つのデパートの顛末を見ると明らかになる。


結果としては、すべて失敗だった。








扇屋ジャスコは、駐車場を備え、 

いままで郊外に向かっていた客も、

郊外スーパーと同じ品揃えの

ジャスコの知恵でなんとでもなるだろう、

と考えた。 

1階には、千葉の街の中心部で初めての

マクドナルドも進出した。


千葉のガキどもは大いに喜んだ。

しかし、郊外スーパーと同じ品揃えの店に

駐車料金を払って狭苦しい、

都心のデパートともスーパーとも判然としない

中途半端な扇屋ジャスコに来る客は思ったほど

でもなく、業績はふるわなかった。


ついに『2階以上のフロアをすべて閉鎖する』

という敗北に至り

1階の投げやりな売場と地下の食料品売り場

すだけを残す、と退却。

当然、マクドは逃げ去った。


的確なロケーションマーケティングで、 

将来、繁華が約束された地にしか出店しないことで 

当時有名だったマクドナルドの進出の

毒牙を防いだ、 扇屋のへたれっぷりは、

当時の千葉の高校生達に 

『マクドナルドの撤退。』として、 

語り継がれることになった。



末期の扇屋は、すべてのテナントを喪い、

千葉市の外局の部署を

1階に配置してかろうじて

『シャッターデパート』になることを防いだ。

市の要請もあっただろう。

もちろん、表通りに面しているのに、

第三セクターの役人は

デスクで抜いた鼻毛を書類に植えていたりして

いたから

もう、シャッター閉めちまえ。とは、思った。


扇屋は、平成11年に法人としても消滅。

現在、その建物の跡地は周辺の街区も含んだ

大規模な再開発によって、青少年教育施設、

『きぼーる』になっている。








セントラルプラザも速やかに廃れて、

平成10年頃には本気で

客よりも店員のほうが多いということになり、

1階のコンビニや食料品売り場を残すのみ、

となったが平成13年にすべて撤退。

現在は敷地も売却してマンションになっている。


買廻店、専門店を目指したセントラルプラザが

テナントのブランドが認められなかったのとは異なり

パルコだけはかろうじてその地位を保った。


しかし、それも力尽きた。というのが

今回のニュースだろう。












さて、それならこの街はどうなればいいんだろう。


昭和50年代、千葉の街の人通りは劇的に減った。

しかし、それ以上に定住人口も減った。

扇屋やセントラルプラザが最期まで

地下のスーパー部分つまり、消耗品とか食料品

を扱うフロアを残そうとしたのには、

『まだこの分野だったら商売できるんじゃないか?』

という読みがあったからだ。


しかし、想像以上に街は痩せており、

持ちこたえられなかった。

かつてのデパートにあったスーパーの撤退以降

千葉の街の中心部では、肉屋も魚屋も八百屋も 

コンビニに毛が生えたような店による

かつての千里ニュータウン以上の

独占状態であった時代が 

しばらく続くことになる。


もっとも、いまは、セントラルプラザの跡地が

マンションなったように、

千葉市中央地区にはマンションが増えているので

夜間人口も増えているのかも知れない。


それなら最寄り品や食料品などを扱う店も

勝機があるだろう。


しかし、かつて『ハレの街』であったように、 

よそから人を引き込まないと

どうにもならない。




『あら馬鹿ね。いまはネットショッピングの

時代よ』と賢しらに言う奴がいるかも知れない。

もちろんそうしたものとも有機的に

連携しなければならないが

ウィンドウショッピングがなくなるはずはない。


商品を手に取り、味見し、立ち読みし 

『あー、このトランペット欲しいなー。』と、 

ショウウィンドウに張り付いてこそ、

買い物の醍醐味がある。


『リアル店舗』は、なくならない。


そして、『よその街から人を呼べる街』に

しないと、いずれまた、縮小再生産の道を

歩むことになる。


困ったね。







さらに、話がめんどくさくなるから書かなかったが、 

買回品や専門品を求める人ばかりではなく、 

多くの街で商店街を養っているのは、観光客である。


東京、京都、金沢。有名な観光地には土産物街がある。

しかし、千葉の街は見事に歴史がない。


この街が街がましくなったのは

明治になって、県庁が置かれてから。 

それ以降は、陸軍の諸施設が置かれて

多少町として発展したが、 

よその街の人にはどうにも野暮ったい街、

として 印象されることになった。


この街の歴史を知って貰おうとして、

千葉城に案内すると

そこには偽もんの天守閣が建ち、

本丸跡の土塁に積まれた石垣といい、

明治時代から積み重ねられた嘘が満開なので

時計台が守礼の門を担いではりまや橋を渡ってくる。


いっそのこと、千葉銀座に免税品店を並べて

観光客を呼ぶか?

東京から成田空港に行くリムジンバスを

千葉で止めるようにしたらどうだ?




まあ、地元の人の要望に応える、ことも大切だけど、

再び『ハレの街』にならないと、

真の展望はないと思うよ?













では、『今日の一枚。』














千葉パルコ

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この建物もどうなるんでしょうね。







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2015年8月 1日 (土)

もう全部『白紙撤回』でいいんじゃないか?

新国立競技場の建設費が高すぎて『ゼロベースで白紙撤回』。

ごめん、なかったことにして。ということでミソをつけたTOKYO2020。


こんどは、先日発表された公式エンブレムが外国のデザインの 

パクリではないか?という疑惑が浮上した。 

(FNNニュースの記事へのリンク)





 

000000000000000000000000000000000_4スペインのデザイン事務所の

東日本大震災の復興支援ロゴ

ベルギーの美術館のロゴ

今回の東京オリンピックの

 エンブレム

(クリックで大きくしておくれ)






まあ、製図台の上で3秒で作図できるくらいの単純なロゴなので

なにを持ってオリジナルとするかについては議論があるらしいが

ベルギーの事務所は東京オリンピックのエンブレムの

使用差し止めを訴えるとのこと。




で、

法的なことはエンブレムを選んだ組織委員会が 

充分にチェックしているらしいので、 

法廷闘争になっても負ける気遣いはないそうなのだが

法廷闘争なんかに持ち込まれた時点で

日本の負けである。




ただでさえ、新国立競技場の白紙撤回で

東京オリンピックはケチがついた。

世界に恥をさらしただけでなく、

『そもそも建設が間に合うのか?』ということまで心配されている。





まあ、日本名物『TOKKANN  KOUJI』で

意地でも間に合わせるだろうが

本番までのリハーサルの時間がない。


ごめん、ってなもんだ。





これを教訓に、日本ではザハ・ハディド事務所に設計を依頼する

ビルオーナーがいなくなるかと思うと、少しだけ愉快だが

そんな問題じゃないよなあ。








もう、これでいいんじゃないか?

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もちろんオリジナルはこれ。

000000000000000000000000000000000_2

昭和39年の

東京オリンピックエンブレム











まあ、こんな騒ぎは開催都市の通過儀礼として

恒例のことらしいが、

新国立競技場の騒ぎの直後なだけにかっこわるいよね。




























では、『今日の一枚。』









もう、これでもいいかもしんない。

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2020年オリンピックは

ハクシニシマース。









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すっかり、『月刊』になってしまったなつやすみ。

まだやめないよっ。

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