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2016年11月の投稿

2016年11月27日 (日)

余命1年日記- 38-体調が悪い            (11月第5週 2016 11.27)

表題の通りです。

すいません。寝てばかりいます。

 

 

 

 

この日記も18日の『即日入退院』で終わってますね。

こんな調子で死んでは禍根を残す。

もう少しちゃんと書こう。

 

19日から20日に友達が来てくれたので、

この時の日記は半分くらい書いているので

ちゃんと書きます。

 

 

 

 

 

 

一日12時間以上寝るのも、

一日中気持ち悪いのも、困ったなあ。

 

そのほかにも、

気分的に落ち込むことがいろいろあって、

ちょっと今週はしんどいです。

 

 

 

 

まあ、すぐには死なないです。

大丈夫。

 

 

 

 

残り248日

 

 

 

 

 

こんなに落ち込んでちゃいけない。

 

 

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2016年11月21日 (月)

余命1年日記- 36- 0泊1日の入退院        (11月第3週 2016 11.18)

あ、退院しました。

 

 

 

 

 

 

昨日、さんざん『直腸に傷が』とかいっていたんですよね。

 

18日に入院しました。

9時半に来い、というからその時間に行って、

もう入院の、そういった手続きとか慣れちゃっている自分が嫌だな。

『予約受付』というところで手続きをして、

細い眼鏡の看護師に案内されて

本館内科病棟、325号室に行く。

 

F先生になってから、この病室ばかりだ。

受付から病棟、さらに病室に行くにはそれぞれ担当者が変わる。

しかし、この看護師さんの『わー、また来たのー』っていうセリフは

医療関係者としてどうだろう。

でも、喜んでくれた。

 

 

 

 

とりあえず、処置として点滴をされる。

なにしろ、この週末は絶食で腸に負担を掛けないようにする。と

聞いていたからまあ、仕方ないか。

そうして、『入院患者の印』リストバンドがつけられる。

 

そのあとはプライベートの準備。

携帯の充電ケーブルだけセットする。

例によって、いつもの浴衣のような病衣を借りて着替える。

いやあ、2週間ぶりだ。

 

 

 

渡り廊下に立って海を眺めると、

うん、あんまり変わってない。

 

そりゃそうだ。2週間だからな。

 

 

 

あんまり、こまごまと身の回り品を並べるのは嫌なのだが

歯磨きセットやリップクリームを枕頭台に並べ、

テレビカードをセットしてリモコンを並べて、寝る。

前日寝れなかったからな。

 

妙に『入院馴れ』している自分が嫌だ。

 

 

 

 

で、起きて『検査だ。』といわれて、行きましたとも。

直腸に内視鏡をぶち込む、というので

おしりだけパックリと開く不思議なパンツに履き替えて

ベッドに寝る。

痛み止めのゼリーとか麻酔とかが入れられて、痛いのか?

それでまあ、内視鏡を入れられる。

 

 

 

 

 

 

ベッドに帰ってくると、麻酔が残っていたからすぐに寝た。

 

で、

 

12時くらいに、なんだかばつの悪そうな顔で

F先生がやってきたので

『おはようございます。』と、

ひと月も入院しているかのような顔で答えたら、

『内視鏡の結果、腸には異常がありません。』

 

なに?

 

『腸には出血点が確認されませんでした。内痔核でしょう。』

『ないじかく?』

『はい』

『痔?』

『痔』

 

なんだと?しかも、

『痔、ということになると内科の守備範囲ではなくて、

担当は外科です。来週外科を受診してください。』という。

 

 

『退院しますか?』

と聞かれたので、呆然としながらも

『退院します。』と答えた。

 

あっという間にリストバンドを切られて退院した。

 

 

 

退院の支度をしてエレベーターホールに行くと、

入院の時に案内してくれた眼鏡の看護師さんが

『あら、外出ですか?』と訊くから、

『いえ、退院。』って答えると、来た時の倍くらい喜んでくれた。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、

『午前10時入院、午後2時退院。』入院期間4時間という

空前にして、おそらく絶後の記録が樹立された。

 

 

前回の

『退院当日に再入院』といい、

医学界の常識を気軽に打ち破る入退院履歴。

 

 

 

ちなみに費用は、およそ23,000円。

内視鏡検査や診察、薬の費用はわかるけど

入院だけで3700点。つまり自己負担1万1千円也というのは痛い。

4時間なのに。

 

高額療養費制度というのを使わせてもらっていて

ある程度まとまった金額だと補助してくれるが、

今回はあまりに中途半端な金額だったので

全額自己負担になったようだ。

 

 

ふー。

 

 

 

 

 

 

前回の退院の際、

入院した時の夏の半袖を、そのまま着て行って寒かった、

という反省を踏まえて

今回はぶかぶかのコートを着て行ったんだが、

あったかすぎて持て余した。

 

 

っていうか、同じ日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

残り257日

 

 

 

まあ、退院はしたけどそのあといろいろ愉快な話があるので

それはまた、あとで。

 

 

それでも退院ってうれしい。

 

 

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わー

 

 

 

 

 

 

 

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2016年11月18日 (金)

余命1年日記- 35- 再々再入院            (11月第3週 2016 11.17)

今朝、K病院に行った。

この時点では特に病状に変化がある、とは思っていない。

ルーティンの診察だと思っていた。

 

 

 

 

 

ところが、

明日再入院します。

 

 

 

 

 

『再』じゃないな。いったい何回目だ。

 

まあ、なにがあったか、というと先生に

『最近変わったことは?』と質問されて、つい

『便をするときに血が出ます』と答えたからだ。

 

 

 

これは、具体的に説明するのは憚るが、朝トイレに行って

出ない時も多いが、まあ踏ん張って出てくると

便器の水たまりが赤い。ということが、最近連日で続いた。

 

 

血が出るのはビビったが、明らかに鮮やかに赤いので痔だろう、と

最初は思った。

じつは以前にも同じような症状があったのだ。

母が死んだ後だから、今年の夏くらいだと思うのだが

やはり同じく、便をする時血が出た。

真っ赤。

今回よりもひどかった。

なにしろ、トイレに行くと血が出る。トイレから出ても、えーと

歩きながら肛門から血が出る。

家が汚れた。

 

いまでこそ色が消えているが、

我が家の和室の畳は、だから血痕だらけである。

もしも必要があってこの家に警察が入ることがあったら

ルミノール液を振りかけた警察官は絶句するだろう。

 

しかしこの時は医者に言わないでそのままにしていたら

2・3週間したら血が止まった。

さすがにそこまで血が出ると、痔じゃないな、とは思ったが

血が止まったからいいや、と思っていた。

 

今回もその式だと思ったのだ。

だから、飯が食えるか、とか、痛いところはあるか、とか

一般的な情勢の一部だと思って相談した。

 

 

 

ところが『消化管からの下血』ということでF先生が敏捷に反応した。

すぐにCTが撮られ、診断が下った。

 

『いい知らせと悪い知らせがあります。』

むー

『腹水がなくなりました。大変な進歩です。』

 

へえ、それはいい。TIPSとか考えなくてもよくなる。しかし 

『直腸に傷があります。』

なに?

 

『明日内視鏡で見てみますが、いずれにしても入院してください。

触診の結果、痔ではないので直腸の損傷でしょう。

すこしの間絶食して、腸を刺激しないで様子を見ます。』だと。

 

 

 

 

 

『えー、また入院っすか?』と蓮っ葉に答えると

さすがに先生も気の毒そうにしてくれた。 

 

 

 

 

 

本当は、17日(木曜日)入院、と言われていたところを

明日の朝まで延期してもらって、いまこれを書いています。

 

まあ、まだ世捨て人じゃないから連絡するところもあるしな。

しかし、これだけ入院が重なったら

少なくともビジネスパートナーとして使ってくれるところは

もうないだろう。

 

こまったね。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、前回の腸ヘルニアも、今回の腸損傷も、

肝硬変とは関係がないだろう、とのこと。

 

真っ直ぐに死なせてくれないなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り258

 

 

 

ヘルニア、腸損傷、と次々に繰り出される病の魔手。

しかも、そのどれも本丸の肝硬変とは関係がない、

という間抜けな事実。

 

 

ラスボス出てこい

 

 

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2016年11月17日 (木)

余命1年日記- 34- 久しぶりを歩く2 石橋          (11月第3週 2016 11.16)

阪急の石橋に行った。

この街で学生時代の6年半を過ごした。

 

 

 

 

 

十三で乗り換えて宝塚線に乗る。

そもそも宝塚線が久しぶりだ。

三国、豊中など駅舎が高架化されたところもあれば

曽根、岡町、庄内のように

30年前から変わんねーなー、というところもある。

車窓からそうした景色を見て、学生時代をちょっと思い出す。

 

 

 

 

そうして、変わらないことにかけては本気の石橋駅に着く。

西口の改札に降りるスロープも変わらんな。

しかし、昔は邪魔だった こういったスロープが、いまはありがたい。

 

 

改札を降りて、昔と変わらない黄土色の光を透かす

テント地のアーケードを超えて、

むかし下宿があった方に向かう通りに出る。

 

まず、とあるうどん屋に行く。

なんだ、それ?

学生の頃よく行った店なのだが、おととしくらいにたまたま入った時

新築の建前で酒が入っていて、居眠りしてたたき出されたのだ。

きょうは、リベンジ。

暖簾がかかっていないので勇を鼓して扉を開けたら

おととし俺をたたき出した兄さんが招じ入れてくれた。

そばを切っている兄さん、いやもう爺さんだな、に

ざるうどんを頼んだ。そばのほうがよかったか?

うまかった。

でも、ざるで700円は高いぜ?

 

 

次は銭湯に行こうと思った。

だからなんだ?

その、とりとめのない『思い出探訪』は、と思うだろう。

 

石橋は学生街であるので、しかも昭和の学生は

部屋にユニットバスなんか持っていなかったので

風呂に入る、というと銭湯に行った。

 

石橋にはごく至近の距離に2軒の銭湯があり、一軒が『平和温泉』

学生は『ピンフ湯』と言っていた。ここは今もある。

もう一軒が、石橋温泉で、

私が3回生くらいの頃に平屋の銭湯を建て替えて、

1階が駐車場、2階がロビーと脱衣場と洗い場、中2階が浴槽、

3階がスチームサウナとドライサウナと露天風呂と水風呂。

 

あわただしい建物だな。

 

図面を使わないで説明できる自信がないが、要するに

狭い敷地にいろんなもんを詰め込もうとして無理をしていた。

と、思ってもらっていい。

 

それでもここは、ピンフ湯よりたくさん通ったな。

クーラーのない部屋で、西日に照らしあげられた私がとった、

最高の避暑方法が、

『風呂に行って、熱い湯で体を洗って流して、

サウナで汗を絞り上げて、水風呂で全身の皮膚をキュッと締める』

これを5回も繰り返して体中の脂を抜くと、

出てきたら『ざまあみろ』っていうくらい気持ちよかった。

 

 

でも、なくなっていた。

 

 

いまは、マンションだ。

言われてみれば、『まあ、そうだよな。』という結論である。

面白くもない。

いまの学生は、みんな部屋に風呂があるのか?

あるんだろうな…いいな…

 

それ以外にも、学生相手にサービスしてくれて、

『チャーハン』って、注文すると、

仏様のお供えのようにてんこ盛りにしてくれた食堂や、

昼の閑散時間帯に行くと、店のおばさんが

『あたし、手かざしでパワーが送れるの。』と言い出して

とんかつ定食を食っている私の目の前に小皿を二つ並べ、

どちらにも食塩を小さく盛って、片方だけに手をかざして

両目をつぶって念を送るおばさんがいた食堂もなくなっていた。

 

『学生街の喫茶店』にあこがれて、

何回生かわからないおっさんの横で、

小さくなってアイスコーヒーを飲んだ喫茶店はあった。

もっと怪しくなっていた。

 

 

 

下宿していた家もあった。

箕面川に面した暖かそうな家で

そうか、ここに6年半もいたのか。

 

下宿そのものは訪ねなかった。

かつての大家さんがいるのか、年齢を考えると微妙だし

訪ねたところで話題もない。

死にそうだから来ました。という挨拶もしたくない。

 

雰囲気が味わえただけで良しとしよう。

 

 

 

 

 

 

さて、大学に行くかい?

 

 

いや、ここまで来たなら行けよ、と思うだろう。

でも、丘の上なんだよ、うちの学校は。

 

石橋駅から、だらだらだらだらと坂を登って、

学生時代なら15分くらいで歩いたけど、今なら30分はかかるなー。

昔だって、丘を上ってさらに一番奥にあるグラウンドで行われる

体育の授業は、3回休むと有無を言わさず不可だったので

二日酔いの日なんか泣きながら登った。

そういう体育の授業に限って、朝一なんだ。

 

教養部の授業は、やっぱり丘の上をさらに登った

イ号館とその横のロ号館で行われていて、

何で語学とかやっぱり朝一に持ってくるかなー。

まあ、しかし語学と体育を残していると

永遠に学部に上がれないので、頑張って通ったよ。

だから、豊中キャンパスにはいい思い出がないんだ。

 

そうはいっても、ここまで来て登らないと、

出直して登り直す、という可能性が低いだけに、うん。登ろう。

 

 

 

 

綺麗だった。

 

 

 

 

ちょうど紅葉がきれいで、桜が黄色く赤くオレンジで

銀杏の黄色、椎の木の黄色、オレンジ。

あと、なんかわかんない樹。

一斉に色づいて綺麗だ。

 

あんなに嫌だった、大学への上り坂は舗装がやり替えられていて

印象が変わった。幅は変わんないか。

 

坂道の右側の谷津に、

昔ここら辺が田んぼだったころのため池がある。

だから日当たりが良く、眺望が開けていて気持ちいい。

 

 

 

しかし、いま記憶を確かめるためにストリートビューを見ながら

この文章を書いているんだが、ストリートビューの映像だと

明るさや鮮やかさがないな。

ちょうど桜の花が終わる時分で、新緑でもなく、天気も悪い。

 

紅葉の晴れた日に行ったのは、運がよかった。

 

キャンパスの中は、印象が変わったな。

こんなに広々してたっけ。

違法駐車と違法バイクとがなくなったからでもあるんだろうな。

入学したときは、学生どもが生意気に乗ってきた車で

いっぱいだった。

時、あたかもバブルの入り口で貧乏学生も車を運転してたんだよ。

もっとも、フロアパネルに穴が開いて、運転していると

足元に道路が見える車とか、

キーを抜いてもエンジンが止まらない車とか、

そんな車ばっかりだったけど。

 

 

 

いくつかの建物に見覚えがない。図書館は建て替えたのか?

半地下のレベルに食堂がある不思議な断面は記憶通りなので

リノベーションしたのだろう。

他の学部は見てもわからん。私が学生だった頃からある建物が

結構生き残っている。

 

しかし教養部の建物は建て替わってるな。

利尿剤が効いているのでトイレを借りようと、

むかし、ロ号館と言っていた建物の位置にある、

たぶん別の建物に入ると、ここはいったい何だ?

 

外で、なんだか発声練習をしている学生を見ると、

中学生みたいにしか見えない。

 

気が大きくなってブースを借りてしゃがんでいると

夕方で日が暮れてきて、広々としたトイレに人気がない。

こんなところ人に見つかったら通報されるな。

いや、OBだからいいのか?

それにしても教養部は場所が変わったんだろうか。

 

丘の上のキャンパスのさらに一番高いところにある建物が

外壁はきれいに塗装されているが

これだけは間違いなく昔のイ号館だと確信できた。

しかし、さらに階段を上がるのはしんどいなと思ったら

エレベーターがあったので上がってみた。

 

中にいた、学生じゃないよな、という年齢の人に

『ここは、昔のイ号館ですか?』と訊いたら、

『いえ、ここは学生会館です。』と言われた。

 

 

 

 

卒業して30年、という年月はつまり、そういうことなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り259

 

 

工学部があるのは石橋じゃなくて吹田。

全然別の駅。

でもここは、また駅からたくさん歩くしな。

たぶん行かないだろう。

でも、本業の病気で医学部の病院に行くかもしれない。

本業?

 

 

 

こんどはどこに行こう。

 

 

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2016年11月14日 (月)

余命1年日記- 33- 久しぶりを歩く1 元町            (11月第3週 2016 11.14))

退院していままで寝てばかりいるが、

さすがにそれではもったいない。

 

そうはいっても贅沢するだけの金と、

遠出するだけの体力がないので、ごく近い場所を歩こうと思った。

私だって30年以上関西にいるのだ。

阪神、北摂地域であれば各駅停車で思い出がある。

歩こう。と思った。

 

 

 

 

まず、神戸の元町に行った。

ここは1995年の阪神大震災をはさんで、

8年間くらい過ごしていた場所だ。

それこそ昼飯から、夕方飲みに行くのにもお世話になりました。

 

 

まず、JR元町駅の西口を降りる。

昭和3年築造の元町駅は、猛烈な勢いで改装中で

丸玉食堂がんばれ、とか思うんだけど、

改札自体は、およそ20年前と変わっていない。

エレベーターが西口にしかないのは何とかしてほしい。

 

信号を渡ってJRAビルの前に行くと、親切にベンチが並んで

きょうび珍しくも、タバコを吸うご老人がたむろしている。

いや私も、いいかげんその老人達と年齢は変わらないと思うが、

気圧されるところはあるな。

こういう人たちがいる、ということは

今日は競馬のでかいレースの開催日ということだ。

このビルには大きな場外馬券売り場があって、

日本中の開催地の馬券が買える。

 

だから元町駅西口の飲み屋は、

そうした人間の屑を収容するために

土日休日は真昼間から空いている。

馬券を買った後、飲みながらレースを見るのだ。

 

覗いてみると、ちゃんとやっている。

いいな。

 

 

 

JRAビルの地下に降りて、かつて800円床屋として親しんだ

一角を見ようと思ったらパネルで封鎖されていて工事中だった。

 

ここにあった有楽商店街は、床屋以外には

スナックとかスナックとか果てしなくスナックで

さすがに一見のそういう店には入りづらいので

一角にあった居酒屋で事情を聴くと、

ここ、阪神元町駅は昔は兵庫県庁の最寄り駅として

役人で大いに栄えた、と。

スナックもそういう客がいたから、流行ったのだと。

 

でもなくなっちゃうんだな。

 

 

 

 

 

そこから上がって、アーケードの元町通り商店街を歩く。

日曜日であるせいもあって結構人出がある。

 

そうはいっても入れ替わっている店がたくさんあるな。

事前に知ってはいたけど、

海文堂がドラッグストアになっていたのを見たのは悲しかった。

 

 

『お仏壇の浜屋』で右に曲がってモトコーに行く。

これも意外に、と言っては失礼だろうが意外に人がいる。

そもそも店が増えた。

 

 

 

元町駅から神戸駅までの高架下にできた商店街がモトコー。

高架自体は昭和3年にやはりできた。

 

戦後の闇市で商店が立ち並ぶようになった、というが

確かに今もそんな感じの店はある。

そういう時代を生きてきただけあって、

正直、この商店街の中には行儀のよくない店が複数ある。

 

しかし、私が神戸で勤め始めた30年位前には、

途中の区間、3丁目から西は『シャッター商店街』になりつつあった。

かくてはならじ、と地元と行政が斡旋して、

新しい店舗が入り始めた。

アクセサリー屋、古着屋、無国籍メシ屋、こんな店が多い。

そんな店と、昔ながらのレコード屋、骨董品屋が並ぶ

幅2mほどの商店街を歩く人も結構いる。

 

へー

 

女性が多いのも不思議な感じがした。

家主であるJR西日本と立ち退きについてもめているらしいが

このくらい客が戻っているなら、

このままにしといてもいいような気がする。

 

元町駅といい、神戸駅、兵庫駅、と

JR西日本の駅の改装は大体失敗しているので

このままほっといてあげたらどうだろう。

 

 

 

 

 

そのまま駅に行って家に帰ってきちゃったから

たったこれだけじゃ、『元町に行った』とは言えないな。

 

 

 

 

 

残り261

 

 

 

 

近いから、また行こう。

 

 

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2016年11月11日 (金)

余命1年日記- 32- 眼鏡を作る            (11月第2週 2016 11.10)

こんにちは。

今日は寒いですね。

昨日の夜、コンビニに買い物に行くために外に出たら、

予想外に寒くて、ウィンドブレーカー的な奴を取りに行きましたよ。

それでも寒かったからダウンでもよかったかもしれない。

 

 

皆さんのいる街も、今朝は寒かったですか?

 

 

ああ、こういう質問がしたかったんだ。

病室にいて、24時間365日完全空調の部屋にいると、

外の気温が分からない。

もっとも『完全空調』と言っても、所詮ルームエアコンなので

猛烈に乾燥するけど。

 

 

 

 

 

最近、なるべく歩くようにしている。

『久しぶり』の場所を歩くんだ。

 

まず、コンタクトレンズを作った。

ガキの頃から近視で猛烈な乱視で、年を取ったら老眼になった。

乱視がひどいからコンタクトをつけていたのだが、

年を取って、どんどん度を強くしないと見えなくなり、

そうして『遠く仕様』にしてしまうと、当たり前だけど

近くが見えない。しかし、度数を落とすと近くも少し見える。

今まで使っていたレンズは、そうやって作った妥協の産物で

結局、遠くも近くも見えなくなっていた。

 

今回、新しくレンズを作るにあたって、この隘路、

遠くと近くの両方を見るために矯正が中途半端になる、

ということを突破しようと思った。

一枚のレンズで、近くも遠くも見られればいいが

それができなければ、できるだけ簡単な手段で

近くも遠くも可能な限り綺麗に見えるようになりたい。

 

 

なにしろ死ぬのだ。それまで鮮明な映像を見たいではないか。

 

 

『一枚で両方』となると『遠近両用レンズ』というものがある。

そういうものがあることは知っていた。

以前すすめられたからだ。

しかし値段が高いので躊躇した。

 

今回は違う。

見えるんであれば可能な限り対応したい。

 

 

 

 

結論から言うと『遠近両用レンズ』は私には合わなかった。

レンズの辺縁部が『老眼対応』ということらしく、

近くを見るのに『いかにも老眼』という

爺さんのスタイルで顎を突き出しても

うーん、確かにちょっとはクリアに見えるか?

でもそんなにご利益はないなあ、ということで却下となった。

 

 

そこで、コンタクトレンズとしては限界まで性能を発揮してもらう。

そういった極限のレンズであれば、

遠くはよく見えるが近くは見えない。

それを装けたうえで、普通に老眼用の眼鏡を作る。

 

一度、視力を上げておいて眼鏡でそれを下げる。なんて

なんだか、解決の筋道が2,3段階ネジクレているような気がする。

 

 

昼から店に来て、検眼してあれこれレンズの度数を決めて

一応医者の診察を受けて、最後に老眼鏡を作ってもらう。

結局一日仕事になってしまった。

 

 

 

なんだ?出掛ける前にコンタクトを作るだけで、

こんなに長くなってしまった。

 

まだ、なかなか慣れないです。

老眼鏡を掛ける、というのが慣れないな。

 

 

 

 

でも、せめていっぱい歩くぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り265

 

 

 

検眼の前に機械の前に座らされて、

『レンズを覗いてくださーい』って言われて、

緑の野原の真ん中に一本道が走っていて、

そこに浮かんでいる気球を見つめていると、

フーッ、カシャって言って、ぼやけていた気球がクリアに見える。

目の焦点を測るあの検査は、俺がガキの頃、

40年くらい前から変わらないなー。

 

 

 

 

 

歩こう。

 

 

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2016年11月 6日 (日)

余命1年日記- 30- パンツを履く             (11月第1週 2016 11.05)

半年ぶりにパンツを履いた。

 

 

 

何を言ってるんだ?一昨日の決意はどうした。 と思うだろう。

うん、僕もそう思う。

 

しかし、半年前に内科で入院した時

もはや全く立ち上がれず小も大も垂れ流し、という状態になった。

だから気が付くと、おむつがあてがわれており、

ある程度落ち着いてから看護師さんに、

『おむつがいつでも手に入るサービスがあります』と言われた時に

断る理由はなかった。

 

 

このサービスは、月毎に定額で枚数にかかわらず、

おむつが貰える、というもの。

外科に移った時、内科で契約してもらっていたサービスは

終わっていたので、(内科は退院だったから)

改めて計算してみると意外に高い。

毎日2枚くらい交換しないと得じゃない。

さすがに毎日漏らす段階じゃなくなっていたので、

この契約はやめ、病院のコンビニでおむつを買うようにした。

 

いや、おむつ自体をやめろよ。と思うだろう。

外科の看護師にも怪訝そうな顔をされたが

楽なのである。

そもそも毎日、せめて一日おきに洗濯物を取りに来るような

肉親がいればいいのに、いないのである。

親父は週に一回しか顔を見せず、

来ても人のベッドで昼寝をしている。

病棟の名物だよ。まったく…

 

まあ、3日と開けずに洗い物を取りに来い、

というのもかわいそうなので、

2か月程度はすでに必要のないおむつを履いていた。

だから、そんな私がおむつを捨ててパンツを履いたことは

サルが樹から降りた、くらいの進歩なのだ。

 

半年ぶりの「パンツ生活」は、すーすーした。

 

そりゃそうだ。

『水も漏らさない』ことがセールスポイントになるおむつを

今まで半年、着けていたんだもの。

涼しいな。

 

しかし、それはそれでいいことだったんだけど、

私は今でも毎日、利尿剤を服んでいるのである。

おしっこが近い。

漏らしはしなかったけれど、外科の診察中など、

危ない瞬間が何回かあった。

 

トイレが近いのは薬が効いている証拠なんだけど、

生活の上では困るな。

 

 

 

 

 

それとは別に、4日の外科の診察で、

無事に外科の治療を卒業した。

 

先生が腹と頸の手術痕を見て、

ついでにこの間、椅子から立ち上がる時に

こけて打った頭のたんこぶを見て、

『はい、これで終わりです』と言ってくれた。

 

脱腸での入院、というのは予想外で予定外だったわけだが

なんにしろ『完治』というのは気持ちがいい。

『来週のこの時間の診察は入れないでおきます』と笑って

「頭部外傷を受けた方への注意」という紙を渡してくれた先生に

お礼を言って『お世話になりました』と、頭を下げて診察室を出た。

 

その日の診療費は220円だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り269

 

 

 

それにしても『パンツ』と、『外科完治』。 

 

ちょっとは状況が良くなっているのか?

 

 

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うん、そう思っておこう。

 

 

 

 

 

 

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2016年11月 4日 (金)

余命1年日記- 30- 末期の水1             (11月第1週 2016 11.04)

最期を迎えるにあたって、わたしには、望みがある。

 

 

『末期の水が欲しい』というもの

 

 

「末期の水」とは、

死を迎える人に、近親者などが贈る水。

死後 参列者が綿、菊の葉、鳥の羽などに水を含ませて、

臨終した人の唇を湿らせる。

 

 

これの由来は仏典『長阿含経』の中に載っているこんな話。

 

『末期を悟られた仏陀は弟子の阿難に命じて、

口が乾いたので水を持ってきて欲しいと頼んだ。

しかし阿難は河の上流で多くの車が通過して、

水が濁って汚れているので我慢して下さいと言った。

しかし仏陀は口の乾きが我慢できず、三度阿難にお願いをした。

そして『拘孫河はここから遠くない、清く冷たいので飲みたい。

またそこの水を浴びたい』とも言った。

その時、雪山に住む鬼神で仏道に篤い者が、鉢に浄水を酌み、

これを仏陀に捧げられた」とあります』、だそうだ。

 

 

仏陀、超わがまま    

 

 

『河はここから遠くない。清く冷たいので飲みたい。

また、そこの水を浴びたい。』って…

 

 

 

いずれにしても、弟子にからにせよ近親者からにせよ

『末期の水』とは、他者から与えられるもの。

 

くたばる方が所望する、

ましてや欲しいものを指定する、なんてことは

仏様もびっくりのあり得ない事柄である。

 

しかし、わたしは飲みたい。

なにが欲しいかというと『酒』だ。

 

 

 

 

「病気が肝硬変で余命一年である」と他人に言うと、

口では『お気の毒に』と言われるが、

実は「どうせ酒だろ?」と思われている。

「なるほどね」という顔をされると腹が立つ。

 

しかし、そうは言っても事実だ。

 

 

 

 

これから、そんなわたしが『末期の水』に

酒を選ぶ理由を語っていきます。

 

 

酒と出会ったきっかけ。

まだ節度を持って飲んでいた時代。

次第に精神のバランスが崩れていく様子。

次第に、家族や仕事なんかのいろんなものを失くしていく様子。

立ち直りの試みと挫折。

発病。

余命宣告まで。

 

目次で書くとこんな感じになるのだろう。 

 

 

 

しかし、

中毒からの回復の苦闘や過去の悔恨、贖罪などを語る。

田代某のドキュメンタリーじゃあるまいし、

そんな文章は死んでも書きたくない。

 

生命保険の安っぽいCMみたいに、

『難病を受け入れて、前を向いて歩く健気なあたし』

なんていうのも、ごめんだ。

 

 

 

これから先どうやって書いていくか、

皆目 目処が立ちません。

 

ライフワークにするつもりで、

ゆっくり書きます。

 

 

 

『ライフ』って、いつまで生きる気だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り270

 

 

 

 

次回はいつだ?

 

 

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