阪神大震災から13年。
個人的にも、あれをきっかけにいろいろあったので感慨深いのだが
今日は、あの一日を振り返ってみたい。
3連休が明ける日だった。
仕事が立て込んでいて、休日出勤していたのだが
16日は休んで家で飲んだくれていた。
なかなかというかまったく寝付けず、
横になったのは午前5時くらいだった。
当時TVをつけっぱなしで寝る癖があったのだが
ちょっとでも寝よう、と思って画面の時刻をみると
5時45分だった
地震の起こる1分前だ。
TVでは早見優が英会話を教えていた。
最初の揺れは震度3か4くらいに感じた。
関西では地震が珍しかったので
「おっ、神戸にしちゃ でかい地震だねえ」と
余裕こいて揺られていると
どーんと来た。
あとはもうベッドの上を跳ねまくった。
よく下に落ちなかったと思う。
ちなみに当時いた兵庫区は
震度7である。
部屋中の荷物がシャッフルされて
床に広がった。
窓の外を見ると、神戸駅の高層ビルにスパークのような
光がバチバチと走り回っていた。
部屋の外に出てみると、
非常照明だけでなく、なぜか全館の照明が煌々とついて
普段でもありえない明るさになっていて、
不思議な感じだった。(すぐに消えたが)
とりあえず、顔見知りにあって、互いの無事を確認すると
部屋に帰って、寝た。
1月17日の朝6時である。
真っ暗な中で右往左往しても仕方ないと思ったのだ。
変に度胸が据わっていたともいえるが、
被災地のど真ん中にいながら、
被害の大きさがさっぱりわからなかったということもある。
実際住んでいた建物は、
柱が折れていて危険(半壊の判定を受けた) だったのだが
知らない、ということが強いこともある。
そしてその証拠に、午前8時になると
スーツに着替えて、会社に行こうとしたのだ。
刷り込まれた日常ってすごい、っていうか
想像力があるのか、という話だ。
しかし創造力が無いのは私だけではない証拠に、
寮から出て駅に向かっていくと向こうから
「おーい、T君だめだよ。電車動いてないよ」
といって、同じくスーツにコート姿の顔見知りの所長がやってきた。
結局、兵庫から元町まで大回りをして歩いていったのだが、
途中不思議な光景を見た。
JR神戸駅前の駐輪場に
管理人のおじさんが普通に座っていたことである。
電車も動いていない状況で今日に関して言えば
駅前の有料駐輪場を使う人は
こんりんざいありえない、と思うのだが
あのおじいさんも、『日常』から逃げられなかったのだろう。
誰も来ない駐輪場で座って外を眺めているおじいさんは
ちょっとシュールだった。
私も2時間ほど歩いてやっと、事の重大さに気づいた。
神戸を代表する石造建築の第一勧銀はぺしゃんこにつぶれており
中国銀行(※)はファサード(建物の正面部分)だけ残して崩れ、
ファサードも傾いていた。
※中国銀行・・・Bank of Chinaのほうではなく、
中国は岡山に本店がある銀行
それまでも火事や崩れた建物に驚いていたが
第一勧銀のつぶれっぷりには驚いて
自分の身長くらいある『第一勧銀のかけら』が転がる
栄町通で呆然としていると、
「T村さーん」と呼ぶ声がする。
事務所の女性でIさんである。
家族以外の知り合いに会えたのがうれしかったのか
私が知るはずのない、友達の消息など
涙目で語っていたのだが、ふと前を見ると初めて気がついたように
「中国銀行が、
ドリフの家みたいになってる!」
1995年1月17日午前10時の神戸市中央区で
これだけナイスなボケをかましたのは彼女だけだろう。
これから長い一日が始まるのだが、皆さんも飽きたと思うが
私も疲れた。
続きがあればまた
あんまり長文はいかんですね。
