やる気があるやつだけついてきな

2012年5月23日 (水)

俺たちの明日はどっちだ。

5月23日は映画『俺たちに明日はない。』のモデルとなった、

ボニー・アンド・クライドが殺害された日。

     

     

  

   

       

 

   

   

1967年と割と昔の映画なので、知らない人も多いと思う。

実際、この二人がやった犯罪というのは

それほどたいしたものではなくて強盗と殺人だ。

  

累計13人を殺した大量殺人者ではあるのだが

殺人に思想性がない、という点では

昨日紹介した津山30人殺しと同様に

すがすがしく馬鹿である。  

   

いや、思想性のある殺人犯はもっと困るけど…

    

  

   

   

   

   

しかしこの人たちの犯行は派手だった。

マシンガンを持ったクライドが銀行に侵入、

ボニーは盗んだフォードV8で待機して、

一撃を終えると二人で逃走する。

 

当時のアメリカでは州境を越えてしまうと

警察の捜査が及ばない。

しかも、フォードV8は当時世界一大型の車だったから、

警察が追いつけるはずはなかった。

   

単純な強盗犯なのだが、彼らは意外に捕まらなかった。

  

    

 

州境を越えて捜査ができる連邦捜査局、いわゆる

FBIを作ったのはこの二人だ。

といわれたりする。

   

    

    

   

事件の痛快さと、

襲ったのが銀行や富裕な商店だったことから

一種の義賊のような扱いを受け、

マスコミ的には大人気だった。

   

     

   

   

この二人は、一時クライドの兄貴夫婦と一緒に行動する。

更に仲間が増えて

一種のギャング団のようなものを組織するのだが

人数が多くなると仲違いするのが集団の常。

 

兄貴のバックは射殺され、兄嫁も捕らえられる。

こいつが二人の行動についてしゃべり倒したために、

次第に追い詰められる。

   

 

    

しかも悪いことに、この二人組は、

警察官をショットガンでなぶり殺しにしていた。

警察というのは、身内に犠牲者が出ると

法律の許容範囲を超えて復讐に燃える。

   

   

   

   

   

  

   

彼らの『活動歴』は1932年3月から

翌年の夏まででしかなかったのだが

彼らを決定的に有名にしたのは、

その最期であろう。

   

怪我をしていたクライドのほうをかくまって

田舎に隠れていた二人だったが、その行動は

警察とFBIに筒抜けだった。

   

待ち伏せされていた二人は、恢復して移動しようとした時に

警官とレンジャー部隊の自動小銃で蜂の巣にされる。

      

     

      

     

       

   

   

   

     

さて、ボニーとクライドの写真。

    

220pxbonnieclyde_f

        

1932年のものとされる写真。

美男美女とまでは言わないけど

まあそこそこ、という風情。

ただし、ボニーの身長が150cm

だったことを考えると

アメリカ人としてはどうか?

       

     

   

  

ボニーは、カフェのウェイトレスだった。

『お金がなかったら今度でいいよ。』というような

気っぷのいい姐ちゃんだったらしい。

    

クライドは少年時代から強盗を行う、犯罪常習者だった。

彼は、客としてボニーが勤めるレストランに来る。

   

     

 

惚れたのはボニーのほうだった。 

しかも猛烈な片思いで、

読むのも恥ずかしくなるような詩を遺している。

   

 住み慣れた家を出て 町へ行った
 その目まぐるしい喧噪の中で遊ぶために
 無情なところとも知らずに
 町は田舎の少女を取り込んでいく

 少女は甲斐性ある男に惚れ込んだ
 チャイからやってきた殺し屋
 死に物狂いで愛した男
 男のためなら死んでもいい

    

盲目になったのは恋のせいか?

映画を見ると、この姉ちゃんも

ピストルやマシンガンをぶっ飛ばしていて

まともな人格ではないのだが、

一体何だろう。

   

   

   

    

    

     

     

     

     

   

    

     

    

   

では、『今日のボニーアンドクライド。』

  

  

    

      

       

     

     

この二人が殺害された直後の映像

というのが遺されている。

 

ボニーはハンドルを握りながら死に、

クライドは車外で横たわっている。

   

車に積まれていた武器、として

5丁の自動小銃と複数の拳銃が並べられているが

二人が携行する武器としては過剰ではなかろうか?

   

    

     

     

  

   

   

ここで、やっと映画『俺たちに明日はない。』

    

この映画、原題は単に『Bonnie and Clyde』というのだが

これに『俺たちに明日はない。』という邦題をつけた人は

誰なんだろう。

   

若干、説教くさいが、世界恐慌直後の狂騒と、

禁酒法時代急速に勢力を伸ばしてきた武装ギャング団。

といった世相を切り取っている。

   

そして何より、およそ計画性のないこの『逃走劇』に見る

二人の刹那的な生き方を示してはいる。

   

   

   

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

     

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月10日 (金)

バレンタイン・ラプソディ 2012

『さあっ。いま、東京電力本社前では

カカオ豆をもった、多数の群衆が集まっているようです。』


『おいっ。君達っ。解散したまえ。その豆をどうするつもりだ?』


『当然撒くのだ。』
 


『暴力や暴行は許さんぞっ。』 


『馬鹿野郎っ。バレンタインは縁起ものだっ。』
 

『愛だろ?愛っ。』 

『去年の凶運を払ってやろうという愛じゃないか。』 


『むう…』 


「しかも、今回用意したのはジャコウネコのふんからとれる、

という「コア・ルピック」という高級豆だ。』



『おお、100g 10,000円という最高級カカオ…』


『俺は、そんな高級豆は持ってこられないから

ジャコウネコのうんこを持ってきたっ。』 

「ジャコウネコのふんだって日本じゃ手に入らないから

うちの猫のうんこそのものを持ってきたっ。』 



『待て待て待て。』 

『あっ。西沢社長がいるぞ。』 

『前社長の清水もいやがる。』 

『うんこ撒け。うんこ。』















『あのですね?』


『…はい。』


『こういう小学生みたいなことを書くな、と言ってるんです。』


『…でも、止められないのよ…』


『あんたは気持ちいいかも知んないですけどね。

こないだ、同じようなことを書いたでしょう。』


『…はい。』


『そうしたら、「閲覧履歴」に「○○○tohoku-epco.co.jp」って

人が複数来てたんです。』


『誰?それ。』


『東北電力ですよ。』


『うひゃあ。』


『私に読み取れるようなIPアドレスを使うあたり

たぶん、個人で見に来てくださったんだと思うんですが。』



『…うーん。』



『あたしゃあ、

インターネットってのは怖いなあ、

と思い知りましたよ。』

















『よう、江崎。帰りかい?』


『ああ。』


『じゃあ、いっしょに帰ろう。』

『さみしいな森永。彼女がいないわけだ。』

『うるさいなー。こうやって下駄箱を開けたら

チョコが入ってるかもしれないだろ?』


『あ…』


『どうした、江崎っ。』


『チョコが入ってる。』


『なんだって?』

『やったなグリコ。』

『見せろ見せろ。』


『あ、おいっ。やめろよう。』


『ちくしょう。きれいな箱じゃねえか…』

『カードがあるぞっ。』

『「世田谷育ちのグリコさんに」。

って書いてある。』


『カードを開けるのはやめてくれっ。家で一人で見させてくれっ。』


『かまわんっ。』

『そうだっ。開けちまえっ。』

『なんて書いてあるっ?』


『あ…』



『どくいり きけん たべたら しぬで』





















『だからね?』


『…はい。』


『こういうことを書くな、と言ってるんです』


『…はい。』

















では、『今日の三枚。』














コピ・ルアック

0000_kopic   

 

 

 

 

 

 

 


うんこそのもの。








ジャコウネコ

0000kazde  

 

 

 

 

 

 

 

タヌキみたい。

かわいい。










うちの近所のみいちゃん。

0000miityan  

 

 

 

 

 


これほど無防備な野良猫を君は見たことがあるか?




かわいー。








にほんブログ村 その他日記ブログへ    

 

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年1月29日 (日)

百尺規制をやめてくれ

大阪市の橋下市長が

御堂筋の高さ規制をやめてくれ、

と言っている、というニュース。

(読売)
















あれこれ言いたいことはあるが、

 

とりあえず、これを報じる読売が馬鹿だ

  

『約30m』と書いてあるが、

まず そこは間違い。

法律の用語なんだから、きちんと使え。

31mだ。

  

建物のスカイラインを揃えようということで、

通りから見上げた軒高を百尺(31m)以下にする

という法律の規定がある。

いまではカスカスになりながらも

この制度は生き残っている。 

 

さらに日本は地震が多かったため、絶対高さが

31m以下というのが建築の規制だった時代が

霞ヶ関ビルの登場まで、長らく存在した。

 

いまでも、この『31m』というのは、

高層建築の目安であり、避難や消防設備の設置

の判別などでは重要な意味がある。

 

だからものを知らなきゃ、

書かなきゃいいのに…

 









高さ規制はヨーロッパが起源。

『あんまり高い建物はいかんよな』ということ

 

ところがアメ公はそうは思わない。

第一次大戦後のバブル期に、

猛烈な地上げ競争が起こって

マンハッタンでは摩天楼が高さを競う。

 

 

 




 

ところが、あそこは妙に地盤が固い。 

だから、第一次大戦の頃には、

すでに4階建てくらいの建物が密集していた。

そこを地上げして、摩天楼を建てたのが

1920年代。

 

 

たまたま地震が無かったニューヨークでは

弱い構造で摩天楼が建つ。

 

はっきり言って、マンハッタンの高層ビルの

下層階なんか採光も換気もひどいものであって

それは、未来少年コナンの

インダストリアのように

人間が住むところではなくなっていく。

  

ところがアメ公は、それを規制しなかった。

アメリカで、斜線規制ができるのは

マンハッタンが摩天楼で埋め尽くされた

後だった。

 

  

だから、あのビル群は生き残っただけ。

 

マンハッタンを見習え、というのは

無知に過ぎる


















大坂の話に戻ると御堂筋、

淀屋橋から本町に関しては『絶対高さ規制』が

あった。 

 

 

 

 

 

大正時代に御堂筋ができた時に決められた。

 

歴史的な変遷を経て、いまではだいぶ緩やかに

なり『総合設計』という制度を使えば

超高層の建物を建てることができる。

 

 

せめて、歴史を知っておかないか?

『百尺=31m』でそれが、現在の法律にも

適用されているんだ。

ということくらい、少なくとも新聞は

知っておこうよ。

 

橋下さんは専門外だから

知らないのは仕方ないとして、

周りは教えてやれよ。

『大阪とマンハッタンは違う。』と。

 

 

 

 

 

0000midousuji

御堂筋、本町付近

いいかどうかはともかく

整ったスカイライン

 

 

 

0000midousuji2

 

突然現れた高層ビル

ホテルですとさ。 

 

 

 

 

 

実を言うと、この御堂筋沿線には

いま、猛烈な勢いで

高層マンションが建っている。

 

夜間人口が増える、という意味では

間違いではないのだが、30年たったら、

いま、日本中がもてあましている『団地』

になる。

 

権利を持った年寄りばかりになって

誰も街作りに参加できなくなる。

 

『シャッター商店街』なんていうのも、

結局は同じことだ。

『権利を言う奴』ばっかり。

それで新しい人は入れたくない。

 

日本中に、そんな街がある。

 

 

はあ…






















では、『今日の一枚。』 

 

 

 

 

 

 

 

霞ヶ関ビル。

00000kasumigaseki

 

 

 

 

 

 

 

昭和30年竣工の超高層ビル。

高さ150mというのもさることながら、

  

『あ、そこまでできるんだ。』と

日本人に思わせたところがすごかった。

 

 

これ以降、日本の超高層建築技術は

アメ公なんかよりも遙かに進歩していく

 

 

 

 

そして例によって前置きが長いなあ、

と我ながら思うのだが

今日の結論は、ここから先。

 

 

 

 

高層ビルの規制が悪いんじゃない。

 

        

規制を外せば思うように建つだろう、

と思っている子供っぽさが嫌だ、

ということ。

 

 

 

 

 

 

ついでに言うと、

御堂筋みたいな目抜き通りでも

大阪に高層オフィスは建たないよ。

梅田の超高層の床が埋まらないんだから。

 

 

 

悲観的に過ぎるか?

 

 

 

でも、規制を外してスカイラインを乱した

あげく、空きテナントばかり、

という状態になるのが

眼に見えてるんだけどな。

 

だから五郎、橋下さんに教えてやれよ。

 

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ    

 

 

 

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年7月15日 (金)

ロゼッタといえば…

7月15日は『ロゼッタストーン』が発見された日。 

    

 

000rosetta 

 

上からヒエログリフ、その草書体、

ギリシア文字が書いてある。 

 

 

 

ロゼッタストーンそのものは、小さな石で

いまは大英博物館にある。

 

 

 

 

 

 

なんだかよくわからない理由で

エジプトに攻め込んだナポレオンが

そこで『発見』した。

 

 

古代エジプト文字とギリシア語が書かれた

この小さな碑文は、世界中の考古学者に対する挑戦状となる。

世界中がかかって、解読するのに結局20年以上かかった。

 

シャンポリオンという兄ちゃんがわずか22歳でこれを

解読するまでの過程と、その後の話は

とても面白いのだが、今日は書きません。

 

とにかく、彼のおかげで、

我々は1万年以上昔の事を知る事が出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のロゼッタ。』

 

 

 

 

 

 

 

我々の世代だと

『ロゼッタ』というと、これ。

 

その宛先で、ちゃんと届いちゃうのか?

というあたりが、逆にすごい。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、CMアニメの眼の大きい人は『くろこさん』で

しきりに『しろこさん』をうらやんでいるCMがこれ。 

(音声がちょっと聞き取りにくいです)

 

ファミリーサイズ480円、普及型でも240円というのは

40年前とはいえ、ちょっと高い。

 

 

そして、化粧品なんだから

『普及型』とか『徳用型』って言うなよ。

 

 

 

そして、『ロゼッタ』じゃなくて、『ロゼット』でしたね。

いま現在も存在する会社なので

名前を間違えちゃいけないんだけど、

ガキの頃、『あーら、しろこさん。』とかやってた時には

『ロゼッタ』って言ってたと思うんだけどなあ。

 

 

だから、この石のことも

このCMと共に覚えている。

 

 

 

 

 

なんで『ロゼッタストーン』から

いきなり『洗顔パスタ』にいっちゃうのか?と思った方も、

たくさんいらっしゃるだろうが、

我々の世代では、『ロゼッタ』といえば

『しろこさんとくろこさん』なのだよ。

 

 

『なのだよ』っていわれても困るか…

 

 

 

シャンポリオンの話をしろよ、って思うんだけど

どうしても、とめられなかったの…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、戦争に行ったはずのナポレオンが

なんで、こんな石を見つけたのかというと

彼は、アレキサンダー大王に心酔しており、

遠征先に学者を連れて行ったから。

 

トルコが衰えて、イスラム勢力圏だったオリエント地域が

ヨーロッパに『再発見』され始めた時代でもあった。

 

 

ギリシア建築の再発見がおこなわれて

『あれー、むかしの建物ってこんな形してたんだー』

ということで『新古典主義』なんていうのが起きたりもする。

 

 

 

 

 

 

フランス人が見つけた石が、

なぜ大英博物館にあるかというと、

陸では強かったナポレオンは、

海ではまるっきり弱くて

イギリスのネルソン提督率いるイギリス海軍に

アキテーヌ湾の戦いで敗れると、エジプトに孤立。

 

ピラミッドの前で『諸君を4000年の歴史が見守っている』

といって煽ったはずの、6万人の兵隊を見捨てて、

フランス本土に逃げ帰っちゃったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の、もう一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

くろこさん、居心地悪い。

Minority  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ    

 

 

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年4月28日 (木)

バウンティ号の日

4月28日はバウンティ号事件が起きた日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

   

 

 

 

 

 

1789年のこの日、

太平洋で行動していたイギリス海軍の戦艦で

叛乱が起こった、というもの。

 

 

 

 

『船員の叛乱』というだけなら、よくある話で

どうということもないのだが、

この事件が変わっているのはその後の経過。

 

 

パンの木輸送作戦、という間抜けな命令に従事していた

バウンティ号の皆さんが叛乱。

船長にも問題があったらしいのだが

抗命罪というのはどこの国の軍隊でも死刑なので

逃げ込んだのが、ピトケアン島という無人島。

 

 

 

どこだ?それは。という質問はもっともで、ここ。

 

 

00pitoaken

 

 

 ピトケアン島を中心とした世界地図。

 

 

 

 

最寄りの島まで5300kmという『絶海の孤島』。

こんな所に逃げ込んじゃったあたり、

よっぽど報復が怖かったのかと思う。

 

 

 

 

日本にも、あちこちに『平家の落人集落』というのがある。

田舎なのはもちろん、

そんな高いところに、とか そんな離れ小島に、とか。

 

『平家の落人』、というと何となく

『悲運の御落胤』というイメージがあるらしいのだが、

要するにただの負け犬だ。

 

子孫がかわいそうだから、

そんなところまで逃げなくても、と思うのだが、

そんなに怖かったのか?源氏。

 

00genji

 

こわくないよ

 

 

 

 

 

 

 

 

それはともかくバウンティ号の皆さんのうち

ピトケアン島に逃げ込んだのは男ばかりの9名。

 

それだけでは死んでしまうので

タヒチ島に立ち寄って現地人の女12人と、男6人と

鶏、豚、食糧を積み込んできた。

 

この島を選んだのは偶然だが、結局彼らはここに居着くことになる。

 

もちろん、イギリス人の男9人とタヒチの男6人が

女12人を前に冷静でいられるはずはなくて

18年後に偶然立ち寄ったアメリカ船がこの島を『発見』した時

そこにいたのは、イギリス人水夫、ジョン・アダムス

タヒチの女10人。

そして、こどもたち23人だった。

 

 

うわあ、アダムス、絶倫。

 

 

 

 

 

アダムスは無学だったが聖書だけは持ってきており

彼は『こどもたち』にそれを教えた。

 

したがって、いまでもピトケアン島の皆さんは

英語とタヒチ語の混成語(クレオール)を話す。

 

『いまでも』といったが、

『いまでも』この島にアダムスと仲間の子孫はいて

その人数は45人(2004年) 

 

 

 

 

 

 

 

この間、『東京島』っていう映画があったよね。

あれは、アナタハン島事件っていう

別の事件の下敷きがあるんだけど、

『絶海の孤島に男がたくさんで女が少し』という状況は似ている。

 

まるっきり女がいなければ、あきらめもつくし

違う方向に行くのかもしれないけど

『ちょっとだけいる』っていうのは、罪だ。

 

 

 

 

 

 

そうかあ、そういう状況になったら俺なんか負けるよなあ。

『ウエシマ作戦』とかやって

『どうぞ、どうぞ』ってやってもだめなんだろうなあ。

 

 

この事件を元にした映画とかがあって

アダムスを英雄のごとく描いていたりする脚本もあるのだが

要は強姦魔だ。

 

いま現在も、アダムスの子孫はいるらしいので

言葉は選ばないといけないが

先祖が馬鹿でも、君が立派ならいいじゃないか。

 

プラスでもマイナスでも血統にこだわる奴なんか大嫌いだ。

 

 

 

 

テレビで、『ピトケアン島』という存在を知って

びっくりしたのはもう10年以上前か。

 

そして、よく考えたら『ウエシマ作戦』って

『最後は自分がやる』んだよな。

 

 

 

 

 

 

ずるい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の二枚。』 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『東京島』での、木村多江。

000000000000000000000000000000000_2  

 

 

 

 

 

 

眼が怖いが実際に起こった事件はもっと怖い。 

 

 

 

 

 

昭和19年から25年まで、実際に起きた事件。

 

企図せずに、女ひとりと、男32人が無人島に同居する

アナタハン島事件で生き残った、比嘉和子さん。

(この写真は救出時で28歳。)

Kazuko2  

 

 

彼女を取り合った、かどうか

真相は藪の中なのだが

32人の男のうち

9人が死んだ。

 

 

 

 

命をかけて争うような女かどうか

という以前に、

セックスのために命をかけるなよ。

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

 

 

 

(9月2日追記:

コメントを頂いて一部文章を修正しました。

23人のこどもたちが、全員アダムスの子供ではない、

という、ご指摘は正しいと思います。

申し訳ありませんでした。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年2月15日 (火)

イエスか、ノーか

2月15日は太平洋戦争でのシンガポール陥落の日。

 

『マレーの虎』、山下将軍が

イギリス連合軍のパーシバル将軍に

降伏するのかしないのか

『イエスか、ノーか?』と迫った日。

 

 

 

 

 

Wikiでは、

いやいや違うんだ。

山下将軍は恫喝なんかしていない。という事を書いている。

 

 

そうかな、とも思うんだが

この時の映像は残っている。

 

駒を落として、要は早まわしして、迫力を増した。

将軍の本意ではない、と言うわけだが

早かろうが遅かろうが

『イエスかノーか』というシチュエーションはあったわけです。

 

 

 

山下は2.26事件の反乱軍に同情的で

東条英機の不興を買ったために

中央から外されていたのだが、このマレー作戦での

大勝利はニュース映画に大いに利用された。

 

 

敗軍の将であるパーシバルは悔しかったらしい。

 

 

シンガポールなんて、くそ暑い植民地の司令官だった彼は

半袖に半ズボンという簡易軍装で

『休戦交渉』に来たはずが、いつの間にか

『降伏会見』にされており、

軍使である以上、白旗を掲げるのは当然なのだが

それが、ジャップのニュース映画に使われて

しかも、猿に恫喝されて、ええい口惜しい。

 

イギリス人からしたら、腹が立つだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

勝敗は兵戦の常、と言う言葉がある。

  

勝っても負けても恨みっこ無し、と言うことだと思うのだが

この人の戦後はちょっとしつこい。

 

 

 

 

昭和20年9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリで

日本は降伏する。

降伏文書にサインするなんていやだ、と

日本側は大分揉めたらしいのだが

連合国側はそんなことはなく、マッカーサーがサインした。

 

 

5本のペンで。

 

 

『連合国軍司令長官 ダグラス・マッカーサー』くらいしか

書くことはないはずだが

彼はそれを5本のペンを持ち替えながらサインして、

そのペンを、妻と連合国の要人に配った。

 

そのうちの一本がパーシバルに贈られた。

 

記念品、ということらしい。

 

 

 

 

さらに、気持ちの悪いところは

山下の絞首刑を見物に行ったことだ。  

 

山下は、マレー作戦の後フィリピン防衛軍司令長官に補されて

そこで敗れて、捕まって戦犯として絞首刑になる。

 

マッカーサーは、そこにパーシバルを『ご招待』し、

パーシバルはその『首吊り』を見に行ったのだ。

 

 

 

 

見せる方も、見に行く方も

あんまり上品じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

パーシバル、という人は、あっという間に負けたせいもあって

『バカ将軍』という印象が強い。

 

だから、山下に対する

戦後の強気で嫌味な態度は意外な気がする。

 

 

 

口惜しかったんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

そして、これは

マッカーサーの演出だったとも思えるから困る。

 

『降伏文書の5本のペン』の話もそうだが

マッカーサーという人の行動は、けれん味たっぷりだ。

大統領になりたかったからだ、という話がある。

 

 

 

  

そのくせ、臆病だ。

 

9月2日の降伏文書調印のために来日するのだが

来たのは直前の8月30日。

そして、厚木に上陸したあと横浜に2泊して

そのままミズーリに行く。

 

東京に行かないんですね。

降伏前のジャップなんか

信じられるか、と。

 

 

 

 

朝鮮戦争でもおんなじで、国連軍という名の連合軍

(どっちも英語だとUnited nations)の指揮は東京で執る。

 

 

『指揮官先頭』なんていうことをやっているから

山本五十六は戦死しちゃうので

マッカーサーのこのやり方は間違いではないのだが

このおっさんは目立ちたがり屋だ。

 

 

『I shall return 』で帰ってきたフィリピンで

波を蹴立てて上陸する、あの有名な動画は

じつはテイク2。

 

スチールカメラで撮らせた写真が気に入らなくて

フィルムを回させたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、山下の『イエスかノーか』

マッカーサーの『5本のペン』

首吊りを見に行ったパーシバルも

 

戦争なんて、みんな演出だと思うのです。

 

 

 

 

 

こまったもんである。

 

 

そして、なんか さみしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

降伏直後の山下。(まだ軍服を着ている。) 

00yamasita3 

 

 

 

 

 

 

ずいぶん痩せちゃって…

 

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月14日 (月)

バレンタイン・ラプソディ

『おかえりなさーい。はい、これチョコよ。』


『あー、疲れた。』


『あら、なにこれ?』


『あああ、会社の事務の娘に貰ったチョコだよ。

義理だよ、義理。』


『ああら、ゴディバじゃない。

義理チョコに「ごぢば」!

昔あたしが上げたチョコはアポロチョコだったのに。』


『違うんだ、サマンサ。訊いてくれ。

もちろん、君のチョコの方がおいしかったよ。』


『そりゃそうでしょ。

チェリーボーイだった あんたは、あんなに喜んでたんだから。

ぼくはピンクの所、君には茶色いところをあげよう、

なんて言って一緒に食べたくせに。

両端から食べよう、なんて言ってくれたくせにっ。』


『いや、そうなんだけど

中途半端に細かいディテールを言わないでくれ。』


『…ぶー…』









『じゃあじゃあじゃあ、今度の休みには

好きなところに連れて行ってあげよう。

映画に行こう、な?

「北斗の拳・3D」ってのを見にいこうっ。』


『……』


『ケンシロウが「あたたたたたたた」ってやった時の

迫力は、3Dだから そりゃもう「ひでぶ」ってなもんで

川田君なんか白目をむいちゃって

「お前はもう死んでいる」ってなもんで…』


『誰よ、それ…』


『あ…』


『ごぢばの娘ねっ。』


『あ゛…』 









『まったく、チョコくれるのはいいけど

どの娘も、みんなウィスキーボンボンだぜ…』


『なんだよう、つよし。チョコ貰えるだけいいじゃないかあ。』


『妙に重たい包みだな、と思ったら、カットガラスの灰皿に、

てんこもりの「テキーラ・ボンボン」だぜっ。』


『…あーこれ、お前あてじゃないよ。

「エビ様に」って書いてある。』


『くそっ。ぐれてやるっ。

公園で裸になってやるっ。』












『もえー、チョコ渡すんなら直接渡したらいいじゃない。』


『なに言ってんの?

下駄箱を開けたら、チョコと手紙が入ってる。

これが青春よっ。』


『えー、でも恥ずかしいじゃない?』


『馬鹿っ。下駄箱を開けたらチョコや手紙がてんこもりなんて

高校生の時にしかできないのよっ。』


『あー、靴を履き替えるなんていうのは、高校までよねえ…』


『大人になるとね?そういうことが、うらやましくって、

あの時やっておけばよかったと、…』


『…あの時?』


本当に、もう下駄箱を開けたら

だーっていって、プレゼントが流れ出す

そういうのは、もう青春の夢だと。歳をとったら

つくづくつくづくつくづく、と。』


『…あの、ときどき中途半端にシチュエーションに

リアリティを入れるのはやめてくんないかなあ。』








『さあっ、ここが先輩の下駄箱よっ。』


『…おおう。

鼻よりも眼に来るわね…』


『…百年の恋も冷めるわ。』


『男子高校生なんてこんなもんよね…』


『だいじょうぶっ。

このチョコはオドイーター入りよっ。』













『やあ、よろしく頼むよ。』


『うしゃしゃしゃしゃ。山田さんが来てくれてうれしいよ。』


『農業だけじゃ食えなくてね。

近所にチョコレート工場ができて、助かるよ。』


『食品工場だからね。

いろいろ うるさい決まりがあるんだよ。』 


『ああ、田中さん、是非教えてくれ。』


『まずね、着替えておくれよ。

工場の中では、この作業服さ。

靴も替えとくれ。あんたの靴箱はここさ。』


『…おや、下駄箱に何か入っている。

あんた、これは、田中さんっ?』


『うしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ。』 











では『今日のバレンタイン』









アポロチョコ

00apolo 

 

 

 

 

 

今でも人気商品。

 

 

 

 





バレンタイン・キッス
 

 


これは『渡り廊下走り隊』のカバーバージョン
 

プロデュースは秋元康。

柳の下に定置網。 

 






にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

 

 

 

 

 

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2010年10月30日 (土)

『大草原の小さな家』と、世界の時代劇

『大草原の小さな家』のDVDのCMがTVで流れている。

 

あー、なつかしーなー、と思う。

 

ガキの頃、NHKで見たなー。

 

00daisougenn_2

 

 

 

 

かわいー

 

 

 

 

 

 

 

 

このドラマには原作があって、時代設定は19世紀後半。

日本でいうと、明治維新後の十数年。

ちょんまげを切って、鹿鳴館で踊っていた時代だ。

 

 

 

『馨っちー、今日もロッキー行くのー?』

 

『あたぼうじゃん、今日も鹿鳴館でオールだぜ。』

 

『ノレるバンドを用意してくれたぁ?』

 

『今日はすごいぜ、上野の音楽学校に来ている

ウィーンのコンチェルトを呼んでいるんだ。』

 

『きゃー。』

 

『今夜は寝かさないぜ、ベイベー。』

 

『きゃー。』

 

 

 

 

 

 

 

西部開拓時代を描いたこのドラマは、

アメリカ人から見たら、やっぱり『時代劇』なんだろうか?

 

ちがうか。

アメリカ人は、日本で『龍馬伝』や『水戸黄門』が人気なのを見て

うらやましい、とか思うんだろうか?

 

 

 

 

そもそも、外国に時代劇ってあるのかな。

 

韓国には『チャングムの誓い』ってのがあったな。

 

30年前の中国だと、『時代劇=京劇』だったんだけど

いまはどうなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ということで、我々テレビ・エジプトプトでも

時代劇を作ろう、というわけだ。』

 

『やっぱりクフ王でしょう。』

 

『ハリウッドじゃないんだ。

どうやって、ピラミッド建設のシーンを撮るんだ?』

 

『じゃあ、じゃあ、じゃあ、ツタンカーメン…』

 

『あの王様が人気なのは、日本だけらしいよ…』

 

『じゃあ、やっぱりクレオパトラ、ですかなあ。』

 

『それはもう、3年おきにやっているよ。』

 

『我が国には1万年の歴史があるのにねえ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…ということで、我がテレビ・テルテルアビブでも

大河ドラマをやりたい、と。』

 

『でも、1948年の独立以前、というと

我が国の歴史ドラマは

いきなりモーゼの時代になっちゃいますからねえ。』

 

『それは、お前ちがうよ。

「シンドラーのリスト」とか、泣けるドラマがあるだろう。』

 

『…ドラマはあるけど、

ハッピーなエピソードがないんですよねー。うちの民族…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…ということで、我がテレビ・ベルリンリンでも

大河ドラマを作りたい。…』

 

『じゃあ、赤髭王、フリードリッヒ一世を』

 

『いやあ、あの人が即位したケーニヒスベルグは

いま、カリーニングラードっちゅうてロシア領なのよ。』

 

『…むー。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本的な時代劇が成立する国って、

意外に少ないような気がします。

 

 

キリストや、釈迦や、ムハンマドなんかも

そんなに無茶苦茶に遠くまで、布教活動はしていなかったらしい。 

 

 

キリストさんも 

『ヨハネさんもパウロさんも、お待ちなさい。』 

とかは、言わなかったらしい。 

 

 

 

 

 

『右の頬を打たれたら、左の頬を…』

 

ばぎっ

 

『ってなー。なにすんだよー。』

 

『せんせー、博愛、博愛。』

 

『野郎、○○○○○、ぶち込んでやるっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

みんなおなじみ、水戸黄門

00innrou

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放送1000回記念商品。

輪島塗のお皿。

 

00175000

 

 

 お値段、175,000円。

 

 

 

たっけー。

 

 

 

 

 

 

 

ハイヨー、

Daily_picdump_315_112

 

 

 

 

 

 

 

 

フランスだったら、

もうちょっとましな時代劇がありそうなもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月29日 (木)

まことちゃんハウスの勝訴

『漫画家の楳図(うめず)かずおさん(72)が

東京都武蔵野市に建てた「まことちゃんハウス」

と呼ばれる自宅をめぐり、近隣住民2人が

「外壁が赤白のしま模様で、景観を破壊する」

として外壁部分の撤去などを求めた訴訟で、

東京地裁は28日、住民の請求を棄却する

判決を言い渡した。 』(朝日新聞)

 

 

 

 

 

 

08




















まあ、妥当な判決だと思う。 

 

 

 

 

奇抜な建物で自分が設計する家には

いくら施主が望んでもこんな柄、

塗らないだろうと思うのだが、

いまの日本では裁判になじまないと思う。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

判決はこの建物について

「周囲の目を引くが、

景観の調和を乱すものとまではいえない」と判断。

 

 

景観の調和を乱すものとはいえない、かどうかは

下の動画を見てみてください。

 

 

 

 

 

建物が道路から下がっていることと

植栽のおかげで通りかかるだけでは

一見気がつかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原告が2人というのもなにやら孤立した感じがする。

近隣全体の同意が得られなかったのか。

 

 

まあ、『変な建物だけど裁判ってのは

大騒ぎしすぎじゃないかなあ。

うちは参加しませんよ』という人が

大半だったのだろう。

 

 

 

 

お箸の国の人らしい発想だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここまで『まことちゃんハウス』を

擁護するようなことを書いてきたが、

実は難しい問題をわれわれに示した、と思う。

 

 

『自分の土地なら何を建ててもいいのか?』

 

 

という問題だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

伝統的な街並みで国に指定されている地区の中や

自治体が条例で建物の色彩や形を規制している場所や

住民同士が建築協定という決まりごとを作っている場合は

今でもこういう奇抜な建物は建てられない。

 

 

 

今回の件では、建設地が上記のどれにも

当てはまらなかったため裁判で負けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

さまざまなデザインや色彩の建物が立ち並んでいるのが

日本の都市の特徴で、欧米人が驚くところで

そういうカオス的なものが魅力だという人もいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうはいっても、『自分の土地なんだから』といって

好きなことをするのはどうかと思う。

 

 

抑制を持って建物をデザインするのも

建築に際しての

礼儀というかマナーだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

別に『まことちゃんハウス』じゃなくても

真ピンクの家とか

Pink_3   

 

 

 

 

 

 

真っ黄色の家とか

Yellow

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ青な家とか

Blue

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




















裁判を起こす短気なご近所がいないだけで 

世の中にはあふれているのだ。 










 

建築そのものは自由が守られるべきで

規制なんかないに越したことはないのだが

建築主が『街の中での自分の建物』について

謙虚さを持たないと街はどんどんカオスになる。

 

 

 

 

 

 

『まことちゃんハウス』なんてまだおとなしいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても判決が出たら楳図先生には、

『勝訴』の紙を持って走ってきて欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

この裁判の締めくくりにふさわしいと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

原告は、控訴も考えているらしいので

控訴審でぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみこの記事が

通算400本目。

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年3月21日 (金)

根性花見をしよう

神戸でも桜がほころび始めた。

 

 

 

 

 

うれしい。

 

 

 

 

 

 

 

神戸は花見の名所がないので苦労するが

日本中、花見だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は全国的に晴れだったが

あさっての日曜日は天気が崩れるそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで提案。

 

 

 

『雨の中で宴会』というのを

やって欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、花見ではないが

『雨の中、カッパを着て外で宴会』

というのをやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若さ、でもあった

 

 

 

 

 

『馬鹿』でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒はいい、薄くても酒だ。

 

 

 

でもやっぱり鍋が欲しいよね。

ということで3つの班が挑戦した。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カセットコンロは惨敗した。

雨より、風に弱かった。

 

 

 

 

 

 

 

登山用のコッヘルは健闘した。

なかなか優れものだが1人用なので

すぐなくなるのが欠点だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝利したのは七輪だった。

かんかんに炭を熾すとなかなか消えなかった。

 

 

  

 

 

 

 

しかし常に息を吹き込まなければいけないのと

灰が舞い落ちるので、ちっとも落ち着けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

料理はことごとく失敗したが

みんなげらげら笑ってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若かった、

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以上に馬鹿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、西日本の雨は明日には上がる。

 

 

 

 

 

これを読んだ皆さん。

この文章を参考に雨の中の

根性花見をして見てください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに責任は取りません。

 

 

 

 

 

HNKの『プロジェクトX』の

ナレーションで読んでください。

  

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

| | コメント (6) | トラックバック (0)