1月5日に退院しました。
12月22日に入院したから、今回はちょうど二週間。
11月18日に下血のせいで入院して
一泊もせずに退院したときはまだ具合はよかった。
次第に気分が悪くなり、食事かできなくなって、しんどくなった。
11月27日の日記なんて泣き言しか書いてない。
ルミナリエでぶっ倒れたのが12月10日。
その頃から、遠出ができずを人混みが歩けなくなった。
12月22日の診察で、ふらふらしてだるそうな私を見て
ピンときたF先生が血液検査をすると、
案の定、肝臓と腎臓の機能を表す数値が異常に高くて
蛋白質が少なくて、尿酸が多くて、血小板が少なくて
まあ、すぐ死ぬような危険な状況じゃないけど入院しなさい、と。
年末年始の2週間、
あんたを一人にしといたら状況が悪化するだけだから、と。
そんなわけで、その日にそのまま入院した。
親父にメールして、ワンセグや着替え、
身の回りの物を持ってきてもらって、すぐに寝た。
22日、23日、24日と3日間寝たお陰で、
体力を回復できたのは、以前も書いた通り。
ご心配をおかけしました。
ただし、ここまで書いてきたように今回の入院の目的は、
『インフルエンザを始末する』とか『この傷を塞ぐ』とか、
分かりやすい治療の対象物が眼に見えてあるわけではない。
『しんどそうだから楽にしてやろう』という、
まことにぼんやりしたものだ。
だから積極的な治療はなにもしない。
具体的には
『きちんと薬を服んで、ちゃんと食事を摂って、安静にする』
小学生の生活目標みたいだ。
もっとも、どうしても食事を残してしまうので、
最初の一週間は、それぞれ半日かけて輸液をした。
しかし、あとは寝ているだけ。
利尿剤は服んでいたが、以前のような飲水制限はなかった。
腹水が溜まらないから、あの痛い穿刺もない。
事前に許可はいるが、外出も自由だったから、
年末に魚の棚に 行ったり、
元旦に初詣に行ったりすることができた。
4日朝、久しぶりに血液検査と検尿をする。
その日の午前中にF先生が来てくれた。
立ち上がって新年の挨拶をしたら、
患者からそんなことされたことがないのだろう、戸惑っていたが、
挨拶を返してくれた。
たしかに病室でやることじゃないな。
検査結果について、
『まだ、全部の結果は出ていませんが』と前置きをした上で、
入院したときと比べると大いに改善した。
これなら退院して、あとは外来の通院で経過を見てもいいだろう、
と言ってくれた。
入院して楽になった、
特に最近は腹水が出ないので助かります。と、お礼をいうと、
『そう。それ、ぼくも不思議なんですよね』と言う。
なに?
『去年の夏の始めごろ救急で来られて、入院したばかりの頃、
とにかくたくさん腹水が出る。
あの頃は2、3日おきに穿刺して、
腎臓の調子が悪くなるくらい利尿剤を増やしても水が出てくるから
どうしようかと思いました。』
『じゃあ、なんで・・・』
『薬は細かく調整してました。
だから制御する自信はありましたが、まさか出なくなるとは・・・』
素直な人だなあ。
『ふふふ、狙い通りですよ』とか言ったとしても、
私が疑うはずはないから、うんと自慢すればいいのに。
『今回の入院にしても、なにも治療してないんですが・・・』
うん、それは知ってる。
『薬と食事をしっかりとって安静にすれば、
体調はよくなるっていうことですね・・・』
なんとなく、その台詞のあとに
『この調子なら、あと1年以上生きられますよ』
という言葉が続くことを期待したが、
それは言わなかった。
治療らしい治療をしてないから、今回の入院では、
肝硬変そのものは手付かずである。
この病気が暴れ出さなかった理由はよくわからないが、
節制して機嫌を損ねなければ、
意外と大人しくしてくれるのかもしれない。
だから言ったじゃん。
人間、案外しぶといって。
薬をもらって、会計して正面玄関を出ると、
桜の樹がみんな葉を落として銀色の枝が、空に伸びている。
昨日までの正月休みには1台もいなかったタクシーを拾って、
いつもは遠くに白くみえる海が、今日は濃い緑色に見える
暖かく晴れた街を帰った。
残り209日
さあ、どこへ行こう。
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