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2015年8月 5日 (水)

『こどもの詩』の嘘。

タイトルは『おっぱい』。

以前、5歳の男の子が

本紙「こどもの詩」コーナーに寄せた作品である。


『おかあさん/ぼくは一才三か月でおっぱいをやめたんだよね…

でもね/あのとき/ぼくさびしかったんだよ。』…

(読売新聞『よみうり寸評 7月24日へのリンク)






これ、5歳の詩か?

紙の新聞で見た時に疑問に思ったが、

Web版でも『5歳』なので間違いないのだろう。


そりゃまあ、世界には5歳で大学に入るような

早熟なガキもいるらしい。

でもなあ…というのが、今日のお話し。







冒頭の詩に戻ると、だからこれ、

100%大人が書いたものじゃないのか?


『…やめたんだよね。』と、

自分の記憶を他人に重ね合わせるような表現。

普通のガキなら、自分の視点だけで

『ぼくはおっぱいをやめた時にさみしかったです。』

くらいしか書けない。

『でもね…』という逆接の表現も早い。

さらに、『やめたんだよね。』『さみしかったんだよ。』と、

舌足らずな飲み屋のねーちゃんのような

安っぽく演歌みたいな口調。

こんなもん、こどものオリジナルだとは思えない。



そして、決定的な嘘が

『一才三ヶ月』という表現。


『なっちゃん、いくつ?』

『いつつ。』

『松太郎君はいくつ?』

『ぼくは、五歳三ヶ月です。』


こんな5歳いるか?

いてもいいけど、鉛筆を刺してぶち殺す。

この一句で、ションベンみたいな文字列が、

『詩』になっているのかも知れないが

5歳がこんな印象的なセリフを放り込めるだろうか。

少なくとも、『○才○ヶ月』という表現は嘘だ。


発達心理学と、文法の専門家が解読すれば、

もっといろんなことがわかるのかも知れない。



ご丁寧に、改行を示す『/(スラッシュ)』が入っているが

そもそも5歳が文節を理解して分かち書きができるか?

私個人の経験でいえば、小学校入学の時点で

ひらがなも読めず、自分の名前のかなだけ急遽覚えさせられて

学校に放り込まれた。

もちろん、書く文字は鏡文字だ。


卒乳の時期を覚えており、それをさみしかった、ということを 

詩想として持っていた5歳は、実際にいたのかも知れない。 

そこまでは信じてもいいが 

それを文字にしたのは、明らかに家族に煙たがれるおっさんか 

小学校で親子の絆を説く、

『意識Highest』なおばはんである。



もうやだ、こんな 嘘もんの感動。



以前、『こどもの俳句』でも、 

似たようなことを書いたことがあった。 

(こどもと俳句と銅閣寺と私 なつやすみ)


たしかに、読売に限らず

新聞社が募集する作文なり、詩なり俳句、というのには

100%、大人の手が入っている。

今は昔ほど露骨ではないと思いたかったけど、これはちょっと…







これで、この鼻糞のような詩に『よみうり寸評』氏が

感動しただけなら間抜けなだけだが、

そこから母子手帳の話につながり、

中国でも導入されるかも、ということを伝え、

『母と子の心の絆を深めるのに役立つといい。』と、締めている。



いや、結句は 

『13億人の大国である。忘れがたき記憶も膨大となろう。』 

とあるので、極端な格差によって 

悲惨な境涯に置かれているこどもが膨大に登ることを念頭に 

『頑張れよ。』と『意識Superior Highest』 

説教をしたかっただけなのかも知れない







あー、あちー。

























では、『今日の一枚。』












『卒乳』で画像検索したら出てきた画像。

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いいなー。


 

 

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どおして、7月24日付の記事に対する文句を今頃書いているかというと

例によって、死んでいるからさ。

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