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2018年6月の投稿

2018年6月28日 (木)

余命1年日記 -118- 銀行と誕生日と入院 (6月第5週 2018.6.28)

最近の記録

 

 

5月  31日     退院

6月    1日      郵便局

          4日      K病院 神経科診察

          7日      K病院  内科診察

          8日      銀行  区役所  警察署

        14日      K病院  内科診察  誕生日

        18日      入院  大阪北部地震

        26日      内視鏡検査

        27日     (いまここ)

 

5月31日に退院して、なにをやっていたか。

というと、まず銀行や郵便局回り。

 

我が家では、歳入のすべてを父が管理している

別に私が望んでいたことではなく、この男の

束縛癖によるものである。

しかしこれが任せられなくなってきた

 

 

親父がATMコーナーに通帳を忘れる。

機械に銀行カードを入れっぱなしにする。

銀行印を失くす。

 

世の中親切な人が多くて、はんこ以外は全部

戻ってきて大事に至らなかったのは幸いだが、

その度に泣きそうな声で電話してしてくる。

『安静』ってことで寝てるのに。

 

だから  銀行に電話して通帳を止める。

そうすると入金出来ないといってまた 

泣き声で電話してくる。

そりゃそうだよ、通帳を止めてるんだから。

はあ

 

 

 

物忘れがひどくなった。

 

 

 

まだ他にもあるが、

これ以上身内の恥を書きたくもない 。

しかし、大部屋では長時間電話できないから

銀行や郵便局には廊下で電話する。

これがやっぱり長時間だと看護師に怒られる。

事情がわからないから、病院に来てくれと

親父に言っても何週間も来ないから、

やっぱり廊下で電話して、あの男耳が悪いから

大声になると、また  看護師に怒られる。

 

各種支払いの口座の名義人は、当たり前だけど

私なので私自身が行かないとなにも進まない。

やむを得ず、入院中なのにF先生を拝み倒して

外出許可を貰って銀行に行く。

 

 

 

普通に考えて、あの年の爺さんに

お使いをさせる、ということが親不孝なのは

十分承知している。

しかし、

『その程度のこともできなくなっているのか』

ということは驚きでもあった。

予想以上に早い。

 

当然悲しい  というか、怖い。

 

私のような半病人と、

親父のような耄碌爺さんの共同生活に、

うすら寒い危機感を覚えた。

 

ゆっくり話せば、意味の通る会話ができるので

真底呆けた訳ではないと思いたいが、

とにかく退院するや、

貯金や年金など、親父名義の口座はそのままで

各種支払いの通帳だけを取り上げた。

 

 

 

したがって退院すると  銀行  郵便局  区役所を

回って各種の手続きをする。

さらに失くしたはんこを三宮で作って、

区役所に戻って印鑑登録する。

大した所帯じゃないのに  体力がないから、

一人でやるとしんどいな。

 

しかしこれで、二、三か月もやってみたら

お互い慣れるだろう。

いまは耐えよう。

と、思ったら入院するんだ、こいつは。

 

退院して、最初の診察日が7日。

血液検査では『悪化しているが想定内』

自覚症状として、立ち上がった時のふらつきと

久しぶりの腹水と足の浮腫。

 

ふらつきはヘモグロビンが低く低血圧だから。

腹水は困ったね。取り敢えず利尿剤を使って

みようか。ということになった。

血圧と鉄分が低く、利尿剤のせいで腎機能が

落ちていたら入院ですよ。と

釘を刺された。

 

次の診察は14日。

しんどいので処置室で横にならせて

貰っていたら、先生が来た。

『今日、誕生日なんですよ』と言うと、

F先生は『おめでとうございます』と言って

頭を下げてくれる。

 

なんだ?これ。

 

去年の誕生日は入院していて、しかし

私が臥せって  先生が見下ろす形は、

同じだったな。

 

 

 

血液検査の結果、肝臓は順調に調子が

悪化しているんだそうだ。

 

『いろんな数字が駄目です。』

『はあ』

『ヘモグロビンが9万しかありません。』

『はあ』

『腹水も増えてます。』

『はあ』

『入院しましょう』

 

しかし、これは少し待って貰うことにした。

銀行のことなど、もう一度確認したかったのだ

久しぶりに静脈瘤破裂以外の原因での入院

なので、時間に多少融通が利くのだ。

 

そんなわけで入院日は18日。

『予約受付』というところで

書類を作って帰った。

 

薬を貰いに院外処方の薬局に行く。

F先生がさらに強力な利尿剤を処方したから、

薬剤師が、青くなって病院に確認しに行った。

結局貰えたけどね。

確かに強力な薬で、夜中10回くらいトイレに

立つんだけれど、

18日までには腹は凹まなかった。

 

 

 

今回の入院ー入院のインターバルは17日。

伸びないなー。

 

 

 

 

 

 

 

残り- 336

  

  

 

長くなったから続きます。

 

 

 

 

 

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2018年6月25日 (月)

余命1年日記 -117- 怒られた理由 (6月第5週 2018.6.25)

最近の記録

 

5月    3日     静脈瘤破裂  6I入院

          8日     K病院転院

        28日     退院打合

        29日     退院延期   

        31日     退院

6月    1日      郵便局

          4日      K病院 神経科診察

          7日      K病院  内科診察

          8日      銀行  区役所  警察署

        14日      K病院  内科診察  誕生日

        18日      K病院入院  大阪北部地震

        25日     (いまここ)

 

 

いま6月25日。

備忘録として、上記の期間の出来事について

書いておきます。

1ヵ月前の5月28日。

5月3日の静脈瘤破裂から続く入院。

今回は恢復の過程よりも

『何でこんなしょっちゅう入院してくるんだ』

『どうせ飲んでるんだろう』

『救急で来ても追い返しちまえ』

ということに話が行ってしまって、

辛い入院だった。

 

F先生も、断酒の為にalc病院に入るべきだ。

さもないと治療はできない。と

強硬だったのだが二人で話した上で最終的には

・来ても診ない、ということはしない。

・断酒した状態での病状の変化を見たい。

・神経科の受診など精神的なケアを受ける。

ということになった。

そういう方針を決めたうえで、

そろそろ退院にしよう、と言ってくれた。

 

最初は29日退院にしよう。となっていた。

しかし、その前に『次に静脈瘤が破れても

6Iが受け入れる保証』を取っておかなければ

ならない。と言う。

静脈瘤が破裂することが前提なのは

釈然としないが、私も自分の身体を信用していない。

奇数日に静脈瘤が破裂して、けんもほろろに

6Iから追い出されたら、

血反吐と血便を流しながら 六甲アイランドで

死んでしまうのである。

杞憂に過ぎるような気もするが、トラブルを

未然に防ぎたい、ということなのだろう。

『隔日の患者の受け入れ分担は6Iとの間の、

病院間の取り決めです。

受け入れないなんて有り得ないですよ。』と

頼もしい。

いい先生だ。

 

具体的にどうするか、というと

K病院の消化器内科の部長に話をするという。

前にも書いたように、K病院は6Iと同じ法人の

経営だから、双方の病院の方針が違っている、

などということがあってはいけないのである。

偉い先生に確認しておいて貰おう、と。

 

しかし、30日になっても、

『もう少し待ってください』という。

なんだ?

『まだ部長のアポが取れないらしいんです』

『らしい?』

『僕の上の先生に話してもらいます』

『先生は?』

『僕なんかが口を利けるような先生じゃ

    ありません』

急にそんな白い巨塔みたいなことを言われても

困る。

 

実は私にも都合があった。

5月31日までに退院しないと、つまり入院が

月を跨いでしまうと、保険の計算が変わって

支払いが増えてしまうのである。

 

『31日に話ができなければ退院した後でも

携帯に電話しますよ。』と言ってくれる。

6月14日に外来の予約を入れていたのに、

『そこまで保たない』と思われたのか?

14日までに、奇数日は7日あるけどな。

 

で、

 

引っ張っても仕方ないので早く結果をいうと、

31日に部長先生と話ができたそうだ。

退院のために鞄に荷物を詰めたりしていると、

F先生が来た。

退院日には回診はないのが普通だから驚いた。

 

『部長と話ができました。』

『そうですか。なんて?』

『「6Iで診ればいいでしょ?」だそうです』

『そんだけ?』

『はい』

『いいの?』

『たぶん』

はあ・・・

あれだけ心配したのにそんだけ?

 

さすがは白い巨塔。

私の「内視鏡事件」は 巨塔の足下こそ少し

騒がせたが、遥か頂上近い部長先生には、

知ったこっちゃないらしいのであった。

 

F先生はさらに続けて

『6Iがあれだけ強硬になった理由が

わかりました』という。

要約すると、2月26日の入院に際して私を担当

したA先生が内視鏡を噛んだ私を見て、

「これは検査と治療の拒否だ」と言い立てた。

したがって、この患者に対してはこちらも

診療を拒否 して構わないのだ」と。

 

しかも  A先生は申し送りの書類に、

「こいつは治療を拒否する」

「こいつは酒を飲んでる」

「こんな不真面目な患者ほっときましょう」と

ひとのことをボロクソに書き倒して、

4月に他の病院に転属してしまった。

これじゃあ現場を見ていない他の先生は、

「natsuというのはなんとひどい患者か。」と

思うに決まっている。

実態を知ってしまったら  A先生の書類以上に

ひどい患者であることがわかってしまうが。

 

もちろん、一連の騒動の原因を A先生に

押し付けるつもりはない。

修理の費用を請求されなかったから、

事故の保険があるのだろうが、

内視鏡が一台使えない間に大変な迷惑を掛けた

だろうことは、素人ながら理解できる。

弁解の余地なくお詫びするしかない。

ごめんなさい。

 

 

でもなあ・・・

 

 

 

 

 

 

とにかく退院。

お世話になった地域包括ケア病棟から

EVホールまで送ってくれた看護師さんが、

途中のナースステーションで、

『natsuさん退院されます』と、声をかけると

中にい病棟の看護師さんが4人ほど出てきて

笑顔で送ってくれた。

長く入院しているのに初めてのことだったので

面映ゆかった。

でもうれしい。

 

 

 

 

残り- 333

  

  

 

 

暖かい帰り道でした。

 

 

 

 

 

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2018年6月19日 (火)

余命1年日記 -116- まだ生きてます (6月第4週 2018.6.19)

  1. 最近の記録

 

5月 28日     退院打合せ

        29日     退院延期   

        31日     退院

6月   1日      郵便局

          4日      K病院 神経科診察

          7日      K病院  内科診察

          8日      銀行  区役所  警察署

        14日      K病院  内科診察  誕生日

        18日      入院  大阪北部地震

        19日     (いまここ)

 

 

最後に書いた5月25日の日記

(115やることがない) でも入院していたが、

一度退院して6月29日現在も入院している。

今度のは、静脈瘤破裂じゃなくて、

腹水と血液検査の結果がひどかったからです。

 

だから今日はワールドカップのコロンビア戦を

見ていました。

勝ってよかった。

 

そうはいってもまだ腹が苦しくてしんどい

ので、この期間のことは、また書きます。

 

本当にいろんなことがあったんです。

 

 

 

 

 

 

 

残り- 327

  

  

 

 

入院ばかりだな。

つまらん。

 

 

 

 

 

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