余命1年日記 -81- 悪循環 2017年7月第3週(2017.7.14)
6月後半から7月上旬までしんどかったです。
体もつらかったが、気持ちがついて
いかなかったです。
別に深刻な病状に進んだわけでもないのに、
何を辛そうな顔をしていたんだろう。
しかしなにか、この
追いかけられるような心持ちがして、あまり
詳しくは言いたくないけど、
夜明けの4時頃に街を歩き回ったりした。
理由のひとつは、将来に対する不安だ。
焦っているんだろうな。
去年の夏に『あと1年』といわれて書き始めた
この日記の毎回の末尾にあるカウンターは
残り30日を切った。
このまま平然と『1年ライン』を踏み越えて
いくと思う。
もっとも1年前、F先生が重々しく余命宣告を
したときは、いくら穿刺しても大量に利尿剤
を投与しても腹水がすぐにたまってしまうから
F先生が泣きをいれたのだ。
いまではなんとなくこの人のキャラクターが
理解できるようになったから、
先生のあのときの気持ちがわかるが、
一般論としても、救急で入院して
2ヶ月目くらいで主治医に『あんた死にます』
って言われたらびびるぜ?
しかしF先生の頑張りによって、
冬くらいには腹水を薬でコントロールできる
ようになった。
春になると『1年以上いきますよ』といって
くれるようになった。
もちろんいまでも水は出る。
今回の入院もそうだ。
そのほか肝硬変の合併症である静脈瘤破裂を
2回やっている。
数えたわけではないが、この一年間では
退院している期間より
入院している期間の方が長い。
しかし意外と人間、しぶといぜ?
だから焦るのだ。
なにかしないといけない。
しかし、仕事は去年の秋にあのK氏の屑仕事を
切ってから、ある程度継続するような仕事は
請けていない。
そりゃそうだろう。毎月入院する男に仕事を
依頼するやつはいない。
いまは、単発の図面修正などをするくらいだ。
どうしよう、おまんまが食えるのか?
父親だって86歳で歩くのがしんどいと
言うんだから、最悪乱雑な部屋で
『二人で孤独死』ということがあり得るのだ。
悲観的に過ぎるか?
でも私は、自分の運の強さを
全く信じていない。
運命の神様に誉めてもらったことが
一度もない。
さらに、カウンターが0になること自体には
大した意味はない。
しかし、0になったからといってはつらつに
元気になるはずはない。
おそらくは、いまと同じように
『退院しちゃあまた入院して』ということを
繰り返すはずだ。
そのサイクルは、永遠に同じ調子で
繰り返されるはずはなく、次第に弱っていく。
実際、今回の入院では肝臓や腎臓の回復に
時間がかかった。
F先生は『生き残っている肝臓の部分が
ダメージを受けて弱ってきましたかね。』とか
おっかないことを言う。
『どのくらい生き残ってるんですか』
と訊くと
『定量的なことを調べることはできません』
というから
『じゃあどうやって』とさらに訊くと
『血液検査や肝生検なんかから3段階の指標を
出して(名前聞いたけど忘れた)
肝臓の弱り具合を評価します』だそうだ。
ちなみにいま状態の、私の肝臓のその指標を
出してもらったら
『最低ランク』であった。
ふう
残り24日
あせる。
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