そんな時代もあったよね

2009年1月 7日 (水)

昭和が終わった日

今日は昭和が終わって20年目の日。

 

 

 

 

 

 

20年前の今日、昭和天皇が崩御。

早朝のことだったのでTVは朝から

あらゆる番組が中止され、

このニュースで持ちきりとなった。

 

 

 

 

 

その日の午後、閣議が開かれ

新元号が決められた。

 

 

午後2時半、当時官房長官だった

小渕恵三が発表した。

『平成』と書いた額を掲げる

あまりに有名な記者会見である。

 

 

そうか、あの記者会見からちょうど20年か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時私はまだ学生で、冬休みで

友人と温泉旅行に行っていた。

 

 

あの『何でも自粛』の時期に不謹慎なことだが、

温泉にはそれなりに客がいた。 

  

 

 

田舎のことで号外もなく

遅い昼飯を取るために入った食堂のTVで知った。

 

 

 

 

この記者会見もそこで見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小渕さんが手元の書類を見ながら

『新元号はへいせいであります』と言ってから

額を掲げるまで少し時間がある。

 

 

『ん?けいせい?電車みたいだな』と思った記憶がある。

 

 

 

その後、 

『へーせー、なんて

なんかしまらない名前だなあ』と

友人たちと言い合ったのを覚えてる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日、皆さん何をしてましたか。

 

  

 

『小さくて覚えてない』

『生まれてない』

といった人もいるだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかくこうして7日しかない昭和64年は終わった。

ちなみに昭和元年も7日しかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの頃世間はバブル真っ只中だったなあ。

 

 

その後不況があり地震があり、オウムがあり

ちょっと好景気があり、いまはまた大不況になりつつある。

 

 

 

20年って長いですね。

 

 

 

 

  

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2008年12月23日 (火)

あなたの誕生日は

今日は東京タワーの50周年だそうである。

誕生までの過程はこちらをご覧ください。 (Wikipdea)

 

 

 

Wikipediaは書かないが

東京タワー建設に関して

産経新聞の前田久吉と読売新聞の正力松太郎との

間に確執があったのは有名な話。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

私が東京タワーに登ったのは小学生のときで

それ以来登ってない気がする。

いまの人はどうなんだろう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大体東京タワーってなんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正式名称『日本電波塔』の名が示すように

TVやラジオの電波を発信するのが目的だ。

 

 

 

 

名古屋や札幌のTV塔と違いはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

設計者は内藤多沖博士

戦後日本の構造設計の第一人者で

京都タワーも設計している。

 

 

 

 

 

 

 

 

地震国日本に耐え

しかも、エッフェル塔より高く

鉄骨は1/3という天才的な設計である。

 

 

 

 

 

 

しかし、エッフェル塔と違ってEVは股下をまっすぐつきあがる

情けない形である。

せめて橋脚に合わせて斜行EVをつける位して欲しかった。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてこの東京タワー、50周年とは驚いた。

年上だったんですね。

 

 

 

 

 

 

2012年に稼動する『東京スカイツリー』が登場したらどうするのか。

 

 

 

日本電波塔の担当者は

『一部放送施設はこれからも恒久的に存続する。

しかし、放送施設としては主な役目は終わる。

観光施設として残す場合は老朽化や耐震問題を考慮し、

補強や構成材の交換なども継続していかなければならないため

日本電波塔社も「放送局の電波料収入が途絶えた場合、

観光収入だけでは経営は難しく取り壊しもあり得る

と発言している。

但し、『パリエッフェル塔のように観光施設として

財政的援助を受けた場合は存続する可能性がある。』とも

 

 

 

 

 

 

 

 

実際の話、おそらく撤去されないだろう。

『東京スカイツリー』の出来る押上は

お世辞にも都心とはいえない。

 

 

 

 

 

 

そこに行くと今の東京タワーの芝は間違いなく都心だ。

  

 

 

 

 

おそらく、東京の名所として

長く残るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京タワーに登る人は年間300万人だそうだが

(それでもすごいが)

眺める人は年間はるかに超えて

延べ数億人にのぼるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから続くよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2008年9月 7日 (日)

コンタクト作りました。

コンタクトを新調した。

 

 

 

 

 

 

 

コンタクトといえば私はコンタクト歴

30年である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校4年からつけてる。

 

 

その辺の女の子が

『高校卒業したら眼鏡やめてコンタクトにして変身するの』

というのとは年季が違う。

何しろ30年だ。

 

 

うわあ、自分で言ってがっくり来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてコンタクトレンズというのは

値段が変わらないということにかけては

卵なみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンタクトレンズは30年前

1枚2万円くらいした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今でも2万円というと

心穏やかでいられないが

30年前の2万円は真剣である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何しろ無くしたとなったら

母親が血相欠いて探しまくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無くすのは、器具交換の時期なので

当時のレンズはただのプラスチックの切れ端で

酸素は通さず紫外線は通りまくりだったのだが

とにかく母親が半狂乱になって困った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いま売れ筋の商品を聞くと

酸素は通すしUVカットはするし

それなりに進化している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが大体2万円だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30年前のスペックと同じものなら

2千円で買えるが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過ぎた年数ほど値下がりしていない。

しかも、2千円のレンズを買おうとしたら

すごい哀れんだ顔をされた。

 

 

 

 

 

 

やっぱり2万円くらいのレンズを買わないといけないらしい。

(2千円の上は8千円1万6千円とか2万円とか

価格の飛躍が激しい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、まだ安い、らしい。マジかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、いまコンタクトが入れ替わって

見違えるほど景色がきれいです。

 

 

 

 

 

 

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2008年8月29日 (金)

自由研究ってなんですか?

8月も28日

小中高校生は夏休みが終わるときだ。

わはははははははは。

 

 

 

 

 

 

 

ところが全国で大雨。

何か見にいくどころか、おおさわわぎ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、

なつやすみは今週で終わる。

宿題は終わったかな? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なつやすみの宿題では

読書感想文もドリルもいやだったが

なにがいやだって

自由研究がいやだった。

 

 

 

 

なんだよ『自由』って

『自由』にやれっていわれても、困る。

 

 

 

 

 

 

 

こう書くと自分が

すごくつまらない人間

のように感じて落ち込むが

 

 

小学生や中学生の研究に

新しい『発見』や『発明』があるはずないんだし。

 

 

テーマがあればレポートを

まとめるのはむしろ得意だったし

気の利いたことの一つ二つ書けたが

テーマが選べなかった。

 

 

うーん現代っ子だねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果どうしたか。 

 

 

 

『ありの観察』を

6年間出し続けるという

ある種、無頼でいい加減な

よく学校も許したな

という卑劣な手を使って

切り抜けたのでした。

 

 

 

 

1年生のときちょっとほめられたので

図に乗った、というところもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

好きにやっていいっていうのは

自由じゃないよ。

(気の利いたことを言った気になってる) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2008年8月 3日 (日)

赤塚不二夫氏死去

漫画家の赤塚不二夫さんが逝去。

 

 

 

 

 

 

 

私がプロフィールを書くより

Wikipediaの「赤塚不二夫」のページを見てください。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が小学6年生のとき

「天才バカボン」がアニメになった。(2代目)

 

 

「テポドンの歌」で取り上げたあれの元歌である。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あのアニメの初放送はよく覚えている。

小学6年の同級生だった渡辺君の家で

ほかの友達4、5人と、見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何でそんなシチュエーションになったのか

さっぱり覚えていないのだが

私が「赤塚漫画」をリアルで体験してきた

最後の世代だというのは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうでなくても「秘密のアッコちゃん」は

なつやすみのたびに放映されてたし、

赤塚不二夫が漫画家だと実感をこめて言えるのは

私らが最後の世代だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に

赤塚漫画の破壊的な魔力に魅了されたのは

70年代安保を戦った世代。

 

 

右手にゲバ棒。

左手に少年マガジン。

 

 

 

 

 

という人たちだ。

 

 

 

 

 

個人的な経験で言えば

連載中の「天才バカボン」を見た記憶は

ほとんどない。

 

 

唯一の例外は、

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

もらってきた「マガジン」を見たとき 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには「天才バカボン」が掲載されており

その号には、後に伝説となる

「等身大漫画」が載っていた。

 

 

 

 

「今日は等身大漫画をやるのだ」と

パパが言い、

そのスペースは雑誌1ページ丸々であり

答えるバカボンも1ページ

 

 

最後はページというかコマが足りなくなって

1ページを32等分するような小コマで

しかも終わらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読んだ当時はなにが面白いのかわからなかったが

いまなら笑える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

氏は80年代から病気に悩まされ

創作活動から遠ざかったが

ジャズピアニスト山下洋輔とともに

タモリを発掘するなど「笑い」に関しては

異能の存在であることを示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だこの、模範的な追悼文は。

 

 

 

文句いう気になれないのよ。

この人に関しては。

 

 

 

 

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

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2008年7月27日 (日)

一級建築士試験その後

今日は一級建築士学科試験。

受験生のみなさん、ご苦労様。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学科試験の合格者発表は

9月に入ってからなので

10月の製図試験にぎりぎりである。

 

 

 

 

 

 

 

そこで、自分で答案を持ち帰って

○建学園とか○合資格学院とかに

採点してもらう、というシステムが昔からあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにしろ1級建築士試験の製図試験は

難関でたいていの人が予備校に通う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予備校に通わないとたいてい落ちて

(これはデザイン力とは関係ない。

ルールに従った書き込みがちゃんとできるかどうかが

審査される。そして学校に通わないと落ちるのだ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の周辺にも

『学科は解けたけど製図で落ちた』という連中がいた。

製図(2次)試験を受けるには

学科が合格していないといけなかったのだが。

学科試験合格の効力は1年で

2年続けて製図を落とすと

振り出しに戻ってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

したがって、そういった製図1回落第組は

『カド番設計士』として

去就が注目されていた。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかくは一次突破が大事。

そして理想的にはすぐ2次の製図に

備えなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

  

したがって今日の受験生も

受験票とかに自分の解答を写し取っているはずだ。

 

 

 

 

 

受験会場の周辺には

資格予備校のバイトが山ほどいて

アンケート用紙を配っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに今日の回答を記入して

FAXしたら合格してるかどうか教えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきも言った様に合格しそうな人は

ほぼ確実に資格学校に通う。

これが7週間のコースで30万円とか

結構根性の要る金額なので

この合否判定もすごく熱が入っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合格圏以下の人はまったく相手にされない。

『残念でしたね。来年の講義のご案内はこちら』というくらいに

冷たい。

 

 

 

 

 

 

 

 

1次が確実だと『製図の講義』を

取ろうとしてとたんに電話攻勢が

かかってくるのだが。

 

 

 

 

 

 

 

私の場合、

どこからも勧誘の電話がかかってこなかった。

よほど合格しないと

当日採点で思われていたらしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

製図試験の準備は

結局

予備校に自分で申し込みました。

 

 

 

  

 

いまは笑い話だけど。 

今日の試験を受けても

確実に受からないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ試験は終わってないぞ。

製図試験までがんばってください。

 

 

 

 

 

 

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2008年7月26日 (土)

1級建築士試験

明日、7月27日は1級建築士の

学科試験である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むー

 

 

 

なつかしい。

そんな季節か。

 

 

 

 

 

 

 

 

私らが受けていた頃は

『8月の第1週』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもまあ日本が

一番暑い時期であることは間違いなく

 

 

 

 

こういう各種試験の試験場は

大学や高校の教室が当てられることが多く

私立の学校では空調が入っていたことも

当時でもあったと思うのだが

公平を期するためか

どの試験場でもクーラーは入れてくれなかった。

(今は違うと思うが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

したがって

法令集と汗を拭くタオル

必携品であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が受かった年

台風の影響で日は射さず

風は強くて、

大変涼しく、すごしやすかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時建設会社に勤めていて

同世代で1級浪人しているやつはたくさんいて

したがって、試験が終わった後で

課長からこういう質問が出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今年、どやった?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

『大変涼しくて過ごし易かったです。』

『そんなこと聞いてるんとちがう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『来年もこうだとええんですけどなあ』

『おまえ、来年も受けるつもりか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『毎年こうだといいんですけどねえ』

『わしゃ試験が出来たかどうか

聞いてるんじゃ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受験生のみなさんがんばれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事相手の今年の受験生が

いきなりメールで

『データをお送りします。

(分担を約束していた)作業については

まったく着手していません

あとはよろしくお願いします』

と、送ってくるのは相当てんぱってたのだろう、

と思うわけだが

 

 

 

 

仲良く仕事しましょう。

 

 

 

 

 

まだつづくよ

 

 

 

 

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2008年6月16日 (月)

『トレノ』って今もあるのかなあ?

今日散歩してたら『トレノ』を見た

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからどうしたといわれると困る。

私が見たのは『私が学生時代に見ていたトレノ』

である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからなんだといわれるとすごく困るが

要するに『25年前の車』なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は車を持っていないので

興味がないが

 

 

25年前は『当時道路上を走っている

すべての車を知っていた。』

 

 

 

 

 

 

 

うそじゃないよ。

ほんと。です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから今の車は答えられないが

あの当時の車は答えられる。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、自分にも意外だったのは

『かっこいいじゃん、トレノ』

不覚にも思ってしまったことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車のデザインには技術の進化

『パーツの継ぎ目をどのくらい縮められるか?』

とかいう課題のほかに

流行がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの頃の角ばったデザインが

ちょっとかっこよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乗ってる人がどう思ってるか知らないけどね。

旦那はともかく嫁は

『もう、こんなハンドルの重たい車、やだ。』と

言ってるかもしんないけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、あの頃の車って今見ると新鮮だよね。

 

 

 

 

 

 

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2008年6月12日 (木)

バブルの頃にはあったよな

うわあ、恥ずかしい。

 

 

 

 

 

  

 

まあ、お客さんこちらの記事を読んでくださいよ。

(読売新聞の記事)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さかりがついた男女を船に乗せ

いいタイミングで

花、指輪、と

攻撃を繰り出した後で

明石大橋のイルミネーションの下で

プロポーズ、だそうだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

成約率100%。

クルージングの成約率ではなく

婚約なり、結婚にいたった率だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし記事の内容をよく読むと

疑問がわいてくる。

 

 

 

 

 

『・・・明石大橋が近づくと、スタッフが合図を送り、

男性が女性をデッキに連れ出し、

夜景をバックにプロポーズ。

男性の成功サインを確認したスタッフがフロアに戻った2人に

乾杯用のワインと、

「おめでとう」と書かれたデザートを届け、

バンドの生演奏で祝福する。

乗船時間は1時間45分で、1組3万~5万円。』

 

 

 

 

 

これほどのシチュエーションを用意されて

プロポーズを断る女の神経というのは理解できないが

まあ、そんな人もいるだろう。 

 

 

 

 

 

 

 

それ以前に雨だったら金を返してくれるんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

『ねえ、今日のデート中止ってどうしてよう?』

『雨だからだよ』

『えー、たいした雨じゃないじゃん。行こうようクルージング』

『だって雨だと、ろうそく消えちゃうじゃん』

『えー?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それより心配なのは

振られたときスタッフはどう対応するのか?

  

 

 

 

 

 

 

 

 

『おめでとうのケーキ中止だってよ』

『何だよあいつ振られたのかよ。』

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

『おおい、生演奏中止だ。』

『何でですか?』

『あいつ振られやがった』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタッフに知られちゃうところが、なんとも情けない。

 

 

 

 

 

 

 

振られたとして、

船を降りるまでのさまざまな気まずさといったら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女に対して、とか

スタッフみんなが笑ってんじゃないかとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう明石海峡に飛び込んじゃうよ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜景クルーズに呼ばれた時点で

女性としても船会社としても

OKなんだろうが、

 

 

 

 

 

 

 

『成約率100%』って読売新聞が

囲み記事にするのはどうだろう? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『100%』じゃプレッシャーがかかるじゃないか。

振られたら責任取ってくれるのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから読売新聞がさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(追記)

19歳の男が20歳の女にこんな手でプロポーズするなよ。

                

 

 

 

 

 

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2008年5月25日 (日)

千葉市4位の相撲少年

昨日の日記で相撲についてえらそうなことを書いたが

 

 

 

 

 

ちゃんと理由がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は私は相撲で千葉市4位だったことがあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学3年の夏休みの話であった。

 

 

うちの中学には当時すでに相撲部はなかった。

それでも毎回千葉市大会には参加していて

そこには柔道部が参加していた。

 

 

 

 

 

ところがその年は相撲大会と柔道の大会の日程が重なり、

当然、柔道部は参加できないことになった。

 

 

そこでリタイアしないのがうちの中学の変なところで

部活をやってない連中を集めて、臨時の相撲部を作り

参加することになった。

 

 

 

 

集められたのが私をはじめとする3年D組の6人で

全員部活をやっていないというのだけが共通点で

相撲はもちろん運動全般はまったくだめな連中であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまから思えば、

レギュラーじゃない柔道部員を出したほうがまだましだったはずで

なぜ、運動音痴の連中を集めたのか

なぜ、3-Dだけだったのか不思議なのだが、

 

 

部活をやってないわれわれに

3年の夏休みの思い出をくれようとしたのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、急ごしらえの臨時相撲部は編成から2週間

まわしの締め方と、すり足の練習だけして

試合に臨むことになった。

 

 

 

 

 

何しろ基本中の基本『股割り』をやらせると

全員が痛さのあまり悶絶するという体たらくで

しこを踏ませると、ぺちっぺっちっと

情けない音を立てるのであった。 

 

 

 

 

 

 

 

そんなだめだめなメンバーの中で

私も運動神経はまったくなかったが

馬鹿力だけはあったのでひそかに期するところがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてそうして望んだ試合当日。

相撲大会の観客は少なかったが、

会場は国体をやった屋根つきの立派な土俵であり

大変緊張した。

 

 

 

 

 

当時でも中学生に相撲人気は低かったが

わが校以外はみんな本気相撲部

あんこ型の立派な体をしてらっしゃる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなやつに個人戦で当たったらまったくだめで

まわしをとる前に突き出されるか、

まわしをとってもびくとも動かず

ああっという間に寄り切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも団体戦では私が勝利をあげ

みごとわがF 中Aチームを『千葉市4位』に導いた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が千葉市4位の相撲中学生だったというのは事実である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに

 

 

 

 

参加チーム5チーム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも5チーム中2チームが、うちの中学。

あまりの相撲人気のなさで参加校は千葉市全体で4校。

 

 

4位5位、といえば聞こえがいいが

要はドベとブービーである。

それがうちの中学。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

うちのチームが4位になったのは

私の1勝があったからというのは事実だが

その相手はうちの中学のBチームの大田君。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参加しないほうがよかっただろうという戦績。

柔道部の補欠のほうがよっぽどよかったはずだ、

と書いたのもわかるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あー、でも楽しかった。

ありがとう篠崎先生。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで相撲は好きです。

 

 

 

 

 

 

あんまりくわしくはないけどね。

 

 

 

 

 

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