余命1年日記 -110- 最低の入院 (3月第5週 2018.3.28)
2月 6日 労災病院退院
25日 吐血、下血
26日 救急搬送
六甲アイランド病院入院
処置中に内視鏡を噛んで壊す
3月 8日 K病院転院
26日 個室からいつもの3人部屋に移動
28日 (いまここ)
内視鏡を壊して六甲アイランド病院の先生に
嫌われたために、あそこでの生活は
『ほぼ放置』だった。
ひどいよ?
縁から降りられないくらい高いベッドから
動いちゃいけない、ベッド内完全禁足。
点滴やケーブル、カテーテルに繋がれるのは
仕方ないとしても10日以上そんな生活をした
おかげですっかり脚が萎えてしまった。
立てない。
『寝たきり』とは、
こうしてなっていくのか、と恐怖を覚えた。
したがってK病院に移ると
すぐにリハビリが始まった。
まだ普通に歩けないが、車椅子、歩行器の
段階を経て、なんとか両の脚で立って
歩けるようになった。
まだ距離を歩くのは辛いが大分楽だ。
そして8日にK病院に転院。
飯こそ普通飯に戻ったがまだベッドから
降りられない。腹水だって辛い。
止血は確認したが、途中で転院するというのは
唐突な話で、これも内視鏡を壊したから。
私の『内視鏡噛みきり事件』は知らないうちに
六甲アイランド病院上層部の逆鱗に
触れたらしい。
静脈瘤の止血処置をしていないわけだから、
別の内視鏡で確認してくれ、というと
『あんたみたいな不真面目な患者に』とか
『遊びでやってんじゃないんですよ』とか
あげくは
『酒のんで壊したくせに』と、あり得ないこと
まで言われた。
医者が患者に言う台詞じゃない。
そのうえで『あいつK病院の患者だろう。
追い出してまえ』ということになったらしい。
しかも9日の転院のはずが1日前倒しである。
余程早く追い出したかったらしい。
煽りを受けたK病院が、急な転院要請に
大部屋を用意できなかったおかげで
差額ベッド代なしで個室に入れた。
また、出入り禁止の病院を作ってしまった。
K病院に移るとF先生が来てくれて、今後の
見通しを話してくれる。
静脈瘤の止血はしていないが、転院前に
六甲アイランド病院で撮った映像では、出血は
確認できなかった。しばらく様子を見る。
血液検査の数字も色々悪いので、これも薬で
様子を見る。腹水も大分たまっているので
利尿剤を使う。膝が痛いので整形外科で診る。
尿酸が高くて足首が痛いので痛風だと思うけど
これは少し先に診よう。
あとはリハビリ。
麻痺している下肢を動かして、とにかく立って
歩けるようにする。
困ったのが立ちくらみだけど、これはいい薬が
ないんだよなぁ。
ということでこれはまだペンディング。
こんな風に滑らかに指示された訳ではないが、
長期戦になりそうだ。
さらに次に言われたのが
『退院した後どうするか』ということ。
労災病院の退院から六甲アイランド病院の
入院まで3週間。
こんなにしょっちゅう静脈瘤が破れるなら
近くにいて、非常の時には駆け付けられる人の
ところに行きなさい、と。
先生の念頭にあるのは、千葉の兄の所である。
今回の入院に際しても義姉が『お義父さんと
natsuさんは千葉で見ます』と、病院に
心にもないことを如才なく言いに来たらしい。
父のケアマネージャーとの打ち合わせなど
してくれたが父を見舞いに来させない。
家にいる時のシャツ姿で救急車に乗って
来たからなにも荷物がない。
最低限必要なものをリストアップして親父に
託したが、一週間経って義姉が
初めて来たときに持って来たのは
袋一杯の皮膚科の薬だった。
しかし、俺と親父を引き取ってもメリットは
何もないから『退院したら面倒をみる』という
のを悪意に取るべきではないのかもしれない。
しかし、そうであれば千葉に行ったら
『幽閉』という待遇が待っているだけである。
行動の自由はない。
20年以上神戸に住んで作った仕事や友人から
死ぬまで切り離される。
収入の途が失うから金銭の自由もない。
いまから40年以上前の『ルポ 精神病棟』
という作品を思い出す。入院すると鉄格子の
病棟から出られない。出るときは、
批判能力を失って廃人になった時だけである。
さらに私の場合、廃人になろうと
『退院』はない。
『幽閉』を解かれるのは死ぬ時である。
しかし、困ったのが
親父が急速に衰えてきたことである。
耳が遠いのは前からだが、物忘れが酷い。
話をすると受け答えはまだできるので、
痴呆とは思いたくないが、最近始終不機嫌で
ケアマネージャーさんやヘルパーさんに
腹をたててばかりいる。
こいつさえ健康なら『退院後』のことなど
考えなくてもいいのに。
義姉と一緒に、一番上の姪も来た。
こいつがしばらく黙って枕許に立って、
『あたしがわかりますか』という。
気持ち悪い奴だ。
『これからの会話は録音しますから』という。
この野郎、と思ったが彼女は気にせずに
『じいじを自由にしてあげてください』という
しかし別に俺が強制して、神戸に縛り付けて
いる訳ではない。
『俺は千葉に行かない。
親父が行くかどうかは本人が決めることだ。』
と言っておいた。
すると『あたしたちは千葉から神戸に来るのに
往復5万円かかります。
どうしてくれるんですか』と来た。
知らんがな。
足代付きの見舞いなんて聞いたことがない。
彼女の小さな頭の中では、わたしは
『酒で肝臓の死病に罹り、ばあばやじいじや
あたしたち家族に迷惑をかける最低の穀潰し』
なのである。
困ったことに あながち間違っていない。
『今回は静脈瘤の損傷部分を整復して
いないんだ』と言うと、
『知ってる』と冷たく言い放った。
この野郎。
しかし、つまらない目に会うもんだなあ。
最低の入院だ。
残り- 244日
疲れた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)