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2017年3月の投稿

2017年3月27日 (月)

余命1年日記 -65- 壊れる直前の話 2           (3月第5週 2017.3.27)

プランを作る作業が始まった。

ベースとなるのは、最初の打ち合わせで私が提案した

階段を道路側にもってきて、道路に直行して南側に、

住戸が2戸並ぶプラン。

 

あとは、これのプランを詰めていけばよかろう。

当初の予定では、来春着工、秋竣工。を予定していた。

もはや、勝利は疑いようがない。と思っていた。

 

 

マンションの中身について、打ち合わせを担当したのが

K氏の奥さん。

 

まぁ、女性にありがちだが住宅のプラン、住宅設備の

仕様についてはたいへんなこだわりを

持っているようだった。

その事自体は構わない。

無関心な施主よりも遥かにいい。

 

ところが、ある日打ち合わせにいくと、彼女が

自分で描いたスケッチを出してきた。

マンション全体のプランである。

 

マンション全体に口を出すとは思わなかった。

私の案で、道路側にあった階段が、

住戸と住戸の間にある。

こういうのは困る。

結局は、反論できないんだからずるい。

 

基準階だけ見れば悪くない。

無駄な廊下がなくなるし、廊下に面した住戸の

壁面がなくなり、全戸三面開放になる。

しかし、いかにも素人の図面で

一階が全く成り立っていない。

道路から階段までどうやっていくのか訊くと、

『階段の下を・・・』とかいっている。

そんな頭を打つようなところ、行けるか。

 

1階の階段から道路側のスペースは住戸として

使えないし階段の両側で建物が二つに別れるから、

私の案で6本だった柱が8本になる。

基礎も杭も同じだ。

不経済この上ない。

 

私が一通りそういうことを説明して、苦り切った

顔をしていると、

『駄目ですか?』と下から見上げるように訊いてくる。

 

私に泣きついても仕方ないと思うが、

ここで悪魔が囁いた。

『恩を売っておくか。』

プランを変更することになった。

こんな提案、却下するべきだった。

これは、私のミスでもある。

 

もちろん柱が増える分、メンバーを小さくして

鉄骨量がむやみに大きくならないように留意したが。

 

 

この変更と、その他二つの理由によって、

着工はずるずるとずれ込んだ。

ひとつは構造設計と設備設計の協力事務所の確保。

もうひとつが施工会社の確保。

 

 

 

 

ここまでが、一昨年の夏のK氏との出会いから

去年の春までの様子。

 

 

K氏の奥さんは、なにしろ細かい人だから、

住戸の1/100のプランを山羊が下痢を起こす勢いで書き、

一般図、詳細図、申請図、むりょ百数十枚を

2ヶ月ほどで調え、後は果てしない修正。

早く決めてくれ。

図面は施工会社に見積もりを頼むためにも必要

だから、本当に急いで描いた。

 

 

このとき、K氏に強く求めたのが早急に

施工会社を決めてほしい、ということ。

今回の計画では、隣地境界との離隔距離など、

K氏からの要求で、かなりぎりぎりの寸法に

なっていた。

描くには描いたが『施工会社との打ち合わせ次第で

変更しますよ。』と、伝えてある。

 

なにぶん小さな建物だから、販売面積を

ちょっとでも増やそうとして、隣地との余地とか

バルコニーなんかをケチリ倒すのだ。

設計者として毅然として断らんかい、と

思うだろうが、言うこと聞かないんだもん。

あの夫婦。

 

計画段階ならば、変更するのは構わないのだ。

しかし、実施、申請図面がどんどん出来ていくなかで、

ペンディングの項目をたくさん残したままにしているのは、

将来の手戻りの手間を増やすだけだ。

 

小さな建物とはいえ、百枚以上の図面の作図

施主、検査機関、協力事務所との打ち合わせ、

そして果てしない修正。

 

その上で、いまはまだ決まってもいない

施工サイドとの間で、工法、コストの

打合わせを残していたら、いつ終わるかわからない。

意匠だけではない。すでに構造も設備も動き出している。

構造、設備設計の協力事務所の費用を

負担しているのは私なのである。

 

ふざけるな。

 

 

 

K氏に対して、悲鳴をあげた。

 

 

 

施工会社を探すのは、私も協力した。

図面の説明や、地盤、基礎工法の説明などだ。

なるべく早く、という思いは強かったから、

計画がスタートした、一昨年の秋から

阪神間の工務店を、K氏と一緒にずいぶん回った。

 

 

決まらない。

 

 

体も次第に壊れた。

一昨年の夏の計画スタートから、入院こそしなかったが

次第に腹水が出て体が重くなり、去年の4月に

母が死んだ時には、あらゆるスーツに腹が納まらず

焼香の時にふらついてぶっ倒れかけた。 

 

5月に入って

『確認申請出しますよ。もうすぐ着工できまっせ。』

とつたえた。

 

意匠、構造、設備の設計が完了し協力事務所に

支払いをしてやらないといけないのだ。

確認を取って、2回目の支払いをしてもらわないと、

着手金だけでは、弊社の資金がショートしてしまう。

 

 

K氏の方からも、7月着工、とか言ってきている。

こんなことになったのは、

お前のせいだ。お前のっ。

 

 

そしてようやく、

『大阪の工務店にTという人がいる。

話はしてあるから連絡してくれ。』と

言ってきた。

 

立ち会って紹介してくれる訳ではないのである。

つくづく失礼な男である。

 

 

 

そうはいっても時間がない。T氏に電話する。

電話の時点では私は、T氏とK氏は契約、までは

行っていなくても、今回の工事の請負について

基本的に合意している、と思っている。

 

ところがどうも様子がおかしい。話か通じない。

そこで『神戸のKという人を知っているか?』

と、訊くと『知っている。』という。

 

ここで気付くべきだったのだ。

K氏は、私があんまりうるさいもんだから、かつて

付き合いがあったT氏に

『設計のやつがうるさいから話だけでも

聞いてやってくれ。』と頼んだのだ、と。

 

 

こっちはそうは思っていない。電話する前に

話をスムースに進めるために、延べ数十枚の

図面をPDFに焼いてメールで送っている。

 

『それを見てくれたか?』と訊くと、

『見てない。』という。

この野郎、と思ったがグッとこらえて、

『一度会って打合せしたい。』と申し入れた。

ところが『あさってから一ヶ月東京出張だ』という。

 

 

切れた。

 

 

私は切れると相当に乱暴な口を利くらしい。

この時も、怒鳴りあげたそうだ。

 

しばらくして、正気を取り戻すと、T氏に

『東京から帰ったら連絡をくれ。』と言って

電話を切った。

 

ところがTの野郎、

まっすぐにK夫妻に電話した。

『あんな怖い設計の先生とは付き合えない。』

 

 

すぐにK夫妻から苦情が入った。

理不尽だが、もう確認が下りるのだ。

ここで施工業者に逃げられたらたまらない。

 

彼が東京から帰ってきた6月、K妻の立ち会いの元で

T氏と会うことになった。

場所は大阪の京橋。当時T氏が持っていた

現場のそばの喫茶店だそうである。

 

 

当日のメンバーは、施工側がT氏ともう一人、

もう一方は私一人。立ち会い人がK嫁である。

名刺交換もして、私から電話での非礼を詫びた。

釈然としないがこの時点ではT氏が悪くないことは

理解している。頭を下げた。

気の弱そうな兄ちゃんだった。

K嫁が第三者然と、仲裁者づらしているのが腹が立つ。

 

手打ちが終わるとすることはない。

みんな昼飯を食い出した。

私は食欲がないから、アイスコーヒーをすすった。

 

盛り上がらない昼食会が終わると、

『これからよろしく』と言い合って席を立った。

 

私も席をたつと、目の前が冥くなってぶっ倒れた。

 

 

 

食道の静脈瘤が破裂した。

 

 

 

すぐに目が覚めて

『タクシーを呼んでくれたら一人で帰れる。』

と言ったが、呼ばれたのは救急車だったので、

運ばれたのは中津の済生会病院だった。

2週間、済生会病院に入院した。

 

退院するとき、

救急搬送されて来たおれの、静脈瘤破裂の

破孔を塞ぐ様子を見せてもらったのだが、

ぴゅーぴゅー血が出ていたので、うん、死ぬね。

こえー

 

 

 

 

やっと退院して確認の審査を続け、もうすぐ

確認が下りるという段階まで来た。

ところが、ようやく現地に縄張りに入ったT氏が

『こんな施工余地じゃ工事はできない』と

いまさらのように言い出した。

 

しかも、北側隣地の越境部分はそのままだ。

k氏を問い詰めると

『越境部分を直せるなんて言ってません。』

 

なに?

 

『それよりセンセ、越境した現況でも入るよう、

図面を直してくれって

この間言うたじゃないですか』とK妻。

また切れたら、打ち合わせに寄り付かなくなった。

 

7月に、また倒れて救急搬送され、

F先生に穿刺してもらって

そのまま入院。月末に余命宣告。

 

 

あとは、この日記の通り。

 

 

 

 

これが、私が『壊れる直前の話』である。

 

 

 

 

この計画は秋に正式に放棄された。

 

秋に必ず次の計画の話を持ってくる、と

言っていたK夫妻からはあれから連絡がない。

 

『着工』しなかったから、着手金のはした金しか

貰っていない。

 

 

 

 

 

 

 

残り133 

 

  

あの夫婦、七代裔まで祟る。

 

 

 

 

 

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2017年3月26日 (日)

余命1年日記 -65-壊れる直前の話 1           (3月第5週 2017.3.26)

寝てばかりいて暇なのでなので、

『わたしが壊れるまで』の話を空こすしづつしていきます。

(この話は、以前書いた「末期の水」のシリーズです。)

 

もちろん、こんなこっぱずかしい話、

整理して書ける訳がないので、時系列はめちゃくちゃです。

 

『人生五十年』のうちの、ごく一部しか書けないし、書かないし

そもそも毎週は書けません。

 

とても読みにくいと思いますが、たぶん感情を整理して

書くことはできないと思うので、どうか申し訳ない。

どうしてもきれいな文章にしたい人は、

僕が死んだ後に編集してください。

すみません。

 

 

 

 

 

 

ここから本編。

 

まとまった仕事として、最後に請けた仕事は、

一昨年の8月に弊社事務所に架かってきた一本の電話。

余命宣告を受けた、去年の夏の一年位前に、

弊社事務所兼自宅に電話があった。

 

 

『設計の依頼をしたい。』と。

 

 

最初に母が電話をとった。

しかし、なにぶん年寄りなので、仕事の依頼の電話など、

わからない。

おろおろしながら私に電話の子機をもってきた。

しかし電話で話を聞いても要領を得ない。

どうやら、マンションの設計の依頼らしい。

 

建設予定地を見に来ているから、敷地を見ながら説明をしたい。

来てくれ、と。

名刺交換もしないうちにせっかちなことだが、

仕事を選ぶ余裕などないので、指定された店に向かった。

まだ、腹水は溜まっていかったからスーツを着ていった。

 

しばらく待たされて、それらしい人の肩を叩いて、

名刺を出して挨拶した。

彼は『Kです。』と名乗ったが、名刺はくれなかった。

彼とは1年半の付き合いがあったが、ついに最後まで

名刺をくれなかった。

失礼な男だと思った。

背ばかりひょろ長い兄ちゃんだった。

彼との案内で敷地を見に行く。

 

あきれた。

 

狭いのだ。ワンルームとはいえマンションが建つような敷地じゃない。

間口7m50、奥行き15mくらい。敷地面積100㎡ちょっと。

こんなもん戸建ての敷地だ。

 

あきれながら土地を眺めると、更地になっているから

『ここは以前何があったんですか?』と訊くと

『隣のような住宅です。』と右隣の家を指差す。

隣には、木造二階建ての、お世辞にも上等とは言えない家が

敷地ギリギリにピッチリ建っていた。

『しかもこの家、うちの敷地にはみ出てるんですよ。』というから

境界に建っているブロック塀の足元をみてみると、

なるほど、道路に打たれた境界標よりもこちら側に

塀の厚み分くらい10cmほど、はみでている。

 

『どうするんですか?』と訊くと『下げさせますよ。』『着工までに?』

『当たり前ですよ。』と、えらく勢いがいい。

 

 

結論から言うと、彼はこの約束を守れなかった。

敷地の狭さに加えてこの越境問題が、この計画が

不調に終わった理由のひとつとなる。

 

敷地も狭いが隣地もろくなもんじゃない。

今言ったように、北側は越境しているし、西側も、

一軒おいた隣には十階建てのマンションがある。

南側は開けているが駐車場だから、将来は

どうなるかわからない。

東側だけは川を挟んで道路があって幅20mほど

開けている。

狭いなあ。

 

どうもなんだかうらぶれた気分になって、

憮然と辺りを眺めていると、

『どこか座って話をしましょう。』というので 

近所のファミレスにいく。

なんでこんな小さなマンションを作るのか?ということを訊くと

その答えに驚いた。

 

ほとんど自己資金なしで、銀行からの借り入れで

土地を買い、マンションを建てる。

客を募集し満室になったら、収益物件として、

客ごとマンションを売り飛ばしてしまう。

 

不動産会社でそういうことをする所はありそうだが

個人でそんなことをする人がいるとは思わなかった。

しかし、そうであればうまく仕事を繋いでいければ

私も食いつなげる。

やる気の起きる仕事ではないが、ちょっとやって見ようか、

という気になった。

 

しかし?K氏の嗇囑さを甘く見ていたために、

のちのち散々に苦労することになる。

 

 

1DK、30㎡の住宅ということになると、

1フロア2戸しか取れない。

その他の法的条件をカ考えると、5階建てまで建ちそうだ。

道路の奥から2戸の住宅、道路側に直通階段を

設ける、という100人が考えて100人がそうする、

という基本プランを提示した。

 

5階建てなので『EVはどうします?』と訊く。

当然必要だろうが、つけたら1フロア2戸が取れない。

そこまで説明すると、K氏は2秒考えて、

『じゃあいいですよ。要りません。』

と答えた。

 

こりゃ、相当貧乏臭いものになるな、

と思ったが

その日はそのまま帰った。

 

 

 

 

 

あー、長え。

 

ここで一度切ります。

すぐ続きを書きます。

 

あんまり事態の推移を細かく書くつもりはないのだが

この話を理解してもらうためには、彼のキャラクターに

触れないわけにはいかないので、書きました。 

 

彼が反論出来ない、こうした場で一方的に言うのは

卑怯だとも思うが、この事件の責任を一方的に

押し付けられて病気に追い込まされ、

約束を反古にされたことは、許せない。

 

今日は書けなかったけど、彼の奥さんが

さらに強烈なキャラクターなので、乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

 

残り134 

 

  

いや、期待しなくていい。

 

 

 

 

 

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2017年3月22日 (水)

余命1年日記 -64-いつまで生きられるのか。    (3月第4週2017 3.22)

今回入院する際、F先生に今回の症状を説明するときに、

『去年の6月、余命宣告を受けた時のような』

という説明をした。

先生も、あの時の私のへろへろっぷりは、

覚えていてくれた。

 

しばらくいまの病状の話をして、あらためて

『あの時の「あと、一年。」という宣告は

まだ、有効か?』と、聞いてみた。

 

F先生は『有効?』、と笑いながら、

『去年の7月に救急で来られたときはひどかった。

腹水で固くなった腹から、穿刺と利尿剤で

なんとか水を抜こうとするんだけど、

今度は腎臓が悪くなる。利尿剤をやめると、

穿刺だけでは腹水が抜ききれない。

 

とにかくたくさん水がでる。こんな具合で腹水や

体調が制御できなくなったら、「あと1年」と

言ったわけです。』

 

『実際、その時の状態はその後しばらく続いて

その時は9月末まで入院していたし、

その後も断続的に入退院が続いた。

しかし、その後は今回また入院するにしても

腹水の具合が制御できる範囲内にあるような気がします。

このままうまくバランスがとれれば1年を越えて

行けるような気がしています。』

 

 

うん、僕も最近そんな気がしていたんだ。

 

この『余命○年、○ヶ月』という表現を使う病気は

ほかにもあってガンもある。というかそっちが代表だ。

ガンという病気は進行性である。

死の淵に向けて進んでいく。

そのスピードは様々で、活動してるんだかしてないんだか

何十年も腹のなかにある奴がある。

かと思うと、おや、と思って罹患に気がついてから

一月ほどで命に関わるほど成長が早いやつもある。

余命というのは、そうしたガンの力が

生命力と体力を食らいつくす時間ということだ。

進行性の病気が生命を占領する過程、である。

ガンの場合、なにが「進行」するか、というと

健康な細胞が変異した腫瘍、ということなる。

 

 肝硬変でも肝臓は次第に固くなっていくわけだから、

「進行」と言えば進行だ。しかも、抗がん剤や

放射線で腫瘍の成長が止まったり縮退することが

あるガン細胞に対して、縮んでしまった肝臓は

もとに戻ることはない。 

不可逆性の進行だ。

 

もっとも腫瘍の大きさが、病状にストレートに

対応するガンに対して、肝硬変は肝臓での細胞の状態を

直接反映しない。

肝臓が固く、大きくなって本来の細胞が

死んでいたら病気としては悪い。

しかしだからと言って、固きゃ固いほど悪いか、

というとそんなに単純でもない。

肝硬変は死に絶えていく細胞の数が

病状にダイレクトに反映するわけではない。

病状を決めるのは、腹水や静脈瘤等の合併症だ。

名医F先生が危うく匙を投げ掛けたのも、この

難治性腹水というやつだった。

 

今回の入院も腹水が原因だから、危機は続いている。

しかし、一応『期限』は外れた、と考えていいらしい。

 

 

 

そうなればそうなったでいろいろ悩ましいんだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

残り138日

 

 

このカウンターは残しておきます。

 

 

 

 

 

 

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2017年3月19日 (日)

余命1年日記 -63-ひさしぶりに穿刺         (3月第4週 2017. 3.19)

入院の翌日、3月14日の朝、

F先生が回診にやって来た。

 

『おはようございます。』

『おはようございます。気分はどうですか』

『まだ、気分が悪いです。』

と、ここで先生が唐突に、 

『今日穿刺しましょう』

は?なに、『帰りにスタバ行こう』みたいな

ノリで穿刺とか言ってんの?

痛いのに。

 

 

『だいぶ腹水が溜まっているから、入院後

なるべく早い時期に抜いた方がいいです。』

うー、久しぶりだ。

 

『あとで迎えに来ますよ。』と

F先生が出ていく。

早速した準備を始める看護師が、

『あれって痛いんでしょう。』と訊くから、

『痛いよう。腹の皮膚に直接針刺すんだぜ?』

『ふーん、麻酔しても?』

『麻酔。あんの?』

『あるはずですよ。』

『あるんだったら、使うように先生に言ってよ。』

『はあ。』

 

麻酔があるんだったら、

どうして使ってくれなかったんだろう。

意地悪されたんだろうか。

くすん。

 

 

 

昼少し前に、F先生がやって来て、

すぐに出ていった。

入れ違いに看護師がきて、

『狭いから、場所を移る。』と

いま、私がいるのは6人部屋。

以前、ヘルニアで入院して時の部屋と同じタイプだ。

ちなみにその部屋は、私がいる部屋の

ひとつ隣にある。

 

おや?と、思ったあなたは鋭い。

いま私は、内科患者の癖に外科病棟に間借り

させてもらっているのでした。

 

 

 

確かに広い部屋に移って先生が準備をする。

少しかかるから暇だな、と思うと携帯がない。

 

そうか、いつもの部屋ではないから

なにも持ってこなかったのだ。

そこで、看護師に頼んで持ってきてもらうことにした。

彼女は、私の携帯と一緒にワンセグももってきた。

 

このとき、私が『ワンセグはいらない』と

返せばよかったのだ。

ところが受け取ってしまった。

これがいけなかった。

 

 

 

消毒が始まる。久しぶりだ。緊張する。

そうしてしばらくすると、穿刺する場所の

辺りでチクリチクリという感じがする。

ん?

『麻酔ですか?』

『麻酔です?』

やった。あの看護師、ちゃんと言ってくれたんだ。

さあて、いよいよ穿刺だ。

あの、熱い棒をねじりこまれるような感じを待つ。

・・・

・・・

あれ?痛くない。

いや、痛いことは十分痛いんだ。

でも、麻酔がないときと比べたら半分以下ただ。

 

すごい。

すごい。すごい。

みんな。

穿刺が痛くないんだぜ。

 

これがどんなにすごいことか、というのは、

8月5日のこの日記『2.穿刺とは。』を見てくれ。

 

 

 

これからドレーンを固定したり、

いろいろ下準備があって、5分くらいすると

F先生が『すごい勢い出ていってますよ。』

と言う。

『これなら意外に早くおわるでしょう。』と言って

部屋を出ていった。

 

 

 

ふむ、これでしばらく寝ているだけだ。

しかし、仰向けのまま画面を見るために機械を

持っているとどうしても体を傾けてしまう。

特にワンセグはそうだ。

 

そんなことをしばらくやっていた。

様子を見に来たF先生がやがて、しばらくドレーン管を

調べて、差し込み部を調べて、『中止しましょう。』

と言う。

『は?』

『液が流れていません。』

『は?』

『管が抜けてしまいました。』

『は?』

『そんな風に体を傾けないと駄目ですか?』

『あっ』

おれのせいか・・・

『・・・腰が痛くて・・・』

 

 

管を抜いて、傷口まわりの処理を終わると

『とにかく今日は終わりです。』と言って

機械の方の方付けに入ったから、その背中に

『すいませんでした。』と言うと、顔をあげずに

『ああ』と言った。

そのまま三連休に入ったからそれきりだ。

 

はあ

 

しまったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

残り141日

 

 

こわいなあ。

 

 

 

 

 

 

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2017年3月17日 (金)

余命1年日記 -62-また 腹水、また入院      (3月第3週 2017. 3.16)

前回、「腹水が出ているのかも、」怯えていた

腹の膨らみはやっぱり結局、腹水でした。

 

 

遅刻して病気に行き、長いこと待たされて

血液検査と検尿をやった。

この検査の結果がでるまでが長いので

廊下のベンチで待つのだが、

これも長いこと待たされるので、

待ちきれないから、空いたベンチを探して

横になってしまう。

F先生に起こされて、診察。

 

診察室に入ると、

やや厳しい顔つきになった先生が

血液検査の果を説明してくれる。

『今回の血液検査の結果がよくない。

肝臓の数値が高くて、

腎臓の数値が低くて異常です。

Naが少なくて血小板も少なくて、

ほかにもいろいろおかしいから、

もうあんた、入院しなさい。』

ひどい言われようである。

怒ったような口調だった。

 

今回は、前回までの『入院しますか?』という

聞き方ではなく『入院しなさい。』という

強い口調だった。

 

その前にCTとレントゲンを撮ってこい、と

言われた。

これも長いこと待たされたから、

やっぱり寝ながら待った。

 

呼ばれて診察室に入ると、モニターを見ながら

先生は今度は『大分腹水が出ています。

一月前にはなかった腹水が、二週間前に

すこしでるようになって、

今回は穿刺の必要があるくらい出ています。』

こっちの内容もひどい。

 

いままでは、『いっぺん帰宅してから

帰ってきてもいいですが。』と言ってくれたが

この日はあんまりしんどかったので、

『いまから入院します』と、答えた。

 

すぐに、病室を用意してくれたから、

部屋に案内されると倒れるように寝た。

 

 

 

いま、寝ながらこれを書いてます。

 

 

あー、しんど。と

 

 

 

 

 

残り144日 

 

  

明日は、穿刺。 

 

 

 

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2017年3月13日 (月)

余命1年日記 -61- 腹水?            (3月第2週 2017. 3.13)

先週、金曜日ぐらいからもりもりと腹が膨れだした。 

腹が張る。

 

立ち上がるのに苦労する。

体の前屈ができない。

だから、靴下がはけない。

靴がはけない。

外を歩くと息があがる。

 

 

いつか見た症状だ。

さては腹水か?

 

 

去年の秋に撮ったCTで『腹水がなくなりました』

と言われていたのでうれしくて安心していたのに、

また穿刺をやるのか?

 

うー、やだなー。

 

 

 

 

従っていまは、さらに眠る日々を過ごしております。

最近は大阪はおろか、元町はもとより、

摂津本山駅も遠い。

そんなところまで行ったら、帰りはタクシーになるからだ。

せいぜい近所のファミリーマートか、喫茶店くらい。

こまったね。

 

なにしろ摂津本山の駅前のロータリーにいる

タクシーに乗ると、

マンション名を言うだけで、連れていってくれるのだ。

私の案内などいらない。

よほど有名な客になってしまったらしい。 

 

情けない。

 

 

 

まあ、穿刺生活に戻ってしまうのかどうかの

審判は今週木曜日のF先生の診察で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1; font-size: 16.12px;">残り147日

 

 

いっぱい行きたいところがあるんだけどなー。

 

 

 

 

 

 

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2017年3月11日 (土)

余命1年日記 -60- 寝てます。            (3月第2週 2017. 3.11)

6日も空いてしまいました。

 

寝てます。

眠っても眠っても眠い。

今週はよく寝る。

一日12時間以上寝てる。

脳みそが溶けそうだ。

 

あー、時間がもったいない。

 

 

 

 

でも、寝ている方が圧倒的に楽だ。

当たり前か。

座っているのが辛いんですよ。

 

従って、目の前にデスクトップパソコンがあるのに、

寝転んで携帯ばかりもてあそんでいる。

薬を服んで、安静にしているんなら入院しているのと変わらない。

さぞや体調が改善したか、というと、そんな気もするが

そうじゃないような気もする。

 

腹が張るんだよなー。

また腹水が溜まってきたかな。

 

 

 

 

朝が早くなった。

以前は、朝の6時頃は真っ暗だったのが、

いまはすっきりと明るい。

 

夜明け前が一番寒いので、この時間に眼が覚める。

目覚ましに近くのコンビニにいって、イートインで

コーヒーを飲む。

 

 

うーん、優雅だ。

 

 

帰ってまた寝るんだけどな。

 

 

 

 

 

 

残り149日

 

 

今度はもっとちゃんと書きます。

 

 
 
 
 

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2017年3月10日 (金)

余命1年日記 -60- 有馬 六甲山            (3月第2週 2017. 3.5)

3月3日に、高校時代の友人のM君が神戸にきてくれた。

神戸で学会が行われるので、来てくれたそうだ。

M君は医者で学者だ。

なるほど。いそがしそうだ。

ありがとう。

 

レンタカーでうちまで来てくれたので、

交通手段を選ぶ枷が外れた。

 

どこに行こう、ことになった時に

彼が送ってきたメールに『有馬にいきたい。』

とあったのを思い出した。

『なぜ有馬?』と思ったが、

私も特に希望もないから、行くことにした。

 

有馬道をのぼって有馬に行く。

うわー、なつかしい。

この辺り、有馬道の入口の平野(ひらの)にある、

天王温泉や湊山温泉、菊水山など、独身時代

しょっちゅう来ていたのだ。

 

車を手放して絶えて来ることがなくなっていたからなつかしい。

有馬温泉に着く。

学生のころからある、不思議なピロティの有料駐車場に

車を停める。

そこから、有馬の温泉会館に行く。

650円。

 

実を言うと、この辺りの地形を歩くのが辛かった。

駐車場から温泉会館に行くのも結構な坂道だ。

昔はほいほい上った坂道が、今は苦しい。

 

温泉会館は建て替えられていた。

それはいいのだが金泉と銀泉が別の建物で、

料金も別というのは残念だ。

昔は、浴槽を分けてこの温泉会館の風呂場で

どちらにも入れたのに。

身体が異様に変質しているから恥ずかしかったが、

誰も気にしている人がいなかったのは助かった。

金泉は鉄を含んでいるので赤茶色だから、

入ってしまえば首から下は見えないということもある。

 

風呂は気持ちよかった。

さて、つぎはどこへ行こう。となって、

有馬から近い六甲山に行こう、となった。

このあたりは私が何百へんとなく走ったところなのだが

やっぱり忘れているのでカーナビ君の言うがままに走って、

ケーブルカーの山上駅のとなりの、展望台に行った。

 

その時の夜景がこれ。

 

Kimg0134_2

 

 

 
 
 
 

われわれがついた頃には、そんなに人がいなかったのに、

こんな夜景ができてきた頃には、人で一杯だった。

たぶん、中国か、台湾か、韓国の人なんだろう。

言葉が違う。

この写真も人がとぎれてから撮った。

あいかわらずピンが甘いけど。

 
 

7時過ぎにうちのマンションまで送ってくれた。

約束の時間はいいのか、と思ったが

『血液検査の結果を見てやる。』と、

言ってくれたので、

部屋に戻って昨日K病院で採った検査結果を取ってきて

見てもらった。

 

結果を言うと、M先生の診立ては、

『いい数字じゃないけど、言うほど悪くはない。』とのこと。

 

希望をもっていいんでしょうか、先生。

 
 

これから、検査をしたら彼にも結果を見て貰おう。

知り合いに医者がいる、ということはありがたい。

 
 
 
 
 

まあ、いいや。

ありがとう。M君。

 

車を手放してずいぶんになるから、

有馬も六甲も久しぶりだった。

楽しかった。

 
 

ありがとう。

 

 

 

 

残り150日

 

 

また、べたべたな観光をしてしまった。

 

 
 
 
 

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2017年3月 3日 (金)

余命1年日記 -60- 入院回避            (3月第1週 2017.3.3)

今日(3月2日)K病院にいった。

 

先週2月25日、『来週もっと具合が悪かったら
入院ですよ。』と言われたことの結果が出る日である。
 
したがって、万が一入院、という時のために、
一応携帯の充電ケーブルやコンタクトのケースなど、
最低限の身の回りの物を持っていくことにした。
どんどん『入院馴れ』していく自分が哀しい。
 
 
 
結果としては、血液検査の数値はちょっとだが
改善したらしい。
F先生も、先週ほど強くは入院を勧めず、
『この数値でもしんどいでしょう。入院した方がいいけど、どうします?』という聞き方をしてくれた。
だから、『今回は、もう少し様子を見させてください。』
というと、
『わかりました。』と言ってくれた。
 
 
あと、今回入院しても年末年始の入院のように
おそらくなにもしないだろうな、ということが
容易に予想がついたからだ。
点滴、検査、診察くらいはあるだろうが、
あとは薬を服んで寝ているだけ。
内科の場合、『様子を見ましょう。』の最低単位が
2週間だったりするから、
その期間ベッドに縛りつけられることになる。
 
これじゃあいくらなんでもお金と時間の無駄遣いだ。
もちろん入院すれば病状がよくなることはわかりきっている。
それにしたって、我が家の経済と、私の寿命に対する挑戦だ。
 
 
だから、断った。
まあ、一日中寝ていれば入院と変わらないんだけどな。
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし、まあ。病気に関して審判を受ける日々は変わらない。
つぎはいったい何があるんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

残り152日 

 

  

でも、入院したとしたら、3月3日

雛祭りのディナーメニューが気になる。

 
 

 

 

    

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雛あられとか甘酒が出るのかな。

 

酒は出ないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年3月 2日 (木)

余命1年日記 -59- 講習会             (3月第1週 2017.3.2)

以前書いた、一級建築士の定期講習会にいった。

2月28日のこと。

 

朝の9時30分から夕方の5時40分まで拘束するという、

結構ハードなスケジュール。

会社勤めを止めて随分になるから

同じ姿勢で長時間座っているのがつらいわ。

 

建築基準法、建築士法その他法令について

最新の改正事例などを講義してくれる。

 

ふむ、

たまにはこういう話を聞くのもいいな。

世間から遠くなって、そういうことから縁遠くなっていたからな。

 

『講習』と言っても、講師が演台に立つのではなくビデオ講習。

でも、この講師の先生がすごかった。

1限あたり50分の時間で、大体テキスト80ページくらいの内容を

読んで、解説するのだが、これがぴったりの時間に終わる。

ふーん

何回も撮り直しがあったんだろうな。

すげえ。

 

講習が終わると試験がある。

で、

これが実は難しかった。

こういう講習の後におまけのようについてくる試験って

テキストの順番に出題されていて

テキストの中身をなぞればいい、というのが大半で、

うん、まあそういう問題もあったんだけど

1/3くらいがそうじゃなかった。

時間が足らなくなって焦ったぜ。

 

講義が終わったら日が暮れていて、

久しぶりにラッシュの電車に乗って帰ってきました。

帰ったらすぐに寝た。

疲れた。

あー、俺もう社会復帰できないわ。

 

 

でも、試験に自信がないぞ。

落ちたらもう一回受けるのかー。

 

 

 

 

 

残り153日 

 

  

結果通知は、もうすぐ。



 

 

 

   

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