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2016年7月29日 (金)

余命1年日記 -1- .余命宣告まで.             . (7月第4週 2016 07 29)

今回以降は、真面目な話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長くてあと1年でしょう」と、医者がいう。
 
 
 
 
 
 
 
 

戦前から建っているこの病院は、   

六甲山へ続く急な坂に抱かれて、

しあわせそうに太陽のひかりを浴びている。

外壁のスクラッチタイルがやわらかく茶色い。

 

 

 

しかし、我々がいる「相談室」は、

陽が入らず、空調が効いていて涼しい。

 

 

 

 

室内の壁と天井はしっくい。           

天井との境目にうすくモールを廻している。

壁の下半分には、子どもの背丈ほどの木の腰壁があり、

うんと濃く茶色に光って、分厚くニスが塗られている。       

 

 

 

昭和の匂いがする。

 

 

 

そんな風景の中で、            

冒頭の「余命宣告」を言われたのだ。 

 

 

「ほんまににこんな台詞言うんやな。」 

 

 

まずは、そんな陳腐ことを思った。

 

目の前には、2ヶ月ほど前に救急搬送された時以来

お世話になっている内科のF先生が     

なんだかまぶしそうな目付きで座っている。 

 

このF先生が私の主治医である。 

F先生は、体こそ大柄だし、   

丸顔に髭などをたくさん蓄えてワイルドな顔つきをしているが、

優しい眼だ。しかし、いつもまぶしそうな眼だ。 

大きくなって 座敷に上げてもらえなくなった

さみしそうな大型犬のようでもある。

 

さらにもう一人S先生という人がいて、

F先生の指導医だった人だという。

この2人が、埒の明かない私の病気や今後の治療について、

説明してくれるというので、

父とふたりでこの「相談室」にやって来た。 

 

 

この4人と、記録係の看護師が、     

「病室」ではできない話をするために つくられた

「相談室」という部屋に入る。

 
 
 
 
 
 
 

しかし、ほんとうにこんな部屋のなかで、

「あなたは、もう・・・」 みたいな話をするんだ・・・

 
 
 
 

細長い、それでも12畳はあるだろう、  

だから天井だけ高いこの部屋は、実際以上に寒々しい。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

40年ほど前、母がガンにかかった。

 

その知らせを聞いて、父に伝えようと病院から帰った母は、

しかし、庭で父を見つけると、両手で顔をおおって声をあげ、

父に駆け寄って胸の中で泣いた。

彼女が、そんな風に感情を顕わにするのを

見たのは、初めてで最後だった。

 

 

 

ところがいざ、「あんた、あと1年です。」  と言われた時に、

私はさほど驚かなかったんだ。

こうやって「宣告」から1日たたないうちに  

文章を 起こし始めてしまうくらい平静なのだ。 

 

 

 

なんだ?まるで他人事じゃないか。

 

決して死に対してドライである というわけではなく            

達観しているわけでは更にない。     

「無常感」のようなかっこいいものは、まったく持っていない。

 

 

 

 

それにしても、心が波立たないな。

しかし、今回の「余命1年日記」は

「余命宣告から死に至るまで」を、

リアルタイムで記録していくつもりなので、 

早速来週あたり、死の恐怖で眠れない不安を

訴えているかもしれない。

こんなにも不感症の自分の心について、せっかくの機会だから、

きちんと見ておこうか。

 
 
 
 

また、当日の他人事のような私の反応は、今までの病歴から、

こういった診断をある程度、予想していたからかも知れない。

 
 
 
 
 
 
 
 
私の病気は、肝硬変。 
 
 
 
 
 
 
 
 

ずっと内科には通っていた。  

十二指腸の血管が破れて外でぶっ倒れたのも含めると

入院も、もう4回目だ。

 

 
 
 
 

肝臓が肥大して黄疸まで出ていたんだから 

いい加減覚悟してもよさそうなもんだ。

 

ところが黄疸といったところで、顔中まっ黄色になるほどではなく、

まぶたをめくると、あら黄色い、というくらいだったので、

そんなの、鏡見たってわかんないじゃん。

 

 

 

一応、パソコンを扱うには不自由はないし、

頭もなんとなく動いている。

「人間死ぬまで生きているさ。」と、

 

そのままにしてきた。

 
 
 
 
 
 
 

さらに、これは重要なことなのだが、

弊社は一人事務所なので、 わたしが入院ばかりしていると

生物としては生き長らえても社会的には死んでしまうのである。

 

 

 

 

貧乏だから医者に行けない、と ひとりごちて涙するしかない。

しかし、やっぱり肝臓が色々駄目で、血液中の蛋白質が減って、

門脈からの体液が「腹水」となって腹にたまってきた。

 

 

 

 

この腹水が辛い。  

 

みるみる腹が膨らんで、あらゆるズボンが駄目になった。

「太った時のためにアジャスターで ウェストが15cm変えられるという

スラックス」まで全滅。

 

服のことはどうでもいけれど、

体が重たくなって、すぐに息が上がり、

ほんの「最寄り駅までの距離」、

そして「コンビニまでの距離」がまったく歩けなくなった。

 
 
 
 
 
 
 

さらに食欲がなくなった。

 

まったく食べられない。

なにを口にしても、味がなくて砂っぽい。

とても固形物が食べられない。

 

当然みるみる痩せるか、と思いきや 猛然と太り始めた。

腹だけが膨らんで苦しくなり、体重も30kg増えた。

ウェストがおもしろいように膨れて100cmを超えた。

臨月の妊婦のようだ。

 

 
 
 
 
 
 

ついに立ちあがれなくなった。

尻を床につけてしまうと、どうしても立てない。

ドアの枠などにつかまって立とうとするが、腰がたたなくてできない。

30分ほども格闘した。 

 

結局そのまま立てなかったから、

荒い息の下で「死ぬ。」と思った。

 
 
 
 
 

だからその日、自分で救急車を呼んで

この陽の当たる坂道の病院に来た。

ここで応急処置としてぶっとい針で、腹の水を抜いた。

超痛かったけど、すこし楽になった。

 
 
 
 
 
 
 

そのまま入院して、

主に腹水をなくす治療がはじまる。

 

 

 

 

 

具体的に言うと、腹から水を抜く。

そして、ふたたび溜めないようにする。

 

利尿薬で体内の水分を尿として出してやる。

同時に、体内に入る水を制限する(一日500mlのペットボトル1本とか)

出る水を増やして、入る水を減らせば 腹水も減るだろう、と。

そのうえでさらに、穿刺を行う。

これは乱暴で、腹に穴を開けて、中の水を出しちまう、というもの。

頭の悪いやりかだが、即効性は間違いない。

これを併用する。

 

 

 

 

 

 

 

これを3週間続けた。

そのあげくが29日の相談室である。

 

 

 

 

結果は思わしいものではなかったらしい。

 

 

F先生いわく、

「腹水が出すぎる。

穿刺して水を抜いても それ以上に水が出るから、きりがない。

利尿薬も効果がない。

 

利尿薬もそうだが、穿刺は血液中の蛋白質も

排出してしまって失わせる。

いまは血液から作った製剤で補っているが  

腹水抑制の効果がないなら無意味だ。」

 

 

 

 

と、実も蓋もない。

 

 

さらに、「利尿剤を目一杯使ったのと、飲水を制限したために

腎臓がすっかり弱ってしまった。   

直近の血液検査の数字がよくない。

腎機能を表す血液検査の数値が異常だ」、と。

 

肝臓といい腎臓といい、我がハラワタながら、

なんと根性のないことか。   

 

 

 

 

「だからね」と、先生が冒頭の台詞に繋げた。

「今の治療のままでは、余命1年です。」と。

 

そもそも腹水を抜くだけでは、肝心の肝臓の治療を

まったくしていないのである。

 

 

 

 

そりゃ死ぬわ。

 

 

 

 

 

 

 

さらにいままで、自分の病気に関する認識として

肝臓が「膨満している。」とか 、「一部が繊維肝になりつつある」

というところまでは理解していたが 「肝硬変。しかも重篤な。」

言われたのは、初めてでショックだった。

 

せっかくだから              

「肝臓の半分くらいはまだ、生き残ってますか?」と聞くと 

「いやあ、そんなには・・・」というから、

「じゃあ、どのくらい・・・」と重ねて聞くと    

「2・3割かな?」と。

 

そんだけ?

 

 

うん、死ぬね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、先生方は、

この馬鹿を見捨てるような事はせず、 

他の治療法として、外科手術も考えてくれた。

 

 

 

 

消化管から肝臓にむけて、門脈という動脈がを流れていて      

栄養を肝臓に運んでいる。

ところが、

肝硬変になると、門脈から体液が漏れて腹水になるので、   

門脈にバイパスを作って、静脈に繋いでこれを防ごう、と。

 

 

 

 

こういった込み入った話になると、

もはや私の理解の守備範囲を越えるので、

「お願いします。」と、素直に頭を下げた。 

 

 

 

 

ただ、先生がこの治療法は最先端であるから、費用がかかる、

と大変に心配してくれた。   

 

 

ここはひとつ「うぬ、馬鹿にするな。」なんて怒るべきなんだろうが、

そんなことは全然思いつかなかった。

 

 

横の親父を見たら「お願いします。」と、

頭を下げてくれたので、

僕は、もうちょっと大きく、あらためて頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親父、わるいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、

この治療で腹水抑制の有効な効果が出るのは

この施術を受けた人のうちの50%くらいではないか?という。

 

 

 

そして、そもそもバイパス手術だけでは、

肝臓の治療にはやっぱりならないのである。

しかし、腹水を押さえて腎機能を回復させないと、

肝臓の治療もできない、という。

 

 

 

大丈夫か?おれ、 1年で間に合うのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はあ・・・  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし、この施術は、いろいろ問題があるので

こちらも、いろいろと考えないといけないらしい。

 

 

 

死ぬのも簡単ではない。

 

 

 

 

 

どうすべえ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、

これから1年間、命を懸けたチキンレースが始まります。

 

 

 

これをリアルタイムで、お伝えして行こうと思います。

 

 

 

 

 

ただし当然ながら、

医者が「余命1年。」と言ったところで、

きれいに1年後にパタリと死ぬわけではない。

3年、5年と生きることは珍しくないらしい。

 

もちろん、すぐ死んじゃうこともある。

 

 

予想外に長生きしても、

「嘘つき。はよ死なんかい。」なんてコメントしないでください。

 

七代すえまで祟ります。

 

 

 

 

 

「お前はどこまで真剣なのか?」と言われると

どうも、ね。

 

 

 

なんにしろ、昨日言われたばかりだから・・・

(日付が変わった。)

 

 

 

ただ、まあ私の場合「長くて1年」 と言われているので大丈夫です。

 

 

 

 

 

 

あんまり病気の話ばかりではなく、

入院生活のことや、いろいろな病院の住民、

医者や看護師、いろいろな患者たち・・・

外から想像していても、

わからなかった病院のことなんかも、書いていきましょう。

 

 

 

 

皆勤は無理でしょうが、なるべく続けていきます。

 

 

 

 

 

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

うん、まだ元気。

 

 

 

 

 

ケータイで入力すると、めんどくせーなー。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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