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2015年9月の投稿

2015年9月25日 (金)

『新国立』は、もうすぐ完成

なにを言ってるんだ、お前は と思われるだろうが 

完成間近なのは、JR中央線の国立駅の駅舎建て替え工事。 

(国立市ホームページ 新国立駅)








今日は、この駅と国立という街についてのお話。

例によって長いぞ。



中央線の高架化工事によって、

国立駅を建て替えなければならなくなった。


駅舎本屋は、ほぼ完成したが

旧駅舎をどうしよう、ということで揉めているんだと。






国立という街をつくったのは堤康次郎という人。 

現在の西武グループの創始者である。


早大の学生時代から不動産事業を手掛け、20歳代で既に

軽井沢、箱根、目白文化村などで実績をあげていた。



33歳の堤が次に目をつけたのが、小平、国立などの武蔵野台地。 

1923年の関東大震災以降起こった、

東京市からの人口流出の受け皿をつくろう、と。

そして、他の新興住宅地と差別化を図るために 

学校を誘致して『学園都市』を名乗ろう、と。


その意気やよし、と思うし 後に述べるように

街区の設計やインフラの整備などでは

非常に先進的なのだが

土地の買収の方法などでは、大変に泥くさい。




Wikipediaの堤康次郎のページに

64歳で衆院議長になった時の、彼の写真がある。

そして、実にこれが悪徳不動産屋然としていて素晴らしい。

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下手な漫画以上に

これほど見事に

カリカチュアライズされた

ポートレートというのは

見たことがない




Wikipedia の彼のページを見ると

公私ともにめちゃくちゃな人だったらしい。


国立における土地の買収でも、、

手付を払って土地を買収して、工事に乗り出したのはいいが

昭和恐慌に入って売れ行きが伸び悩むと、

あろうことか地主に払う残金を踏み倒して

土地だけ手に入れてしまう。


当然地主である農民たちと

大変なトラブルになった。


しかし、堤は逆に農民連中に

訴訟合戦を繰り返し吹っ掛け、地主たちが

弁護費用や裁判費用が払えなくなったところで

涙金を払ってけりをつけるというえげつない方法で

トラブルを収める。

堤が37歳の1926年(大正15年)には、

放射状の街路を骨格とした街区が姿を現した。



しかし、それまで寒村だった畑に出来上がった街は斬新で

国立駅から南北に伸びる大通りは

幅24間(43m 現在と同じ。以下同)

放射状の道は6間(10.8m)、その他街区を区切る道は幅3間(5.4m)

住戸の区画は200坪(660㎡)。


メインストリートにはプラタナスなどの街路樹を植え、

上下水道、電燈、電話、

さらには小学校などのインフラも整備したこの街は

同時代の都市計画の水準を越えていた。


若き都市開発業者としては構想が大きい。






敷地を無償で提供するという、

破格の条件のもとで誘致した

東京高等音楽学院(今の国立音大)が開校したのが

1926年(大正15年)。

同じ年に箱根土地建物会社が建設費を負担し、

請願駅として甲武鉄道(今のJR中央線)に国立駅ができる。


1928年(昭和3年)には、堤が所有する多摩湖鉄道

(今の西武多摩湖線)が国分寺まで開業。

翌年の1927年には東京商科大(今の一橋大)も移転した。


実際の『街開き』は、甲武鉄道が隣駅の立川まで電化されて、

国立駅に旅客列車が停まるようになり

東京商大の校舎が完成して教員や学生が移転してきた

1929年(昭和4年)頃である。




ちなみに『国立』という地名は、

よく知られているように

『国分寺』と『立川』の間にあるから。

という、いい加減でふざけた理由で

一文字ずつ採ったもの。


『国立音大』の学生に『ナショナルな

ミュージックカレッジは、上野にあるんだ。

って留学生に説明するのが情けない。』

言わしめてしまう所以である。






しかし、既に昭和恐慌入っていたため、

売れ行きは芳しくなく

商大や音大の教員ばかりでは、土地が埋まらない。

なにより、東京都心から2時間以上かかる国立は

1930年当時、いくらなんでも遠すぎた。


そこで、堤は、自分の会社である箱根土地の社員を入居させる。

数でいうと、堤の会社の社員ばかりになって

でかい社宅をつくったようになったが、もちろん

一般の購入者を引きつける工夫もした。


それが、土地購買者に対して、当時はおろか

今日の視点で見ても強烈な建築制限を課した、ということ。



曰く、

商店は『本建築』であること。つまり、仕上げを上等にして

トタン葺などではないこと。 

さらに、住宅建築は『洋風』であること。


これらは、必ずしもすべて徹底されたわけではないが

『街づくりのための建築協定』というのが

住宅地において、初めて実現した例である。





さらに、建物の用途制限も設けた。

曰く、

『工場や風紀を紊る(みだる)営業は絶対にお断り。』と。


妾腹の子供がたくさんいすぎて、何人いるかわからなくなって、

葬式の際に、同じ顔の子供が全部違う母親に手を引かれて

何人も現れた、という堤がいうと

なにを言ってやがると思うが

工場など汗臭い施設や、カフェー、待合、安酒場など

風紀を乱す施設の立地は、罷りならん、と。



あー、暑苦しい。







しかしこういった、

『都市環境に対する

教条主義的な、意識の高い(大笑)姿勢』

というのは、国立固有の遺伝子として今日まで引き継がれている。





たとえば、1999年(平成11年)に、

駅前通りに建設されたマンションに関する訴訟が起きた。

(国立マンション訴訟)


国立駅前の大通りに面した敷地に、

民間ディベロッパーが高さ53m、18階建のマンションを計画。

これ自体は、当時の法令に適合したもので合法。

業者は建築確認を取得して、着工する。


ところが、これに対して市民の間から

『あまりにも高すぎる。』と反発が起こり訴訟が起こる。

日本における『景観訴訟』の最初の事例である。

この訴訟自体は、経過を追うのも馬鹿らしいのだが、

業者側が譲歩して14階建てに変更して竣工、

購入者に引き渡された。


しかしその後も住民、業者双方の訴訟合戦となり

2002年には住民側の主張を全面的に取り入れて

『高さ20m以上の部分は取り壊せ。』という乱暴な判決が下りる。

(反対側の住民と思しき人たちが作ったページ。

なにを主張してもいいけど自分がだれなのか、を

記述しないのは卑怯。)



判決は二転三転したが、

結局問題のマンションは

14階建として、いまも建っている。











ほぼ『完成』した、新国立駅舎がもめているのも 

こうした、街の歴史や都市景観に関する、意識の高い人たちの、

関心も起きない超高空での空中戦のおかげである。


新駅舎の建て替えで、

旧駅舎をそのままにしておくことができなくなった。

ここまでの事実認識は、誰も異論がないのだが、

旧駅舎は、国立駅が開業した1926年以来のもので

つまり『街の歴史=駅の歴史』だ。


昭和時代から始まった国立にとっては、

『街の記憶』そのもの、ではある。

000000000000000000000000000000000_3開業当時の国立駅

天気よく/

秋風清し/郊外の/

ご散策をかねて/国立の/

ご親察を/希う

だから残したい、と思う意識の高い人たちがいた。


ところが、JRに頼んだら、『なんで俺が。』と断られ、

東京都に行ったら、やっぱり『なんで俺が。』と断られ、

移築しようと思ったら『なんでそんな金を。』

市議会に拒否されて、旧駅舎は解体されて

いまは主要構造部と装飾が倉庫に保管されている。




ここまで言われても、国立市は市民の寄付を募って、

あくまで復活させる予定らしい。

 

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旧国立駅
 

(国立市HP)

 

 

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移築改修案の 

完成形

 

まあ、人の街のことだから、基本的にはどうでもいい。


しかし、『街の遺産』とか、

大きく振りかぶったようなことを言われると

眉に唾を塗りつけたくなる。





同じく『レジェンド』とか言って、

『お祭りだから予算は後から付いてくる。』と暴走して破綻した、

やっぱり『新国立』の競技場の失敗が重なってくる。

駅のほうの『新国立』だって、

お金はないのだ。

 

それでも、駅の方の『新国立』は、取ってつけたような

ファサードをとってつけて、復活するのだろう。


それに対して、赤字に懲りた、

競技場のほうの『新国立』は どうなるんだろう。

 





堤康次郎みたいなおっさんが身近にいたら

絶対に嫌だけど、

もうちょっとシャキシャキと

物事を決めてもいいと思うな。


























では、『今日の一枚。』












で、


おらが街のレジェンド、『旧国立駅』の移築、保管の案は

全国立市民の賛同を得ているのか、というと

文句ばっかり言うこの街に関して、絶対にそんなことはなく 

反対している人がいる。

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国立市議の上村です。

阿佐ヶ谷姉妹じゃありません。





上村先生は、この『旧駅舎の復元』に反対であるらしい。

(上村和子 ホームページ  公平なつやすみ)


しかしその理由は、文化財としての旧駅舎の評価についての

真正面からの議論ではなく、

高架駅になって、せっかく見晴らしがよくなったのに

旧駅舎を復元したら、景色が悪くなるじゃない、という

めくるめくも、頭の悪い議論。



国立駅は堤の箱根建物土地会社が駅を誘致する際、

窪地にあった谷保村に築堤を築いて甲武鉄道の路線を

その上に付け替えて高々と旧駅舎をつくった。

その駅舎を、さらに高架にして新しい駅舎を作ったから

新国立の駅舎で改札のあるコンコースは、

地上の駅前広場から高さ45mくらいの高みにある。


これは15階建てのマンションの屋上の高さに匹敵する。


だから、新しい駅舎のコンコースからは、、

近くは巾43mの大学通りをまっすぐに見下ろし

遠くは、富士を望む。


この素晴らしい眺望の目の前に、旧駅舎の張りぼてを置かれたら

見えなくなるじゃない、と。





なにいってんだ?この阿佐ヶ谷姉妹。





大通りや街からの、 

街のランドマークである旧駅舎への眺望より 

駅のコンコースからの眺望が大切だという、

すっとこどっこいな議論。






いるんだなあ。

こうやって、『反対のために反対する人』が。

これを市議会議員として通しちゃうところが 

三多摩だよなー。


いや、いくら三多摩でも、これは通らないだろう。

と、思いたい。


たぶん…










おまけ










阿佐ヶ谷姉妹



そっくりだけど、本当の『姉妹』ではないそうです。






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2015年9月24日 (木)

怒られない脅迫状

アグネス・チャンさん(60)のツイッターに

殺害予告を書き込んだとして、中3の少年が逮捕。 

「ナイフでメッタ刺しにして殺しますよ」 

「児童ポルノを認めないと

君のアグネス御殿は血まなみれになりますよ」 などと、書き込み。 

(読売新聞の記事へのリンク)










『…まあ、あほやな。』


『いい加減、こうやって

出所のわかるメールやSNSの書き込みで

「犯罪予告」なんかしたら、即座にばれるんだ。

ってことが分かりそうなもんですよね。』


『出所がわからなくても、  

脅迫とかしちゃだめだけどな。』


『あ、そうか。』


『なんだ?』


『出所がわかるからいけないんですよね。』


『わからなくても脅迫はだめだって。』


『むかしながらの新聞文字の切り貼り。』

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喧嘩売ってんのか?






『そっちの方が、メールよりばれるんじゃねえか?』



『狼煙で呪い。』


『通じねえよっ。』











『じゃあ、じゃあ、じゃあ。』


『なんだ?』


『「ナイフで血まみれ」とか、

具体的なことをいうからいけないんです。』


『まあ、ね。』


『呪ってやる。』


『…ツイッターに流すのか?』


『「呪う」ったって、 具体的な危害を与えるような犯行を

予告できる訳じゃないでしょう。』


『うん。』


『おれの呪いで、

おまえを血まみれにしてやろうか…』


『デーモン閣下?』


『しかし、いくらそんな事言ったところで「不可能犯」です。』


『しかし、嫌がらせにはなるから、しつこかったら  

「威力業務妨害」とかにはなるんじゃないか?』


『じゃあ、「祝ってやる」。』


『はい?』


『添付ファイルに、

この画像をつけるんです。』

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間違いなのか

釣りなのか

よくわからん

 

 














では、『今日の一枚。』











『しかし、アグネス・チャンって還暦なんですね…』


『新聞が一番残酷だな。』


『…ねえ。』


『あ、そうか。』
 

『なんです?』


『児童ポルノを認めないと、悪い事をして

1000万部の読売新聞に、

貴様の年齢を載せてやる。と、ツイート。』


『やめてっ。』

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17歳の君








いまからほんの、43年前。


1972年になにがあったかというと、

あさま山荘事件が起こったり、沖縄返還があったり、

田中角栄が総理になったり、川端康成が自殺したり、 

ミュンヘンオリンピックの年だったり、藤原鎌足。


歴史の彼方だなあ。




ふう。






 




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2015年9月19日 (土)

もう、あとは違憲立法審査だ。

安保関連法、成立。 

(どこの新聞でもいいか。読売の記事)






衆参合わせて200時間以上の審議を費やして審議したけど、

国民の理解が進むどころか、

『もう、今国会じゃなくてもいんじゃね?』という声が

大勢になりつつあったのに、安倍首相以下 与党は

今国会での成立を決断する。


こうなると議席で劣る野党に、国会内での打つ手はなく、

国会の外のデモ隊との連携を強調したりする。

国会では内閣や閣僚の問責決議や不信任案、

委員会の委員長などの解任動議などで審議を引き延ばすが

ついに刀折れ、矢 尽き、午前2時に参議院本会議での

投票に持ち込まれて、破れ去った。







最後っ屁のように、牛歩、喪服、数珠での登壇

安倍総理への合掌、と嫌味を連発した

山本太郎のパフォーマンスがくどかった。








『法案が成立した以上、あとは違憲立法審査だ。』


『ああ、中坊の時に覚えさせられましたね。』


『三権分立の中で、司法権が立法権に対して持っている、 

「お前が作った法律は憲法違反だからなしじゃ。」といえる

立憲主義を担保する、砦ってやつだ。』


『どうすんです?法案が施行されたら、

「これ、憲法違反だす。」っちゅうて、訴えるんでっか?』


『そんなアバウトな訴えじゃなくて、 

この法律ができたおかげで、うちはこんな損害をこうむりました 

って、具体的な事案で訴えるんだと。』


『そうなの?』


『一票の格差でも、「これは違憲だ。」っていう訴えじゃなくて 

「俺って、ハマッコじゃん? 

去年の参院選で、○○県の田舎もんより 

一票の価値が低いなんて許せねえから

精神的につらいじゃん。」っていう 

具体的な訴えにしないと、

「訴えの利益がない」っていうことで

門前払いをくらっちまう。』


『じゃあ、この法律が成立してから、不安で不安で…

だから、慰謝料ちょうだい。』


『ちぃっちゃいな。』


『まあね…』


『でも、そんな訴訟を 

既に日本中の法律の偉い先生が準備してるんだと。』


『へー。』










『あー、やだなー。』


『どうしました?長官。』


『だって、安保関連法が施行されたら、日本中から「違憲だ。」 

っていって、訴訟が群がり起こるだろ?』


『あー、まーねー。』


『おまえ判決書けよな。』


『ちょっ。嫌ですよ。』


『だいじょうぶ。憲法を扱う案件なら大法廷だから俺も出る。』


『じゃあ、ルール通り長官が裁判長やってくださいよ。』


『やだよ。』


『え?』


『だって、そんな国論を二分するような巨大案件。』


『これで判決を書けば「白鳥判決」や「永山基準」みたいに

判決に名が残りますよっ。』


『「白鳥」は、被害者の名前で、

「永山」は加害者の名前じゃねえかっ。』


『いいから判決書けって。』


『やだよー。』

























では、『今日の、ストロベリーQ』















山本太郎先生、16歳の時に『天才、たけしの元気が出るTV』で

披露していた、ストロベリーQ。






16の魂、いま40。

 






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2015年9月17日 (木)

優先座席の日

9月15日は、日本で初めてシルバーシートが

作られた日。 

(Wikipedia 優先席)




1973年(昭和48年)に国鉄中央線快速列車に

作られた。

当初は、シルバー色のモケットを

貼っていたからこの名称で

そのイメージから『高齢者優先』という

イメージがあった。



そこで、

身障者や怪我をしている人も対象であると

強調されるようになり、

2006年には、マタニティマークというものも

制定され

妊婦も対象としてアナウンスされるようになった。

 

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マタニティマーク

 

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うそ、ごめん
 

ほんとはこっち。




2000年からは、『女性専用車』というのも

各鉄道に導入されるようになる。








『シルバーシート』の名称は国鉄が最初だが、

私鉄の中には

別の名称、あるいは座席を指定せずに

『体の不自由な方に席を譲りましょう』という

呼びかけを行っているところは、

それ以前からあった。


さらに古く 明治時代には、満員の市電やバスで学生などが 

椅子に座っていると、 

まったく知らないおっさんが、 

『君、席をあけ給へ。』 

怒鳴ってきたという。



あー、暑苦しい。












で、

長い歴史を持っている割には、

こうした制度はまだ、

日本の市民に、血肉として消化されていない

ような気がする。



『座席のやり取り。』がスムースに

いかないんですね。


私がはじめて、バスでお年寄りに席を譲ったのは、

中学生の時だったと思う。


バス通学をしていたので乗っていると、

帰りがけの車中には 

いろんな年代の人がいる。 

その中で、座席の背もたれにつかまって、

ふらふらしている

おばあさんがいたので、彼女に席を譲った。

それだって大変で、 

お婆さんが乗ってから6つ目ぐらいのバス停を

越えた時だった。 

あんまり恥ずかしいから、『あのっ。』と

声をかけて 

あとはセリフが続かなくて手のひらで座席を指した。


お婆さんは、意外そうな顔をしていた。

そりゃそうだ。

長距離バスじゃなく、市街地をこちょこちょこ

走るバスだ。

乗ってすぐならともかく、

6つもバス停を過ぎていたら、

彼女が下りるバス停は、次だったかもしれない。


それでも、お婆さんは、この、

顔を真っ赤にしている童貞に恥をかかせるまい、

と思ったらしく軽く会釈して席に着いた。

その場にいるのは恥ずかしかったので、

さも用事があるかのように、

すぐにバスを降りてしまったから、

彼女がどこで降りたのかは知らない。



そのあと、知らない街で呆然とした。









譲る側の心の葛藤はそれ以外にも、

『通勤で2時間かかる』ということとなれば、

『席を譲りたくない。』という心理が

当然出てくる、ということである。


それに加えて、『優先されるべき対象者』である

高齢者、女性、妊婦のなかに、

『譲ってもらって当然。』という態度を

あからさまに取る連中が一定数以上いることだ。



これが優先席に対する一般の視線を冷たくしている。



座席で寝ている一般客の脚を、

杖で張り飛ばすくそ爺だとか

女性専用車に乗り込んだ男性に罵声を浴びせる

ブスとかがいる。

(女性専用車は痴漢を未然に防ぐためのもの。

『女性しか乗れない車両』ではありません。)










こんな奴、ほんまにおるんかいな、という気が

するが『優先』といわれると、

『権利』だ、と勘違いする頭の弱い人がいる、

ということだ。






このおばはんは、『馬鹿で強烈な勘違い』

だとしても、

マタニティマークに至っては、妊娠していないのに

それを身につけて、これ見よがしに脂肪しか

入っていない腹を

男性客に突き出す人間の屑がいるのだという



マタニティマークの正規の入手方法は、

市区町村に妊娠届出書なるものを提出する際、

母子手帳と一緒にもらうことができる、

というもの。


出産しても返還義務はなく、処分は母親の良識

に任されるのだが

これが一部の不届き者によって、

妊娠していない友人・知人に譲渡されたり

もっと不届きな者どもによって、

ネットオークションにかけられたりしている。


2015y09m16d_220724045













(クリックで大きく。っていうか『マタニティマーク オークション』で 

検索したらいくらでも出てきます。)







これは許せないなあ。

こんなことをしていたら、妊婦一般に対する

世間の信用を貶めるけだ、ということを、

このマークを161円で落札する馬鹿は

一切考えないんだろうな。




明治時代からある『弱者優先』の思想は
 

100年以上たった21世紀のいまでも、 

ちっとも成熟していない、ということか。













『ということでだな。』



『久しぶりですね。』


『「優先席」と、一般席が同じ料金の

同じ車両にあるから問題が起きる。』


『特急車だとグリーン車、私鉄でもJRでも

ある程度距離のある区間では

朝夕の通勤時間帯の列車に座席指定券を

売りだしたりしています。』


『しかし、近距離や停車駅の多い通勤車両では

無理だ。』


『まあ、ね…』


『だから、全部座席車にする。』


『はい?』


『山手線を「お座敷列車にしちまえっ』


『まてまてまてまてっ。』


『だから、車両にじゅうたんを敷いて

全員座って乗るようにすれば 

「席を譲れ」だなんだ、というくだらない騒ぎ

は起こらない。』


『靴はどうします?』


『入り口でビニール袋をもらってその中に入れる。 

寺や、お城なんかにはそんなところが

いくらでもあるだろうっ。』


『しかし、坐って乗るんじゃあ密度が

低くなるでしょう。』


『痴漢がしにくくなって、いいじゃないか。』


『あ…』


『しかも座って乗るんなら、天井高さは

2m以下でもかまわん。

2階建てにすれば、今以上にたくさん詰めるぞ?』


『おお…』


『山手線みたいに、しょっちゅう扉が開く電車じゃ

無理かもしれないけど、

40分も停まらない快速列車とかだったら 

ありうるんじゃないかなあ…』


『朝の通勤列車で床に坐ってる高校生とか

いますからね。』


『な?大人もやればいいんだよ。』


『しかし…』


『うん?』


『奴隷船みたいですね…』


『うーん…』
























では、『今日の通勤列車。』












でも、こんなんじゃ無理だよな。

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こんな通勤、いやだ。







インドあたりの通勤列車。

 




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2015年9月14日 (月)

太陽の街

太陽光発電のソーラーパネルの反射光で、 

室内が50℃以上にもなった、として訴訟が起こった

というニュース。(産経ニュースへのリンク)










東日本大震災以降、自然エネルギーが見直され、 

太陽光発電は、大いに脚光を浴びた。


かつては使い物にならなかったソーラーパネルも進化して

太陽光エネルギーに対する変換効率は、いまや20%を越える。


売電に関する制度も緩和されて、

この大規模太陽光発電というのが一般化してきた。

(Wikipedia 太陽光発電)







その一方で、増えたのが太陽光発電に伴うトラブル。

この種のトラブルを大別すると、

ひとつは『近隣の建物による日影で、発電に支障が起きた。』

というもので、神戸の元町通商店街が、近隣に新築する

高層マンションに文句をつけたりした。


世田谷の還暦婆の雑貨屋の屋根にしつらえられていた 

太陽光パネルに影が落ちる、と文句を言って 

日影規制などない地域なのにもかかわらず、 

補償金をむしり取った、ということがあった。 

(太陽発電と高層マンションと読売が消した広告 なつやすみ)



そしてもうひとつが、今回問題になった 

隣接地の太陽光パネルによる、

反射光によって起きる『光害』。 

(Wikipedia 光害。)







『光害』、というのは昔からあるが、

これはおもに夜間の人工照明による被害のことだった。


昼間光による被害というのはなかったのか、というと

しかし、やっぱり昔からあって、

『隣の窓の反射光がまぶしい。』なんていうもの。


受忍限度の線引きが難しいが

『夜勤だから、昼間寝なくちゃいけねえんだよ。』

ということになると、『ピアノ騒音殺人事件』のように

殺意を醸成しかねない。




今回の事例のように、反射光の輻射熱による『光害』というのも

むかしからあって、湾曲したガラス面だと、

焦点で火災を起こす、というしゃれにならない事故も起きた。

00000000000000000000000000000000000こんなの。

これは大阪府警。

吐かない容疑者は

真ん中に坐らされる

(うそです)

しかし、今回の『光害』は

『建築の不注意』によるものではなくて

『街ごと鏡』にしちゃったことだ。

2015y09m10d_142354373



もともとの地形







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現況















これは、ひどいなあ。

いくらなんでも近すぎる。



被告の太陽光発電会社も、

パネルの周囲に植栽を施したらしいが、

効果は乏しかったらしい。


『新しい公害』、と言ってしまうと、

とたんに、結論がつまらなくなるんだけど

太陽光発電は都市部でやれ、とは以前から言ってきた。



地熱発電が温泉を枯らしたり、

反原発が地球温暖化を招いたり藤原鎌足なんだけど、


だから、こういうものとの共存というのは

考えないといけないんでしょうねえ。




ふう












ふう。

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2015年9月 2日 (水)

十二階の日

9月1日は関東大震災の日。

この日は浅草の凌雲閣 (十二階 )が、倒壊した日でもある。

1923年(大正12年)のこと。

 

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9階から上が倒壊で消滅






 





浅草凌雲閣は、1890年(明治23年)に浅草六区に出来た。

Fuzoku01_2


浅草寺の北西

ひょうたん池の向こう






今で言うとどこか、というとこのあたり。

Map2_2



クリックで大きくなります。









建設跡地にある銘板。

0000asakusa1212




クリックで大きくなります













地上12階、高さ52.4m。

地上1階から10階まではレンガ造。

地上11階から12階までは木造。

1階から8階までは展望回廊。

9・10階は貴賓室。11階は展望室・照明機械室

12階は屋上展望室。

建坪(塔部分のみ)122.31㎡。


これが地震によって、6階から8階にかけて崩壊。 

そこから上部が崩落。 

さらに、地震直後に火災が発生。 

その後爆破解体された。

もう、踏んだり蹴ったり藤原鎌足。







しかし明治23年当時、

帝都に12階建という建物は まだなく、

その圧倒的な高さはまさに『雲を凌いだ』



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なんか傾いてないか?









傾いてはいなかったらしいが、

地盤が軟弱なのはピサの斜塔と同じ。


この建物が、何故崩壊したか、

倒壊を防ぐにはどうしたら良かったのか、について

建設会社の鹿島が、一般向けのHPで解説している。

(仮想プロジェクト 浅草凌雲閣を救え! 鹿島のウェブサイト)




『軟弱な地盤が揺れを大きくした。』

『レンガ造では、曲げや剪断に対する余裕がなくて

限界を超えちゃった。』という結論はわかるが、

倒壊しないための解決法として

『地盤改良をする。』というのはともかく、 

『アクティブ制震装置をつければ大丈夫』というのは、

卑怯だと思う。









この建物の設計者はウィリアム・バルトンさん

というイギリス人。 

多少建築に詳しい人なら、

『そんな奴しらんなあ。』というだろう。 

実際、バルトン先生の設計した建物で有名なのは 

この浅草十二階だけである。


『倒壊した建築の設計者』としてしか

知られていないのは

かわいそうだがちゃんと理由があって

この先生の専門は建築ではなかった。


この人は、近代上水道建設のために、

明治政府が招聘した お雇い外国人だったのだ

 
水道屋さんが何故、レンガの塔の設計をした

か、というとこんな理由。


江戸時代の水道のように、

樋や管に勾配をつける『流下式』だと

配水面積が小さすぎるし、

地形によっては配水できなかったり

地下水や下水が侵入してくる危険があった。

したがって近代水道では配管内の水に

圧力をかけることは絶対の条件だった。

配管内に圧力をかける手っ取り早い方法が

高さを利用すること。

今でも、皆さんの街の高台に、

給水塔というのがあると思う。

 

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知らないとびっくりする






こうやって、街の高台に給水所を造り、

さらにこのような塔を作って配水する水を上げ

高低差によって水圧をかける。

写真の給水塔は鉄筋コンクリート造だが、

昔はレンガ造だった。

特にヨーロッパには

お城の櫓のように立派な給水塔がたくさんある。


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ドイツ、マンハイムの給水塔

どこのお城だ?







Photo




日本だって負けてない。

世田谷の駒沢給水塔











バルトン先生は、水道の専門家であると同時に

当時の日本では

『塔の第一人者』でもあったのだ。











ところが、展望塔と給水塔では、

用途が違うわけだから、

構造などいろいろ違ってくる。

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立面図と

各階平面図。












各階に展望歩廊があるために、8面ある各辺には

2つの窓が開けられており、大変開放的だ。

しかし、これでは鉛直荷重を支えられないので、
8つの頂点にバットレス(袖柱)を作って、

これを支えている。

これだけみると、ステンドグラス輝くゴシックの聖堂だが

あれが倒れないのは、ヨーロッパに地震がないから。

あいにくと日本は地震国なので倒れた。



さらに、


各階にスラブを張るのは、建物の耐力を高めるが

建物の性質上、階段が必要で、

中央部に直径4m弱の穴があって螺旋階段がある。


さらに、この建物にはエレベーターがあったので

1間×1間半の3畳の籠を通すための12㎡くらいの穴が

やっぱり開いていた。



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2階から8階までの『基準階』には、階段、EVと廊下しかない。

途中階の廊下を歩く人がどれだけいるんだろう。


途中階に、土産物屋や 飲食店があるもんだと思っていたが

12階の案内広告など見ると、

そんなこともなかったらしい。


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そして、この建物が画期的だったことには、

日本初の エレベーターが設置されていた、

ということ。

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籠の上下は、麻の荒縄。

巻き上げ機は1階。

 

今日からみると、不思議なエレベーターである。

乗客が乗る駕篭は、畳3帖のスペースがあり、

1帖分にはふとんが敷いてあった。


5㎡という駕篭の大きさのばかばかしさにも笑うが

客が床を延べていたあたり、

舟遊びのように『過程』を愉しんでいたのだろう。


店舗がないから、各階に停止する必要はなく

停止階は1階と8階(最上階)だけだったらしいのだが、

カウンターウェイトのかわりに

客用の駕篭を乗せていたことで

2台の籠のタイミングが合わないと運転できなかった。

時間を気にしない、というあたりも舟遊びっぽい。


しかし、

こんなかったるい運転をやっていたことや

麻縄で運転したのでロープが切れそうになったり、

イギリスから輸入した巻き上げ機がすぐに壊れたりして、

トラブルが続出した。


そのために、開業翌年の1891年には警視庁から、

『エレベーターを使っては罷りならぬ。』という

処分が下される。








『12階』に階段で上がろうとする奴はいなくて、 

凌雲閣は、勢いよくすたれていく。

さらに、この建物があった、『千束』という地区には、 

天下に轟く魔窟、吉原があり、

治安がよろしくなかったこともあって、

人気がなくなると、

一気にアンタッチャブルな色彩を帯びていく。


凌雲閣の運営会社は、

あわてて1階部分に劇場や土産物街を作ったり

『百美人』と言って、今日のミスコンのようなものを開いて

客を呼ぼうとする。


そういった再建途上に起こったのが関東大震災。

震災で折れちゃっただけでなく、

火災で設備内装の一切が失われ、

運営会社も再建の意欲を無くしていたから、

震災3週間後の9月23日に陸軍に依頼して、

爆破解体された。


一度の爆破では完全には崩れず、爆薬を再設置して

2度目の爆破で崩したそうである。


13年の短くて

そしてあんまり幸福ではなかった凌雲閣の生涯にとって、

せめてもの意地とでもいうべきか。



























では、『今日の超高層とスカイツリー。』













そうはいっても、開業当時の凌雲閣は、大変な人気を集めた。

なにしろ、帝都一の眺望だ。


遠くは筑波から富士山までを一望のもとに納め、

これまで江戸、東京の市民が見たこともないような高みに

観覧者の視点を引き上げ、夜景はひとびとを魅了した。


さらに建物自体も内部から百数十カ所の窓から明かりが漏れ、

11階のマストにつけられた屋外照明によって、

建物全体が暗色の明治の夜に、煌々と浮かび上がった。


凌雲閣が人気を失ったのは

エレベーターが使えなくなったからかも知れないが

『景色だけ』というアピールポイントだけでは弱かった、

ということもある。

不振になってから、あわてて劇場や物販店舗をつくったあたりに

戸惑いが見える。








スカイツリーなんてのも、どうなるんだろう。


先日、東京駅のすぐそばに、高さ390mの超高層ビルが

2027年度に完成する、というニュースがながれた。

(NHKニュースへのリンク)


このビルの最上階は、スカイツリーの第1展望台(350m)よりも高く

今ひとつ影が薄い、『いまのところ日本一』の あべのハルカスを

あっさりと上回る。

(悔しがる大阪人 J-CASTニュースの記事へのリンク)






いずれ、記録は抜かれるものだとしても

日本で、高さ百尺以上の建物が建つのは、昭和40年竣工の

霞ヶ関ビルを俟たないといけない。


凌雲閣が、地震にも戦火にも遭わなくて戦後まで生き残っていたら

意外に『日本一』の記録を維持し続けられたかも知れないが

昭和40年代の

荒んだ浅草六区の風景を知っているだけに

とても生き残れなかっただろうな…







そして、改めて『東京駅前の390mビル。』

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背が高けりゃ

いいってもんじゃねえ





そして、

このスケール感は、なんかちょっと違う。







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