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2016年10月の投稿

2016年10月31日 (月)

余命1年日記- 29-  肩が痛い                (10月第5週 2016 10 31)

26日に外科を退院して、今日がハロウィン。

早いな。

とりあえず、近況報告。

 

 

27日にセカンドオピニオンを受けに、西宮のM病院に行く。

28日には、K病院で外科外来。

同日午後、先日、台風で来られなかったM君が

神戸に来てくれたので、久しぶりに会う。

ありがとう。何年ぶりだろう。

29日、寝る。

30日、寝る。

 

よく寝たなあ。

この二日間で24時間は寝た。

 

 

 

 

木曜日のセカンドオピニオンについては、

例によって図体ばっかりでかくても中身がない頭では

いろいろと処理できていないし、

自分で動かないといけないことがたくさんありそうなので、

また日を改めて書きます。

 

 

 

それと、29日あたりから、右肩が痛くなった。

ずーっと痛い訳ではなく、姿勢によって痛さが違う。

左向きに寝返りを打つ時など、眠気が吹き飛ぶほど痛い。

 

そうはいっても眠いから痛くても寝るのだが

『痛がりながら寝る』って、どんなマゾだ?

 

首の瘤をとるために切開した位置と、

ごく近いので関係があったら嫌だな、と思うのだが

いまこれを書いている、31日夜の時点では

だいぶ納まってきたので、もう少し様子を見よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

残り274日

 

 

しかし、寝ていて このカウンターが減ってしまうのは

『命の無駄遣い』。だ。

もうちょっと起きていこう。

 

 

来年も生きている側から Trick or Treat.

 

 

 

 

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2016年10月28日 (金)

余命1年日記- 28-  退院                (10月第5週 2016 10 27)

外科を退院した。

 

なかなか退院の許可が出なかったのは、縫合跡が一度再出血した、

その予後が悪いせいだと思っていたのだが

派手な内出血もあったかららしい。

 

いまも臍の周りは、強烈なボディブローを食らったかのように紫色だ。

ガーゼが小さくなると目立つな。

 

まあ、痛みもだいぶ引いたし

延期していたセカンドオピニオンも早くやりたいし、ということで

26日退院となった。

 

 

 

 

退院した日の天気を覚えていない。

きれいに晴れてはいなかった。

 

朝一番で外科の回診があり、傷を確認して

『ガーゼとっときましょうね』と言われて、腹の内出血を見た。

『傷が痒いので、掻いてしまうと怖いから残しといてください』

そういって、ガーゼを残してもらったのは

内出血にちょっとビビったからでもある。

 

支払いを済ませて、追いかけるように体温と血圧を測られて

迎えに来た親父と、病院を出た。

 

 

 

 

天気は覚えていないが、寒かった。

9月9日に内科に入院した時のままの半袖だったからだ。

正面玄関に接したロビーには、たくさん外来の患者がいたが

半袖なんて一人もいない。

ハーフコートを着ている人までいた。

場違いにもほどがある。

着替えくらい持って来いよ、親父。

ずいぶん長いこと入院してたなあ。

 

しかし、実際にはすぐにまた戻ってきそうな気もする。

それはそれで困るんだけど・・・

 

 

 

『自宅に帰る。』という感じがしない。

『病院から出かける。』というところまでは

感覚が変わってしまったわけじゃないけど、

いずれそうなってしまうんだろうか・・・

 

自分がいま、どこにいるのかわからないくらい呆けてしまう。

そんなふうに、脳症が進行してしまうのかもしれない。

そうなったらすごくいやだな。
 

 

 

 

来週あたりまた、あの浴衣のような病衣を着て、

『今日はあったかいのかなー』とか思いながら、

病棟の日当りのいい渡り廊下に立って、

海を眺めているような気もするんだよ。

 

 

 

ふう・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

残り278日

 

 

実際木曜日には再びセカンドオピニオン。

『再びセカンド・・・』って、言葉がおかしいが

金曜日にも、外来で外科に来る。

 

 

病院に通う日々は終わらない。

 

 

 

 

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いつの間にか『外来で外科に来る』って書いてますね。

どっちがホームなんだか・・・

 

 

 

 

 

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2016年10月24日 (月)

余命1年日記- 27-  暇だ               (10月第4週 2016 10 23)

日曜日の午後です。

 

ひまだわー

 

 

えーと、8日にヘルニアで緊急入院して、

だけど、押し込んだらヘルニアは直っちゃって

しかし、腹に孔が開いていることは確かだから

塞いでやる、と言われて14日に手術、

16日に傷から出血して、様子を見てるうちに

21日に抜糸。そうして本日が23日。

 

結果として腹に開いた小さな孔を縫って塞いだ

だけなのに、すでに2週間以上。

 

 

ひまだわー

 

 

 

 

仕事は整理した。

今回の入院は保険が出ることになった。

家で待っている子供も嫁もいない。 

 

退院を急ぐ理由がない。

 

 

そういうなかでむだに過ごす時間は暇だぞ。

 

ワンセグを持ち込んだから、

1日中テレビを見ている。

 

朝一番早いのはNHK。

5時くらいから各局ともニュースと情報番組になる。

6時45分からの「にほんごであそぼ」と

6時55分からの「0655」は、朝に欠かせない。

7時20分からは「ピタゴラスイッチミニ」、

7時57分から「MOCO 's  kitchen」と、

朝はなかなか忙しい。

いや、ひまだ。

 

朝10時くらいから、うちで受信できる民放は

みんな通販番組になってしまうので少し寝る。

昼からも情報番組をはしごして夜。

 

12時くらいまでニュース。深夜3時くらいから

また通販番組。NHKは環境ビデオみたいのを

流して4時30分頃に、君が代と日の丸。

タッチアンドゴーで「テレビ体操」「おはよう日本」。

 

一日回っちまったよ。

 

ひまだなー

 

 

 

 

今日みたいな日曜日は、

テレビがもっとつまらない。 

 

昼の放送はスポーツ中継ばっかり。

ゴルフ、競馬、マラソン、ラグビー、テニス、

一ヶ月半ごとに、2週間の相撲。

 

ガキの頃、こういう面白くないスポーツ中継を

何時間もずーっと見ているおっさんが

不思議で仕方なかった。

 

普段会わない親戚の叔父さんだったりすると

怖くてチャンネルを変えられない。

ドリフ見たいなー、と思いつつも

これは実は、大人だけが理解できる

面白さがあるのかもしれない。

大きくなればわかるんだ。とも思っていたが

 

50超えても全然わかんねえ。

 

 

ぼくは、大人になれなかった。

 

 

 

あー、ひまだ。

 

 

 

あしたは、退院の沙汰が下りるでしょう。

 

でも、それも惜しいような気がするな。

 

 

 
 
 
 
 
 

残り281日

 

 

 

退院はたぶん火曜日。

 

 

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2016年10月20日 (木)

余命1年日記- 26- 入れ替わりが激しい      (10月第4週 2016 10 20)

昨日今日と、私がいる6人部屋は

患者さんの入退院で忙しく賑やかだ。

 

 

 

入り口から窓のある壁に向かって、

幅900程の通路をはさんで、

左右に3つずつベッドが並んでいる。

入り口から正面の奥に、1200×1600程の

引き違い窓が2つ並んでいる。

 

一番奥の2つのベッドだけが、

それぞれ専用の窓を持っているわけだ。

いいな。

 

昨日の午後の時点で、私の部屋は、

窓際2つが、空きベッドという状況。

どちらも昨日空いた。

 

 

 

一人は気がつかないうちに退院していた。

もう一人、私のベッドの左隣にいたじいさんの

退院の様子はこんな感じ。

 

このひと、入院中はバンザイの様に

両腕をギブスで固定されていた。

寝るときなど不自然な姿勢で辛そうだった。

しかし、退院に際しては腕を下ろしていた。

車椅子に乗れないからだろうか?

とにかく、その姿勢で

奥さんと息子と一緒に帰っていった。

 

正直『この人が退院するのか』と思った。

仕切りのカーテンの隙間から俺のブースを

覗いていたから、この婆さんは嫌いだった。

 

 

 

 

 

さらにもう一人、昼前に退院した人だが、

私の右隣のじいさんの退院は賑やかだった。

退院を前に、薬や日常の過ごし方について、

ドクターやナースから説明がある。

 

じいさん、入院中はおしっこの度にその量を

測るように言われていたらしい。

退院後も続けるのか気になったようなのだが

『それはいらない』というナース二人がかりの

説明に納得せず、果てはドクター出てきて

不承不承引き下がった。がんこらしい。

そして耳が遠いようだ。だから声がでかい。

 

気持ちよく晴れた、秋の日の午後に、

知らないおっさんの小便の行方の相談を隣で

1時間も2時間も聞かされる僕を 気の毒だと

思ってやってください。

 

一事が万事この調子で、今朝は早くから、

「いま着ている寝巻きはレンタルの物か?」

という話題だった。10時半ごろ

奥さんに押してもらって、

車椅子で退院していった。

廊下ですれ違ったら、

奥さんが丁寧に頭を下げてくれた。

爺さんも会釈した。そうして退院していった。

 

更に今朝、私の向かいのベッドが2つ空いた。

夕べにはいたはずなのに、いつ退院したんだ?

そのうちのひとつが、早速埋まっている。

 

出ていったのにも気がつかなかったから

幽霊屋敷のようだ。

 

 

 

 

 

そして、せっかく空いたベッドだが、

これも慌ただしい。

 

私の左隣のベッドは、じいさんが目付きの悪い

婆さんと退院したすぐあとに

次の患者が入った。

 

シャワーから帰ってくると自分のブースに

ストレッチャーが頭を突っ込んでいて驚いた。

患者さんがいざりながら、ベッドに移る。

この人は、いまもいる。

 

 

 

 

さらに、窓際のもうひとつのベッドが

夕べのうちにすぐに埋まった。

 

患者は二十歳台にしか見えない若い人。

患者の服は寝巻きをリースしてもいいし、

私服でも構わないんだけど、

Tシャツにスゥェットという修学旅行然とした

スタイルが新鮮ではあった。

この人は、今朝出ていった。

 

半日しかいない。

寝巻きをリースしないわけだ。 

 

 

 

 

 

そして、この空いたベッドは今日の午後に埋まった。

今度はじいさんだが、奥さんが丁寧な人で

同室の患者に挨拶していた。

『今度こちらにお世話になる○○です』

私も頭を下げられたので返したが

私がお世話できることはないな、と思う。

 

入院時の挨拶なんて、考えてもいなかった。

でも、お互い頑張りましょう。

 

 

 

 

 

しかし、こういう人や奥さんに車椅子を、

押してもらって出ていく人は、

治療の必要によって入院し、目処がついて出ていく

正規の入退院なのだろう。

 

対して、Tシャツの彼などは、

希望の部屋が空くまでの順番待ちだった

可能性が高い。

 

 

 

慌ただしいなあ。

 

 

16日の日曜日に、

私が今の病室に移ってからの4日間でも、

すべてのベッドが入れ替わった。

 

更に、この二日間で空いたベッドが延べ6床。

埋まったベッドが延べ4床。

残ったベッドもすぐに埋まるんだろうな。

 

 

 

 

 

特に出入りが多い二日間だったとは思うが、

どんなに流行っているホテルよりも優秀な

回転率と稼働率。 

 

空床状況を見ながら、

入退院をセーブしているにしても、

もとからの患者の入れ替わりの圧力が、

非常に高くないとこうはならない。

 

「外科は患者の入れ替わりが激しい」とは、

外科に入院して以来、色々な人に言われるが

確かにすごい。

 

 

 

冒頭、窓際のベッドがふたつ空いている状況を

わざわざ触れたが、内科ではそういうことが

少なかったような気がしたからだ。

 

私がいた内科病棟の3人部屋では、窓際のベッドか空くと、

看護師が『ベッド移りますか?』と聞いてくれた。

 

外科病棟でやはり窓際のベッドが空いたとき、ダメもとで

『ベッド替わってもいいですか?』と訊いてみたら、

思いっきり怪訝そうな顔をされた。

 

看護師の個性もあるだろうし、

3人部屋と6人部屋の違いもあるだろう。

そもそも、こんなに入れ替わりの激しい病棟では、

そんなめ面倒くさいこと、初めからやらないのだろう。

 

しかし、長期入院の内科と 短期の外科では『窓際の価値』が違う。

1日のほとんどの時間を過ごす、『ベッドの環境』は重要なのだ。

なにしろ窓がないと、その日の天気も気温も

わからないのだから。

 

 

 

 

それとは別に、

 

病院がほぼ特定される文章で、患者の出入りを

細かく書いてネットで公開することが、経営の枢機に触れる

として怒られたらどうしよう。

 

もし怒られたら、この回の内容は

『うつろいゆく六甲の秋』に変更します。

 

 

 

 

 

 

いまの部屋に移ってからたった4日で

「部屋のヌシ」になってしまった。

一週間も経っていない14日の手術が

昔のことのように思える。

 

 

 

 

外科に入院すると、ふけるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

残り284日

 

 

 

つぎは抜糸だ。

 

 

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2016年10月18日 (火)

余命1年日記- 25- 術後の日々          (10月第4週 2016 10 17)

先週の木曜日、14日に手術が終わって
ふたたび「病床の人」になった。 
 
 
基本的には寝てるだけ、である。
内科で入院しても、脱腸で外科に入院しても、
寝ているだけ。
 
手術前でも、手術後のいまでも寝ているだけ、
16日に、高い個室を出て6人部屋に移ったが、
そこでも寝ているだけ、である。
 
 
 
生産的じゃないなー。
 
これで終わってもいいのだが、
備忘録としていくつか。
 
 
 
 
 
 
手術が終わった15日の金曜日あたりだと、
いまはまだ腹が痛いけど、
傷が塞ぐのは時間の問題だ。
週が明けたら退院だろう、と思っていた。
 
とりあえず、腹壁の孔を塞いだ腹の傷と、
こぶをとった頸の傷のそれぞれが痛い。
 
最初は、それぞれが皮膚全体の分厚さで
熱かったのが、次第に腹の痛みは
からだのなかの奥の方に入っていった。
 
 
ここの病棟の看護師はみんな、
痛さの度合いを確かめるのに
『1から10のうちのどれ?』と訊く。
 
金曜、土曜のあたりだとどちらも、5以上
だった。
しかし、腹は変わらないが
頸は 3から 4くらいになっていった。
 
16日の日曜日あたりから、頸の痛さは
ころころとちいさな固まりに別れて
次第に弱くなっていくが、
今度は、猛然と傷口が痒くなってきた。
腹も痒い。
 
風呂に入って洗ってしまいたいところだが
残念ながらそれはできない。
傷跡やその回りは、消毒した上で
清潔なシートで覆っているので、
不潔である故に痒いとは思えないが、
一日中着けているシートやテープがカバーしてる場所は
かぶれている可能性がある。
 
『何とかしてくれ』と、先生に言ったら
『耐えろ』と、言われた。
 男前だ。
 
そんなわけで、17日現在も、傷はみんな
痛くて痒い。
 
 
 
 
ところが16日、
日曜日に傷口から血が出てきた。
ベッドに腹這いなって絵を描いていたからだ。
 
まあ、すぐに気がつかなかったくらいで
痛くはなかったんだけど、
布団に血がついていて、おっ、と思って
起き上がって腹をみると、パジャマのズボンが
真っ赤で思わず「おー」っと、声が出たね。
 
ナースコールして先生に来てもらって、
しかし、「腹這いなっていた」と言うと
怒られるかと思ってびくびくしていたら、
まことに淡々と傷口を見てくれる。
 
べつに縫合が裂けた、とはではないらしいが
しばらく圧迫して止血してくれた。
 
なかなか止血しないらしく、
日曜、月曜(16日17日)と回診のたびに、
傷口を圧迫していってくれるようになった。
 
 
 
 
なかなかスパッと治らんな。
 
 
臍のまわりには、
内出血の紫の輪っかができた。
 
 
 
 
 
しかしまあ、出血が治るまで
このまま入院することになるんだろうな。
 
ふーん、今日とか外は寒いってよ。
病室にいると知らんけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あ、すいません。
とりあえず、この辺が近況報告です。
 
 
 
 
毎日、なんかあっても困るよね。
 
 
 
 

残り287日

 

 

 

なんか面白いことないかなあ。

 

 

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2016年10月14日 (金)

余命1年日記- 24- オペレーション           (10月第3週 2016 10 14)

えーと、

手術が終わって、麻酔から覚めて1日。

生還して参りました。

 

 

 

 

いや、正確には

これを書いている時間(14日午後9時)より、

ずっと早く昨日の夕方には覚めました。

 

患者の立場で手術室に行くなんて初めてだ。

(建築屋の立場でなら、何度かある)

 

昼の11時30分ごろ迎えに来る、

という話だったが、前の手術が延びて、

呼ばれたのは1時すぎだった。

 

 

 

直前の様子はきのう書いたな。

地下の手術室まで、看護師さんに

支えられながらゆっくり歩く。

 

手術室のあるフロアに行き、

髪の毛が落ちないようにキャップをかぶり

靴を脱いでサンダルに履き替える。

 

そして、

なぜか開けっぱなしのエンジンドアを通って、手術前室に入る。

前室から、もう一枚エンジンドアを通ると手術室だ。

 

 

病棟とは色の違う制服の手術部のスタッフが忙しく立ち働いている。

意外に活気がある。

 

ちがうな。

前に建築屋として中にいれて貰った時は、

暇なときを見繕ってもらっていたわけだ。

 

そりゃそうだ。

キャップと白衣とサンダルを借りたところで

素人が勝手に立ち入っていい場所ではない。

 

だから、手術室が普通に活動している様子を見るのは初めてだ。

 

 

 

そうは言っても、自力で手術台まで登らされるとは思わなかった。

「あ、頭こっちです」って。

 

 

 

 

 

 

手術室は間口二間ちょっと、奥行三間くらい。

正面にレントゲン写真などを投影するスクリーンがあり、

右手にもなんかの窓があったんだけど、

眼鏡を外しちゃったからわからないなー。

その他、機器類がたくさん置いてある。 

 

 

 

手術台に仰向けに寝る。 

 

「手術室」というとかならずイメージする、

眩しい無影灯は、まだ点いていなかった。

 

私自身にもいろんな管が取り付けられる。

点滴は病室にいた時からついていたが、

さらに、尿を抜くカテーテルが繋がれる。

加えて呼吸器とマスク、心拍や酸素濃度を測るクリップなどがつく。

大分動きにくい。

 

 

 

覗いていたたくさんの顔の中から、

いままで何度も手術の説明をしてくれていた

外科の先生の頭が出てきて、

改めて手術の概要と予定時間を教えてくれる。

 

ほどなく顔が入れ替わって女性になり

「点滴で麻酔を入れます。すぐ意識が

なくなりますからね」と言う。

昨日の麻酔科の先生だ。

 

できるなら、頑張って意識を繋いで

出べそに迫り来るメスを見てみたいと思ったが

「きょうは俺、絶対寝ないかんな」と

夏休みに久しぶりに会って興奮する

いとこ同士のガキどもが、例外なくいつもより早く寝てしまうように

わたしも、すこんとすぐに寝た。

 

 

 

 

目が覚めたとき、まだ手術室にいた。

看護師が、朦朧としている私に向かって手術が無事終了し、

これからナースステーション隣の安静室に移ると、教えてくれた。

時間を聞いたら午後4時過ぎだった。

たぶん頷いたと思うのだが覚えていない。

 

 

 

今度はストレッチゃーで

手術室から「安静室」に移動した。

 

点滴、カテーテルなどを繋ぎ直し、

呼吸器とマスク、心拍や酸素濃度を測るクリップなどもつけなおす。

 

それから上膊部とふくらはぎには、刺激を与えることで

長時間同じ姿勢でいることで生じる

エコノミークラス症候群を防ぐ(ほんとに言った)

エアシートが取り付けられた。

再び重装備になる。

 

 

 

落ち着いたところで先生から、改めて手術について話があった。

 

うまく行った。

予想より臍の穴が大きかったけど、当て布して

(とはさすがに言わなかった。なんだっけ?)

縫ったから大丈夫だ。

頸の瘤もうまくとれたよ、と。

 

明日の朝までここで寝てから部屋に帰んなさい。

というからすぐに寝た。

薬が残っていたらしい。

 

 

寝たのはいいが、先ほど付けたエアシートが

どちらも空気が抜けて緩んだり、

ぎゅーっと膨らんで圧力をかけてくるんだが、

膨らむとき、二の腕なんかは本気で痛い。

 

これが一晩中続く。

おかげで何回か目が覚めかけたんだけど、

麻酔が効いているから、中途半端に悪い夢を見た。

 

 

検温と血圧は人間が測るらしく、看護師が最初は5分おき、

次第に感覚が空いていくが、一晩中測ってくれた。

 

次第に麻酔が切れてくるのでだんだん痛くなっていくんだが

それでも基本的にはよく寝たな。

 

 

 

夜中に2度起きて、それぞれまた眠り、

朝の7時に目が醒めると、あとはもう眠れなかった。

 

 

 

10時過ぎに看護師が集まってきて、

ダースベイダーのように繋がれた私の配管を解体してくれて、

また歩いて手術前にいた病室に帰ってきた。

大体、午後1時。

 

 

 

 

なんだ、24時間じゃないか。 

 

呼び出されて手術室に行ってから戻るまで

ちょうど24時間。

もっと短いと思ったけどな。

 

 

 

 

ただいま、14日午後10時30分。

一番痛かったときよりは、ましになったが、

傷はまだだいぶ痛い。

 

 

でもまあ、夕ご飯はちゃんと食べられたし、

土日寝ていたら、ましになるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

残り290日

 

 

 

チキンな僕は、いまだに臍と頸の手術痕を

見てませんっ。

 

 

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2016年10月13日 (木)

余命1年日記- 23- 手術直前              (10月第3週 2016 10 13)

ただいま10月13日朝10時。

おはようございます。 

 

 

 

 

ヘルニア手術1時間30分前です。

きょうは6時前に起こされたので非常に眠たいです。

 

座薬の下剤を入れられて、すぐにトイレに行って、

3回くらいトイレに行って、まぁ 久しぶりだ。

 

2回失敗して点滴を入れてもらう。

「針が太いから痛いですよ」って予告するくらいなら失敗するなよ。

たしかに、すげー痛かった。

 

それから外科の先生が3人で、朝の回診に来た。

出べその回りを触られて「先に1件手術が入ってますから、

昼前、11時30分頃迎えに来ます」と言って

また3人で帰っていった。

 

手術衣に着替えて寝ていると、飲水量のチェックに来た看護師に

昨日の昼、内緒で食べたパピコの包みが見つかって驚かれた。

ありゃあ

懲りないやつ。

 

 

まだ、2時間くらいあったので、

電源コードと点滴のラインと、ケータイ2台

(1台はワンセグ)の電源コードとイヤホン、

計7本を整理する。

 

こんがらがった7本をていねいにばらし、

再び絡みあわないように配線を考える。

 

点滴や電源コードは位置によっては短かすぎ、

イヤホンは長すぎる。

だから、適当にまとめて束ねる。

のりやテープは使いたくないので、

コードと付属していた針金の結束バンドと輪ゴムだけでやる。

イヤホンは聴く場所で長さを変えたいので、

すぐばらせるように、結束方法を考える。

 

無心になって、

コードをほどいたり結んだりするのは、

手術前の過ごし方として最高の贅沢だろう。

 

手術自体、自分が望んだものではないから

「贅沢」は、言い過ぎだな。

 

 

 

 

 

 

 

さて、そろそろ11時。

「お迎え」がくるまで少し寝よう。

 

 

手術時間は 3時間くらいだそうです。

ヘルニアをおこした腹の穴を塞いで、

ついでに、頸の瘤も取ってきます。

 

全身麻酔らしいので、しばしお別れです。  

麻酔が覚めなくて「永久の別れ」になったら

どうしよう・・・

  

 

 

 

いってきます。

またねっ。

 

 

 

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2016年10月12日 (水)

余命1年日記- 22- 赤だし               (10月第3週 2016 10 12)

今日の昼御飯に赤だしが出た。

驚いた。

 

おいしい。 

 

 

 

 

 

 

外科での入院生活が始まった。

 

歩いている時に腸が腹を出てヘルニアになり

それによる腸閉塞の激痛に耐えられず、

金曜の深夜に救急車でK病院に運び込まれた。

救急搬送中に日付が変わったから8日入院。

今日で入院4日目ということになる。

 

 

 

 

 

この3日間、食事はなかった。

 

ヘルニアで閉塞した腸にダメージが残っている恐れがある。

だから、絶食絶飲は当然なんだろう。

 

しかし24時間点滴で、患者は外せない。

トイレに行くときも、寝るときも点滴を掛ける背の高いハンガーを、

がらがらと一緒に連れて行かないといけない。

 

邪魔。

 

特に寝ている時に、血管に繋いでいる

ルートが体の下に潜り込んでいたりすると、

こんがらがって、いらいらする。

 

診察や処置のために、

入れ替わり先生やナースが来てくれるが、

体を起こそうとしても腹筋に力がないから、

手をついて起き上がろうとすると、

手の甲に刺している針が抜けそうになって、

その度に痛い。

 

みんな、一度にまとめて来て欲しい。

 

 

 

 

そして絶食絶飲。

固形物は禁止。

飲み物は、「絶対禁止」の撤回は勝ち取ったが

「500ml以下」という条件付きである。

 

その条件なら何でもいいのか、と

コーラを飲んでいたら「炭酸はちょっと」と言われてしまった。

それならば、とコーヒーを飲んでいたら、

「お茶か水以外駄目だって言ってるでしょう」

と、これも却下。

 

食い物でも水でもなければいいんだな、と

飴をなめていたら、これも駄目だって。

ちぇー。

 

 

 

文字に起こしてみると駄目な一休さんみたい。

こんな患者いやだ。

 

ナースも嫌だろうが、

こんなことまで細大漏らさず看護日誌に書いて

交代の看護師に引き継ぎをしないで欲しい。

 

みんな知ってんだもんな。

はずかしー

 

 

 

 

 

暇なんですね。

 

救急患者ならそれらしく

悶えるなり、痛がるなり苦しんだらいいのに、

脱腸を元通りに孔の中に戻して貰ったら、

もう治ったような顔で、昼間から寝てやがる。

 

かといって30分歩いただけで、ヘルニアを起こしたことを考えると、

うかつに退院も外出もさせられない。

 

連休だから緊急性のない処置はしない。

点滴をしているから投薬もない。

唯一と言っていい、入院生活のアクセントである食事がない。

 

 

 

 

 

暇だ。

そして味覚に飢えている。

 

 

診察でもなにも言われないから

「食事解禁」までには間があると思っていた。

今週中に腹壁の孔を縫う手術はする、とも聞いていたから、

術後も含めて今週中の飲食は無理かな、と。

 

それが、今日の昼にご飯が来た。

そこに赤だしがついていた。

 

 

 

うれしい。

 

 

そう思う反面、残念に思う気持ちも出てくる。

救急処置室で、ヘルニアを腹に戻して以降、

わたしの患者としての扱いが、微妙に

どんどん軽くなっていくように感じる。

入院して時間が経っても痛みが起こらず、

緊急手術の可能性が消えるとさらにそうだ。

 

わたしという存在は 腹の孔を縫うという、

これも緊急性のない手術をするために、

オペ室の順番を待っているだけの面倒なおっさんでしかない。

 

内緒でアメ食うし。

 

 

 

『大事にされる患者』というのは、すなわち『命が危ない患者』

ということで、病状が悪化したほうがいい訳じゃないだろう?

と言われるたらその通りなのだが、患者というのはわがままだ。

 

ここまでの妄想が、病気で弱りきった私の、

杞憂であってくれればいいのだが、

そうではなさそうな理由があって、

それが「赤だし」だ。

 

なんのこっちゃ?

 

 

 

 

 

内科病棟にいたとき、

わたしの病院食は「減塩食」だった。

「6gの塩分制限」って味気ないよ?

だから赤だしなど、望んでも叶わない「禁断のメニュー」だったのに

簡単にそれが出た。

 

と言ったところで特別なものではない。

だって、 袋のやつですよ?

具だってお麩だけだ。

それが、ばあちゃんが一週間手首に巻いていた

輪ゴムのような色をして、茶色い赤だしに沈んでいる。

塗りを装ったプラスチックのお椀に

乾燥した青葱とお麩、顆粒の赤だしの素を入れてお湯を注ぐ。

安心の味、約束された「いつもの味」だ。

 

でもそれが、美味しかったんだ。

味噌って美味しい。

 

 

 

 

 

塩を多く摂ると水分もたくさん欲しくなる。

しかし飲んでしまうと、血中の水分も増える。

しかしこの水は、体内の蛋白質の

バランス改善には基本的には関係がない。

余分な水分の回収に役に立たないばかりか

むしろ、門脈圧を高くする方向に作用して

腹水を悪化させてしまう。

 

この辺のいろんな本やサイトの説明が

いまひとつよくわかっていないなー。

頭ではなくハートで感じることにします。

 

「腹水を減らしたかったら喉が乾くほど塩を摂るな」と。

 

穿刺して腹に穴を開けて、利尿薬も使って

腹水を減らそうとする一方で塩を多く摂って水を飲んでいたら、

腹水が減らないうえに、摂りすぎた水分を処理するために、

腎臓や肝臓に余計に負担がかかる。

 

これでは、一体何をしているのかわからない。

 

 

 

 

「俺ぁ朝飯にはやっぱり塩鮭だね。あら塩に

真っ白に漬かって、紅色の身が塩の吹雪の

彼方に霞んでるような塩っ辛い切り身をな?

身の大きさなんか、元の1/3くらいになって、

そのぶん旨味がぎゅーっと詰まってて、だけど

皮やハラミなんか脂がいっぱいに乗ってる

分厚い切り身をかんかんに熾こした炭の上で

皮がちりちりいって焦げるくらいに焼いてな?

そしたらこう、香ばしい香りがして脂が滴ってきてな?

切り身に箸を入れると、香りと脂がぶわぁっと

ほくほくの湯気と一緒に、こう、ぶわぁっと。

これを熱々に炊き上げた真っ白いご飯の上で

たっぷりほぐして口一杯に頬張るんだ。

あぁ・・・しあわせだ」

なんてことをやってたら死んじゃうのである。

 

 

 

 

 

 

 

塩分制限については、

内科と外科で「どこを見ているのか?」の違いがあるだろう。

 

肝硬変と腹水で腹が痛くて、救急搬送されてきたから、

内科での私は「治らない肝硬変患者」で、腹水患者である。

内科では、その対策に主眼がおかれる。

だから、食事に塩分制限がつく。

 

対して、

腸閉塞が痛くて救急搬送されてきたから

外科での私は、緊急手術の可能性がなくなると

「なりそこないのヘルニア患者」でしかない。

 

だから、塩分制限を忘れられる。

 

興味の対象が違うのだ。

塩分制限ひとつに関しても、内科と外科の

そうしたスタンスの違いを感じる。

 

 

 

 

 

 

 

そういった事とは別に、

内科と外科の風土というか気質の違い、というものもあるだろう。

 

 

「内科では処置をしたあと、「しばらく様子を見ましょう」という台詞を

よく使いますが、外科では使いませんね」と

F先生から聞いたことかある。

 

「ここのベッドの患者さんどこ行ったっけ」と

思ったら退院してたということがたまにある、

と外科の看護師が笑っていたのを見たことがある。

 

 

 

 

 

「医療費の総額抑制」が叫ばれる時代、

「治ったら出てけ」というのは社会的要請だ。

 

薬や、穿刺などの処置の効き目を

じっくり待たなければならない内科より、

切った張ったで勝負が早い外科のほうが、

その要請を実現しやすい。

 

別に外科の先生が薄情だ、というわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

外科と内科の患者の年齢の違い、というものもある。

 

「人間五十年」をいくつか過ぎた私が

ぶっちぎりで一番若い、という

「限界集落の青年団」のようになっている

内科病棟に比べると、外科は若い。

ちょっとうるさいくらいだ。

 

いま入っている病室がナースステーションの

目の前にあるせいもあるだろうが。

なんか活気がある。

 

静かな病棟は嫌だが、にぎやかな病院というのも

どうも落ち着かない。

 

 

 

 

 

しかし風土だ気質だと、難しく考えたり

「軽く扱われている」なんて僻んだふうに考えるよりも、

単純に忘れていた。とも考えられる。

 

そう思える節もある。

 

 

 

禁断の赤だしをいただいたあと、

食事の皿を下げに来てくれたナースに、

内科では減塩食だったことを言うと、

夕食から「6gの塩分制限」がついた。

 

やっぱり忘れてたんだ。

くっそー。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてことを考えていたら、

13日には手術ですよ。

これ、11日に公開するつもりだったけど、

いま「なんてことを・・・」以下の文章を

書いているのは、12日の夜10時です。 

 

推敲を重ねたあげく

「入院して初めての昼御飯に赤だしが出て美味しかった」という、

あまりにオーディナリー (日常的でつまんない)

ヒューマンスケール (ちっちゃい) な24文字を

数千文字に水増ししてお届けしております。

 

 

あー、疲れた。

 

 

 

 

 

 

いよいよ明日は手術。

 

残りは292日。

 

 

 

 

 

ついに始まる

ヒューマンスケール(ちいさな)ドラマ。

 

乞う、ご期待。

 

 

 

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2016年10月 8日 (土)

余命1年日記-22-新章突入 再再入院       (10月第2週 2016 10 08)

おはようございます。

10月8日 土曜日の朝です。

 

いつもは、六甲山の南向きの斜面に寄り添って

暖かそうに陽の光を浴びている、ここK病院も

今朝は不機嫌そうな曇り空の下。

 

本日から東館2階外科病棟よりお送りします。

 

 

 

待て、

 

お前、内科の治療を受けていただろう。

そもそも昨日退院したんじゃないのか?

と、いってくださる方は愛読者様。

 

そう、私は昨日10月7日朝11時、

めでたく本館3階の内科病棟を退院した。

9月9日、重陽の日に再入院していたから

1ヶ月ぶりの「再退院」である。

 

その日は、

台風一過で、街も海もきれいに晴れていた。

9月9日の半袖を、そのまま着て外に出ると、

襟の内側が 気持ちよく涼しい。

 

昼前に家に着いた。

荷物を置いて、歩いて床屋とauに行った。

むかしは、元気にチャリンコで走っていった。

逆に弱りきっていた再入院前なら、

片道はタクシーを使った距離だが

今回は歩こうと思った。

前向きな「余命一年野郎」だろう?

 

ところが床屋ですでにへろへろになって、

眠り込んでしまいそうになり、心配した床屋に

「ここで止めときましょうか?」と言われた。

 

散髪を途中でやめられたら困る。

頑張って、全部頭を刈ってもらった。

 

ところが帰り道から、猛烈に腹が痛くなり、

帰ったら 横になったきり動けなくなった。

 

肝硬変になって腹水が溜まるようになってから

出べそになった。

見映えは悪いが見せる相手もいないし、

食事をしても痛くも痒くもない。

先生もなにも言わないので気にもしなかった。

 

実は、この出べそはお腹の壁に空いた孔。

腹壁に直径1cmほどの孔が空いていて、

そこに漏れ出した腹水が溜まって

出べそのようになっていた。

 

ここから、腸が腹腔を包む腹膜ごと飛び出すと

ヘルニアこと、脱腸。

この孔も時折、腸が顔を出していたらしいが、

それが詰まるまでのことはなかった。

 

ところが今回 の帰り道に、何かの拍子に、

ぶりっと大きく はみ出てしまったらしい。

その際に、狭い孔に腹膜と腸が嵌まり込んで

抜けない嵌頓ヘルニアになった。

ここが腸閉塞になったため、激痛が襲った、

ということのようだ。

 

痛いから、内科から貰っていた痛み止を服む。

用法、用量を守る筈はなく際限なく流し込む。

とんでもなく痛さに弱い「余命1年野郎」だ。

しかし腸閉塞を起こしているんだから、

当然、閉塞区間より下には通れないので

水と一緒に薬も全て戻して吐いてしまう。

 

こんなコントみたいなことを3回も繰り返すと

もうすっかり辛くて駄目だ。

まだ8時なのにグーグー寝ている親父を

利かない体で、40分かけて叩き起こして、

「車を呼んでくれ」と頼んだ。

 

いまから思うと、この時点で

「腸閉塞で壊死2時間、一直線コース」の

真っ最中だった筈なのだ。

しかし親父も、昼に退院して半日もしないで

病院に舞い戻ることが、納得できなったらしく

「睡眠薬服んで寝れば直る」とかなんとか

薄情なことを言って

いつまでもぐずぐずしている。

 

その気持ちはわかるが、後になって

全身麻酔の手術が必要だったかもしれない、

腸が壊死して敗血症になっていたら、

死んでいただろう。と聞いてゾッとした。

 

あのまま死んでたら七代末まで祟ってやる。

と思ったが、考えたら二代目は俺だ。

子供もいないから、三代目以下はいない。

 

くそっ。

 

 

 

 

なんとか乗った救急車のなかでも

ゲロゲロ吐きながら病院についた。

血液だのCTだのエコーだのレントゲンだの

すぐに色々検査された。

 

 

その結果、

 

「嵌頓ヘルニアで腸閉塞を起こしている。

ヘルニア部分の腸が壊死する危険が高い」

とわかると、救急の当直をしていた先生が

席から立ち上がり「緊急手術だ」と呟いた。

すぐに「オペ室を押さえろ。外科は誰が来る?

麻酔科のスタッフも呼べ」と、指示を出す。

「○○先生がきょうはダメだ、と」

「馬鹿野郎。この状況で病院に来なかったら

あいつ医者じゃねえっ。」

 

 

おー、かっこいー 

なんか、医療ドラマみたいじゃん。って、

お前のことだっ。お前のっ。

 

 

これほど当事者意識がなくて、他人事のような

「余命一年野郎」もいないだろう。

「麻酔科を呼ぶ」というのが気になったので 

「局部麻酔ですか?」と聞いた。

「いえ、開腹するから全身麻酔です」と言う。

しかも、「完全に血が止まっていたら

閉塞部分の腸は2時間で壊死します。

緊急手術が必要です」とも。

朝を待たず夜明け前に手術する、と。

 

 

ふわあ

 

すぐに当事者意識を取り戻して

チキンハートに鳥肌がたった。

 

 

 

しかしその後、

深夜の呼び出しに集まってくれた外科医の

先生のひとりが、私の出べそを ふにふにして

孔に押し込もうとしている。

 

その横顔を見ながら

「そんなこと、もう何回もやったのに」

と思って、特に出べその方を見ずにいると、

「このおへそ、前からこの大きさでした?」

と、声がする。

何を言ってるんだ?と思って体を起こすと

いつの間にか出べそが凹んでいる。

 

「救急車で来たときより小さくなってます」

驚いたように、ナースが声をあげると、

ドクターたちも集まってくる。

 

やった。

 

K病院が誇る優秀な外科医たちが集まって、

改めて私の出べそを ふにふにして、

感触を確かめている。

 

へんな光景。

 

 

「孔は開いたままだけど、押し込んだら

腸は孔の中に入りました。だからもう、

嵌頓ヘルニアではないですね。」

とも、言ってくれた。

どうやら、

「暁の緊急手術」だけは避けられたらしい。

 

「土曜日の朝まで痛くならなければ、

その日に手術する必要もありません」とも。

今日の土曜日の朝の回診で痛くなかったので、

緊急手術はやらないこととなった。

「絶食絶飲」の制限も、

500mlの上限付だが「絶飲」は外れた。

ちびちび飲むジュースがおいしい

 

「しかしまだ、腸が機能を回復できるか、

少し観察する必要があります」と言う。

さらに、腹壁に空いた孔を放置すると、

ちいさいとはいえ、いつまた

嵌頓ヘルニアになるかわからない。

「孔を縫合して塞ぎましょう」と言う。 

「これも開腹手術ですか?」と聞くと、

「麻酔はかけますが腹膜から外の部分を

縫合するだけです」

 

ふー、やれやれ。

 

しかし、「急ぐ必要はなくなったけど、

入院中、来週くらいにはやりましょう」とも。

 

泰山鳴動して、小さな孔を塞ぐだけで済むのは

私の「余命一年」が意外にしぶとい、と

思うことにします。

 

ドラマのようなかっこいい幕開けだったのに、

どうも間抜けな顛末だが、

これもまあ「私らしい」かな、と。

 

 

 

そんな訳で、しばらく外科の住民になります。

さすらいの危篤患者だなあ。

 

 

 

 

 

 

 

さて、 

 

回診などが一段落した頃、 

外科から連絡があったらしく、

内科からF先生が、様子を見に来てくれた。

お互い「早すぎる再会」を驚きあって笑った。

ひとつ疑問に思ったことを、先生に聞いた。

 

「今回のヘルニアは肝硬変の合併症なのか?」

ということ。

「それは考えにくいですね」と、先生は

比較的明快に否定してくれた。

 

理由は、

・ヘルニアが合併症になっている症例を

他に知らない。

・そもそも腹水が溜まり始めた時期に

出べそが出来ていたんだから、

ヘルニアの原因になった孔は

肝硬変とは無関係に、昔からあったのでは?

 

 

腹壁に孔がある人は珍しくないと言う。

個人的には信じられないが、

孔は昔からあったわけだ。言葉に詰まった。

 

となると今回の件は、

「間の悪い偶然」だった。ということか?

と聞いたら、今度は先生が言葉に詰まった。

 

 

 

「入院中にヘルニアになっていたら、まだ

対応ができたのに、」という台詞が

この間抜けな事件の総括だろう。

 

そしてそれは「間が悪い」ということでは

ないのか?と、思う。

 

 

 

 

 

こんな偶然に付き合わないといけないなんて

思ってもいなかった。

先生は出べその見込みが甘かったことを

謝ってくれたが、

こんな間抜けな事態を予測できなかったことは

とても責められない。

 

可笑しくて。

 

 

 

 

死ぬのも予想通りには行かせてくれない。

 

「また様子を見に来ますよ」と言ってくれて

先生は、通常業務に戻っていった。

みんな、三連休でも忙しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあて、暇になった。

一体なにして、遊ぼうかな。

 

 

 

残りは292日。

 

 

 

今回から予定外の「外科編」スタート

 

鮮血が迸走り、小腸が踊る。

2日前には筆者も考えていなかった 

ヒューマンスケールな(ちいさな)ドラマが

ついに始まる

 

 

乞う、ご期待。

 

 

 

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2016年10月 5日 (水)

余命1年日記 -21- 生存確認 4       (10月第2週 2016 10 04)

ただいま、10月4日午後10時、

神戸に雨は降っておりません。

「非常に強い台風18号」とやらは、

対馬海峡から日本海の方に抜けていくらしい。

 

いや、明日から神戸の辺りも風が強くなって、

夕方には大変らしいんだけどさ。

でも、

天気も気温もわからない病室で寝ていると、

台風もノーベル賞も、豊洲移転も点滴殺人も、

なんか、どうでもよくなった。 

 

プロ野球のペナントレース優勝チームって

どこだっけ。

アメリカの大統領選って、まだやってたんだ。

 

なんかみんな、いそがしそうだね。

F先生がいなくて穿刺とかの処置がないから、

今週は特にそう思うな。

 

実際は、そこそこ手を動かす作業をやっていて

時間はつぶれるんだけど、

いつのまにか朝で、昼で夜で

「おや、もうご飯かい?」なんてやっていると

「取り残された感」がすごい。

 

定年で急に暇になったおじさんって

こんな感じなんだろうか。

 

娘は会社やデートでいそがしそうで、

孫もオンラインゲームでいそがしそうで、

嫁も毎日どこに出掛けるのかいそがしそうで、

みんなつきあってくれない。

すっかり老け込んだ気になって、

猫をなぜてやろうとしたら、逃げられた。

 

うわーん。

 

 

 

 

まあ、いいや。

一寝入りしたから、もうすぐ朝だ。

夜が白くなってきた。

今朝は寒いってさ。

わかんないけど。

 

 

まだ、雨も降ってないし、

風も吹いていないけどな。

 

だからここにいると、よくわかんないけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに大台を切って、残りは296日。

 

みんな、風に吹き飛ばされてしまえ。

 

 

 

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2016年10月 1日 (土)

余命1年日記 -20- 病中閑あり     (10月第1週 2016 10 01)

いつのまにか10月だ。

この「余命1年日記」を始めたのが、

7月末だから、もう2ヶ月だ。

 

 

 

 

やべえ、なんにもしてねえ。

 

 

 

 

この「なんにも」は、

遠慮でも謙遜でもなんでもなく、

まったく、ちっとも、全然、さっぱり、

ものの見事になんにもやっていない。

 

「俺の最後の夏は、白い部屋の

清潔なベッドのシーツの中で過ぎていった」

といっても、嘘はついていないが

実際の2ヶ月はオリンピックとパラリンピック

を見ながら病院のベッドで寝ていただけ。

生産的じゃないことは3歳児以下だ。

 

それでも、入院してすぐは、仕事を離れて

体を休めることができるのが、

有り難かったのだが、

どうも長期戦になりそうだ、ということで

仕事を整理し、一方で病状が回復してくると、

本気で暇になった。

勝手な話である。

かといって、うかつに退院させるとすぐに

病院に舞い戻ってくるんだ、こいつは。

 

9月30日からの1週間、F先生がいない。

もちろん容体に変化があればどこにいようと、

病院が問題なく対応してくれるが、

処置の間隔が2週間もあくとこいつは心配だ。

ということで、

「来週までいますか?」と言われた。

退院するのも億劫になっていたから、

「お願いします。」と言ったために、

あと1週間、

さらに暇な日々を過ごすことになった。

 

 

 

 

そうこうしているうちに、もう10月だ。

ちょっと、焦るね。

 

18の時、宅浪していた友人が

「夕方リビングに下りて行ったときにテレビで

大相撲の本場所をやっているのとすごく焦る」

と言っていた。

年6場所だから1ヶ月半おきに本場所が来る。

なるほど宅浪生だな、と思った。

 

家で図面を描いているとき、掛けっぱなしに

なっているFMから、1時間おきに

「スジャータ、スジャータ、らららららら

んっわー。」と、ジングルが流れてきて、

「○時をお知らせします」と、言われると

「うわっ、もうスジャータか。早いよっ。」

と、すごく焦った。 

 

10月って衣替えだし、年度の半期の変わり目

だし、はっきりと気候が変わってくるし、

・・・と、書いてから気がついたけど

白い病室のなかにいると、

どれも具体的な実感がないな。

俺も、頭の中でしか

季節の変化を感じていないのか。

うーん・・・

 

 

 

ああ、無為に時間が過ぎていく。

 

 

 

 

 

残りは、ジャスト300日。

しかももう、10月だ。

 

早っ。

 

 

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