« 余命1年日記 -2- 穿刺とは?                     (8月第1週 16 08 05) | トップページ | 余命1年日記 -4- 病院日常1                (8月第4週 16 08 22)  »

2016年8月13日 (土)

余命1年日記 -3- 来年の明日                     (8月第2週 2016 08 12)

先日、電話で友人に

こんなことを言ってしまって

地味に落ち込んでいる。そ

 

 

 

「来年の明日には、俺はいないんだから・・・」

 

 

 

 

 

確かに、余命1年なんだから「来年」はない。

 

「1年」だけなら、まだ生き残っているかも

しれないが、しかし「1年後の日付の次の日」

となれば確実だ。(なにが?)

どうだ、地味に堪える(こたえる)だろう?

 

 

 

もちろん「1年後」であろうと

「1年後の明日」であろうと

「死亡率」が歴然と変わるわけではない。

そうして「1年後」という日付に

特別な意味があるわけでもない。

 

そもそも「1年」って、迎える前には

結構長いと思うけど、過ぎてしまえば、

大抵はろくでもないことしかしていない。

 

世間のニュースでいえば、去年の8月には

大阪寝屋川の中1男女殺人事件で容疑者逮捕。

というのがあった。

ほら、ろくなもんじゃない。

 

 

個人的なことを見ても、

入院することを拒み、命を削ってまで

やらされた物件の設計の始まりが去年の夏。

結局は金にならなかった図面を

夜を徹して量産し始めたころだ。

ろくな「1年」じゃなかったとわかるだう。

 

 

 

 

そもそもなんでこんな科白が

出てきたんだろう。

 

こんなフレーズを思い付いて、得意そうに

使っていた自分が、嫌だ。

 

 

 

しかし、そう思うと毎日ベッドに寝て

繰り返し垂れ流されるオリンピックの映像を

眺めているのが、いかにももったいない。

 

 

 

 

外を歩きたいな。

 

 

 

といって、どこにいく?

 

 

いままでやっていた仕事は、

残務整理があるものの、

先日、正式に中止が決まった。

 

係累といえば、春に母が亡くなっているので、

父と、国許に住む兄一家だけだ。

 

仕事先には、さすがに入院したことは

業務連絡として伝えたが

当たり前だけど「死にます」とは伝えてない。

従って見舞いになどは来ない。

 

わずかな友人のほとんどは、興味もあるまい。

ちなみに、嫁も子もいない。

 

 

 

うわあ、さみしい。

自分のことながら気の毒になってきた。

この人、大丈夫か?

 

 

しかし、なんだ?この投げやりな状況。

死が迫ると人知れず、定められた「墓場」に

向かうという象さんのようではないか。

さみしいぞ。

 

 

 

うん。発想を変えよう。

逆に、残りあと1年。仕事のことは忘れて、

好きなことをしていいのだ、とも考えられる。

気の持ちようによっては夢のようではないか。

うん、そう考えたほうがいい。

そうしよう。

 

金のことなんか気にする奴は野暮。

俺達に明日はないぜっ。

 

 

 

 

 

 

それなら、どこに行く?

 

 

海外か?

田舎者丸出しだがパリにもニューヨークにも

行ったことがない。

冥土の土産に世界の名所を見ておきたい。

 

あるいは「世界街歩き」みたいに知らない街を

歩くのもいい。絶景、温泉にうまい料理と酒。

そういうのもいいな。

 

 

 

そうは言っても、死病を抱えたおっさんが

海外に行くなど自殺行為だ。

それ以前にパスポートが切れている。

 

ごめんなさい。見栄張ってました。

そんな問題以前に、お金がありません。

 

 

 

あーあ、死ぬまでに一度、ファーストクラス

というのに乗ってみたかったなぁ。

 

 

いま、「死ぬまでに一度」と言ってしまって

その科白にリアルな手触りを感じてぞっとた。

 

 

 

「手の届く距離」に、確かにそれはある。

でもなぁ・・・

 

 

 

 

金銭的、距離的に無理なら、国内で、

豪華じゃない飛行機や寝台列車、

高速バスを使うような旅行であれば、

短い日程なら行けるんじゃないだろうか。

近場の温泉、例えば冬の城ノ崎で

カニなんてのも魅力だ。

 

「行きたい旅行先」のボキャブラリーが

びっくりするくらい乏しいことに、

我ながら驚いたけど。

 

 

 

だから、最近は穿刺のあと外出する時に

できるだけ歩くようにした。こうしておいて、

なるべく身体を馴らそうとしていたのだ。

 

なにしろ、入院した時には腹水でぱんぱんに

膨れて、息も絶え絶えだったのだ。

 

外に出て大丈夫か確認しないといけない。

そして適うなら、馴れさせないといけない。

 

 

 

入院1ヶ月の間、穿刺したらしばらく休む、

というのが、入院生活のパターンにも

なっていた。

 

だから、穿刺が終わったあとには

外出許可をもらって自宅に帰り、

打ち合わせに出掛けたり、

図面を描いたりしていた。

 

それが仕事に余裕が出てくると、

わざと1時間くらいかけてゆっくりと

家に帰るようになった。

そうして、

陽の当たらないアーケードの下なんかを選んで

萎びた商店街などをゆっくり歩く。

 

 

 

 

ところが、今日腹水を取ってみると、

いままでの1/5ほどしか出ていない。

打ち止めだろうか?

 

これで腹水はおしまいだというのなら、

それは、おおいに結構だが、

それならもう少し腹がへこんでほしい。

 

「臨月」ではなくなったが、まだ腹だけなら

マタニティーマークに違和感がない。 

 

 

 

 

 

 

そしてそうなると、ふたたび以前も書いた

「門脈-腹腔バイパス術」を行うかどうかの

検討が必要になる。

 

いつまでも、穿刺したら寝るといった怠惰な

入院ライフを満喫していていいわけはない。

 

取り敢えず、16日の診察で方向が決まる。

手術するのかしないのか、自らの決断を含めて

判断しなくてはならない。

 

そのうえで、治療の内容や転院するかどうかを

決めていかなくてはならない。

 

 

 

 

めんどくせえ。

 

 

 

 

しかし、そこを我慢して、経過が良好だったら

きっと旅行にも行けるだろう。

そう信じたい。

 

 

 

だから、どこに行こう。

 

「知らない街を歩いてみたい」なんて

「鶴瓶の家族に乾杯」みたいなことを言っても

おそらくは誰もいない田舎の道端で

呆然としている自分の姿が想像できるだけだ。

 

観光地でもない田舎町で、

ああいう番組が成立するのは、出演者との間で

事前の了解と準備があるからだ。

 

昔みた回では、街道筋の商家に鶴瓶が入ると

店の土間一杯に胡蝶蘭の鉢が並び、

招じ入れられた座敷の畳は、真っ青に

張り替えられて、床の間の前に

盛装のじいさんが端前と正座していた。

こんな「偶然」はない。

 

 

といった具合に、何でも斜に構えてしか

物事を見られない奴は、

結局どこにも行かずに身体が衰えて行くんだ。

 

 

 

 

くすん

 

 

 

 

 

でも、こうしてベッドに寝かされたまま

衰えていくのも、

あんまり自分がかわいそうだ。

 

 

 

どこか行きたい。

 

 

 

 

 

うーん、暗い話を書いてしまった。

 

 

 

 

 

俺達の明日はどっちだ?

 

 

 

 

 

 

 

>にほんブログ村 その他日記ブログへ   

(クリックしてくださいな)  


 

 

 

 

|

« 余命1年日記 -2- 穿刺とは?                     (8月第1週 16 08 05) | トップページ | 余命1年日記 -4- 病院日常1                (8月第4週 16 08 22)  »

余命1年日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 余命1年日記 -2- 穿刺とは?                     (8月第1週 16 08 05) | トップページ | 余命1年日記 -4- 病院日常1                (8月第4週 16 08 22)  »