『こどもの詩』の嘘。
タイトルは『おっぱい』。
以前、5歳の男の子が
本紙「こどもの詩」コーナーに寄せた作品である。
『おかあさん/ぼくは一才三か月でおっぱいをやめたんだよね…
でもね/あのとき/ぼくさびしかったんだよ。』…
(読売新聞『よみうり寸評 7月24日へのリンク)
これ、5歳の詩か?
紙の新聞で見た時に疑問に思ったが、
Web版でも『5歳』なので間違いないのだろう。
そりゃまあ、世界には5歳で大学に入るような
早熟なガキもいるらしい。
でもなあ…というのが、今日のお話し。
冒頭の詩に戻ると、だからこれ、
100%大人が書いたものじゃないのか?
『…やめたんだよね。』と、
自分の記憶を他人に重ね合わせるような表現。
普通のガキなら、自分の視点だけで
『ぼくはおっぱいをやめた時にさみしかったです。』
くらいしか書けない。
『でもね…』という逆接の表現も早い。
さらに、『やめたんだよね。』『さみしかったんだよ。』と、
舌足らずな飲み屋のねーちゃんのような
安っぽく演歌みたいな口調。
こんなもん、こどものオリジナルだとは思えない。
そして、決定的な嘘が
『一才三ヶ月』という表現。
『なっちゃん、いくつ?』
『いつつ。』
『松太郎君はいくつ?』
『ぼくは、五歳三ヶ月です。』
こんな5歳いるか?
いてもいいけど、鉛筆を刺してぶち殺す。
この一句で、ションベンみたいな文字列が、
『詩』になっているのかも知れないが
5歳がこんな印象的なセリフを放り込めるだろうか。
少なくとも、『○才○ヶ月』という表現は嘘だ。
発達心理学と、文法の専門家が解読すれば、
もっといろんなことがわかるのかも知れない。
ご丁寧に、改行を示す『/(スラッシュ)』が入っているが
そもそも5歳が文節を理解して分かち書きができるか?
私個人の経験でいえば、小学校入学の時点で
ひらがなも読めず、自分の名前のかなだけ急遽覚えさせられて
学校に放り込まれた。
もちろん、書く文字は鏡文字だ。
卒乳の時期を覚えており、それをさみしかった、ということを
詩想として持っていた5歳は、実際にいたのかも知れない。
そこまでは信じてもいいが
それを文字にしたのは、明らかに家族に煙たがれるおっさんか
小学校で親子の絆を説く、
『意識Highest』なおばはんである。
もうやだ、こんな 嘘もんの感動。
以前、『こどもの俳句』でも、
似たようなことを書いたことがあった。
(こどもと俳句と銅閣寺と私 なつやすみ)
たしかに、読売に限らず
新聞社が募集する作文なり、詩なり俳句、というのには
100%、大人の手が入っている。
今は昔ほど露骨ではないと思いたかったけど、これはちょっと…
これで、この鼻糞のような詩に『よみうり寸評』氏が
感動しただけなら間抜けなだけだが、
そこから母子手帳の話につながり、
中国でも導入されるかも、ということを伝え、
『母と子の心の絆を深めるのに役立つといい。』と、締めている。
いや、結句は
『13億人の大国である。忘れがたき記憶も膨大となろう。』
とあるので、極端な格差によって
悲惨な境涯に置かれているこどもが膨大に登ることを念頭に
『頑張れよ。』と『意識Superior Highest』な
説教をしたかっただけなのかも知れない。
あー、あちー。
では、『今日の一枚。』
『卒乳』で画像検索したら出てきた画像。
いいなー。
(クリックしてくださいな)
どおして、7月24日付の記事に対する文句を今頃書いているかというと
例によって、死んでいるからさ。
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