余命1年日記-22-新章突入 再再入院 (10月第2週 2016 10 08)
おはようございます。
10月8日 土曜日の朝です。
いつもは、六甲山の南向きの斜面に寄り添って
暖かそうに陽の光を浴びている、ここK病院も
今朝は不機嫌そうな曇り空の下。
本日から東館2階外科病棟よりお送りします。
待て、
お前、内科の治療を受けていただろう。
そもそも昨日退院したんじゃないのか?
と、いってくださる方は愛読者様。
そう、私は昨日10月7日朝11時、
めでたく本館3階の内科病棟を退院した。
9月9日、重陽の日に再入院していたから
1ヶ月ぶりの「再退院」である。
その日は、
台風一過で、街も海もきれいに晴れていた。
9月9日の半袖を、そのまま着て外に出ると、
襟の内側が 気持ちよく涼しい。
昼前に家に着いた。
荷物を置いて、歩いて床屋とauに行った。
むかしは、元気にチャリンコで走っていった。
逆に弱りきっていた再入院前なら、
片道はタクシーを使った距離だが
今回は歩こうと思った。
前向きな「余命一年野郎」だろう?
ところが床屋ですでにへろへろになって、
眠り込んでしまいそうになり、心配した床屋に
「ここで止めときましょうか?」と言われた。
散髪を途中でやめられたら困る。
頑張って、全部頭を刈ってもらった。
ところが帰り道から、猛烈に腹が痛くなり、
帰ったら 横になったきり動けなくなった。
肝硬変になって腹水が溜まるようになってから
出べそになった。
見映えは悪いが見せる相手もいないし、
食事をしても痛くも痒くもない。
先生もなにも言わないので気にもしなかった。
実は、この出べそはお腹の壁に空いた孔。
腹壁に直径1cmほどの孔が空いていて、
そこに漏れ出した腹水が溜まって
出べそのようになっていた。
ここから、腸が腹腔を包む腹膜ごと飛び出すと
ヘルニアこと、脱腸。
この孔も時折、腸が顔を出していたらしいが、
それが詰まるまでのことはなかった。
ところが今回 の帰り道に、何かの拍子に、
ぶりっと大きく はみ出てしまったらしい。
その際に、狭い孔に腹膜と腸が嵌まり込んで
抜けない嵌頓ヘルニアになった。
ここが腸閉塞になったため、激痛が襲った、
ということのようだ。
痛いから、内科から貰っていた痛み止を服む。
用法、用量を守る筈はなく際限なく流し込む。
とんでもなく痛さに弱い「余命1年野郎」だ。
しかし腸閉塞を起こしているんだから、
当然、閉塞区間より下には通れないので
水と一緒に薬も全て戻して吐いてしまう。
こんなコントみたいなことを3回も繰り返すと
もうすっかり辛くて駄目だ。
まだ8時なのにグーグー寝ている親父を
利かない体で、40分かけて叩き起こして、
「車を呼んでくれ」と頼んだ。
いまから思うと、この時点で
「腸閉塞で壊死2時間、一直線コース」の
真っ最中だった筈なのだ。
しかし親父も、昼に退院して半日もしないで
病院に舞い戻ることが、納得できなったらしく
「睡眠薬服んで寝れば直る」とかなんとか
薄情なことを言って
いつまでもぐずぐずしている。
その気持ちはわかるが、後になって
全身麻酔の手術が必要だったかもしれない、
腸が壊死して敗血症になっていたら、
死んでいただろう。と聞いてゾッとした。
あのまま死んでたら七代末まで祟ってやる。
と思ったが、考えたら二代目は俺だ。
子供もいないから、三代目以下はいない。
くそっ。
なんとか乗った救急車のなかでも
ゲロゲロ吐きながら病院についた。
血液だのCTだのエコーだのレントゲンだの
すぐに色々検査された。
その結果、
「嵌頓ヘルニアで腸閉塞を起こしている。
ヘルニア部分の腸が壊死する危険が高い」
とわかると、救急の当直をしていた先生が
席から立ち上がり「緊急手術だ」と呟いた。
すぐに「オペ室を押さえろ。外科は誰が来る?
麻酔科のスタッフも呼べ」と、指示を出す。
「○○先生がきょうはダメだ、と」
「馬鹿野郎。この状況で病院に来なかったら
あいつ医者じゃねえっ。」
おー、かっこいー
なんか、医療ドラマみたいじゃん。って、
お前のことだっ。お前のっ。
これほど当事者意識がなくて、他人事のような
「余命一年野郎」もいないだろう。
「麻酔科を呼ぶ」というのが気になったので
「局部麻酔ですか?」と聞いた。
「いえ、開腹するから全身麻酔です」と言う。
しかも、「完全に血が止まっていたら
閉塞部分の腸は2時間で壊死します。
緊急手術が必要です」とも。
朝を待たず夜明け前に手術する、と。
ふわあ
すぐに当事者意識を取り戻して
チキンハートに鳥肌がたった。
しかしその後、
深夜の呼び出しに集まってくれた外科医の
先生のひとりが、私の出べそを ふにふにして
孔に押し込もうとしている。
その横顔を見ながら
「そんなこと、もう何回もやったのに」
と思って、特に出べその方を見ずにいると、
「このおへそ、前からこの大きさでした?」
と、声がする。
何を言ってるんだ?と思って体を起こすと
いつの間にか出べそが凹んでいる。
「救急車で来たときより小さくなってます」
驚いたように、ナースが声をあげると、
ドクターたちも集まってくる。
やった。
K病院が誇る優秀な外科医たちが集まって、
改めて私の出べそを ふにふにして、
感触を確かめている。
へんな光景。
「孔は開いたままだけど、押し込んだら
腸は孔の中に入りました。だからもう、
嵌頓ヘルニアではないですね。」
とも、言ってくれた。
どうやら、
「暁の緊急手術」だけは避けられたらしい。
「土曜日の朝まで痛くならなければ、
その日に手術する必要もありません」とも。
今日の土曜日の朝の回診で痛くなかったので、
緊急手術はやらないこととなった。
「絶食絶飲」の制限も、
500mlの上限付だが「絶飲」は外れた。
ちびちび飲むジュースがおいしい
「しかしまだ、腸が機能を回復できるか、
少し観察する必要があります」と言う。
さらに、腹壁に空いた孔を放置すると、
ちいさいとはいえ、いつまた
嵌頓ヘルニアになるかわからない。
「孔を縫合して塞ぎましょう」と言う。
「これも開腹手術ですか?」と聞くと、
「麻酔はかけますが腹膜から外の部分を
縫合するだけです」
ふー、やれやれ。
しかし、「急ぐ必要はなくなったけど、
入院中、来週くらいにはやりましょう」とも。
泰山鳴動して、小さな孔を塞ぐだけで済むのは
私の「余命一年」が意外にしぶとい、と
思うことにします。
ドラマのようなかっこいい幕開けだったのに、
どうも間抜けな顛末だが、
これもまあ「私らしい」かな、と。
そんな訳で、しばらく外科の住民になります。
さすらいの危篤患者だなあ。
さて、
回診などが一段落した頃、
外科から連絡があったらしく、
内科からF先生が、様子を見に来てくれた。
お互い「早すぎる再会」を驚きあって笑った。
ひとつ疑問に思ったことを、先生に聞いた。
「今回のヘルニアは肝硬変の合併症なのか?」
ということ。
「それは考えにくいですね」と、先生は
比較的明快に否定してくれた。
理由は、
・ヘルニアが合併症になっている症例を
他に知らない。
・そもそも腹水が溜まり始めた時期に
出べそが出来ていたんだから、
ヘルニアの原因になった孔は
肝硬変とは無関係に、昔からあったのでは?
腹壁に孔がある人は珍しくないと言う。
個人的には信じられないが、
孔は昔からあったわけだ。言葉に詰まった。
となると今回の件は、
「間の悪い偶然」だった。ということか?
と聞いたら、今度は先生が言葉に詰まった。
「入院中にヘルニアになっていたら、まだ
対応ができたのに、」という台詞が
この間抜けな事件の総括だろう。
そしてそれは「間が悪い」ということでは
ないのか?と、思う。
こんな偶然に付き合わないといけないなんて
思ってもいなかった。
先生は出べその見込みが甘かったことを
謝ってくれたが、
こんな間抜けな事態を予測できなかったことは
とても責められない。
可笑しくて。
死ぬのも予想通りには行かせてくれない。
「また様子を見に来ますよ」と言ってくれて
先生は、通常業務に戻っていった。
みんな、三連休でも忙しい。
さあて、暇になった。
一体なにして、遊ぼうかな。
残りは292日。
今回から予定外の「外科編」スタート
鮮血が迸走り、小腸が踊る。
2日前には筆者も考えていなかった
ヒューマンスケールな(ちいさな)ドラマが
ついに始まる
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