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2015年9月 2日 (水)

十二階の日

9月1日は関東大震災の日。

この日は浅草の凌雲閣 (十二階 )が、倒壊した日でもある。

1923年(大正12年)のこと。

 

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9階から上が倒壊で消滅












浅草凌雲閣は、1890年(明治23年)に浅草六区に出来た。

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浅草寺の北西

ひょうたん池の向こう






今で言うとどこか、というとこのあたり。

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建設跡地にある銘板。

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クリックで大きくなります













地上12階、高さ52.4m。

地上1階から10階まではレンガ造。

地上11階から12階までは木造。

8階までは展望回廊。9・10階は貴賓室。

11階は展望室・照明機械室。12階は屋上展望室。

建坪(塔部分のみ)122.31㎡。


これが地震によって、6階から8階にかけて崩壊。 

そこから上部が崩落。 

さらに、地震直後に火災が発生。 

翌年、爆破解体された。

もう、踏んだり蹴ったり藤原鎌足。







しかし明治23年当時、12階建という建物は帝都には まだなく、

その圧倒的な高さは、まさに『雲を凌いだ。』



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なんか傾いてないか?









傾いてはいなかったらしいが、

地盤が軟弱なのはピサの斜塔と同じ。


この建物が、何故崩壊したか、

倒壊を防ぐにはどうしたら良かったのか、について

建設会社の鹿島が、一般向けのHPで解説している。

(仮想プロジェクト 浅草凌雲閣を救え! 鹿島のウェブサイト)




『軟弱な地盤が揺れを大きくした。』

『レンガ造では、曲げや剪断に対する余裕がなくて

限界を超えちゃった。』という結論はわかるが、

倒壊しないための解決法として

『地盤改良をする。』というのはともかく、 

『アクティブ制震装置をつければ大丈夫』というのは、

卑怯だと思う。









この建物の設計者はウィリアム・バルトンさんというイギリス人。 

多少建築に詳しい人なら、『そんな奴しらんなあ。』というだろう。 

実際、バルトン先生の設計した建物で有名なのは 

この浅草12階だけである。


『倒壊した建築の設計者』としてしか知られていないのは

かわいそうだがちゃんと理由があって

この先生の専門は建築ではなかった。


この人は、近代上水道建設のために、明治政府が招聘した 

お雇い外国人だったのだ。

水道屋さんが、何故、レンガの塔の設計をしたか、というと

こんな理由。


江戸時代の水道のように、樋や管に勾配をつける『流下式』だと

配水面積が小さすぎるし、地形によっては配水できなかったり

地下水や下水が浸透してくる危険もあって、近代水道では

配管内の水に圧力をかけることは絶対の条件だった。


配管に圧力をかける手っ取り早い方法が高さを利用すること。

今でも、皆さんの街の高台に、給水塔というのがあると思う。

 

Tank



知らないとびっくりする






こうやって、街の高台に給水所を造り、

さらにこのような塔を作って高低差によって水圧をかける。

写真の給水塔は鉄筋コンクリート造だが、昔はレンガ造だった。

特にヨーロッパには

お城の櫓のように立派な給水塔がたくさんある。


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ドイツ、マンハイムの給水塔

どこのお城だ?







Photo




日本だって負けてない。

世田谷の駒沢給水塔











バルトン先生は、水道の専門家であると同時に

当時の日本では

『塔の第一人者』でもあったのだ。











ところが、展望塔と給水塔では当たり前だけど、いろいろ違う。

Plan2





立面図と

各階平面図。












各階に展望歩廊があるために、8面ある各辺には

2つの窓が開けられており、大変開放的だ。

しかし、これでは鉛直荷重を支えられない。


構造的には『雑壁』なので、8つの頂点にバットレス(袖柱)を

作って、これを支えている。


これだけみると、ステンドグラス輝くゴシックの聖堂だが

あれが倒れないのは、ヨーロッパに地震がないから。

あいにくと日本は地震国なので倒れた。



さらに、


各階にスラブを張るのは、建物の耐力を高めるが

建物の性質上、階段が必要で、

中央部に直径4m弱の穴があって螺旋階段がある。


さらに、この建物にはエレベーターがあったので

1間×1間半の3畳の籠を通すために6㎡くらいの穴が

やっぱり開いていた。



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2階から8階までの『基準階』には、階段、EVと廊下しかない。

途中階の廊下を歩く人がどれだけいるんだろう。


途中階に、土産物屋や 飲食店があるもんだと思っていたが

12階の案内広告など見ると、そんなこともなかったらしい。


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そして、この建物が画期的だったことには、日本初の 

エレベーターが設置されていた、ということ。

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籠の上下は、麻の荒縄。

巻き上げ機は1階。

 

今日からみると、不思議なエレベーターである。

乗客が乗る駕篭は、畳3帖のスペースがあり、1帖分には

ふとんが敷いてあった。


5㎡という駕篭の大きさのばかばかしさにも笑うが

客が床を延べていたあたり、

舟遊びのように『過程』を愉しんでいたのだろう。


店舗がないから、各階に停止する必要はなく

停止階は1階と8階(最上階)だけだったらしいのだが、

カウンターウェイトのかわりに客用の駕篭を乗せていたことで

2台の籠のタイミングが合わないと運転できなかった。

時間を気にしない、というあたりも舟遊びっぽい。


しかし、

こんなかったるい運転をやっていたことや

麻縄で運転したのでロープが切れそうになったり、

イギリスから輸入した巻き上げ機がすぐに壊れたりして、

トラブルが続出した。


そのために、開業翌年の1891年には

警視庁から、『エレベーターを使ってはならぬ。』という

処分が下される。








『12階』に階段で上がろうとする奴はいなくて、 

凌雲閣は、勢いよくすたれていく。

さらに、この建物があった、『千束』という地区には、 

天下に轟く魔窟、吉原があり、

治安がよろしくなかったこともあって、人気がなくなると、

一気にアンタッチャブルな色彩を帯びていく。


凌雲閣の運営会社は、1階部分に劇場や土産物街を作ったり

『百美人』と言って、今日のミスコンのようなものを開いて

客を呼ぼうとする。


そういった再建途上に起こったのが関東大震災。

震災で折れちゃっただけでなく、

火災で設備内装の一切が失われ、

運営会社も再建の意欲を無くしていたから、

震災3週間後の9月23日に陸軍に依頼して、爆破解体された。


一度の爆破では完全には崩れず、爆薬を再設置して

2度目の爆破で崩したそうである。


13年の短くて

そしてあんまり幸福ではなかった凌雲閣の生涯にとって、

せめてもの意地とでもいうべきか。



























では、『今日の超高層とスカイツリー。』













そうはいっても、開業当時の凌雲閣は、大変な人気を集めた。

なにしろ、帝都一の眺望だ。


遠くは筑波から富士山までを一望のもとに納め、

これまで江戸、東京の市民が見たこともないような高みに

観覧者の視点を引き上げ、夜景はひとびとを魅了した。


さらに建物自体も内部から百数十カ所の窓から明かりが漏れ、

11階のマストにつけられた屋外照明によって、

建物全体が暗色の明治の夜に、煌々と浮かび上がった。


凌雲閣が人気を失ったのは

エレベーターが使えなくなったからかも知れないが

『景色だけ』というアピールポイントだけでは弱かった、

ということもある。

不審になってから、あわてて劇場や物販店舗をつくったあたりに

戸惑いが見える。








スカイツリーなんてのも、どうなるんだろう。


先日、東京駅のすぐそばに、高さ390mの超高層ビルが

2027年度に完成する、というニュースがながれた。

(NHKニュースへのリンク)


このビルの最上階は、スカイツリーの第1展望台(350m)よりも高く

今ひとつ影が薄い、『いまのところ日本一』の あべのハルカスを

あっさりと上回る。

(悔しがる大阪人 J-CASTニュースの記事へのリンク)






いずれ、記録は抜かれるものだとしても

日本で、高さ百尺以上の建物が建つのは、昭和40年竣工の

霞ヶ関ビルを俟たないといけない。


凌雲閣が、地震にも戦火にも遭わなくて戦後まで生き残っていたら

意外に『日本一』の記録を維持し続けられたかも知れないが

昭和40年代の

荒んだ浅草六区の風景を知っているだけに

とても生き残れなかっただろうな…







そして、改めて『東京駅前の390mビル。』

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背が高けりゃ

いいってもんじゃねえ





そして、

このスケール感は、なんかちょっと違う。







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