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2017年4月 1日 (土)

余命1年日記 -66- 再び静脈瘤破裂の日々       (2017.3.31)

28日に内科を退院した。

この日は早く起きて、昼前にはうちに帰った。

荷物をおいて、いつものように喫茶店にいった。

29日も同じような生活。

しんどいのだ。遠出ができない。

しかし、まだ寝込むほどのことはない。

 

 

様子が変わったのが明けて30日朝。

コンビニに行って帰ってきて、

6時くらいから猛烈に気分が悪くなった。

ときどき吐き気が上がってくる。

 

実際吐くべきものが来ていたのだが2度ほど

飲み込んでしまった。

 

寝ているとま楽なので仰向けになっていると、

不意に込み上げてきて寝たまま吐いてしまった。

顔の上に広がった、自分の吐瀉物を見て驚いた。

 

紫色なのだ。 

血の入った粘液だ。

 

 

鮮やかさも明るさもない、鈍く暗い紫。

血、なんだろうな。と思うけど、

そう言い切るのを躊躇する 紫。

 

 

静脈瘤破裂である。

 

 

顔に吐いたあとは、ゴミ箱に大量に吐いた。

だから、トータルの吐いた量がわかった。

1L弱。

8時くらいから気持ち悪さがひどくなって、

10時ごろからピーク。

 

おまけに血を吐くんだから、徹底的な貧血になる。

地べたに横になればましだが、

立ち上がると、その姿勢のすまま動けない。

 

すごい貧血だから、

洗面に行って顔色を見ようと思ったら

目の前が真っ白になってふらついた。

洗面ボウルに掴まろうと思ったら、

掴めなくて真後ろにこけた。

 

しかも、時間が経つとさらに立てなくなる。

 

よこになった状態から四つん這いになって、でも

立てなかったとき、真剣に『まずい』と思った。

 

 

11時ごろに派手に吐くと、親父に

『救急車を呼んでくれ』と頼んだ。

吐いた量だけでいうと、ごみ箱に出た分だけ

でもペットボトル3本くらい出た。

 

『救急車って何番だよう。』ボケているじいさんを

怒鳴りあげて10分以上かかって救急車を呼んだ。

わたしは、というとゴミ箱を抱えて紫色の液体を

吐きながら、とても起きられない。

 

 

救急車が来た。なかでも吐きながらK病院に行く。

 

ストレッチャーに乗せられて救急処置室に

入ると、F先生がいる。

木曜日は外来の診察日のはずだが・・・

 

改めて診断するまでもなく、当たり前のように

静脈瘤破裂の処置が始まる。

F先生も何時もよりもきびしい顔つきで

検査の指示を出す。

 

ところが、平日の診療時間だから、心電図や

胃カメラが、順番待ちになってしまった。

胃カメラは静脈瘤と出血箇所を確認し、

止血するめに決定的に必要だ。

F先生が、いらいらしている。

 

対してこちらは果てしなくきもちわるい。

膿盆を抱えてうなっていた。ときどき吐いた。

私も胃カメラを待たされるのはつらい。

 

結局、先に病室に行って少しの間待たされた。

呼ばれて胃カメラ検査室に行く。

胃カメラのモニターの横に寝ると、

壁に大きな時計があって午後3時だった。

 

胃カメラの操作はF先生とは違う先生。

スプレーで麻酔薬を吹き付ける。

ライトとカメラがついた固いケーブルを

喉の奥に差し込むから、思いきりえづく。

 

食道から胃の上面まで丁寧に見ていく。

もっともカメラのモニターは、患者からは見えない。

 

それでも、先生が

『あー、こっから出てるねー。』

『あー、こっちにもいっぱいあるね。』

なんていうふうに、実況してくれる。

 

『じゃあ、止血しましょうか。』というと、

狙いを定めて『行きますよ。』と、緊張する間もなく、

『はい、止まりました。』

その間、およそ3秒。早い。

 

『じゃあ、ほかにも危なそうな所を

止血しておきましょうか。』

 

正直、横になっていてもしんどかったから

血が止まったんなら,もうやめてほしかったが

これはやってよかった。

 

どうやって出血しているのを止めるのか、というと、

瘤の回りに輪ゴムを掛けて締める。

これで血が止まる。

血が出ていない瘤も、危なそうだとこれも締めておく。

瘤なんだから輪ゴムが引っ掛かる、という

ことらしい。

 

今回は、出血箇所1箇所、危なそうな所6箇所を締めた。

静脈瘤をひととおり締めると4時30分だった。

 

 

 

静脈瘤というのは、

静脈に無理矢理入り込んできた血流による血管のこぶ。

 

腹水によって門脈圧が亢進してしまうと、

消化菅から肝臓に栄養が行かなくなる。

消化菅から肝臓への血流を確保するために

門脈以外のところ、食堂や胃などの他の臓器の血管に

これをこじ開けるために大量の血液が流れる。

これによってできるのが静脈瘤。

その部分の血管は薄くなっているから、

これが破けると静脈瘤破裂。

 

肝硬変の、典型的な合併症のひとつである。

 

 

私は、去年の夏、K氏T氏とおこなった最低の

打ち合わせのときにこれになって以来二度目だ。

 

痛くはないんだよな。ただ今回はむやみと気持ち悪い。

 

 

 

 

ただ施術中、こんなのんきなことを考えていたのは

私だけだった。

事態はもっと容易ならざるものだったのである。

ということを、終わってからF先生の話から

知ることになる。

 

 

施術が終わってF先生が、出血箇所1箇所、

危なそうな所6箇所を締めたことを教えてくれる。 

 

 

そうして恐ろしいことを言いだした。

 

『今回は、体の血液全体の4分の1くらいが出ました。』

『・・・そんなに?』

『入院前の最高血圧は120。いまが100いかないですから、

そのくらいでしょう。』

恐ろしい。

血液の3分の1が失なわれると、

意識障害をおこすひとがあらわれ、

2分の1が失なわれると死ぬんだそうである。

 

4分の1・・・ 

 

ちなみに『血液の4分の1』というのはどれだけか、 

というと、体重の13分の1が血液。

私の体重は80kgだから、血液は6kg。

今日外に出たのは、4分の1だから1.5kg。 

 

生き血1.5kg・・・

 

これを聞いたとき、手触りをもって『死』を感じた。

 

 

 

しかも今回、出血箇所が1箇出血所だから、

なんとかなったが

これが複数あったら、やはり死んでいただろう、と

 

そうではなくとも、整復しにくい場所、例えば

狭い食道のなかで大出血してたら、

胃カメラの視野がなくなって

静脈瘤が見えないから直せない。

今回、食道が胃に出るところで、

多少見えたから助かった。という。

 

 

正直、危なかったのだ。

 

 

 

 

 

胃カメラ室を出て手術後の人が安静にしているための

観察室というところに移る。

 

そうして身体中に、

血圧、酸素濃度、心電図、点滴、脈拍、などの

くだに繋がれて寝る。

生まれてはじめて輸血をする。

280g 2単位 560g。出た血液が1.5kgだから、多いか少ないか。

いや、多いな。

 

 

出血は止めたが、ひどく気持ち悪い。 

まだ静脈瘤からでた血液が残っているので

それを幾度となく吐く。

 

そんなことを、半日続けた。

でもいまも、

今週いっぱい断食。水も飲めない。

立ち上がろうとするとひどく身体が重い。

とても、まだあるけない。

 

術後10時間経って、吐き気こそなくなったが

まだとてもだめだ。

 

これからしばらく安静生活だなあ。

 

 

 

 

 

 

 

残り129 

 

  

死の淵を見た。

 

 
 
 
 

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