« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »

2018年5月の投稿

2018年5月25日 (金)

余命1年日記 -115- できることがない (5月第4週 2018.5.25)

  1. 最近の記録

 

5月   8日      K病院  本館233号室  入院

       21日      K病院新館 2階

                     地域包括ケア病棟に転棟

       22日      CT造影撮影

       23日      F先生 回診  造影写真解説

       25日      (いまここ)

 

 

あわただしい。

 

特に今週に入って  いろんな事がありました。

順番に書いていこう。

 

まず21日、 病棟を変わりました。

以前もお世話になった地域包括ケア病棟。

 

この日の午前中に昼寝していると、

介護士が入ってきた。

『荷物をまとめて下さい』と言う。

なにも聞いてないし  寝起きだから不機嫌に

『あ゙?』と訊いたら、看護師が来た。

『11時に次が入るから  すぐ移動して下さい』

だそうだ。

 

今回の入院はみんな冷たいな、と思いながら

『どこに行くのか』と訊くと

『新館2階』だという。

地域ケア病棟があるフロアだ。

今回の入院中にCT造影撮影をやることは

聞いていたから『一般病棟でなければ

検査は受けられないのでは?』と訊くと、

看護師は返事に詰まる。

 

最後にF先生が出てきた。

『受けられますよ、検査』

『でも、地域ケア病棟では  検査は・・・』

『まあ、そんな杓子定規な運用をしてる訳じゃ

なくて、実際は退院調整のベッドですから』

と、正直だ。

『233号室は窓が両側にあって、

せっかく気持ちのいいベッドだったのに・・』

『そんなことはどうでも・・・』

・・・今回の入院はスタッフも先生も冷たい。

『10時に来て11時に次の人が入るって

言うから驚きました』

『僕も驚きました』

『先生が決めたんじゃないんですか?』

『「いつでも移れます」とは病棟に

言ってありましたが』

 

そうか、患者をなんの病棟に入れるか

「一般病棟」か「地域ケア病棟」かという事は

ドクターが判断するのだが、

いつ何処に、という事柄は

病棟の師長が判断するのだ。

『あいつを早く一般病棟から出せ』という

「誰か」の意思が働いていたのかと心配した。

 

 

 

 

21日午後  2回目の精神科の診察。

三井のリハウスのCMに出てくる、俳優の

笹野高史そっくりのM先生と  しばらく話す。

若干頼りない。

私が離婚していて、家にいるのはボケた父だけ

退院後は家族のフォローが期待できないので

大変である。ということくらい、

精神科の医者なら問診の前に家族票とかに、

目を通しておいて欲しい。

『へぇ離婚されてるんですか』とか言われると

ガッツリ疲れる。

信用もできなくなる。

顔が長い。

 

この先生に、退院後どうすべきかを聞いてみた

すると『退院しても外来でこうやって

僕のところまで来て  話をしてくれたら

入院まで必要だとは思いません』という。

ほう

ちなみに入院についてどのくらい知っているか

と訊くと、ほとんど知らないという。

23日にF先生に聞いても、同じだった。

『入院についてはよく知りませんが、

まっさらな状態での病状の変化を視たい』と。

汚染されている訳じゃないんだけど。

 

内科のF先生が知らないのはわかるが、

精神科のM先生が知らないとは。

K病院のように上品な患者が来る病院では、

依存症患者など診る機会がないのだろう。

医者であっても一般の人の『精神科の入院』に

関する知識は想像以上に乏しいようだ。

 

自助グループに通うのを復活させようと思う。

入院しても院内でやることは同じなのだ。

患者同士でミーティングする、時間が経つと

院外のミーティング場に行って参加する。

 

繰り返すが、時間がないから入院はしたくない。

かつて10年以上、阪神間のミーティング場を

回ったことを思うと気が重いが、

やってみるか。

M先生も、長い顔でこれを薦めた。

 

入院や自助グループについて

全然言葉が足りてないな。

ここの部分は、後で稿を改めて書き直します。

 

 

 

 

 

22日午後  CT造影検査。造影剤を点滴で注入。

「点滴」というから、造影剤を上から吊るして

滴らせるのかと思ったら、注射筒に入れた薬を

オペレーターの人がシリンダーを押し込んで

全力で注入していた。

一通り撮影が終わった後で、彼がしきりに掌を

揉んでいたから、ものすごい圧力が

必要だったらしい。

 

 

 

23日昼前  F先生回診。

造影検査のCT画像を見せてやる、

というので病棟のナースステーションの

パソコンを使い、モニターを見ながら話した。

 

造影検査というのは始めてだ。CTのX線を 

遮るんだか吸収するんだかする造影剤が、

臓腑の隅々まで染み渡ったところを撮る。

すると、血管が白く見える。

 

血管が走る様子がみえる。肝臓、食道などの

臓器は毛細血管の塊なので、形なりにぼんやり

明るく見える。

 

『CTを撮ったら、いいところもありました』

へえ・・・。

『腹水がなくなりました』

本当だ。臍の下に分厚くあった腹水がない。

『あと、ガンがありません』

F先生の前に診て貰っていたK先生が、ガンに

ついてはかなり徹底的に調べてくれた。

見つからなかったから  その事を言うと、

『でもK先生が診たのは5年前でしょう』

そんなにガンに罹りやすいですか。

『肝硬変はかなり高い率でガンを併発します』

・・・高い率。

『万が一いま罹っても、まあ・・・』

どちらが先か、のチキンレースということか・・・

 

『肝硬変がはっきりわかりますね』とF先生。

ぎょっとして画面を凝視すると、

『肝臓の表面が滑らかじゃなくて、カクカク

しているでしょう』言われてみるとそうだ。

肝臓の全周がカクカクしている。

『全部固まってるみたいなんですけど・・・』

『まあ、端から固まって行くわけでもないし』

生きている部分はどこだ?

 

解像度を上げれば、もっと細かく血管の走行が

見えるらしいが  この程度のぼんやりさでも

肝臓の中央部に蛇のようにうねるひときわ太い

門脈が見える。

肝臓の右にいびつに潰れた  丸い食道が見える。

食道の回りに小さな丸がたくさんある。

肝臓に向かう門脈系の静脈である。

画面をスクロールして、体の断面を上下に

動かしてやると  この静脈たちが食道の回りを

踊るように動きながら、現れては消えていく。

『この画面ではっきり見えるということは、

この辺の血管はみんな静脈瘤があります』

とF先生。

 

さらに内視鏡で撮った映像を見ながら

静脈瘤は食道よりも、噴門を入った

胃の入口に多い、と説明してくれた。

胃の中は内出血しているので、胃壁の表面が

鬱血して滲んで真っ赤だ。

 

食道にも胃にも静脈瘤がたくさんあることは

わかった。内出血もある。

どうしよう。

『実は、いまの時点では打つ手がないんです』

なに?

『静脈瘤がある血管がみんな細すぎるんです』

どういうことだ?

 

 

 

 

 

実は今回、入院を延長して

造影検査をしたのには理由があった。

『静脈瘤破裂をなんとかしよう』ということ。

 

端的に言うと、他にやることがないのである。

 

肝硬変の根治治療として、現在唯一可能な

肝臓移植は、生体肝、脳死肝いずれも

可能性がなくなった。

ショックだった。その後、

断酒の誓いを忘れるくらいには  やさぐれた。

 

iPS細胞を使った再生医療というのは、

間に合いそうにない。STAPわぁ  なかったし。

 

 

 

そうなると今できることは、

次々に現れる肝硬変の合併症、腹水や立ち眩み

静脈瘤破裂などに対処することである。

 

一昨年の夏  あれほど苦しみ  名医F先生をして

『このまま改善しなければ余命1年』と

言わしめた腹水は見事になくなった。

今回のCT画像を見ると、体の中心部には

多少残っているが  穿刺が届くくらいの

体表部からはなくなっている。

なぜだろう。

F先生も首を傾げていたから  正直な奴だな。

 

その割にウェストは90cm以上あるのだが、

こういう風にブクブク脂肪が付くのも、

肝硬変 の合併症だ。

皮膚が痒くて仕方がないので皮膚科から塗薬を

貰っているのだが、最近あまり効かない。

これも合併症。

しかし、こういうのは すぐに命に関わる訳では

ないので放置している。

 

立ち眩みも怖い。以前倒れて鼻を折った時から

基本的には何の改善もしていない。

今も上の血圧が100前後と若干低いが、これも

合併症で手の打ちようがないんだそうだ。

ふう

 

 

 

命に関わる肝硬変の合併症として、いま一番

問題なのは静脈瘤破裂である。

しかも今回、6Iに嫌われてしまったから、

奇数日に破裂してしまったら、命に関わる。

いつ破裂してもおかしくない静脈瘤をたくさん

育ててしまったことは私に責任があるが、

半月おきに破裂するのは、私の責任ではない。

酒のせいでもない。

 

冗談はともかく、こんなにしょちゅう

破裂されたら『「徐々に」体が衰える』のでは

なく急速に衰弱する。

 

 

 

 

 

 

静脈瘤の治療法として、一般的なのは内視鏡を

使う方法で、ひとつは食道、胃などに内視鏡を

挿入し、静脈瘤の外側から硬化剤を注入する。

静脈瘤硬化療法(EIS)という。

 

もうひとつはゴムバンドで静脈瘤を結紮して

(けっさつ=縛って固定する)静脈に血栓性閉塞を起こし、

それによって出血を止めるもの。

静脈結紮術(EVL)という。

 

また、硬化剤の注入に際して

内視鏡を用いるのではなく  静脈にカテーテル

を挿入してレントゲンを見ながら操作し、

静脈の内側から硬化剤を注入する方法もある。

 

さらに、以前腹水を減らす方法として

薦められたTIPSPSEも、亢進した門脈圧を

下げるので、静脈瘤が出来ることや破裂する

ことを防ぐ効果が期待できる。

 

 

 

私に関しては いままで静脈瘤、となると

迷わずゴムバンドで結紮するEVLという方法を

採ってきた。

 

しかしこれだけ方法があるのだ。

EVL以外に適する方法はないか?ということで

まずは予備の調査として、

今回の造影検査をおこなった。

これで血管の走行を確かめ、破裂してないけど

危ない静脈瘤に硬化剤を注入する方法はないか

と考えた訳である。

F先生が。

 

だから、造影検査後 初めての今日の診察は、

選択肢がたくさんあるけどどれにしよう、

という  うれしい悩みを相談されるものだと

思っていたら、

『今の時点では打つ手がない』だと。

どういうことか、と訊くと

『静脈瘤ができた血管がみんな細すぎる』

んだそうだ 。

これだけ細いと食道や胃にへばりついている

静脈瘤は扱いにくい。

つまり、硬化剤を注入したり

ゴムバンドで結紮するのがむずかしい。

食道の回りの静脈は捕まえるのも無理。

 

さらに静脈瘤ができた場所が悪い。

胃の中に静脈瘤があると、喉から内視鏡を

差し込んで、上から施術することができない。

静脈瘤を下から狙うために

胃の中で内視鏡を上に反転させることになる。

これも無理。

 

静脈瘤を結紮する場合も、血管が細く静脈瘤が

小さいので無理。胃の中も同じく困難。

 

腹部から針を刺して、血管にカテーテルを挿入

して、内部から硬化剤を注入する方法も

静脈瘤が小さすぎて無理。

また、肝臓を貫通してカテーテルを刺すことに

なるが、肝臓が負担に耐えられるかも問題。

 

TIPSやPSEは前にもH先生に言われたように

肝臓が弱りすぎていて無理。

直近の血液検査でChild Pughスコアが、

CからBに上がっていたが、

『まだまだ』なのだそうだ。

 

 

思い出しながら書き出しただけで

これだけある。

よくもまあ、うちの肝臓をここまで悪し様に

言いやがったな、と思うが  事実なのだろう。

『これでもう少し、静脈瘤が大きくなったら

施術できる箇所が多くなるんですが・・・』と

出来の悪い冗談を言う。

静脈瘤が小さいなら破裂しないだろう、と

単純に思うのだが、これでこのまま退院したら

また、ひと月経たずに破裂させてくるんだ。

何度も裏切られてきたじゃないか。

 

 

できることがない。

 

 

『退院しましょうか。』

『退院しますか?』

『できることがないんなら・・・』

『・・・』

『しかし座して死を待つ、

    というのは悔しいな・・・』

『それなら・・・』

ということで最後にF先生が出してきた手が、

『降圧剤を服む』という方法だった。

 

静脈瘤破裂の原因は門脈圧の亢進。

血圧と門脈圧では意味が違うが、

血圧を下げる作用がある降圧剤を服めば、

門脈圧も下がるそうだ。

試してみますか?⁉️ということだ。

 

よういろんなこと考えよんな、と思うが、

他に方法がないなら試すしかない。

イワシの頭でもイモリの黒焼きでも試すさ。

『でも、血圧を下げて立ち眩みが酷くなったら

元も子もありません』

 

ということで、この週末は

『降圧剤を服んで立ち眩みは出るのか』

ということの実験を、自分の身体を使って

やっております。

 

具体的には薬を服んで寝ること、です。

とろとろと寝てばかりいます。

あまり血圧は下がりません。

上が100から120くらいです。

日大の監督は、いけないと思います。

ベッドから勢いよく起き上がると、もれなく

頭から血が引いて、視野が狭くなります。

栃ノ心に優勝して欲しいです。

ひまだ

 

 

 

 

 

残り- 302

  

  

 

 

焦りはあるけど  出来ることがない

 

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

 

 

ここまで書くのにこんどは9日かかった。

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年5月16日 (水)

余命1年日記 -114- 転院の理由 (5月第3週 2018.5.16)

最近の記録

 

5月   3日      静脈瘤破裂

                      六甲アイランド病院  再入院

         8日       六甲アイランド病院  退院

                       K病院  入院

       14日      (いまここ)

 

疲れた。

治療と関係ないことで一日中走り回された。

ややこしい書き方をしているが、

今回もやったことは『転院』。

六甲アイランドからK病院に移ってきました。

 

2日、大雨の日の深夜に静脈瘤が破裂した。

場所は食道ではなく、すこし下りた胃の中。

最初はゴミ箱に入っていたカップラーメンの

カップに吐いたが、

すぐに間に合わなくなってゴミ箱本体に、

咳をする度にえづいて吐いた。

それでも、今回は

『内視鏡でクリップ止めせずに、

前回みたいに自然に治らないか』と

淡い期待をもって唸っていた。

時々は治まったように思えたが、

結局血は止まらず、何十回目かの吐血をして

トイレに行こうと立ち上がったら、

二歩で目の前が真っ暗になって倒れそうに

なったので、諦めて救急車を呼んだ。

 

吐血をして下血して、体中から水が出ていくと

喉が渇く。

しかも今回は病院に行くのを避けようと、

10時間くらい血を上下から出していたから

猛烈に喉が乾いた。

4月に、親父に挨拶に来た二番目の姪と

その婚約者君が買ってきてくれた、

2lのペットボトルが10本ほど入った箱から、

よろけながら2本ほど取り出して空けた。

 

あの二人はあの分量のペットボトルを

どうやって買ってきてくれたんだろう。

婚約者君はずいぶん小さな人だったが

 

体の上下から出ていった水分は6~7lあったと

思うが、そういう事を考えると

純粋に出ていった血液だけなら2~3lか。

わたしの体重が80kg弱だから、

血液の総量は6lくらい。

いずれにしても、そろそろいつ失神しても

おかしくない水準になって来た。

今回は救急車を呼びたくなかったのだが、

いま目の前が急に暗くなって倒れても、

惚けた親父が119してくれる可能性はない。

(実際、今回も129にかけていた)

まだちょっと死にたくないので自分でかけた。

 

しかしこれは、失敗だった。

 

救急車が来て、隊員が受け入れ先の病院を

探してくれる。ところが何度も救急車を頼んだ

おかげで救急隊員はわたしの掛り付けがK病院

であることを覚えており、

『六甲アイランド病院が受け入れるそうです』

という。実はK病院と六甲アイランド病院は、

同じ資本の系列病院なのである。

従って医師も両方で融通しあっているらしい。

内視鏡担当の医師も隔日交代で病院をまわる。

そして、あいにく奇数日に関しては、

内視鏡の救急は六甲アイランドで

受けていたのであった。

 

嫌な予感が当たった。

あそこは前回の入院の際に、

わたしが内視鏡を 噛んで壊して以来、

どうにも敷居が高い。

 

実際、あの事件はわたしの予想以上に病院全体

の怒りを買っていた。

ともかく『あそこは止めてくれ。

K病の系列以外の病院にしてくれ』と頼んだが

『しかし、掛り付け病院がある場合

そこを優先しますから』と救急隊員は頑固だ。

繰り返し頼んだが聞いてくれない。

救急隊員なんて日本一忙しい人だろうから

もう諦めて六甲アイランドに運ばれてきた。

 

六甲アイランド病院での担当は

Oという先生で、前回の医師と違う。

前回の対応よりも露骨な冷たさは減ったが、

それは主治医に関してだけのこと。

病院としては違った。

入院2日目に『神経科の部長』と名乗る年配の

偉そうな医者が回診に来て、

『あなたは、退院するとすぐ戻ってくるね』

と言いに来た。なにをっ?と思って見上げると

『あ、安静にしていれば良くなるからね』

とだけ言って帰って行った。

怖かった。

 

8日の朝に『K病院に移るように』という

指示、というか命令を受けた。

転院についてはO先生も示唆していたし、

前回の憎まれようから、私自身覚悟していたが

施術5日目、未だ傷は癒えず経口食にすら

なっていない。立ち上がるのもおぼつかない。

しかも自腹を切ってタクシーで移動せよ、

と言われたから、さらに冷たい。

へろへろになってK病院に移ってきた。

(後で聞くと「転院の際の自腹タクシー移動」というのは一般的

なのだそうだ。しかしそう考えると、ストレッチャーに乗せられて、

ドクターカーで移動した前回の転院は、さらに異常だったことがわかる。)

 

本館3階の東北の角部屋のベッドに入ると、

朝に東の窓から朝日が、

夕方には夕日が射し込んでくる。

 

いまもそのベッドで、これを書いている。

疲れた。

 

 

 

転院した8日にF先生が来た。

非常に厳しい表情で、

『六甲アイランド病院(以下6I(ロクアイ))からの

手紙を読んだ。

そこにもあったが次回以降、6Iは

あなたの新規受け入れは出来ないそうだ。

理由は以下の通りである、と。

・退院―入院のスパンが短すぎる。

・内視鏡手術や輸血の費用も安くない。

・6Iはもうあなたは治らないとして見限った。

 

ショックだった。

『費用がかかるから受け入れない』なんて

医者の台詞じゃねえな、と思った。

 

さらに、

・再度出血したら輸血、内視鏡手術、いずれの

    手段も採らないということで良いか?

・今年1月にK病院に来た兄夫婦には、

    いかなる処置も無用という、

    極めて薄情な内容で既に了解を貰っている。

      (いままで知らなかった。こんな酷薄な内容に合意しておきながら、

       見舞いに来ていたのか。)

と聞いてくる。

 

この人は何を言っているのか?

いつものF先生が喋っているとは、

どうしても思えない。

 

その日はそこまでで終わった。

当面は通常の静脈瘤破裂の処置をする、と。

 

 

 

 

 

翌9日、10日と話をして、F先生の話の真意や

そうした判断に至った背景が、

なんとなくわかってきた。

 

 

わたしという人間は、

静脈瘤破裂の処置が終わって退院するや

『浴びるように酒を飲んでいる』

不真面目な患者である、と信じられている。

ということらしい。

 

したがって、

・そんな奴には、輸血も内視鏡手術も無駄で

    もったいない。

・六甲アイランドはあなたが出血しても、

    新規受け入れを拒否する。

・あなたはアルコール専門病院に入るべきだ。

これは.、6Iの医者の総意である、と。

 

頭が混乱しながらも、ここまでの内容を

やっと理解した。

つらい。

 

『わたしが現在進行形のalc病患者である、

と6Iが信じる理由はなにか?』と聞くと、

・退院して、再入院するまでの時間が短すぎる

・入院中に静脈瘤破裂を起こしたことはない。

・入院中は、緩やかながら肝臓も回復する。

 

酒臭かったり、血液検査に顕れたりといった

直接の証拠はない。

しかし、退院して生活サイクルや食生活が

不規則になったとしても、

こんなに急には変化しないんじゃないか。

退院したら 酒を飲んでいる、と考える方が

自然だ、と。

 

 

今回、六甲アイランドに入院して内視鏡手術で

処置してもらった日の夜に、嫌な夢を見た。

以下、そのときの夢。

何か資料を集めるために街のあちこちを歩いた

写真も撮った。ずいぶん疲れたが、

そこで自分がしていることは、目的か手段の

どちらかが間違っている、という自覚はあった

事務所に帰ってくると、皆よそよそしい。

デスクの間の通路を通ると、

話しかけてくることは決してないが、

視線と「こいつ、なにしに来た?」という

敵意を感じる。

最初の会社を辞める2週間前の頃の

『身の置き所のない寂しさ』を思い出しながら

自分のデスクに来ると、パソコンだけ残して

自分には関係のない資料が置かれていた。

回りに聞こうと思っても出来なくて、なぜか

電源が入らないパソコンの黒いモニターを

見ながら、その前に立ち尽くした。

 

目が覚めると、いっぱい寝汗をかいていた。

嫌な夢だった。

 

 

退院から再入院までの時間の短さについては、

私自身気になっていたので、この話を聞く前に

自分でも過去の履歴をしらべていた。

この日記を書いている期間、2016年8月から

2018年5月の1年10ヵ月の間について調べると

・入院回数        :     17回

・退院期間平均:  16.1日

・最長退院期間:     70日(2017.1.  5~3.16)

・平均入院日数:  18.6日

・最長入院日数:     49日(2017.5.  4~6.22)

                                              (2018.2.26~4.16)

(「退院期間」は退院から次の入院までの期間)

・累積入院日数:   317日(2016.8~2018.5の

                                               660日のうち)

 

確かに入院の回数が多く、入院と入院の間の

期間(退院期間)が短い。

『立て続けにしょっちゅう』という印象を

持たれても仕方がない。当の本人である私

でさえ驚いた。

「退院期間」には退院した当日に

ヘルニアになって、1日で病院に戻ったケース

も同様に計算にいれているから、

印象よりも短い数字にはなるが、それでも

16日、半月しか持たないというのは論外だ。

 

『退院期間が徐々に短くなっているのでは?』

とも  考えた。

短くはなっているが『毎回減っている』という

ほど傾向ははっきりしない。むしろ、

たまたま短いケースが続いた、ともいえる。

腹水での入院がなくなって静脈瘤破裂の入院

ばかりになった。静脈瘤が破裂する時期は

ランダムだから時期が読めないのである。

徐々に腹が膨らんでくる腹水と違うところだ。

 

もちろん『たまたま』であるにしても

いつ破裂してもおかしくない静脈瘤が育って

いることが前提なので『酒が静脈瘤破裂の

原因だったのか』という問いの答えには

ならないのだが。

 

『内視鏡噛み切り事件』で腹を立てた6I内科と

上層部が『こいつは一体何者だ?』と、

私の入退院履歴を調べて、

事態の異常に気が付いたらしい。

『こんなに退院期間が短いのは酒を飲んでいる

からだろう』と結論付けたということらしい。

内視鏡事件についてはつまらないことをした。

 

 

 

 

さて、長々と『私がなぜ疑われたか』について

書いているが、結局飲んだのか?といわれると

じつは飲んだ。

・・・なぁんだ、という話で、

ここまで読んでくださった方を裏切ることに

なるが、ここで嘘はつきたくない。

F先生にも正直に言った。

 

今年に入っていろいろあったが、肝移植が

生体肝移植、脳死肝移植のいずれの途も、

完全に途絶えた時に飲んだ。

 

ヤケになったわけじゃ・・・、なってたのかな。

ビビっていたから量は飲んでないし、

その後毎日飲んでいるわけじゃない。

あれで肝臓に影響が出るかしら。

 

いや、こういう台詞は

典型的なアル中の言い訳だな。

僕は弱い人です。

 

しかし、脳死肝移植の登録の条件、

『禁酒1年半』を気にしなくてよくなって

せいせいした。

 

もちろん飲めば肝臓には悪い。

肝臓が悪いから静脈瘤破裂にもなるのだ。

 

 

繰り返すが、ここで『毎日は飲んでないから』

とか『大した量じゃないし』なんていう

『いかにもアル中』的な言い訳はしたくない。

 

ここでは、

頻繁な入院が怪しまれて、

六甲アイランド病院には、私が退院期間中 

酒を飲み続けていた、と信じられている。

と、いうこと。

さらに、

実際に、私は今年に入って飲んだことがある。

と、いうことだけをご報告したい。

 

 

 

 

F先生がどう考えているかというと、

転院直後の8日には、

『再出血しても、輸血も内視鏡手術もしない』

と、6Iと同じことを言っていた。

しかし15日には、

『治療はしない、という6Iの考え方は

間違っている』と言ってくれた。

 

『alc専門病院に入院するべきだ』とは、

最初から言っていた。

10日に話をした時には、

『6Iの結論を聞いて、K病院の内科と放射線科

   でもあなたの治療に対する意思を統一した』

という。

その内容は、

・alc専門病院に入るべきだ。

   (しかし意識が明瞭である以上、強制はできない)

・6Iのように、治療しないという対応はしない

F先生にはそのうえで、

さらに入院を強く勧められた。

通院では治らない、と。

 

 

断った。

 

 

理由は、少なくとも私に関しては、

『入院が治療に結び付かない』ということを

自身の経験から嫌というほど知っているからだ

さらに今さら、精神科なんかに入院する時間を

取るのが嫌だ。

『静脈瘤破裂はともかく、肝臓はもう

末期の状態なんでしょう』と聞くと、

先生は渋い顔で『そうです』と、答えた。

『だから精神科の入院は要りません』

『・・・・・・』

『今回のことで懲りたからもう飲みませんよ』

 

結局、入院の件はペンディングになった。

 

 

理解のある先生たちに比べて、なんて我が儘で

嫌な患者だろう。

 

 

 

 

 

とりあえずK病院の精神科に『通院』という

形で、話をしに行くことになった。

先生の言葉通り『入院』を代替するものでは

ないが、精神科の先生と話をして、

すこし考えなさい、と。

 

しかし、なんとしても入院は嫌だった。

20年前、何年も嫌々通わされた専門病院や

自助グループの、独特の臭いを思い出す。

 

もう、最期だ。

もう、いいだろう。

もう、好きにさせてくれ。

 

そうはいっても時間だけあっても、

お金と体力がないないから

ちっとも『自由』を活かしていなかった。

無為の日々は、この日記にも書いてきた。

 

こんな日々が最期なのかなあ。

 

 

 

 

 

血縁、といえば近頃急速に頭と足腰に衰えが

きている親父と、医者に向かって

『こいつが救急で運ばれてきても

処置しないで見捨てて下さい』と言っちゃう

冷たい兄一家だけである。

 

 

 

 

(恵まれなかったから)子どもはいない。

(別れたから)嫁はいない。

だから毎日枕頭に来る人はいない。

何人かの友人が忙しい中、時々見舞いに

来てくれるが、

仕事で付き合いのあった人も来ない。

こんな騒ぎがあった後だと、病院のドクターは

もちろん、スタッフでさえ怖い。

 

今日の文章の前段に書いた

『敵意のあるオフィスでうろたえる人』は、

そのまま、今の自分だ。

 

嘘ばかりついて、嫌なことから逃げていた

50年の、決して短くなかった人生の決算書を

突き付けられて、呆然としている。

 

 

居場所がない。

 

 

 

 

 

 

残り- 293

  

  

 

 

疲れた。

 

 

 

 

ここまで書くのに一週間かかった。

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

 

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

余命1年日記 -113- 退院 また入院 (5月第2週 2018.5.6)

最近の記録

 

4月   6日      新館、地域包括ケア病棟に移動

       26日      K病院  退院

5月   3日      静脈瘤破裂 

                      六甲アイランド病院  再入院

         6日      (いまここ)

 

4月26日に退院しました。

前日、F先生に『これからどうしますか?と、

聞かれた。

当然退院後のことだと思ったから

『八街には行きませんよ』と、言ったら

『そういうことじゃありません』と、

にべもなく言われた。

つめたい。

 

26日に退院。

地域包括ケア病棟の看護師さんは、笑って

見送ってくれた。

 

 

しかし、この日から一週間後に、私は

再び病院に戻ってくることになる。

2日深夜から吐血と下血を起こし、朝方

救急車を呼んで、また六甲アイランド病院に

運ばれてきた。

 

吐き気がして、血便の残りが果てしなく出る。

昨日まで一日中うなっていた。

まだ、苦しい。

 

 

稿を改めて続きを書きます。

 

 

 

 

残り- 283

  

  

 

 

 

一昨日、嫌な夢を見たんだ。

 

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »