余命1年日記 -100- 退院前の日々 2017年11月第4週( 2017.11. 21)
最近の記録
11月16日 血液検査
11月18日 入浴
父来院 整形外科受診
11月20日 血液検査
11月21日 (いまここ)
退院の日が決まった。
破裂した血管をゴムで締めて血を止め、その後
再出血もないから先週末あたり、
そろそろ退院かな、と思ったら、
例によって肝臓の回復が遅く
22日に血液検査をして問題がなければ
23日の木曜日退院、ということになった。
これも、20日の検査結果でA先生は
退院させてもよさそうな顔で『20日からの
週で退院しましょう。』と言ってくれたが、
もうひとりのS先生が『肝臓の回復が遅い。
あんた来たときヘモグロビンが6g/dlしか
なくて(正常値は13.5~17)死にそうで、実際貧血で
ぶっ倒れて右目の回りを痣で真っ黒にして
いたでしょう。』という。あれは痛かった。
『22日に検査するからそれまで寝てなさい』
と、わが医師団の意見は別れた。
もちろんA先生にしても、自説というほどの
ものを強く主張する訳ではなく、っていうか
治った患者にもう興味はないんだろうな。
回診の時も話題かなくなった。
退院は23日。勤労感謝の日なんだけどね。
患者としての扱いということで言うと、
退院が決まったら、先生に限らず
看護師の皆さんの扱いも軽くなるなー。
食事のトレイは朝まで引いてくれないし、毎回
箸がないし・・・
しかし『検査待ち』ということになった
21日は、のびのびと暇だ。
13階の風呂に入る。
一応、患者なら予約なしで誰でも入れる
大浴場なのだが二人しか入れない。
もっとも他の患者が入っているのを
見たことがない。
風呂から出てすぐ向かいのロビーに行く。
六甲アイランド病院の13階には健診センター
という施設があり、企業の、あるいは個人での
健康診断が受けられる。
企業の健康診断がある時は、人が集中するので
この病院にしては広いロビーがあって、
武骨な長椅子が6脚ある。
私が行った時は、患者というか客は
誰もいなかった。入り口のお姉さんに断って
ロビーに入る。
いい天気だなあ。
『カーテン開けてくださいね』とお姉さんが
開いてくれた景色をみる。
六甲アイランドはマンションばかりで、
私のベッドがある9階でも見張らしは悪いが、
さすがに13階はよく見える。
外は寒いんだろうけど、黄色い午後の陽を
いっぱいに浴びたロビーは暖かい。
退院してうちに帰り、かび臭くて狭い
ユニットバスに入ることを考えると気が滅入る
18日にもこの浴場に入った。
この日、入院の時に頼んだ荷物をもって
親父が来た。いい親だと思うだろう。
ところが9日に頼んで18日に持ってきた。
つまらない用事でも10日がかりなのである。
更にこの男、肩を骨折したのだ。
これも医者にいくのに10日かかった。
こっちは入院をしているから、
ケータイを使って怒鳴りあげてやっとである。
自転車に乗っていてこけたのである。
足腰が利かないから、自転車を使った、と。
な?間違ってるよな?
そんな体で自転車に乗っても転ぶに
決まっているし、踏ん張れないから重大な結果
が待っているに決まっている。
『転ぶ』と言うことに関しては、最近私も
ひどいのだが、やな親子だなあ。
更にこの人、医者にいくのを頑なに拒むのだ。
自転車で転んだあと医者に行くのに
10日かかったように、なぜか嫌がる。
費用を惜しんでのことではない。
ギプスも要らないこんな骨折の処置、
1割負担のあの男には痛くもなんともない。
じつは18日に病院に来たときも
騒ぎがあったのだ。
『右肩を骨折した』というのになにも装けて
いない。『どーした』って訊くと、
『ギプスはしなくていいんだって』と
嬉しそうだ。ギプスはいいけど、なにか腕を
固定するために包帯を胸から巻いたり、せめて
三角巾くらいするだろう、と重ねて訊くと。
『外してうちに置いてきた』という。
この野郎、と思って『ごこで処置して貰え。
ここは病院だぞ』と言うと拒否する。
診察を受けろ、と言ってるんじゃない。
痛くもなんともない。包帯でも三角巾でも
費用だって数百円だ。
それを拒否する。しかも身体を曲げ全身で
『医者は行かないんだー』という。
埒が明かないから最後は少々乱暴な手段を
取った。猫のように首根っこを掴んで、
診察室に連れていった。
こどもだ。
帰りは外来時間外になって、タクシーがおらず
六甲ライナーの駅のそばまで送ってやったが
別れ際、『もう、絶対来ないからな』と
涙を溜めて言い捨てた。
うん、退院するんだけどね。
しんどいから認知症のことは考えたく
ないんだけど
帰ればまた、こいつと一緒に暮らすんだよな。
残り- 119日
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