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2015年9月25日 (金)

『新国立』は、もうすぐ完成

なにを言ってるんだ、お前は と思われるだろうが 

完成間近なのは、JR中央線の国立駅の駅舎建て替え工事。 

(国立市ホームページ 新国立駅)








今日は、この駅と国立という街についてのお話。

例によって長いぞ。



中央線の高架化工事によって、

国立駅を建て替えなければならなくなった。


駅舎本屋は、ほぼ完成したが

旧駅舎をどうしよう、ということで揉めているんだと。






国立という街をつくったのは堤康次郎という人。 

現在の西武グループの創始者である。


早大の学生時代から不動産事業を手掛け、20歳代で既に

軽井沢、箱根、目白文化村などで実績をあげていた。



33歳の堤が次に目をつけたのが、小平、国立などの武蔵野台地。 

1923年の関東大震災以降起こった、

東京市からの人口流出の受け皿をつくろう、と。

そして、他の新興住宅地と差別化を図るために 

学校を誘致して『学園都市』を名乗ろう、と。


その意気やよし、と思うし 後に述べるように

街区の設計やインフラの整備などでは

非常に先進的なのだが

土地の買収の方法などでは、大変に泥くさい。




Wikipediaの堤康次郎のページに

64歳で衆院議長になった時の、彼の写真がある。

そして、実にこれが悪徳不動産屋然としていて素晴らしい。

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下手な漫画以上に

これほど見事に

カリカチュアライズされた

ポートレートというのは

見たことがない




Wikipedia の彼のページを見ると

公私ともにめちゃくちゃな人だったらしい。


国立における土地の買収でも、、

手付を払って土地を買収して、工事に乗り出したのはいいが

昭和恐慌に入って売れ行きが伸び悩むと、

あろうことか地主に払う残金を踏み倒して

土地だけ手に入れてしまう。


当然地主である農民たちと

大変なトラブルになった。


しかし、堤は逆に農民連中に

訴訟合戦を繰り返し吹っ掛け、地主たちが

弁護費用や裁判費用が払えなくなったところで

涙金を払ってけりをつけるというえげつない方法で

トラブルを収める。

堤が37歳の1926年(大正15年)には、

放射状の街路を骨格とした街区が姿を現した。



しかし、それまで寒村だった畑に出来上がった街は斬新で

国立駅から南北に伸びる大通りは

幅24間(43m 現在と同じ。以下同)

放射状の道は6間(10.8m)、その他街区を区切る道は幅3間(5.4m)

住戸の区画は200坪(660㎡)。


メインストリートにはプラタナスなどの街路樹を植え、

上下水道、電燈、電話、

さらには小学校などのインフラも整備したこの街は

同時代の都市計画の水準を越えていた。


若き都市開発業者としては構想が大きい。






敷地を無償で提供するという、

破格の条件のもとで誘致した

東京高等音楽学院(今の国立音大)が開校したのが

1926年(大正15年)。

同じ年に箱根土地建物会社が建設費を負担し、

請願駅として甲武鉄道(今のJR中央線)に国立駅ができる。


1928年(昭和3年)には、堤が所有する多摩湖鉄道

(今の西武多摩湖線)が国分寺まで開業。

翌年の1927年には東京商科大(今の一橋大)も移転した。


実際の『街開き』は、甲武鉄道が隣駅の立川まで電化されて、

国立駅に旅客列車が停まるようになり

東京商大の校舎が完成して教員や学生が移転してきた

1929年(昭和4年)頃である。




ちなみに『国立』という地名は、

よく知られているように

『国分寺』と『立川』の間にあるから。

という、いい加減でふざけた理由で

一文字ずつ採ったもの。


『国立音大』の学生に『ナショナルな

ミュージックカレッジは、上野にあるんだ。

って留学生に説明するのが情けない。』

言わしめてしまう所以である。






しかし、既に昭和恐慌入っていたため、

売れ行きは芳しくなく

商大や音大の教員ばかりでは、土地が埋まらない。

なにより、東京都心から2時間以上かかる国立は

1930年当時、いくらなんでも遠すぎた。


そこで、堤は、自分の会社である箱根土地の社員を入居させる。

数でいうと、堤の会社の社員ばかりになって

でかい社宅をつくったようになったが、もちろん

一般の購入者を引きつける工夫もした。


それが、土地購買者に対して、当時はおろか

今日の視点で見ても強烈な建築制限を課した、ということ。



曰く、

商店は『本建築』であること。つまり、仕上げを上等にして

トタン葺などではないこと。 

さらに、住宅建築は『洋風』であること。


これらは、必ずしもすべて徹底されたわけではないが

『街づくりのための建築協定』というのが

住宅地において、初めて実現した例である。





さらに、建物の用途制限も設けた。

曰く、

『工場や風紀を紊る(みだる)営業は絶対にお断り。』と。


妾腹の子供がたくさんいすぎて、何人いるかわからなくなって、

葬式の際に、同じ顔の子供が全部違う母親に手を引かれて

何人も現れた、という堤がいうと

なにを言ってやがると思うが

工場など汗臭い施設や、カフェー、待合、安酒場など

風紀を乱す施設の立地は、罷りならん、と。



あー、暑苦しい。







しかしこういった、

『都市環境に対する

教条主義的な、意識の高い(大笑)姿勢』

というのは、国立固有の遺伝子として今日まで引き継がれている。





たとえば、1999年(平成11年)に、

駅前通りに建設されたマンションに関する訴訟が起きた。

(国立マンション訴訟)


国立駅前の大通りに面した敷地に、

民間ディベロッパーが高さ53m、18階建のマンションを計画。

これ自体は、当時の法令に適合したもので合法。

業者は建築確認を取得して、着工する。


ところが、これに対して市民の間から

『あまりにも高すぎる。』と反発が起こり訴訟が起こる。

日本における『景観訴訟』の最初の事例である。

この訴訟自体は、経過を追うのも馬鹿らしいのだが、

業者側が譲歩して14階建てに変更して竣工、

購入者に引き渡された。


しかしその後も住民、業者双方の訴訟合戦となり

2002年には住民側の主張を全面的に取り入れて

『高さ20m以上の部分は取り壊せ。』という乱暴な判決が下りる。

(反対側の住民と思しき人たちが作ったページ。

なにを主張してもいいけど自分がだれなのか、を

記述しないのは卑怯。)



判決は二転三転したが、

結局問題のマンションは

14階建として、いまも建っている。











ほぼ『完成』した、新国立駅舎がもめているのも 

こうした、街の歴史や都市景観に関する、意識の高い人たちの、

関心も起きない超高空での空中戦のおかげである。


新駅舎の建て替えで、

旧駅舎をそのままにしておくことができなくなった。

ここまでの事実認識は、誰も異論がないのだが、

旧駅舎は、国立駅が開業した1926年以来のもので

つまり『街の歴史=駅の歴史』だ。


昭和時代から始まった国立にとっては、

『街の記憶』そのもの、ではある。

000000000000000000000000000000000_3開業当時の国立駅

天気よく/

秋風清し/郊外の/

ご散策をかねて/国立の/

ご親察を/希う

だから残したい、と思う意識の高い人たちがいた。


ところが、JRに頼んだら、『なんで俺が。』と断られ、

東京都に行ったら、やっぱり『なんで俺が。』と断られ、

移築しようと思ったら『なんでそんな金を。』

市議会に拒否されて、旧駅舎は解体されて

いまは主要構造部と装飾が倉庫に保管されている。




ここまで言われても、国立市は市民の寄付を募って、

あくまで復活させる予定らしい。

 

2015y09m25d_161201882_3


旧国立駅
 

(国立市HP)

 

 

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移築改修案の 

完成形

 

まあ、人の街のことだから、基本的にはどうでもいい。


しかし、『街の遺産』とか、

大きく振りかぶったようなことを言われると

眉に唾を塗りつけたくなる。





同じく『レジェンド』とか言って、

『お祭りだから予算は後から付いてくる。』と暴走して破綻した、

やっぱり『新国立』の競技場の失敗が重なってくる。

駅のほうの『新国立』だって、

お金はないのだ。

 

それでも、駅の方の『新国立』は、取ってつけたような

ファサードをとってつけて、復活するのだろう。


それに対して、赤字に懲りた、

競技場のほうの『新国立』は どうなるんだろう。

 





堤康次郎みたいなおっさんが身近にいたら

絶対に嫌だけど、

もうちょっとシャキシャキと

物事を決めてもいいと思うな。


























では、『今日の一枚。』












で、


おらが街のレジェンド、『旧国立駅』の移築、保管の案は

全国立市民の賛同を得ているのか、というと

文句ばっかり言うこの街に関して、絶対にそんなことはなく 

反対している人がいる。

000000000000000000000000000000000_5



国立市議の上村です。

阿佐ヶ谷姉妹じゃありません。





上村先生は、この『旧駅舎の復元』に反対であるらしい。

(上村和子 ホームページ  公平なつやすみ)


しかしその理由は、文化財としての旧駅舎の評価についての

真正面からの議論ではなく、

高架駅になって、せっかく見晴らしがよくなったのに

旧駅舎を復元したら、景色が悪くなるじゃない、という

めくるめくも、頭の悪い議論。



国立駅は堤の箱根建物土地会社が駅を誘致する際、

窪地にあった谷保村に築堤を築いて甲武鉄道の路線を

その上に付け替えて高々と旧駅舎をつくった。

その駅舎を、さらに高架にして新しい駅舎を作ったから

新国立の駅舎で改札のあるコンコースは、

地上の駅前広場から高さ45mくらいの高みにある。


これは15階建てのマンションの屋上の高さに匹敵する。


だから、新しい駅舎のコンコースからは、、

近くは巾43mの大学通りをまっすぐに見下ろし

遠くは、富士を望む。


この素晴らしい眺望の目の前に、旧駅舎の張りぼてを置かれたら

見えなくなるじゃない、と。





なにいってんだ?この阿佐ヶ谷姉妹。





大通りや街からの、 

街のランドマークである旧駅舎への眺望より 

駅のコンコースからの眺望が大切だという、

すっとこどっこいな議論。






いるんだなあ。

こうやって、『反対のために反対する人』が。

これを市議会議員として通しちゃうところが 

三多摩だよなー。


いや、いくら三多摩でも、これは通らないだろう。

と、思いたい。


たぶん…










おまけ










阿佐ヶ谷姉妹



そっくりだけど、本当の『姉妹』ではないそうです。






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