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2015年8月29日 (土)

ピアノ騒音殺人事件の日

8月28日はピアノ騒音殺人事件の日。 

昭和49年(1974年)のことだ。 

Wikipediaピアノ騒音殺人事件)



神奈川県平塚市の団地の4階の住民であった、

当時46歳の大浜松三が、

階下に住む4人家族のうち、母親と娘二人を

刺殺した。

原因は、被害者一家のピアノ。 

近隣騒音による初めての殺人事件として

注目された。










犯人の大浜は、昭和3年生まれで

旧制中学卒業と同時に就職した。

閉じこもりがちな性格であったことと、

盗癖があったことから周囲から孤立し、

職は安定せず住所も転々とし、

結婚にも失敗した。

 

それでも、昭和40年には再婚して

昭和45年には犯行現場となった、 

神奈川県営横内団地4階に転居する。 

2ヶ月遅れて, 被害者となる奥村一家が

大浜夫妻の階下に引っ越してきた。 

そして昭和49年の夏、惨劇が起こった。





大浜の『音』についてのトラブルは

昭和38年頃かららしい。

この年、彼は自身にとって唯一の趣味だった

ステレオの『自ら出した音』について、

隣家に住む夫婦と

派手なトラブルを起こしている。

これ以降、彼は騒音に極端に敏感になる。 

犬やセミの鳴き声や、こどもの遊ぶ声にすら

苦痛を感じ苦情を言ったり、

犬を殺したりして交番沙汰になったりしている。

ところが、引っ越してきた奥村一家は、

自ら出す騒音に無頓着で日曜になると、

朝から日曜大工で団地の躯体に釘を打ち

頻繁にサッシを開け閉てする。

ついには惨劇の前年の秋

この部屋にアップライトピアノが運び込まれ 

長女が下手くそなエチュードを弾き始めた。





大浜は、かつてステレオの音で

隣家にねじ込まれて大騒ぎなった反動からか、

自らの出す音が階下を刺激しているのかも、

という具合に考え、

床に厚手のシートを敷き、扉の開け閉てを

出来るだけゆっくりとやり

テレビもステレオもヘッドホンで聴いた。

階下でピアノの練習が始まると

近所の図書館に逃げ込んだり、釣りをして

時間をつぶしたりした。


しかし階下の奥村家は、

大浜に謝罪するでもなく 挨拶するでもなく、

むしろ小馬鹿にし、 8歳の娘は

『おじちゃん、

人間 生活すれば音が出るのよ。』 

と言い出す始末で、お前それ親が言ってるよな

にえええええ、腹が立つ。


長女のピアノ演奏は早朝から夜間まで

時間を選ばず、

さらに大浜の帰宅を見計らったタイミングで

始まったり、大浜が苦情を入れた翌日には

さ頻繁になったりして挑発的で、

また無職になっていた大浜が奥村家の前を

通ると、

『こどもが(昼)寝しています。

静かにして下さい。』 

と、自分を棚に上げた張り紙がしてある。


きれた。


犯行日の朝、父親が出勤し、母親が

ゴミ出しに出ると

鍵のかかっていない部屋に侵入し

夏休みで朝から練習していた長女の胸を

包丁で一突きして殺し、

帰ってきた次女も一突き、母親も突き伏せた。

 

そうして襖に『迷惑をかけているんだから、

すみませんの一言くらい言え。気分の問題だ

大体、来た時も挨拶に来ないし、しかも

バカヅラしてガンを飛ばすとは何事だ。

人間、殺人鬼にはなれないものだ・・・』と

血で大書した。

 

そのまま逃走。

大浜は自殺を図るが死にきれなくて、

3日後に出頭し、逮捕された。












昭和40年代初め、

大浜のオーディオもそうだが、

部屋でのピアノも大いに流行した。

近隣での騒音トラブルというのが

社会問題化し始めた時期でもある。

この事件でも『騒音被害者の会』という組織が

即座に『支持』を打ち出すのだが

大浜自身がこれを断り、一審で死刑。


大浜は控訴を渋ったが弁護人に説得される。

しかし、控訴審では大浜自身が控訴を取り下げ

たため、一審の死刑判決が確定した。


これが事件の顛末。









騒音問題、というのは今もある。

うちのマンションでも

『楽器演奏、日曜大工等は控えましょう』と、

掲示がある。


そして、これは『騒音の絶対音量』とは

関係なく『被害者』と『加害者』の関係性

によるところが大きい、と思う。

好きな娘が出すのであれば、げろを吐く音でも

好ましいが、嫌いな奴の音は箸の上げ下ろしの

音も気にいらねえ、というもの。

この事件の直接の原因は、大浜と被害者が

近隣としての良好な交流関係を築けなかった

ことにあるんだろう。





この裁判でも、現地の騒音測定が行われたが 

通常の演奏であれば、騒音の絶対音量は 

基準値以下であったそうだ。


県営横内団地でも、この事件以前に

ピアノ騒音が問題になり

ピアノに関して演奏時間や、音量を控えること

等に関する自主ルールが定められていた。


しかし、被害者一家は、これを無視した。

そればかりか、深夜早朝、大浜の帰宅時間を

狙うなど

なく神経を逆剥けさせる挑発を繰り返した。


大浜も、不機嫌な顔をするだけで

挨拶などはしなかったらしい。


仲ようせいっ。


















さらに、この事件の根本的な原因として

昭和40年前後にみられた、

『貧乏な癖に上を見る』

日本人の哀しい見栄、

ということがあった。


加害者と被害者が住んでいた団地は、  

今日からみると、建築として最低の水準に

近い。


被害者宅と加害者宅を遮る唯一の物理的障壁で

ある床のコンクリートスラブの厚みは

120mmしかなく、これは上下2段に鉄筋を組む

『ダブル配筋』を施す部材としては

構造的・施工的に限界の薄っぺらさである。


足音はもとより、こどもが椅子から

飛び降りたりしたら、

『こどもだから元気なのは当たりまえですよね

ほとんど口を利かない下の階のひとに文句を

言われてもやもやします。

うちのエンジェルちゃんたちはのびのびと

育てたいんです。

おじさんは子供がいないからわからないんじゃ

ないかなぁって(笑)』

という発言小町的くそばばあともども、

包丁でミンチにされる、というくらい薄い。

さらにスラブだけではなく、

昭和40年代のサッシというのは

遮音性能が皆無で、それ以前に被害者一家は

普段玄関扉を開けて生活していた。

 

そりゃ殺されるわ。


そしてその最低品質の公営住宅は、

事件の舞台となった

神奈川県営住宅だけのものだったのかというと

そんなことはなく、住宅公団(いまのUR)

含めて、日本中の公営住宅が同じだった。


それなら団地は貧乏人向けのものだったのか、

というとこれも、そんなことはなかった。

いまでこそ、公社、公営の低層団地というのは

高齢者と低所得者が多いのだが、

この当時は違った。


違ったどころではなく大人気で、

公団住宅は常に抽選で 

数十回落ちている、という人が珍しくなく、 

『公団住宅の抽選はがきの発送を代行します

』という詐欺師が 

もりもりと現れる始末で、日本中の女性が 

『団地妻』になることに憧れた。


したがって、幸運にも入居できた中産階級達は

6畳のリビングにソファセットを置き、

書棚に百科事典を並べ、ステレオを置いて、

申し訳のようにLPを飾った。

そして、そういった装飾品の中で

最高に高価で 見栄をはることが出来たのが、

3帖間に置かれた 

弱音器もないアップライトピアノだった。


いまでも、古い団地の近隣センターの中に

ピアノ教室があったりするだろう。

そういうのが流行った時代が、

かつて存在したのだ。







しかし、『だから、社会の歪みが

この犯罪を生んだのだ。』なんていう 

陳腐な結論には、

しかし したくないなあ。


犯人である大浜の個性のせいにも

したくない。

しかしこの人が犯罪前後 精神の平衡を

欠いていたのは確かで、

特に犯行前、奥村の傍若無人な騒音に

自ら堪え忍び、怒りを内訌させて、

殺意を発酵させていったあたり、どこかで

適当な精神的なフォローがあったなら、

とは思う。

2番目の嫁にも逃げられたことで

逃げ場を喪ったらしい。


そして、この当時騒音問題に対する

社会全体の認知度がまだ低かった、

ということもある。

早くから大浜の支援に動こうとした

『騒音被害者の会』というものが この当時

既にあった。

しかし社会全体としてはまだ、

意識は低調だった。


その一方、被害者の奥村の対応は、

今日から見ると実に腹立たしい。


しかし、世間一般の認識は今日とは

違っていたらしく、大浜は、罪一等を

減じられることなく、一審で死刑を喰らう。


控訴審では精神鑑定が行われ、

『パラノイアだから責任能力なし』という

結果が出る。

減刑される公算が大きくなったのだが、

大浜は初めから裁判で争う気はなくむしろ

減刑されて役になり刑務所に放り込まれたり

したら同房者との音のトラブルに

耐えられない、として

弁護人に無断で控訴を取り消してしまう。


『代理人』の面子をつぶされた弁護人は 

異議を申し立てるが認められず、

一審判決が確定して 

大浜は死刑囚となった。






しかし、2015年現在も刑は執行されて

おらず、判決確定後の収監は38年に及ぶ。

再審請求をしていない死刑囚としては最長で、

大浜は最高齢でもある。

(再審請求中の確定死刑囚まで含めると、

収監期間の最長は、マルヨ無線事件の尾田信夫

で40年。

最高齢の死刑囚は

名張毒ぶどう酒事件の奥西勝で89歳)


彼は小菅の東京拘置所の独房で

38年過ごしているわけだ。

おそらくは近隣騒音とは縁のなさそうな

そもそも付き合うべき

近隣住民がいない独房での 

38年間は幸せだったのか?


あるいは、望み通りなのか?
























では、『今日の騒音おばさん』













ピアノ殺人事件は、被害者が騒音を出す側で 

加害者が、騒音被害者だったのだが、

後年になると、騒音加害者が傷害罪の加害者に

なるケースが出た。

例えば、奈良騒音傷害事件。




インパクトの強い動画だが、

この動画自体は、『騒音おばさん』の

被害者となった老夫婦が撮影したもの。

この『騒音おばさん』と、老夫婦の間には

別の件でトラブルがあり、それがエスカレート

してこんなことになったらしい。


いまさら真相なんか知りたくもないけど、

近隣トラブルの怖さは、

こうやってエスカレートするところだと思う。









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