« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月の投稿

2015年12月31日 (木)

大晦日ラプソディ

『えいらっしゃいらっしゃいらっしゃいらっしゃい…』


『あぅ。だめだだめだだめだだめだ秀坊。 

おめぇの声ぁ上品すぎんだよう。』


『はあ…』


『いいかい?見てろぉ? 

らっしゃいらっしゃいらっしゃい 

まぐろだまぐろだまぐろだまぐろだぁ

今日ぁ大晦日だぁ。

あしたから市場ぁ休みだ。

全部もってけ。


やすいよやすいよやすいよやすいよ。 




『さすがおやっさん、見事な河岸声です。』


『だろぉ?今日はおめえ大晦日だぜ?ここにもテレビ局が来て

「年の瀬で賑わうアメちゃん横丁、なんつって

カメラが来るんだよぉ。』


『ええ、去年の中継で、おやっさんの見事な河岸声に惚れました。』


『だろぉ?この声があるから、必ずカメラが映してくれる、

インタビュウしてくれんだよぉ。

俺ら魚屋の年に一度の晴れ舞台だぜ。』


『はい。』


『わかったら、やってみろい。』


『んんんらっしゃいらっしゃいらっしゃい 

まぐろだまぐろだまぐろだまぐろだぁ

今日ぁ大晦日だぁ。

あしたから市場ぁ休みだ。

全部もってけ。

やすいよやすいよやすいよやすいよ


『待て待て待て。どぉして手前はそぉ上品になっちまうかなあ…』



『はあ…』


『飲め。』


『なんすか?これ。酒でも飲んで勢い付けろ、と?』


『いや、硫酸。』


『ええっ?』


『てめえみてぇな、お上品な声は声帯にヤスリかけなっくっちゃあ 

俺みてえになれねえんだよう。』


『や、でも硫酸はちょっと…』


『大丈夫、薄くしてあるから。』


『いやいやいや、硫酸は塩酸と違って揮発しないから

喉から肛門まで、たんぱく質を溶かしながら流れてくんすよ?』


『おう。キサントプロテイン反応で、まっ黄色なうんこが出るぜ。』


『よく知ってますね、そんな懐かしい単語。』


『おう、おれぁ学のある魚屋だからよ。』


『年に一度のテレビ中継ために、硫酸を飲むのはちょっと…』


『いいから飲めっ。』


『やだよー…』



















『和尚様、今年の除夜の鐘ですが。』


『いいよ、もう。』


『なんでそんな投げやりな。』


『こんな貧乏寺に来る人いないもん。

参詣に来た人に撞いてもらうって広告を出しても誰も来ないから

108発俺が撞いたんだぞ?』


『最後のほうはへろへろでしたよね。』


『そうさ、三が日寝込んだぜ。』


『はあ…』


『もうやだよ…』


『そこでですね。絶対に参詣客が増える鐘撞きってのを

考えたんですよ。』


『「客」ってのはどうも…』


『まあ一度撞いてみてください。』


『ほう、もう準備しとるのか…』


『見ててください。撞きますよ。』


ごわん…


『おっ、撞木からなんか出てきたぞ。』


『なんて書いてあります?』


『…えーと、大吉…』


『ね、これは鐘を撞くとおみくじが出る、

っていうプレミアな鐘撞きなんですっ。』


『ははあ…』


『絶対受けますよ。』


『でも、お前これ凶も入ってるんだろ?』


『もちろん。』


『じゃあ、だめじゃん。』


『大吉ばっかりじゃ信用されません。』


『そりゃそうだけど。せっかく除夜の鐘で厄を落としに来るのに…』


『だからいいんですよ。 

年が明けたら凶の厄も落ちるって宣伝したら…』



『あ…』

















『年末年始の旅行の企画も、出尽くした感じがあるな…』


『伊勢志摩で初日の出とサミットの宿、

納沙布岬で日本最初の初日の出…』


『それだよ。』


『はい?』


『日付変更線が陸地を通ってる場所はないか?』


『ははあ…しかしあれは、陸地を避けて通ってますから。』


『南極はどうだ?』


『あー、あそこは唯一、陸上に日付変更線が通りますねー。』


『だろ?どのへんだ?』


『アメリカのマクマード基地が一番近いです。』


『いいじゃねえか。あすこなら船でも飛行機でも行ける。』


『民間人はどうでしょう。』


『そいでな、日付変更線のすぐ西側まで行って正月を待つわけだ』


『はあ…』


『それで日付が変わったら、東側に移る。』


『はあ…』


『するてえと、二日にわたって元日を楽しめるって寸法だ。』


『楽しいですか?それ。』


『だから日付変更線の東西に

テーブル置いておせち料理並べとくんだよ』


『面白いかも知んないですけど、マクマード基地から180度線まで

200kmくらいあるんですよ?客なんか来ないですって。』


『じゃあじゃあじゃあ、日付変更線の東西で、 

初日の出が二度楽しめる。』


『南極は今真夏だから陽が沈みません。』


『だから?』


『そもそも初日の出がないんですよっ』


『あ…』
























では、『今日の三枚。』









 

00000000000000000000000000000000000

 















000000000000000000000000000000000_3














羊たちが消えていく…







000000000000000000000000000000000_4

 















とっても前が見えません…


















>>にほんブログ村 その他日記ブログへ    

(クリックしてくださいな)  








よしっ。来年は頑張ろう












| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月20日 (日)

白熱電球とレコード針

白熱電球に続いて蛍光灯もなくなる、というニュース。 

(朝日新聞の記事へのリンク)






2008年、いまは21カ国でやっている 

COP気候変動枠組条約締約国会議)がまだ3カ国でやってたころ

『日本にも省エネの心意気があるところを見せようぜ。』と 

政府がメーカーに、省エネ機器の採用を求めたのが始まり。



具体的には『トップランナー制度』というもので行う。

まずエネルギー消費機器を、いくつかのカテゴリーに分ける。

そして、カテゴリーごとに

その時点で最も省エネ性能が優れた製品を指定し、

生産、流通する機器の性能をそこに合わせる。

つまり、『トップランナー』未満の機器を排除することで

全体の水準をあげようとする制度。


2008年の段階、『照明機器』では、

白熱電球と蛍光灯が同じカテゴリーだったから

2012年までに、省エネ性能に劣る白熱電球が消えた。

今回、蛍光灯とLEDをひとつのカテゴリーにすることにしたため

蛍光灯もなくなることになる、と。







まあ,タイトルで言ってしまっているので引っ張ることはないのだが、

『そんなに急になくなるもんかなあ。』と思ったのです。

だから、この文章を書きはじめたのだが、

本当に、白熱電球はなくなってしまっている。



日本で初めて電球の量産を始めた東芝が、2010年に生産中止。

(家電Watchの記事へのリンク)

パナソニックなど、ほかのメーカーも2012年度いっぱいで生産中止。

(これも家電Watchの記事)

したがって、2015年現在、日本の主要メーカーは、 

家庭向け一般の白熱電球を生産していない。

輸入も禁止なので、電器店にあるデッドストックが尽きたら 

ヤミで買うしかない。






00000000000000000000000000000000000





おにいさん 

電球いらない?






あるいは、こんな味のあるメーカーが細々と作っているらしいから

南大井まで行って買うしかない。

(イエス株式会社(HPじゃありません))




 

 

で、


いくらなんでも、こんな入手方法しかない訳はなく

ここまでの話は大げさです。

小口径で、店舗照明に使われることが多い

ミニクリプトン球やハロゲンランプ(自動車のヘッドライトもこれ)

さらにクリアランプや耐震用照明、信号用照明など

機能性をもつ白熱電球と装飾性の強いものは、

大手メーカーでも生産が続けられている。

000000000000000000000000000000000_2




じつは、さっきの記事にも載っていた写真。

代用が利かない648種類の機種については生産継続。










そんなことよりも、

経済性だ省エネだ、ってことで 

せっかく味のある白熱電球を

なくしてしまうのは惜しい。











みんな、黄色くて柔らかい白熱灯の光が好きなんでしょう。

蛍光灯にもLEDにも、『電球色』なんていうのがあるじゃないか。




00000000000000000000000000000000000
まっすぐな管でやられると

下痢してそうな色



まっすぐでいいはずの蛍光灯を

ぐりぐりと捻じ曲げて「電球型」にしてたりするじゃないか。



000000000000000000000000000000000_2


そこまでして

『球』になりたいか?






000000000000000000000000000000000_4

だから、そこまでして

『丸く』なりたいのか?










LED照明も、やっぱり丸くなったり

色を電球色に近付けようとしたりしている。

000000000000000000000000000000000_5

『はやく電球になりたい。』

左から白熱灯、蛍光灯、LED







もっとも、白色LEDが開発されたのが1996年で

『照明』としてのLEDの歴史は、まだ20年にもならない。

形や使い方など、いくらでも進化していくんだろう。

既に広告だか照明だかわからないようなものは、たくさんある。

(LED照明推進協議会のサイトへのリンク)







だから、まだまだ値段が高いし

そもそも、そんな歴史しかない奴に

『照明の未来』を

すべて背負わせていいのか?

という気もする。






みんな電球が好きなんだろ?






温暖化対策は御説ごもっともだけど、

天に唾しない程度に、

白熱電球を使ってもいいんじゃないかなあ。















同じような経緯を踏んで、『復活』しつつあるのがレコードだ。


かつて、音楽を聴くことがアナログレコードを掛ける、ということと

同じ意味だった時代があった。

直径30㎝のLPが、1分間で33回転しながら30分再生してくれる。

直径17㎝のEPが、1分間に45回転しながら15分再生してくれる。


ところが1980年代にCDが登場すると、

レコードは、その市場を失っていく。


歌謡曲の新譜がレコードでは発売されなくなり、ソフトとして

消えていくとともに、レコードプレイヤーなどの

再生機器が消えていった。


貧乏学生だった私も、日々壊れていくプレイヤーを

たとえばターンテーブルを回す、

ゴムのプーリーがカピカピに硬化して千切れていくのをいくのを

輪ゴムで補修しながら使い続けていたものだ。


どうしようもないのが針で、これをつくるメーカーが

国内では一社だけになってしまった時、

マニアが買いだめしている、

なんてことが新聞記事になったりした。






ところが時代が経って、

音楽がダウンロードだのデジタル配信だのといった時代になって

もはや誰も、音源ソフトをもたなくなってしまってから、

アナログレコードが復権してきたそうな。


だからもちろん、レコード針を生産するメーカーは

国内にいくつも増えた。









これを『復古趣味』と言ってしまうと、

とたんにつまらないが、

電球も復活するんじゃないだろうか。



もちろん、『部屋の照明』という機能的な意味としてではなく。

だから、ガラスを白く塗装して眩しくないようにしたものではなく

クリアガラスで、フィラメントが見えるやつ。

それだったら、裸電球でも手許にあっても好ましい。


もちろんシェアの圧倒的な部分は、LEDでかまわないし

そうなっていくんだろうけど、電球も復権してほしい。




まあ、エコも大切だけど、

何か、温かみも欲しいよね。




マッチ、なんていうのももう見ないけれども

マッチ売りの少女に、客が殺到する時代が来るかもよ?




















では、『今日の「マッチ売りの少女」。』















『ぎんぎらぎらぎらぎらぎらぎら さーりーげーなくー』って…


マッチだし…



>>にほんブログ村 その他日記ブログへ    

(クリックしてくださいな)  








| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月14日 (月)

戦後日本が相手をしたテロ集団たち。

11月11日に起きた、パリでの同時多発テロ。


ISによる犯行と断定され、逃亡した主犯格の実行犯を

追い詰めると銃撃戦が起こった。

テロで狙われたフランスや、飛行機爆破の被害を受けたロシア、

さらに、アメリカ、イギリスが ISに対する報復攻撃を強化。

さて、どうなる?

(Wikipedia パリ同時多発テロ事件)



事件の背景はなんだ?

誰の指示でやった?空爆で追い詰められての自暴自棄か?

そして、影響は?

ロシアが米欧に協力してIS倒滅に向かうなら、これで終わりか?

事件後も、国外に逃げるわけでもなく、銃撃戦を覚悟してでも、

幹部がパリ市内に潜伏していたのなら『次の事件』があるのか?

こいつらはどこまでヨーロッパの中に浸透してるんだ?

いま来ている『難民』とやらがテロを運んでくるのか?

既に入り込んで各地に出来ている非ヨーロッパ人のコミュニティは、

テロの温床なのか?


そもそも、闇市場で武器を手に入れていて、 

中央政府的なもがあるのかどうか、よくわからないのがIS。

空爆だけじゃ滅びないだろう。

かといってベトナムでさんざんな目にあったのに

アフガンとイラクに深入りして、またさんざんな目にあったアメリカと

アフガニスタンでさんざんな目にあったのに、チェチェンに深入りして

やっぱりさんざんな目にあったソ連、改めロシアは

地上軍を出しはしない。

宗派対立に巻き込まれたくない、近隣の中東諸国は、

さらに手を出したくない。



どうすんだ?




そしてこのテロに関しては、日本も無縁ではない。

ISは自前のサイトを通じて

『日本だって敵だからな』という警告をネットに垂れ流し続けている。



そうした話のひとつに、

『日本でもテロが起きるかも知れん。

未然に防ぐにはどうしたらいい?』という論点がある。


その中で、パリの事件のあと『共謀罪』なる罪を新設したらどうだ、

という話が自民党幹部から聞こえてきた。

(NHKニュースへのリンク)





もっとも共謀罪というのは、 

リンクしたWikipediaの記事にもあるように 

昨日今日、初めて出てきた話ではない。


2000年に成立した国際組織犯罪防止条約を批准するにあたって

必要だ、として2003年に国会に提出された。

しかし『謀議だけで罪』って乱暴だよな、という反対が強く廃案。

以来、つぶされても何回も出し直されていて、

今度挑戦するとしたら足かけ13年目で、4回目。

(共謀罪に反対する趣旨の日弁連のHP)


実際は条約なんか関係なく、

2001年の9.11テロに激怒したアメリカが 

『マネーロンダリングの取り締まりなんかをお前も手伝え』と 

日本を含めた同盟国に言い出したおかげだ。

 

ただ、こうした法律の実現を、 

政権が悲願としているのは確からしい。


敗戦まで、治安維持法という天下の悪法があった。 

この中に『予防拘禁』という措置が定められていて

懲役を受けたものや、執行猶予中のもの、

思想犯で保護観察中のもの、その他 

『罪ヲ犯スノ虞(おそれ)アルコト顕著ナル」と

裁判所に認められた者、と

要するに『怪しい奴全部』を

留置場に放りこんで自由を奪ってよろしい、

という乱暴な規定があった。



1958年、安倍さんのおじいさん、岸首相が

警職法を改正して、この規定を導入しようとしたことがある。

安保反対運動など、大衆運動の激化にびびったらしい。


しかしこれは、『睦言を交わしていても犯罪の謀議と見なされる』

『デートも出来ない警職法。』

国民の総スカンをくらって廃案となった。

(昭和毎日の記事へのリンク)







今回また「じっちゃんの名にかけて」提出されるのなら、

今度は『国際テロ』が口実になるわけだ。







まあ、法律の名前がなんであれ、 

『テロをするため』に、別の国家に入り込む奴がいるんなら、

こういった形で、『異質な人間』を排除しよう』、という発想は

当然のように出てくるだろう。


しかし、『人間を規制する』だけでは無理だろうな、 

というのが、今日のお話し。








あー、なげえ。








日本にテロの危機はなかったのか?というと、もちろんあった。

1950年代前半の日本において、

もっとも危険視されたテロ集団は、

日本共産党だった。




有名な事実なんだけど、いまの人、例えば国会前で

『せんそーほーあん ぜったいはんたーい』

と叫んでいるような人達は、果たして知っているんだろうか?



1950年GHQの指令でパージされた徳田球一らの共産党指導部が

北京に亡命し、毛沢東の中国共産党の指揮下に入って

武装闘争路線を指導した。


それ以降、武闘路線を採った『徳田執行部』の下で共産党は

1950年まで、国内各地で、警官を殺したり、(練馬事件白鳥事件)

焼討ち、金品強奪、テロ、騒擾事件(吹田事件・曙事件大須事件

と暴力事件を計画、主導した。


当然、当時の日本国民はこの一連の暴力事件の首謀者が

日本共産党であると、はっきり認識していた。

最大の騒擾事件となったのが、1952年の血のメーデー事件。

二重橋のすぐ手前までデモ隊が侵入して、

投石、暴行の限りを尽くしたこの事件の直後にあった総選挙で

日本共産党は議席のすべてを失っている。


共産党シンパの人は、

『いやいや、共産党は無謬の党。

国民は政府にだまされていたんだ。』

思いたいだろうが、ちゃんと当の共産党中央委員会が、

1950年代前半の、この暗黒時代の存在と、

武装闘争の方針をとったこととを認め

それによって国民の支持を圧倒的に失ったことを認めている。

(2006年 第24回党大会決議案の用語解説 第3章9 50年問題)


さらに、この時代、徳田らの分派(いまの共産党での表現)

武力闘争実現のための実行部隊として山村工作隊 

ゲリラ工作の部隊を複数組織している。


そのうえ、戦闘員のために、その心得や爆弾、各種火薬、爆薬

火焔瓶、毒ガス等、兵器の製作方法をしるした

『根球栽培法』なる冊子を作って秘密裏に頒布した。




Kyukonsaibaihoこのふざけた名前の冊子は

後の新左翼にも影響を与え

1970年代『腹腹時計』という名前で

同じようなスタイルの教本が作られ

左翼のみならず右翼も含めた

『反体制派のバイブル』になった。






したがって、暴力的破壊行為を行う団体に対する

規制措置を定めた、1952年制定の破壊活動防止法 に於いて

主たる対象は、日本共産党だった。

1977年(昭和52年)の国会答弁においても

当時の公安調査庁長官が社会党議員の質問に対して

以下のように答えている。


○寺田熊雄君 総論は大体わかったけれども、その破壊活動を行う団体というのは、ちょっとあなた方としては言いにくいだろうけれども、大体幾つぐらいを対象にしておられるんです。
○政府委員(鎌田好夫君) 現在はいわゆる左翼系統といたしまして七団体、右翼系統といたしまして八団体程度を調査の対象として推進しております。
○寺田熊雄君 左翼七団体、右翼八団体ですか。
○政府委員(鎌田好夫君) はい、さようでございます。
○寺田熊雄君 その個々の名称、団体名は言っていただけますか。
○政府委員(鎌田好夫君) 現在、公的に申し上げることはいかがかと思いますけれども、二、三申し上げますと、左翼関係としましては日本共産党、大日本朝鮮人総連合等でございます。右翼団体といたしましては護国団、大日本愛国党等八団体でございます。





はあ。




この党が、『反安保法制、反安倍政権』を掲げるのは勝手だが

『俺の党を中心に反安保の野党を糾合して

新しい政権をつくろう…』

と、言い出した、というに至っては、

へその上で沸き立っているお茶を

どこに持って行けばいいのか?

国会前で雄叫びを上げているあの連中か?

『テロに対して空爆強化なんて、報復の連鎖じゃなにも解決しない』

という、一見まともだけど、

お子様な頭を、煮え茶で醒まして貰おうか。








えーと、なんの話だっけ。








1950年代後半から、60年安保闘争が大きな盛り上がりを見せる。 

1955年の6全協によって、共産党は武力闘争方針を放棄。

もういい加減めんどくさいから、さくさく書くけど

徳田執行部の下で、武闘戦士として訓練されてきた連中は

『共産党に裏切られた。』という思いを強くし、

その影響下から離れて、ニューレフトつまり『新左翼』という

かけらも言葉のセンスがない名前の運動を作る。


ちなみに、新左翼というのは統一された運動を指すのではない。

学生運動の代表のように言われる『全学連』

もともと共産党の指揮下にあったのだが、

いまその衣鉢を受け継いでいるのは、高校にも細胞があるという

悪名高い『民青』。


それ以外に『中核』『革マル』といった団体がある。『革労協』は分裂)

学生運動のことなんか、もうみんな知らないだろうけど

この名前は知ってる、という大名跡ばかりだ。


前の中核、革マル、革労協が大学の垣根を越えた派閥だとすると、

それを横断して、大学ごとに単位があるのが『全共闘』。




21世紀を生きるのに こんな知識必要ないぞ

それでも間違っているといやだから、

前進社や解放社のHPまで見なきゃなんないじゃんかよー。

(リンクはしません。捜して読め。)


ここまででもいい加減めんどくさいのに、

これがまた、外で別のセクトに会うと喧嘩をし、

仲間内では角材や鉄パイプのゲバ棒を振り回して内ゲバをする。


ゲバゲバ言ってる『ゲバ』は、ドイツ語のGewaltで意味は「暴力」。

国会前の反安保デモなら、

60年後のいまでもやっているように、

まだ大衆への訴求力があった。しかし、

角材を持って気に入らないセクトの集会に殴り込んで

流血の惨事を起こしたり

闇夜で気に入らないセクトのメンバーを捕まえて

たこ殴りにしてリンチして流血したりしたおかげで、

新左翼の運動は急速に社会の支持を失っていった。


決定的だったのが、1972年に起こった
『あさま山荘事件』

これに先立つ、連続リンチ殺人事件。(ex.山岳ベース事件)

人質を取って、派手に武器をぶっ放す。

説得に来た老母にも発砲しながら、9日間も籠城する。

気に入らない仲間を『総括』というリンチで、12人も殺戮する。

(印旛沼事件を合わせると14人)

この事件で、日本人は『左翼』を見限った。



残党は、さらに細分化、過激化して1974年に三菱重工爆破事件

を起こすが、もはや世間は見向きもしなかった。

1980年代には、私を含めた一般学生は近づきもせず

80年代後半から社会主義国ががたがたと崩れだし

1991年にソ連が崩壊すると、もはや大学内の立て看なんかは

法政大学に行かないとみられない

というくらいの昭和遺産となって、現在に至っている。








ばいざうぇい









かわって80年代末から社会に現れたのが『宗教』。

そのなかで、日本史上最大・最悪のテロ集団になったのが

オウム真理教。



いま、この悪魔達の年譜を読み直して意外に思ったのが、 

『こいつらの活動時期ってこんなに短かったのか。』ということ。


『オウム真理教』という名前を名乗るようになるのは1987年。

ただし80年代に入ると一般信者を初め、教勢の拡大は著しく、

上祐史浩など、後に有名になる大幹部の入信も80年代。

(上祐は1986年)


1989年に宗教法人格を取り、ロシアなど海外へも進出。

1990年には、なにをとち狂ったか衆議院選挙に集団立候補。

全員落選となるが、マスコミへの露出は一気に増えた。

犯罪もこの頃から深刻化する。


1989年に坂本弁護士一家殺害事件を初め、 

信徒殺害事件などを起こす。 

松本サリン事件が1994年。 

地下鉄サリン事件が1995年。 

麻原こと松本死刑囚の逮捕と、サティアンの壊滅も同じ年。










日本の公安警察が、

テロリストの相手をするのは 

今回が初めてじゃないってことだ。

しかし、だからといって国内のテロ犯としか付合ってこなかった

日本の公安に、海外の宗教テロルが扱えるもんかな、

という気もする。



別にフランスのテロリストが上等だ、というわけではなく、

日本のテロリストってのは、相当に変わっていたと思うのだ。

別に私だって、海外のテロリスト事情に詳しいわけではないが

日本のテロリストが変わっていたのは事実。


まず、左翼、新左翼の連中には匂いがある。

わかりやすく言うと『エリート臭』だ。

こいつらは『立て、万国の労働者』と大衆を扇動するくせに

「俺たちは選民だ。」と、指導する大衆を馬鹿にしていた。


70年代、80年代に高校・大学生活を送った奴なら

肌で感じて知っている。

『こいつら、なにか付き合いたくない匂いがする。』と。


実際も臭かった。



警察の追求を逃れて榛名山に逃げ込んだ連合赤軍の29名は

地元民に見つかることをおそれ、風呂も使わず

服の替えもなかったから異様に臭かったらしい。

警察の追求を逃れてアジトを転々とするのだが

バスやタクシーを使うとあまりに臭いので即座に通報されて

結局、あさま山荘に追い詰められて自滅した。


さらにこういった集団は、ひどく新陳代謝が悪い。

絶えず新入生をオルグしているはずだが、

『ほら先輩だよ』といわれて挨拶すると、

チューリップハットに絞り染めのTシャツ、

パンタロンズボンに革靴という、

のっぽさんのようなおっさんがいる。

『あの人いくつなんですか?』と聞くと、

『8回生…あれ、10回生だったかな?』と年齢不詳だ。

(実際、共産党が、大学生高校生を対象にして組織している

民青のメンバーの上限年齢は一応30歳なのだが、それ以上の歳の奴もいる。)

こうなるともう、伝統芸能のかび臭い稽古場のようなもので

なんとも独特な臭気がある。







オウムに関しては、幸い、知り合いに信徒がいなかったので

臭気の実際を知らないのだが、報道などで見る限り

信徒も幹部も、およそ社会性がなさそうな奴らばかりで

だから、独特の匂いがあったはずだ。


風呂にも入らなかったらしいし。


こんなふうに、共通の匂いがあって、閉鎖的で、

メンバーの入れ替わりが少なくて、追いかけやすいから

公安の警戒方法は

マンツーマン・ディフェンスだった。





しかし、これからイスラム国の皆さんが来るとしても、 

大体まず、フランス語の名前も読めまい。


『よう、Henri Charpentierってなんて訓むの?』

『おっ、アンリ・シャルパンティエじゃないですか。

ケーキでも差し入れてくれるんですか。警部。』

『おう、食うか?娘がくれたんだが、それよりなんて?アンリ?…』

『アンリ・シャルパンティエです。』

『ヘンリー・カーペンターじゃないの?』

『英語訓みしちゃ駄目ですよ。』


読めない名前のメンバー表と

『こいつシリア人?え?フランス国籍?』、と

顔と国籍を覚えて、それぞれの人物関係と 

経歴と、専門分野を頭に入れて、と 

日本式にマンツーマンディフェンスをやるのは大変だろう。


そもそも、そんな暇もあるまい。

日本の左翼や、オウムのように何年もかけて定着し

日本国内に勢力を扶植する必要なんかないのだ。

日本に侵入したら、素早く一撃をかけて 

あわよくば逃げてしまうのが連中の作戦だろう。 

マンツーマンディフェンスじゃなきゃ 

ゾーンディフェンスか?


でも、テロの対象がライブハウスや

サッカースタジアムまで、ということになると

どこを守れば…




それに、

テロリストがフランス人やシリア人であるとは限らないのだ。

外国から来ると決まったわけでもなく、

既に日本にいるかも知れず、

そもそも日本人かも知れないのだ。


相手が見えなかったら、マンツーマンディフェンスもないわな…











もうひとつの方法は、

『人間の流入は諦めて、武器を取り締まる』

ということ。


今回、フランスでのテロの策動地となったベルギーには

ヨーロッパ中の中古武器が流れ込んでいるんだという。


80年代後半にソ連が衰えだし、東ヨーロッパで

社会主義国が崩れ出すと武器があぶれ出し始める。

1991年にソ連が崩壊し、

同じ頃にユーゴの内戦が収束するとさらに大量の武器が流出。


その後もリビアでカダフィが死んだりして、

アフリカからも武器が出る。


シェンゲン協定の加盟国だったら、人も物も移動は自由。

武器があふれて移動が自由だから、

ヨーロッパでは中古武器が非常に安く手に入るんだと。






少なくとも日本はそこまでひどくないだろう。

『商売になる。』となれば、3Dプリンターで

武器を作り出す奴とかが出てきそうだが、

密輸入しか入手方法がない、

となれば、ここを押さえた方が

効果があるような気がする。


しかしまあ、頑張ってくださいよ。

嫌味じゃなく頼みますわ。



日本の公安警察は

1952年の破防法制定以来、既に60年以上

テロリストの相手をしていた筈なんだから。



共産党やオウムとは勝手が違うだろうけどさ。


























では、『今日の同時多発テロ。』












日本にもあった、
同時多発ゲリラ。

1985年11月29日、国鉄の分割民営化に反対する、動労千葉と

これを支持した中核派が行った、ゲリラ事件。

首都圏と大阪の国電と私鉄、33カ所の信号ケーブルが切断されて、

始発から夕方まで、3000本以上の列車を止めた。

フランスの同時多発テロでは、狙われた施設にいた一般の人は

被害を避けて即座に逃げた。


日本の同時ゲリラでは、被害を受けた通勤客達は、

歩道にあふれながら、職場を目指した。



なんだ?これ。






>にほんブログ村 その他日記ブログへ    

(クリックしてくださいな)  








| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »