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2018年7月 3日 (火)

余命1年日記 -119- ワールドカップと入院延長 (7月第1週 2018.7.3)

最近の記録

 

6月  18日      K病院入院  大阪北部地震

         26日      内視鏡検査

         28日      外出  外泊

7月     2日      胃カメラ  食道静脈瘤結紮 

           3日     (いまここ)

 

6月18日  朝 7時58分。大阪北部地震。

大阪北部では震度6弱だけど、

神戸は震度4だったって。

ふーん、結構 揺れたぞ。

棚が倒れたりはしなかったけど、

本棚のファイルや台所の缶詰なんかが落ちた。

 

そんなことよりも入院だ。誕生日の検査で

肝機能が悪く、腹水が溜まっていたから、

『18日10時に来い』と申し渡されていたのだ。

面倒くさいけど行かなきゃならん。

部屋の掃除と、崩れた雑誌の山をなんとかする

のは退院後だ。

 

電車は動いてないから  タクシーを呼ぶ。

しかしタクシー会社に電話したって、

こんな日に捕まる筈がないよな。

結局、大幅に遅刻して  昼過ぎに着いた。

しかし、このくらいなら優秀で、

F先生は三宮で足止めされて、結局

K病院まで歩く途中でタクシーが拾えて、

やっと来たという。

着いたのは  3時過ぎだったそうだ❗️。

私は、着いたらすぐに寝た。夕方 回診。

腹水、苦しいが穿刺する程ではない。

 

19日、血液検査。尿酸が高く蛋白が低い。

利尿剤増。点滴で蛋白質補う。食欲なし。

コロンビア戦、勝った。

20日  21日、点滴。食欲なし。

22日、血液検査。肝機能少し改善。貧血。

尿酸高い。入院 来週一杯か。

立ち眩みで倒れないようにリハビリ開始。

25日、セネガル戦 引き分け。まあよし。

 

さて、入院が延びることになった。

当初私はF先生のほかに、S先生という人にも

診てもらっていた。

私に『余命1年』の宣告をした先生でもある。

その先生が、隣の患者さんの回診に来ていた。

声が特徴的なので  すぐにわかった。

そういや最近、あの先生  回診に来ないな、

と思ったのでF先生が来た時に訊いてみた。

すると  担当替えのようなものがあって、

F先生は、今は放射線科のM 先生に相談する

ことが多いのだという。

 

その話の流れでF先生が

『じゃあ一度、胃カメラを入れてみましょう』

と、思い付いたように言う。

静脈瘤の様子を見てみよう。

必要なら処置してしまおう、と。

内視鏡の操作も放射線科の医者がするらしい。

『どうせ入院中ですからね。』

『ね』だと?

 

何だか『ついで』のような感じで内視鏡検査が

決まった。まあ  いいけどね。

破れてからうろうろしてたら、また6Iの医者に

いじめられてしまうからな。

 

26日、血液検査。

肝機能改善。血小板100,000。尿酸が高い。

同日  胃カメラ内視鏡検査。

検査のあと、F先生が

『一つ「縛りごろ」の静脈瘤がある。

結紮しちまいましょう。(食道静脈結紮術 EVL)

以前破裂した静脈瘤と違って、食道にあるので

縛り易いです。』という。

ちょうど入院中だし、とも。

 

どうも『ついでに』感がするのが気に入らないが、

せっかくだから  やって貰おう。

 

しかし内視鏡での処置をすると  その後経過を

見ながら絶食・点滴から始めて、消化器を回復

させないといけないので入院が延びる。

『一週間くらいですか?』と訊いたら、

『二週間』と来やがった。

なんだと?

 

おまけに内視鏡の予約が7月2日しか取れない

という。何でそんなに混みあっているのか?と

思ったが、内視鏡を噛んで壊した奴が言う

台詞 じゃない。

 

施術が2日だとすると、二週間後は18日。

いま(26日)からだと三週間入院が延びることになる。

さすがにげんなりしていると

『無制限に外出と外泊を許可してあげますよ』

と、言ってくれた。

 

しかし、あんまり嬉しくないな。

『無制限』といったところで連泊できないし、

緊急ならともかく土日の外出は病院が嫌な顔を

する。そこで『28日外出・外泊  29日帰院』

というスケジュールにした。

 

28日帰宅。ポーランド戦。不満だな・・・

この日の夜、マンションの入口でこけた。

鼻梁の上部に傷がついて派手に血が出た。

ところが全く痛くないので、自分の顔の変化に

気がつかず、29日にそのまま帰った。

外出証を返しに行ったナースステーションの

看護師さんが、言葉を失くして顔を見つめていた。

 

2日、血液検査。昼過ぎ  胃カメラ内視鏡。

術後、点滴  絶飲食。

 

F先生の回診の前に、背の高い先生が来て

『今日は何も飲めませんよ』と言う。

『はあ』と答えるとゴミ箱の中のペットボトル

を指を指しながら『飲んでるでしょう』と言う

昼過ぎまで待たされたから飲んだんじゃ。

物言いが居丈高なので何も言わないでいたら、

改めて『飲んじゃ駄目ですよ』と言って帰った

なんだ?あいつ。

 

F先生が来た。

結紮した静脈瘤は三ヵ所だったそうである。

『結紮した三ヵ所は、危ないから縛ったのか?

それとも縛り易いからですか?』と訊くと、

『縛り易いから、かな』だそうだ。

実も蓋もねえな。

『5月6月と、殆ど入院していたのに、

ノーマークだった奴が「育った」訳ですか?』

と重ねて訊くと『そうだ』と答えた。

F先生からも絶飲食のことを言われたので、

さっきの失礼な先生のことを言ったら、

『彼がM先生です』だって。

あれま。

さっきのことを話して『謝っといて下さい』と

頼んだら、笑っていた。

 

 

 

しかし、久し振りに静脈瘤破裂以外の原因での

入院だったのに、

結局は、同じところをぐるぐる回っている。

 

こうやって螺旋を描くようにして、

ゆっくりと落ちていくのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

残り- 341

 

 

 

 

 

2日深夜、ベルギー戦。あーあ、っと。

  

サッカー   終わり。

 

 

 

 

 

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