« 余命1年日記 -113- 退院 また入院 (5月第2週 2018.5.6) | トップページ | 余命1年日記 -115- できることがない (5月第4週 2018.5.25) »

2018年5月16日 (水)

余命1年日記 -114- 転院の理由 (5月第3週 2018.5.16)

最近の記録

 

5月   3日      静脈瘤破裂

                      六甲アイランド病院  再入院

         8日       六甲アイランド病院  退院

                       K病院  入院

       14日      (いまここ)

 

疲れた。

治療と関係ないことで一日中走り回された。

ややこしい書き方をしているが、

今回もやったことは『転院』。

六甲アイランドからK病院に移ってきました。

 

2日、大雨の日の深夜に静脈瘤が破裂した。

場所は食道ではなく、すこし下りた胃の中。

最初はゴミ箱に入っていたカップラーメンの

カップに吐いたが、

すぐに間に合わなくなってゴミ箱本体に、

咳をする度にえづいて吐いた。

それでも、今回は

『内視鏡でクリップ止めせずに、

前回みたいに自然に治らないか』と

淡い期待をもって唸っていた。

時々は治まったように思えたが、

結局血は止まらず、何十回目かの吐血をして

トイレに行こうと立ち上がったら、

二歩で目の前が真っ暗になって倒れそうに

なったので、諦めて救急車を呼んだ。

 

吐血をして下血して、体中から水が出ていくと

喉が渇く。

しかも今回は病院に行くのを避けようと、

10時間くらい血を上下から出していたから

猛烈に喉が乾いた。

4月に、親父に挨拶に来た二番目の姪と

その婚約者君が買ってきてくれた、

2lのペットボトルが10本ほど入った箱から、

よろけながら2本ほど取り出して空けた。

 

あの二人はあの分量のペットボトルを

どうやって買ってきてくれたんだろう。

婚約者君はずいぶん小さな人だったが

 

体の上下から出ていった水分は6~7lあったと

思うが、そういう事を考えると

純粋に出ていった血液だけなら2~3lか。

わたしの体重が80kg弱だから、

血液の総量は6lくらい。

いずれにしても、そろそろいつ失神しても

おかしくない水準になって来た。

今回は救急車を呼びたくなかったのだが、

いま目の前が急に暗くなって倒れても、

惚けた親父が119してくれる可能性はない。

(実際、今回も129にかけていた)

まだちょっと死にたくないので自分でかけた。

 

しかしこれは、失敗だった。

 

救急車が来て、隊員が受け入れ先の病院を

探してくれる。ところが何度も救急車を頼んだ

おかげで救急隊員はわたしの掛り付けがK病院

であることを覚えており、

『六甲アイランド病院が受け入れるそうです』

という。実はK病院と六甲アイランド病院は、

同じ資本の系列病院なのである。

従って医師も両方で融通しあっているらしい。

内視鏡担当の医師も隔日交代で病院をまわる。

そして、あいにく奇数日に関しては、

内視鏡の救急は六甲アイランドで

受けていたのであった。

 

嫌な予感が当たった。

あそこは前回の入院の際に、

わたしが内視鏡を 噛んで壊して以来、

どうにも敷居が高い。

 

実際、あの事件はわたしの予想以上に病院全体

の怒りを買っていた。

ともかく『あそこは止めてくれ。

K病の系列以外の病院にしてくれ』と頼んだが

『しかし、掛り付け病院がある場合

そこを優先しますから』と救急隊員は頑固だ。

繰り返し頼んだが聞いてくれない。

救急隊員なんて日本一忙しい人だろうから

もう諦めて六甲アイランドに運ばれてきた。

 

六甲アイランド病院での担当は

Oという先生で、前回の医師と違う。

前回の対応よりも露骨な冷たさは減ったが、

それは主治医に関してだけのこと。

病院としては違った。

入院2日目に『神経科の部長』と名乗る年配の

偉そうな医者が回診に来て、

『あなたは、退院するとすぐ戻ってくるね』

と言いに来た。なにをっ?と思って見上げると

『あ、安静にしていれば良くなるからね』

とだけ言って帰って行った。

怖かった。

 

8日の朝に『K病院に移るように』という

指示、というか命令を受けた。

転院についてはO先生も示唆していたし、

前回の憎まれようから、私自身覚悟していたが

施術5日目、未だ傷は癒えず経口食にすら

なっていない。立ち上がるのもおぼつかない。

しかも自腹を切ってタクシーで移動せよ、

と言われたから、さらに冷たい。

へろへろになってK病院に移ってきた。

(後で聞くと「転院の際の自腹タクシー移動」というのは一般的

なのだそうだ。しかしそう考えると、ストレッチャーに乗せられて、

ドクターカーで移動した前回の転院は、さらに異常だったことがわかる。)

 

本館3階の東北の角部屋のベッドに入ると、

朝に東の窓から朝日が、

夕方には夕日が射し込んでくる。

 

いまもそのベッドで、これを書いている。

疲れた。

 

 

 

転院した8日にF先生が来た。

非常に厳しい表情で、

『六甲アイランド病院(以下6I(ロクアイ))からの

手紙を読んだ。

そこにもあったが次回以降、6Iは

あなたの新規受け入れは出来ないそうだ。

理由は以下の通りである、と。

・退院―入院のスパンが短すぎる。

・内視鏡手術や輸血の費用も安くない。

・6Iはもうあなたは治らないとして見限った。

 

ショックだった。

『費用がかかるから受け入れない』なんて

医者の台詞じゃねえな、と思った。

 

さらに、

・再度出血したら輸血、内視鏡手術、いずれの

    手段も採らないということで良いか?

・今年1月にK病院に来た兄夫婦には、

    いかなる処置も無用という、

    極めて薄情な内容で既に了解を貰っている。

      (いままで知らなかった。こんな酷薄な内容に合意しておきながら、

       見舞いに来ていたのか。)

と聞いてくる。

 

この人は何を言っているのか?

いつものF先生が喋っているとは、

どうしても思えない。

 

その日はそこまでで終わった。

当面は通常の静脈瘤破裂の処置をする、と。

 

 

 

 

 

翌9日、10日と話をして、F先生の話の真意や

そうした判断に至った背景が、

なんとなくわかってきた。

 

 

わたしという人間は、

静脈瘤破裂の処置が終わって退院するや

『浴びるように酒を飲んでいる』

不真面目な患者である、と信じられている。

ということらしい。

 

したがって、

・そんな奴には、輸血も内視鏡手術も無駄で

    もったいない。

・六甲アイランドはあなたが出血しても、

    新規受け入れを拒否する。

・あなたはアルコール専門病院に入るべきだ。

これは.、6Iの医者の総意である、と。

 

頭が混乱しながらも、ここまでの内容を

やっと理解した。

つらい。

 

『わたしが現在進行形のalc病患者である、

と6Iが信じる理由はなにか?』と聞くと、

・退院して、再入院するまでの時間が短すぎる

・入院中に静脈瘤破裂を起こしたことはない。

・入院中は、緩やかながら肝臓も回復する。

 

酒臭かったり、血液検査に顕れたりといった

直接の証拠はない。

しかし、退院して生活サイクルや食生活が

不規則になったとしても、

こんなに急には変化しないんじゃないか。

退院したら 酒を飲んでいる、と考える方が

自然だ、と。

 

 

今回、六甲アイランドに入院して内視鏡手術で

処置してもらった日の夜に、嫌な夢を見た。

以下、そのときの夢。

何か資料を集めるために街のあちこちを歩いた

写真も撮った。ずいぶん疲れたが、

そこで自分がしていることは、目的か手段の

どちらかが間違っている、という自覚はあった

事務所に帰ってくると、皆よそよそしい。

デスクの間の通路を通ると、

話しかけてくることは決してないが、

視線と「こいつ、なにしに来た?」という

敵意を感じる。

最初の会社を辞める2週間前の頃の

『身の置き所のない寂しさ』を思い出しながら

自分のデスクに来ると、パソコンだけ残して

自分には関係のない資料が置かれていた。

回りに聞こうと思っても出来なくて、なぜか

電源が入らないパソコンの黒いモニターを

見ながら、その前に立ち尽くした。

 

目が覚めると、いっぱい寝汗をかいていた。

嫌な夢だった。

 

 

退院から再入院までの時間の短さについては、

私自身気になっていたので、この話を聞く前に

自分でも過去の履歴をしらべていた。

この日記を書いている期間、2016年8月から

2018年5月の1年10ヵ月の間について調べると

・入院回数        :     17回

・退院期間平均:  16.1日

・最長退院期間:     70日(2017.1.  5~3.16)

・平均入院日数:  18.6日

・最長入院日数:     49日(2017.5.  4~6.22)

                                              (2018.2.26~4.16)

(「退院期間」は退院から次の入院までの期間)

・累積入院日数:   317日(2016.8~2018.5の

                                               660日のうち)

 

確かに入院の回数が多く、入院と入院の間の

期間(退院期間)が短い。

『立て続けにしょっちゅう』という印象を

持たれても仕方がない。当の本人である私

でさえ驚いた。

「退院期間」には退院した当日に

ヘルニアになって、1日で病院に戻ったケース

も同様に計算にいれているから、

印象よりも短い数字にはなるが、それでも

16日、半月しか持たないというのは論外だ。

 

『退院期間が徐々に短くなっているのでは?』

とも  考えた。

短くはなっているが『毎回減っている』という

ほど傾向ははっきりしない。むしろ、

たまたま短いケースが続いた、ともいえる。

腹水での入院がなくなって静脈瘤破裂の入院

ばかりになった。静脈瘤が破裂する時期は

ランダムだから時期が読めないのである。

徐々に腹が膨らんでくる腹水と違うところだ。

 

もちろん『たまたま』であるにしても

いつ破裂してもおかしくない静脈瘤が育って

いることが前提なので『酒が静脈瘤破裂の

原因だったのか』という問いの答えには

ならないのだが。

 

『内視鏡噛み切り事件』で腹を立てた6I内科と

上層部が『こいつは一体何者だ?』と、

私の入退院履歴を調べて、

事態の異常に気が付いたらしい。

『こんなに退院期間が短いのは酒を飲んでいる

からだろう』と結論付けたということらしい。

内視鏡事件についてはつまらないことをした。

 

 

 

 

さて、長々と『私がなぜ疑われたか』について

書いているが、結局飲んだのか?といわれると

じつは飲んだ。

・・・なぁんだ、という話で、

ここまで読んでくださった方を裏切ることに

なるが、ここで嘘はつきたくない。

F先生にも正直に言った。

 

今年に入っていろいろあったが、肝移植が

生体肝移植、脳死肝移植のいずれの途も、

完全に途絶えた時に飲んだ。

 

ヤケになったわけじゃ・・・、なってたのかな。

ビビっていたから量は飲んでないし、

その後毎日飲んでいるわけじゃない。

あれで肝臓に影響が出るかしら。

 

いや、こういう台詞は

典型的なアル中の言い訳だな。

僕は弱い人です。

 

しかし、脳死肝移植の登録の条件、

『禁酒1年半』を気にしなくてよくなって

せいせいした。

 

もちろん飲めば肝臓には悪い。

肝臓が悪いから静脈瘤破裂にもなるのだ。

 

 

繰り返すが、ここで『毎日は飲んでないから』

とか『大した量じゃないし』なんていう

『いかにもアル中』的な言い訳はしたくない。

 

ここでは、

頻繁な入院が怪しまれて、

六甲アイランド病院には、私が退院期間中 

酒を飲み続けていた、と信じられている。

と、いうこと。

さらに、

実際に、私は今年に入って飲んだことがある。

と、いうことだけをご報告したい。

 

 

 

 

F先生がどう考えているかというと、

転院直後の8日には、

『再出血しても、輸血も内視鏡手術もしない』

と、6Iと同じことを言っていた。

しかし15日には、

『治療はしない、という6Iの考え方は

間違っている』と言ってくれた。

 

『alc専門病院に入院するべきだ』とは、

最初から言っていた。

10日に話をした時には、

『6Iの結論を聞いて、K病院の内科と放射線科

   でもあなたの治療に対する意思を統一した』

という。

その内容は、

・alc専門病院に入るべきだ。

   (しかし意識が明瞭である以上、強制はできない)

・6Iのように、治療しないという対応はしない

F先生にはそのうえで、

さらに入院を強く勧められた。

通院では治らない、と。

 

 

断った。

 

 

理由は、少なくとも私に関しては、

『入院が治療に結び付かない』ということを

自身の経験から嫌というほど知っているからだ

さらに今さら、精神科なんかに入院する時間を

取るのが嫌だ。

『静脈瘤破裂はともかく、肝臓はもう

末期の状態なんでしょう』と聞くと、

先生は渋い顔で『そうです』と、答えた。

『だから精神科の入院は要りません』

『・・・・・・』

『今回のことで懲りたからもう飲みませんよ』

 

結局、入院の件はペンディングになった。

 

 

理解のある先生たちに比べて、なんて我が儘で

嫌な患者だろう。

 

 

 

 

 

とりあえずK病院の精神科に『通院』という

形で、話をしに行くことになった。

先生の言葉通り『入院』を代替するものでは

ないが、精神科の先生と話をして、

すこし考えなさい、と。

 

しかし、なんとしても入院は嫌だった。

20年前、何年も嫌々通わされた専門病院や

自助グループの、独特の臭いを思い出す。

 

もう、最期だ。

もう、いいだろう。

もう、好きにさせてくれ。

 

そうはいっても時間だけあっても、

お金と体力がないないから

ちっとも『自由』を活かしていなかった。

無為の日々は、この日記にも書いてきた。

 

こんな日々が最期なのかなあ。

 

 

 

 

 

血縁、といえば近頃急速に頭と足腰に衰えが

きている親父と、医者に向かって

『こいつが救急で運ばれてきても

処置しないで見捨てて下さい』と言っちゃう

冷たい兄一家だけである。

 

 

 

 

(恵まれなかったから)子どもはいない。

(別れたから)嫁はいない。

だから毎日枕頭に来る人はいない。

何人かの友人が忙しい中、時々見舞いに

来てくれるが、

仕事で付き合いのあった人も来ない。

こんな騒ぎがあった後だと、病院のドクターは

もちろん、スタッフでさえ怖い。

 

今日の文章の前段に書いた

『敵意のあるオフィスでうろたえる人』は、

そのまま、今の自分だ。

 

嘘ばかりついて、嫌なことから逃げていた

50年の、決して短くなかった人生の決算書を

突き付けられて、呆然としている。

 

 

居場所がない。

 

 

 

 

 

 

残り- 293

  

  

 

 

疲れた。

 

 

 

 

ここまで書くのに一週間かかった。

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

 

 

 

|

« 余命1年日記 -113- 退院 また入院 (5月第2週 2018.5.6) | トップページ | 余命1年日記 -115- できることがない (5月第4週 2018.5.25) »

余命1年日記」カテゴリの記事

コメント

なつさんは1人じゃないよ
少なくとも、ブログを応援してる人達がここにいるよ
画面の向こうの、不特定多数とかじゃなくて
年に2.3回湾岸線通ってる生身の人が応援してるんだよ

林葉直子さんの例もあります、
だから、決して自暴自棄にならずにいて欲しい
alc病棟がどんなものかは、自分には分からない
たけど、病院である以上、吐血などの処置ができるんじゃないでしょうか
お金なども、なつさんの文才なら、ブログとかで収入上げれるかもしれない

自分で幕引きみたいな記事は要らない
そこまで追い込まれたと感じるのなら、いっその事今日死んで
明日から、alc治療で生きてみてはどうか

投稿: | 2018年5月16日 (水) 18時18分

↑は自分が書きました

投稿: ずぶ | 2018年5月17日 (木) 07時41分

わたしもそう思います。決して一人ではないと思う。
なにより今現在生きているわけで、それだけで100:0くらいのアドバンテージのまるもうけだと思うんですけど、きれいごとでしょうか。

投稿: むくちゃん | 2018年5月17日 (木) 09時51分

だんだん暖かくなってきたな、来月は夏か、と窓の外を見ながら、「なつやすみ」というフレーズを思い出して今日は来ました。
クリスマスの頃だったからトナカイなんてハンドルネームをつけてしまいましたが、早いもので初めてなつさんに辿り着いてからもうじき半年です。また読みに来ますね。

投稿: トナカイ | 2018年5月20日 (日) 11時30分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 余命1年日記 -114- 転院の理由 (5月第3週 2018.5.16):

« 余命1年日記 -113- 退院 また入院 (5月第2週 2018.5.6) | トップページ | 余命1年日記 -115- できることがない (5月第4週 2018.5.25) »